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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第12話 とある休日

 勤務中は意識して親族との接触を避けている隆也であったが、再三の電話攻勢を受けた挙句、ある休日に重い腰を上げて叔父の自宅に向かった。


「お久しぶりです、叔父さん。智紀さんもご無沙汰してます」
「やあ、隆也君。どうぞ、そこに座って」
「最近、本庁舎内で囁かれている妙な噂を智紀が耳に入れてな。直にお前から詳細を聞きたかったんだ」
 リビングに通されるなり、手ぐすね引いて待ち構えていたらしい父の弟である大輔と、隆也の従妹の婿である智紀が笑顔で話しかけてくる。隆也は何食わぬ顔でソファーに腰かけながら、何か知られて拙かった事があっただろうかと、密かに頭の中で考えを巡らせた。


「噂ですか? どんなお耳汚しな話が伝わったのやら」
「女に決まってる」
「未だに特定の女性を作らないで浮き名を流しているのは、欠点らしい欠点が無い自分にわざとウイークポイントを作る為だろう? 周囲に『あいつは女関係で失敗する』と思わせて、思惑ありありの親族が後ろに付いた女性を押し付けられるのと、露骨な派閥勧誘を体よく回避する為に」
(お見通しか……。しかしこの二人なら当然だな)
 仏頂面で端的に答えた大輔に、面白がっている風情で遠慮なく指摘してきた智紀。警察庁内で実力を如何なく発揮している叔父と年上の義理の従弟に、隆也は苦笑するしかできなかった。


「だからそんな下らん小手先の策を労せずに、素直に菅野派に入れと言っているのに」
 苦々しく言ってきた叔父に、隆也は神妙に頭を下げる。
「色々窮屈なのは苦手なんですよ。申し訳ありません」
「全く……。兄貴も父にあれだけ言われても、頑として意志を曲げずに弁護士になってしまったが。頑固さは兄貴譲りだな」
「誉め言葉と受け取っておきます」
「当然だ。だがちゃんと派閥入りしていないにしても、お前は同じ榊姓を名乗っている、血の繋がった私の甥だ。一応心配しているし、看過できない事があれば意見の一つもさせて貰う」
「拝聴します」
「宇田川貴子。あの疫病神だけは止めておけ」
 唐突に出て来たその名前に、大人しく話を聞いていた隆也の表情が僅かに強張った。


「……彼女をご存知なんですか?」
「間接的にはな」
「直接のお知り合いで無いなら、一方的な物言いはどうかと思いますが」
 傍から見ていれば表情も口調も、つい先程までとは全く変化が無い様にしか見えなかった隆也だったが、智紀には何か感じる所が有ったのか、穏やかに口を挟んでくる。


「隆也君、冷静に」
「俺は冷静なつもりですが」
「そうかな?」
 そんなやり取りが一段落したのを見て、大輔が話を続けた。


「君は彼女が警視庁第十三方面本部長、宇田川啓介氏の娘だと知っているか? そして父娘間の関係が良くない事も」
「良くないと言うより、殆ど交流が無いと言った方が良いのでは?」
(もっと正確に言えば、憎悪してると言って良いだろうが……)
 そんな事を考えながら答えると、大輔が真顔で頷く。


「そうだろうな。因みにその理由は知っているか?」
「さあ……。別に知っておく必要性を感じませんでしたので。ただ彼女の両親が離婚して、父親にも再婚した義理の母親にもまともな扱いを受けていなかったらしい話は聞きました。自分を躾てくれたのは、茶道と華道と日舞の先生だとも」
「そんな所だろうな……」
「本当にろくでもないですね」
「叔父さんは詳細をご存知なんですか?」
 目上の人間が忌々しげに溜め息を吐いたのを見て、隆也は軽く眉を寄せながら詳細に仔細について尋ねた。すると隆也の予想以上の答えが返って来る。


「各人の家庭内の事までは知らんが、三十何年か前に警察庁内の上級幹部だった加納貴史氏が、部下の不祥事の責任を取って閑職に回された直後、結婚していた彼の娘を用済みとばかりに難癖付けて慰謝料を払って離婚した挙げ句、一年経たないうちに当時の久住勝警察庁次長の娘と再婚した、恥知らずな男の名前は知っているな」
「……なかなか愉快なお話ですね」
「その後もなかなか愉快だぞ? 聞きたいかい?」
「是非。お願いします」
 思わず半眼になった隆也を唆す様に智紀が囁いてきた為、隆也はその誘いに乗った。すると含み笑いでその後の経過が告げられる。


