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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第4話 トラブルの萌芽

 ガラス越しに歩道を行き交う人の流れを横目で見ながら、貴子は右手を軽く上げた。そしてカウンター内にいる白髪頭の男性に、他の客がうるさく感じない程度の声をかける。


「マスター、スペシャルブレンドお代わり。あと、今度はシフォンケーキも一緒にお願いね」
「畏まりました」
 相手は若干引き攣り気味の笑顔を返してきたが、貴子はそれに気付かないふりをして再び手元のノートに目を落とした。そして真っ白なそれを、音もなく何回もボールペンの先で軽くつつきながら、密かに溜め息を吐き出す。


(何だかねぇ……。部屋に籠もって考えてても良いアイデアが浮かばないから、気分転換に朝からここに来てみたら“これ”だもの。忌々しいったらありゃしない)
 そして注意深く、相手に気付かれない様に店内の客を観察し、皮肉げな笑みを浮かべた。


(張り込みで外の様子を窺ってるにしては、窓際のテーブルに張り付くならまだしも、窓際のここ以外の三つに奥の二つ全部って有り得ないし。加えてカウンターにも四人座ってるし。午前中からこんな大盛況なんて、初めてじゃない? だけど珈琲一杯で何十分も粘るなんて、立派な営業妨害よね?)
 そうこうしているうちに顔見知りのマスターが、貴子の追加注文の品を持ってやって来た。


「貴ちゃん、お待たせ。はい、スペシャルブレンドとシフォンケーキ」
「ありがと、マスター。ここに来た時は、これを食べないとね。奥さん手作りのこれ、美味しいんだもの」
「ははっ、本職の貴ちゃんが手放しで誉めてくれるとは、お世辞でも嬉しいね。女房が喜ぶよ」
「あら、本当に美味しいわよ?」
 旧知の人物相手の会話で緊張感が解れたのか、ここの店主の宮部が笑顔で注文品をテーブルに置き、前のカップを回収していると、貴子がさり気なく問いを発した。


「そう言えばマスター。今日、この近くでこれから何かイベントとかあるの? 朝から珍しくお客さんが入ってるじゃない」
 その問いかけに、宮部は咄嗟に返答できずに口ごもり、店内の空気が微妙に緊張を孕む。


「……さっ、さあ、ね。偶には、こういう日もあるさ」
「そうよね。だけどいつもはもう少し店内がざわざわしてるのに、今日はお通夜みたいに妙に静かじゃない?」
「そうかい? いつもと大して変わらないと思うけど」
「さっきからちょっと不思議に思ってたの。まるで何かのドラマのロケか、張り込みみたいだな~って」
「たっ、貴子ちゃん!」
「きゃっ!」
 微妙に「張り込み」の所を強調する様に、貴子が店内に響き渡る様な声で告げると、宮部は狼狽して顔色を変え、離れたテーブルからは何かが倒れた様な音と小さな悲鳴が伝わって来た。そのどちらも聞こえなかったふりをして、貴子が明るく楽しげに声を張り上げる。


「な~んてねっ! 今日は偶々お上品なお客様ばかりなだけよね。店内の空気が落ち着いてるから、今日は仕事がはかどるわぁ~」
「そっ、それは良かったね。どうぞごゆっくり」
「そうさせて貰うわね」
 ニコニコと手を振って貴子が宮部を見送ると、出入り口とは反対側のテーブルから声が上がった。


「すみません、何か拭く物を貸して頂けますか?」
「どうぞ、こちらを使って下さい」
 そんなやり取りを耳にしながら、頬杖を付いた貴子が苦笑いしながら溜め息を吐く。


(ちょっとちょっと、これ位で動揺しないでよね。確かに平日の真っ昼間に、働き盛りの男ばかり喫茶店に陣取ってたらおかしいし怪しまれるけど、交通課の婦警でも動員したのかしら? それとも若いから、捜査課の新人とかかしら)
 そして先程宮部と会話している最中、注意深く周囲の様子を窺っていた貴子は、わざとらしくない程度に話し声が聞こえ始めてきた店内の、現在の状況をほぼ正確に把握した。


