藤宮美子最強伝説

篠原皐月

(17)命がけの奮闘

 彼女達が襖を開けて入って来るなり、廊下でも騒いでいたらしい美幸が、再び美子に食ってかかった。


「絶対無理! 義さんに何て事させる気よ、美子姉さん!?」
「ほらほら、お客様の前で騒がないの」
(何だ? 何を揉めてるんだ?)
 更に不安を増した城崎の前に、美子達は何でも無い様に次々と皿を並べた。そして美幸を宥めながら、上座の昌典に声をかける。


「皆の食事は後から持ってくる事にして、まず城崎さんの分を持ってきたの。少し待っててね」
「……そうか」
 この間、言葉少なに城崎の様子を窺っていた昌典だったが、ここではっきりと彼に同情する眼差しを向けた。一方の城崎はその視線に気が付きつつも、自分の目の前に並べられた物を見て、呆然と呟く。


「私の分……、ですか?」
「ええ、驚かれたかしら?」
「はぁ……」
(どうしておにぎりが、こんなに大量に?)
 目の前の大き目の三つの角皿の上には、拳大よりも若干小さいおにぎりが十個ずつ乗せられ、さらに味噌汁が入った椀に漬物の小鉢、おしぼりなどが座卓上に並べられていた。
 明らかに一人分とは思えないその量に城崎が内心でたじろいでいると、美子が片手を頬に当てながら、物憂げに言い出す。


「実は主人が城崎さんの事を『優秀で有能なのに、今一つ要領が悪くて、ここぞという所で引きが弱い奴』などと言うものですから。妹の結婚相手としてはどうなのかと、少し心配になりまして……」
 それを聞いた城崎の顔が僅かに引き攣ったが、美子の妹達がそれに続いて言い出す。


「勿論、お義兄さんの知ってる頃の城崎さんと比べたら、今の城崎さんは見違える様に成長している筈ですけど」
「だからそれをこの際、皆の前で証明して貰おうかと思ったんです」
「そうして貰えたら安心できると、姉や義兄達が……」
「それは一体、どういう事でしょうか?」
 大よその見当を付けながらも、城崎が一応神妙に尋ねてみると、予想通りの答えが返ってきた。


「このミニサイズのおにぎり三十個の中に、タラコのおにぎりが一つだけあるんです」
「他は全て明太子よ? 勝負強さを発揮して、なるべく早くタラコを引いて頂戴。残りは皆で分けるから」
「それで皆で、城崎さんが何個目にタラコを引き当てるか、賭けをしているの。一人一口一万円で。うちは二個目と九個目と十八個目と二十三個目に名前を書いたから宜しく!」
「あのね、美実姉さん……」
「すみません! うちだけ参加しないわけにはいかなくて! 一家三人、名前を書いてます! 本当に申し訳ありません!」
 びらっと的中個数一覧表を広げた美実を見て、怒りを堪えている美幸の横で、涙目の美野が勢い良く土下座して謝罪の言葉を口にした。それで先程の高須の謎の行動について合点がいった城崎の耳に、明らかに笑いを堪えている男の声が届く。


「俺達に、卒業以来の成長ぶりを見せてくれるよな? 城崎」
「俺達の期待を、裏切らないで欲しいものだなぁ」
 それを聞いてさり気なく一覧表を確認した城崎は、秀明と淳が名前を書いている欄を見て、盛大に顔を引き攣らせた。


(この人達はよりにもよって、一個目と二個目に名前を……。期待じゃなくて、嫌がらせそのものだよな?)
 そして一通り欄を確認して、最後でがっくり肩を落とす。


(そして一番上のお姉さんは、最後の三十個目。やっぱりラスボスだ……。あの笑顔が怖い)
 変わらず上品な笑顔を浮かべている美子を見て、城崎は盛大に溜め息を吐いた。それで瞬時に腹を括った彼は、真剣な顔付きでおしぼりを取り上げて手を拭き出す。


「分かりました。頂きます」
 それを聞いた美幸は、慌てて城崎を止めにかかった。
「ちょっと待って! 義さん、正気!? どれだけ食べる事になるか、分からないのよ?」
「さっさと当てて、終わりにする」
「終わりにするって……」
 気合に満ち溢れている城崎に美幸が困惑していると、美恵と美実がボールペンと一覧表を彼女に差し出してきた。


「ほら、美幸も名前を書きなさい」
「一万円は後で徴収するから」
「何でそんな事をしなくちゃいけないのよ?」
 思わず言い返した美幸だったが、姉二人は厭味ったらしく城崎に同情する様な事を言い出す。


