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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第10話 似た者同士

「こら! いい加減に起きなさい!」
「……何だ?」
 いきなり肩を揺すられた隆也は、不機嫌そうに閉じていた目を開けたが、自分を見下ろしている貴子はそんな事など微塵も気にせず、強い口調で迫った。


「いつまでグースカ寝ているつもり? 国民の税金で養って貰っている公務員でしょうが? キリキリ給料分働きなさい! ほら、さっさと起きるのよ!」
「全く……。無駄に元気過ぎるぞ」
「幸い寝起きは良い方なの」
 勢い良く掛け布団を剥がし、タオルケットも奪い取ろうとした貴子の手を振り払う仕草をしながら、隆也はゆっくりと裸の上半身を起こした。そして眠そうに右手で前髪を掻き上げた隆也を見ながら、貴子が一息に言ってのける。


「昨日の私服で、職場に行けないわよね。家ってどこ? 一度帰って着替えるなら、もっと早く起こさないと駄目だと思ったんだけど、六時に起こしても惰眠を貪っていて起きないんだもの。遅刻しても私のせいじゃ無いから、そのつもりでね?」
 しかし隆也は全く彼女の話を聞いていなかった様に、淡々と問いを発した。


「今、何時だ?」
「六時五十分」
 ムッとしたものの貴子が律儀に教えてやると、隆也は事も無げに言ってのけた。


「じゃあ、昨日の服のまま出勤する」
「えぇ? そんな事、無理でしょう? 私服でなんて、みっともないじゃない」
 さすがに疑念に満ちた声を上げた貴子だったが、隆也は小さくあくびをしてから、その理由を説明した。


「偶々、俺の家の最寄り駅と同じ駅を利用している部下が居る。そいつに着替え一式を家から取って来て貰って、職場の近くの最寄り駅で着替える」
「はぁ? あんた馬鹿? そんな事言われたら、部下の人だってあんたの家族だって『何言ってんだこいつ?』と思うわよ」
「大丈夫だ。今回が初めてじゃないから、部下も家族も慣れてる。今更どうって事ない」
 そう言って早速連絡を取る為か、サイドテーブルに置いてあった自分のスマホに手を伸ばした隆也を見て、貴子は呆れた様に溜め息を吐いてから、半眼になって彼を見下ろした。


「……あんたの下でだけは働きたくないわね。上司の女遊びの尻拭いをさせられるなんて」
「女の家に呼びつけないだけ、気を遣っているつもりだが?」
「はいはい、キャリア様の勘違い気遣い論について論じるのはまた今度と言う事で、取り敢えず下着だけは替えたいんじゃない?」
 不毛な会話を続けるのに嫌気が差したのか貴子が話題を変えてきたが、隆也はさほど気にせずに答えた。


「まあ、それはそうだが……、仕方ないだろう」
 しかしそれを聞いた貴子は、壁際のチェストに歩み寄り、一番下の引き出しを開けて中を漁り始めた。
「おい、何してる?」
「え~っと、これ位かな? はい、取り敢えずそれを着て良いわよ?」
 ポンポンと放り投げられ、自分の膝の上に乗ったそれらを見て、隆也は眠気が吹き飛んだ様に、盛大に顔をしかめた。


「……何だこれは?」
「見ての通り、アンダーシャツとトランクスと靴下。サイズはそれで合う筈よ?」
「だから、明らかに新品で無いこれが、どうしてここに有るのかと聞いている」
 イラッとしながら隆也が問いを重ねると、貴子は彼の予想通りの答えを返した。


「以前の男が使ってて、別れた時に残していった物よ。もしサイズが合わなかったりデザインが気に入らなかったら、他にも色々あるからここの引き出しを探してみて。じゃあご飯を揃えておくから」
 そう言いながら立ち上がり、部屋を出て行こうとした貴子に、隆也は怒声を浴びせた。


「お前! 俺に他の男が着た物を使えと言ってるのか、ふざけるな!」
 しかしその非難する声に、ドアを開けて部屋を出ようとしていた貴子がキョトンとした表情で振り返る。


