話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第23話 知られざる確執

 約束の日、孝司は隆也から指定された時間直前に、祐司と二人で店内に入った。そして店員に案内されて奥に進むと、靴を脱いで上がり込んだ座敷に、既に隆也が連れと一緒に座っているのが目に入り、軽く頭を下げる。


「お待たせしました、榊さん」
「いや、時間通りだ。まず座ってくれ」
「失礼します」
 当然の様に隆也の隣に座っていた芳文に、二人は一瞬興味深そうな視線を向けたが、隆也とは初対面の祐司は彼への挨拶を最優先にした。


「初めまして、高木祐司です。榊さんのお話は、家族から聞いていました。お会いできて嬉しいです」
 自分の正面に座って手を差し出してきた祐司に、隆也は笑顔で握手しながら、隣の芳文を紹介しようとする。


「榊隆也だ。こちらこそ宜しく。それでまず紹介しておくが、これは俺の中学時代からの友人で」
「葛西芳文です。宜しく。今日ここに来たのは、隆也のアドバイザーとしてなんだ。必要無ければ黙っているから、造りの良い人形が置いてあると思ってくれ」
「はぁ……」
「どうも……」
 堂々と自分の事を容姿端麗だと言い切った芳文に、二人は曖昧に頷いた。隆也が(お前は、もっとマシな自己紹介をする気はないのか!?)と頭痛を覚えている間に、本人はどこ吹く風で祐司達に簡単な挨拶と共に、自分の名刺を手渡す。その名刺に《葛西クリニック 院長 葛西芳文》と記載があるのを見て、二人は感心した様に声を上げた。


「葛西さんは、その若さで開業医ですか?」
「しがない、小さなクリニックだよ」
「凄いな、一国一城の主じゃないですか」
「よく言えばそうだが、なかなか運営が大変でね」
「何を言ってる。その無駄に整った顔で、信奉者って名前のご婦人の患者を、日々着実に増やしている癖に」
「お陰様で、最近は医師を美男美女三人体制にできてね。皆さんをあまりお待たせできずに、済む様になった」
「言ってろ」
 思わず全員で笑ってから一気に場が和み、仲居が次々並べて行った料理や酒を楽しみつつ雑談を始めたが、五分程してグラスを座卓に置いた祐司が、真顔で隆也に切り出した。


「それで榊さん。俺達に何を聞きたいんでしょうか? 姉の事だとは思いますが」
 その問いかけに、隆也も顔付きを改めて、座卓の向かい側に座っている二人に問い返す。


「君達は、貴子から俺について、何も聞いていないのか?」
「いえ、別に何も……」
「聞いていませんが」
 明らかに当惑を隠せない二人に向かって、隆也は小さく息を吐き出してから、淡々と言ってのけた。


「実は最近あいつから、部屋に置いていた着替え全部、何の前触れも無く家に送りつけられた。挙げ句、俺の電話番号やメルアドが着信拒否された。加えて『金輪際不愉快な面を見せるな』と一方的に宣告されて以来、完全に音信不通になっている状態なんだ」
 隆也がそう告げた瞬間、二人が揃って眉間に皺を寄せて、問い質してくる。


「姉貴が、今度は何をやらかしたんですか?」
「榊さん、姉貴に何をしたんですか?」
 しかし訝しんだ内容に明らかな差が有った二人は、互いに顔を見合わせて、文句を言い合った。


「孝司。どうして榊さんが何かしでかしたのが前提なんだ?」
「祐司こそ、どうして姉貴が何かやったのが前提なんだよ?」
 互いに不満そうな兄弟を見て、隆也は補足説明する事にした。


「誤解の無い様に言っておくが、俺は何もしてない筈だ。ただ宇田川本部長が勝手に俺と彼女の仲人を、警察庁の幹部に頼んだのが関係していると思う」
 隆也がそう述べると、今度は兄弟の反応は同一だった。


