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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第26話 貴子の認識

 日曜の午前中に待ち合わせ場所のファミレスに出向いた貴子は、店内に入るとほぼ同時に通路の奥の席から軽く手を振ってきた祐司の姿を認め、そのテーブル席に歩いて行った。そしてそこまで来て漸く、席ごとに設けられた仕切りの陰になって、その姿が見えていなかった孝司に気が付く。


「祐司、待たせたわね……、あら? 孝司も一緒なの?」
「ああ、ちょっと込み入った話と言うか、何て言うか……」
「まあ、とにかく座って」
 二人で若干動揺しながら応じ、祐司が立ち上がって横に移動してから横長のソファーの窓際を手で示すと、貴子は胡散臭さそうに祐司を見やった。


「どうしてわざわざ立つ必要があるの? 私、通路側で構わないんだけど?」
 如何にも疑惑に満ちた眼差しになった貴子に、祐司と孝司は精一杯愛想を振りまきながら誤魔化そうと試みる。
「いや、それは……、やっぱり窓際の方が、景色が良いかと」
「そうそう。レディー・ファーストの精神で?」
「何か違うと思うけど……、まあ良いわ」
 怪訝な顔をしたものの貴子はそれ以上追及せず、大人しく窓際の席に収まった。そして彼女の横を塞ぐ形で祐司が、正面に孝司が座る。


「ところで、二人揃って話って何?」
 注文を済ませた貴子にそう切り出され、二人は明らかに動揺しながら弁解を始めた。
「その……、実は、話が有るのは俺達じゃなくて……」
「ちょっと頼まれたんだ。怒らないで話を聞いて欲しいな~、なんて」
「あんた達、まさか……」
 挙動不審な弟達の言動で、何となく察した貴子が二人を恫喝しつつ腰を浮かせかけたところで、通路側から落ち着き払った声がかけられる。


「やあ、遅くなってすまなかった」
 軽く右手を上げながら殊勝に謝罪してきた隆也に、祐司と孝司はあからさまに安堵した表情を浮かべつつ笑顔で応じた。
「いえ、時間ぴったりですから」
「タイミングもぴったりでしたね」
 そんな友好的な会話を交わしている男達を丸無視して、今度こそ貴子はバッグを手に立ち上がった。


「……帰るわ。そこを退きなさい、祐司」
 一度祐司が通路に立たないと出られない為、窓際の席を勧めたのはこの為だったのかと苛立ちながら貴子が命じたが、そんな彼女の腕を軽く掴みつつ祐司が言い聞かせる。


「待て姉貴。ちょっとだけ冷静に話をしよう」
「今すぐ退かないと、綾乃ちゃんに無い事無い事吹き込むわよっ!!」
「有る事無い事じゃないのかよ!?」
「姉貴、これだけは言わせて欲しいんだけど」
「何よっ!?」
 他の客の迷惑になる一歩手前レベルまで声を荒げた姉兄の会話に、ここで孝司が真顔で割り込んできた。


「腐れオヤジに何を言われたかは知らないけどさ、一方的に私物送りつけて着信拒否って、やっぱり榊さんに失礼だと思うんだ」
「賢しげな事言ってないで、部外者は引っ込んでなさい!」
「いや、だけどさ、愛想尽かしたなら尽かしたなりに、ちゃんと理由を言うのが筋じゃないのか? 実は榊さん公務員の癖に金遣いが荒くて、陰で闇金に手を出してたとか、酒に強そうに見えて実は酒乱で、酔うと暴力をふるうとか、セックスがマンネリ化したり身体の相性が悪くて飽き飽きしたとか、他の人には言えない変な趣味を持ってるのが、生理的に受け付けないとかさ」
「…………」
 休日のファミレス内で語るには、あまりにもそぐわない内容をさらっと孝司が口にした途端、そのテーブルがある一角が静寂に包まれた。隆也が笑みらしきものをその顔に浮かべつつも、こめかみにうっすらと青筋を浮かべ、貴子も盛大に顔を引き攣らせているのを目の当たりにした祐司は、無言のまま手で顔を覆う。そんな周囲の反応を見て、孝司が困惑顔で首を傾げた。


「今のはあくまで、例え話だけど?」
「お前はもっとまともな例え話ができないのか?」
「でもさっき言った内容なら、立派に別れる内容になるよな?」
 兄弟でテーブル越しにコソコソとそんな事を言っていると、すぐに平常心を取り戻した隆也が、さり気なく孝司に声をかけた。


