ようこそリスベラントへ
(12)出藍の誉れ
来住家を出た三人は仮の宿としている近隣の借家に、雑談をしながら向かって行った。
「何とか引き続き警護させて貰う事を、アイリ様に了承して頂けて良かったですね」
明らかに安堵した口調でのセレナの台詞に、ウィルが溜め息混じりに応じる。
「取り敢えず、だがな。それにこのままズルズルとやっていても、根本的な解決にはならない事は確かだし、今後どうしたものか……」
「そこの所は、上が考える事だ。俺達は与えられた任務を、遂行するだけだろう?」
「分かってはいるがな」
ジークが素っ気なく纏めにかかった事に、ウィルが何となく腹を立てながら言い返そうとした所で、セレナが地面に視線を落とし、何やら考え込みながら唐突に言い出した。
「でも、役目とかそう言う事は抜きにして……、アイリ様は私の唯一で、真の主かもしれません。だから精一杯、自分の役目を果たすだけです」
「セレナ?」
妙に気負った言い方をした彼女の様子を、男二人が両側から心配そうに窺うと、彼女は小さく笑いながら言葉を継いだ。
「何となく、ですが……。初めて遠目で姿を拝見した時から、何となく予感がしてたんです。あの人は私を……、いえ、リスベラント自体を変えてくれそうな気がして。……荒唐無稽な話だと呆れました?」
最後は自嘲気味に笑ったセレナだったが、一笑に付されるかと思った彼女の予想は外れ、ウィルは無言で顔をしかめ、ジークは真顔で頷いた。
「……いや。少なくとも彼女は、俺の人生を変えている」
「ジーク?」
「どういう意味ですか?」
この切り返しには、セレナと同様にウィルも怪訝な顔になったが、ジークは歩き続けながら少し黙考してから、徐に言い出した。
「これは……、あくまで、俺の独り言なんだが……」
「は?」
「いきなりなんですか?」
「日本の漢字は表語文字だから、単独でそれぞれの意味や様々な発音がある。彼女の名前の『アイ』の『藍』は色の一種で、英語で言うindigo blue、『リ』の『里』は繁栄している場所に対して、辺鄙で隔絶した集落の意味合いに使う」
「それが何か?」
「……青? それに、繁栄した場所から離れた土地?」
いきなり始まったうんちく話に、二人は目を丸くしたが、ジークは淡々と『独り言』を続けた。
「日本には『藍は藍より出でて藍より青し』という言い回しもある。その意味は、藍草で染めた布は本来の藍草の緑色より鮮やかな青色となる事から、その関係を弟子と師匠に当て嵌めて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという事だ」
「『アイ』の意味が、indigo blue……」
「つまり“ディル”に与えられる色……」
話を聞いた二人は口のなかで何事かを呟きながら、たった今聞いた内容を頭の中で吟味していたが、どうやらほぼ同時にある可能性に思い至ったらしく、顔色を変えてジークに迫った。
「おい、ちょっと待て。今の説明って、親子関係にも言えるのか?」
「まさか辺境伯夫妻は、実はアイリ様がお生まれになった直後から、聖紋持ちである事をご存じで、敢えて公表を控えていらしたとでも言うつもりですか!?」
「だとしたら大事だぞ!? 聖紋持ちの子供は適正な教育を受けさせる為に、判明したと同時に公宮に届け出る必要があるのは、お前だって知ってるだろ?」
「下手したら『辺境伯夫妻は力のある娘をわざと隠匿して、現勢力を倒す好機を窺っていた』と難癖を付けられて、反逆罪に問われかねません!」
完全に足を止め、血相を変えて食ってかかってきた二人を、ジークは平然といなした。
「俺は何も言ってないし、何も知らない。それに現時点ではもう彼女の存在は明らかになっているし、夫妻がどの時点で把握していたなんて事は、問題にならないだろう。証明もできないしな」
「お前な……、爆弾発言するならするで、後始末しろよ……」
「私達に、一体どうしろと言うんですか……」
事も無げに言い切られたウィルとセレナはがっくりと肩を落としたが、ジークは淡々と追い討ちをかけた。
「あのカイルとユーリの両親なだけあって、食えない存在だって事だ。俺達の存在が彼女にばれた以上、これからより一層無茶振りされる気がするから、覚悟を決めておいた方が良いだろうと思って、一応言っておいた」
「そんな不吉な事を……」
「あ、本部からの連絡です」
ウィルの愚痴っぽい呟きに、セレナの携帯がメールの着信を知らせるメロディーが重なる。それで慌てて携帯を取り出して内容を確認した彼女は、ディスプレイを見下ろしながら無言で固まった。
「…………」
「セレナ、どうした?」
「見て下さい」
そして差し出された画面を目にしたジークとウィルは、彼女と同様に多少黙り込んでから、諦めたように声を絞り出した。