「はぁ? 仲人を頼んだ? 何世迷い言言ってんだ、あの腐れ親父!」
「勝手にって……、第一あの腐れ親父、姉貴と榊さんの事知りませんよね?」
「一緒に食事に出かけた時、偶然に父方の弟と遭遇して揉めたんだ。その時俺が、警察手帳を出して名乗ったから、それで俺の身元を知られた筈だ」
 そこで盛大な舌打ちの音と共に、二人が口々に言い出す。


「それで姉貴が、将来有望なキャリアを姉貴が捕まえたって有頂天になって、先走って仲人を頼んだクチか?」
「読めた。絶対姉貴に『俺に感謝しろ』とか何とか、恩着せがましく言ってきたんだぜ? それで姉貴が、ブチ切れたってとこじゃないのか?」
「だろうな。今まで親らしい事をまともに何一つしてこなかったくせに、何をほざいてんだか」
「最近は大人しくしてたってのに、さっさとくたばりやがれ、ゴミ野郎がっ!」
 息の合ったやり取りをして、如何にも苦々しげな表情で酒を煽った二人を、芳文は無言のまま興味深そうに眺め、隆也は取り敢えず二人とも切子グラスの中身を空けたのを見計らって、声をかけた。


「俺も大体そんな風に想像はしていたが……。そもそもどうしてあの二人は、あそこまで嫌い合ってるんだ?」
 その問いかけに祐司が手の動きを止め、低い声で問い返す。


「……姉貴から、何も聞いていませんか?」
「親らしい事をしてこなかった事は本人から聞いたがそれだけで、後は警察庁勤務の親戚から、大学中退で激怒されて以降、何度も親の面子を潰す事をしているのは聞いたが」
「そうですか」
 そこで疲れた様に溜め息を吐いた祐司の横で、孝司が全くやる気無さそうに片手を振りながら、如何にも嫌そうに兄に説明するのを押し付ける。


「口に出すのも胸くそ悪いから、俺パス。祐司、説明してやって」
「お前な……」
 孝司の言い分にはっきりと顔を顰めた祐司だったが、完全に孝司がそっぽを向いて手酌で飲み始めた為、祐司は隆也に視線を合わせながら確認を入れた。


「分かりました。一通りご説明しますが……、聞いて気持ちの良い話ではありませんよ?」
「それは承知の上だ」
 そして相手が頷いたのを見てから、祐司は順序立てて話し始めた。


「あの男、母と離婚してから暫くの間、自分の姉夫婦に一歳前後の姉貴を預けていたんです。再婚してからも養育費だけ渡してほったらかしで、小学校入学を機に体裁が悪いからと引き取ったそうです」
 その最初の話だけで、隆也は早々と渋面になった。


「六歳まで預けっ放しで、今更体裁が悪いも何も無いと思うがな」
「それから後妻が『連れ子の世話なんか真っ平』と言ったとかで、敷地内に姉貴用の小さな離れを建てて、そっちで一人で生活させて、姉貴の世話は万事、家政婦に任せきりだったとか」
「おい、ちょっと待て」
「それは立派な育児放棄と精神的虐待だろうが」
 さすがに隆也と芳文が顔付きを険しくして口を挟もうとしたが、ここで一抜け宣言をした筈の孝司が、勢い良く座卓を拳で叩きながら怒鳴った。


「ふざけんじゃねぇぞ!! 入学式や卒業式を初めとした学校行事その他諸々、一度も顔を出してやらなかったくせに! 姉貴が東成大に現役合格した時だけ、入学式にのこのこ家族全員付いてって記念写真撮って来るって、どこまで厚顔無恥一家だ、クソ野郎どもがっ!!」
 いきなり激昂した孝司に隆也と芳文は驚いたが、祐司も慌てて弟の腕を押さえつつ宥めた。


