カレイドスコープ

篠原皐月

結婚披露宴迷走曲~(1)母達の密談

 昼前の時間帯、佐竹家では卓袱台を挟んで初対面の女性が二人、微妙な笑顔で向き合っていた。そしてそんな二人にお茶を出した香澄が、まず佐和子に体を向け、玲子を紹介する。


「岡田さん、こちらはご主人が清吾さんの幼なじみの柏木玲子さんです。岡田さんも何度か顔を見た事が有るかと思いますけど、時々うちに遊びに来ている真澄ちゃんのお母さんなんです」
「初めまして……」
「いえ、こちらこそ……」
 玲子と佐和子がぎこちない笑みで会釈し合うと、香澄は今度は玲子の方に向き直った。


「玲子さん、こちらは下の部屋の岡田佐和子さん。私が結婚する前から清吾さん達と家族ぐるみでお付き合いしていて、清人君の育ての親みたいな方なんです」
「まあ、そうなんですか……」
「そんな、大した事は……」
 再び曖昧な笑顔を交わした二人は、当然の如く同じ事を思った。


((香澄さん、どうして私とこの女性を引き合わせたのかしら?))
 そんな怪訝な視線を受けながら、香澄が上機嫌にこの場を仕切る。
「さて、顔合わせが終わった事だし、早速本題に入りましょうか」
((初対面同士なのに、この組み合わせで一体何を話すつもりなの?))
 未だ香澄の意図が読めないまま二人が黙り込んでいると、香澄が玲子に向かっていきなり言い出した。


「ねえ、お義姉ねえさん、真澄ちゃんを清人君のお嫁さんに頂戴?」
「……え?」
「『おねえさん』って……、香澄さん、まさか……」
 突然の申し出に玲子は当惑したが、彼女に対する香澄の呼びかけを聞いた佐和子も、それが意味する所を悟って面食らった。
「あ……、バレちゃった」
 自分の失言を瞬時に理解し、悪戯がバレた子供の様な表情をした香澄は、ここであっさりと白状した。


「岡田さん、清香には内緒にしてて下さいね? 実は玲子さんは私の兄嫁なんです」
 それを聞いた佐和子が、軽く目を見開いて些か呆れた様な視線を玲子に向ける。
「あら、まあ……。それじゃあ佐竹さんのお宅に、あの容赦ない、えげつない、限度を知らない嫌がらせをしてた方の奥様だったんですか……」
 そのしみじみとした口調に、自分の事では無いにしても、玲子は気まずさを覚えて思わず頭を下げた。


「……その節は、義父と夫と義弟達が、団地の方々にも色々とご迷惑お掛けしました」
「いえ、それは構わないのですが……、どういう事なの? 香澄さん」
 困惑した佐和子が真澄に説明を求めると、香澄は不機嫌そうに口を開いた。


「それが……、去年私が清香を幼稚園に迎えに行っている間に兄達が家に乗り込んで、清吾さんに頭を下げたんです」
「あら、知らなかったわ。良かったわね」
 思わず佐和子が笑みを零したが、香澄が腹立たしげに叫びながら続けた。


「全っ然良くありません! 清吾さんは心が広いからあっさり許しちゃったんですけど、私はまだ当時の事を根に持ってますから、清香に『私の兄で伯父さん』と説明しないで、『お父さんの幼なじみのおじさん』と紹介して、その設定がまだ継続中です」
 プンプン怒りながらお茶を啜った香澄を見て、佐和子が小さく溜め息を吐いた。


「……お兄さん達がちょっとお気の毒ね」
「自業自得です。そういう訳なので、玲子義姉さんの事も清香の前では普段『義姉さん』とは呼ばずに『玲子さん』と呼んでいるので、岡田さんも喋らないで下さいね?」
「それは構わないけど……。お兄さん達と一応普通に接しているなら、清香ちゃんに正直に話しても良いんじゃない? その……、お父さんとも和解してみるとか……」
 控え目に意見を述べてみた佐和子に、香澄が腹立たしげに訴えた。