「一応、資格は持ってて助かった」
「……確かに無茶振りだな」
「私の場合、でっち上げるしかないですが、根回しは上の方でしてくれるみたいですから、比較的楽で良かったです」
半ば自棄っぽいセレナの台詞に、他の二人は同情する様な視線を向けてから、再び仮の住居に向かって歩き出したのだった。
翌朝、秀英女学院では恒例の朝会の為に、全校生徒が講堂に集まってクラス毎に二列になって整列していたが、校長に引き続いて登壇した人物達を見て、藍里が隣に立っているルーカスの袖を軽く引きつつ、小声で囁いた。
「……ちょっと」
「何だ。朝礼中だぞ?」
「なんであんな事になってるのよ?」
目線で示された先にスーツ姿のジーク達を認めたルーカスは、思わず遠い目をしてしまった。
「俺だって聞いてない。多分、昨夜上から突然指令が下って、駆けずり回って準備して、連絡する暇も無かったんだろうな……」
「本当に、お疲れ様よね……」
思わず藍里も心底同情する視線を向けると、校長が恒例の挨拶と講話を終わらせてから、朗らかに三人を紹介してきた。
「それでは、本日付けで急遽病休に入られた、山城先生と川久保先生と富田先生の授業を引き継いで頂く、代替の方をご紹介します。こちらから順に、ジークロイド・ヒルシュ先生、ウィラード・デスナール先生、セレネリア・タウミル先生です。偶々外国籍の方ばかりが揃いましたが、お三方とも日本語が堪能でいらっしゃいます。それでは先生方、一言ずつご挨拶をお願いします」
そう促されて、まずジークが一歩前に出て冷静に告げた。
「古文を担当するジークロイド・ヒルシュです。宜しくお願いします」
「ウィラード・デスナールです。皆さんがより一層音楽に親しんで貰える様に、お手伝いしていくつもりです」
「世界史を担当させて頂きます、セレネリア・タウミルです。大学院での専門は中世ヨーロッパでしたが、独特の伝統文化を育んできた日本史に、以前から興味がありました。この機会に皆さんと互いに興味がある分野で、交流させて頂ければ幸いです」
ジークに引き続いて、ウィルとセレナが笑顔を振りまきつつ自己紹介を終えると、講堂には三人を歓迎する拍手の音が響いた。そしてそこかしこで、楽しそうに新任教師の噂話をしている生徒達を横目で見ながら、藍里は本気で頭を抱える。
「……どうなちゃうのよ、これから」
「俺に聞くな」
藍里の慨嘆にルーカスは殆ど投げやりに応じ、事態は益々混迷の度を深めていくのだった。
「何とか引き続き警護させて貰う事を、アイリ様に了承して頂けて良かったですね」
明らかに安堵した口調でのセレナの台詞に、ウィルが溜め息混じりに応じる。
「取り敢えず、だがな。それにこのままズルズルとやっていても、根本的な解決にはならない事は確かだし、今後どうしたものか……」
「そこの所は、上が考える事だ。俺達は与えられた任務を、遂行するだけだろう?」
「分かってはいるがな」
ジークが素っ気なく纏めにかかった事に、ウィルが何となく腹を立てながら言い返そうとした所で、セレナが地面に視線を落とし、何やら考え込みながら唐突に言い出した。
「でも、役目とかそう言う事は抜きにして……、アイリ様は私の唯一で、真の主かもしれません。だから精一杯、自分の役目を果たすだけです」
「セレナ?」
妙に気負った言い方をした彼女の様子を、男二人が両側から心配そうに窺うと、彼女は小さく笑いながら言葉を継いだ。
「何となく、ですが……。初めて遠目で姿を拝見した時から、何となく予感がしてたんです。あの人は私を……、いえ、リスベラント自体を変えてくれそうな気がして。……荒唐無稽な話だと呆れました?」
最後は自嘲気味に笑ったセレナだったが、一笑に付されるかと思った彼女の予想は外れ、ウィルは無言で顔をしかめ、ジークは真顔で頷いた。
「……いや。少なくとも彼女は、俺の人生を変えている」
「ジーク?」
「どういう意味ですか?」
この切り返しには、セレナと同様にウィルも怪訝な顔になったが、ジークは歩き続けながら少し黙考してから、徐に言い出した。
「これは……、あくまで、俺の独り言なんだが……」
「は?」
「いきなりなんですか?」
「日本の漢字は表語文字だから、単独でそれぞれの意味や様々な発音がある。彼女の名前の『アイ』の『藍』は色の一種で、英語で言うindigo blue、『リ』の『里』は繁栄している場所に対して、辺鄙で隔絶した集落の意味合いに使う」
「それが何か?」
「……青? それに、繁栄した場所から離れた土地?」
いきなり始まったうんちく話に、二人は目を丸くしたが、ジークは淡々と『独り言』を続けた。