「どうして怒るの? 今までの皆は『助かった』ってお礼を言ってくれたのに。変なの」
「変なのは、お前等の頭の中身だ」
「意味不明」
 吐き捨てる様に言った台詞にも、貴子は肩を竦めただけで平然と出て行き、隆也は小さく舌打ちした。


「全く……、何て女だ」
 しかし文句を言っていても時間が無駄になるだけだと分かり切っていた隆也は、何とか意識を切り替えて部下と母親への着替えの手配を頼むメールの送信を済ませた。次に洗面所に行って顔を洗った隆也がリビングに向かうと、カウンター横のダイニングテーブルには、既に朝食が準備されていた。


「ほら、早く座って食べて。朝食はしっかり取らないと、良い仕事が出来ないわよ?」
「……ああ」
 貴子に押し付けがましく言われたものの、取り敢えず隆也は大人しく席に着いて箸を取り上げた。するとそれを意外に思った貴子が、片眉を軽く上げながら感想を述べる。


「あら……、仏頂面の割には随分素直ね」
「同じ様な事を、母親に言われて育ったからな」
「へぇ~、それはそれは………………、マザコン」
「親を敬って何が悪い」
 面白がる様にボソリと呟かれた言葉にも開き直って言い返した隆也は、ひたすら無言で食べ続けた。


(ムカつく……。朝飯が美味いのも、余計に癪に障るじゃないか。何だ、あのドヤ顔は!)
 そんな事を考えながら食べ続けていると、暫く隆也を凝視していた貴子が、笑いを堪える様な口調で言い出した。


「ちゃんと髭は剃って来たんだ。着古した下着は嫌だけど、シェーバーやクリームは構わないのね」
「背に腹は代えられないからな。使わせて貰った」
 憮然としながら一応事実関係を述べた隆也に対し、貴子は噴き出したいのを堪えつつ話を進める。


「構わないわよ。職場のトイレとかで、ゆっくり髭を剃ったりするのは難しいでしょうからね。それから……、自分から言う気が皆無の様だから聞いてあげるけど……、美味しい?」
「……ああ」
 テーブルに両肘を付き、にこにこと尋ねてきた貴子に、隆也は面白く無さそうな顔をしながらも相槌を打った。それで貴子の笑みが深くなる。


「大変素直で宜しい。さあ、食べ終わったら気分良く出勤してね。あんたの着替え一式持参で出勤してくる健気で可哀想な部下さんを、その極悪顔で朝からビビらせちゃ駄目よ?」
「五月蝿い。余計なお世話だ」
 益々気分を害した隆也だったが、食事は十分美味しかった為、必要以上に仏頂面もできず、複雑な心境のまま食べ進める事になった。


「……ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」
 ぶすっとしながら隆也が席を立つと、貴子が満面の笑みで食器を片付け始めた。そして昨日の私服姿で立ち上がった隆也が、キッチンで洗い物を始めた貴子に、声をかける。


「……おい」
「何?」
「出るぞ」
「そうね」
「玄関に来ないのか?」
「え? どうして玄関に行かないといけないの?」
 そこで漸く手を止めて、顔を向けて来た貴子に向かって、隆也は舌打ちしそうな顔になりながら、言葉を継いだ。


「玄関の戸は、オートロックなのか? 俺が出て行く時に開いたままだったら、拙いだろうが」
 尤もらしく指摘した隆也だったが、貴子はきょとんとしながら言い返した。


「そんな朝っぱらから、押し込み強盗が入る様な事、言わないでくれる? 考え過ぎじゃない?」
「盗聴器を仕掛けられているかと疑う割には、迂闊だな。とにかく、さっさと来い」
「はいはい。お付き合いします。全く、これだから頭ガチガチのキャリアさんは……」
 ブツブツと文句を言いながら付いて来る彼女に、隆也は切れそうになったが、無言を保った。玄関で靴を履いてから、貴子に向き直る。


「じゃあ、世話になった」
「別に、気にしなくて良いわよ。さっさと閉めたいから、早く行って」
「……他に何か、言う事は無いのか?」
「え? 今日はゴミの収集日じゃないし」
「…………」
 殊勝にも、ごみを捨ててくれる気だったのかと思いながら、貴子が口にすると、隆也は無言のまま部屋を出て行った。