「だぁ~~っれが、あんなクソ頑固陰険ジジイを親だなんて思うものですか!? あんなのにへいこらしてる兄達も、兄だなんて絶対に認めませんからねっ!!」
 鼻息荒く香澄が吐き捨てたのを見た佐和子は、そっと玲子に目配せした。
(……大変そうですね)
(もう慣れましたから……)
 諦めた様な表情を返してきた玲子に、佐和子は小さく苦笑いした。すると香澄が話を元に戻す。


「ああ、話が逸れちゃったわ。義姉さん、真澄ちゃんをうちにお嫁さんに頂戴? あれで隠してるつもりだけど、清人君、真澄ちゃんの事が前から好きなのよね」
 サラッと香澄が言った内容に、他の二人は驚きの表情を見せた。
「本当に?」
「ええ、あれは初対面の時に一目惚れと見たわ」
 ニヤリと面白がっている様な笑みを浮かべた香澄に、玲子が些か怪訝な表情を見せた。


「初対面の時って……、家に来て清人君が骨折した時の事?」
「そうよ。その時に真澄ちゃんに貰ったハンカチ、綺麗に洗って未だに隠し持ってるのよね~」
「あら……」
「あの清人君が、本当に?」
 意外な話を聞かされて佐和子も驚きを隠せなかったが、香澄は軽く頷いて話を続けた。


「ええ、それに気付いたのは去年なんですけど。それと清人君、私と暮らし始めてから道場通いを始めたでしょう? どうも真澄ちゃんの前で、また格好悪い所を見せたくないと思ったらしいの。最近道場の師範の方に会った時色々話を聞いたら、通い始めた当時そんな事を口走ってたそうなの。……また会えるって保証は無いし、寧ろ会えない可能性の方が高いのに健気よね~」
「言われてみれば……。香澄さんが来てから、清人君が随分逞しくなったわね。義理のお母さんができて、精神的に落ち着いたせいかと思っていたんだけど……、そういう事だったの」
 納得したように佐和子が頷いたが、玲子は言われた内容を僅かに考え込んでから、香澄に問い掛けた。


「もしかして……、だから清香ちゃんに雄一郎さん達を『知り合いのおじさん』と認識させてまで、子供達をここに出入りさせる様にしたわけ?」
 それに香澄が嬉しそうな笑顔で応じた。
「ご名答。流石お義姉さん、察しが良いわ。そうでなかったら兄様達なんて、未だに『通りすがりのただのストーカーおじさん』よ」
「なるほどね……、良く分かったわ。どうして雄一郎さん達がこの家に出入りさせて貰う様になったのか、少し不思議に思っていたのよ」
 バッサリと兄達を切り捨てる発言をした香澄に苦笑いし、玲子は小さな疑問が解決して満足げに頷いた。すると香澄が期待に満ちた目で玲子を見やる。


「それで……、義姉さん、どうかしら? 真澄ちゃんのお婿さんが清人君じゃ駄目?」
 そうお伺いを立ててきた義妹に、玲子は穏やかに微笑んだ。
「そんな事は無いわよ? 清人君はしっかりしていて、気が利くし優秀だし。真澄の方も満更じゃないと思うわ。ここに来る時は気合い入れて服や小物を選んでるし。寧ろ熨斗付けてあげるから貰って頂戴?」
「うふふ……、玲子義姉さんならそう言って貰えると思ってたの。岡田さんはどう思います?」
「え? どう……って、何がかしら?」
 いきなり話を振られた佐和子が戸惑いながら問い返すと、香澄はさも当然と言わんばかりの口調で続けた。


「だって岡田さんは母親が居なかった清人君を、彼が赤ん坊のから面倒見てたでしょう? いわば育ての母だし、清人君のお嫁さんに関しては私よりも岡田さんの意見の方が重要だと思ったから、今日この場にお呼びしたの」
「あら、まあ……、そういう事だったのね。漸く呼ばれた訳が分かったわ」
 香澄の主張を聞いた佐和子は微笑み、香澄と玲子を見ながら少し考え込んだが、すぐに静かに語り始めた。


