話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第30話 彼女の思案

 テレビ局の関係者用休憩スペースで待ち合わせ中の貴子は、壁際に設置してある自販機でミルクティーを購入し、一見のんびりとそれを口に運びながら、メモ帳に思い付いたレシピを書きなぐっていた。


「そろそろ時間かしら?」
 そう呟きながら腕時計に視線を落とすと同時に、斜め後ろに誰かの気配を感じた貴子は、(相変わらず時間にマメな人だわ)と笑い出したくなるのを堪えつつ顔を上げる。すると想像通り待ち人が自分の横を通って前の席に腰を下ろし、笑顔で挨拶してきた。


「やあ、宇田川さん。遅れて申し訳無い」
「いえ、時間ぴったりですよ? 加納編成局長」
「それは良かった。部屋を出がけに面倒な奴に捕まってね。危うく遅れる所だったよ」
「まあ! その人は、勇者ですね。鬼の編成局長を足止めするなんて」
「酷いな。私に同情してくれないのかい?」
 ひとしきりくすくすと笑い合った二人だったが、どちらからともなく笑いを消し、真顔で向き合った。


「無駄話はこれ位にして、本題に入って良いかな?」
「勿論です。多忙な局長のお時間を、浪費させる訳にはいきません」
「それでは……、まずこれを見て欲しい」
 そこで加納が、小脇に抱えて持って来たファイルの束から、大判の封筒を取り出した。
 差し出されたそれを無言で受け取った貴子は、中身を取り出してざっと目を走らせ、無言のまま眉根を寄せる。しかし十分予想できていた内容の代物であり、何事も無かった風情で元通り封筒にしまい込んだ。
 対する加納もその間無言で貴子の様子を窺っていたが、彼女が封筒をテーブルに置いたのを見て、忌々しげに口を開く。


「全く……、大の大人がこんな事をして恥ずかしいと思わないのかと言う以前に、自分がどれだけ馬鹿な事をしているのか、本当に分かっていないらしい事に呆れる」
 もはや吐き捨てると言った感じの物言いに、貴子は苦笑して母方の叔父を宥めた。


「あの連中の性根は、多少年を取った位で改善する様な代物ではありませんし、おじさまが腹を立てる必要はありません」
「しかしだな、貴子ちゃん。こんな誹謗中傷を平気で垂れ流す様な連中を野放しにしているなんて、私には到底我慢できないんだ」
 代々警察官を輩出している家の一人息子でありながら、大学卒業と共にテレビ局に就職した型破りな叔父ではあったが、倫理観と正義感は親譲りであったらしく、更にその顔が朧気な記憶の中にある、一度だけ会った母方の祖父の容貌とも重なって、貴子は一瞬懐かしく思った。しかしすぐにそんな感傷を心の隅に押しやり、現実的な問題を口にする。


「この件に関して、おじさまに何か迷惑をかけてしまいましたか?」
「それは無い。元々君の希望で私達の関係は公にしていないし、普段も偶然ならともかく接触していないからな。立浪プロデューサーに紹介する時も、君を私の姪だとは言わずに、こういう人間がいるとだけ伝えたし、局内でも余程目端の利く人間でなければ、私達の関係は把握していないだろう」
「それなら良かったです」
 心配そうな表情から一転安堵のそれになった姪に、加納は溜め息を吐いて独り言の様に話を続けた。


「不特定多数の電話がかかってくるこういう場所で、逐一発信先の電話番号位押さえてあるとか考えないんだろうか? 文書も筆跡を分からない様に変えたり、プリンターで打ち出した文章でも、言い回しや表現が同一で、見る人間によっては一目瞭然なんだが」
「それ位の事も分からない残念な頭しか持っていないから、延々とこんな馬鹿な事を続けているんですよ」
「違いない」
 冷静な姪の指摘に加納が思わず失笑してしまうと、その笑いが収まったタイミングで貴子が口を開いた。


「私が九月の番組改編時期に合わせて降板する話を、立浪さんから聞いたんですか?」
「ああ。このタイミングだったから、渉外部の人間辺りが、君の耳に余計な事を入れたのかと思って気になって。これを渡しておく必要もあったし」
「苦情受付担当の方は、揃って口が固い人ばかりですよ? それにこんな物、いつも通り郵送と電話で構いませんから」
「そうは言っても……」
 ごく偶にしか顔を合わせる機会が無い姪でも、彼なりに気にかけてくれているのは十分分かっていた為、貴子は笑顔で言葉を返した。


