ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第9話 それは所謂意気投合

「さあ、遠慮しないで入って」
 自宅マンションのドアを開けながら貴子が口にした台詞に、両手で段ボール箱を抱えた隆也は心底呆れた目を向けた。


「人に荷物を持たせておいて、遠慮するなも何もないだろうが」
「そう言わないで。助かったわ。車は持ってないからそれを抱えて電車に乗るのは骨が折れるし、荷物を折りたたんだりできないからコンパクトに纏められなくて」
 悪びれずに貴子が言った所で、隆也はふと覚えた疑問を口にしてみた。
「それは分かるが……、行きはどうしたんだ?」
「都合がついた友達の一人に送って貰ったのよ」
「……当然男だろうな」
 思わず溜め息を吐いた隆也に苦笑いしてから、貴子は思い出した様にシューズボックスの中からある物を取り出しつつ、隆也に声をかけた。


「ちょっとお願いがあるんだけど。私が良いと言うまで、黙って付いてきてね?」
「いきなり何を言い出すんだお前は」
「取り敢えずちょっと黙ってて」
 真顔で指示された隆也は大いに不満そうな顔をしながらも、箱を抱えたまま靴を脱いで上がり込み、黙って貴子の後に続いた。その貴子はアンテナらしき物が伸びている、携帯用ラジオ程度の大きさの物を室内のあちこちに向けながら進み、リビングに入ってからも同様の行為を繰り返す。
 そして壁際を一回りしてから手の中の機器の電源を切ったらしい貴子は、笑顔でソファーを指し示した。


「じゃあ下拵えは済ませてあるから、お茶を飲みながらちょっと待ってて。珈琲? 煎茶? 紅茶?」
「玉露」
「承りました」
 端的に告げた隆也から恭しく箱を受け取った貴子は、そのままキッチンへ向かった。そして隆也は先ほどチラリと眺めた、やけに設備の整ったキッチンに感心しながら、貴子の行動の意味を察して呆れる。


(どう見てもさっきのは盗聴器の探知機。一体何をやってるんだ。料理研究家を名乗るなら、黙って料理だけしてろ)
 ますます貴子の人物像が分からなくなってきた隆也がソファーに座って考え込み始めると、お茶を淹れた貴子が目の前のテーブルに茶托に乗せた湯飲み茶碗を持って来た。そして「どうぞ」と一言勧めて再びキッチンに戻る背中を眺めてから、ゆっくりと茶碗の中身を口に含んでみる。


(良い茶葉使ってるじゃないか……、侮れないな。職業柄か?)
 密かに感心した隆也だったが、ここで茶を飲みながら落ち着いて室内を見回してみた結果、妙な違和感を感じた。


(しかし、何と言うか……、必要最低限の家具は揃っているが、独り暮らしの女の部屋にしてはシンプル過ぎないか? なんと言うか……、自分の趣味で飾り立てる様な物が無い? 観葉植物や熱帯魚とかは好き嫌いがあるだろうが、家族写真の一枚でも置いていてもおかしくないと思うが)
 そんな事を考えながら茶を飲み終えた隆也は、立ち上がって壁際の本棚に歩み寄った。


(この本棚の中身もな。何なんだ、レシピ本かと思いきや、法令集や医学書や心理学関係とは。何か色々精神的に歪んでないか?)
 いっそ魚ではなくあいつを捌いてみたい、などと半ば本気で考えながらカオスな本棚から一冊を取り出してソファーで読み始めると、一時間もしないうちにダイニングテーブルに着々と料理が揃えられた。


 呼びかけられてテーブルに向かうと、そこに用意されたしじみの炊き込みご飯、豚汁、ミートローフ、さわらの香草蒸し、海老と野菜のかき揚げ、オクラと山芋の梅肉和えに感心し、促されるまま席に着いた。そして律儀に手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めた貴子に、また別な印象を抱く。


(まあそれなりに、料理は美味いだろうと思ってはいたが……)
「……意外だな」
「何が?」
 無意識に呟いた言葉に貴子が反応した為、隆也は苦笑いしながら説明した。
「きちんと挨拶してから食べる所がだ。箸の使い方もちゃんとしているし」
「そう? 自分ではあまり意識してないけど」
「子供の頃、よほど厳しく躾られたらしいな。親に感謝しろよ? 料理も教えて貰ったんだろうし」
 隆也としては軽口を叩いたつもりだったのだが、貴子は手の動きを止めて顔を顰めた。


「言っておくけど……、親に躾られた覚えなんて微塵も無いわ」
「え?」
「私の所作が問題ない様に見えているなら、それは茶道と華道と日舞の先生のおかげよ。それに、あの手タレ崩れが、料理はおろか掃除や洗濯家事一般をする筈無いわ」
 貴子が吐き捨てる様に口にした内容に、隆也は本気で首を捻った。