「香澄さん、別に私の意見なんて必要無いと思いますけど……。真澄さんっていうお嬢さんは、去年からこちらにいらしていた時に何度か見かけた事がある程度ですけど、いつも笑顔で綺麗なお辞儀をする娘さんだなぁと、感心して見ていたの。こんな上品なお母様がいらっしゃるなら納得できるわ」
「ありがとうございます」
 優雅に微笑んで軽く頭を下げた玲子に、佐和子も笑顔を返して話を続けた。


「だって今時の子って、頭を下げれば良いと思って、カクンと首を曲げるだけだったり、顔を上げながら体を曲げたりする様な、見苦しい、お辞儀とも言えない様な事をする子が多くて……」
「確かにそうよね~」
「ごもっともですわ」
 香澄と玲子が真顔で同意すると、佐和子は笑顔を深め、真澄を誉める言葉を続けた。


「でも真澄さんはちょっと見ただけでもきちんと躾られているのが分かるお嬢さんですし、清香ちゃんに対する態度から見ても、気配りの出来る優しい心根のお嬢さんだと思います。ですから、そんな素敵なお嬢さんが清人君のお嫁さんに来てくれるなら、私としても望外の喜びです」
「まあ、そこまで娘を誉めて頂けるなんて、正直面映ゆいですわ」
「いいえ、本当の事ですもの」
 そこで玲子が些か照れ臭そうに応じたが、佐和子が穏やかに笑って肯定した。すると居住まいを正した玲子が、神妙な顔つきで佐和子に申し出る。


「岡田さんとは末永くお付き合いしたくなってきましたわ。宜しかったら私の事は『玲子』と名前で呼んで頂けませんか?」
「まあ、こちらこそ恐縮ものですけど……。それなら玲子さん、私の事は『佐和子』と呼んで頂けません?」
「分かりましたわ。佐和子さん、娘が清人君と結婚した事には、娘とも宜しくお付き合い下さい」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 そんな風に意気投合した二人を笑顔で眺めていた香澄は、ここで軽く釘を刺した。


「二人とも、和んでいる所悪いんですけど、この事は他言無用でお願いしますね? 本人達は隠してるから変に煽ったら怒るだろうし、あのクソジジイの耳に入ったら、またどんな嫌がらせするか分からないから」
「本当にそうね……」
「そうね、なかなか難しい年頃だし」
「あ、それから玲子義姉さん。この話が本人同士で纏まるまで、真澄ちゃんに変な虫を付け無い様に目を光らせててね?」
「任せて頂戴。雄一郎さんからの見合い話は真澄が自力で粉砕する予定だから、他は私が排除してあげるわ。香澄さんこそ清人君はモテそうだから、変な女の子なんか引っかけさせちゃ駄目よ?」
「その心配は必要無さそうですけどね。品行方正な理想の婿に仕立て上げてみせるから、安心して頂戴?」
 そんな風に笑い合って頷いてから、香澄が次の話題を繰り出した。


「じゃあめでたく話が纏まった所で、次の話に移りたいんですけど」
「次?」
「あら、他にまだ何かあるの?」
 そこで香澄は背後に手を伸ばして畳の上に積み上げていた物を手に取り、怪訝な顔をした二人の前に広げて見せた。
「これよ!」
「は?」
「え?」
 卓袱台の上に所狭しと並べられたそれは、ブライダル特集が掲載された女性誌、及び結婚情報誌の類であった。わざわざ香澄が集めたらしいそれに目をやりながら、二人がその意味を捉えかねていると、ここで真澄が真剣な顔で玲子に問い掛ける。


「お義姉さん、自分の結婚披露宴の事、覚えているでしょう?」
 その問い掛けに、玲子は傍目にははっきりとは分からない程度に、ピクリと顔を引き攣らせた。
「……忘れられないわよ。あんな不愉快な事」
「あら、何かトラブルでもあったんですか?」
 思わず心配そうに佐和子が口を挟むと、我に返った玲子が笑顔を取り繕いながら、いつも通りの口調で弁解した。