「番組の降板がこのタイミングになったのは偶々です。以前からそろそろ足を洗って、本業に集中しようと考えていましたから。そもそも不純な動機で、テレビで顔を売りたいと考えてこちらにお世話になったので、いい加減潮時だと思います」
「確かに、あの人の面子を潰すのに一役買ったがな。今は少し、後悔しているよ」
 苦々しい表情を崩さない加納に、貴子は真顔で話を続けた。


「そのままズルズルと居座ってしまいましたが、そのお陰で普通なら知り合えないタイプの人間や、係わり合いの無い職種の方と接する事ができて、本当に勉強になりました。それだけでも価値が有ったと思っています。機会を作って頂いて、ありがとうございました」
 そう言って座ったまま頭を下げた貴子を見て、加納は溜め息を吐いてから自分自身に言い聞かせる様に告げた。


「君の決意がそこまで固いなら、これ以上は言わない。ただ本当に何か困った事があったら、遠慮なく言ってきなさい。男の私に言いにくければ、姉達に言うんだよ?」
「ありがとうございます。その時はご相談させて貰いますので」
 そう言ったものの、両者とも(多分、そんな事は無いだろうな)と思いながら席を立ち、簡単に別れの挨拶を交わして、何事も無かったかの様にそれぞれ別の方向に歩き去って行った。




 その日、自宅マンションに帰り着いた貴子は、エントランスの集合ポストから、日中届いていた自分宛ての郵便物を回収すると、差出人が無記名の封筒を見つけた。
「今日はこれ位か……、あら?」
 それを摘み上げて裏表をひっくり返して確認し、如何にもつまらなさそうに呟く。
「相変わらず懲りないわね。勝手に仲人話を持ちかけて、面子を潰したのは自業自得でしょうが」
 まるで中身と差出人が分かっている様な口振りで、他の物と一緒にそれをバッグに放り込み、貴子はさっさと奥へと歩いて行った。


「……ただいま」
 無人の部屋でも習慣になっている帰宅の言葉を口にすると、貴子はやや乱暴にソファーに腰を下ろした。
 食事は外で済ませて来た為、後は風呂に入って寝るだけであり、余裕のある時間の暇つぶしとばかりに、届いていた配達物の確認を始める。
 大抵はダイレクトメールや請求書の類だったが、最後に先程の差出人が不明の封筒を開封し、中身を取り出して確認すると、貴子は皮肉気に口元を歪めた。


「家事はしないけど、こういう事は好きみたいね。顔に皺が増えるのと比例して、品性下劣さも増すものと見えるわ」
 せせら笑った貴子だったが、嗅いだ覚えのある香りが微かに漂っているのを感じ取り、その封筒と便箋を、「これも後でファイリングね」と忌々しげに言いながらコーヒーテーブルの向こう側に投げ捨てた。そして疲れた様にソファーの背もたれにもたれかかり、何気なくこの何日か気になっている事を考える。


(そういえば……、メールが来なくなってから、何日かしら?)
 そこで何を考えていたのかを自覚した貴子は自分自身に腹を立て、尚且つ自分に言い聞かせる様に呟いた。


「別に、わざわざ確認する程の事じゃ無いでしょうが」
 その視線の先に、先日隆也に押し付けられたハリネズミのぬいぐるみを発見した貴子は、無言で立ち上がり、反対側のソファーの横を回り込んで、リビングボード上のそれの前に立った。そして何とも言えない表情で、無言のままその背中を撫で始めると、その横に設置してある固定電話が着信を知らせる。
 無心で撫でていた貴子は一瞬驚いたものの、ディスプレイに浮かび上がった番号が高木家のそれだった為、安心しきって受話器を取り上げた。


「もしもし?」
「姉貴、フジコちゃんが轢き殺されたんだ……」
「孝司、いきなり何を言い出すわけ? それに『フジコちゃん』って誰の事?」
 電話に出るなり痛恨の声音で言われた内容に、貴子は軽く動揺しつつも(孝司の恋人って『香月さん』って言う名前じゃ無かったかしら?)と怪訝に思った。すると今度は憤慨した声で、孝司の訴えが続く。


「銀至のヤロー、酷いんだぜ!? 俺がフジコちゃんで話しながら道を歩いてたら、いきなり曲がり角の陰から飛び付いて来て! 何事かと思ったのに『ちょっと驚かしてみようと思った』って、それは無いよな!? その弾みでフジコちゃんが手から離れて、その勢いで道路に転がって、偶々そこに2tトラックが来やがったんだよ!!」
 そこまで聞き終えた貴子は激しく脱力しながらも、一応確認を入れた。


