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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第14話 隆也スペシャル

「今日は久しぶりに、全員揃って嬉しいわ」
 食卓を四人揃って囲む事だけで上機嫌な妻に、亮輔は苦笑いしながら相槌を打った。


「本当にそうだな。しかし、こんな中途半端な時期に顔を出すとは、年末年始は今年も出勤確定なのか?」
 そこで父親に確認を入れられた眞紀子は、軽く溜め息を吐く。


「ご明察。救急救命センターのヘルプや、担当病棟の当直が目白押しで。勿論休みは有るけど、わざわざここに来るのが面倒なの。ごめんね?」
「毎年の事だからな」
「もう諦めているわ」
 両親に(仕方のない)と半ば呆れられた眞紀子は、これ以上余計な事は言われない様に、話の矛先を兄に向けた。


「兄さんは? どうせゴロゴロしようとしても、呼び出されるのがオチなんでしょうけど」
「そうだろうな。一応休みは確定しているが、去年は大規模なフィッシング詐欺組織の全貌が判明して、全国の警察署と連携して一斉捜査に踏み切ったし、一昨年は十二月半ばの補欠選挙での選挙違反捜査で、証拠固めをしてたし……。ただでさえ人手が足りない年末位、他人様に迷惑かけずに、大人しくしてろってんだ」
「警察がバタバタしてるから、悪い虫も動きたがるんでしょ?」
「違いない」
 そして誰からともなく笑い出し場が和んだ所で、眞紀子が問いを重ねた。


「だけど、兄さんも変な所で真面目ね」
「いきなり何だ?」
「普段好き勝手しているのに、年末年始に旅行とか計画した事がないじゃない。付き合っている彼女とかに毎回そのサービス精神の無さで、別れを切り出されているとみたわ」
 そう言われた隆也は、不愉快そうに眉を寄せた。


「勝手に言ってろ。どうして俺が、周りに合わせて動かなきゃならない」
「うわ~、相変わらずひねくれてる事」
 思わず肩を竦めた眞紀子だったが、ここで香苗がしみじみと言い出した。


「そうねぇ……、別に私達に遠慮しないで、旅行とかしてきても良いのよ? ほら、今付き合っている、料理上手な彼女さんとか」
 そう言った途端、隆也はピクリと反応して箸の動きを止め、眞紀子が嬉々として食いついてくる。


「え? 何それ? 全然、聞いてないんだけど!?」
「母さん、それは誤解だ」
「あら、だって最近、朝に部下の人が隆也の着替えを取りに来ないもの。その人の所に、着替え一式を常備してあるんでしょう?」
「ああ、そう言えば、大輔も何やら言っていたなぁ……」
「…………」
 平然と述べる香苗に、思わせぶりに口を挟んでくる亮輔。隆也は抵抗を諦めて黙り込み、眞紀子は益々ボルテージを上げた。


「えぇ? ずるい! 私ばっかり除け者なんて! 詳しい事を教えてよ?」
「そうは言ってもな。『勝手な事を言うな』と、隆也が怒るし」
「ごちそうさま。部屋に行って捜査資料に目を通してるから、邪魔しないでくれ」
「はいはい、分かりました。お茶を飲みたくなったら、降りて来なさい」
「ねぇ、今度の兄さんの彼女って、そんなに本命っぽいの!?」
 本人そっちのけで、ウキウキと追及し始めた眞紀子の声を背中で聞きながら、隆也はダイニングキッチンを出て自室へと戻った。そして持ち帰った資料を引っ張り出し、溜め息を吐きながらそれを捲り始める。


「全く、毎回うるさい奴。あれで嫁の貰い手があるのか?」
 そんな事を愚痴りつつも、一時間程集中して内容に目を通した隆也は、区切りの良い所で休憩を入れようかと、資料が綴じてあるファイルを閉じた。そして何気なく先程の会話を思い出し、ひとりごちる。


「そう言えば、確かにあいつと一緒に、どこかに出掛けた事なんか無いな。そんな話自体、した事が無いが」
 そこで真面目な顔で少し考え込んでから、隆也は自分のスマホを取り上げて電話をかけ始めた。


「もしもし、俺だが」
「それじゃあね」
「おい、ちょっと待て! いきなり切るな!」
「五月蠅いわね! 人が忙しい時に、暇つぶしに電話して来ないでよ!」
 あまりにも素っ気なく、通話を終わらせようとする気配を察した隆也は思わず文句を言ったが、貴子がそれ以上の剣幕で怒鳴りつけてくる。それで隆也は尋ね返した。