「有力派閥を乗り換えて再婚直後は順風満帆だったが、再婚して五年後に新しい舅が急死してね。細君の兄弟達を初めとする身内や部下にもめぼしい有望な者が居なくて、忽ち久住派は先細りだ。そうこうしているうちに元妻の姉妹の夫達や、元舅の薫陶を受けたかつての部下達が着実に出世して勢いを増してね。彼らが中心になって、今では押しも押されぬ三宅派を形成している。皮肉なものだろう?」
「先見の明が有りませんね」
 正直に感想を述べた隆也に、大輔も頷いて同意を示す。


「全くだ。上にゴマを擦りまくり、財テクの才があった親の資産を食い潰して金をばらまいて何とか方面本部長までにはなったが、所詮警視正でそこ止まりだ。あの離婚劇で警察上層部での心証を、かなり悪くしたからな。あのまま別れなければ、警察庁に戻ってもう少し上まで行けたかもしれんが」
「確か来年定年の筈ですが、再就職先も大した所は確保できそうにありませんね。息子二人も親に輪をかけて出来が悪くて、三流大学に何とか押し込んだとか」
「就職先もどこぞの警備会社に捻じ込んだらしいな。良い噂を聞かないし、宇田川が辞めたら息子も放り出されるんじゃないのか?」
「本人も舅が急死した後、派閥が弱体化して流石に拙いと思ったのか、事も有ろうに再び三宅派にすり寄ろうとしたそうだし」
「馬鹿ですか?」
 呆れかえり、遠慮の無い感想を口にしてしまった隆也だが、他の二人は咎めたりはしなかった。


「確か貴子嬢が高校生の時に加納貴史氏が亡くなったんだが、その時通夜にも葬式にも出向かなかった事について、偶々三宅派に属していた上司に『かつての舅に払う敬意も持ち合わせてはいないのかね?』と嫌味を言われて、『娘は是非祖父にお別れがしたいと言っていたのですが、風邪をこじらせて寝込んでおりまして』と弁解して、慌てて初七日に娘を連れて加納邸に出向いたそうだ」
「それで? 本当に父娘で焼香して来たんですか?」
「偶々、その上司も出向いていたらしいが、宇田川が神妙な顔で挨拶している横で、彼女が『どうしてこんな見ず知らずの人の為に、わざわざ出向いて制服を煙塗れにしなきゃいけないわけ? 明日学校で嫌な顔をされるわ』と、言い放ったそうだ」
 流石に隆也も貴子の傍若無人ぶりに頭痛を覚え、叔父に問いかけた。


「……確かに離婚後は一切交流は無かったかもしれませんが、宇田川氏は説明はしなかったんでしょうか?」
「勿論、言い含めていた筈だ。しかし普段邪険に扱っている癖に、こんな時だけ自分をダシにして自分の立場を取り繕うのが許せなかったんだろう。宇田川が『お前の実の祖父だと言っただろう!』と怒鳴れば『お前の身内なんて一人も居ないって仰いましたよね? 私、親からは教わりませんでしたが、学校の先生からは『嘘をついてはいけません』と教わりましたので、それを実行しているだけです』と実に悪びれなく言ってのけたそうだ。いや、実に堂々としていたと、その上司だった男が苦笑いで教えてくれたよ」
「お義父さんの話では、その他にも『お前には愚鈍な母方の血が混ざっているからどうしようも無いと常々言われていまして。こんな風に生んだ方に一言文句を言いたいので、どなたが母親なのか教えて貰えません?』とか暴言吐きまくりで、宇田川氏は面目丸潰れで這々の体で逃げ帰ったそうだ」
「自業自得ですね」
 舅の後を苦笑しながら引き取った智紀の台詞に、隆也はほんの少しだけ啓介に同情した。しかし当然の報いだなと冷静に割り切る。


「その話が出席者から漏れて警察内で白眼視された奴は、『やっぱり血筋が悪くて』などと弁解して、陰で周囲の失笑を買っていたな」
「自分の娘ですから、自分を貶してると同義語だと気が付かないんでしょうか?」
「自分だけは優秀だと思い込んでいるんだろう」
「話を人伝に聞いた事があるだけですが、どこまでもおめでたくて救いようがない方ですね」
「だが貴子嬢が東成大の法学部に現役合格したら、それまでくそみそに貶していたのを掌を反してほめちぎって吹聴してな。その変わり身の速さに、もうほとほと呆れたぞ」
「寧ろ、その厚顔無恥さに拍手したい気分です」
 そんな義理の親子のやり取りを黙って聞いた隆也は、深い溜め息を吐いて言葉を絞り出した。


