カレイドスコープ

篠原皐月

(5)飛び交う思惑

 ホテル中庭での騒動が収束後、清香達が頃合いを見て新郎控え室に顔を出すと、羽二重五つ紋の着物と羽織に加え、縞の袴に着替えを済ませていた清人が、仏頂面で一同を出迎えた。


「やあ、清人。お前の方はやっぱり支度が楽だな」
「やあ、じゃない! さっきのあの悪ふざけは何なんだ? しかも食い物を粗末にするな!」
 本気で機嫌を損ねているらしい清人の様子を見ても浩一は全く怯む事無く、堂々と胸を張った。
「誰が粗末になんかするか。さっきのあれはビニール袋に小分けした物を更に布袋に入れてリボンで縛ったから、芝生に落ちても中身は綺麗だぞ?」
「落として汚れなくても、ゴミとして捨てられたら意味ないだろうが!?」
「お前が遁走した後、列席者に『中身は魚沼産コシヒカリです。ご希望の方には送料こちら持ちで、引き出物の一環として差し上げます』と説明して回収用の紙袋を渡したら、既婚女性を中心に我先にと拾ってくれて全部回収できた。二十キロ分作らせたのにな」
「そんなくだらない事に、金と手間暇をかけるなよ……」
 思わず額を押さえて溜め息を吐いた清人に、浩一が軽く笑いながら付け加える。


「あの争奪戦の覇者はどう見ても裕子先輩だったけど、清香ちゃんも頑張って、二キロ分位は拾ってたよね?」
「う、うん……。本当はもうちょっと欲しかったんだけど、他の人達がちょっと怖くて……」
「そんなので勝たなくていい」
 幾分言いにくそうにモジモジしながら白状した妹に、清人はがっくりと肩を落とした。そしてニヤニヤと笑って見守っていた周囲から目を逸らそうとして、ちょうど遅れて室内に入っていた正彦と目が合う。


「そう言えば正彦。お前の方の首尾はどうだったんだ?」
 清人がかけた言葉に、室内全員の視線が正彦に集まったが、本人は軽く手を振りながら平然と笑顔で皆に歩み寄った。
「まあ、それなりに? 近いうちに二人で挨拶に行きますよ」
「そうか」
 清人は何を思ったか小さく苦笑いして頷いただけだったが、思いがけなく従兄のプロポーズの場面に出くわしてしまった清香は、途端に目を輝かせて正彦に近寄ってその顔を見上げた。


「正彦さん、おめでとうございます!」
「ありがとう、清香ちゃん」
「私、正彦さんにそういうお付き合いしてる人が居たなんて、全然知らなかった。最近知り合ったの?」
「いや、二年位前かな? 結婚を決めて本格的に口説き始めたのは、一年前位からだけど」
 そこまで話を聞いた清香は怪訝な顔をした。


「一年?」
「うん。どうかした? 清香ちゃん」
 逆に不思議そうに尋ね返された清香は、恐る恐る尋ねてみる。
「えっと……、正彦さん、去年の夏のバカンス会とかで、普通にナンパとかしてなかったっけ?」
 しかし慎重に問われた内容に対する正彦の答えは、実にあっさりしたものだった。


「確かにしてたけど、あれは社交辞令。美人や可愛い子を見たら、口説かないと失礼だろう? 大丈夫、佳奈と会ってからは、深い付き合いになってる女性はいないから」
 そんな事を明るい笑顔で断言されてしまった清香は、変な冷や汗をかきながら質問を続けてみた。
「その……、佳奈さんはその事については……」
「あ、それはもう、とっくの昔にまるっと丸ごと知ってて、『もう病気みたいなものよね』って呆れ果ててるから心配要らないよ?」
「全然大丈夫だと思えない……」
 うなだれてボソッと清香が呟くと、その横で頭痛を覚えていた聡が、皮肉混じりの声をかけた。


「今の発言は、単に泉水さんの寛容さを自慢しているのか、はたまた自分が愛想を尽かされる筈は無いと自惚れているのか、どちらなんですか?」
「う~ん、両方?」
「……自信家で羨ましいです。本当に愛想を尽かされない様に、頑張って下さい」
 真顔で考え込みつつ答えた正彦に、もう何を言っても無駄だと思った聡は突き放した発言をしたが、当然それは正彦が気に入るものでは無かった。


