カレイドスコープ

篠原皐月

(3)玲二の場合

 その話は数年前に遡る。


 ※※※


 専門学校を卒業し、無事国家試験に合格して研修等も済ませた玲二はその日、就職先での勤務初日を迎えていた。
 緊張しながらも気分良く、充実した時間を過ごしていた玲二だったが、昼過ぎの時間帯になってワゴンの備品を補充しながら一人首を捻って呟く。


「……何か変だ」
「何がだ? 分からない事があったら、恥ずかしがらずにすぐ聞けよ?」
 三十手前で店を任されている中村が、入ったばかりの新人に対して面倒見が良さそうに思われる台詞を口にすると、玲二は困惑気味に訴えた。


「店長……、実はさっきから、時々変な視線を感じる様な気がしまして……」
「おいおい、自意識過剰だなお前。確かに見た目良い男だが、客の目を気にして仕事が出来るか。仕事に集中しろ」
 今度は若干叱責のニュアンスが含まれていたが、玲二は益々困惑しながら、待合席とは反対側の、窓の外を軽く指で示しつつ弁解した。


「いえ、客からの視線じゃなくて……、窓の外からなんです」
「は?」
 それを聞いた中村は思わず呆けた表情で窓に顔を向けたが、壁面がガラス張りのビルの二階に入っている店舗であり、窓の向こうには通りを挟んで建っているビル群の二階以上しか目に入らなかった。
 その事実を確認してから、中村がゆっくりと玲二に向き直る。


「……もしかしてお前、霊感とかあるタイプ?」
「今までは、そんな気は無かったと思うんですが……、目覚めたかな?」
 こめかみを軽く指で擦りながら、真面目な顔で考え込んでしまった玲二に、若干顔を青ざめさせた中村の小言が投げつけられる。


「初日から変な事言ってないで、さっさと備品揃えろ! あ、その前に、あそこの席の周りを掃け!」
「分かりました」
(どうやら店長にはホラー系の話はタブーらしい)との情報を頭にインプットしながら、玲二は床に散乱しているカットされた髪を掃き集めにかかった。


 そして翌日。


「……おかしい」
「だから何が。おかしいのはお前の方だ」
 窓の方に目をやりながら眉を寄せて考え込んだ玲二に、中村が些かうんざりとした表情で問い掛けると、既に中村から前日の話を聞いていたらしい他の何人かのスタッフが、玲二達の周りに様子を見に寄って来た。


「え? どうかしたの?」
「店長から聞いたけど、また視線を感じるとか?」
「はい……」
 先輩に声をかけられて、何となく納得しかねる顔で頷いた玲二に、中村は勿論他の者達も心配そうな顔を向けた。


「おい、神経過敏ってわけじゃ無いよな?」
「まだオープン前で客は居ないのに……。柏木君、派手な外見に似合わず、結構繊細なのね。大丈夫?」
「それとも就職したばかりで、まだ緊張しているのかしら?」
 そんな風に、口々に気遣う声を掛けて貰った玲二は、(もう気楽な学生じゃないんだぜ? 家から出て自立の第一歩だって言うのに、一社会人として恥ずかしいだろ? しっかりしろよ!)と自分自身を叱咤しつつ、周囲に笑顔を向けて力強く告げた。


「そんなにヤワな神経をしてるとは思って無かったんですが……。別に具合が悪いとかじゃありませんので、これからは仕事に集中します。ご心配お掛けして申し訳ありませんでした」
 そう言って軽く頭を下げた玲二に、他の者達も笑顔を見せる。
「よし、その意気だ。今日もビシビシこき使うからな?」
「店長酷~い! 頑張ってね?」
「苛められたらすぐお姉さん達に言うのよ?」
「おい、何だそれは?」
「でも具合が悪くなったら、すぐに言いなさいよ?」
「はい、店長、香川さん、仁木さん、高瀬さん、ありがとうございます」
 そうして和やかな雰囲気になったところで、皆手際良く開店準備を再開した。しかし開店して忙しく立ち振る舞いながらも、笑顔を浮かべている玲二の中では、まだモヤモヤした気分が晴れないままだった。


(しかし、何なんだろうな……。見た目や実家のせいで、他人からジロジロ見られるのには慣れてる筈なのに。しかも羨望とか嫉妬とかじゃなくて、……強いて言えば悪寒を感じる)
「それでは先に、そちらの一番手前のシャンプー台へどうぞ。髪を濡らしておきますので」
「はい」
 にっこり微笑むと釣られた様に笑顔になった女性客を誘導しながら、玲二はチラッと背後のガラス窓に目を向けた。


(第一、窓の外から視線を感じるなんて有り得ないのに。逆に視線に敏感になりすぎて、烏か鳩に見られてるのが気になったりしてるのか?)
 密かにそんな事を悶々と考えながらも、問題無く髪を洗い流した玲二は、次にカット席に誘導した。