「今、忙しいのか?」
「当たり前でしょう! 十二月はかき入れ時なのよ! クリスマス向けの特別料理の講座や、各種お節料理のコースの指導。料理教室がWebで公開してるそれらの特集レシピの更新。その合間に、年末年始の特番の収録も有るんだから!」
 一気に言い切った彼女に若干気圧されながら、隆也は素直に感想を述べた。


「……意外にも、お前がそれなりに、真面目に仕事をしているのは分かった」
「『意外にも』だけは余計よっ!」
「それで? 今どこに居るんだ? 電話していて平気か?」
「一応自宅にいるから、電話は平気よ。ただ今の私の姿を見たら、大抵の人間はドン引きだと思うけど」
「どうしてだ?」
「明日までに仕事で使うレシピを、あと二つほど考えなくちゃいけなくて、煮詰まっているのよ。髪がボサボサで殆どスッピンで、両目を血走らせている、ジャージ姿の女を想像してみなさい」
 そこで言われるまま想像してしまった隆也は、口元を緩めながら言い返した。


「あまり面白い事を言うな。うっかりこれから、押し掛けたくなっただろうが」
「来たら殺す」
「まあ、冗談はさておき。お前、年末年始は暇か?」
「どうしてそんな事を聞くの?」
 唐突な話題転換に、貴子は不思議そうな声音で尋ねてきたが、対する隆也も、正直何と言って良いかよく分からないまま、話を続けた。


「いや……、何となく。どこか行きたい所があれば、行こうかと思ってだな」
「それなら、三日の午後は空いているから車を出して。初売りに行くわ」
「あのな……、買い出しとか、そういうのでは無くてだな」
「そうなの?」
「…………」
 益々当惑したような声を出した貴子に、隆也は無言で応じた。そして何やら考え込んでいる気配の後、貴子が徐に言い出す。


「ふぅん……、じゃあ少し遅くなるけど、初詣に行かない?」
「初詣?」
「ええ。五日は一日暇なのよ。ちょっと足を伸ばして、千葉市にある妙見本宮千葉神社なんてどう? 厄除けで有名よ?」
 その提案に、隆也は素直に頷いた。


「千葉か……。確かにドライブがてら良いかもな。三が日を過ぎれば、混雑も落ち着いているだろうし。しかし、厄払いしたいのか?」
「最近、変なのに纏わり付かれる事が多くてね」
「……言ってろ」
「じゃあ、決定。ところで、こんな電話をしてくるなんて、相当暇みたいね」
「それほど暇でもないが……」
 不本意な台詞に隆也が思わず仏頂面になると、電話越しにその表情が分かったかの様に、貴子が如何にも楽しげに笑ってから、ある事を告げてきた。


「暇つぶしに、良い事を教えてあげる。九時からの関東テレビの特番を見て。笑えるわよ?」
「特番?」
「そう。私それに出たから、内容は分かってるし」
「さり気なく、自分が出演している番組の宣伝か。どこまで抜け目無いんだ、お前は」
 少々うんざりしながら言葉を返すと、ここで唐突に思い付いた様に貴子が確認を入れてくる。


「あ、それとも職場で仕事の合間にかけてきて、見られないとか?」
「いや、家にいる。暇でしょうがなかったら見るさ」
「そうして頂戴。それじゃあね!」
 そして唐突に通話が途切れ、隆也はスマホを耳から外して溜め息を吐いた。


「眞紀子以上に騒々しい奴。……しかも、とっくに九時を過ぎているだろうが」
 そしてスマホで該当する番組を検索し、書類を眺めながら聞き流してみようと思った隆也だったが、思い直してスマホの電源を切って部屋を出た。


「あ、兄さん、お疲れ」
「何か飲む?」
 一階のリビングに足を踏み入れると、両親と妹がソファーで歓談している所であり、香苗に尋ねられた隆也は遠慮無くリクエストした。


「ああ、それじゃあ珈琲を貰えるかな」
「あ、ついでに私も!」
「はいはい、ちょっと待っててね?」
 そして香苗がドアから出て行くと同時に、残った二人にお伺いを立てる。


「テレビを見て構わないか?」
 そう問われた二人は、途端に怪訝な顔になった。
「テレビ? 珍しいな。お前が見るなんて」
「それに部屋のパソコンでも、スマホでも見られるでしょう? どうしてわざわざ降りてくるのよ?」
「なんとなくだ。偶にお前が帰って来てるんだし、こういう時位、家族団欒っぽい事をするべきなんじゃないか? そういう事をしたくてもできない人間は、世の中に沢山いるんだろうし」
 その台詞を耳にした二人は、揃って目を丸くした。