「生意気だな~。清香ちゃん、こんな他人の幸せを素直に祝福できない奴とくっついたりしたら、後々不幸だよ? 絶対考え直した方が良いから」
「そうだな、幸い披露宴には若手の有望株を何人も呼びつけてるし、どれでも選び放題だぞ?」
「いきなり何を言い出すんですか!?」
 ニヤリと笑いながら合いの手を入れてきた清人に聡が盛大に噛み付き、その場に笑いが沸き起こったが、ここで他の招待客が清人を訪ねて来た為、一同は新郎控え室から出る事にした。そして、披露宴開始までの待機場所について相談する。


「さっきチラッと覗いたけど、新郎側控え室に大刀洗会長とか、俺でも顔を知ってるお偉いさんが何人も居て、落ち着ける雰囲気じゃなかったんだよな。真澄姉の様子を見に、新婦控え室にでも行ってみる?」
 そう明良が提案してみたが、清香が首を振った。
「真澄さん、今度は白無垢を着るから、なるべく身体に負担をかけないように、披露宴開始時間から逆算して着付けしてるの。だから今着替えの真っ最中で会えない筈ですよ?」
 それを聞いた明良が、苦笑気味に頷く。


「そうか。お祖父さん、頑張ってたからな。『披露宴の最初は絶対白無垢に金屏風じゃ!』って」
「それなら新婦側の親族控え室でも行くか?」
 思わず口を挟んだ玲二に、明良が些かうんざりとした口調で指摘した。
「年寄り達が声を揃えて『お前達もさっさと結婚しろ』って喚いてる所にか?」
「……止めとこう」
「そうだな、ロビーででも時間を潰してるか」
「披露宴会場はそろそろ開場する時間だから、中に入っていても良いしな」
 そんな感じで意見の摺り合わせをした一同は、雑談をしながら廊下を進み、会場となっている大宴会場の入り口付近まで移動してきた。
 出入り口の横で早速受付を始めたらしく、白いテーブルクロスをかけた長机に女性が二人座り、両脇に控えているホテルスタッフの手を借りながら来客を捌いているのを見て、友之が清香に声をかける。


「ああ、新郎側は恭子さんが受付をしてくれてるんだね」
「はい、招待客の殆どと知り合いみたいですし」
 そんな会話が交わされた廊下の向こうには、ゆったりと幾つもソファーが配置された広々としたロビーが広がり、そこに披露宴出席者と思われる正装した人々が結構な人数で座り、または佇んでいた。まだ披露宴開始時間まで間がある事もあり、彼らは思い思いに挨拶を交わし談笑していたのだが、不意に不気味な沈黙が周囲に満ちる。


「何だ? 何か急に静かに……」
 流石に異常を感じた浩一が視線をロビーの方に向け、言いかけた言葉を途切れさせて固まった。その横で、浩一と同じ物を見た友之が、軽く顔色を変えながら確認を入れる。
「浩一さん? って……、あの人、まさか……」
「実際に会った事は無いが、何かで写真を目にした事が……。本当に加積康二朗本人か?」
 答えない浩一の代わりに、正彦が真顔になりつつ疑問の形で口にしたが、それを清香が何気ない口調で肯定した。


「確かにそんな名前が、新郎側の出席者名簿にありましたよ? お兄ちゃんとどんな知り合いなのかは知りませんけど」
「清人の野郎……」
 それを聞いた浩一は低い声で唸ったが、それはごく小さな声であった為、側にいた清香と聡位しか聞き取れなかった。しかし常には見せない浩一の怒りの形相に、二人とも驚いて口を噤む。しかしそんな三人の様子に気付かない明良と玲二は、脳天気な声を発した。


「正彦兄さん、あの白髪のじいさんと知り合いなのか?」
「友之さんも? 仕事上で付き合いがあるとか?」
 それを聞いた年長者二人は、揃って血相を変えた。
「おい、お前達。間違ってもあの人に向かって『こんにちは、おじいちゃん』なんて気安く声をかけるなよ?」
「え?」
「何でですか?」
 戸惑った二人に、正彦が真顔で説明を加える。
「あの人はな、表は政財界の有力者、裏はヤクザや右翼団体まで陰で操って、これまで何人も総理の首をすげ替えたって噂されてる、相当ヤバい人なんだよ!」
「『昭和の妖怪』とか『最後のフィクサー』とか、色々二つ名は有るけど、最近では滅多に表に出なくなって、ひょっとしたらもう死んでるんじゃないかとも噂されていたんだが……」
 唸る様に友之が呟くと、玲二が不思議そうに突っ込みを入れた。


