藤宮美子最強伝説

篠原皐月

(20)神憑り妻に狂犬夫

「美子。楽しんでいるところを悪いが、そろそろおしまいだ。家に帰るぞ?」
「分かったわ。すぐに加積さんに全裸になって貰って、皆で踊って貰うから待っててね?」
「それは止めろ」
「どうして? 最後までやってから帰るわ」
(まともに言い聞かせても無理か。美子相手に、手荒な真似もできないしな)
 不思議そうに主張してくる美子に、秀明は即座に説得の方針を変えた。


「確かに最後までできないお前は不満だろうが、このまま野球拳を続けたら、俺の機嫌が悪くなるぞ?」
「どうして?」
「俺を仲間外れにして、何を楽しんでるんだ。しかも俺以外の男の裸を凝視しやがって。俺が面白く無いのは当然だろうが?」
 そんな事をどこか拗ねた表情で秀明が口にすると、美子は驚いた様に目を見開き、秀明の服から両手を離して、右手に裁ち鋏を持ったまま軽く両手を打ち合わせた。


「なるほど! 確かに秀明さんをそっちのけにして、私だけ楽しんでいたのは悪かったわ」
 やっと気が付いたと言う様に、うんうんと一人で頷いている美子に、秀明は安堵しながら再度帰宅を促す。
「だろう? だから、もう大人しく帰るぞ?」
 しかしここで美子は、更に予想外の暴挙に及んだ。


「もう~、秀明さんったらっ! 相変わらず誰かに構って貰えないと、忽ち寂しくなって拗ねまくっちゃう、困ったさんの可愛い小兎ちゃんなんだからっ!!」
「…………」
 満面の笑みでそんな事を言いつつ、美子が空いている左手の指でピシッと自分の鼻の頭を弾いた為、秀明は無表情で固まった。それと同時に至近距離から、抑えようとして抑え切れなかった様な、くぐもった笑いが聞こえる。


「ぶ、ぶふぁっ!!」
「こっ、こうさっ!」
(……完全に酔ってるな)
 チラリと横を見ると、両手で口を押さえた加積と桜が、秀明達から顔を背けて全身を震わせており、それを目にした秀明の怒りのボルテージが更に高まった。しかし何とか平常心をかき集めて、美子に向き直る。


「分かっているなら、俺と一緒に居てくれ。俺はこれ以上美子に構って貰えないと、寂しくて今にも死にそうなんだ」
 そして秀明が哀れっぽく訴えつつ、両手で美子の右手を包み込むと、彼女は流石に心配そうな顔付きになった。
「まあ、それは大変。大丈夫?」
「だからそんなに男の裸がみたいなら、俺が幾らでも見せてやるから、さっさと家に帰るぞ」
 そう言いながら秀明は、さり気なく裁ち鋏から美子の指を外し、更にそれを左手に持って背中に回す。すると心得た笠原が即座に鋏を回収し、秀明が安堵したのも束の間、美子がまたとんでもない事を言い出した。


「じゃあ私達の部屋で、秀明さんが裸踊りをしてくれるのね?」
「……どうしてそうなる」
 盛大に顔を引き攣らせた秀明だったが、美子は平然と主張してきた。


「だって一人でフォークダンスはできないから、必然的に裸踊りをする事になるじゃない。せっかくここまで本格的にやってたんだから、最後まで本格的にやるの!」
「ちょっと待て、美子」
「してくれないなら帰らないから! ここで皆で、裸でフォークダンスをして貰うの!」
「だからそれは」
「皆で、裸で、フォークダンス! み~る~の~!!」
(駄目だ……。理性と判断力の欠片も無い)
 地団駄を踏みながら涙目で訴える美子を見て、秀明は色々な意味で諦め、溜め息を吐いて了承の言葉を返した。


「分かった……。俺達の部屋で、お前の気の済むまで俺が踊ってやるから」
「本当? 秀明さん」
「ああ。俺がお前に嘘を吐いた事があったか?」
「三回あるわ」
「…………」
 疑わしそうに言われた挙句にきっぱりと断言され、秀明は再び無言になった。しかし美子は、すぐに明るい笑顔になって申し出る。