「孝司君、とにかく座らせて貰って構わないか?」
 その言葉に、孝司が慌てて立ち上がって席を勧める。
「あ、はい、どうぞ。と言うか、俺達出ますので、二人で話を」
「こいつと二人なんて、冗談じゃ」
「いや、一緒に居て貰って構わない。君達も何の話か、聞きたくはないか?」
 途端に吠えた貴子と孝司の台詞を遮って、隆也が申し出た言葉に、三人が思わず互いの顔を見合わせた。


「えっと……、俺達が同席しても構わないんですか?」
「ああ。お姉さんが暴れないかどうか心配だろう?」
「あんたね……、誰のせいだと思ってるのよ!?」
「それじゃあ、お言葉に甘えまして……」
「失礼します」
 すっかり気分を害したらしい貴子は窓際に座ったままそっぽを向き、その正面に座った隆也はそんな態度を気にする事無く悠然とホットコーヒーを注文してから、幾分面白そうな表情のまま無言で相手を観察していた。そんな二人の退席を阻む形で通路側に座っている祐司と孝司は、内心の不安をありありと表している顔つきで、事態の推移を見守る。


(何だ? 俺達みたいなお邪魔虫が居ても良いだなんて……。榊さん、姉貴とよりを戻す為に、呼び出したんじゃないのか?)
(てっきり姉貴とよりを戻す為の、話し合いだと思ってたんだが……。まさか姉貴、榊さんに借金してて、別れる前に返済を迫られたりとか?)
 そんな微妙に緊迫感が満ちていく中、届いた珈琲をゆっくりと一口飲んでから、隆也が徐に口を開いた。


「そう言えば……、もうお前の伯母達経由で聞いているかもしれんが、この前の朝の小芝居、なかなか良い感じに噂が広がったぞ? おかげさまで俺が宇田川の婿になるって話も、ガセネタって事で収束した」
「そう。それは良かったわ……」
「小芝居?」
「何の事ですか?」
 相変わらず窓の外に視線を向けたままの貴子は、微妙に顔を歪めながら相槌を打ったが、全く事情を知らなかった祐司達は不思議そうな表情になった。その為、隆也が先日出勤途中で貴子に遭遇した時の事を掻い摘んで説明すると、二人揃って呆れた表情を見せる。


「朝っぱらから、そんな事を……」
「今回もあの腐れオヤジ、恥の上塗り?」
「打ち合わせも無しにあんな所に現れて、いきなり頭を下げてくるから、最初は何事かと思ったぞ」
 軽く非難めいた口調で言ってみたが、貴子はまだ視線を合わせずに素っ気無く言い返した。


「あれ位、あんたが咄嗟に合わせられない筈無いでしょう? 何とぼけた事を言ってるのよ」
「まあな」
 そして苦笑いをして再び黙り込んだ隆也に、貴子が痺れを切らした様に向き直って促した。


「それで? ご親切にもその報告をしてくれるつもりで、わざわざ弟達を使って私を呼びつけたわけ?」
「まさか。今の話は単なる世間話だ」
「あら、そうなの。じゃあさっさと本題に入ってくれない?」
「そうだな」
 そこで隆也はカップをソーサーに戻し、僅かに姿勢を正してから、落ち着き払った表情で声を発した。


「じゃあ、貴子」
「気安く人の名前を呼ばないでくれる?」
「俺と結婚しろ」
「……はぁ?」
 途端に顔を顰めた貴子と超然としている隆也を見て、祐司は激しく動揺し、孝司は思わず遠い目をする。


(ちょっと待った! なんでよりを戻すのをすっ飛ばして、いきなりプロポーズになるんですか? 第一、そんな話をするのにファミレスで弟同席って、もうそこから激しく間違ってると思うんですが!?)
(『結婚しろ』かぁ……。常識的に考えると、ここは『結婚してくれ』とか『結婚しないか?』とかじゃないのかな? ……榊さんらしくて、妙に納得だけど。それに俺達の存在、忘れられてる?)
 弟達の様には動揺しなかった貴子だったが、相手の意図が読めずに苛立った表情を見せた。