「何でそんな人が、清人さん側の出席者としてここに来てるわけ?」
「お前……、それを俺に聞くのか? 清人さんの交友関係なんて、ブラックボックスそのものだろうが」
「間違っても本人に向かって、失礼な事を言ったりしたりするなよ? 下手したら今日中に東京湾に沈むぞ?」
「…………」
 そんな事を真顔で告げられて、思わず無言で顔を見合わせた明良と玲二だったが、同様に驚愕しているロビーの人々の視線をものともせず、黒スーツの屈強な男に押させた車椅子に乗っている総白髪の老人は、傍らに薄紫の訪問着を纏った上品な老婦人を従えてまっすぐ受付へと進んで行った。
 その頃には受付付近の人間もその一行に気付き、受付に並んでいた者達は偶々相手の顔を見知っていた者ばかりだったらしく、無意識に後退してしまった為、不自然に受付前の空間が空いた。一般会社員である翠は理由が分からずに周囲を見回しながらキョトンとしていたが、恭子は音も立てずに椅子から立ち上がってその三人を出迎え、目の前の人物に向かって深々と頭を下げる。


「お久しぶりです、加積様」
 そう言ってから頭を上げ、真正面から目を合わせて来た恭子に、加積は軽く口元を歪めてから低く、しかし不思議と周りに響く声を発した。


「息災の様だな。相変わらずあの人でなしに、こき使われているらしいが」
「いい加減、もう慣れましたので」
「そうか? 何やら愚痴やら悪態を吐くのが、常になっているようだがな。あちらこちらから聞こえてくるぞ?」
 幾分茶化す様に言われてしまい、恭子は苦笑いするしかできなかった。


「お耳汚しな事を考え無しに放言して、申し訳ありませんでした」
「まあ、程々にしておけ。あのろくでなしもみすみす死なせる様な真似はさせんと思うがな」
「そうします。ところで、最近お体の調子が優れませんか?」
 加積の車椅子姿などは目にした事が無く、しかしそんな風に介護されている割には眼光の鋭さも皮膚の血色の良さも、以前と同じく実年齢の八十過ぎには到底見えない為、そのギャップが気になってつい尋ねてしまったのだが、それを聞いた加積は楽しそうに笑った。


「やっぱりお前も似合わないと思うだろう?」
「はぁ……、似合わないと言いますか、らしくないと言いますか……」
「俺だってごめんだったが、こいつが聞く耳を持たん」
 渋面で加積が横に立つ妻を指差すと、彼女は呆れ顔で言い切った。


「当たり前です。お酒に酔ってうっかり転んで立てなくなったりしたら、騒ぎになって披露宴が台無しですよ? 流石にもう足腰が弱って居るんですから、大人しくしていらっしゃい」
「ほらこれだ。俺は杖だけで良いと言ったのに……」
「五月蠅いですよ。それに車椅子が邪魔ですから、さっさと中に入って下さい」
「五月蠅いのはお前の方だろうが……。それではな。桜、後を頼む」
「はい、分かりました」
 ブツブツと愚痴る夫を連れの男に指示して追い払った彼女を見た恭子は、(相変わらずみたいね)と密かに笑いを噛み殺した。そして目の前の芳名帳に夫婦の名前と住所を流麗な字体で記載を終えた彼女が、筆を起きながら恭子に静かに声をかける。


「椿」
「……はい、奥様。どうかされましたか?」
 顔を上げて視線を合わせて来た相手から『椿』と呼び掛けられて僅かに動揺したものの、恭子はそれを面には出さずに言葉を返した。すると予想外の話が続く。
「これまでも、あの人から逐一話は聞いていたのだけれど、人使いが荒い主人を見限って、そろそろうちに戻って来る気は無い?」
「は?」
 本気で面食らった恭子に、相手は淡々と話を続けた。


「あれ以降もあなたの部屋は、出て行った時のままにしてあるのよ」
 言われた意味を頭の中で考えた恭子は、そこで素直に頭を下げた。
「お心遣いありがとうございます。ですがその必要はありませんので」
「あら、そうなの? 椿の今の主人は、あなたを女扱いしないどころか、人間扱いすら怪しい鬼畜男じゃないの?」
 心底不思議そうに尋ね返した女性に、恭子は苦笑いしながら理由らしきものを述べた。