(さて、さっきので、店内は私とマスター以外、全員警察官という事で決定。そして店内で何かの事件の容疑者を待ち伏せ、と。マスターもとんだ災難よね。さて、面倒なのは御免だけど、どうしようかな……)
 そして指で軽くノートを叩きながら思案した貴子だったが、結論を出すのは早かった。


(滅多に遭遇しない事だし、面白そうだし、最後まで見て行こうっと。まだアイデアも纏まって無いしね)
 思い立ったら即実行をモットーにしている貴子は、素早く手を上げながら宮部に向かって声を張り上げた。


「マスター! お昼になったらクラブハウスサンド宜しくねっ!」
「は、はは……。元気良いね、貴ちゃん」
 それを聞いた宮部は乾いた笑い声を上げ、彼女が暫くここに居座るつもりだと分かった捜査員達は、揃って顔を強張らせたのだった。
 同じ頃、その喫茶店から広い通りを挟んで斜め向かいの位置に停車している、一見工事作業用に見える大型バンの指揮車の中では、側面に据え付けられたモニターを見ながら、隆也が悪態を吐いていた。


「全く……、危うく足取りが掴めなくなる所だったぞ。そもそも素泊まりの安ホテルに九時近くに踏み込んでも、大抵の奴はチェックアウトしてるだろうが。何の冗談だ」
「今回は、色々情報が錯綜していまして……。富山県警からの情報は上がっていたんですが、所轄に流れるのが遅れたようです。以後は徹底させます」
 溜め息混じりに相川が取りなしてきた為、隆也はそれ以上余計な事は言わずに、背後に佇んでいた係長の桜田に確認を入れた。


「それで、取り敢えず配置は大丈夫か?」
 それに桜田が頷いてから、詳細を説明する。
「奴の宿泊した部屋のメモ用紙に、上からの筆圧で残っていた跡の店の名前と簡単な地図の場所は、間違い無くあの喫茶店です。開店十五分後には所轄の捜査員を入れました。容疑者が土地勘が無い、携帯を持っていない人間で助かりました。ついでに待ち合わせ時間まで書き取ってくれていれば、もっと楽でしたが」
「しかしモーニングをやっていない、十時開店の店で助かりましたね。既に客として引き渡し相手が入っている可能性も有りますから、一人ずつ捜査員を入れて見張っていますが、こっそり事情を説明して店主に確認した所、まだ待ち合わせの客らしき人間は来店していないそうですし。開店以降居座ってる客は、女性客一人だけですから問題ありません」
 桜田の報告に相川が相槌を打ちながら付け加えたが、ここで隆也は険しい顔を向けた。


「ちょっと待て、相川。取引相手が男だとは限らんだろうが。変な先入観は捨てろ」
 その凄みすら感じる声音に、その場に居合わせた部下達は全員肝を冷やしたが、相川は何とか笑顔を浮かべながら弁解を試みた。
「いえ、彼女はあそこの店の常連で店主とは以前からの知り合いですし、俺も知ってますよ? まさか紙幣偽造団の一味なんて事は有り得ませんから」
「お前の知人? どんな知り合いだ?」
 怪訝な顔になった隆也に、今度は相川が意外そうな表情になった。


「向こうは俺の事を知りませんが、彼女、料理研究家の宇田川貴子ですよ」
「……宇田川?」
 途端に不愉快な記憶を思い起こし、忌々しさを隠す為無表情になった隆也に、相川が不思議そうに説明を続ける。


「あれ? 課長、ご存知ないですか? 料理の腕前もさることながら、見栄えのする容姿と歯に衣着せぬ物言いでバラエティー番組とかで結構人気で。女性誌とかにも頻繁に出てますよ?」
「一応、名前だけはな」
「そうですか?」
 首を捻りながらそこで貴子に関する話題を終わらせた相川だったが、隆也は目を閉じて眉間の皺を指で揉みほぐしながら、内心で呻いた。


