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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第3話 悲しき宮仕え

 係長全員を集めての定期会議での最後の議題に、課長である隆也がそれを挙げた途端、予想通り周囲から困惑と不満の声が上がった。
「結婚詐欺、ですか?」
「それはまた、随分毛色の違う内容ですね」
「おいおい、課長。そんなのはニうちで扱うネタじゃ無いだろう?」
「詐欺は詐欺でも、ここはもっとデカいヤマじゃないとキリがないぞ」
 階級だけ下であり、年齢も経験も自分より遥かに重ねている、一癖も二癖もあるノンキャリアのベテラン達が特に遠慮の無い声を上げたが、そんな反応は予想の範囲内だった為、隆也は苦笑いしながら彼らを宥めた。


「それは俺も激しく同感なんだが……。実は被害者の一人が、元某県警本部長殿だ。それで上から『警察の威信にかけて徹底的な捜査を』とのお達しが下ったわけだ」
 それを聞いた面々は、お互いにうんざりとした顔を見合わせる。
「マジですか……」
「どんな間抜けな元本部長だよ」
「そりゃあ体裁は悪いわな」
 そんな呟きを一通り聞いてから、隆也は手元の書類を捲りながら、詳細について言及した。


「報告書に記載されている手口を見ると、少しは被害者に同情するな。被害者に共通しているのは、料理学校の高齢男性初心者対象の教室受講者だ。そこで犯人に目を付けられたらしい」
「料理教室?」
「何ですか? それは?」
 途端に怪訝な顔になった部下達に、隆也は説明を加える。


「ある程度の年齢になってからそういう教室に通う男なんて、妻と死別か離婚して独り身になった上、面倒を見てくれる家族が近くに居ない状態の人間が殆どだろう? 元々料理が趣味なら、もっと本格的なコースに入るだろうし」
 それを聞いて、誰かが唸る様に感想を述べる。
「なるほど……、結婚詐欺を仕掛けようと思ったら、そういう所に入れば、周りはカモだらけなんですね?」
「ですが男性対象なら、女性は受講できませんよね?」
 続いて素朴な疑問が上げられたが、隆也が小さく頷いて話を続けた。


「これまでの傾向だと、まず男の共犯者が教室に入り込んで、対象者と親しくなってから『知り合いの未亡人で、あなたと気が合いそうな人を知ってるから会ってみないか?』と誘いをかけるらしい」
 それを聞いて、その場全員が納得した様に頷いた。


「なるほど。案外夫婦で詐欺行為をしてるとか、ですかね?」
「その可能性は大だな。しかも『息子が年を取ってから再婚なんて、外聞が悪いと反対してるから事実婚で構わないんです』とか言って丸め込んで、保険金詐欺とかじゃないと安心させたり、被害者の親族にも巧妙に関係を悟らせ無いようにしているらしい」
「悪質ですな」
「息子役とかも実子で、一家で詐欺行為とかしてたら世も末だ」
 不愉快そうに述べながら一同は顔を顰めたが、それは隆也も同感だった。


「気が付いたら相手の貴金属や現金を洗いざらい持ち逃げ、または二人で住む為に契約したマンションを勝手に解約して、返還金を持ってトンズラしたりと、関東地方で荒らし回ってるらしい。しかもこれまでの捜査で、幾つかの料理教室掛け持ちで、同時進行で男を嵌めているらしい事まで分かっている」
「それはそれは勤勉な事で」
「それ位の熱心さで、真面目に働けよ」
「それで、先月最後に居場所が確認されたさいたま市で、埼玉県警が踏み込んだが一足違いで取り逃がしたらしい。ただ相当慌てていたらしく、残されていたPCの消去データを復旧させてみたら、都内の幾つかの料理教室のトップページにアクセスした形跡が残っていたそうだ」
 隆也がそこまで言ったところで、聡い部下が先回りして推測を述べた。


