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篠原皐月

第1章 父の故郷は魔女の国:(1)我が家に美女がやって来た

「ただいま」
 その日、来住くるす藍里あいりが学校から帰宅すると、普段日中は滅多に顔を揃えていない両親が、リビングで自分を待ち構えていた。


「お帰りなさい、藍里」
「戻ったか。そこに座りなさい」
「はい」
 室内には藍里の両親であるダニエルと万里と共に、銅の様な光沢を放つ赤毛に、深い青の瞳を持つパンツスーツ姿の女性が存在していた。彼女はダニエル達とは対面する位置の二人掛けのソファーに座ったまま、上品な笑みを浮かべつつ藍里に会釈してきたが、対する藍里は予めその女性についての話を事前に聞かされていた為、無遠慮に尋ねる事などせず、微笑みつつ会釈を返して父に指定された一人掛けのソファーに座る。そこで再びダニエルが口を開いた。


「先月話しておいた通り、今日からクラリーサ殿下が、我が家でホームステイされる事になった。正確な期間はまだ決まっていないが、当面こちらにいらっしゃる」
「学校も、藍里が通っている秀英女学院に編入されるから、ちゃんとお世話してね?」
「分かっているわ。任せて」
 両親から決定事項を告げられた藍里は、既に説明を受けて納得してある事柄であった為、それに力強く頷いてから、左斜め前に座っているクラリーサに笑顔で挨拶した。


「日本へようこそ、クラリーサ殿下。来住・ヒルシュ・藍里です。宜しくお願いします」
 その満面の笑みに、クラリーサは他人には分からない程度に眉根を寄せてから、先程と同様の優雅な微笑みを見せながら挨拶を返した。


「こちらこそ宜しく、アイリさん。私の個人的な我が儘で、ご面倒をおかけします」
「そんな事ありません! 殿下は日本語もお上手ですし、私がお世話する事なんか殆ど無さそうです」
(写真で見ていた以上に、上品な美人。声も落ち着いたアルトで、聞き取りやすいし)
 思わず本音を漏らした藍里だったが、それを口にした事で素朴な疑問を覚えた。


「でも、どうして日本に留学するのに、鎌倉を選ばれたんですか? 日本の古典文学に造形が深いと父から聞きましたが、それなら京都とかの方が、雰囲気が味わえるかと思いますが」
その率直な問いかけに、クラリーサが笑顔で答えた。


「実はそれも考えたのですが……、色々検討していく過程で、我が国の成り立ちを考えると、京都よりも鎌倉の方に親近感を覚えまして」
「あれ? 鎌倉とアルデイン公国に、共通点ってあったかな? 向こうに海って無いよね?」
「…………」
 思わず両親に向き直って藍里が尋ねると、その視界に入らないところで、クラリーサがこめかみに青筋を浮かべた。そんな二人の反応を同時に見て取ったダニエルが、笑いを堪えながら口を開く。


「お前には折に触れ、公国についての話を聞かせてはいたが、耳を通り抜けていた様だな」
 そして万里も、笑いながら会話に加わる。
「確かに海は無いけど、周囲を山に囲まれているのは同じでしょう? それに鎌倉は日本で最初に本格的な武家政権が発足した土地柄だもの」
「アルデイン公国も、狭い領土の周りを急峻な山々に囲まれて、華やかな王朝文化の発展など望むべくもなく、周辺国からの侵攻を撃退し続けてきた国だからな」
「一言で言うと、攻め難く守り易い土地柄って事かしら」
「なるほど。全体的な地形と、戦闘職種の人間が国の中枢にいたと言う事ね。言われてみればそうかもしれないわ」
 両親からの指摘を受けて藍里が納得していると、それに補足する意味の事をクラリーサが口にした。


「それにこの地には、何と言ってもリスベラント社の日本支社長が居を構えていますから。こちらにお世話になる事で、留学をなんとか認めて貰った様なものですし」
 しみじみとした口調で彼女がそう告げた為、藍里はいつも通りの口調で明るく告げた。
「そうですよね。だってクラリーサ殿下は、いかにも上品なお姫様ですし。アルデインから遠く離れたこんな所まで、良く出して貰えましたよね」
「……誰のせいだと思ってやがる」
 ボソッと、本人以外には聞こえない程度の低い声での悪態は、藍里の耳には意味不明の呟きとしてしか、認識できなかった。


「殿下。今、何か仰いましたか?」
 不思議そうなその問いかけを、クラリーサは優雅に微笑んで誤魔化す。
「いえ、独り言ですし、気にしないで下さい」
「そうですか」
「それより、私の事は『殿下』とは呼ばないで、名前で呼んで貰えませんか? 同じ学校に通うのですから、あまり仰々しい呼び方だと周りの方に余計に気を遣わせてしまいそうなので」
「確かにそうですね。でも……」
 どうしたものかと迷った藍里だったが、ダニエルに視線を向けると彼が無言で小さく頷いた為、了承と受け取った彼女は、再びクラリーサに顔を向けた。