「へえぇ? 美幸ったら恋人の事、全然信じてないんだぁ~」
「うわぁ~。城崎さん、カワイソウ~」
「やるわよ! 余っている枠で、一番少ない個数の所はどこ!?」
「三個目の所ね」
「じゃあそこに書くわ。義さん、頑張ってね!!」
「……あ、ああ」
 もう殆ど売り言葉に買い言葉で、自棄になって美幸が名前を書き込んでいるのを見て、城崎は周囲からの生温かい視線とプレッシャーが微妙に増したのを感じた。


(くそっ……、意地でもさっさと終わらせてやる。よし! これだ!)
 そして真ん中の皿の端の方から一つのおにぎりを取り上げ、かぶりついて半分を口の中に入れた。そして咀嚼している彼に、秀明が楽しそうに声をかけてくる。


「どうだ? 城崎」
「……明太子でした」
「まあ三十分の一の確率だと、かなり難しいだろうな」
 くすくすと笑いながら応じた秀明に、早くも敗北感を感じながら残りも食べ終えた城崎は、二個目を取り上げて口に運んだ。


「どうだ? 今度はタラコか?」
 今度は淳が嬉々として尋ねてきたが、城崎は口の中の物を飲み込んでから、手元のおにぎりの具を見せる様にして告げる。
「……いえ、明太子です」
「あっさり期待を裏切ってくれる男だな」
 そう言って苦笑いした淳から視線を逸らした城崎は、続いて三個目に手を伸ばした。


「おい、今度はどうだ?」
「美幸ちゃんが三つ目と言ったのに、まさか外す様な真似はしないよなぁ?」
「…………」
 如何にも皮肉っぽく尋ねられた城崎は、食べかけのおにぎりを手に、何も言えずに俯いた。そんな城崎の隣にやって来た美幸が、強張った笑顔で励ます。
「義さん、ドンマイ! まだまだたくさんあるんだもの。仕方がないわよ! 頑張って!」
 そしてオロオロしている美幸に励まされながら食べ進めていった城崎だったが、事態は悪化の一途を辿った。


「ええ? また外したの?」
「いい加減、当てて欲しいんだけど」
「ディズニーランド……」
「何だ、ここら辺だと思ったのに~」
「まだ? ねえ、まだ、あたらない?」
 なかなかタラコを引き当てない城崎に、子供達は正直に落胆と不満を口にし、
「これだけ外す人も珍しいわね」
「ある意味貴重かもよ?」
「あの……、幾ら何でも、もう無理なんじゃ」
 大人達は一応声を潜めてはいたものの、好き勝手に囁き合っていた。


(何だ? どうして半分以上も食べて、タラコに当たらないんだ!?)
 徐々に腹が膨れてきた事以上に、なかなかタラコに当たらない事に内心で激しく動揺しているうちに、城崎はとうとう二十九個目に手を伸ばした。しかし半分に割ったその中身を見た瞬間、それを両手に持ったまま無言で項垂れる。事ここに至って室内で冷やかす様な声も生じず、憐憫と同情の視線のみが、城崎に突き刺さった。


「結局、最後まで残しちゃったわけ? 美子姉さんの一人勝ちじゃない。どうしてくれるのよ」
「美幸……。あんた、こんな要領の悪い男と結婚して大丈夫なの?」
「『こんなの』って何よ!? 失礼ね! 義さんは、普段は何が何でもやり遂げる人なんだから!!」
「ちょっと美幸、落ち着いて! こんな時に喧嘩は止めて!」
 こそこそと囁き合っている姉妹をよそに、城崎は生真面目に二十九個目を平らげ、惰性的に一つだけ残っていた三十個目に手を伸ばした。そして何気なく半分に割って、限界まで目を見開く。


「あの……、お姉さん」
「はい、どうかしましたか?」
「三十個全て、明太子のおにぎりだったんですが……」
 掠れ気味の声で城崎が指摘してきた内容に、美子は本気で戸惑った顔になった。


「え? そんな筈は無いけど」
「これを見て下さい」
 そう言いながら城崎が差し出した半分に割られたおにぎりには、確かに明太子が入っており、それを認めた美子が困惑する。


「……どういう事?」
(それはこっちの台詞だ!!)
 怒鳴りつけたいのを堪える城崎の視線の先で、美子達は怪訝な顔を見合わせた。


「でも確かに姉さんは、明太子を山ほどとタラコを一切れ準備して、作り終えた時にお皿は綺麗に空になってたのよ?」
「城崎さん。これまでのおにぎりのなかにタラコの物が有ったのに、気が付かないで明太子だと思って食べたんじゃ無いの?」
「そんな事はありません! 誓って全ての具が明太子でした!」
 流石に憤然として城崎が美実に反論したところで、唐突に美樹が問いを発した。