「日本には『藍は藍より出でて藍より青し』という言い回しもある。その意味は、藍草で染めた布は本来の藍草の緑色より鮮やかな青色となる事から、その関係を弟子と師匠に当て嵌めて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという事だ」
「『アイ』の意味が、indigo blue……」
「つまり“ディル”に与えられる色……」
話を聞いた二人は口のなかで何事かを呟きながら、たった今聞いた内容を頭の中で吟味していたが、どうやらほぼ同時にある可能性に思い至ったらしく、顔色を変えてジークに迫った。
「おい、ちょっと待て。今の説明って、親子関係にも言えるのか?」
「まさか辺境伯夫妻は、実はアイリ様がお生まれになった直後から、聖紋持ちである事をご存じで、敢えて公表を控えていらしたとでも言うつもりですか!?」
「だとしたら大事だぞ!? 聖紋持ちの子供は適正な教育を受けさせる為に、判明したと同時に公宮に届け出る必要があるのは、お前だって知ってるだろ?」
「下手したら『辺境伯夫妻は力のある娘をわざと隠匿して、現勢力を倒す好機を窺っていた』と難癖を付けられて、反逆罪に問われかねません!」
完全に足を止め、血相を変えて食ってかかってきた二人を、ジークは平然といなした。
「俺は何も言ってないし、何も知らない。それに現時点ではもう彼女の存在は明らかになっているし、夫妻がどの時点で把握していたなんて事は、問題にならないだろう。証明もできないしな」
「お前な……、爆弾発言するならするで、後始末しろよ……」
「私達に、一体どうしろと言うんですか……」
事も無げに言い切られたウィルとセレナはがっくりと肩を落としたが、ジークは淡々と追い討ちをかけた。
「あのカイルとユーリの両親なだけあって、食えない存在だって事だ。俺達の存在が彼女にばれた以上、これからより一層無茶振りされる気がするから、覚悟を決めておいた方が良いだろうと思って、一応言っておいた」
「そんな不吉な事を……」
「あ、本部からの連絡です」
ウィルの愚痴っぽい呟きに、セレナの携帯がメールの着信を知らせるメロディーが重なる。それで慌てて携帯を取り出して内容を確認した彼女は、ディスプレイを見下ろしながら無言で固まった。
「…………」
「セレナ、どうした?」
「見て下さい」
そして差し出された画面を目にしたジークとウィルは、彼女と同様に多少黙り込んでから、諦めたように声を絞り出した。
「一応、資格は持ってて助かった」
「……確かに無茶振りだな」
「私の場合、でっち上げるしかないですが、根回しは上の方でしてくれるみたいですから、比較的楽で良かったです」
半ば自棄っぽいセレナの台詞に、他の二人は同情する様な視線を向けてから、再び仮の住居に向かって歩き出したのだった。
翌朝、秀英女学院では恒例の朝会の為に、全校生徒が講堂に集まってクラス毎に二列になって整列していたが、校長に引き続いて登壇した人物達を見て、藍里が隣に立っているルーカスの袖を軽く引きつつ、小声で囁いた。
「……ちょっと」
「何だ。朝礼中だぞ?」
「なんであんな事になってるのよ?」
目線で示された先にスーツ姿のジーク達を認めたルーカスは、思わず遠い目をしてしまった。
「俺だって聞いてない。多分、昨夜上から突然指令が下って、駆けずり回って準備して、連絡する暇も無かったんだろうな……」
「本当に、お疲れ様よね……」
思わず藍里も心底同情する視線を向けると、校長が恒例の挨拶と講話を終わらせてから、朗らかに三人を紹介してきた。
「それでは、本日付けで急遽病休に入られた、山城先生と川久保先生と富田先生の授業を引き継いで頂く、代替の方をご紹介します。こちらから順に、ジークロイド・ヒルシュ先生、ウィラード・デスナール先生、セレネリア・タウミル先生です。偶々外国籍の方ばかりが揃いましたが、お三方とも日本語が堪能でいらっしゃいます。それでは先生方、一言ずつご挨拶をお願いします」
そう促されて、まずジークが一歩前に出て冷静に告げた。
「古文を担当するジークロイド・ヒルシュです。宜しくお願いします」
「ウィラード・デスナールです。皆さんがより一層音楽に親しんで貰える様に、お手伝いしていくつもりです」
「世界史を担当させて頂きます、セレネリア・タウミルです。大学院での専門は中世ヨーロッパでしたが、独特の伝統文化を育んできた日本史に、以前から興味がありました。この機会に皆さんと互いに興味がある分野で、交流させて頂ければ幸いです」
ジークに引き続いて、ウィルとセレナが笑顔を振りまきつつ自己紹介を終えると、講堂には三人を歓迎する拍手の音が響いた。そしてそこかしこで、楽しそうに新任教師の噂話をしている生徒達を横目で見ながら、藍里は本気で頭を抱える。
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