「何なのかしら? 良く分からない男ね」
 軽く首を傾げた貴子だったが、すぐに玄関のドアをロックして、キッチンへと戻って行った。


 その日、無事に最寄り駅で部下と合流した隆也は、何事も無かったかのように身なりを整えて出勤したが、朝からそこはかとなく不機嫌なオーラを醸し出し、部下から何事かと遠巻きにされていた。何となくその気配には気付いてはいたものの、隆也はそれを綺麗に無視して、自分の机で仕事に没頭する。


(全く……、あらゆる意味で、何て規格外で情緒の無い女だ)
 キーボードで文章を打つ手を止めて、傍らに並べてある貴子から譲って貰ってきた品々を眺めながら、隆也は感嘆と呆れが半々の感想を頭に思い浮かべた。


(俺も、常々傍若無人だとは言われているが、あいつ程じゃ無いと思うぞ。性別を間違って、産まれて来たんじゃ無いのか?)
 第三者から見たら、どっちもどっちだろうとしか言われないであろう事を考えながら仕事を続けた隆也は、昼近くになってある事に目処を付けて、椅子から立ち上がった。


(変に頭が回り過ぎるのも考え物だという、良い実例だ。下手に深入りしないのがベストだとは思うが……)
 そうして少し離れた場所にあるプリンターから、先程まで打ち込んでいた内容を記した紙が出てくるのを確認し、中身と枚数を確認しながら不敵な笑みを漏らす。


「……まあ、最近少し、退屈していたしな」
「何か仰いましたか? 課長」
 近くの机に座っていた者が、その呟きを耳にして不思議そうに顔を上げたが、隆也は用紙をホチキスで止め、クリアファイルに入れて平然と歩き出した。


「いや、何でもない。ちょっと部長室に行って来るから、何かあったら頼む」
「分かりました」
 そしてそのまま部屋を出た隆也は、廊下を進んで直属の上司が居る刑事部長室のドアを叩いた。


「榊です。失礼します」
「ああ、入ってくれ」
(取り敢えず、使える物は何でも使わないとな)
 そうして一礼して入室してから、隆也はいつも通り素早く状況判断しつつ、冷静に提出した上申書の説明を始めた。


 隆也が泊まっていった翌々日。
 自宅マンションに帰り着いて早々、一階エントランスからの呼び出し音が室内に響き渡った為、貴子は怪訝な顔をしながらインターフォンに歩み寄った。


「こんな時間に誰?」
 特に思い当たる節が無かった為、幾分警戒しながら応答した貴子だったが、モニターの中に見慣れた制服姿の男性が映し出される。


「恐れ入ります。丸原急便ですが、宇田川貴子さんに、榊隆也さんからお届け物です」
「分かりました。お入り下さい」
「失礼します」
 取り敢えず見ず知らずの人間からの物ではない為、エントランスの自動ドアのロックを解除した貴子だったが、配達される様な物の心当たりがなかった為、首を捻った。


「あいつ……、寝た後に相手に花でも贈るのが常なのかしら? そうは見えなかったけど、意外に俗物だったのね。でも、翌日じゃなくて二日後って言うのが減点だわ」
 そんな好き勝手な事を呟いているうちに玄関のチャイムが鳴り、貴子は慌てて玄関に向かい、ロックを外してドアを開けた。しかし配達員が手にしていた品物を目にして固まる。


「失礼します。これは玄関に置かせて貰って宜しいでしょうか?」
「あ、はい……、お願いします」
 確かに腕を広げないと抱えられない横幅のあるダンボール箱を抱えては、伝票等のやり取りは無理だろうなと漠然と考えながら頷くと、相手は玄関内に体を滑り込ませて、上がり口に箱を置いた。そしてポケットから慣れた動作で紙切れとボールペンを取り出し、貴子に差し出してくる。


「それでは、こちらの受け取り票のここにサインをお願いします」
「はぁ……」
 言われるままサインをし、「ありがとうございました」と笑顔で頭を下げて立ち去った男の後ろ姿を見送ってから、貴子は自宅玄関に置かれた箱を見下ろして、憮然となった。