「父さん……、兄さんが狂った。これまで大人しく食事の席には着くけど、団欒なんかクソくらえっぽい雰囲気を醸し出していた俺様が」
「年を取って、性格が丸くなったのか? 老けるには早いし、更年期もまだだろう?」
「どうでも良いだろう」
 あまりの言われように、さすがにムッとしながら隆也はリモコンを取り上げ、壁に張り付く様にリビングボード上に置かれている、テレビの電源を入れた。そして該当する番組を捜し当ててリモコンを手放すと、二人から更に疑惑に満ちた視線を浴びる事になる。


「……見るのって、バラエティー?」
「お前が一番嫌いなジャンルだと思っていたが?」
「…………」
 ノーコメントを決め込んで隆也がテレビを見始めると、少ししてトレーにカップを4つ乗せた香苗が、戻ってきた。


「お待たせ。どうせだから、全員分淹れてきたわ」
「ねぇ、母さん。兄さんったらバラエティー番組なんか見始めちゃったの。しかもいつの間にか、家族団欒推進派に転向。本格的におかしくなったわ」
「黙れ」
 母親への報告を静かに一喝された眞紀子だったが、ここで画面の中に見覚えのある人物を発見した。


「あれ? 宇田川さんが出てる」
 どうやらゲスト出演者達と司会者のトークの時間帯だったらしく、隆也も何やら楽しそうに話し込んでいる彼女を発見したが、沈黙を保った。しかしここで香苗が不思議そうに、娘に尋ねる。


「眞紀子、この人と知り合いなの?」
「ん~、直接の知り合いじゃないけど。料理研究家の宇田川貴子さんって、綾乃ちゃんが付き合ってる、高木さんのお姉さんなのよ」
 昔から家族ぐるみで付き合いのある人物の名前を出されて、亮輔と香苗は何となく親近感を増した顔付きで、テレビに目を向けた。


「ほう? 聞き覚えのある名前だが、そういう繋がりもあったのか」
「予想以上の美人さんねぇ……。それに料理研究家って肩書きを持っている位だから、料理もさぞかしお上手なんでしょうねぇ」
 その言外に含む物がある物言いに、眞紀子が怪訝な顔になった。


「何? 父さんも母さんも、彼女を知っているわけ?」
「まあ、色々とな」
「私も直接には知らないけどね」
「ふぅん? 世間って広いようで狭いわね」
「…………」
 チラリと両親から向けられた思わせぶりな視線を、隆也は平然と無視した。そんな会話をしているうちにテレビではトークコーナーが終わり、CMを挟んで別のコーナーに移った。


「……さあ、それでは、ゆみみんの自宅に突撃時に、押収した食材はこれだ!」
 どうやらグラドル上がりのタレントの自宅を奇襲し、その冷蔵庫内の食材で料理を作って食べるといった主旨のコーナーだったらしいが、司会者が景気良く引きはらった白い布の下にあった物を認めて、榊家の面々は思わず絶句した。


「うわぁ……」
「あらあら、あれでお料理を?」
「お前、できるか?」
「…………」
 台の上に並べられた食材は、大根半分、ピーマンと生姜が一個ずつ、開封済みの味海苔やチーズ、人参やジャガイモなど根菜類が使いかけで放置した物など、どれもこれも中途半端な量と統一性が無い代物だった。そして普段の食生活を暴露されて、項垂れている二十歳前後の女性に、司会者が追い討ちをかける様に説明を付け加える。


「あ、押収時はかなりしなびたり、賞味期限が切れた食材ばかりだったんだけど、一応これは新鮮な物を同量準備したから、心配要らないよ、貴ちゃん」
「どうも……」
 どうやら本当に事前に内容を知らされていなかったらしい貴子が、引き攣った笑みを司会者に向けてから、居心地悪そうにしている彼女に声をかけた。


「ゆみちゃん……、頑張って野菜を取ろうとしている気持ちは分かるわ。でも忙しいし一人暮らしだと、小分けの食材を買っても使い切れないのよね?」
 そう取りなす様に話しかけると、相手は救われた様に勢い込んで訴え出した。