「おい、ちょっと落ち着け。もう酔いが回ったのか? すみません、弟が失礼を」
「これ位で酔うかよっ!! 授業参観だって運動会だって三者面談とかだって、弟達の方はちゃんと顔を出してたくせに、姉貴の方はまるっきり無視してたから、全部美弥子さんが休みを取って、出てくれてたんじゃないか!! それなのにあの馬鹿どものせいで、辞めさせられたんだぞ!?」
「五月蠅いからちょっと黙れ。話が進まないだろ!」
 そこで少し考えていた芳文は、冷静に確認を入れてきた。


「察するに、その『美弥子さん』って人は、彼女の世話をしてた家政婦さんの事かな?」
「ええ、そうです。それで実は偶然にも俺達の親父の、年の離れた従姉だったんです。女手一つで息子さんを育てて、息子さんが就職して独り立ちしたから仕事を辞めようと思っていた頃、宇田川邸での仕事を紹介所から打診されて、姉貴に同情して八年近く通ってくれたんです。でも派遣先で見聞きした事は口外しないって倫理規定があって、当時は姉貴の家で仕事をしてる事も皆知りませんでしたが」
「それなら、どうしてそれを知ったんだ? あいつから聞いたのか?」
 不思議に思いつつ隆也が問いかけると、祐司は苛立たしげに答えた。


「姉が中二の時、父方の弟二人が、離れの窓ガラスに向かって、立て続けにサッカーボールを蹴り込んだんですよ。最初のボールで、割れたガラスで姉が額を切って、咄嗟に姉を庇った美弥子さんが次に飛び込んできたボールで、腕を怪我したんです」
「何だそれは。どう考えてもわざとだし、悪質過ぎるだろ」
「それでどうなったんだ?」
 芳文が呆れて物も言えないと言った表情になったが、隆也は冷静に続きを促した。すると祐司が吐き捨てる様に告げる。


「美弥子さんはガキ二人を捕まえて尻を叩いてお仕置きした後、母屋に連れて行って後妻に猛抗議したそうですが、姉貴達に謝るどころか派遣先の子供に暴力を振るう様な人間は御免だと、その場でクビにしたそうです」
「その時姉貴があの腐れ親父に『美弥子さんに非はない。辞めさせるのは筋違いだから、あの人に意見して』って頼んだら、『そんなくだらん事で電話などかけてくるな』と一蹴されたそうですよ」
「なるほど……。それで父親に、完全に愛想尽かしたって訳だ」
 後を受けた孝司の台詞を聞いた芳文は、一人納得した様に頷いた。それを横目で見た隆也は、一瞬何か言いたそうな顔になったが、口に出しては何も言わなかった。


「母の再婚先がうちだと知っていた美弥子さんは、クビになったその足で家に駆け込んできて、姉貴がどんな風に暮らしてるか洗いざらい暴露したんです。俺達はまだ小学生で、どうやら姉が居るらしい程度の認識しか無かったし、内容を聞いて驚きましたね」
「美弥子さんは最初から大泣きだし、お袋は家族旅行なんかも姉貴だけは置いてけぼりだって話を聞いてからは号泣してるし、親父は怒りまくって早速母方の親戚に電話して、加納のじいちゃんの所で親族会議を開く事になったし」
「『加納のじいちゃん』と言うのは、君達の母方の祖父の加納貴史氏の事だな?」
「ええ、ご存知でしたか?」
「名前だけは」
 兄弟で当時を思い出しながら話していた孝司に、隆也が確認を入れると、肯定の返事が帰ってきた為、隆也は頭の中で貴子の母方の家系図と、叔父の家で聞いた一連の話を思い返した。すると祐司達が痛恨の表情になりながら述べる。


