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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第5話 貴子の暴走

「あっ、と……。やだ、落としちゃった!」
 ボールペンがタイル張りの床に落ちたと同時に、貴子はさり気なく背後に向かってそれを軽く蹴り転がした。そして若干高めの声で独り言を漏らしてから、椅子から立ち上がって周囲の床を見回す。
「えっと……」
 キョロキョロと見回してから狙い通り隣のテーブルの下にそれが転がっていたのを認めた貴子は、背中合わせに座っていた衣笠に控え目に申し出た。


「すみません、テーブルの下にボールペンが転がってしまいましたので、取らせて貰って構いませんか?」
「……あ、ああ」
「ありがとうございます」
 戸惑いながらも衣笠は軽く頷き、それに貴子は笑顔で礼を述べてテーブルの下に手を伸ばした。そして首尾良くボールペンを取りながら、ブラウスの袖に隠しておいた携帯をこっそり取り出し、窓際の床に置いて何食わぬ顔で再び立ち上がる。


「お騒がせしました。……あら?」
 改めて衣笠を眺めた貴子が怪訝な顔をした為、衣笠は僅かに顔を強張らせて警戒モードに入った。
「……何かな?」
 しかしそれには構わず、貴子は唐突に言い出した。


「おじさんって調理師かしら? しかも和食関係」
「どうして分かる?」
 衣笠が皺の深い顔に驚きの表情を浮かべて問い返すと、貴子は笑って自分の右手の甲から、親指と人差し指にかけてなぞりながら理由を説明した。
「何かここら辺が、長年包丁を握ってる感じ。そしておじさんは和食のイメージ。……これって偏見かしら?」
 そう言って悪戯っぽく笑ってみせた貴子に、衣笠も思わず笑いを誘われた。


「自分では分からないが、ペンダコならぬ包丁ダコでもあるかな? それにそれが分かるって事は、お嬢さんも調理師かい?」
 一気に緊張がほぐれたらしい衣笠が気楽な調子で尋ねると、貴子も笑顔で応じた。


「おじさんと比べたらひよっこだと思うけどね。お嬢さんなんて久しぶりに言って貰って嬉しいし、ここで会ったのも何かの縁。ちょっとおじさんに意見を貰いたいんだけど駄目? 何かさっき待ち合わせとか何とか言ってたみたいだけど、そろそろ相手が来ちゃうかしら?」
「いや……、随分早めに来てしまって、正直暇を持て余していたんだ。最近は若い子と話す機会も無いし、こんなおじさんで良かったら話し相手になるよ」
 立て板に水の如く申し出てきた貴子に一瞬唖然としたものの、衣笠は貴子に押し切られる形で苦笑しながら頷いた。それに気を良くしながら、貴子が衣笠の向かい側の椅子に座って話し始める。


「良かった。じゃあ早速だけど、今度私が所属してる料理学校が、ジャパン・フード・フェスティバルに参加するの。知ってる?」
「名前だけは。国内では珍しい食材や、最新式の調理器具などを紹介したり、展示販売する大規模な催し物だろう?」
「そう。商社や製造業や食品関係団体が入り乱れて毎年盛況なんだけど、うちも色々な業者と組んで新しいレシピや調理器具を紹介したりするの」
「なるほど」
「それで、うちの代表として私がデモンストレーション担当になったんだけど、来場者に試食して貰うメニューのレシピで悩んでるのよ」
 それを聞いた衣笠は、感心した様に貴子を眺めた。


「料理学校の代表とは凄いな。先生かい?」
「まあ、そんなところね」
「そんな凄い先生に、俺の意見なんか必要かな?」
「取り敢えず聞いてて。それでね? 纏めて作りやすくて、万人受けするカレーにしようと決めたんだけど、せっかくそういう場所で振る舞うんだから、変わった物にしたいの。和風カレーとか」
 そこまで聞いた衣笠は無意識に腕を組み、難しい顔で考え込んだ。


「和風ねぇ……。確かにカレーうどんは鰹だしの汁とも喧嘩しないから、アイデアとしては良いかも知れないが」
「でしょう? だけど具を何にするかで煮詰まっちゃって。根菜だと里芋とか牛蒡とかのカレーとかは、既に出てるし。おじさん北陸の出身でしょ?」
「な、何で分かった?」
 いきなり自分の出身に言及されて衣笠は狼狽したが、貴子は何でもない事の様に告げた。
「アクセントが、昔付き合ってた金沢出身の男に似てるなと思って。違う?」
 殆ど確信している様な口調に、衣笠は変に隠す事を諦めた。


