ようこそリスベラントへ

篠原皐月

(5)予想外の結末

 深夜に近い時間帯にランドルフがダニエルの執務室を訪ねると、予め側近が言っていた通り、その部屋の主は部下を帰して独りきりで、御前試合や同日開催の夜会のしわ寄せで溜まった政務を解消すべく取り込んでいた。


「まだ残っていたのか、ダニエル。そろそろ切り上げないか?」
 ノックの後、ドアを開けながら室内に呼びかけると、正面の机で仕事中のダニエルが、手元の書類から目線を外さずに応じる。


「もうすぐ区切りがつく所だ。それが終わったら帰らせて貰う」
「そうか。それなら折り入って話したい事もあるし、一緒に飲まないか?」
「俺の話を聞いていたのか? 俺は『終わったら帰る』と言った筈だ」
「ダニエル?」
 長年の友人に機嫌良く誘いをかけたランドルフだったが、相手は素っ気なく言葉を返し、彼は訝しげな表情になった。その直後にダニエルは手元の書類を纏めて引き出しにしまい込み、立ち上がりながら断りを入れる。


「それでは失礼する」
「おい、ちょっと待て。何を怒っている?」
 あっさりと別れを告げたダニエルの進路を阻む様にランドルフが立ち塞がって尋ねたが、彼の素っ気ない態度は変わらなかった。
「怒ってはいない。呆れて言葉もないだけだ」
 しかしそこでランドルフは、友人の態度が常とは異なる理由を推察した。


「ああ、まだ例の件で腹を立てているのか? それならきちんと謝っただろうが。それにアイリにとっても、悪い話では無いだろう? 上手くいけば、公爵か公爵夫人になれるんだぞ?」
 困った奴だとでも言わんばかりの苦笑混じりの口振りに、ダニエルは本気で呆れた表情になった。


「だから呆れて物が言えんと言った。娘がそんな物を欲しがると本気で思っているなら、お前の頭は相当おめでたくできていたんだな。知らなかったぞ」
 突き放す様な物言いに、さすがにランドルフは焦った様に弁解し始める。


「いや、確かに外で育った彼女にしてみればそうかもしれないが、お前にとっても自分の娘がそう言った立場になるのは誇らしい事と」
「そんな事を本気で思っているなら、とっくの昔に貴様を叩きのめして、俺自身が公爵位を手に入れている。俺の今の発言がはったりでも負け惜しみでも無い事を、お前だけは知っていると思っていたがな」
「……ダニエル」
 話の途中で眼光鋭く睨み付けられたランドルフは、愕然として相手の名前を呟いた。そこでダニエルは本音を漏らした事を自覚し、溜め息を吐いていつもの表情に戻る。


「重ねて言うが、俺は怒っているわけじゃない。お前に失望したと同時に、クラリーサ殿が不憫でならないだけだ。お前は娘二人は、どちらも可愛く無かったらしいな」
 しみじみとダニエルが漏らした台詞に、ランドルフは即座に反応した。


「どうしてそうなる! 私はクラリーサには、将来有望な最高の夫を与えたつもりだ!」
「界琉が? 最高の夫だと?」
 そこでくつくつと笑い出した親友を、ランドルフは叱り飛ばした。


「何がおかしい! お前の息子の事だぞ!」
「その最高の婿を、お前の考え無しの行為で激怒させた事が、まだ分からないとみえる。そんな人間の娘を界琉がどんな風に扱うか、いっそ見物だな」
 淡々と事実を告げたダニエルに、ランドルフは明らかに狼狽した。


「ちょっと待て。クラリーサは私の娘だぞ?」
「だから? それがどうした」
 暗にこの国の統治者である人物の娘を、粗末に扱うのかと確認を入れたランドルフだったが、ダニエルは全く恐れ入る事無く、素っ気なく言い返した。それを聞いたランドルフが、思わず声を荒げる。