「そうするとその料理教室が、連中の次の“狩場”になる可能性が有るんですね?」
「上層部はそう見ている」
 重々しく隆也が頷いたが、ここで真っ当な意見が出された。


「それは分かりましたが、課長。その料理教室の所在地の所轄に連絡して、捜査を任せれば良いだけの話では?」
 それを聞いた隆也は、皮肉っぽく口元を歪めてから小さく肩を竦めて見せた。
「俺もそうしたいのは山々なんだが、さっきも言った様に警察の面子を守る為、どうしても上の連中は、本庁自ら動いてるってポーズを取りたいらしい。……そういう訳で、西脇警部補。時間を見て先方への事情説明と、情報提供依頼の話をしてきて欲しい。ついでに所轄署への根回しもだ」
 五十代半ばの実直そうな外見の部下に顔を向けながら指示すると、相手は気を悪くする事無く静かに応じた。


「了解しました。因みに該当する教室はどこでしょうか?」
 その問いかけに、隆也は書類の中から一枚のリストを取り出し、彼に向かってそれを回しつつ淡々とその名前を告げた。


「新宿の柳井クッキングスクール、駒込の中島クッキングスクール、吉祥寺の霜上料理教室だ。その紙に連絡先と住所が記載してある。それと、これまでの捜査で分かった犯人グループと思われる面々の資料も、後から渡しておく」
「分かりました。今日中に先方に連絡を取って、明日までに話をつけておきます」
「頼む。それではこれで終了とする。各自、指示通り宜しく」
 隆也の口から解散の指示が出た途端、一人も時間を無駄にする事無く無言で小さく会釈して立ち上がり、早速自分の仕事に取りかかった。そして隆也は会議室に持ち込んだ資料を纏めながら、一番上になっている資料を見下ろしつつ、密かに眉を寄せる。


(しかし……、最近この柳井クッキングスクールの名前を、どこかで見たか聞いた覚えがあるんだが、どこだったか……)
 思わず手を止めて隆也は考え込んだが、そこに控え目な声がかけられた。


「課長、あの、すみません」
「ああ、どうした?」
 我に返った隆也が顔を向けると、自分とそう年の変わらない相川が、真剣な顔で報告する。


「二ヶ月前に発見された、例の偽造紙幣の出所ですが、有力と思われる情報が入りました」
「どこからだ?」
 そして瞬時に真顔に戻った隆也の中では、傍迷惑な結婚詐欺の話は、頭の片隅に片付けられてしまったのだった。




 柳井クッキングスクール事務所棟の廊下を歩いていた貴子は、前を歩く明るい栗色の髪の後ろ姿を認め、足を早めて近付きながら声をかけた。
「お久しぶりです、理事長」
 その声に足を止めて振り向いた、ここの柳井調理師学校及びクッキングスクール創業者一族で、現理事長を務める小柄な六十代の女性は、年に似合わずあまり皺の目立たない顔を、可愛らしく綻ばせた。


「こんにちは、宇田川さん。今日は講義日よね。宜しく」
「はい、こちらこそ。ところで今日は呼び出しを受けて早めに出向きましたが、何か不都合でも有りましたか?」
 僅かに心配そうにお伺いを立てた貴子に、柳井は再び歩き出しながら笑って片手を振る。


「あなたに対して何か不都合があった訳では無いの。もうすぐ警視庁の方がいらっしゃる予定でね。あなたが担当している教室に関する事だから、一緒に話を聞いて貰った方が早いと思って呼んだのよ」
「警視庁、ですか……」
 並んで歩きながら無意識に渋面になった貴子の顔を眺めた柳井は、話題を変える必要性を感じた。


「詳しい話はその時にね。だけど以前から聞きたかったんだけど、外で随分活躍しているんだから、そろそろここの講座を受け持つのを止めようとか思わないの?」
 皮肉や嫌味は含まれていない、好奇心のみの口調だった為、貴子は苦笑してそれに答えた。