「そうなんですよ~! 朝はゆっくり食べてる暇ないし、昼は仕事場でマネージャーが調達してくれたお弁当だし! 夜帰っても色々考えるのが面倒で~」
「納豆もね。3パックなら食べられるかなって油断してると、ついつい忘れちゃうのよね」
「そうなんです! 朝に納豆を食べると大変だし!」
「お酒を飲むときのおつまみにって買った物って、意外に持て余すわよね~」
「やっぱり分かってくれるのは、貴子さんだけです~」
「はいはい、そこまで。それではこっちでクイズをやってる間に、貴ちゃんこれで何とかして。できるかな?」
「私を誰だと思っているのかしら?」 
 多少意地悪く尋ねた司会者に、貴子が不敵に笑い返す。そして和気あいあいと他のゲスト達がクイズに興じ始めると、スタジオの傍らの厨房スペースで、エプロンを付けた貴子の手が猛然と動き出した。


「うっわ、さすがの包丁捌き。今、手元見ないで千切りしながら、インカムで会話してたよね?」
「本当に、危なげないわね~。それに手際が良い上に、色々な事を同時進行してるわ」
「え? 大根の皮と葉っぱ、捨てないの?」
「綺麗に洗ってたから、きんぴらとかお味噌汁の具にでもするんじゃないの?」
「そういえばさっき、セロリの切れ端を切ってたみたいだけど……、サラダにする様な材料って無いわよね?」
「ビニール袋に入れて口を縛ってたし、浅漬けにでもするんじゃないの?」
「セロリって、サラダ以外で食べられるの!?」
「眞紀子……。あなたちゃんと、マンションで自炊してるんでしょうね?」
「……一応」
 クイズの合間に時折映し出される調理の様子を見ながら、母娘で調理内容である意味盛り上がっている間、男二人は黙ってテレビと目の前の女二人の会話の推移を見守った。
 そして予め収録されていた番組であり、CMを二回挟んだ程度で、クイズコーナーが終了し、出演者がぞろぞろと厨房スペースに移動してきた。


「貴ちゃん、こっちは終わったけどどうかな?」
「こっちも終了。ゆみちゃん、どうぞ?」
「うわぁ、美味しそうです!」
 味見担当の女性タレントが歓声を上げ、その視線の先には数々の料理が並んでいた。炊き込みご飯と味噌汁は分かるにしても、何かのかき揚げ風に大根の皮と人参のきんぴら。セロリとズッキーニの浅漬け、枝豆のソース掛けミニオムレツ、鶏の唐揚げ風甘酢あんかけなど、一見元の食材が不明な物も見られた。しかし彼女は恐れげも無く、嬉々としてテーブルに着いて食べ始める。


「じゃあ、いただきます!」
「どうぞ」
 そしてすぐに、彼女達の間で、楽しげに会話が交わされた。


「え? これって、まさか納豆?」
「そう。納豆と一緒にチーズや根菜の切れ端をみじん切りしたものを生地に混ぜて、スプーンで掬ってかき揚げ風に揚げたの。冷めるとべしゃべしゃして美味しくないから、これはやっぱり揚げたてね」
「このオムレツも美味しいです! ソースは確かに豆の味なんだけど、変に臭みとかは無いし」
「それはちょっと一工夫してるから。企業秘密だから教えられないけど」
「えぇ~、教えて下さいよ~」
 新たに料理に箸を付ける毎にテレビでは感嘆の声が上がり、隆也達も感心しながらそれを眺めていた。そして司会者が出演者達に向かって、厨房スペースの隅を指差す。


「さあ、それではゆみみんだけに美味しい料理を堪能して貰うのも何だから、クイズで最下位の高野さん以外には、貴ちゃん特製のオニギリとけんちん汁が準備してあるんですよ。さあ、皆さん、そちらにどうぞ!」
 そう告げられた途端、スタジオ内が活気に満ち溢れた。


「やった! 腹減ってたんだよね~。収録長丁場だし」
「宇田川さんの手料理なんて初めてだな。期待してます」
「ちっくしょう……、もっと本気でやっときゃ良かった!!」
「高野さん、私のを少し分けてあげますから」
 そんな事を言い合いながら移動した先で、貴子が大鍋から汁椀によそいながら、オニギリについて述べた。


「そのオニギリは、お皿毎に種類が違うんです。一つや二つでお腹一杯にならない様に、ミニサイズで作ってみましたから、是非五種類全部、挑戦してみて下さいね?」
「え? そうなんですか?」
「楽勝楽勝! じゃあこれから頂きます」
 そうして汁椀を受け取る前に何人かが早速食べ始め、満足げな声が上がった。


