カレイドスコープ

篠原皐月

(2)危険な会議室

 その事件は、急遽開催された課長会議の席上発生した。
「そうは言っても! 各部署、無駄な費用を計上してるわけでは無いんですよ!?」
「ですから、無駄にしているとは言っていませんが、もう少し見直す所は見直すべきだと」
「あんたの所は毎回接待費用がバカ高いからな。要は自分達も飲み食いしたい所を選んでるだけだろ?」
「何だと!? 貴様の所こそ、最近急に納入業者を変えただろう! リベートか? お偉いさんのコネか?」
「二人とも止めておけ。それだけやっても売上が大した事無いって、無能さを暴露しあってる様なものだぞ?」
「はぁ!? なんだと? ふざけるな!」
「お前の所は、叩いても埃も出ないどころか、逆に金を吸い込んで出さない掃除機だろうが!」


 怒号渦巻く、険悪な室内の空気に心底うんざりしながら、浩一は困惑した表情で正面に座っている、この会議の司会進行役である赤石の顔を忌々しげに眺めた。
(全く……、こいつが司会だと、どうして毎度毎度すんなり会議が進まないんだ? 加えて開始早々から、こいつの不用意な発言のせいで紛糾しっ放しだし。誰がこれを纏めるんだよ?)
 かなり投げやりに考えを巡らせた浩一だったが、現状を再確認して密かに肩を落とした。


(駄目だ。最年長の武藤さんは吠えまくってるし、一番理性的な高杉さんはそっぽを向いてるし……。下手したら最年少の俺が、皆のご機嫌を取りつつ纏めるしかないのか? 本当に勘弁してくれ)
 あまり考えたく無い事態に、浩一は思わず深い溜め息を吐いて腕時計で時間を確認した。次いで、興奮している周囲の様子を窺う。
(定時はとっくに過ぎたって言うのに。隙を見て、彼女に帰りが遅くなるとメールしておくか。食べないで、待たせておくのも悪いしな)
 そんな事を考えていると、赤石が突然清人に声をかけた。


「あの……、それではここで、先程からまだ一度も発言されていない、柏木課長代理のご意見を伺いたいのですが……」
 その声で室内中の全員が一斉に清人に視線を向けたが、当の本人はそれには構わず、冷静に問い返した。
「私ですか?」
「はい、何か意見はありませんか?」
「……それでは、少し発言させて頂きます」
 そう言って静かにその場で立ち上がった清人を見て、浩一は胸をなで下ろした。


(そうか! 今はこいつが居たんだ。今日は比較的大人しくしてたし、機嫌は悪くない筈だ。口八丁手八丁なこいつなら、この場を上手く纏められるだろうし。頼むぞ、清人)
 気分は(迷惑ばかりかけていないで、こんな時位役に立て!)であったが、取り敢えず安心した浩一は傍観の姿勢に入った。そんな中、清人が静かに口を開く。


「確かに経費削減の折り、不要支出を減らすのは方向性として間違ってはいませんが、部署毎に接待許容範囲の裁量権を与えると言うのはどうでしょうか? 各部署に言い分はあろうかと思いますが、各部署に裁量を任せると責任者が変わる度に解釈も変わりかねません。やはり全社統一の基準を作り、経営陣から示されたその範囲内でやりくりするのが道理でしょう」
(その通りだ。全くあちこちにおべんちゃら言いやがった挙げ句に、収拾がつけられなくなって意見集約とかの名目で会議を召集だなんてとんでもないぞ!)
 心の中で清人に激しく同意した浩一だったが、ここで清人が口調を一変させた。


「それで……、その程度も判断出来ない脳みそなら、取り出して野良猫にでも食わせろ、このボケが!!」
「え?」
 会議室中が唖然として固まる中、清人はロの字形に並んでいる横長の机を勢い良く踏み越え、足早に真ん中の空間を横切り、更に正面の机も乗り越えて赤石に肉薄した。と思ったら次の瞬間清人は床に赤石を引き倒し、その体に馬乗りになって両手で相手の首を絞めながら、冷酷な表情で見下ろしつつ恫喝する。