「ここの所の陽気で、脳がふやけて機能不全を起こしてるわけ?」
 思わず皮肉を零した貴子に、隆也が堂々と言い返す。
「生憎と正気だ。悪かったな」
「どうして私があんたと結婚しなくちゃいけないのか、皆目見がつかないんだけど?」
「俺のどこが不満だ?」
「その傲岸不遜な所がよ!」
「仕方ないだろう。俺と比べると、他の人間は大抵俺より頭が悪くて見た目が悪くて、腕は立たない癖に稼ぎは悪くて、比較対象にならないからな」
「本っ当に、ムカつく男ね……」
(なんでプロポーズから一転して修羅場に……)
(命あっての物種だよな。もうこの二人を置いて逃げようか)
 テーブル上に置かれた貴子の両拳が小刻みに震えているのを見て、祐司達は絶望的な心境に陥った。しかしこの場を立ち去る決心が付かないまま椅子を温めていると、隆也が淡々と話を続ける。


「加えて、俺の両親と同居する事になるとは思うが、二人ともお前の事を随分気に入ってるみたいだし、小姑の妹は既に独立して家を出てる。勿論お前が仕事を続けたいと言うなら、家事はこのまま母にして貰って仕事を続けて構わないし、結婚相手の条件としては悪くないとは思うが?」
「え? 姉貴、榊さんの両親と面識あるのか?」
「無いわよそんなの! いい加減な事言わないで頂戴!」
 驚いた孝司が問い質したが、貴子が険しい顔付きで否定する。しかし隆也が事も無げに答えた。


「父が代表の弁護士事務所にチョコを送りつけたり、家に俺の私物一式をお前の名前で送りつけただろう? 二人とも中身について『とっても美味しい』とか『綺麗に詰めてる』と誉めてたぞ?」
「…………」
「……そんな事をしてたのかよ」
「中身を誉めても、姉貴を誉めたとは言えないんじゃ……」
 確かに身に覚えのある行為を挙げられた貴子は押し黙り、それを見た祐司達が思わず溜め息を吐き出す。そこで隆也が如何にも不思議そうに問いかけた。


「さっき自分の事を棚に上げて、俺が傲岸不遜だから嫌だとか言った様だが、お前だって同類だろうが。それなのにどうして了承しないんだ?」
 理解に苦しむといった表情での問いかけに、とうとう貴子の堪忍袋の緒が切れた。
「冗談でしょう!? そもそも警察官で、しかもお高くとまったキャリアなんて、お呼びじゃないって言ってんのよ!!」
 激高した貴子が力任せに拳でテーブルを叩きつつ叫び声を上げた為、祐司達は狼狽しながら彼女を宥めにかかる。


「ちょっと姉貴、静かに!」
「他の客の迷惑だから!」
 貴子の絶叫で、そのテーブルは店内中の視線を集めてしまったが、隆也一人どこ吹く風で、平然と話を続けた。
「ほう? それが気に入らないか……。それなら因みに、俺が警察を辞職したり、ヘマをして閑職に飛ばされたりした場合はどうなんだ?」
 軽く腕組みしながら隆也が興味深そうに尋ねたが、それを聞いた貴子は鼻で笑って言い返した。


「はっ! 考えるだけ時間の無駄な、仮定の話をしないでくれる?」
「どうしてそう思う?」
「あんたが自分の仕事に誇りを持ってる事と、それをこなす力量を十分に持っている事を知ってるし、自分で『警察官が天職だ』って言ってたじゃない! 第一、万事抜け目が無いあんたが、容易く他人に足を引っ張られたり、取り返しのつかない失態をしでかすわけ無いでしょうが!?」
「……なるほど。一応、認めて貰ってはいるわけだ。それは何よりだ」
「え?」
 勢いに任せて言い放ったものの、相手が満足そうに目元を緩ませて微笑んでいるのを見て、貴子は目を瞬かせて当惑した。すると隆也は笑みを消し、組んでいた腕を解きながら静かに断言する。


「お前が俺について気に入らないのは『警察官』と『キャリア』だって事で、俺個人の個性や能力にケチを付けてるわけでは無いのは分かった」
「『性格が悪い』と、はっきり言ってるわよ!」
「それはお互い様だと言った」
 そこで隆也はゆっくりと立ち上がり、財布から取り出した一万円札をテーブルに置いた。


「じゃあ二人とも、付き合って貰って悪かった。俺の用は済んだから、これでここの支払いをしてくれ。俺は一足先に帰らせて貰うから」
 平然とそんな事を言ってきた隆也を、祐司が困惑した表情で見上げる。
「え? あの……、もう良いんですか?」
「ああ、必要な話は済んだから。それじゃあ、また」
「はい、失礼します……」
「祐司! こんなわけが分からない奴に、頭なんか下げる必要無いわよ!」
 愛想良く別れの挨拶をしてきた隆也に祐司は素直に頭を下げたが、半ば無視された格好の貴子が怒りの声を上げた。すると少しの間呆然としていた孝司が我に返り、さっさと店を出て行こうとしている隆也を慌てて追いかける。