「いや、違わない。富山出身で若い頃からあちこち行ってたが、最近は戻っててね」
「やっぱり! 私の勘も捨てたものじゃ無いわね。北陸って魚介類の水揚げが多いけど、特に富山湾って急に水深が深くなるから、近海で取れる魚の種類が多いでしょう? だから色々作ったり食べ慣れてるわよね?」
 手を打ち合わせて無邪気そうに喜び、嬉々として尋ねてきた貴子に、衣笠は何故彼女がどこの人間かなどと言い出したのが分かって、安堵しつつ苦笑いで答えた。


「なるほど。そうすると、その和風カレーの具は、魚介類をベースにするつもりか」
「正解! だけどイカとかエビとかアサリとかだと普通のシーフードカレーだし、どうしようかなって」
 そう言って「う~ん」と考え込んでいる貴子の前で、衣笠も律儀に悩み始めた。


「確かに。だが普通に魚の身を入れて煮込むと、すぐに崩れて跡形も無くなるぞ? 確かに挽き肉を使ったキーマカレーみたいなのも有るがなあ」
「開き直ってそんな考えでも良いかもね。ただ淡白な白身魚だと、味わいが弱いかも」
「予め別に焼いて香味や旨味を出しておくとか、味付けしておくとかは? 煮込んだ後の歯ごたえ重視なら、ナマコやトコブシとかを圧力鍋で下拵えして使っても良いかもしれんが。牛蒡とかにも合うだろうし。とろみとくどくない食感なら山芋も使えると思うし、香辛料のアクセントとしてローリエの代わりに山椒の葉脈を潰して」
 そこで考え付くまま喋っていた衣笠の台詞を遮って、貴子が勢い良く立ち上がった。


「おじさん、ちょっと待って! 本格的にイメージ沸いてきたわ。書きなぐっておくから!」
「先生も大変だな」
 慌てて自分の席に戻ってノートを掴んで戻った貴子が、再び椅子に座って猛然と何やらノートに書き始めたのを眺めて、衣笠は苦笑するしかできなかった。しかし、その一部始終を盗聴していた指揮車の中では、笑い事では済まない険悪な空気が広がり始めていた。


「一体、何をやってるんだ、あの女は!?」
「何か、カレーの具材で話が盛り上がってるみたいですね」
「待ち合わせ時間は大丈夫でしょうか? 本人は余裕があるとか言ってましたが」
 怒りも露わに隆也が机を殴りつけると、止せば良いのに相川が控え目に状況説明をした為、上司から殺気立った視線を向けられる羽目になった。それを宥める様に桜田が最大の問題点に言及したが、それを受けて隆也が声高に叱りつける。


「安心できるか! 待ち合わせ相手に女が同席してるのを見られたら、不審がられる。ただでさえ外から監視し易い様に、窓際の席を空けさせたんだぞ!」
「どうしましょうか? 本人が納得ずくで話している所に店主や捜査員を割り込ませるわけにも……。衣笠に不審がられます」
 難しい顔で桜田が取り敢えずの対応策を考え始めると、隆也は少しだけ考えてから舌打ちしつつ勢い良く立ち上がった。


「ちっ! ……俺が何とかあの馬鹿女を引き剥がして、回収してくる。桜田、十分だけここの指揮を頼む」
「分かりました。宜しくお願いします」
 憤然として隆也が車から降りていくのを見送ってから、相川は自信なさげに桜田にお伺いを立てた。


「大丈夫でしょうか?」
「課長は若いが切れるし、腕も立つ人なのはお前だって良く分かってるだろう。心配しないで任せておけ」
「はぁ……」
 自信に満ちた表情で即答した桜田と、未だ不安が払拭できない相川は、それから黙ってスピーカーから聞こえてくる衣笠のテーブル付近の音声と、モニターに映る店の外観に意識を集中する事にした。


 一方、車を降りた隆也は真っ直ぐ問題の店に到達し、ドアを開けて店内に入った。その姿を認めて店内の捜査員達は動揺しかけたが、隆也が鋭い視線でその動きと声を封じる。
 次に綺麗に物騒な気配を消してから、衣笠と貴子がいるテーブルに歩み寄った。