「シャンプーはカットの後に致しますので。それでは一番窓側の席へどうぞ」
「分かりました」
 そして椅子に座った客にカット用のケープを掛けていた玲二は、窓の方に視線を向けながらふと笑いを噛み殺した。
(鳥相手でも、見られるならやっぱりメスの方が良いな…………って!? ちょっと待て、今のって!)
 しかし次の瞬間、異常な物を認めてしまった玲二は、固まって窓の外を凝視した。そして冷や汗を流しながら、我知らず小声で呟く。


「おい、ちょっとまて。あれってまさか……」
 そこで不自然に立ち尽くしている玲二に、カットに取り掛かるためやってきた中村が、怪訝そうに声をかけた。


「うん? 柏木、どうした?」
「……いえ、何でもありません」
 若干引き攣った笑顔を見せながら玲二が振り向くと、中村が鷹揚に笑って頷いてみせた。
「それなら柏木、手が空いたら休憩に入れ。一段落ついたしな」
「ありがとうございます。じゃあ入らせて貰います」
「ああ、お疲れ」


 玲二は軽く頭を下げて客を中村に引き継ぐと、店内をゆっくり移動して腰に付けていた商売道具を所定の位置に戻した。しかし従業員用のスペースに入ると更衣室に駆け込み、ロッカーから財布だけを取り出して、一目散に外へと駆け出す。
 それから店が入っているビルの正面玄関から道路に出て、行き交う車の流れを見ながら一直線に広い道路を横断し、向かい側に建っているほぼ同規模の商業ビルに飛び込んだ。そして迷わずその二階の、道路側に入っている喫茶店を目指す。そして『本日貸切の為入店できません』の札が下がったドアを勢い良く押し開けると、カラカラン……というカウベルの音と共に、落ち着き払った男性の声がかけられた。


「お客様、申し訳ありません。今週一杯は貸切になっておりまして……」
「ああ、マスター、こいつは良いんだ。向かいの美容室で働き始めた、例の義理の従弟だから。玲二、ここに座れ。マスター、水とお絞りを頼む」
「左様でございましたか。失礼しました、どうぞお入り下さい」
「……やっぱり」
 窓際の席に座ってその場を仕切っている清人の姿に、片手でドアを押し開けた状態のまま、玲二は脱力してうなだれた。


「休憩に入ったんだな。お疲れ、玲二。何か食べるなら奢るぞ? 就職祝いの代わりだ」
 清人が爽やかに笑いながらメニューを差し出して来たが、向かい側に座った玲二はテーブル上の物に厳しい目を向けつつ問い質した。


「こんな所で一体何をやってるんですか、清人さん!?」
 しかし逆に鋭い視線を向けられて恫喝される。
「昼休みは時間が決まってるよな? 喚く前にさっさと食う物を選べ。客の前で腹を鳴らす様な無様な真似は、あそこの店長が大目に見ても俺が許さん」
「…………」
 有無を言わせないその口調に、逆らったら後々酷い事になると身にしみて理解している玲二は素直にメニューを開き、水とお絞りを運んできた初老のマスターに声をかけた。


「すみません、ピザトーストセットをお願いします。飲み物はブレンドで」
「畏まりました」
 恭しく頭を下げたマスターがカウンターの向こうに消えたのを見計らって、玲二が小声で清人に凄んだ。


「それで? ここで何をしてるんですか? 昨日から居ましたよね?」
 それを聞いた清人がちょっと驚いた顔をする。
「気が付いていたのか? 案外敏いな。それにしては飛び込んで来たのが今日だが……」
「レンズの反射光で今日確信できたんです! 一体どうして店を覗く様な事をしてるんですか!?」
 窓の外、正確には自分の勤務先に向きを合わせてスタンドで固定された双眼鏡をビシッと指差しながら玲二が叫ぶと、清人が平然と言い返した。


「浩一と真澄さんに『甘ったれで我が儘で自由奔放に育ってきた玲二に、客商売なんて務まるだろうか。職場にご迷惑を掛けたりしないかと心配で』と別々に相談を受けたんだ。調べてみたら俺のマンションの最寄り駅から、乗り換え無しで行ける所だったから、これは見に来て下さいと言っている様なものだろう」
 そんな勝手な解釈まで聞かされた玲二は、両手をテーブルに付いてがっくりとうなだれた。


(しまった……。就職先を決めるのに、そこまで考えてなかったぞ)
 当然と言えば当然の行為だったのだが、玲二は就職先を今の店にした事をチラッと後悔した。しかしすぐ思い直す。
(いや、この人だったら例え就職先が沖縄だろうが北海道だろうが、どんな屁理屈を付けてでも、様子を見にくる筈だ)
 そう思った玲二は、当面の問題を解決すべく、声を絞り出した。


