藤宮美子最強伝説

篠原皐月

(16)藤宮家全員集合

 城崎が藤宮家を訪れる日。予定時間の一時間前に、姉妹と子供達で寛いでいた広い居間で、美子は美幸に苦笑混じりの声をかけた。


「美幸。不必要にウロウロしないの。お行儀が悪いわよ?」
「そんな事言ったって! それにどうして姉さん達が全員、義さんが来る一時間前から夫婦揃って来てるのよ!?」
 ソファーセットの周りをぐるぐると歩き回っていた美幸は、勢い良く姉達を振り返って声を荒げたが、それぞれソファーに収まっていた美恵と美実は淡々と、美野は申し訳無さそうに言葉を返した。


「私達は姉さんに指定された時間通りに来ただけよ?」
「そうそう。男共は座敷で早々と親交を深めているみたいだし、別に良いんじゃない?」
「その……、てっきり城崎さんの訪問予定時刻と、それほど違わない時間かと思い込んでて……」
「美子姉さん……」
 美幸が美子に若干恨みがましい視線を向けると、美子は軽く肩を竦めてから提案してきた。


「城崎さんがそんなに心配なら、駅まで迎えに行ってきたら? 今日は飲まされる事を考えて、車では来ないんでしょう?」
 さすがに城崎が怖じ気づいて帰るとは思わなかったものの、完全アウェーの彼を不憫に思った美幸は、せめて駅まで出迎えに行く事にした。


「うぅ~、じゃあ連絡を取って行って来ます!」
「気を付けてね」
 そして笑顔で美幸を見送った途端、姉達の顔に不気味な笑みが広がる。


「行ったわね」
「行っちゃったわね」
「最低でも三十分は戻って来ないわよね」
「あの……、美子姉さん。どうかしたの? 美恵姉さんも美実姉さんも」
 姉達の笑みの理由が全く分からなかった美野は、戸惑った顔になったが、それを見た姉達が苦笑しながら説明してきた。


「そう言えば美野は最後に来たから、まだ見てなかったわね」
「さすがに美幸の前で広げると怒るだろうから、隙を見て皆で書き込んでたから」
「だいぶ枠が埋まってしまったけど、どこか一つ好きな所に、自分の名前を書いておきなさい」
 そう言いながら、美子がどこからともなく一枚の用紙を取り出し、ローテーブルに広げた。その上部に書かれたタイトルと、記載された一覧表を見た美野が、思わず狼狽の声を上げる。


「名前って……、美子姉さん!? 何よこれは! しかもどうして『かずや』って和哉の名前まで書いてあるの!?」
 どう見てもまだ二歳になっていない一人息子が自分で書いたと思われる、かなり歪んでいるものの何とか読めるひらがなを見て、従姉妹達と部屋の隅で遊んでいる彼を美野が勢い良く振り向いたが、姉達は平然と述べた。


「皆が書いているのを見たら、書きたくなったみたいよ?」
「偉いわねぇ、和哉君。一歳で、もう自分の名前が書けるのね」
「うん! かず、かける!」
「やっぱり美野の子供だけあって、頭が良いわ~」
「末頼もしいわね~」
「和哉……」
 満面の笑みと達者な口調で力強く頷いた息子の姿に加え、どうやら用紙が座敷内でも回されたらしく、夫の名前まで既に書き込んであるのを認めた美野は、がっくりと項垂れた。するとそんな彼女に、美子が追い討ちをかけてくる。


「それで? 美野は書かないの?」
「……書かせて頂きます」
(城崎さん、本当に一家揃って申し訳ありません!)
 美野が心の中で城崎に謝罪しながら用紙に名前を書き込むと、それを再び折り畳んでしまい込んだ美子が、静かに立ち上がりながら宣言した。


「じゃあ台所に移動するわよ。美幸が戻る前に、手早く準備を済ませないと。皆も手伝って」
「了解」
「美樹ちゃん、安曇。小さい子の面倒を見ててね?」
「はい」
「大丈夫よ」
 年長者達に小さい子達を見ておくように頼み、美子達姉妹は揃って台所へと移動した。しかしそこで美那が母親達の様子に興味を示した為、他の子の事を従妹の安曇に頼んだ美樹が、妹を連れて台所に向かう。


「布巾ある?」
「ボウルと塩は、これを使って頂戴」
「あ、すぐ作れる様に、予め切ってあるのね」
「だけど、随分用意しておいたわね」
「美那。お母さん達の邪魔をしちゃ駄目よ?」
 台所の入口で、母達が四人で楽しげに準備しているのを見ながら美樹が妹に言い聞かせると、彼女は姉を見上げながらくいくいと繋いでいる手を引っ張った。