「……もう、言葉がありませんね」
「だが父親の期待虚しく、貴子嬢は二年に進級直後に二十歳になった途端、あっさり退学届けを出して家出したそうだ」
 そこで有りえない可能性が頭をよぎった隆也は、驚愕の表情で確認を入れた。


「まさか……、あいつは父親を糠喜びさせて赤っ恥をかかせる為だけに、難関大の東成大に入学したと?」
「そうとしか思えんな」
「ある意味、そこまで徹底できるのは凄いけどね」
(有り得ない……。いや、あいつだったら妙に納得できる)
 唖然とした後、すぐに納得してしまった隆也だったが、驚愕の事実はその後も更に続いた。


「それから二年強が経過して、彼女が国家公務員Ⅰ種試験を受験して見事合格し、翌年春に警察庁に入庁して警察大学校の初任研修に参加したんだ」
「は? ちょっと待って下さい。大学中退で国家公務員Ⅰ種試験合格ですか? 何の冗談です」
「受験資格は『大学卒業見込み者、及び大学卒業と同等の学力を有するもの』と有るだけで、『大学卒業』を受験資格にしている訳じゃない。人事院に同等の学力があると認められれば、大学中退の彼女にも支障は無い」
「いや、しかしどうやって認めさせたんですか? しかも筆記だけではなくて、官庁訪問や面接だってあるんですよ? 有り得ないでしょう!?」
 完全に予想外の内容を聞かされて隆也は声を上ずらせて問い質したが、大輔と智紀は冷静に説明を続けた。


「優秀な成績で合格してしまったんだから、仕方あるまい。そして例によって例の如く」
「大学を中退して家を出た娘を『考え無しのバカ娘が。野垂れ死にするのがオチだ』と公言していた誰かさんが、『流石俺の娘だ。いつかはやると信じていた』と誉めちぎったそうだな。特に同じ年に試験に落ちた子供がいる幹部と同席した時など、鼻高々だったらしい」
「……宇田川氏が、学習能力が欠如している人物にしか思えません。彼女は現在警官ではありませんし、また何かやらかしたんですよね?」
 もう大体話の筋の予想がついてしまった隆也が嫌そうに確認を入れると、解説役の二人も頭痛を堪える様な表情で苦々しく告げた。


「五月の連休が終わってすぐ、彼女が辞表を提出して行方知れずになった。そして半年後、《警察官僚のエリートコースを投げ打ち、料理道に邁進する事を選んだ、新進気鋭の知的料理研究家》を売りにして、バラエティー番組でデビューした」
「しかも『もうキャリア連中ってダサくて機転が利かなくて、偉ぶってる癖に中身がない奴ばっかりで。指導官にもイケメンが一人もいなくて、ほとほと愛想が尽きたのよね。私はこんな所で腐って終わる人生なんかまっぴらと思って、飛び出しちゃいました』とか初年度に購入する事になってる本物の警官の制服を着て、生放送で笑って言われた日にはな……」
「…………」
 もうフォローのしようもなく隆也が黙りこくっていると、徐に智紀が口を開いた。


「……実は、隆也君。彼女に関する話題はそれだけじゃないんだ。今から五年ほど前」
「まだ何か有るんですか!?」
 ほとほと呆れて問い質した隆也に、智紀が疲れた様に頷いてから話を続けた。


「某警視がテレビに出ていた彼女に惚れ込んで、彼女が宇田川氏の娘なのを知って、止せば良いのに縁談を申し込んでな。あるホテルで見合いをする事になった」
「周囲で父娘の確執を教えてやらなかったんですか?」
「詳しく知っている人間が居なかった上、そいつも宇田川氏同様結構鼻持ちならない奴で、爪弾きにされていたらしい」
「なるほど……。似合いと言えば似合いですね。それでどうなったんです?」
 もう先程同様話の先は見えていたが、隆也は義務的に話の続きを促した。すると智紀も淡々と説明を続ける。