「メディアに露出しているのは、私としても不本意ですから。本音を言えば、調理指導に専念したいです」
「それなら独立を考えても良いのに。今のあなた位の知名度があれば、生徒さんは十分集まるわよ?」
「最初はそれも考えていましたが……、個人で教室を構えた途端、ウザい横槍が入るのは嫌ですので。ご迷惑でしょうが、もう暫く大手の傘の下に居させて下さい」
 過去のあれこれを考えるとあまり笑えない内容ではあったが、貴子が調理師学校に入学して以来の付き合いである柳井は、鷹揚に笑って頷く。


「それはこちらとしても大歓迎よ。特に中高年層の男性クラスでは、あなたは『鬼軍曹』って人気抜群だし」
 茶目っ気たっぷりにそんな事を言われて、貴子は失笑してしまった。
「恐れ入ります。何度聞いても、微妙な誉め言葉ですが」
 そこで柳井は微笑みながら、軽く貴子の肩を叩いて諭す。


「色々あるでしょうけど、面倒なあちらさんの事はあまり気にしないで、ここでは気楽にやっていきなさい。あなたが仕事で手を抜くタイプの人間で無い事は、私は良く分かっていますからね」
 それを受けて、貴子は足を止め、柳井に向かって軽く一礼した。
「はい、ありがとうございます。そうさせて貰います」
 それから二人で歩きながら、柳井は新しい話題を持ち出した。


「ああ、それから、今度のフード・フェスティバル、うちの代表として高倉さんと加賀見さんと一緒に出てくれるのよね? 新しいレシピ、楽しみにしてるわ」
「はい。ご期待に沿える様に頑張ります」
 そこで前方のドアが開き、廊下に出てきた事務員の制服を着た女性が、貴子達の姿を認めて安堵した表情を見せた。


「あ、理事長、宇田川先生! お客様がいらっしゃってます。応接室にお通ししておきましたので、お願いします」
「分かりました。行きましょうか」
「はい」
 貴子を振り返って促した柳井は、彼女を引き連れてそのまま応接室に入った。そして予めアポイントを取っていた初老の男性と初対面の挨拶を交わし、簡単に自己紹介し合ってソファーに落ち着く。


(あらあら、たかが結婚詐欺に警視庁刑事部捜査ニ課の警部補さんが出向いてくるなんて、ご苦労様だこと。本来なら贈収賄や脱税、選挙違反できりきり舞いをしてる筈なのにね。確かに詐欺事件も扱う筈だけど、もっと知能犯が係わっている案件だと思うんだけど)
 相手の話を黙って聞きながら、貴子は呆れと憐憫が半々の視線を西脇に向けていたが、一通り事情説明が終わったところで、柳井が困惑気味に口を開いた。


「そちらのご訪問の主旨は分かりましたが、該当する教室に所属する全員分の個人情報の提出となりますと……」
 渋る柳井の台詞に、貴子が言葉を重ねる。
「生徒の皆さん全員を、無条件に容疑者扱いしないで頂きたいですわ。警視庁が動くなら住所は分からなくても、容疑者の鮮明な顔写真や本名位提供頂けますよね?」
「いや、それが……、一応似顔絵や、監視カメラの映像から起こした物は有りますが」
 きつい口調に西脇が僅かに怯みながら弁解すると、貴子は鼻で笑った。


「あら、本気で捕まえる気が無いんでしょうか? そんな適当な情報だけで、私達に怪しげな人物を通報しろなんて、他力本願過ぎると思いますが」
「宇田川さん!」
 慌てて柳井が小声で窘めたが、西脇はそれほど気分を害した様子も見せずに、軽く頭を下げて弁解する。


「先生にはさぞかしご不快な事かとは思いますが、課長が上層部から指示を受けておりまして」
 そこで貴子は何気なく確認を入れてみた。
「因みに課長さんのお名前と階級、実際に指示をされた上層部の方のお名前を伺っても宜しいかしら?」
「課長は榊隆也警視正ですが、上の方は存じ上げません。それが何か?」
「いえ、ちょっとした好奇心です。お構いなく」
 怪訝な顔で応じた西脇に貴子が愛想笑いで返すと、年長者二人は再び難しい顔で話し出した。