「それで裁判を起こしてでも、姉貴を引き取ろうって話で纏まりかけたんですが……。加納の祖父が一度本人ときちんと話をして考えを聞いてみたいと言い出して、宇田川家には内緒で会いに行ったんです」
「二人の間でどんな話し合いになったのか詳細は聞いてないけど、何故かそのまま放置する事になって……。その代わりに加納の祖父が五百万を姉貴に生前贈与した上で、信託財産として弁護士に二十歳になるまで管理して貰う事になったんだよな?」
「今思うと……、あの時に無理をしてでも、うちで引き取るべきだったんだ。恐らく、あのろくでなしに嫌がらせする為だけに、今でも宇田川姓を名乗ってるんだから」
「そうだよな……」
 そこで二人とも黙り込んでしまった為、隆也と芳文は周囲の重い空気を払拭するべく、なるべく明るい口調で微妙に話を逸らしてみた。


「なるほど。未成年の彼女に財産を渡したら、保護者にかすめ取られる可能性があると考えたわけだ。大した保護者だな」
「だから大学二年になった早々に、自由にできる様になった金を抱えてあっさり家出したわけだ。最初からぬか喜びさせて油断させる為に一年間だけ東成大で大人しくして、それから調理師学校に入ったんだよな?」
 するとそこで溜め息を吐いた祐司が、淡々と告げてきた。


「それでその時、姉貴が初めて家に出向いて来たんです」
「どうしてだ?」
「幾らお金が有っても、調理師学校に入学したり部屋を借りたりするのに、連帯保証人は必要ですから。俺達の親に頼みに来たんです」
「……ああ、なるほど。それは気まずかっただろうな。高校生の時に亡くなった加納氏の初七日の時、父親と一緒に出向いて暴言吐いた後だしな」
 それを聞いた隆也は、納得しつつも気の毒そうな表情になった。それを見て、祐司が苦笑交じりに説明する。


「その話を聞いていましたか。一応それには裏が有って、姉貴から喪主の叔父の所に『宇田川に赤っ恥かかせる為に、敢えて失礼な言動をしますのでご容赦下さい』と予め連絡が有ったんです。それで当日伯母達や叔父達は、素知らぬふりで憤慨する演技をしてたんですよ」
「だからそれについては、それほど気にしなく済んだんですが、やっぱり殆ど初対面って意識の二人だし。実の母娘の対面なのに、襖の隙間から見ても、室内に緊迫感が満ち溢れてて二人とも気の毒で。ちょっと緊張を解そうと、『うわ~い、美人の姉ちゃんができた~! ヤッホー!』って襖を開けて叫びながら、姉貴に抱き付いたら」
「あれは、抱き付いたとは言わねえっ!! 飛びかかって押し倒したって言うんだ!! 座ったまま振り返って咄嗟にお前を抱き止めた姉貴が、そのまま後ろに倒れて座卓の縁で後頭部を強打して、痛みで物も言えずに畳に転がったのを忘れたのかっ!?」
「ちょっと加減を間違っただけだろ?」
「あれのどこがちょっとだっ!!」
 そこで真顔で述べていた孝司の台詞を遮り、その胸倉を勢いよく掴んだ祐司が、盛大に弟を叱り付けた。その剣幕に隆也と芳文は唖然となったが、傍観を決め込んでいた隆也に、孝司が意見を求めてくる。


「あ、思い出した。榊さん。祐司の奴酷いんですよ? その時、姉貴が後頭部を両手で抑えて呻いてたのに、淡々と『意識が朦朧としたり、吐き気や目眩とか無いですよね? 気休めだと思うけど、これで冷やして。今隣の部屋に布団を敷いてくるから』って保冷剤を差し出しただけで、さっさと部屋を出てったんです」
「阿呆!! お前は姉貴が頭打ってるのに『うわ、ごめん姉ちゃん。しっかりしろ、傷は浅いぞ!』とか言いながら、ガクガク身体を揺さぶってるし、お袋は『貴子、死んじゃいやぁぁっ!』って泣き叫んでいるし、親父は『救急車! 早く119番を!!』って絶叫しながら110番を続けて三回かけて、オペレーターに怒られるわで、あの場面で俺まで取り乱したら、門の前に救急車が五台は連なる事態になっていたぞ!!」
「いや~、でもあれで、姉貴が休んだ後は、だいぶ緊張が取れた感じて話せてただろ?」
「……もうこれについては、何も言わん」
 叱り付けられても懲りる事無く、へらっと笑いながら同意を求めてきた弟に、祐司はがっくりと項垂れて手を離した。そして孝司はささっと服を直し、何事も無かったかの様に遠慮なく酒を飲みながら料理を口にする。祐司も遅れてグラスに手を付けたが、その二人を眺めながら芳文が囁いた。