「いえ、トラブルと言う物とかは無かったのですが……、付き合いが広い事も有って体面重視のお仕着せの進行でして。私の希望とかも全く聞いて貰えませんでしたから」
「もう最後の方、お義姉さんの笑顔が引き攣ってたのが、私にも分かったもの……」
「当たり前よ。大して知りもしない連中から、ありがたみも何も無い祝辞を延々と聞かされて、ろくに食べられないまま黙って聞いているしか無いなんて。衣装すら選ばせて貰えなかったのよ? それにその直後に雄一郎さんったら、ろくでもない事を言って……」
「雄兄様……、何を言ったのよ……」
「名家だと、それなりに大変なんですねぇ」
 隠し切れない玲子の怒りの表情を見てしまった香澄と佐和子は、思わず溜め息を吐いた。そして香澄が気を取り直して、玲子を宥める様に言い出す。


「それじゃあ尚更、真澄ちゃんが結婚する時には、それの鬱憤晴らし……、じゃなくて、玲子義姉さんがこういう披露宴にしたいっていう、理想のプランを作ってみたら良いんじゃない?」
「え?」
 予想外の事を言われて玲子は当惑したが、香澄は畳み掛ける様に話を続けた。
「清人君と真澄ちゃんなら、『こんな風にすれば良いんじゃない?』と言えば、喜んでやってくれると思うのよ? 二人とも素直な良い子達だし。親の願いを無碍に断ったりしない筈だわ」
「なるほどね……」
 感心した様に頷いた玲子は、ここで幾分冷やかす様に香澄を見やった。


「でも……、披露宴とか出来なかった香澄さんも、色々やりたい事があるんじゃない? 子供達にさせるんじゃなくて、今からでも自分達ですれば良いのに」
「まさか、冗談でしょう? 今更恥ずかしいもの。二人にやって貰って、それを見るだけで十分です」
 そう断言した香澄は、改めて二人に申し出た。


「だから二人の結婚が決まったら、お祝い代わりに素敵な披露宴プランをプレゼントしようと思ったの。感激してきっと涙を流して喜んでくれるわ。だから玲子義姉さん、岡田さん、協力して欲しいの」
「でも……、年寄りの私の意見なんか、必要かしら?」
 首を傾げつつ控え目に口を挟んだ佐和子だったが、香澄は笑って言い聞かせる様に告げた。


「あら、だってその時には、岡田さんにはご主人共々親族席に座ってもらうつもりなんですもの。せっかくだから楽しんで欲しいと思って、今回声をかけたんです。ほら、最近は以前には無かった様な演出が、色々出てきてるんですよ? 岡田さんが見てみたいと思う物はありません? ほら、これとか、それとか……。こんなのも有りますよ?」
「そうねぇ……」
 そこで香澄が次々に指差して示す記事を見ながら、難しい顔で考え込んだ佐和子は、二・三分してから多少恥ずかしそうに告げた。


「個人的な意見を言わせて貰えば……、これと……、これとかは見てみたいかも……」
 控え目に佐和子が指し示した内容を見て、忽ち玲子が瞳を輝かせる。
「まあ、佐和子さん、私も全く同意見ですわ。同じ意見の方が居て嬉しいです」
「自分がするなら流石に恥ずかしいと思いますけど、冥土の土産に見てみたいですね」
「まあ、そんな事仰って……。二人が結婚してからも、お元気でいてくれないと嫌ですわ」
「ありがとうございます、玲子さん」
 二人がそんな事を言いながら微笑み合っていると、横から香澄が殊勝な態度で玲子にお伺いを立てた。


「それでお義姉さん、実はもう一つお願いがあるんですけど……」
 流石に幾分言いにくそうに香澄が言い出すと、万事心得た玲子が軽く自分の胸を叩く動作をしながら、力強く請け負う。
「費用の事は心配しないで。娘の一世一代の晴れ舞台なんですもの。一千万でも二千万でも、好きなだけ出してあげるから安心なさい」
「流石お義姉様! 話が分かるわ!」
 玲子に費用面の懸念を払拭して貰った香澄は、満面の笑顔で佐和子に声をかけた。


