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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第16話 推察

 夕食を済ませてから寝るまでの、ゆったりと過ごす時間帯。ソファーに座ってテレビを見始めた貴子の横に、ここ暫くのお約束通り、持参した資料を抱えて隆也が座った。間隔を10㎝しか取らず、しかも一言も断りも入れずに黙々と資料を読み込み始めた隆也に、貴子は目を細めて声をかける。


「……ちょっと」
「何だ?」
「いい加減、人の隣に座るのは、止めてくれない?」
 かなり棘のある口調にも係わらず、隆也は資料から顔も上げずに淡々と応じた。


「別に、構わないだろう? 足を踏んでいるわけでもあるまいし」
「そんなデカい図体が横にあるだけで、圧迫感を感じるのよ!」
「それなら、もっとデカいソファーを買え。金なら出す」
「あんたってどこまで」
 尚も言い募ろうとした貴子だったが、目の前のテーブルに置いておいたスマホが着信を知らせる為に、派手に鳴り響いた。それで隆也が初めて顔を上げ、迷惑そうに指さしながら促す。


「電話だぞ? 早く出た方が良いな」
「分かってるわよ!」
 そして腹立たしげにそれを取り上げた貴子だったが、ディスプレイに浮かび上がっている、見覚えの無い番号を見て、無言で顔を顰めた。


(未登録の番号? こっちは主に仕事関係で使っているから、必要な連絡先は、粗方登録してあるのに……)
 そんな戸惑いを敏感に察したらしく、隆也が一度資料に戻した顔を再び上げ、真顔で尋ねてくる。


「どうした?」
「何でも無いわ」
 隆也に素っ気なく言ってから、貴子はその電話に応答した。


「はい、宇田川ですが」
「ああ、先生。夜分恐れ入ります。火曜の夜のコースでお世話になっている田崎ですが」
 多少警戒しながら電話に出た貴子だったが、かなり恐縮気味な相手の声を聞き、確かに教室で連絡用に名刺を渡していたと思い出して、いつも通りの声で話を進めた。


「あら、田崎さん。どうされましたか? 何か授業内容で、分からない事でもありましたか?」
 それを耳にした隆也も、仕事関係の話かと興味を失った様に手元の資料に視線を戻したが、会話の流れを聞いているうちに貴子の方に視線を向けた。


「いえ、そうでは無くて……。誠に申し訳無いのですが、プライベートで相談に乗って頂きたく……」
「プライベートで、ですか? 私は構いませんが、田崎さんの様に年齢と経験を十分重ねていらした方に相談されても、私の様な若輩者が適切なアドバイスをする事ができるかどうか、分かりませんが……」
「第三者の、率直な意見を伺いたいので。先生の年頃の女性が、自分の父親が、急に二十も年下の女性と再婚すると言い出したら、どう思いますか?」
 そんな事を言われて、貴子は即座に事情を察した。しかし慎重に、躊躇いがちな口調を装って、話を続ける。


「ええと……、父親が再婚、ですか? それはまあ……、普通は驚くと思いますよ? しかも二十歳年下という事は、自分とそう年が変わらない相手になると思いますし」
「……そうですよね」
 そこで相手が消え入りそうな声で黙り込んだ為、貴子の方から話を進めてみた。


「その……、立ち入った事をお聞きしますが、田崎さんには再婚を考えている女性がいらっしゃるんでしょうか?」
「はあ……、お恥ずかしながら……」
(例の詐欺グループに、見事に釣り上げられちゃったわけね。さて、どうしたものかしら?)
 相手が照れ捲りながら話しているのが分かる口調だった為、貴子は溜め息を吐きたいのを堪えながら、考えを巡らせた。そして何気なく左手に持っていたスマホを、右手に持ち替えて右耳に当てて会話を続けようとした時、いきなり隆也が空いた左手を掴んでくる。


(え? ちょっと、何するのよ!?)
 貴子は素で驚き、目線で抗議しながらその手を振り払おうとしたが、隆也は相手は何を考えているのか、真顔で彼女の手をしっかり掴んで離さなかった。無言のまま二人で押したり引いたりしているうちに、黙り込んでいるのを訝しんだ田崎が、怪訝そうに電話越しに声をかけてきた。


「先生? どうかしましたか?」
 そこで取り敢えず隆也は放置する事にして、貴子は田崎に意識を向けた。


「あ、いえ、すみません。そういえば以前田崎さんから、私とそう年の変わらない娘さんが二人いらっしゃると、お聞きした事がありましたね。ひょっとして再婚の話をしたら、お二人がどう反応するか心配なさっておられるんでしょうか?」
「はい、その通りです。年甲斐も無くと反対されそうで、どう言えば良いものかと……。それに今、彼女の息子が難病で入院していて、彼女はその手術費用を工面する為に、一生懸命働いていまして。それで彼女は固辞しているんですが、是非手術費用を出してあげたいと思っているんです。しかしそんな事を正直に娘達に言えば、財産目当てだと彼女を罵倒しかねませんし……」
 田崎は如何にも苦悩している口調で告げてきたが、貴子は本気で頭痛を覚えた。


(うわぁ、なんてベッタベタな話。田崎さん、一代であの田崎電産を巨大企業に育て上げた人なのに、どうしてそんな与太話に引っかかるんですか……。よほど凄腕の、詐欺師グループらしいわね)
 そうしてどういう風に話を持っていこうかと悩んだのも束の間、貴子は真剣な口調で、電話の向こうに言い聞かせた。