「激怒したと言うのは、ルーカスとアイリの婚約を勝手に発表した事か!? どうしてそれが、カイルを激怒させる事になる!」
 それにダニエルは、即座に言い返した。
「恐らく界琉は、全てを知っているからな」
「全て?」
 困惑顔で尋ねたランドルフに、ダニエルが重々しく頷く。


「ああ、全てだ。だからあいつは昔から弟と妹を、全力で守ってきた」
「まさか……」
 その言わんとするところに漸く思い至ったランドルフは、忽ち蒼白な顔になった。そんな彼を哀れむ様に見やりながら、ダニエルはその脇をすり抜けてドアに向かって歩き出す。


「どうしてあいつがディル相当の力を保持していても、甘んじて下位にいたのか、その理由位、真面目に考えるべきだったな」
「ダニエル! 頼む!」
 素早く自分の腕を掴んで懇願してきたランドルフの腕を乱暴に引き剥がしつつ、ダニエルは非情に言ってのけた。


「言っておくが、あいつに取りなせと言うのなら御免だ。俺はまだ、命が惜しい。それに自分の意に沿わぬ事なども、するのはご免だ」
「待て! ダニエル!」
 そしてランドルフの目の前で荒々しくドアを閉めると、それ以上追い縋る気は無かったのか、続けてドアを出る気配は無かった。それに安堵しながら、ダニエルは一人で人気の無い廊下を進む。


「本当に、あれはこれ以上は無い程の悪手だったな。取り返しがつくかどうかは、クラリーサ殿次第か」
 沈鬱な表情でそう呟いたダニエルは、それからは一言発せずにその場を立ち去ったのだった。




 同じ頃、時差の関係で朝を迎えていた日本では、前日に戻って時差ボケを解消する暇もなく、藍里とルーカスが通常の時間に起き出して登校した。


「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「……行ってきます」
「行って参ります」
 無駄に明るい万里に見送られた二人は、両者とも重苦しい空気を背負いながら来住家の玄関を出て、一週間ぶりに秀英女学院へと向かった。そして無言のまま少し歩いてから、抑えようにも抑えきれない感じで藍里が低く呻く。


「何で……、どうして、こんな女装男が、私の婚約者になるのよっ……」
 その無念そうな声に、ルーカスが表情を険しくして言い返した。
「俺だって、好きで女装してる訳じゃ無いし、お前が婚約者だなんて真っ平御免だ」
 その訴えに、藍里が負けじと怒鳴り返す。


「それならちゃんとあんたの父親に、婚約を即刻解消するように言いなさいよ!」
「言って素直に聞いてくれる相手じゃ無い位、理解しろ!」
「それじゃあ、せめてあんたが引っ付いているのは止めてよね!」
「俺だってこんな恰好を止めたいのは山々だが、『今回の二組の婚約を容認している者ばかりでは無いから、暫くはアイリ嬢の警護を続ける様に』と指示を受けてるんだよ! しかも『婚約者との相互理解を深める為に、相手の生活環境を理解する為の努力は必要だ』とか何とか言って、『卒業まで戻って来なくて良い』とか言われてるんだぞ!? 俺の立場をどうしてくれるんだ!?」
 腹立ち紛れのルーカスの叫びを聞いて藍里は、ここで完全に向かっ腹を立てた。


「はぁ? まさかそれ、私のせいって言いたいの? 冗談じゃないわよ! 卒業まで付きまとわれる、こっちの身にもなりなさい! 第一、今年は受験だって言うのに、これじゃ全然集中できないわよ!!」
 それを聞いたルーカスは怒りの表情から一転し、不思議そうな顔になった。


「受験? そんな事、必要ないだろう?」
「え? どうしてよ?」
 その疑問に、ルーカスが当然の事の様に続ける。
「聖紋持ちの人間を、公爵家を含むリスベラントの社会が、外に出しっ放しにするわけないだろ。高校を卒業したらリスベラントに移住する話、まさか聞いてないとか言わないよな?」
「聞いてないから! 何よそれ!!」
「……そうか、聞いてなかったか」
 寝耳に水の話を聞かされて愕然となる藍里と、そんな彼女の反応を見て、遠い目をするルーカス。しかしルーカスの方が一足早く立ち直り、淡々と言い聞かせた。


