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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第25話 茶番

 官庁街の登庁時間帯を行き交う人間が纏う色彩は、普通であれば大抵黒や紺系統であり、その中で山吹色のスーツに身を包んで一人佇んでいる貴子は、否応無く道行く人の人目を引いた。
 ジャケットの襟と袖口、ポケットの縁に同色系のサテンの切替しがあり、左前スリットのタイトスカートのそれは、華やかさは有っても下品なデザインでは無く、合わせてあるアイボリーのクラッチバッグとパンプスも一見して上質と分かる代物であり、通り過ぎる者達はそんな彼女に好奇心と感嘆の眼差しを向けつつ、自分の職場へと向かって行った。
 当人はにこやかに、そんな周囲に上品な微笑みを振り撒いていたが、心の中でなかなか来ない待ち人に向かって、密かに文句を付ける。


(全く……。人が三十分以上前からスタンバイして、朝から見せ物になっているんだから、そろそろ来なさいよ。今日に限って休みだなんてふざけた事をするなら、今度は絶対無駄足を踏まない様に、職場に乗り込んでやるわ)
 憂さ晴らしとばかりに、貴子は偶々目線が合った途端ギョッとした顔になったり、憎々しげに睨みつけてくる旧知の人物を見つける度、わざと満面の笑顔で会釈したり、軽く手を振って応じていた。その結果、彼らが周囲からの視線を感じて狼狽したり、苛立たしげに庁舎の中に足早に入って行くのを見ながら溜飲を下げていると、漸くやって来た隆也の姿を、人波の間に認めてほくそ笑む。


(やっと来たわね。茶番が一度で済んで、何よりだわ。ちゃんと空気を読んで、私の話に合わせなさいよ?)
 貴子がそんな勝手極まりない事を考えているとは知らず、隆也はいつも通り霞が関駅A2番出口から皇居方面に向かって歩いていたが、地上に出てから程なくして進行方向に見えた人物の姿に、思わず頭を抱えたくなった。しかも貴子は最後の電話の剣幕などどこにいったのかという風情で、自分に向かってにこやかに笑顔を向けており、それと察した周囲の人間からは(朝から何をやってるんだ、こいつ)的なやっかみ半分、蔑み半分の視線を受け、心底うんざりする。


(朝から、あんなに目立つ格好で現れるとは……。今度は何を企んでいる?)
 どう考えても、貴子が自分との関係修復の為にここまで出向く事など有り得ず、警視庁勤務の者が行き交う路上である事から、相手に何らかの意図がある事は明白だった為、隆也は精神的に身構えながら、何食わぬ顔で貴子の前までやって来た。


「おはようございます、榊さん。ご無沙汰しております」
「やあ、お久しぶりです、宇田川さん。こんな所で奇遇ですね。どうかされたんですか?」
 先手を打ってにこやかに、しかし些か他人行儀に挨拶してきた貴子に、隆也も調子を合わせて挨拶を返した。そのやり取りを見て、周囲の何人かが足を止めて、二人の様子を窺う。
 幸い庁舎の出入り口に近く、広くスペースが取られている場所に貴子が立っていた為、他の通行人の邪魔になる事は避けられたが(ギャラリーが通りすがりの冷やかし程度から、人垣レベルになったら流石に迷惑だな)などと、隆也は要らぬ心配をしてしまった。そんな中、貴子が笑顔を消し、如何にも申し訳なさそうな表情になる。


「今日は榊さんに、お詫びに伺いました」
「お詫び、ですか? 私の方には、謝罪される覚えはありませんが……」
「父が私達の関係を誤解した上、勝手に仲人を上層部の方に依頼したとか。さぞ驚かれたと思いますし、ご迷惑おかけしたと思います。誠に、申し訳ありませんでした」
 当初、話の筋が分からなかった隆也だったが、貴子がそう言って綺麗に整えられた頭を軽く下げた事で、相手の意図を完全に理解した。


(なるほど……。強欲親父への嫌がらせに、利用できるものは何でも利用する腹積もりか。確かにあのやり口にはムカついたし、ここは一つ大人しくこいつの話に乗っておくか)
 素早く考えを巡らせた隆也は周囲の人目を意識しつつ、わざとらしいと思われない程度に、さり気なく声量を上げる。