「何か姉以上に面白いな、この兄弟」
「……そうだな」
 しみじみと隆也が同意したが、ここでふたりの視線に気が付いた祐司が、気を取り直して話を続けた。


「それでその時、父が姉貴の連帯保証人になったんですが、それを聞きつけたあの野郎が、うちに嫌がらせをしてきたんです」
「『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』って奴? 自慢の東成大入学の娘が退学したのは、お前らが唆したせいだって事らしいですね。チャンチャラおかしいですが」
「嫌がらせって……、何をしたんだ?」
 そう言ってせせら笑った孝司に、それに関しては全く聞いていなかった隆也が、不思議に思いながら尋ねた。するとその問いに祐司が答える。


「手始めは、うちの畑への大量のゴミの不法投棄、それから農協に圧力をかけて、うちの収穫物を引き取らない様にしたりとか、あと農薬塗れの野菜を作ってるとかの誹謗中傷のビラが、地域に配られたりとかですね」
「うわ……、レベル低すぎ」
「何だそれは? 警察に被害届は出したのか?」
 隆也達が本気で呆れて口を挟んだが、祐司達は淡々と話を続けた。


「一応出しましたが、捕まらなかったですね。でもうちは、日頃から周囲との付き合いは良好だったので、表だって非難されたりしなかったし皆同情してくれました。……あの事件が有ってからは特にな」
「ホントに、あれはアホだったよな~」
「……あれって何かな?」
 何やら遠い目をしてしみじみ語り合っている兄弟に隆也が問いかけると、二人は一瞬顔を見合わせてから口々に話し出した。


「当時、孝司は中二で野球部に所属してたんですけど、警察OBの人がボランティアでコーチに入ってくれてたんです。その人甲子園出場の経験もあって、勤務時代から休みは指導してたし結構地域では有名で」
「それで俺の中学の野球部、なかなか強かったんですよ。それで俺が二年でレギュラーに選ばれてたんですが、そのコーチを警視庁のOBが『高木ってガキはレギュラーから外せ』って脅したんです」
「は?」
「どうしてそうなる?」
 全く意味が分からなかった二人は軽く目を見張って座卓の向かい側を見詰めたが、祐司達は淡々と説明を続けた。


「その警視庁OBは元々地元出身で、警視庁のキャリアだったんですが、このまま居ても上には登り詰められないと見切りを付けて、市長選に立候補する為に、その告示一か月前に五十そこそこで早期退職した人だったんです」
「後から伯母さんに聞いたら、あの腐れ親父に繋がってる久住派に所属してたみたいで、あの野郎に嫌がらせする様に頼まれたんじゃないですか? 選挙資金や組織票を纏めるからとか何とか言われて。ちょっと脅すだけで口をきいて貰えるならお安い御用って、軽~く引き受けたんだろうぜ」
 そんな事を呆れた口調で孝司が述べると、祐司は小さく肩を竦めて後を引き取った。