「何だ、その『手タレ』って」
「広告やCMに、手だけ出すパーツモデルの事よ。常に片時も手袋を手放さない、白魚の様な手だけが自慢のババァからは、虚栄心が見苦しいって事だけは教わったわね。食事が不味くなる話題を振らないで貰える?」
「……悪かった」
(何なんだ? リビングに家族写真の一枚も無いのは納得したが)
 嫌悪感を露わにしたその物言いに、隆也は素直に謝罪してから、場を取り繕う為に話題を変えた。


「親とはともかく、兄弟仲は良いらしいな。弟の彼女をこっそり見に行く位だし」
「……まあね」
 その微妙な表情と声音に、隆也は(そう言えば初めて会った時に、色々事情があって弟とは名字が違うとか言ってたか。ひょっとしてこれもNGワードっぽいか?)と推察したものの、そのまま押し切ってみる事にした。


「その後、どうなんだ? あの二人。まさか綾乃ちゃんに変な事をしてないだろうな」
 意識的に茶化す様に言ってみると、貴子は思わずと言った感じに表情を緩める。
「変な事ってどんな事って聞いてみたいけど、彼女の背後には随分と恐い父親とお兄さんが居るみたいですからね。……寧ろ変な事ができたなら、姉として誉めてあげるわ」
「何だそれは」
 そこで二人揃って笑い出し、再び空気が和んだ所で、隆也はふと思い出した事を尋ねてみた。


「そう言えば……、ああいう事って良くあるのか?」
「ああいう事って?」
「今日絡まれただろう?」
 そこまで聞いて漸く思い至ったらしい貴子は、素っ気なく事情説明を始めた。


「……ああ、あれね。あの人が担当してるバラエティー番組にレギュラー出演してるんだけど、どうも出演者は自分の言う事を何でも聞くと勘違いしてるみたい。大抵はその通りだし、勘違いしても無理は無いと思うんだけど、こっちはいい迷惑なのよね」
 その口調に、意外な響きを感じた隆也は、確認を入れてみる。
「何が何でもテレビに出たいとか、そういう事は無いのか?」
「別に? 確かに最初は顔を売るのが必要だったから、色々したけど。そろそろ足を洗おうかと思ってる位だし」
「なるほど。まあ、考え方は人それぞれだろうな」
 それであっさり納得して食べるのを再開した隆也に、貴子が思わせぶりに言い出した。


「それで……、以前あのディレクターに『君のファンの方が居るから』って、半ば強引に連れて行かれたお座敷があるの」
「ファン、ねぇ……。確かに見た目は結構良いが、こんな性格破綻者に入れ込む野郎の気がしれないな」
「あら、失礼ね。因みにその時顔を揃えていたのが、政友党の飯嶋代議士と、リースバンクの高科頭取と、永沢地所の永沢会長と、丸済コーポレーションの新見社長なんだけど」
「……何だと?」
 常に黒い噂が絶えない人物の名前を列挙され、隆也は瞬時に真顔になって貴子に視線を合わせた。その視線を正面から受け止めた貴子が、思わせぶりな微笑みを見せる。


「面白い話、聞きたいから荷物持ちしてくれたんでしょ? 今の話でどう? 今なら会談時の録音データと、集合写真付き。その他、行きつけの店や関連会社のリストも付けてあげるわ」
「集合写真って……。お前そんな物、どうやって撮った?」
「それは素直に『こんな有名な方とご一緒する機会なんてなかなか無いので、私と一緒に記念写真を撮って貰えません?』ってお願いしたら、皆嬉々として私を中心に集まってくれたわよ? そこを仲居さんにスマホで撮って貰ったの」
 平然と説明する貴子に、隆也は呆れ果てながら質問を続けた。


「……確かに一緒に写真を撮られても、どうこう文句はつけられないと思うがな。色々な意味で警戒されなかったのか?」
「真っ正直に申告したもの。『自分のブログにUpしたいので、どうしてもお顔を出したらまずいなら良いですが』って。それから『先生達とお会いした事、こういう文章で載せても良いですか?』って、誉め言葉てんこ盛りの文章をその場で書いて見せたら快くOK貰って、早速更新したブログ画面見せたら全員悦に入ってたわよ?」
「大馬鹿揃いだな」
(この凄腕親父キラーが)
 もう何も言う気がしなくなった隆也に、貴子が笑いを堪える様な口調で話を続けた。


「その時に、私が料理以外に関しては物知らずだと思って、親切ごかして色々教えてくれたのよね。競売物件を安く手に入れる方法とか、当選宝くじを割増購入する人間が居るとか、無駄の無い節税の仕方とか、未公開株を無償で譲渡しようとか」
 それを黙って聞いた隆也は、少し考え込んでから疑わしそうに問いを発した。
「それは問題が無い様に言い換えてはいるが……、要するに入札や競売妨害やマネーロンダリングや脱税や詐欺の片棒を担ぐって事じゃないのか?」
「有り体に言えばそうなるかもね。御しやすいと思ったら、呆れる位ペラペラ話してくれちゃって。勿論本人は核心には触れてないから大丈夫だと思ってるけど、バレバレなのよね」
 そう言って若干馬鹿にする様に笑った貴子だったが、隆也は同調せずに眉を寄せた。