「ああ、その事でしたか。それなら気にしないで下さい。間に立った上司にも、きちんと誤解の旨を説明しまして、了解して頂きましたので。正直謝罪と言われても、咄嗟に思い浮かばなかった位です」
 対する貴子も隆也が乗って来てくれたのが分かり、聞き取りやすいはっきりとした口調で話を続けた。


「そう言って頂けると気が楽です。本当なら父共々、直接ご自宅にお詫びに伺うのが筋かとは思ったのですが……。父が相変わらず意固地で、自分の非を認めようとしないもので。榊さんの個人的な連絡先は、存じ上げていませんし」
「それでわざわざ朝にここまで来て頂いたんですか? 却って申し訳無かったですね。私としては、電話での謝罪でも良かったんですが」
 恐縮する素振りを見せた隆也に、貴子が溜め息を吐いてから、如何にも申し訳無さそうに、その理由を述べた。


「お仕事中に、職場に私用電話をかけるのも躊躇われまして……、やはり直接お会いして、お詫びしたかったものですから。本当に、父が偶々私達が、一緒に歩いているのを見た弟の話を鵜呑みにして、私達が付き合ってるなんてとんでもない勘違いをするなんて……。榊さんにはご迷惑でしたよね? 誤解された方とか、おられませんでした?」
「幸いな事に、今現在そういう女性は居ませんから、ご安心を」
「それを聞いて安心しました。父は最近、突然感情的になって、訳が分からない事を喚き出したりするもので。家族皆で、心配しているんです」
 普段行き来の無い事など微塵も感じさせず、神妙な顔付きで嘘八百を並べ立てる貴子に、隆也は思わず吹き出しそうになりながら、何とか真面目な顔を取り繕った。


「宇田川本部長がですか? 確かに以前から感情の起伏が激しい方だとの噂は漏れ聞こえていますが、ご家族にしてみれば大変ですね」
「定年が目前ですから、現役を退いたら私の結婚相手に良い条件の人間を確保できないと、焦っているのかもしれませんが、榊さんの様に将来有望な無関係な方を巻き込んで騒ぎを起こすのは、これきりにさせますわ」
「本部長が焦る気持ちは、分からないでもありませんから、あまり怒らないであげて下さい。本当に私は、気にしていませんから」
 密かに(白々し過ぎて笑える)などと考えていると、貴子が優雅に微笑みつつ話を纏めにかかる。


「榊さんのお考えは分かりました。もとより当分結婚する気はありませんし、父には相当強く言い聞かせたので、榊さんの仰る通り、これ以上は言わない事にします。朝の忙しい時間帯に、お邪魔致しました。それでは失礼します」
「はい、こちらこそわざわざご足労頂き、ありがとうございました。気をつけてお帰り下さい」
 終始声を荒げたり、張り上げたりする事無く交わされた会話だったが、二人とも計算しながら話していた為に、周囲で聞き耳を立てていた者達にはしっかり聞き取れる声であった。そのせいもあるのか、貴子が自分がやって来た方角に歩き去るのを見送りながら、隆也がさり気なく周囲に視線を向けると、慌てて視線を逸らして歩き出す者が結構存在していた。


(とんだ茶番だな……。さて、これで結構憶測は広まるとは思うが)
 苦笑しながら隆也自身も歩き出し、いつもより数割増しの視線を感じながら庁舎内に入ってエレベーターを目指すと、誰かが近寄って来たと思った次の瞬間、肩を叩かれながら些か馴れ馴れしく声をかけられた。


「やあ、榊。久し振りだな」
「近江? ……元気そうだな」
(何だこいつ? 偶に顔を合わせてはいるが、わざわざ声をかけてくる程、親しくはしていないだろう?)
 普段なら通路ですれ違えば、軽く会釈しあう程度の知り合いである同期の男に、隆也は不審に思いながらも挨拶を返した。するとその近江が眼鏡の細いフレームを指先で軽く押し上げながら、含み笑いで話題を振ってくる。