「だけどコーチが曲がった事が大嫌いな偏屈な人で、あっさり撥ねつけたんです。それでも再三再四電話してきて『貴様、警察の禄を散々貰ってたくせに、上の人間の言う事が聞けんのか!』とか『千葉県警に勤めてるお前の息子の出世に響くぞ』とか『息子を辺鄙な場所に定年まで押し込めてやる!』とか、回を追うごとに悪口雑言がエスカレートして」
「でもそのコーチ、抜け目なく二回目からは全部会話を録音してたんですよね。それで選挙戦に入ってから『俺はこんな品性下劣な人間に投票するつもりはない』って知り合いに暴露しまくって。会話の中に固有名詞がばっちり入ってて言い逃れできないし、瞬く間にそのデータが拡散して、それまでうちが受けていた嫌がらせも、全部その人の指図でやったんだろうって事になりまして」
「他の嫌がらせに関しては完全にとばっちりだろうけど、もうその時の市長選、憶測や怪文書が無茶苦茶乱れ飛んで凄かったよな。対抗馬が教育事務所出身の地味なおっちゃんだったから、経歴が派手なその官僚OBが当選確実って言われてたのに、呆気なく落選して。今はどこにいるのやら」
「どうせ久住派の方で、どこぞの会社の顧問職とか用意したんだろ? 良いポストが準備できないから、選挙をバックアップする事を条件に早期退職させたのに、当てが外れてがっかりだよな」
「伯母さん達が、その一件で益々久住派の求心力が低下したって言ってたっけ」
 そう言って二人でせせら笑っているのを見た隆也は、正直馬鹿馬鹿し過ぎて何も言えなかったが、隣の芳文も同様らしく、うんざりとした顔を向けてきた。しかし祐司の話は容赦なく続いた。


「しかも同時期、姉貴の方も嫌がらせされてたんです。付き合ってた男をあの男が買収して、姉貴の個人情報をネットに流させていた上、同じ調理師学校に入学した女を愛人にして、その女を姉貴に近付けさせて友達付き合いさせていて」
「その宇田川って親父、頭がおかしいのか?」
「常識があるとは、思っていなかったがな」
 思わず芳文が遠慮の無い感想を漏らしたが、隆也は弁護する気は皆無のまま応じた。そんな会話を半ば無視して、祐司が説明を続ける。


「何だか自分のプライベートの事が漏れていると勘付いた姉貴が、興信所に依頼して、その事実に気が付いて。その直後に報告書を持って、家を訪ねて来たんです」
「でも黙ったままで何も言わないし、おかしいな~って思ってたら」
「姉貴が黙っちまったのは、お前が『腐れ親父の同類のクソ野郎が家に嫌がらせしてたけど、選挙にボロ負けして故郷に錦飾るどころか逃げ帰ったんだぜ!?』って、顔を合わせるなり得意げに喋っちまったからだろ!? 連帯保証人を引き受けて貰ったせいで迷惑をかけたと思ったら、愚痴も零せなくなっちまったんだろうが!!」
「それは認める。だから責任持って姉貴を河原に連れ出して、ちゃんと一部始終聞き出したじゃないか」
 再び激昂した祐司が孝司の両肩を掴んでガクガク揺さぶりつつ叱り付けると、流石に孝司は神妙な顔付きで弁解した。そこで芳文が何気なく問いかける。


「どうして河原に連れ出したのかな?」
「え? 内緒話って、河原って相場が決まってませんか?」
「……うん、まあ、人それぞれだな。邪魔して悪い、続けてくれ」
 きょとんとしながら言い返した孝司に、芳文は完全に毒気を抜かれて先を促した。その為孝司が何気ない口調で話を続ける。


「あの時、多分あのろくでなし絡みの、ろくでもない話なんだろうな~って想像がついたから、途中のコンビニでスポーツ飲料を二本買って、河原に行ったんです。それでレジャーシートを敷いた所に姉貴を座らせて、『さあ、姉貴。俺の胸を貸すから、遠慮なく泣いていいぞ? 泣いた後の水分補給もバッチリだからな!!』胸を叩いて言ったら、案の定姉貴がボロボロ泣き出して」
 そう孝司が誇らしげに言った瞬間、室内が静まり返った。そして顔を僅かに引き攣らせた祐司が、片手でポンを孝司の肩を掴みながら、静かに確認を入れてくる。