「てめぇの尻拭いを俺達にやらせようとは、どこまで根性が腐ってやがるんだ。既に存在自体が目障りだ。今すぐあの世に行け」
「ちょ、ちょっと待っ……、柏木課長代……、ぐふっ!」
「おい、ちょっと待て!」
「柏木課長代理、何をするんだ!」
「こら、落ち着け!」
 赤石が変な呻き声を上げ、近くの席の者が何人か慌てて二人の元に駆け寄って引き剥がそうとしたが、清人はびくともしなかった。


「毎回毎回、てめぇの段取りの悪さと判断力の無さと調整力の欠如にはほとほと呆れていたがな。まさか今日まで邪魔されるとは、思いもよらなかったぞ。昨日までのうちに、綺麗さっぱりこの世から存在を消し去っておくべきだったな。俺とした事が、判断を誤った」
「ぐえぇっ……、っぷぅ……」
「おい! 取り敢えずその手を離せ!」
「浩一課長、こいつを止めてくれ!」
「一応身内だろうが!」
(あいつと身内扱いされるのは今でも少し嫌だし、そいつを綺麗さっぱりこの世から消し去りたいのは、同感なんだがな。それにしても……)
 非難めいた眼差しと叫びを受けた浩一は、思わず遠い目をしてからどこかのんびりとした口調で清人に問い掛けた。


「お~い、清人~。お前さぁ、今日って何か予定でも有ったのか~?」
「記念すべき初めての結婚記念日だ。真澄が手料理を準備して、俺の帰りを待ってる」
「……ああ、なるほど」
「…………」
 未だ赤石の首を絞めながら吐き捨てる様に告げた清人に、浩一は疲労感を覚えながら納得し、周囲の者達は真澄が産休に入る直前の出来事を思い出して、何とも言えない表情で黙り込んだ。
(そうか、すっかり忘れてた……。そうか。清人がキレるのも尤もだな。もう放っておこう)
 説得するのを諦めて浩一が匙を投げたと同時に、清人が不気味な薄笑いを浮かべながら淡々と赤石に告げた。


「てめぇそう言えば、俺の誕生日の時もどうでも良い議題持ち出して真澄を会議に引っ張り出した挙げ句、長引かせて泣かせてたな。一度ならず二度までもとは、やはり命が惜しくないとみえる」
「……ぐふぇっ、……ごはぁっ、……ひゅっ」
「いや、悪気があった訳じゃないから!」
「頼むから落ち着け!」
 流石に周りから悲鳴が上がり何人がかりかで腕を引き剥がそうとしたが、清人の危険度は益々上昇した。


「今日も真澄が俺の帰りを、今か今かと心待ちにしてるんだ。『頑張って料理を作ったのに帰りが遅い』と落胆して、泣き出したらどうしてくれる。以前泣いた分も合わせて、お前には真澄が流した涙の十倍、血の涙を流させてやるぞ! 覚悟しやがれ!!」
「……むふぅぅっ、……ふぎゅぅ」
「だから止めろって!」
「浩一課長! 傍観してないで、何とかしてくれっ!」
 騒々しさが増す中席を立ち、問題の二人の近くまで歩み寄った浩一は、懇願の視線を半ば無視しながら取り出したスマホをハンズフリー設定にした上で、ある人物に電話をかけ始めた。


(さて、都合良く対応してくれるかな? 彼女の事だから上手く察して、話を合わせてくれるとは思うんだが……)
 そして相手が応答したと判断した瞬間、相手が何か言い出す前に勢い込んで話しかける。
「はい」
「もしもし? 柏木ですが、大至急死体の処理をお願いしたいのですが、今日はスタッフの手が空いていますか?」
 聞くともなしにそれを聞いてしまった周りの面々はギョッとして浩一に視線を向けたが、電話の相手も当惑した様に黙り込んだ。しかしそれは一瞬で、すぐに何事も無かったかの様にそれらしい返事を返してくる。


「…………柏木様、いつもご利用ありがとうございます。それで処分対象は何体でしょうか? あと今ならオプション無料お試しキャンペーン中ですので、まだ生きているなら息の根を止める作業もいたします。ご遠慮なくお申し付け下さい」
 それを聞いた浩一は、盛大に噴き出したいのを必死に堪えた。
(やっぱり察してくれたか。それに上出来だ)
 そして精一杯真面目な顔を取り繕いながら、物騒な会話を続ける。