「それではこちらにいる間は、殿下の事は『クラリーサさん』と呼ばせて貰いますね?」
「はい、私もアイリさんと呼ばせて貰って良いですか?」
「勿論です。宜しくお願いします」
 そして二人が笑顔で微笑み合ってから、クラリーサと幾つかのやり取りをして、藍里は彼女を促して二階へと上がった。


 周辺の住宅事情から考えると十分な広さの藍里の家には、きちんとした客間が存在し、ベッドやクローゼット、小型の机まで備え付けられていた。何故なら訪れる客人が父の仕事関係の外国籍の者が多く、ベッドの使用が日常的な人間が多かった為である。
 改めて整えられた客間を見た藍里は、(ちゃんとしたお客様用の部屋があって助かったわ。今は居ないにしても、元は男性が使っていた部屋に暮らすって事になったら、クラリーサさんが密かに嫌がるかもしれないし)と、未だに兄達の私物が多く残っている部屋の事を考えて安堵した。


「先に送られてきた荷物は、ここに置いておきましたので。勝手に開けるのは失礼かと思ったので、そのままの状態にしてありますが」
 床に置かれた四つのダンボール箱を指し示しながら藍里が申し訳なさそうに告げると、クラリーサは笑顔で応じた。


「大丈夫よ。荷物は自分で片付けるし。ありがとう」
「何か手伝って欲しい事があったら、遠慮なく言って下さい。それからクローゼットの中に、聞いたサイズに合わせて作っておいた制服を吊してありますので、試着してみて下さい。じゃあ、夕飯ができたら呼びに来ます。ごゆっくり」
「分かりました」
 そうして笑顔のまま藍里がドアの向こうに消えてから、クラリーサは無言でベッドに進み、乱暴に腰を下ろした。そして低い声で悪態を吐く。


「さてと、取り敢えず侵入成功だが……。本当に、グラン辺境伯夫妻は何を考えているんだ? 年頃の娘がいる家に男を引き込むなんて、正気の沙汰じゃ無いぞ。しかも本人には内緒にしておけとは、何の冗談だ」
 誰がどう聞いても男性の声で、クラリーサはダニエルと万理に対する文句をひとしきり口にしてから、続けて藍里に対しての不満をぶちまけた。
「それにあの女、本当にあの敏腕で名高いカイルと、奇才と評判のユーリの妹なのか? 平々凡々な容姿の上、如何にも無礼で頭の悪そうな女じゃないか」
 そこで溜息を吐いた彼女は、ある事を思い出して立ち上がる。
「そういえば、制服がどうとか言っていたな」
 そして何気なくクローゼットに歩み寄り、殆ど何も考えずにその扉を開けたクラリーサは、ガランとした中に一組のセーラー服が、ハンガーに掛けられているのを見て絶句した。


「スカート……」
 紺地にえんじ色のラインが入っているそれを見て固まった“彼女”は、顔を盛大に引き攣らせてから、地を這う様な声で呻いた。
「……そうだよな、そうだろうな。これから通うのは女子高だし」
 自分に言い聞かせる様に呟いてから、クラリーサは苛立たしげにクローゼットの扉を閉め、足取り重くベッドへと戻った。そしてその縁に乱暴に腰を下ろしてから、両手で頭を抱えて疲れ切った声で呟く。


「どうしてこの俺が、こんな茶番をする羽目に……」
 その呟きに答える者はこの場には皆無だったが、絶妙のタイミングで左手首に付けていた腕時計の文字盤が不自然に明滅し、クラリーサは小さく舌打ちした。そしてその腕時計に触れつつ、口の中で何事かを呟くと、不思議な事に文字盤付近から声が聞こえてくる。


「ルーカス殿下、無事侵入成功ですか? 最初から、彼女に怪しまれたりはしていないでしょうね?」
 からかう口調が明らかなそれに、クラリーサ、もといルーカスの眉間に、くっきりとした皺が刻まれた。


「あんな能天気女相手に、俺がヘマを踏むわけないだろうが。あまり見くびるな」
「それは失礼しました。今回は宜しくお願いします。俺達も陰からフォローしますので」
「それよりも、さっさと連中の尻尾を掴む様に、上と同僚に言っておけ!」
「了解しました。それでは失礼します」
 そしてあっさり通信が終了し、文字盤の光も消えて普通の腕時計になったそれを見下ろしたルーカスは、再度クローゼットに視線を向けてから、深い溜め息を吐いて項垂れたのだった。





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