「お母さん、ちょっと聞いても良い?」
「何? 美樹」
「タラコって、まさか一切れしか準備しなかったの?」
「ええ、そうよ? だって当たりは一つだし」
「私、美那に食べたいって言われたから、それを使っておにぎりを作っちゃったの。美那には明太子は無理だし。城崎さん、ごめんなさい」
「……え?」
 いきなり言われたとんでもない内容に、室内が見事に静まり返った。そして美樹が、自分の膝に乗せていた妹に確認を入れる。


「美那、タラコのおにぎりを食べたよね?」
「ねぇね、お~し~の」
 城崎が来る直前にお腹に入れたおにぎりの感想を、美那が笑顔で満足そうに述べたが、美樹は笑顔でちょっとした訂正を入れた。


「美那、それを言うなら『おいしいの』じゃなくて、『おいしかったの』よ?」
「うん、か~たの~」
「良くできました」
「…………」
 美樹が頭を撫でてあげると、美那が嬉しそうに笑った。しかしそんなほっこりした空気は二人の周囲だけで、静まり返った室内に美幸の怒声が響く。


「そうなると、何? 姉さん達は当たりが無い状態で、義さんに三十個も食べさせたわけ!? あんまりだわ!!」
 その非難に、美恵が肩を竦めて弁解した。


「だって美樹ちゃんがおにぎりを一個作っていたのは見たけど、タラコを使ったなんて思わなくて。だいたい姉さん、どうして真っ先にタラコで当たりのおにぎりを作らなかったのよ?」
「あら、だってタラコのお皿の前に居たのは美実だったし、てっきり美実がそれを作ってくれたものだとばかり」
「ちょっと、こっちに責任転嫁しないでよ! 逆に一個だけの物を、美子姉さんを差し置いて作る筈無いじゃない! 気が付いたら無くなってたから、美子姉さんが使ったと思いこんでたわよ!」
「だって四人で作ってるとすぐに明太子や海苔が無くなるから、それを補充するのに私は何回もテーブルを離れてたし」
「あ、あの……、それじゃあ、賭は不成立という事で、おしまいで良いのよね?」
 姉妹で揉め始めた事態を何とか収拾するべく、美野が恐る恐る口を挟んだが、そんな彼女の台詞は姉達に一蹴された。


「何言ってるのよ、美野。これはノーゲームよ。もう一回やるに決まってるじゃない」
「そうよ。家族旅行がかかってるのよ? ここで引き下がれますか!」
「で、でもっ! もうご飯が無いわよ? 勿論、皆が普通に食べる分位はあるけど! まさか今から、もう一回あれだけの量を炊き直す気?」
 慌てて美野が言い募ったが、彼女達の意気込みは変わらなかった。


「ご飯は時間がかかるけど……、素麺なら、茹でる時間もそれほどかからないんじゃない? わんこそば風に、小分けにするのはどうかしら? 素麺なら頂き物がたくさんあるし」
「さすが姉さん、ナイスアイデア! お客様用の蓋付きの汁椀を使えば、中身は見えないしね!」
「その他にも、茶碗蒸し用の器とか、蓋付きの器をかき集めれば、余裕で三十個にはなるわ! 早速出しましょう!」
「あ、あの、でもっ! 今から出汁を取って汁を作ったりしたら時間が……。もう普通に、作ってあるお料理を食べましょうよ!」
「せっかくだから、この前美野から貰った《本格派麺汁セット》を使わせて貰うわ。ありがとう、美野」
 もう泣きが入りかけていた美野に、美子が止めを刺す様ににっこりと笑う。それを聞いた美野は顔色を無くし、美幸は盛大に噛み付いた。


「美野姉さん!! 何を寄越してるのよ! 姉さんが出来合いの物を、そうそう使うわけ無いじゃない!!」
「ごめんなさい! 向こうのお義母さんから『取引先から大量に頂いたからお裾分け』って三箱も送られてきて。ここは人数も多いから、ひょっとしたら美子姉さんが忙しい時に使うかなって」
「何て間の悪い!」
 美幸は本気で頭を抱えたが、そんな彼女を無視して姉達は盛り上がっていた。


「じゃあ賭の順番は、このままで良いわね?」
「ねえ、じゃあ今度の当たりは何にする?」
「そうねぇ。ワサビ団子敷き素麺とか?」
「そんな所かしら?」
「姉さん、本物のワサビはあったわよね?」
「ええ、せっかくだからそれを使うわ」
 そこで突然、彼女達の背後で異音が生じた。