「処分したいのは一人だが、実はまだ生きていてね。とどめを刺す業務もしているとは知らなかったよ。因みにどんな物か聞かせて貰えるかな?」
「畏まりました。松コースは焼却炉に放り込んで綺麗さっぱり灰にした上でご希望の場所に散骨、竹コースは重しをくくりつけて海中投棄で魚の餌、梅コースは檻の中に飢えた犬と一緒に放り込んで噛み殺させる内容になります」
(やっぱり最高だ、恭子さん)
 スマホから聞こえる内容は、当然静まり返った会議室内の隅々にまで響き渡り、空気が凍り付いた。その反応に気を良くしながら、浩一は会話を続ける。


「へぇ? 随分残酷な殺し方が揃ってるんだね」
「相手をひと思いに殺したくないと言う方が、良く私共に依頼されてきますので。因みに料金は松から梅の方に従って、金額が高くなります。松の方が遺体の尊厳は保てますが、梅は山奥まで移動の必要がある上、周囲と途絶した環境での設備を維持しなければいけませんので、コスト高になっております」
「なるほど、道理だね。清人、どれにする?」
「梅で予約を入れとけ」
「了解」
 浩一がわざとらしく見下ろしながら確認を入れると、清人が即決した為、その旨を電話の相手に伝えた。


「それでは梅コースで一人お願いできますか?」
「課長代理! 何を言ってるんだ!」
「浩一課長、正気か!?」
 途端に湧き上がる悲鳴や怒号もなんのその、スマホからは明るい営業モードの声が響いてきた。


「畏まりました! 毎度のご利用ありがとうございます! それではどちらに殺害予定の方をお迎えに行けば宜しいでしょうか?」
「柏木産業本社ビルに居るので、受付で俺の名前を出して下さい。案内させます」
「承知いたしました。それでは三十分以内にそちらに到着するようにスタッフを向かわせますので、少々お待ち下さい」
「ああ、宜しく」
 そうして平然と通話を終わらせた浩一は、スマホを内ポケットにしまい込んでから、清人の肩に手を置きながら声をかけた。


「さあ、清人。迎えが来るまで、会議を続けるぞ。時間は有効に使わないとな」
 それを聞いて、清人は漸く納得した様に赤石の首から両手を離し、その身体からゆっくりと立ち上がりながら淡々と告げた。
「それもそうだな……。さあ、あと三十分だけ黙って聞いてやる。さっさと会議を進めろ。迎えが来たら強制終了だからな」
 冷酷な表情の清人と、心底憐れむ様な眼差しの浩一に見下ろされ、何とか息を整えた赤石は、蒼白な顔で会議の終了を宣言したかと思ったら、脱兎の勢いで会議室から逃げ出した。
「……っ、……ぐはぁっ、……ふぅっ、……き、今日の会議は、これで終了と致します! お疲れ様でしたっ!!」
 書類も取り散らかしたまま転がり出る様に逃げ出した赤石を、他の課長たちは呆然として見送ったが、そこで如何にもせいせいしたと言った感じで、清人が携帯を取り出してどこかに電話をかけ始めた。


「そうか終わったか。それは良かった。…………ああ、柴崎さんですか? 清人です。会議が終わったので五分後にビルの正面に車を回して下さい。……社長? ああ、あんな親父放っておいて構いません。子供じゃ無いんですから、電車でもタクシーでも使って帰りますよ。それより真澄が待ってますから。五分後ですよ? それじゃあ宜しく」
 一方的にそんな事を電話の相手に告げてから、清人は自分の席に戻って手早く資料を纏め、爽やかな笑顔で室内の面々に挨拶をした。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
 そうして軽く頭を下げてさっさとその場を後にした清人に続いて、自分の私物を纏め終えた浩一も軽く頭を下げた。


「それでは俺も失礼します」
「あ、おい、柏木課長代理!」
「浩一課長も、お前らちょっと待て!」
「さっきの話はどういう事だ!?」
 慌てて二人を引きとめる声が会議室に響き渡ったが、清人が足を止める筈は無くそ知らぬふりで立ち去り、浩一は仕方が無いなとでも言うように溜め息を吐いてから、一応弁解した。
「ああ、先程の話ですか? 冗談ですよ、冗談。相手は知り合いの劇団員です。世の中にそうそう物騒な話が転がっていたら怖過ぎますよ。それではお疲れ様でした」
 そう言って再度頭を下げた浩一は、唖然としている他の課長達をその場に残し、今度こそ家路についたのだった。



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