ようこそリスベラントへ

篠原皐月

(8)本領発揮

「アイリ様、母屋の方に飲料水を貰いに行きましたら、アイリ様の従兄だと仰る方に遭遇しまして、ついでにタオルもお借りしてきました。宜しかったらお使い下さい」
 そう言って穏やかな笑顔で差し出されたそれらを、藍里は笑顔で受け取った。
「ああ、一成さん、帰って来てたんだ。もう夕方だしね。じゃあ、ありがたく頂きます」
「はい、どうぞ」
「従兄弟?」
 二人の会話を聞いて不思議そうにルーカスが呟くと、セレナが向き直って説明を始めた。


「はい、基樹さんにはご子息が二人おられて、上の方だそうです。今は夕飯の支度で忙しいので、目途が付いたら殿下に挨拶させて貰うと仰っていました」
「夕飯の支度? そう言えば基樹氏の夫人は、今日は留守なのか?」
 何気なく問いを発したルーカスだが、それを聞いた途端藍里は口からグラスを離し、遠い目をしながら呟くように告げる。


「伯父さん、離婚してるのよね……。ちょっと変わってる人だし、過去に色々あったみたいで。でも和恵伯母さんも遠縁の人で、昔から伯父さんのあれこれは知ってるから、問題ないと思ってたんだけどな……」
「そうか……」
 そこで他の三人から目配せを受けたルーカスだったが、そんな忠告を受けずともこれ以上踏み込まない方が良い事が分かった彼は、それきり口を閉ざした。
  基樹が指示した十分は、藍里が水を飲んでタオルで汗を拭き、武装したまま玄関に戻って靴を履いて裏庭に出るまでにあっという間に過ぎてしまった。そして裏庭から繋がっている山を目の前にした藍里は、先程と同じ剣を片手に佇んでいる基樹に声をかける。


「伯父さん、ここで何をする気?」
 そこで基樹が不敵に笑いつつ口を開いたが、それと同時に彼の剣、もっと詳しく言えば刀身部が、通常では有り得ない輝きを見せ始めた。


「勿論、稽古だが? 道場の中だけではどうしても動きに制限があるし、全力で戦えないからな。万里の他は、本気で相手をしてくれるのは界琉と悠理位だったから、三人ともリスベラントに入り浸る様になってこちらに出向いてくれなくなって、最近ではなかなか相手をして貰えなかったから、久し振りで嬉しいぞ」
「全力で、って……、え? ちょっと、伯父さん?」
 先程の道場での比では無い物騒なオーラを、基樹が醸し出し始めたのを感じ取ってしまった藍里は、盛大に顔を引き攣らせたが、身体の前で中段の構えを取った基樹は、そんな事には構わずに“稽古”の再開を宣言した。


「ここなら道路からも奥まってて、ちょっと覗いただけでは見えないし、立派な私有地だから遠慮はいらん。この際、お前の武術と魔術のバランス具合を、徹底的に試してみるぞ。……地、出、延、曲!」
「えぇっ!? ちょっと何よ、これはぁぁっ!?」
 鋭く基樹が叫んだ意味不明の言葉に呆然とする暇も無く、藍里の足元の地面が歪み、そこから木の根の様な物が勢い良く飛び出して、足に絡み付こうとした。当然拘束されるのを避ける為、藍華を掴んだまま咄嗟に後方に飛び退いた藍里だったが、その軌道を追って根もどきも空中に素早く伸びたのを見て取って、内心で狼狽する。


(捕まったら拙い! 切らないと! リィェ……)
 その時には前方からは元より、不気味な根は四方八方から彼女に襲い掛かっていたが、僅かに藍華の刀身部分が淡く光っただけで、その一振りで全ての根が霧散した。その光景を見た基樹が、すこぶる満足そうに微笑み、彼女との距離を一気に詰めながら、巧みに裏山の方へと追い込む。 


「ほう? やはり最低限の防御は、条件反射でできるらしいな。では引き続き行くぞ! 滴、流、針、投!!」
 基樹がそう叫びつつ、左手を右手で横一文字に構えた剣の、煌光りしている刃紋の上を勢い良く滑らせたが、彼の左手は切れたりすることは無く、刀身から藍里めがけて何本もの針状の物が飛び出した。それを殆ど条件反射だけで薙刀を回転させつつ弾き返した藍里から、本気の悲鳴が上がる。


「うきゃあぁぁっ!? ちょっと伯父さん! 私を殺す気!?」
「死なせない様に、心を鬼にして鍛えてやってるんだろ? ほらほら、逃げるなり受けるなり返すなりしろ! 烈、風、刃!」
 下手したら大怪我では済まない状況にも係わらず、基樹は益々高揚した表情になりながら、気合の籠った薙ぎ払いを見せた。その風圧の先触れで本能的な危険を藍里が感じた瞬間、紅蓮の両足部の脛当てが淡く赤く光り、咄嗟に飛び退いた藍里の跳躍力を増幅させる。
 結果として二メートル近く飛び上がってから着地した藍里だったが、その事実に呆然とする間も無く、背後で生じた異音に振り返った。そしてその光景を見て血の気が引いた顔のまま、基樹に向き直って非難の声を上げる。


「伯父さん! 一体何をやったのよ!? 鬼なのは、心だけじゃ無いわよねっ!!」
 先程咄嗟に避けなかったら、樹齢数十年に見える杉の木同様胴体を横一線に切られていた事態に、藍里は本気で声を荒げたが、基樹は些か的外れな返答をした。


「何って、それに触れると大抵の物が切れる、ごく薄い真空空間の刃を作り出してお前に向かって投げただけだが? それはごく短時間で消滅するし、何本も大木が切れる様な事は無いから大丈夫だ」
「何が大丈夫なのよ! 下手したら私まですっぱり切れるじゃない!」
「だから、かわすなり返すなりしろと言ってる。そら次、行くぞ? 集、逸、虫、塊!」
「冗談じゃないわよっ!!」


 姪の非難の声を飄々と受け流した基樹は、今度はいきなり剣先を地面に突き刺したかと思ったら、短く叫んだ。するとその刺さった場所から藍里に向かって、地面が不気味に盛り上がりながら一直線に向かって行く。それを見た藍里は、顔色を変えて背後の山の木立の間に分け入り、自らの姿を隠しながら少しでも自分に有利な場所を探し始めた。
 しかし場所が勝手知ったる自宅の裏山、加えて藍里とは比較にならない位荒事に通じている基樹にしてみれば、偶に訪ねてくる彼女に後れを取る筈が無く、「伯父さんの人でなしー!」とか「万が一死んだら、化けて出てやるー!」などの藍里の悲鳴が時折響いて来るのは、仕方のない事であった。



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