「宇田川さん、このアサリの佃煮入り、ゴマオニギリ美味い!」
「ありがとう。アサリはやっぱり酒蒸しが一番だとは思うけど、そういうのも良いでしょ?」
「これは……、基本梅干しだけど……、他にも入ってますよね? 紫蘇の千切りと、何か食感が違う物が……」
「大根の梅酢漬けを、余計な水分を取って刻んで入れたの。微妙な甘味と食感が楽しめるでしょう?」
(そう言えば……、以前あいつの部屋に行った時に、色々なオニギリを食べさせられて、感想を聞かれた事があったな。これの為に試作した奴か?)
 貴子が問われるまま出演者に具の説明をしているのを、隆也は香苗が途中で淹れ直してくれた珈琲を飲みながら、ぼんやりと眺めていた。するとここで司会者が、何気なく問い掛ける。


「貴ちゃん、今回もオリジナルレシピ満載だよね。因みにこれらのオニギリとかに、宇田川流の名前とかあるの?」
「ええ、一応有りますよ? 因みに、そのアサリの佃煮のオニギリは《隆也スペシャル》って言うんです」
「ぅ、……ぶふっ! がっ、……ぅあっ!」
「ちょっと! 兄さん、何やってるのよ!」
「ほら、ティッシュだ。拭け」
「大丈夫?」
「……ああ、ちょっと、気管に入りかけた、……だけ」
 貴子が全国ネットでとんでもない事を口にした途端、隆也は飲んでいた珈琲を吹き出して盛大にむせた。それを家族が驚いて眺めたが、隆也の動揺など関係無く、番組は続行される。


「え? 何? そのネーミング? まさか男の名前付けてんの?」
 嬉々として食らいついてきた司会者に、貴子は負けず劣らずの笑顔で応じた。


「そうですよ? 因みに他は、左から《昌宏スペシャル》に《克徳スペシャル》に《潤スペシャル》に《敏夫スペシャル》です。その時々に付き合ってる男に『どれが一番美味しい?』って聞いた時に指定した物に、その名前を付けてるんですよね」
「うわ~、貴ちゃんの男遍歴の一端が見えたね~」
「あら、相手に敬意を表して、忘れないように名前を残してあげてるのに、誉めてくれないんですか?」
「貴ちゃん……、それ気配りと違う。男を作る度ムシャムシャ食ってる事になるよ?」
「あ、それもそうか~」
 そこでスタジオ中が爆笑に包まれた所で、口元を押さえていた隆也が無言で立ち上がった。


「隆也? どうしたの?」
「ちょっと台所で、水を飲んでくる」
 声をかけた香苗に素っ気なく断りを入れた隆也は、台所を通り過ぎて階段を上がり、自室に飛び込むと同時に充電中のスマホを取り上げて、迷わず番号を選択した。そして呼び出し音が途切れると同時に、盛大に怒鳴りつける。


「おい! 何なんだ、あのふざけた名前はっ!?」
 それに少し時間が空いてから、心底嫌そうな声が返ってきた。


「……いきなり怒鳴らないでよ。鼓膜が破れるわ」
「お前の鼓膜なんか知った事か!?」
「随分な言われ様ね。それにあれが一番美味いって言ってたじゃない。何か文句あるの?」
「大有りだ! 人の名前を勝手に使うな!」
「別に良いじゃない。あんたの知り合いとかが見てるわけじゃ無いでしょ?」
「家族が見ていた」
「え?」
「俺と一緒にな」
 そして貴子が黙り込んで十数秒経過してから、乾いた笑いと共に、短い言葉が返ってきた。


「……えっと、ご愁傷様。ま、不可抗力よね」
「言う事はそれだけか?」
「色々頑張ってね。それじゃあちょっと早いけど、良いお年を」
「おい!?」
 こめかみに青筋を浮かべた隆也が尚も文句を言おうとしたが、貴子はあっさりと通話を終わらせた。そして舌打ちした隆也が再びスマホを充電器に戻すと、音もなくドアが開いて眞紀子が入って来る。


「全然知らなかった。兄さん、彼女と付き合ってるんだ」
 ニヤニヤしながら近寄ってきた妹に、隆也は表情を消してとぼけた。
「誰の事を言っている?」
「しかも、彼女からしたら、他の男と十把一絡げ状態。笑えるっ!」
 そしてわざとらしく口元を押さえ、「くふふふふっ」と笑い出した為、隆也は彼女の首の後ろを掴んで、再びリビングに向かって歩き出した。


「ちょっと、痛いっ! 兄さん横暴! 照れ隠しにも程があるわよっ!」
「俺のどこが照れてるって言うんだ! ふざけるな!」
 そんな風に言い合いをしながらリビングに戻った隆也だったが、室内に入った途端、両親から生温かい目で見られる事になった。



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