(どうしてここでその名前が出てくる……。激しく嫌な予感がしてきたが、ここで取り逃がすわけにはいかないしな)
 そこで複数のモニターで外部の様子を監視していた解析担当技官が、そこから一番遠い所に設置してあるカメラの映像を見ながら、鋭い声を上げた。


「榊課長! 大久保方面から、衣笠容疑者らしき男が接近して来ます! 距離、およそ百五十!」
「至急、富山県警からのデータと照合しろ」
 瞬時に緊張感溢れる表情に戻った隆也が鋭く指示を出すと、技官の両手が素早く動いてコンピューターへの入力作業を済ませる。すると二分割されたモニターに二人の画像が表示され、どちらも全体的に不鮮明な画像ながらもあっという間に処理がなされ、十数秒後には判別結果が表示された。


「出ました。衣笠政弘本人です」
「よし、店内の全員に無線で伝達。被疑者が入店してもそのまま待機。引き渡し現場を確実に押さえる。それから外から一番見やすい窓側の席を一つ開けろ。それから例の、店内の女性客も排除」
「了解」
 そして通信担当技官がマイクに向かって簡潔に隆也の指示を繰り返しているのを聞きながら、桜田はがりがりと困惑気味に頭を掻いた。


「さて……、我々の動きを察知されていないと良いんですが」
「殆ど正体を隠したままで、初めて尻尾を出したからな。単なる運び屋じゃなくて、本体に繋がる人間を確保しないと話が始まらん。場合によっては公安部や組織犯罪対策部と特別捜査班を編成して、合同捜査に踏み切る事になるかもしれないからな」
「そこで主導権を握る為にも、ここで取りこぼす訳にはいきませんね」
「そういう事だ」
 そこで何やら焦った声で、通信技官が隆也に報告した。


「榊課長! 例の女性客の排除ができないそうです」
 それに隆也を初めとして、相川と桜田も怪訝な顔を向ける。
「何? 捜査中だからと説明して、お引き取り願えば良いだろうが?」
「それが……、『自分はここで珈琲を飲む権利がある』とか主張して、席を立たないと小野寺巡査部長が」
「あの馬鹿女が!」
 思わずこめかみに青筋を浮かべた隆也が、簡易収納式の机を拳で叩きながら吐き捨てると、相川が不思議そうに声をかけた。


「課長? 宇田川さんをご存知なんですか? さっきは知らない様な話を」
「知らん!」
「課長! 衣笠が入店間近です!」
 ここで自分が吠えた声と解析技官の悲鳴じみた声が重なった為、隆也は盛大に舌打ちしてから忌々しげに指示した。


「仕方がない、揉めているのを衣笠に見られたら不審がられる。女性客には、そのまま滞在するなら捜査の邪魔をしない事だけ厳命して、各自配置に付く様に伝えろ!」
「了解しました!」
 通信技官がマイクに取り付き、慌ただしく隆也の指示を伝達するのを眺めながら、桜田と相川は囁き合った。


「大丈夫でしょうか?」
「そのうち出ると思ったのに、何時間居る気だ?」
 そして腕組みしてモニターを睨み付ける隆也の表情は、これ以上は無い位険悪な物となっていた。
 その頃、店内では自分の説得に失敗した警官が、憤怒の形相で自分の席に戻るのを、貴子が平然と見送っていた。そこに新たな珈琲を運んできた宮部がカップをテーブルに置き、店内の様子を気にしながら囁く。


「貴ちゃん、悪い事は言わないから、今日は帰った方が良いって。どんな事になるか分からないよ?」
 貴子を気遣って宮部は帰宅を勧めたが、貴子は小声で明るく笑い飛ばした。


「マスターが気にする事は無いわよ。こいつらが居座ってるせいで他の客が入って来れないし、単価が安くてしみったれてるから、売上に全然貢献してないじゃない。嫌がらせにしたら可愛いものでしょう?」
「いや、警察に嫌がらせなんかしなくていいから! それに貴ちゃんが何か危ない事に巻き込まれる可能性も」
「マスター、勘定を頼む」
「は、はいっ!」
 何とか貴子に翻意を促そうとした宮部だったが、ここで貴子の隣のテーブルの男が仏頂面で立ち上がって声をかけた為、宮部は慌ててレジに立った。そして会計を済ませた男が店を出て行くのと前後して、五十がらみの白髪混じりの男がドアを開けて店に入って来る。