「……今の今まで知らなかったが、お前、本当にそんな事したのか?」
「ああ。そしたら姉貴が『私、孝司の馬鹿っぽいけど、馬鹿じゃない所好きよ』って言うから、『俺も姉貴の頭良さそうなのに結構頭悪いところ、可愛いと思うぞ?』って言ったら抱き付いて来て、そのまま押し倒されたんだ。そして俺の胸に顔を埋めたまま、暫くわんわん泣いてたんだけど、傍目に見れば成人女性が男子中学生を押し倒している図だろ? 変な誤解されて姉貴が捕まったら拙いと思って、通りかかったジョギングの人とかペットの散歩に来た人達には、寝たまま『何でも無いのでお構いなく』って笑顔で断りを入れておいたから、大丈夫だったけど」
「どこが大丈夫だ……」
 漸く知らされた真実を知って祐司はがっくりと項垂れたが、芳文と隆也はその時の情景を頭に思い浮かべて、何とも言い難い表情になった。


「何とか泣き止んでから、一部始終を聞き出したんだけど、もう無茶苦茶腹立って。姉貴に『絶対泣き寝入りなんかしちゃ駄目だぞ? 目に物見せてやれ!』って言ったら、俄然やる気になってさ」
「お前、何唆してるんだよ!?」
「取り敢えず元気になったんだから、いいじゃんか。それで手始めに、その彼氏を親友面した女に紹介するように、姉貴に勧めたんだ」
「何でそうなる?」
 祐司は本気で当惑し、隆也達も密かに首を捻ったが、孝司は事もなげにその理由を説明した。


「だってどっちもあの腐れ親父の息がかかってる人間なら、姉貴の周りに他にもこういう人間がいるって、話を聞いている筈だと思ったんだ。でもどっちもあの男に繋がってると姉貴に勘付かれたくない筈だし、注意して話題にも出さない様にしてたと思うけど、姉貴経由で知り合いになったら遠慮なく顔見知りになれるだろ? それで纏めてボロを出さないかな~と狙ってたんだけどさ。……あれ? 急に頭抱えて、どうしたんだよ、祐司」
 話を聞いていた祐司が無言で額を押さえながら俯いた為、孝司が不思議そうに声をかけた。すると祐司が疲れた様な声を出す。


「今……、お前と姉貴は、血の繋がった姉弟だと確信した。何だよ、何も考えて無さそうで、その狡猾さ」
「おう、サンキュ」
「褒めてないから」
 苦々しげに否定した祐司だったが、それには構わず孝司が話を続けた。


「それで姉貴が二人の部屋の合鍵を作って、部屋に録音機能付き隠しカメラ設置したら、出るわ出るわ暴言のオンパレード。『実の娘の彼氏買収して嫌がらせって馬鹿だろ』とか『あれで自分がイケてるって本気で思ってる、痛すぎる親父~。親子揃ってアホよね。金が無かったら誰が相手するかっての』とか、ベッドでのかっなりえげつない映像付きで撮れて、カメラを撤去してから、自分宛にわざと画像データと写真を『あなたの友人はこんな女性です。付き合う相手は選んだ方が良いですよ?』のメモ付きで送って、後日届いたそれを学校の教室で相手の前でぶちまけて、『ふざけんじゃないわよ!! このしょぼくれた中年親父の愛人風情の泥棒猫が!!』って泣き喚きながら取っ組み合って、学校中の噂にしたんです。当然姉貴は被害者扱いで、その人は退学。何か姉貴、その人の実家にも同じ物送ったって言ったから、どの道強制送還だったと思うけど」
「おい、孝司。俺達は姉貴が騙された話は聞いたけど、その報復については初耳なんだが?」
「言わなかったっけ? じゃあ今聞いたって事で」
「あのな……」
 半分非難しながらの問いかけにもさらっと返され、祐司はヒクッと顔を引き攣らせた。しかし孝司は全く気にせずに話を続ける。