「さっき庁舎の前で立ち話をしていた女性、宇田川第十三方面本部長の娘さんの、宇田川貴子だろう? 何を話していたんだ? お前、彼女との縁談があって、仲人を警察庁警備局局長の青山慎吾警視監に依頼したって噂もあるが、それ絡みか?」
 いつの間にか到達していたエレベーターホールでそんな事を言われた為、立ち止まった隆也は忽ち周囲から興味津々の視線を浴びる事になった。それと同時に、近江がわざわざ自分に声をかけてきた理由が推察できた。


(やけに詳しいな……。そう言えば確か、こいつが所属している公安部の相良部長は、宗方副総監と親しくしていて三宅派に属していた筈。あいつが伯母辺りに、予め声をかけておいたと考えてもおかしくないな)
 一秒程の間にそんな判断を下した隆也は、先程の貴子の時と同様、相手の話に合わせる事にした。


「その噂は誤解だ。俺と彼女が付き合ってると誤解した宇田川本部長が、勝手に青山局長に仲人を依頼してな。初めて顔を合わせた時にいきなりその事を言われて、寝耳に水で驚いたぞ」
 それを聞いた近江が、幾分大げさに驚いてみせる。


「何だ、そうだったのか。俺はてっきりお前が宇田川本部長の婿になるのかと思い込んでたぞ。ほら、本部長の息子って二人揃って箸にも棒にもかからない奴らしくて、採用試験にも受からなかったそうで、聞く所によると本部長のコネで押し込んだ就職先でも、持て余されてるそうだし。だから優秀な婿を取る事に、躍起になっているとか」
 朝からサラッと暴露話を始めた近江に、隆也は半分呆れつつも、笑いを噛み殺した。


(本当に容赦ないな。と言うか、こいつ、完全に面白がってるよな? 上司公認で末席に近いとはいえ、自分より目上の幹部をこき下ろせる機会なんて、滅多に無いだろうし。それなら俺も遠慮なく便乗するか)
 そして隆也も遠慮など欠片も見せず、平然と話し出す。


「ああ、その事は彼女から聞いて知っている。彼女とは何回か食事をした間柄なんだが、その時に本部長が定年後の再就職の為の、良いコネになりそうな嫁の来てがなさそうな息子に見切りを付けて、彼女に良い夫をあてがって対面を保とうと、必死になっていると聞いた。彼女は当面、結婚する気は無いらしいがな」
「そうだろうな、テレビとかでも華々しく活躍してるし。しかし誤解される様な事は、有ったんじゃないのか?」
 茶化す様に問い掛けてきた近江に、隆也はわざとらしく肩を竦めて反論した。


「おいおい、本当に勘弁してくれ。彼女とは本当に、食事をしただけの間柄なんだ。彼女の話では、本部長にしつこく見合いを勧められて閉口していた時、『警察官は堅苦しくて嫌だ』と断ったそうだが、その時『警察官全員が頭が固い訳では無いだろう?』と言われたので、その直前に俺と会う機会があったものだから『確かに榊さんの様な人なら、話していても楽しいし、有能な人だと思うけど?』と何気なく言ったらしい。しかも偶々その前後に、街中で俺が彼女と食事していた所を彼女の弟が目撃していたらしくてな。どうも本人に確認しないまま、勝手に誤解したそうなんだ」
 それらしい事情をでっち上げた隆也だったが、それを聞いた近江が絶え切れずに小さく笑い出す。


「本部長が幾ら焦っているとしても、それは先走り過ぎだろう。女性と食事しただけで結婚しないといけないとなったら、お前は今まで何回結婚する羽目になっていた?」
「まさにその事を青山局長にお話しして、笑い話で済ませて貰ったさ」
 隆也も失笑したところでエレベーターがやって来た為、前に続いて二人も乗り込んだ。そして周りの迷惑にならない様に、声を潜めて話を続ける。


「それで今回、俺との事を誤解した父親のせいで俺に迷惑をかけた事を彼女が知って、わざわざここまで謝りに来てくれたんだ。俺の住所は知らないが、仕事中に職場に押し掛けるのも電話で済ませるのも悪いと思ったらしい。却って気を遣わせて悪かったな」
 しみじみとした口調で隆也が述べると、近江も意外そうに応じた。


「結構、真面目な女性だな。だが父親に住所とか聞けば、朝から見せ物みたいにならずに済んだんじゃないのか?」
「それが……、彼女は父親と一緒に頭を下げるつもりでいたのに、本部長が頑として非を認めなくて逆切れして怒鳴り散らしたそうだ。それで俺の住所とかを教えて貰えなかったんだろう」
 そこで近江が気の毒そうな表情になりつつ、軽く肩を竦める。