「いらっしゃいませ」
 宮部がそう声をかけた瞬間、貴子には店内の空気が微妙に緊張を帯びた様に感じた。それで周りの連中の《待ち人》であると察したが、その男は普通に店内を見回し、宮部に声をかける。


「一人だが、後からもう一人来る予定なんだ」
「お待ち合わせですか。それなら今、テーブルを片付けますので、少々お待ち下さい」
「分かった」
 そして宮部がテキパキとテーブルを片付けて待たせた客にテーブルを勧め、注文を受けた所まで背中を向けながら聞いた貴子は、一人考えを巡らせた。


(待ち人その1来店、ってとこか。この感じだと連中の本命はこのおじさんじゃなくて、待ち合わせの相手って事みたいだけど。さて、どうしようかな……)
 そして考え込みながら右手でボールペンをくるくる回していた貴子は、いたずらっ子の様な表情をしてからわざとボールペンを床に落とした。


「取り敢えず衣笠に不審がられてはいないし、女性客も大人しくしているみたいだな」
「全く、肝が冷えましたよ」
「しかし被疑者の隣のテーブルですか……。取り押さえる場合には、留意する様に徹底しておきましょう」
 急な事で店内にカメラは設置出来なかったものの、窓際の席を外から狙うのは十分可能であり、先程の捜査員がテーブルに仕掛けておいた盗聴器の感度も良好と技官から報告を受けて、隆也達は取り敢えず安堵した表情になった。


「そうだな。ところで、この衣笠という男、これまでにこの手の犯罪歴は有ったか?」
 急な事で隆也が細部まで目を通していなかった資料を捲りながら確認を入れると、この件の担当で全てのデータを頭に入れていた相川が、即座に説明を始めた。


「皆無です。以前は割烹料亭の板前でしたが、店の金に手を付けた挙げ句、その現場を同僚に見つかって殴り倒して横領と傷害で逮捕収監されてます。それで妻と離婚して、釈放後はあちこち流れ歩いていたみたいですね」
「絵に描いた様な転落人生だな」
 思わず口を挟んだ桜田に頷き、相川は冷静に話を続ける。


「その挙げ句、富山で仕事の口を見つけて真面目に働いていましたが、そこが裏で偽札を造ってまして、ガサ入れ直前に上からブツを預かって上京した次第です。真面目に働いていれば良いものを、何かで脅されたんでしょうかね?」
「さて、それは本人に聞いてみないとな。それに、何を持って来ているかな? 紙の見本か、印刷データか、偽造防止システムの解析ソフトか」
 先程の苛ついた表情を綺麗に消し去り、面白がっているとしか思えない口調で告げた隆也に、桜田は半ば呆れた様に尋ねた。


「一部曖昧な情報を上げて動いた俺達も俺達ですが、何を運んでいるかの確証も掴めないまま現場に捜査員を動員したと、上から叱責されないんですか?」
「これまで掴んだデータと俺の勘が、大物が釣れると教えてくれているからな。言いたい奴には好きに言わせておけ。結果を出せば何も言えんさ」
 傲岸不遜とも言える態度で言い切った上司に桜田と相川は思わず顔を見合わせて苦笑いしたが、ここで男達の余裕を吹き飛ばす、通信技官の叫び声が車内に響いた。


「榊課長!」
「どうした?」
「例の隣のテーブルの女性が、被疑者と同じテーブルに座ってしまったそうです!」
「何!?」
「どうしてそんな事になってるんだ!」
 これからやって来るであろう取引相手を警戒して、離れた場所の映像に注意を払っていた面々が慌てて喫茶店の窓際の映像に目を向けると、確かに貴子と衣笠が同じテーブルに着いている事が確認できた為、揃って瞬時に顔を強張らせた。



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