「と言うのは冗談だけど。じゃあ秀明さんのお腹に、私が顔を描いて良い? と言うか、描かせて? 今までそんな事をやってみた事はないけど、自信はあるの!」
(おい……、今度は裸踊りと腹踊りが混ざってるぞ)
 期待に満ち溢れた瞳で妻から懇願された秀明は、かなり複雑な表情で黙考してから、低い声で呟く。


「……………………水性ペンなら」
「やった~!! 秀明さん、愛してるわ!!」
「ああ……、俺も愛してるぞ、美子」
 満面の笑みで秀明に勢い良く抱き付いてきた美子を、秀明も両手で抱き締め返す。しかし美子が目にしていない彼の形相は、もはや人のそれでは無かった。


(寄ってたかって、面白半分で美子に飲ませた奴ら……。全員殺す!!)
 さながら鬼神の秀明の、紛れもない本気の怒りと鋭い殺気を全身に浴びる羽目になった全裸の男達は、本気で生命の危機を感じ、寒さ以上に恐怖に震える事となった。




 ※※※




「と言う事が、前回美子さんが参加した時にあってね? 皆の間でその時の事は『戦慄の野球拳大会』と呼ばれて、語り草になっているのよ。どう? 驚いた?」
 桜の話を終始大人しく聞いていた美子は、何回か瞬きしてから深々と溜め息を吐いた。そして年長者相手にも係わらず、嗜めるように言い出す。


「桜さん……。幾らなんでも話を作るなら、そんな荒唐無稽な物ではなくて、もう少し真実を織り交ぜて、信憑性がある話をでっち上げて下さい」
 微塵も信じていないその口ぶりに、同席している男達は顔を微妙に引き攣らせ、桜はおかしそうに笑った。


「あら、そんなに荒唐無稽な話に聞こえたかしら?」
「私、普段はそんなにジャンケンが強くはありませんし。勝率は精々五割ですよ。それに幾ら私の記憶が無いからと言って、そんな話を鵜呑みにする筈が無いじゃありませんか。皆さんだって、呆れて絶句してますよ。ほら、見て下さい」
「…………」
 声を失っているのは、美子の信じなさっぷり故だったのだが、当然美子はそんな事は分からなかった。すると桜がおかしそうに笑いながら、あっさりと今までの話を無かった事にする。


「まあ、残念。美子さんが、少しは動揺してくれるかと思ったのに」
 それに美子も笑って応じた。
「話に無理がありすぎますから。私が酔って加積さんに無理やりチークダンスをさせたとかの話だったら、『ひょっとしたら、そんな事をしたかも』と思い込んで、真っ青になったかもしれませんが」
「俺は美子さんのご指名なら、喜んでお相手するが?」
「まあ、ありがとうございます」
 加積も会話に参加して一気にその場が和み、それからは《戦慄の野球拳大会》の話題などは微塵も出ないまま、賑やかに祝宴が進行していった。


 それから約二時間後。出席者の配偶者達が控えている部屋に美子が現れ、秀明に声をかけた。
「秀明さん、お待たせ。皆さんより、一足先に下がらせて貰ったわ。あなたが心配するから」
「当然だ。体調に変わりは無いな?」
 相も変わらず仏頂面で立ち上がった秀明に、美子は満面の笑みで頷く。


「ええ、大丈夫。とても楽しかったわ。芸者さん達の唄や踊りも見事だったし、初めて投扇興もしてきたの。高得点を出しちゃって、皆に誉められたのよ?」
「そうか。楽しんでこれたのなら良かった」
「それでは皆様、お先に失礼します」
 そしてやっと表情を緩めた秀明から、室内の女性達に視線を移した美子は、失礼の無い程度に頭を下げた。すると相手の女性達も、慌てて挨拶を返してくる。


「えっ、ええ」
「ご機嫌よう」
「お気をつけて」
 どこか怯えた表情の彼女達に見送られて、秀明と美子は玄関に向かって廊下を歩き出した。そして早速美子が、宴席での事を報告し始める。