「見合いの場所と日時は貴子嬢の都合で決めたらしく、直前に会場ホテルのロビーで宇田川夫妻と落ち合ったらしい。そして『お手洗いに寄るから先に行っていてくれ』と言われて夫妻で店の個室に入って待っていたが、待てど暮らせど来ない。そうこうしているうちに到着した相手方の一家三人と仲人夫妻も交えて一時間待ったが音沙汰が無いので、引き上げる事にしたそうだ」
「すっぽかしましたか……。想定の範囲内ですね」
「そして一同が憤然として出口に向かっていた時、どこぞの披露宴を終えて会場から出て来た招待客の中に貴子嬢の姿を発見して、『見合いをすっぽかすとはどういう事だ!?』となじったら、『私はもともと友人の結婚披露宴に出るからとお断りしたじゃありませんか。偶には顔を見せろと言うからさっき合間を見て挨拶に来たのに、何を言ってらっしゃるんです?』と呆れた顔で周囲の人間達と二次会に行ったそうだ」
 そこで、ふと隆也は疑問を覚えた。


「どうして智紀さんがそこまで詳細を知っているんですか?」
 その問いに、智紀が事もなげに答える。
「その話を、俺に延々と語って聞かせた阿呆が居てね。奴の思惑としては俺に同情して貰って、菅野派へ組み込んで貰える様に口添えして貰うつもりだったんだろうが」
「それで? どうされたんです?」
「下らん話を散々聞かされてから、一言言ってやったさ。『そもそも宇田川氏の娘に縁談を申し込んだ時点で、君の人を見る目や状況判断能力はタカが知れているな』とね」
 興味津々で尋ねたものの相手を一刀両断してみせた智紀に、隆也は小さく噴き出して笑ってしまった。


「さすが智紀さん、辛辣ですね。そいつは尻尾を巻いて帰りましたか?」
「当然だ。俺の貴重な時間を無駄にしやがって。何様のつもりだ」
 本気で腹を立てているらしい相手に苦笑していると、ここで大輔が重々しい口調で会話に戻って来た。


「他にも色々噂があってな。どうもこの数年の久住派の凋落ぶりには、陰で彼女が絡んでるらしい」
 その物言いに、流石に隆也は呆れた顔で反論した。
「叔父さん……、彼女は一般人ですよ? 警察内部の人間関係に、どう絡んでくると言うんです?」
「現にお前が絡まれてるだろう?」
 そう言われた隆也は、無意識に顔を顰める。


「あまり見損なわないで下さい。誰があんなのに絡め捕られると言うんですか」
「それならまあ良いが。一応忠告はした。智紀、あれを」
「はい」
 そうして智紀から「持って行ってくれ」と手渡された大判の封筒に入っていた見合い写真と釣り書きにざっと目を走らせた隆也は、それを元通りしまいながら愚痴っぽく訴えた。


「やっぱり本来の目的はこれですか。智紀さんの様な立派な婿を貰えて後顧の憂いなんか無いんですから、俺の事はいい加減に諦めて下さいよ」
「そうはいくか」
「諦めるのは隆也君の方だな」
 一癖も二癖もある二人に微笑まれ、隆也はその日最大の疲労感満載の溜め息を吐いたのだった。


 その後、関係のない話題で盛り上がった三人であったが、夕食の時間前に隆也は叔父の家を辞去した。そして愛車を走らせて真っ直ぐ家に戻ると、広い家で母親だけが出迎えてくる。


「お帰りなさい、隆也。大輔さんの所でお夕飯は食べてきたかしら?」
「いや、お茶だけ飲んできた」
「良かった。夕飯は準備してあるのよ。亮輔さんは弁護士会の集まりに呼ばれてるし、一緒に食べましょう」
「ああ、じゃ部屋に荷物を置いてくる」
「じゃあ、準備しておくわ」
 予め父親から「今夜は俺は居ないし、偶には香苗と一緒に飯を食べろ。この親不孝息子」と念を押されていた為、嬉しそうな様子の母親に苦笑しながら隆也は自分の部屋に戻った。そして机の上に持ち帰った封筒を投げ捨てながらスマホを取り出し、ベッドに座り込みながら電話をかける。そして繋がったと思った瞬間、相手の反応を待たずに呼びかけた。


「おい、俺だ」
「あら、《折田》さんが何のご用?」
「お前……、父親が嫌いだよな?」
 軽い嫌味をスルーして断言してきた隆也に、貴子は些か気分を害した様に言い返してきた。


「それがどうかした? 喧嘩はいけませんって説教する気?」
「そんな無駄な事するか。だから嫌がらせの為だけに、国家公務員試験を受けて、警察大学校に入ったのか?」
「あら、今頃知ったの? 情報が遅いわね。まあ、十年以上前の話だし、無理もないか」
「ちゃんと質問に答えろ」
 鋭く言い放った隆也に対し、貴子は完全に腹を立てた口調で文句を口にする。