「……そこまで詳しい話を聞いてるって事は、会ったのはその時一度きりって訳じゃないな?」
「個別に何回か。皆さんケチに見られるのがお嫌いな上、私の職業が職業なだけに、毎回厳選した会食先を選んでくれて嬉しくて。舌が肥える一方だわ」
「体が肥える前に、火遊びは程々にしておいた方が良いぞ?」
「あら、忠告してくれるわけ?」
「美味い飯の分、それ位はな」
「なるほど、道理だわ」
 貴子がちょっと意外そうに見やると、隆也は持っていた箸で器を軽く叩きながら応じる。取り敢えず料理の腕は誉めて貰ったらしいと苦笑した彼女に、隆也は怪訝な顔で問いを重ねた。


「しかしその話……、俺に話しても構わんのか?」
「はぁ? 聞かれて拙いなら、そもそも話題に出さないけど?」
「そうじゃなくて。親父さんに話して無いのか? お前の父親は宇田川啓介第十三方面本部長だと思ってたんだが」
 隆也がそう述べた瞬間、貴子の顔は感情が削げ落ちた作り物めいた代物になった。


「……本人から聞いたわけ? 私が娘だって」
 その低い声から敏感に怒りを感じ取った隆也は、下手に弁解せず知っている内容を口にした。
「いや? 宇田川なんて珍しい名字だし、家族構成を調べてみたら子供はニ男一女とあったし、妙に警察組織に詳しそうだったから、ひょっとしたらと思っただけだ」
「……そう」
 すると貴子は如何にも不機嫌に黙り込んでから、何とか気を取り直したように顔を上げて淡々と告げた。


「確かに血縁上は父娘おやこだけど、殆ど赤の他人だから。気にしないで」
「分かった」
(躾云々の話といい……、これは相当確執が有りそうだな。これ以上触れるのは止めておくか)
 不必要に追及する必要性を認めなかった隆也は、その話はそこで終わりにする事にし、それからは時折当たり障りのない会話をしながら、料理を味わう事に専念した。
 その後食べ終えた隆也はソファーに移動し、貴子が出してきたリストや録音データを確認していたが、一通り聞き終えてからイヤホンを取り外しつつげんなりした声を出す。


「全く……、呆れて物が言えんぞ。何だこれは?」
 それに僅かに咎める響きを感じ取った貴子は、若干拗ねた様に反論した。
「だって、こっちはか弱い女なのよ? いざって言う時の保険はかけておくべきじゃない?」
「か弱いかもしれんが、脅迫のネタを押さえておこうと考える辺り、図太さは相当だぞ?」
「処世術と言ってよ。失礼ね」
 ムッとした顔になった貴子に、どう言い聞かせるべきかと思案しながら視線を動かした隆也はある物に気が付き、取り敢えず説教を後回しにする事にした。


「ところで、随分良い酒を揃えてるじゃないか。好色親父共からの貢ぎ物か?」
「それならここまで趣味が良くないわよ」
「自分のチョイスを趣味が良いと自画自賛か。まあいい、一杯くれ」
 リビングボードの中に並んでいる、幾つかのボトルの中の一つを指差しながら要求すると、貴子は怪訝な顔になった。
「飲酒運転で経歴に傷を付ける気? それとも運転代行サービスを頼むの?」
「はぁ? まさかお前、俺を追い返す気か?」
「…………」
「…………」
 しかし負けず劣らず隆也も当惑した顔付きになり、二人は無言で顔を見合わせたが、そのうちに、どちらからともなく含み笑いが漏れてくる。


「何か、人の事を好き放題言ってた様な気がする上……、ゲテモノ食いの趣味がある様には見えなかったんだけど?」
「安心しろ。俺は選り好みはしないし、食べ残したりしない主義だ。普通の人間より懐が広いからな」
「それは良かったわ。後でろくでもなかったなんて、文句を言われるのは御免だもの」
「食わせて貰って文句を付けるとは、随分狭量な男が居たものだな。もう少し相手を選んどけ」
「若気の至りって奴よ」
 そこで貴子は笑いを堪える表情で立ち上がった。


「じゃあグラスを持って来るから待ってて」
「ついでにつまめる物もな。どうせお前も飲むんだろ?」
「はいはい、少々お待ち下さい」
 結構厚かましい事を言ったにも係わらず、どうやら容認する事にしたらしい貴子に、(想像以上に面白い女だな)との感想を新たにしながら、隆也は渡された物の有効利用を頭の片隅で冷静に計算し始めていた。





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