「孝司。要するに、あんたが『フジコちゃん』と命名してた携帯が、お友達が飛び付いて来た弾みで道路に落ちて、そこに通りかかったトラックが轢いて再起不能になったわけね?」
「え? 俺、そう言ったよな?」
 心底不思議そうに尋ね返してきた弟に対し、貴子は頭痛を覚えながら言葉を返した。


「携帯に名前を付けるのも、そのネーミングセンスがちょっとどうかと言う事も、取り敢えず置いておいて……。もう少し、万人が聞いて分かるような物言いをしないと、いつかとんでもないヘマをするわよ?」
「そんなに分かり難かったかな?」
 納得しかねる口調の孝司に、貴子はこれ以上議論する事の無意味さを悟り、さっさと話題を変えた。


「それで? 私に『フジコちゃん』のご臨終話を聞かせる為だけに、電話してきたわけじゃ無いわよね?」
「そうなんだよ。実はそれ、五日前の話なんだけど、姉貴に連絡するのをすっかり忘れててさ~」
「……五日前?」
 明るく言われた内容に、貴子の片眉がピクリと上がった。しかし電話越しではそんな変化は分からない孝司は、平然と話を続ける。


「銀至の奴に弁償させる事になったんだけど、近所の携帯ショップに行っても、俺の感性にピピッと来る彼女に巡り会えなかったんだ」
「カタログで選びなさいよ」
「いや、やっぱり直に手に取ってみないとダメだろ? だから明日、市街地まで出て探して来るつもりなんだ」
「そう……理想の彼女に巡り会えると良いわね」
 かなり投げやりに感想を述べた貴子に、孝司はここで謝罪の言葉を口にした。


「そんなわけで、この間『何で携帯が繋がらないんだ?』って家の固定電話にかけてきたダチには、毎回理由を説明して納得して貰ったんだけど、姉貴からは電話が無かったからすっかり忘れてて。悪い」
 貴子はそれに、思わず溜め息を吐きながら答える。


「別に、あんたの彼女のご臨終話を、わざわざ教えてくれなくても構わないわよ?」
「だって榊さんからのメールが転送されて来なくて、この間姉貴がウジウジイライラしていたんじゃないかな~と」
「どうして私が、そんな事を気にしなくちゃいけないのよ!?」
 盛大に孝司を叱りつけた貴子だったが、孝司は怯む事無く、真剣な口調で言い返した。


「だって4日前からあの小説の続きを転送できていないって事だから、主人公の恋人が愛車を運転中、意識不明になった後の展開、気になってないのか?」
 そう問いかけられた貴子は、思わず正直に告げた。


「……っ! 確かにそれは、もの凄く気になってたけど!」
「やっぱり俺と姉貴って、血の繋がった姉弟だよな~。今、続きを教えようか?」
「結構よ!」
「だよな? やっぱり自分で読みたいよな? 姉貴は気になってても、意地を張って俺に『どうして転送してこないのよ』とか電話で文句を言ったりしないと思うし。だからこっちから電話してみたんだ」
 満足そうに一人で「うんうん」と頷いて自己完結している異父弟に、貴子は何とか自制心をかき集めながら、いつもの口調を心がけて会話を終わらせようと試みた。


「……この間、メールが転送されて来なかった件に関しては分かったわ。話がそれだけなら切るわよ?」
「そう言う訳だから、別に榊さんが姉貴に愛想尽かしたとか、他の女に心変わりしたとかじゃないから、安心し」
「とっとと新しい携帯を買いなさい!!」
 電話の向こうでしたり顔で言っているであろう孝司の台詞を怒声で遮り、貴子は受話器を叩き付ける勢いで元の位置に戻した。そして手を離さないまま、深い溜め息を吐いて項垂れる。


「全く、もう……。何だって言うのよ……」
 ぶつぶつと誰に言うともなく、ひとしきり文句を口にしてから、貴子はぬいぐるみを手にしたまま、先程のソファーの位置まで戻った。
 座った膝の上にそのぬいぐるみを乗せ、暫くは無言でその背中を撫でていたが、何を思ったか両手で持ち上げ、真正面から顔を覗き込んで、静かに告げる。


「別に……、気にしてなんかいないわよ……」
 その呟きに当然ぬいぐるみが応えるわけは無く、ただ顔の両側に付いている小さな丸い目がこれまでと全く変わりなく、静かに貴子を見上げていた。



「ハリネズミのジレンマ」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く