「だったら何なの? あんたに微塵も関係無い話よね?」
「関係は無いが、少なくてもお前の代わりに一人、優秀な人物が試験に落ちた筈だ。お前は自覚していないかもしれないから、一言言っておこうと思ってな」
「……だから何よ」
 予想外の切り返しをされて幾分気まず気に黙り込んだ貴子に、隆也が淡々と質問を続けた。


「別に。それはそうと、どうして料理人になったんだ?」
「料理研究家だと言ってるでしょう?」
「どっちも似たようなものだろ」
「全く、これだから頭ガチガチのキャリアって……」
 ブチブチと文句を言う貴子に、隆也がある可能性を口にした。


「要は食い意地が張ってただけか?」
「そう思いたければ思ってれば?」
「違うよな? お前はそんな馬鹿な人間じゃない」
 素っ気なく言って話を終わらせようとした貴子だったが、隆也が有無を言わせぬ口調で問いを重ねてきた為、誤魔化すのを諦めたのか、どこかふて腐れた様に言い出す。


「昔……、通いの家政婦さんに言われたのよ」
「何を」
「『人間温かい布団でぐっすり眠れて、美味しい物をきちんと食べられるなら、そうそう不幸だなんて思わないものです。だからここに居る間に、しっかりお料理を教えてあげますからね』って。だからどうせなら、とことん極めてみようかと思ったのよ」
 神妙にそんな事を言われた隆也は、心底意外に思って問いを発した。


「……ほう? なかなか物の道理を分かっている人だったんだな。今でも付き合いがあるのか?」
「風の便りで、亡くなったって聞いたわ」
 そこで若干気まずい空気が電話越しに漂ったが、隆也は半ばそれを無視して質問を続けた。


「そうか。……それじゃあさっきの話に戻るが、お前、父親が大嫌いだから警察官全般が嫌いだよな?」
「特に偉ぶってるキャリアは大大大嫌いだけどね」
「それならどうして、俺を家に出入りさせてる?」
「頭の回転が良い人間と、挨拶をして料理を綺麗に残さず食べられる人間は結構好きなだけよ。それで±0。他に役に立ってくれてるから、若干マシって所だけど、それが何か?」
 結構な真剣な疑問にあっさり答えられ、隆也は頭を抱えたくなった。


「お前……、男を選ぶ基準が低すぎないか?」
 呆れた口調のそれに、自嘲気味な声が返ってくる。
「私の周囲にはろくでもない男しか居なくてね。まあ、本人がろくでもないから、しょうがないんじゃない?」
「ろくでもない事はないだろう」
「え?」
「邪魔したな」
 戸惑った声を出した貴子を無視し、隆也は一方的に通話を終わらせた。そして何分かかけ直してくるかとそのまま待っていたが、スマホが無反応な為食事にしようと自室を出て階下に下りる。そうして二人で夕食を食べ始めたが、隆也がらしくなく無口な為、香苗は怪訝な顔で問いかけた。


「隆也、どうかしたの? 考え込んで。何か大輔さんのお宅で、何か難しい事でも言われたの?」
 そう言われて自分が無言になっていた事に気が付いた隆也は、自信無さげにある事を口にした。
「いや、叔父さんの家でではないんだが、その……、『挨拶をして料理を綺麗に残さず食べられる人間は結構好き』だと言われた。そんなのは普通だと思うんだが……」
 それを聞いた香苗はちょっと首を傾げてから、嬉しそうに笑う。


「確かに近頃は、そういう人は少ないかもしれないわね。でも嬉しいわ」
「どうして母さんが嬉しいんだ?」
「だって隆也をそういう風に育てたのは私だもの。私を褒めて貰った様なものでしょう?」
「そう言えばそうかもな……」
 にこにこと同意を求めてきた母に、隆也は意表を衝かれながらも素直に頷いた。すると香苗がテーブル越しに僅かに身を乗り出しながら、嬉々として尋ねてくる。


「ねえ、その人、どんな女の人? 料理が上手なの?」
「どうして女だと?」
「だってそんな事、料理をまともに作らない人や、男の人に言われるわけないじゃないの」
 自信満々で断言してきた母に、隆也は思わず遠い目をしながら正直に答えた。


「確かに作る料理は美味いし美人だが、性格が著しく歪んでいる女」
 その表現に、香苗が目を丸くする。
「どうしてそんな酷い事を言うの? 最近はそちらでご馳走になってるんでしょう?」
「事実だから」
「あらあら」
 素っ気なく言って食事を再開させた隆也に香苗は苦笑いしつつ、(亮輔さんに何て報告しようかしら?)と密かに考えていた。



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