「皆さん、出産したらまたお祝いを贈るからって言って下さったの。悪いわね。そんなに親しくお付き合いしているわけでは無いのに」
「気にするな。金は有り余ってる奴らばかりだ。貰える物は貰っておけ」
「もう! あなたったら!」
 素っ気なく言い放った秀明を美子は流石に叱り付けたが、秀明は贈り物と聞いて、かつての騒動の時の事を思い返した。


(あの翌日……。連中、俺の機嫌を直すつもりか、家に色々送りつけて来てたな。菓子折りの菓子の下に一面の札束とか、お仕立て券付きワイシャツ生地の下に土地やビルの権利書とか、ブランド物の札入れの中に小切手とか、ネクタイの箱の中にSDカードとか……。俺宛だからと未開封のまま俺に渡したから、美子は全然気が付いていないが)
 幾ら大金や貴重な情報を貰ったとしても、そうそう怒りが和らぐ筈も無かったのだが、加積が「連中も反省してるし、ここは一つ俺に免じて許してやって貰えないか?」と直々に電話をかけて来た事もあって、秀明が何とか矛を収める事にしたのを、勿論美子は知らなかった。


「秀明さん、どうかしたの?」
 急に黙り込んだ夫を不審に思った美子が、不思議そうに顔を見上げて尋ねてきた為、秀明は妻の顔を見下ろしながらしみじみと述べた。


「やっぱりお前が、この世で最強だと思っただけだ」
「どうしてそうなるのよ。私は一介の専業主婦よ?」
「バイトで会長様だろうが」
 何を今更と秀明が素っ気なく口にすると、美子が盛大に反論してくる。


「本業は主婦なの! 突っ込みを入れないでよ。それにあれは不可抗力だったんだから!」
「そうだな。お前は自分の名前入りの、レプリカユニフォームを貰っただけのつもりだったんだよな?」
「あの時の事を、蒸し返さなくても良いじゃない! もう、秀明さんなんか知らない!」
「すまん。悪かった、美子。機嫌を直してくれ」
 完全に臍を曲げて、一人でずんずん先を歩き出した美子を、秀明は苦笑しながら追いかけた。


「笠原。美子さん達はお帰りになった?」
「はい。何やらご主人がおからかいになったらしく、賑やかにお帰りになられました」
「そうか」
 揉めながら二人が帰るのを見送ってから、座敷にその報告に行った笠原に、主夫婦は顔を見合わせて微笑んだ。すると笠原の背後から、男達の感嘆と呆れが入り混じった声が聞こえてくる。


「しかし『夢浮橋』に『篝火』に『真木柱』に『横笛』とは……」
「しかも立て続けだぞ? 俺は自分の目を疑ったな」
「俺もだ。もっと簡単な銘ならできた事はあるが、あんなのはできないし初めて見た」
「私は夢浮橋でしたら、他の人ができたのを見た事がありましたが」
「彼女、やった事が無いから、どれだけ珍しい事なのか分かってないよな?」
 それを耳にした笠原が、どれだけ高得点の難しい役を出したのかと、部屋の隅の方に片付けられている、投扇興に使用する桐材の枕と華やかな柄の蝶に無意識に目を向けていると、桜が事も無げに告げた。


「彼女にしてみたら、案外簡単なのじゃない? 以前あなた方が、全員揃って裸に剥かれた事がある位だし。酔っててあれなら、素面でもこれ位平気でやってしまいそうよね?」
「…………」
 そう言って桜はころころと笑ったが、当時の事を思い出した面々はとても笑う気分にはなれなかった。そんな男達を宥める様に、加積が笑いながら言い聞かせる。


「まあ、彼女にはなかなか底知れない所があるし、忠実な狂犬も付いているから、今後も変なちょっかいは出さない事だ。幸い彼女は、皆とは良いお付き合いをしていると思い込んでいるしな。わざわざそれを否定する事もあるまい」
 それを聞いた男達は、揃って加積に向かって平伏した。


「肝に銘じておきます」
「これからも、良いお付き合いをしていきますので」
 そんな風に世間一般的には相当恐れられ、煙たがられている男達を自分が戦慄させているなど、美子は未だに夢にも思っていなかった。


(完)



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