「ここに居たのか、貴子。探したぞ」
 恋人同士を装う事にした隆也は、テーブルに片手を付きつつ貴子に声をかけ、目線で(余計な事は言うなよ? 黙って俺の話に合わせろ)と脅した。取り敢えず貴子は隆也の芝居を無にする様な真似はしなかったが、その鋭い視線を真正面から受け止めても微塵も動揺せず、片手を振って「あっちに行け」と追い払う素振りをする。


「何よ。あんたなんかお呼びじゃ無いわよ。ほっといて」
「そうはいくか。あんな書き置き一つでトンズラしやがって。俺がどれだけ心配したと思ってる」
「心配してくれなんて、言った覚えは無いわよ」
「いい加減にしろ、貴子。取り敢えず帰るぞ」
 テーブルの向かい側から困惑気味の視線を受けているのを意識しつつ、隆也は痴話喧嘩を装いながらすました顔でそっぽを向いている貴子に再度辛抱強く語りかけ、次いで衣笠に向かって殊勝に頭を下げた。


「すみません、こいつがお邪魔しました。また強引に他人のテーブルに押し掛けたんですよね? いつもこんな調子なんですよ」
「いや、俺は気にしてないから」
「ほら、貴子。こちらの方にお詫びして行くぞ」
 苦笑気味に衣笠が頷いた為、隆也は身体を屈めつつ貴子の腕を掴み、その耳元で低い声で囁いた。


「お前、張り込み中だと分かってやってるよな? 俺にこんな小芝居させて、ただで済むとは思うなよ?」
 彼の部下達が聞いたら瞬時に真っ青になる地を這う様な声音も、貴子には全く意味が無かったらしく、同じ様に隆也だけに聞こえる声で毒づく。
「芝居? どこがよ、この大根」
「何?」
 そこで貴子は隆也の手を力任せに振り払いつつ、盛大に叫んだ。


「さっきからゴチャゴチャうるっさいわね! あんたの様に多少見た目は良くても、実は短小早男なんか願い下げだって言ってるのが分からないわけ!? さっさと消えちゃって! 目障りよ!!」
 貴子がそう叫ぶと同時に店内に不気味な沈黙が満ちたが、それも一瞬で、すぐに彼女以上の隆也の怒声が店内に響き渡った。


「何だとこの馬鹿女! ふざけるのもいい加減にしろ!? そんなに痛い目をみたいのか!?」
 隆也が憤怒の形相で貴子の腕を手加減なしで捻り上げると、流石に貴子の悲鳴混じりの声が上がった。


「いたたたたっ!! ちょっと! 本当の事言われたからって、八つ当たりはよしなさいよね!?」
「何が本当の事だ! 大体お前と俺がいつ」
「こら、止めないか! 女性相手に乱暴はいけないだろう! 落ち着け!」
 狼狽して立ち上がった衣笠が、テーブルを回って二人に近寄り、貴子の腕から隆也の手を剥がそうと手を伸ばして掴む。そして味方を得た貴子が、勢い込んで言い放った。


「ほら! おじさんだって言ってるじゃない!」
「貴様……」
 ぎりっと小さく歯軋りをした隆也だったが、衣笠に変に怪しまれないようにこれ以上は抑えておく必要があると認め、忌々しげに手を離した。そして貴子は自由になった腕を擦りながら「これだから野蛮人は……」などとブツブツ呟いて隆也のこめかみに青筋を浮かべさせたが、それを聞き咎めた衣笠が、難しい顔になって貴子に言い聞かせる。


「お嬢さんも、幾ら本当の事とは言え、あんな事を第三者の前で公言されたら相手の立場が無いだろう。そういう事は思っても口に出しては駄目だよ?」
 そう言われた貴子は、意外にも口答えや反論をせずに、軽く頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「すみませんでした」
「俺じゃ無くて、彼に謝るんだな」
 すると、引き続き素直に隆也に向き直って頭を下げる。
「……悪かったわ」
「ああ」
 しかし頭を上げた時、一瞬貴子がその顔に浮かべた噴き出す寸前の表情を認めた隆也は、怒りで腸が煮えくり返った。


(この女……、絶対面白がってやがる。誰が短小早男だと? 言いがかりをつけるな!! それに第一、どうして俺が容疑者に説教される羽目になるんだ!?)
 そんな風に、隆也が内心で必死に怒りを堪えているうちに、貴子は窓際に座り直した衣笠に笑顔を向けた。