「え? 何?」
「今、ゴンッ、ガシャンって変な音が」
「誰か何か倒し」
「きゃあぁぁぁっ! 義さん、しっかりして! 目を開けて!」
 皆が音がした方に揃って目を向けると、前方に倒れ込む様に突っ伏して、座卓に額を打ちつけたまま微動だにしない城崎が目に入った。その彼の横で倒れ込む一部始終を目の当たりにしてしまった美幸が、半ばパニック状態で城崎の身体を揺さぶっていたが、秀明がその手を軽く押さえながら言い聞かせる。


「ああ、美幸ちゃん、頭を振るんじゃない。軽い脳震盪だろうから」
「緊張の糸がブチ切れたのか? 相変わらず最後の最後で、踏ん張りが利かない男だな」
「とにかく、城崎さんをどこかで休ませませんか? 俺が担いで運びますよ?」
「そうして貰えると助かります、谷垣さん。こいつ、図体がデカいんで」
 そして男同士で話を纏めてから、秀明は美子に声をかけた。


「美子、斜め向こうの部屋が空いてるよな。急いで布団を敷いてくれないか?」
「分かったわ。美幸、手伝って」
「はい!」
 そして気絶している城崎を背負って移動させる間に、美子は美幸に手伝わせて素早く布団を敷き、暫く城崎を休ませる事になった。


「……う」
「義さん、気が付いたのね!? 良かった!」
 三十分程して城崎が意識を取り戻すと、明るさを抑えた室内が目に入り、次いで涙ぐんだ美幸の顔を認めて、瞬時に意識を失うまでの経過を思い出した。


「ここは?」
「さっきの座敷の、廊下を挟んで斜め向かいの部屋なんだけど……」
 そして美幸が溜め息を吐くと同時に、盛大な笑い声が廊下越しに伝わり、城崎の顔が僅かに引き攣る。


「盛り上がってるみたいだな」
「えっと……、少し静かにして貰う?」
「いい。意識が戻ったと分かったら、嬉々として引きずり込みに来そうだ」
「……そうね」
 そう呟いて美幸が項垂れた時、静かに襖が開いて昌典が姿を見せた。


「美幸。城崎君の様子は……。ああ、意識が戻ってたか。そのままで良い。寝ていなさい」
「それではこのまま、失礼させて貰います」
 どうやら城崎の様子を見に来たらしい昌典は、相手が布団から起き上がろうとするのを制し、美幸の横に並んで座った。そして若干申し訳なさそうに、口を開く。


「その……、何だ。藤宮家には色々突き抜けていたり、予想外の事をしでかしたり、見境がない人間ばかり集まっていてな。先代までは、そんな事は無かったと思うんだが……。だがそうなると……、ひょっとしたら俺のせいなのか?」
「はぁ」
 自問自答っぽい呟きに、城崎が何とも言えずに曖昧に頷くと、昌典は溜め息交じりに続けた。


「例に漏れず、美幸も小さな頃から色々しでかしてはいるが」
「それは既に分かっておりますので、ご心配無く」
「そうか。それなら良い」
「ちょっと! お父さんも義さんも酷くない!?」
 そこは力強く即答した城崎に、昌典が思わず遠い目をする。当然美幸は抗議の声を上げたが、二人は彼女を半ば無視して、話を続けた。


「それでも良いなら……、まあ、頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます。こちらにも馴染める様に、努力します」
 男二人で神妙に何やら頷き合っているのを見た美幸は、半分腹を立てながら半分安堵すると言う、かなり微妙な心境に陥った。


(何かなし崩し的に、お父さんが認めてくれちゃったけど……。これまで義さんが家に来た時は、お父さんはあまり良い顔をしてなかったのに)
 そこで城崎の食べた量を思い出した美幸は、消化剤でも持って来ようと、その旨を何やら話し込んでいる二人に告げて席を立った。


(これは皆によってたかっていびられてる義さんを、お父さんが不憫に思う様に、美子姉さんが仕組んだから?)
 何となく釈然としない気分で廊下に出て歩き出した美幸は、反対側から向かって来る美子と出くわした。


「美幸、城崎さんの意識は戻った?」
「う、ううん? まだぐっすり」
 意識が戻ったと分かったら、また引きずり出されて何をさせられるかと警戒しながら首を振った美幸に、美子はにっこり笑いながら、消化剤の瓶と水が入ったグラスが乗った小さなお盆を差し出した。


「そう。それなら目が覚めたら、これを飲ませてあげてね?」
「……分かりました」
 ひょっとしてばれているのかと戦慄しながら受け取ると、美子は何事も無かったかの様に、座敷に戻っていった。


(単に……、面白がっていただけかもしれないけど)
 困惑しながら姉の後姿を見送ってから、美幸は城崎に早く消化剤を飲ませるべく、お盆を手にして慌てて先程の部屋に戻ったのだった。





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