「確かに先生は性格が悪過ぎて、選り好みが激しくて、容赦がなくて、時々もの凄く馬鹿で面倒で大変ですが……。その分それなりに、毎日楽しく過ごさせて頂いていますので」
「……そう、楽しいの」
「はい」
 何を思ったのかうっすらと笑った女性を、恭子は落ち着き払った表情で見返した。すると相手は満足した様に軽く頷いて移動を始める。


「それなら無理にとは言わないわ。聞かなかった事にして頂戴」
「畏まりました」
 そして一歩二歩足を踏み出した所でその女性は足を止め、振り向かないまま独り言の様に恭子に話し掛けた。
「ただ……、あなたが、変わり映えしなくて死にそうに退屈でも、『外』に居るのが辛くなって何も考えずに済む生き方がしたいと思ったら、いつでも戻っていらっしゃい」
「ありがとうございます」
 再度頭を下げて恭子が老婦人を見送り、その姿が会場内に消えると、先ほどから横で固まっていた翠が、漸く解凍された様に恭子に向かって焦った声を上げた。


「あ、あのっ! 川島さんっ!」
「どうかしましたか?」
「これっ! このご祝儀袋……」
 先程加積が車椅子で前を通り過ぎた際、翠の目の前に無造作に置いて行った非常識な代物を見て、恭子は思わず溜め息を吐いた。一応白い和紙で包み、豪奢な水引で飾り付けてはあるが、明らかに立体感あり過ぎのそれに、思わず一瞬遠い目をしてしまう。


「……現金じゃなくて、小切手とかにして頂いたら、ここまでかさばらなかったんですけどね。五百万位ですか? この厚みからすると」
「ごひゃっ! ど、どうしっ……」
 完全に舌が回らなくなっている翠や、動揺しているスタッフを宥める様に、恭子は慎重に口を開いた。


「別に間違いとか、爆弾とか入っていませんから大丈夫ですよ? 中身を確認したら、後から纏めてフロントで預かって貰うようにスタッフにお願いしますし、こんな人目がある所で強盗する人も居ないでしょうから落ち着いて下さい」
 それで何とか判断力を取り戻した翠が、素朴な疑問を口にした。
「そ、そうよね。だけどあれ、佐竹君側の招待客よね? 五百万をポンとご祝儀によこすなんて、一体どんな関係者なのかしら?」
 それを恭子が笑って誤魔化す。


「それより、皆さんお待ちですから、急いで招待客の対応をしましょうか」
「え、ええ、ごめんなさい、そうよね!」
「お待たせしました。こちらにお名前を御記入願います」
「本日はおめでとうございます」
 それから何事も無かったかの様に、周囲にざわめきが戻ってきたが、少し離れた所から一部始終を見ていた清香は、先程漏れ聞いた会話の内容について首を捻った。


「……さっきの人、どうして恭子さんを『椿』なんて呼んでたのかしら? 恭子さんも旧知の人物みたいに対応してたし、人違いってわけじゃ無さそうだけど……」
「さぁ、何だろうね。兄さん側の招待客だし、確かに恭子さんとも知り合いみたいだけど……」
 微妙に察する所のあった聡だったが、余計な事は言わずに惚けてみせた。すると清香が本来の目的を思い出す。
「じゃあ私、ティーラウンジの方におじさま達が居るので、受付が始まった事を教えて来ますね?」
「そうだね。それでは失礼します」
「ああ」
「またな」
 そして清香と聡が連れ立ってその場を後にしてから、男達は揃って顔を見合わせた。


「……要するにあれか?」
「あれだよな。以前チラッと聞いた、川島さんが清人さんの下で働き始める前に、愛人契約してたって相手だよな?」
「だけどさっきのやり取りからすると、あの女性は本妻だろう? 何で恭子さんと仲良さげなんだ?」
「それ以前に、何でそんな人物を自分の結婚披露宴の席に、夫婦で招待するんだよ。恭子さんだって出席するのに」
「相変わらず、清人さんの意図が読めないな。意味が分からん。そう思いませんか? 浩一さん……って、あれ?」
 てっきり側にいるものと思っていた浩一がいつの間にか姿を消していた為、正彦は面食らったが、明良があっさりとその理由を告げた。


「浩一さんなら恭子さんとあの女性が話し始めた辺りで、凄い怖い顔をしてどこかに行ったけど?」
 それを聞いた正彦が、末弟を軽く睨みつつ問いただす。
「止めなかったのか? お前」
「え? 止めないと何かまずかったわけ?」
 僅かに気圧されながら明良が怪訝な顔で尋ね返すと、正彦は溜め息を吐いてから、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。