「やっぱりおじさん、良い人だわ。普通だったら痴話喧嘩なんて、迷惑に思って放っておくじゃない」
「さすがに目の前で痴話喧嘩が勃発したら、無視もできないさ」
「じゃあおじさんが面倒見の良い人なのを見込んで、意見を聞きたい事がもう一つだけあるんだけど」
 そう言いながら貴子も再び椅子に座ってしまった為、隆也はこれ以上居座られてたまるかと、慌てて貴子の腕を掴んで引っ張った。


「おい、貴子。いい加減にしろ。ご迷惑だろうが」
「これが終わったらちゃんと帰るわよ! それでね? 私少し前に、おじさんと同世代の人に相談されたの」
「ほう? どんな?」
 隆也を完全に無視して貴子が話し出した内容に、衣笠は幾分興味を惹かれた様に応じたが、すぐに顔から表情を消した。


「それが……、その人前科持ちでね。出所後は真面目に働いてたんだけど、急に大金が必要になって、犯罪の片棒を担ぐ羽目になっちゃったのよ」
「…………」
「おい、いきなり何を言い出すんだ、お前は」
 途端に衣笠は黙り込み、予想外の話の流れに隆也は頭を抱えたが、貴子はにこやかに笑いながら注意深く衣笠の様子を窺った。


(まあ、前科持ちだって事は想像付いてたけどね。でも、根っからの悪人じゃなさそうなのよね。うっかりギャンブルに嵌って、魔が差して強盗とか横領とかかなぁ……)
 そんな事を考えつつ、貴子は話を進めた。


「別れた奥さんが育てた息子さんが難病で、手術しないと助からないんだけど費用が高くて工面できないから、某政治家の裏金を溜め込んだ隠し口座から、人知れずがっぽり引き出して奪うって話を持ちかけられ」
「ちょっと待て! それは本当の話か!?」
「いちいちうるさいのよ。人の話は黙って聞けと習わなかったの!?」
(ふぅん? この人『息子』にも『病気』にも無反応。となると、ベタな話だけどこれとかかな……)
 血相を変えて隆也が話に割り込んできた為、邪魔された貴子は腹を立てて叱り付けた。その間も横目で衣笠の様子を確認してみた貴子だったが、思うような反応が無かった為、次の話に移す事にする。


「それで、私、おじさま達に相談されやすい容姿や雰囲気みたいで、同時期に同じ前科持ちの人にまた相談されちゃったの。その人はおじさんと同様、日本海側に住んでてね? 密輸関係の仕事に足を突っ込んじゃって。……ほら、海の向こうから色々渡って来るじゃない? 好むと好まざるとに係わらず」
「……何が?」
 どこか思わせぶりに尋ねた貴子に、衣笠が警戒心も露わに問い返した。隆也も(何を言い出す気だ)と下手に口を挟まずに慎重に成り行きを見守ったが、ここで貴子があっけらかんと言い放つ。


「ほら~、色々あるでしょう? 海苔とかキャビアとか韓流ドラマとか?」
「…………」
(あ、やっぱりおじさん、薬とか偽札とか改造銃とか言われるかと思ってたのね。ちょっとその顔可愛い)
 予想外過ぎる単語の羅列を聞いた衣笠は、緊張の糸が切れたらしく口を半開きにして目を見開いて固まり、とうとう怒りが振り切れた隆也は力任せに拳でテーブルを殴りつつ、貴子を盛大に怒鳴りつけた。


「どこまでふざけてるんだ、お前はっ!?」
 しかし如何にも心外そうな顔と口調で、貴子が話を元に戻す。
「えぇ~? 真面目に話してるのに、酷いわねぇ。……あ、それで、その人の別れた奥さんが苦労して育てた娘さんが、近々結婚する事になったの。だけど相手のご両親が『犯罪者の娘なんて冗談じゃない』って良い顔をしてないそうでね」
「…………」
 そこで如何にも困った様に貴子が溜め息を吐いて見せると、衣笠は無言のまま項垂れた。それを見た貴子と隆也が、揃って素早く考えを巡らせる。


(あら、図星っぽい。じゃあこの方向で、もうちょっとつついてみようかしら?)
(ちょっと待て、確かにこいつの家族構成の欄には、別れた妻との間に三十手前の娘が一人いると記載されてた筈……。こいつ、何をどこまで察して探りを入れてるんだ!?)
 貴子は真顔で相手の攻略に取り掛かる事にし、隆也は下手に割り込んだら張り込みが台無しになる可能性を恐れ、貴子を強制排除するデッドラインを見極める為、腹を括って貴子の隣の椅子に腰を下ろした。





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