「それで、確か男の方は、彼女の暴露と同じ日に奴の会社に乗り込んで、同僚の目の前で『人を馬鹿にするのもいい加減にして。荷物は絢の部屋に全部送ったから、二度と顔を見せないでね』と宣言しつつ、盛大に写真をばら撒いて来たとか。その前日に男の荷物を出して、その部屋引き払って引越しして、連絡先を彼女の携帯の番号にしてたから、開いてない部屋で引っ越し業者が右往左往したっておまけつき。その後そいつの会社で、どこぞのお偉いさんの愛人に手を出して女性問題を起こしたって噂になって、風の噂では退職したみたいですね」
「他には?」
 はっきりと頭痛を堪える表情になった祐司が話の先を促すと、孝司が考えながら言葉を継いだ。


「ええと……、警察関係、特に久住派の方に幅広く送り付けたって言ってたな。『見た目だけで無能な女らしいわよ』とか『でもあの貧相な親父には、見た目だけの頭空っぽの女が似合いじゃない?』とかの、愛人だった彼女が宇田川とその後妻を悪しざまに罵ってる所を編集した物を送ったから、奥さんの実家に知れて騒ぎになった他、ばら撒かれたそれについて箝口令が敷かれて、久住派の若手が何人も愛想を尽かして抜ける人が出たと小耳に挟んだって、伯母さんが言ってたっけ」
「伯母さん達……、姉貴との関係を知られない様に、表向き無関係を貫いてるけど、姉貴とこっそりやり取りして、久住派とか友好関係にある人間のリストとか、流してるみたいだからな。お袋が何度も双方にそんな事は止めなさいって注意してるみたいだけど。……ところで、後は無いだろうな?」
「色々やってたかもしれないけど、姉貴ははっきり言ってないし知らない」
「知らない、じゃないだろうが……。それに住居への不法侵入とか、盗撮とか、明かな犯罪行為だろう? 現職警官の榊さんの前で、ペラペラしゃべる事かよ」
 がっくりと項垂れて愚痴っぽく祐司が口にした内容を聞いて、孝司は漸く思い出した様に隆也に顔を向けた。


「おっと、うっかりしてた。榊さん、今のは聞かなかった事にして下さい」
 ニコニコと満面の笑みで促された隆也は、孝司から視線を逸らしてから深々と溜め息を吐き、ぼそっと呟いた。
「……俺は何も聞いていない」
 それを聞いた孝司が、嬉々として反応する。


「うわ~、祐司より格段に話分かるな~。榊さん! ちょっとフライングかもしれないけど、榊さんの事、お義兄さんって呼んでも良いですか? 祐司はどうしても祐司としか呼べないけど、俺、榊さんだったらお義兄さんって呼べると思う!」
「…………ああ、うん、好きなように呼んでくれて構わないから」
 何やら急に疲労感を覚えた隆也が、一応孝司に目を向けながら小さく頷くと、孝司は指を鳴らして歓喜の叫びを上げた。


「やった! 姉ちゃんに続いて兄ちゃんもゲット! 次は香月を嫁さんにして、祐司が綾乃ちゃんと結婚したら完璧だ! バレーボールができるぞ!」
「お前、普段バレーなんかしないだろうが! もうお前は一言も喋るな!! 何が完璧だっつうんだ!!」
「祐司……、自分が兄扱いされてないからって、僻むなよ……」
「本当にお前って奴はぁぁぁっ!!」
 とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい祐司と、マイペースの孝司が本格的な口喧嘩を始めたのをぼんやりと眺めながら、芳文と隆也は感想を述べ合った。


「本当にこの兄弟、面白いな」
「……そうだな。だが一向に話が進まないんだが」
 取り敢えず喧嘩をさせたままだと朝まで平気で言い合っていそうな二人を、芳文と隆也は二人がかりで宥めて取り敢えず黙らせるのに成功した。



「ハリネズミのジレンマ」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く