「でも、まあ……。これから披露宴だしな。見える所に怪我はさせないだろうから、ほっといても良いか」
「そうだな。俺達も行こうか。そろそろ修も奈津美さんと幸ちゃんを連れて、親族控え室から移動してくる頃だし」
「可愛くないおじさんじいさん達が一杯だから、若い子の顔が見たいよな」
「お前の守備範囲には乳幼児まで入るのか? 危ない奴」
 つい先程の微妙な空気を払拭するべく、そんな無駄口減らず口を叩きながら、一同は披露宴会場に向かって足を向けたのだった。


 同じ頃、新郎の近親者でありながら、新郎側親族控え室に居座るのを良しとしなかった小笠原夫妻は、そんな騒動とは無縁のまま、ティーラウンジでゆったりと披露宴までの待ち時間を過ごしていた。


「ねぇ、あなた……」
「どうした」
 これから披露宴に参加するにしては浮かない顔付きの妻に勝が怪訝な顔を向けると、由紀子が俯き加減に、やや後悔している口調の呟きを漏らす。
「……やっぱり黒留袖は止めて、洋装の方が良かったかもしれないわ」
 自分の留袖を見下ろしながら溜め息を吐いた由紀子に、勝は本気で呆れた顔になった。


「お前、何を今更な事を。まさか今から着替えに帰るつもりか?」
「流石にそんな事はしないけど……。挙式中も何となく視線を集めていたみたいだし」
 膝の上で両手を組みながらボソボソと告げる妻に、勝も一応頷いてみせる。


「それはまあ……、参列者の中には彼と小笠原うちの関係を知らない人間が、結構混ざっていたみたいだからな。どうして私達が最前列に居るのか、不審に思われても仕方がない」
「だから、親子関係を公にしていないのに、黒留袖なんて親族なのをあからさまにする様な衣装で出席したら、清人の機嫌を損ねると言ったのに……」
 もう殆ど愚痴になりつつある涙声の妻の訴えに、勝は些か持て余し気味に応じた。


「気を悪くしたなら直接文句を言ってくるだろう。彼は挙式前後も何も言わなかったぞ? 公にするしないはともかくお前が彼の母親なのは事実なんだから、挙式及び披露宴に出席するなら、黒留袖以外に有り得ない」
「あなたがそんなに頑固だったなんて、今の今まで知らなかったわ!」
「……参ったな」
 いよいよ泣きそうになって、強い口調で訴えた妻に勝が閉口したところで、タイミング良く聡と清香がやってきた。


「父さん、母さん、お待たせ」
「おじさま、おばさま、披露宴会場の受付が開始されましたから、頃合いを見て移動を……。あの、どうかしましたか?」
「何かあった?」
 何となくただならぬ雰囲気を察した二人は慎重に問い掛けたが、由紀子は慌てて涙を抑え、勝はホッとしたように微笑した。


「いえ、何でも無いの。ちょっとね」
「助かったよ。今由紀子に拗ねられていた所でね」
「あなた!」
「じゃあそろそろ会場に行こうか」
 些か強い口調で由紀子が夫を窘める感じの声を出したが、勝は平然と立ち上がり披露宴会場に向かって歩き出した。それに由紀子も諦めて従い、聡と清香も首を捻りつつ後に続く。そして程なく会場に到着すると、恭子が如才なく微笑みつつ頭を下げてきた。


「小笠原様、本日は挙式に引き続きのご出席、ありがとうございます」
「やあ、川島さん。ご苦労様」
「それではこちらをお持ち下さい」
「どうも」
 短いやり取りで受付を済ませた一家は、広い会場内へと足を踏み入れた。そして周囲をゆっくりと見回す。


「さてと、結構な規模だな。やはり柏木さんが相手だと、これ位は必要か」
「えっと、俺達の席って…………、は?」
「……え?」
 聡は会場のテーブル上の名札で自分達の名前を探し、由紀子は先程手渡された席次表を広げて自分達の席を確認しようとしたが、二人ともすぐに信じられない物を見たかの様に固まった。聡は出入り口のすぐ側のテーブルに自分達の名前を見いだしたからであり、由紀子は自分達の肩書きとして『新郎母』『新郎継父』『新郎弟』の表記を認めた為である。しかし勝だけは由紀子が広げた席次表を覗き込みつつ、面白そうに笑った。