「やれやれ、癇癪持ちの親を持つと苦労するな。宇田川本部長は前々からそういう噂が絶えない人だし」
「そんな人間の下で働く事が無くて、幸運だったな」
「お互いにな。上司運は良いらしい」
 そう言って含み笑いの顔を見合わせた二人の会話は、確かに声は抑えていたものの、場所が静まり返っている狭いエレベーター内であり、同乗者には丸聞こえであった。そしてこの間エレベーターは何回か停止して扉が開閉していたが、会話が途切れた所で近江の部署が入っているフロアに到達する。


「じゃあ、俺はここで失礼する」
「ああ、またな」
 軽く片手を上げて近江が出て行くのを見送った隆也だったが、何故かその階で箱の中の四分の三程の人間が一度に降りた。確率的に有り得ない状況に、隆也は一瞬訝しげな顔になったが、すぐにその理由に思い当たる。


(おいおい、お前達、人の噂話に聞き耳を立てるのがそんなに好きなのか?)
 恐らく本来これまでに止まった階で降りる者が、隆也達の話に聞き耳を立てていた為、上階まで降りるのを控えたのだろうと見当を付けた隆也は、内心で呆れた。しかしすぐに気を取り直す。


(しかし朝から立て続けに小芝居をする事になるとはな。なかなか面白かったし、それなりに憂さ晴らしもできたから良しとするが)
 そんな事を考えつつ部屋に入ると、既にやって来ていた部下の相川から、困惑気味に声をかけられた。


「あ、課長、おはようございます。庁舎の入口付近に宇田川さんが立ってましたが、どうかしたんですか? 何か課長と立ち話してましたよね?」
「ああ、相川。あれを見てたのか」
 自分の机に向かいながら平然と返した隆也は、一応貴子との関係を微妙に察しているらしい部下達にはどう言い聞かせておくべきかと、考えを巡らせた。


(見られていたか。……当然だな。さて、他の部署の連中から騒ぎ立てられたり、探りを入れられたりするのは確実だから、皆に言い含めておくか)
 そして自分の机までやって来た隆也は、椅子に鞄を置いてから振り返って室内を見回し、既に出勤していた者達に向かって呼びかけた。


「取り敢えず、ここに居る人間だけ聞いておいて貰えば良い。今、相川に言われた事に関してだが……」
 淡々と上司が語る内容の中に、明らかに事実と異なる部分が有ったとしても、それを一々問い質す様な無粋部下はこの場には居らず、その内容が事実と認識される為に、全く時間を要しなかった。




「……疲れた。五時起きして、気合入れて準備したものね」
 もう一方の噂の当事者である貴子は、隆也と別れてからそのまま地下鉄を乗り継いで自宅マンションに帰り着き、ソファーに座って溜め息を吐いた。そして髪を留めていたピンを何本か無造作に引き抜くと、形を保てなくなった緩やかにうねる髪が、静かに肩に落ちる。そんな事は一向に気にせず、次にゴロリとソファーに横たわって足を投げ出した貴子は、天井を見上げながら物思いに耽った。


(でもこれで警視庁内で、あいつとの噂を払拭できると思うし、困った馬鹿父の話が勝手に一人歩きしてくれるだろうし、一石二鳥よね。いい気味だわ)
 そしてその日は夕方からしか仕事が無かった事を思い出し、日中の外出の予定を考え直した。


「やっぱり仕事の前に、一眠りしよう。気分直しにシャワーを浴びて来ようっと」
 自分自身に言い聞かせるように独り言を漏らした貴子は、そう決めると早速実行に移した。そしてメイクも落として、しっかりシャワーを浴びてからバスローブ姿でリビングに戻ると、携帯にメールが届いている事に気付く。


「祐司?」
 送信者名を見て不思議そうに中身を確認してみた貴子は、送信されてきた文面を確認して、首を傾げた。


「何かしら? 大事な話って」
 見当が付かなかったものの、予定の有無を尋ねられた日時が空いていた為、貴子はあまり考えずに了承の返事を送ってから、二度寝する為に寝室へと向かった。





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