「さあ、それじゃあどんどん見てみましょう。勿論佐和子さんも遠慮なんかしないで、良いと思った物はどんどん言って下さいね?」
「ええ……。だけど本当に、最近は色々あるのね……。昔は想像もできなかったわ」
「和装でも白無垢や振袖以外に、こんなのも出ているみたいですね」
 佐和子共々玲子も感心しながら情報誌を覗き込んでいると、香澄がある記事を指差しながらボソッと呟いた。
「これを二人で着た場合……、清人君、カツラを被るのかしら」
「「…………」」
 その唐突な香澄の台詞に室内に不気味な沈黙が満ちたが、すぐに押し殺した笑い声が生じた。


「……っ、き、清人君なら何でも似合う、かもっ……」
「佐和子、さんっ……、笑って、ますわよね?」
「玲子さん、こそっ……」
「ふふっ……、何かどんどん楽しくなってきたわ。ねえねえ、これなんかどうかしら?」
「あら、素敵じゃない」
「如何にも非日常的で良いわね」
「じゃあこれも候補に入れて……っと。さあ、こっちも見て下さいね!!」
 その時、三人の女性の間にはそれぞれ十歳前後の年齢差が有ったにも関わらず、そんなものは物ともせずに完全に一致団結し、清人と真澄の披露宴プランについて、昼食を食べるのも忘れて白熱した議論を展開したのだった。




「…………っ!」
 休み時間、窓際で立ち話をしていた清人が、いきなり身を竦ませて周囲に視線を走らせた為、話し相手だったクラスメイトの裕樹が怪訝な顔をした。


「何だ、清人。どうかしたのか? 急に変な顔して」
「今、何か悪寒を感じた……」
 真顔で清人がそう呟くと、裕樹が呆れた様に教室の出入り口の方を軽く指差す。
「はぁ? 悪寒じゃなくて熱い視線じゃないのか? ほれ」
 ドアの向こうから自分目当ての他のクラスの女子が何人かこちらの様子を窺っているのを清人は確認したが、硬い表情で首を振った。


「いや、そうじゃない……。家が燃えたりしていないか心配になってきたから、早退する」
「おい、なんだそりゃ!?」
 いきなりとんでもない事を言い出して自分の席に戻り、迷わず鞄に手を掛けた清人を、裕樹が慌てて止めた。


「ちょっと待て。いきなり何を言い出すんだ」
「どうも香澄さん絡みで、嫌な予感がしてしょうがないんだ。だから……」
 真顔で清人がそう訴えたが、同じ中学から進学した友人でもある裕樹は清人の家族構成や内情も知り尽くしており、思わず遠い目をしながら清人を宥めた。
「……あの色々規格外の義理のお袋さんか? 大抵の事はやらかしてるだろうから、周りだって慣れてて大した騒ぎにはならないさ。落ち着けよ」
「…………」
 ある意味的確な裕樹の指摘に(確かにそうかも……)と納得してしまった清人は、元通り鞄を机横のフックに掛けて腰を下ろした。そして裕樹が疲れた様に溜め息を吐いた所で、次の時間の担当教官が来て授業が開始される。


(何かもの凄く、嫌な予感がするんだが……)
 大人しく授業を受け始めた清人だったが、その日帰宅するまで不安な気持ちを抱えたまま過ごす事になったのだった。


「……っ、はくしゅっ!」
 休み時間にいつもの四人で集まって話し込んでいた最中、いきなり真澄がくしゃみをした為、周りが驚いた顔を向けた。


「なぁに真澄、風邪?」
「違うと思うけど……」
「私達と違って、真澄はハードな受験生なんだから、体調管理には気をつけなさいよ?」
「分かってるわ」
 そこで首を捻った真澄に対し、周りから口々に笑いを堪える様な声がかけられた。


「それとも……、誰かに噂されてるとか?」
「どんな噂よ。真澄に関しては、校内で噂は事欠かないでしょ?」
「まあ、それもそうね。今更噂位で真澄がくしゃみなんかしないわよ」
「勝手に言っててよ、もう……」
 拗ねた様に真澄が応じると、友人達は揃って楽しそうに笑った。それに肩を竦めながら真澄が密かに考え込む。
(何か……、一瞬悪寒がしたのよね……。誰か何かろくでもない事を考えてるのかしら?)


 清人と真澄がその時悪寒を感じた理由は、その後十六年程の年月を経てから明らかになるのだった。



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