「やっぱりな。ほら、黒留袖で正解だったろう?」
「あなた、知ってたんですか!?」
「父さん!」
 妻子に非難がましい目を向けられた勝は、笑いを堪えながら弁解した。


「はっきりと聞いてはいなかったが、彼が披露宴の招待状を持参した時、清香さんと同じテーブルに席を用意すると言われただろう。忘れたのか?」
「確かにそう言っていましたが! それは清香さんとは気心が知れている間柄だからという事で!」
「清香さんは彼の妹で、当然新郎側の親族席テーブルなんだから、同席するならこの肩書きは自然だと思うが? これでフォーマルドレスとかだったら、確実に浮いていたぞ。どうだ、俺の言う通りにしておいて良かっただろう?」
「…………っ」
 得意気に胸を張った夫に若干腹を立てつつも、これ以上口を開いたら嬉しさのあまり泣き出してしまいそうで、披露宴開催直前に騒ぎを起こしたくない由紀子は必死に口を噤んだ。しかし聡はまだ狼狽気味に、傍らの清香を振り返って問い掛ける。


「清香さん! 清香さんは知ってたの!?」
「えっと……、実は私も、昨日柏木家に出向くまで知らなくて……。一応皆さんに教えようかと思ったんだけど、真澄さんから『土壇場で怖じ気づいて、敵前逃亡されて欠席になったら清人が恥をかくから、開始まで黙ってて』と念を押されてもので……」
 言いにくそうに清香に告げられた男二人は、苦笑いするしかできなかった。


「敵前逃亡って……」
「怖じ気づかれるのは予測済みだったらしいな」
「あ、でもちょっと待って! いきなり披露宴の進行上で何かしろと言うのは、心の準備ってものが!」
 ふと思い付いた懸念に慌てて聡が問いただしたが、清香はそれにも落ち着き払って答える。


「それって所謂『両親への花束贈呈』とか『感謝の手紙朗読』とか『出席者へのご挨拶』とか『新郎新婦並びに両親揃って出席者お見送り』とか?」
「うん、そんな所だけど……」
「そういうのは一切無いから、心配無いですよ?」
「どうして? 披露宴の定番だよね? 柏木家側だけでするとか?」
 その素朴な問い掛けに、清香は小さく肩を竦めた。


「そうじゃなくて、その手の物は悉く真澄さんが却下したみたい。聞いた話だと『子供じゃないから、列席者への挨拶は自分達でできる』とか『こんなお涙頂戴の恥ずかしいのは嫌』とか『長時間立つのは嫌だし、一人だけ椅子に座ってふんぞり返っていたら、清人を尻に敷いていると思われかねない』とか頑強に主張したらしくて」
「……最後のは、結構切実な訴えっぽいね」
 思わず聡が失笑してしまうと、清香も釣られる様に笑った。


「そんな訳で、おじさま達はただ座っているだけで大丈夫ですから」
「なるほど。それは分かったが……、清香さん。一つ質問しても良いかな?」
「はい、何でしょうか?」
「清香さんが言ったように、ただ座って出しゃばらずに大人しくしているにしても、こちらのテーブルにやって来る人間に対してはどう対応すれば良いのか、お兄さんから聞いていますか?」
 真顔でそう問い掛けてきた勝に、清香が心得た様に頷く。


「はい、一応は。お知り合いに加えて、知らない方も興味本位でお酌とかしに来そうですよね。お兄ちゃん曰わく『別に嘘を吐く必要は無いのでご勝手に。そちらの判断にお任せします』だそうです」
「分かりました。こちらの判断で、それなりにあしらう事にしましょう」
 そこで破顔一笑した勝から横で大人しく控えている由紀子に視線を移した清香は、幾分申し訳無さそうに声をかけた。


「それで、その……、これにはこう書いてありますけど、別にこちらから挨拶とかに出向かないとも言っていたので……」
 そこで言葉を濁した清香に、由紀子は柔らかく微笑んで頷く。
「ええ、分かっているわ。だから清香さん、そんなに困った顔をしないで?」
「はい」
 そしてホッとしたように笑った清香と由紀子を促し、勝と聡は指定されたテーブルへと向かった。


「じゃあ早速席に着こうか?」
「そうだな。ほら、由紀子。出入り口付近で突っ立っていると邪魔だろう」
 そうして小笠原一家は会場内のあちこちから好奇心に満ちた視線を浴びつつ、清香と一緒のテーブルに着いたのだった。



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