「田崎さん、きつい事を言う様ですが、世間一般的に見て、田崎さんとそういう女性の結婚だと、彼女が財産目当てに田崎さんを誑かしたと言われても、おかしくないと思います」
「そうでしょうね」
「ですから、事を荒立てようとしないよりも、寧ろ最初から問題点を明らかにしておいた方が、却って上手くいくのではないですか?」
「は? どういう事ですか?」
 貴子の言わんとする事が分からなかった田崎は、戸惑った声を上げた。そんな彼に、貴子は真面目くさって解説する。


「つまり、お嬢さん達は田崎さんの財産が、勝手に使われてしまう事を心配しているわけですから、再婚に当たってお嬢さん達に予め、纏まった額の生前分与をするのも一つの手ではないでしょうか。その代わり、その結婚相手に渡す息子さんの手術費用も生前贈与の形にして、死亡時の相続額からその分を差し引く旨の誓約書を相手に出して貰えば、お嬢さん達の心証も幾らかは良くなるのではないかと。田崎さんがお亡くなりになった時の事に言及するなんて、失礼過ぎるかとは思いますが、問題を先送りにするより、先に解決しておいた方が揉めないと思いますので」
 その説明を聞いても田崎は腹を立てたりはせず、真剣に考え込む風情になった。


「なるほど……、先生の仰る事にも一理ありますね。確かに、ただ彼女にこっそり大金を渡したら、他にもどれだけ渡したのかと、娘達に勘ぐられそうです」
「弁護士に相談する様な大事にしたくなければ、公証役場に出向いてどういう形式にすれば良いのか相談すれば、その通りに公式な書類を作成して貰える筈ですよ? そうすればどの程度の額の金額を渡したかの証明にもなりますし、大事にもならずに相談料も安く済む筈です」
 そこまで話を聞いた田崎は、幾らか気が楽になった様な口調で、貴子に礼を述べてきた。


「分かりました。その方向で考えてみます。ご助言、ありがとうございました」
「いえ、大した事ありませんから。上手く話が纏まるのを祈っています」
「ありがとうございます」
「もし、差し支えなければ、お話に進展があったら、何かのついでにでも教えて頂きませんか? 無責任な事を言ってしまったかと、気になってしまいそうなので」
「勿論ですよ。こちらが勝手に個人的な事で意見を求めてしまったんですから。進展があったらお知らせします。良かったらまた相談に乗って下さい」
「はい、それではまた来週、教室でお待ちしております」
「お世話様でした。失礼します」
 最後は互いに明るく挨拶をして通話を終わらせた貴子だったが、スマホを耳から外して回線を切った途端、それをソファーに放り出し、空いた右手を使って、自分の左手から隆也の手を引き剥がした。


「いい加減、さっさと手を離しなさいよ。このセクハラ野郎。さっきから、何やってんのよ?」
 貴子が会話している間中、彼女の左手を撫で擦ったり指を絡めたりしていた隆也は、苦笑いしながらその非難の言葉を受け止めた。


「セクハラ、か。これ以上の事を、何度もしてるのにか?」
「手を握るだけでも、同意を得ていなければセクハラでしょうが!」
「お前、思ったより指が太いな」
 叱り付けたのを微塵も気にする事無く、平然と、しかも脈絡のない事を突然言い出した相手に、貴子の顔が引き攣った。


「……あんた、そんなに殴り倒されたいの?」
 精一杯恫喝した貴子だったが、そんな事で恐れ入る様な隆也では無く、飄々と言い返す。


「ちゃんと仕事をしてる人間の手だと、褒めているつもりだが? 俗に言う白魚の手なんぞで家事をやってる様に見せる、洗剤や子供用品のCMなんぞ、嘘くさくて見れたものじゃない」
 その主張に、彼女は一瞬押し黙ってから、そもそもの疑問を口にした。


「それは分かったけど、どうして急に手を触ってきたのよ」
「単なる気分だ」
「…………やっぱりあんたって、訳が分からないわ」
 心底うんざりとした表情で溜め息を吐いた貴子に、隆也が仕事上の顔になって確認を入れる。


「そんな事よりさっきの電話、例の詐欺グループの被害者からか?」
 それに小さく肩を竦めて、貴子が端的に答えた。
「正確には被害者予備軍。相手の女性の難病の息子さんの手術費用として、大金が必要なんですって」
「警察が散々詐欺行為の手口を世間にアピールしてるってのに、そんなのに引っ掛かる人間が未だにいるとはな……」
 今度は隆也が溜め息を吐くと、それを宥める様に貴子が付け足す。


「取り敢えず、結婚を前提にした生前贈与の手続きに基づいた、公文書を作成する様に唆してみたけど? 土壇場になって『あれは本人の意思でくれたんです』なんて、言い逃れできない様に。時間稼ぎにもなるでしょうしね」
「姑息な奴」
 思わず苦笑いした隆也を、貴子は軽く睨みつけた。


「何よ。取り逃がしても良いの? 本人が外聞を憚って被害届を出さなかったら、逮捕できないんでしょう?」
「まあ、それはそうなんだがな。年はいってるが、お前の教室の生徒だろう?」
「だから余計によ。自分の職場を、狩場にされたら堪らないわ」
「気持ちは分からないでもないが、あまり積極的に係わるのは、お前の立場的にどうなんだ?」
 何となく困った様な表情になった隆也から視線を逸らし、勢い良くソファーから立ち上がった貴子は、キッチンに向かいながらぶっきらぼうに尋ねる。


「ごちゃごちゃ五月蠅いわね。喉が乾いたからお茶を飲むけど要る?」
「頼む」
「了解」
 隆也に背中を向けたまま応答した貴子は、そのままキッチンに姿を消した。そして一人きりになったリビングで、隆也は自分の右手を見下ろす。


「10……、いや、11号だな」
 妙に確信に満ちたその呟きは、当然彼以外の誰の耳にも届かなかった。





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