「あ、榊さん! 悪い、祐司。俺も行くから、あと宜しく!」
「お前な……」
 そうしてバタバタと走り去る孝司を、祐司は溜め息を吐きながら見送ってから、顔付きを改めて貴子に向き直った。
「相変わらず騒々しい奴……。ところで姉貴」
「何?」
「俺達榊さんから、仲人依頼騒動の一部始終を聞いてるんだ」
「だから?」
 途端に姉の声のトーンが下がったのが理解できたが、祐司はそれに気付かないふりをして話を続けた。


「もういい加減、あの人とやり合うのを止めたらどうだ?」
「ちょっかい出してくるのは、いつも向こうが先よ!」
 正論を繰り出した貴子に祐司は若干困った顔になりつつ、辛抱強く言い聞かせる。
「それは俺達も分かってるが……。あの人と榊さんを同列に扱うのは、榊さんに失礼だと思う。何考えてるか謎な所が多いけど、有能で良い人だと思うぞ?」
 それを聞いた貴子は、もの凄く疑わしそうな顔付きになって確認を入れた。


「有能云々はともかく……、あれが『良い人』?」
「うん、まあ……、そこはあまり深く考えない事にしてる。だけど姉貴と平然とやり合えるって所だけでも、尊敬に価すると思う」
「帰るわ。立って」
「……ああ、じゃあ気を付けて」
 やり取りをする間に貴子の顔から表情が消えた為、危険信号と察した祐司は素直に立ち上がり、道を譲った。そして貴子は無表情のまま、振り返る事無くその場をあとにしたのだった。


「榊さん!」
 隆也を追って店を出た孝司はすぐに追い付き、その広い背中に向かって呼びかけた。それに応じて隆也が足を止め、苦笑気味に振り返る。
「ああ、今日はすまなかった。気を遣わせてしまって」
「いえ、それは良いんですけど、あれで良かったんですか?」
 再び並んで歩きながら尋ねると、隆也は頷いてから思い出した様に申し出た。


「ああ、当初の目的は達したしな。……そうだ、言い忘れていた。今後、中継局になってくれないか?」
「中継局?」
「相変わらず、電話もメールも着信拒否されていてね」
 小さく肩を竦めながら隆也が事情を説明すると、孝司はすぐに分かった様に頷く。


「榊さんから届いたメールを、俺が姉貴に転送するんですね。了解しました」
「あいつが激怒して、君の番号やメルアドまで着信拒否にするかもしれないが」
 その可能性に思い至った隆也が幾分申し訳無さそうに告げたが、孝司は満面の笑顔で胸を叩きつつ保証した。


「そこの所はご心配なく! 『榊さんと付き合え』とかしつこく言ったら、さすがにそうなるかもしれませんけど、メールを転送しただけで愛想尽かされたりしませんよ。だって祐司を含めて、俺達仲良し姉弟ですし!」
「…………そうか」
(あれ? 何か榊さんの周りの空気が急に重くなった様な……)
 ニコニコと笑顔を振り撒いた孝司だったが、低く呟いた隆也がいつの間にか表情を消しているに気が付き、不思議に思って問いかけた。


「榊さん、どうかしましたか?」
 すると隆也は孝司から視線を逸らしながら、低い声のまま応じる。
「何でもない。ちょっとムカついただけだ」
「え?」
「それじゃあ失礼する」
「はあ……」
 当惑した孝司に再び視線を合わせないまま、隆也は足を早めて歩き去った。はっきり口にされないまでも、全身から(付いて来るな)オーラを漂わせている隆也に、これ以上纏わりつく必要性を感じなかった孝司が、足を止めて彼を見送る。
 呆けた様にそのままその場に佇み、歩き去る隆也を眺めていた孝司だったが、その姿が雑踏に紛れて見えなくなってから、今一つ確信が持てずにいる口調で呟いた。


「ひょっとして今、俺、嫉妬されたとか? ……いや、まさかな」
 少しの間考え込み、頭をがりがりと掻いてから、孝司はもう一人の問題人物の存在を思い出し、店へ戻ろうと踵を返した。



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