「そうですか。……それで理事長。一応犯人グループの分かっている特徴はお伝えしておきますので、該当する人物が受講されたらご一報頂きたいのですが」
「それは……、勿論私どもといたしましても、ここが犯罪の温床になる事態は避けたいので協力は惜しみませんが、いつまで警戒すべきか現時点ではっきりとしていない上、この内容ですと中高齢男性なら、殆どの方が当てはまりそうなので」
(榊……。この人の良さそうなおじさんは、あの時のいけ好かない奴の部下か。しかもこんな所轄に任せておけば良い仕事で、わざわざ本庁の二課を動かすなんてごり押し、あの派閥辺りの横槍? それでその榊って奴はその一派じゃないでしょうね?)
 他の二人に負けず劣らずの難しい顔つきで、ごく最近遭遇した男とその周辺について考え込んだ貴子だったが、結論を出すのは早かった。


「すみません、西脇さんと仰いましたね。普段お料理はなさっていますか?」
 唐突に貴子に問われた内容に、西脇は目を丸くしながらも正直に答えた。
「あ、いえ、専ら女房が作っていますが……」
「それなら暫く私の担当する講座に通ってみませんか?」
「え?」
「宇田川さん?」
 優雅に微笑みつつの提案に、西脇は勿論柳井も戸惑った顔になったが、貴子は理路整然と説明を続けた。


「私は平日夜と土曜の夜に、高齢者男性向けの教室を受け持っています。お話の犯人グループの手口では、共犯者の男がまず受講して、被害者と接触してるんですよね? 刑事さんが一緒に受講されているなら、素人より怪しい人間が判別し易いかと思いますが」
「はぁ……、それはそうかもしれませんが」
「私も、自分の生徒さんがそんな犯罪の被害者になるのは嫌ですもの。犯人が検挙されて安心できるまで、ここに生徒として通ってみて下さい。受講料は勿論、私が負担しますわ。もし犯人がここに現れなくても、費用を支払えなんてケチな事は言いませんし、刑事さんは調理の腕前を少しでも上げられる。双方にとって悪い話ではありませんよね?」
 にっこり笑いつつ同意を求めた貴子に、西脇も幾分困った様に頷く。


「それは、まあ……。私としても、定期的に周囲に怪しまれずに様子を見に来る事が出来れば、それに越した事は有りませんが……」
「どうでしょうか、理事長。こちらに迷惑はかけませんので」
 貴子が神妙にお伺いを立てると、柳井は腹を括ったらしく真顔で頷いた。


「あなたがそう言うなら、支障はありません。あくまで刑事さんが個人の立場で通う分には、変な噂も立たないでしょう」
「ありがとうございます。そういう事ですので、一応これから入会手続きだけして頂けますか?」
 柳井の言葉を受けて貴子は西脇に向き直り、再度受講を促した。それで西脇も、幾分照れくさそうに頭を掻きながら頷く。


「分かりました。こんな機会でもないと、こういう場所に入り浸る事も、まともに料理を習うなんて事もないでしょうから、暫くお世話になります。この年になってから新入生だなんて、少し恥ずかしいですが」
 それを聞いた貴子は、明るく笑いながらソファーから立ち上がった。


「何かを始めるのに、遅過ぎるなんて事はありませんよ? それでは理事長、必要書類を持ってきますので」
「ええ、私は刑事さんから、もう少し詳しいお話を伺っておくわ」
 そして一礼して応接室を出た貴子だが、頭の中では目まぐるしく今後の算段を立てていた。


(全く、職場でいい迷惑よね。取り敢えず、あの西脇って警部補からあいつの情報を入手しつつ、あっち方面にも背後関係を聞いてみないと)
 そして応接室での愛想笑いの欠片もない仏頂面で、貴子は廊下を歩いて行った。



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