「あの……、清人さん」
「何だ?」
「俺、もう子供じゃないから。第一、社会人として働き出した人間をそんな風に心配するのは、ある意味俺に対して失礼だと思う」
 しかしその控え目な拒絶を聞いても、清人は動じるどころか笑みさえ浮かべて言い返した。


「お前はあの二人から少し年が離れてるからな……。向こうにしてみれば、一方的にお前を世話した記憶から抜け切れないんだろう。だから『そんなに心配なら、時々様子を見に行ってみる』と二人に約束したんだ」
「時々って! 勤務初日から張り付いて、何言ってんだよ!」
 流石に玲二が憤慨して声を荒げたが、清人は真顔で反論した。


「何と言っても初めが肝腎だろうが。流石に店内にカメラやマイクを仕掛ける真似は出来なかったからな」
「当たり前です! 真面目な顔で何を言ってるんですか!?」
「だから取り敢えず、店内を観察できるこの店を一週間貸切にした。更にガラス越しでもちゃんと内部が見える、特殊偏光フィルター付きの双眼鏡も用意したしな。明良が詳しくて助かった」
(あ~き~ら~、後で見てろよ?)
 知らずに清人の片棒を担がせられたであろう従兄弟に心の中で悪態を吐いてから、玲二は懇願した。


「お願いですから……、家で自分の仕事をして下さいよ、清人さん……」
「してるぞ? それにここのマスターが淹れる珈琲が美味くてな、結構仕事がはかどるんだ」
 傍らのノートパソコンを指差しつつ清人が評した言葉に、ちょうどカウンターからトレーを手に出て来たマスターが、顔を綻ばせる。


「ありがとうございます、東野先生。……お客様、ピザトーストセットをお持ちしました」
「……どうも」
「ああ、今度はサントスをお願いします」
「畏まりました」
 もうこれ以上何を言っても無駄だと悟った玲二は、色々諦めて溜め息を吐き、マスターに短く礼を述べた。そしてしれっとしてお代わりを注文した清人に、神妙に問い掛ける。


「清人さん……、本当に一週間したらここから撤収してくれますか?」
 呻く様に確認を入れた玲二だったが、コーヒーカップ片手に返された清人の台詞は容赦ない代物だった。


「一週間のお前の勤務態度次第だな。真澄さんと浩一の顔に泥を塗る様な真似をさせる訳にはいかないから、客からクレームをつけられたり店長から叱責されたり、怪しかったら観察期間は延長だ」
「勘弁して下さい……」
「俺もずっと眺めているわけじゃない。偶々眺めた時にそんな場面を目にしたら、頻繁にそんな問題を起こしている可能性が大だからな」
「観察じゃなくて監視じゃないか」
 がっくりと項垂れた玲二に、涼しい顔で清人が促す。


「冷めるぞ? 温かいものは温かいうちに食え」
「……いただきます」


 ※※※


「……そうして俺は一週間監視されたんだけど、それで取り敢えず清人さんは納得してくれたみたいで、大人しく引き上げてくれたんだ」
 そう言って、心底疲れた様に「はぁ……」と溜め息を吐いた玲二の姿を見て、浩一と真澄と明良は盛大に顔を引き攣らせつつ、謝罪の言葉を口にした。


「すまない、玲二。俺はちょっと不安を口にしただけのつもりだったんだ。そんな事になるとは夢にも思わず……」
「私も……、実の姉兄だと却って言いにくい事があるかもしれないから、何か言ってきたら相談に乗って欲しい、位の気持ちで……」
「悪かった……。まさか清人さんがそんな用途に使う為に欲しがってたとは、夢にも思わなかったから……」
「うん、三人に悪気が無いのは分かってたから。だから今まで口にしなかったし」
「…………」
 心なしか暗い表情でグラスを傾けた玲二に、三人はとっさに次にかける言葉が見当たらず黙り込んだ。その周囲で呆れ気味の声が次々上がる。


「しっかし本当に、やるときはとことんやる男だね~、清人さんって」
「あの人の辞書に、『限度』とか『節度』とかって文字は無いのか?」
「確かに。変な所で負けず嫌いだし。からかうと楽しいけどね」
 そう言って、何を思い出したのかクスクスと笑い出した友之を、周囲の者達は何か不気味な物を見る様な目つきで見やった。


「からかうって……」
「お前、そんな恐ろしい事、何やったんだよ?」
「そんな事して、無事に済んだのか?」
「身体は一応無事だけど、流石に財布は無傷じゃ済まなかったな」
 そう言って小さく肩を竦めた友之は、周りからの無言の催促を受けて、静かに語り出した。





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