「何なの? この箱。結構重さもあるし」
 ちょっと待ち上げようとしてその重さに顔を顰め、取り敢えず中身を確認しようとガムテープを剥がして蓋を開けてみた貴子は、益々不機嫌になった。


「あの野郎……、人の家に何を勝手に送りつけてるのよ」
 どう考えても隆也の物としか思えないスーツやワイシャツ、ネクタイから始まって、普段着のシャツやスラックス、靴下にハンカチに下着に至るまで数セットずつ、新品の物が入れられているのを確認し終えた貴子は、本気で腹を立てた。するとそれを見計らった様に、携帯の着信音が鳴り響く。


「電話? 何よこんな時に」
 苛立たしげにリビングに戻って携帯を開いた貴子は、ディスプレイに表示された見覚えの無い番号に眉を顰めた。


「見た事がない番号だけど、イタ電か間違い電話?」
 そう訝しんだが、一応警戒しながら電話に応答してみる。
「もしもし?」
「今、マンションに居るか? お前の所に荷物を送ったんだが」
 名乗りもせずいきなり用件に入られたが、聞き覚えのある声とその口調に、貴子は相手を瞬時に理解して盛大に噛みついた。


「ちょっと!! どうしてこの番号を知ってるのよ? 携帯もスマホにもロックはかけてあるのよ? 勿論パソコンにだって!」
 その問いかけに、隆也が含み笑いで返してくる。
「変な所で真面目で、とんでもない迂闊者だなお前。確かに電子機器のセキュリティーはそれなりだったが、机の棚に並べてあった住所録は普通に見られたぞ。しかもご丁寧に、自分の住所や電話番号まで記載されていたのには笑わせて貰った。若年性痴呆症になった時の為の用心か?」
(やられた……、いつの間に。って言うか、自分の分までどうして書いてるのよ、私……)
 どうやら無意識に、本来必要でない自分の住所まで書き込んでいたらしい事実を指摘され、貴子は地味にダメージを受けた。電話越しにもその空気が伝わったと見えて、隆也のくつくつ笑う声が耳に届く。しかし貴子は何とか気を取り直し、再び文句を口にした。


「それはともかく、何なの、この服!! 人の家に勝手に送り付けないで頂戴!」
「ちゃんと届いたか。お前が確実に在宅している時間が分からないから、行きつけの店に注文した時、配送時間を一番遅い時間帯に指定しておいたんだが正解だったな」
「『正解だったな』じゃないわよ! 一体どういうつもり?」
 一人満足げに述べる隆也に、貴子が益々苛付きながら問い質したが、隆也は平然と答えた。


「見て分からないか? 俺用の衣類だ」
「そんな事、見れば分かるわよ!」
「だから他の男の使い古しなんか要らないから、全部纏めて処分しろ」
「……はぁ?」
 一瞬、何を言われたか分からずに貴子が黙り込んだ隙に、隆也は言いたい事を滔々と述べた。


「そうだな、何事も無ければ明後日は早く上がれそうだから、そっちに行く。だからそれまでに一応洗濯しておけ。言うまでもないが、スーツは皺にならない様にしておけよ? それじゃあな」
「あ、ちょっと!」
 言うだけ言って相手の反応を待たずに通話を終わらせた隆也に、貴子は怒りの声を上げた。


「なんって傍若無人なのよ!!」
 そして携帯を操作して自身も通話を終わらせながら、悪態を吐く。
「しかも自分のテリトリーに他のオスの臭いがするのが嫌って? とことん心が狭くて、面倒くさい男ね」
 そしてブツブツ言いながら、放置していた箱の所に戻ってきた。しかし取り出した衣類を見下ろしながら、貴子はその顔に微苦笑を浮かべる。


「まあ、でも。扱い易い男ってつまらないって、相場が決まっているし」
 そう自分自身に言い聞かせる様に床に膝を付いた貴子は、新品の衣類をパッケージから取り出しつつひとりごちた。


「仕方が無い。特別大サービスで、いつでも使える様に洗濯しておいてあげようじゃないの。あの男と比べて、私って何て寛大なのかしら」
 そんな自画自賛の言葉を呟きながら、貴子は早速衣類を抱えて洗濯機へと向かった。



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