「まあ、大学に行きたかったら、アルデイン国立大学に、どの学部でも籍を準備してやるから。そこら辺はディアルド公爵の名前と権力で、どうとでもなるだろうし」
「冗談じゃないわよ! 何よ、その露骨過ぎる裏口入学は!?」
 それを聞いた藍里は盛大に顔を引き攣らせたが、ルーカスは素っ気なく言い放った。
「どうせ大した成績じゃないんだろ? 素直に喜べ」
 すると藍里はピタリと足を止め、押し殺した声で呻いた。


「本っ当に一々、失礼な奴よね。登校前に、あんたの丸焼きを作りたくなっちゃったわ……」
「ほう? そうか。実は俺も、急にお前の一夜干しでも作りたい気分になって来たな」
「一夜干しなんて、随分日本文化に慣れ親しんできたわね」
「お前こそ、ヒルシュ邸で出された豚の丸焼きが、相当気に入ったらしいな」
 足を止めて険悪な空気を醸し出しつつ、低い声で悪態を吐き合っていると、誰かが駆け寄りながら声をかけてきた。


「来住先輩!」
 その声に振り返ると、弓道部の後輩である事を見て取った藍里は、黙ってルーカスに目配せした。対する彼も余計な事は言わずに、口を噤む。


「来住先輩、クラリーサさん、おはようございます!」
「おはよう、谷崎さん」
「おはようございます」
 走って来て元気良く頭を下げた谷崎詩織に、内心はどうあれ二人は笑顔で挨拶を返した。すると詩織が、如何にも安堵した様な表情で言い出す。


「来住先輩、季節外れのインフルエンザにかかって、出席停止になっていると吉川先輩から聞きましたけど、もう大丈夫なんですね。季節外れの罹患で変に悪化してるんじゃないかと、部の皆で心配してたんです」
 そう言われて(そんな設定になってたっけ……)と思い返しながら、藍里は何でもない様に告げた。


「変に心配をかけてしまったみたいね……。一週間休んでしまったけど、熱が出たのは最初の二日だけで、後は元気だったのよ。でも無理して周りの人にうつす訳にもいかなかったしね」
 そこで詩織はたびたび部活を見学に来ていて、顔を見知っていたルーカスに向き直った。


「そう言えば、クラリーサさんも同時期にお休みされていたそうですね。吉川先輩が『絶対藍里がうつしたわね。国際問題にならなきゃ良いけど』なんて笑ってましたが」
 それを聞いたルーカスは、思わず苦笑してしまった。


「まさか。そんな事で、国際問題などにはなりませんから」
 それに詩織も笑顔で頷く。
「そうですよね。現にお二人とも、朝からとっても仲が良いですし」
「良くないから!」
「気のせいだ!」
「え?」
 二人同時に力一杯否定した上、ルーカスは普段の言葉遣いで言ってしまった為、詩織は首を傾げて二人を見つめた。その視線を受けて、藍里とルーカスは冷や汗を流しながら弁解する。


「ええと、そうじゃなくて……、それなりに大人の対応と言うか……」
「その……、円滑な人間関係と言うものの必要性は、万国共通だと思いますし……」
「はぁ……。あの、それでは失礼します」
「ええ、今日からまた部活に顔を出すわね」
 何となくこれ以上深く追及しない方が良さそうだと察した詩織は、一礼して一足先に学校に向かって歩き出した。そして遅れて再び歩き出した藍里は、並んで歩くルーカスに、再度小声で悪態を吐く。


「……並んで歩かないで欲しいんだけど?」
「俺だってお前と一緒に行動するのは、真っ平御免だ」
 傍目には和やかに会話しながら歩いている二人の毒舌は、結局登校するまで止まず、親睦を深めるどころか益々仲が拗れかねない様相を呈していたのだった。


(完)





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