「ねぇね? なぁなも」
「え? 作りたいの?」
 それにふるふると首を振った妹に、美樹が更に尋ねる。
「じゃあ食べたいの?」
 その問いにこっくり頷いた美那を見て、美樹は笑顔で頷いた。


「分かったわ。ちょっとここで待ってて。すぐに作ってあげるから」
 そして姉の言い付け通り大人しく待っていた美那は、すぐに姉からできたての物を貰い、ほくほくしながら居間へと戻って行った。


 家でそんな不穏な事態が進行中などとは夢にも思っていない美幸は、駅に着いた段階でかなり緊張していた城崎を励ましつつ、彼を連れて無事に帰宅した。
「只今戻りました」
「……お邪魔します」
 そんな二人を美子が玄関で、満面の笑みで出迎える。


「いらっしゃいませ。城崎さん、お久しぶりです」
「ご無沙汰しております。本日はお邪魔させて頂きます」
「堅苦しい挨拶は抜きにして、どうぞお上がり下さい。皆も揃っておりますので」
「失礼致します」
 密かに藤宮家のラスボス認定している美子が早速出迎えに出た事で、城崎の緊張の度合いが一気に高まり、それを感じた美幸が姉の後ろを並んで歩きながら、彼に囁いた。


「義さん。そんなに緊張しないで。難しい商談先に、単身出向いているみたいよ?」
「ここ以外だったら、どんな商談先でも話を纏められる気分になってきた」
「あのね……」
 真剣そのものの城崎の様子に美幸が諦めて溜め息を吐くと、座敷の入口に到着した美子が、室内に向かって声をかける。


「お父さん。城崎さんがお見えになったわ」
「ああ、入りなさい」
 そして美子がスルリと襖を開けて、昌典が座る上座とは反対側を指し示す。
「それでは城崎さんはそちらにどうぞ」
「失礼します」
 一礼した城崎が座敷に足を踏み入れると、見覚えのある人間の姿を認めて、顔が引き攣りそうになるのを何とか堪えた。


(思った通り、全員雁首揃えてやがる)
 思った事を顔には出さず座卓を縦に二つ並べた、昌典とは反対側の端に腰を下ろすと、昌典が一見穏やかに声をかけてきた。


「やあ城崎君、ようこそ。久し振りだな」
「ご無沙汰しております」
「今日は娘達が全員顔を揃えていてな。君に会えるのを楽しみにしていたんだ」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です」
 そして昌典はずらりと座卓を囲んで座っている、娘夫婦と孫達の紹介を一通り済ませてから、娘婿に話を振った。


「秀明と小早川君は、城崎君と大学で同じサークルと聞いているが」
「ええ、お義父さん。入学したての分別の無い、甘ちゃんの頃の彼を思い返すと、とても感慨深いものがありますね」
「在学中に、少しはまともになったと思いますが。世間の厳しさと言うものを、俺達が教え込みましたので」
 秀明と淳が、何とも微妙な笑みを浮かべながらそんな事を述べた為、城崎は自分自身に気合いを入れながら口を開いた。


「OBであるお二方には、特に色々な事に関してご教授頂きました。その節はご指導、ありがとうございました」
「可愛い後輩の為だからな。別に礼を言われる事ではない」
「寧ろ、まだ足りなかったかと、心配している位だからな」
 そんな物騒な事を口にして「ははは」と笑い合っている二人から城崎が視線を逸らすと、別の人物が声をかけてきた。


「城崎さん、はじめまして、谷垣康太です。城崎さんの噂は、こちらに来る度に皆さんから聞かされていたんですよ。お会いできて嬉しいです」
 その裏表の無い谷垣の台詞に、城崎は一気に緊張を緩めながら言葉を返した。


「恐縮です。お耳汚しになっていないと良いのですが」
「大変優秀な方だと、伺ってますよ? それにかなり鍛えてある、良い体つきをしてますね。今度一緒にロッククライミングでもどうですか? それともダイビングとか」
 あくまで好意から誘ってくれたのは理解できたものの、さすがに城崎は慎重に断りを入れる。


「……すみません。生憎、武道ならそれなりに心得があるのですが、そちらの方には自信がありませんので」
「それは残念。気が向いたらいつでも声をかけて下さい」
「その時はご一緒させて下さい」
 断りの言葉にも笑顔で頷いた谷垣に、城崎は安堵したが、秀明と淳がからかい混じりの茶々を入れてくる。


「相変わらず四角四面の男だな」
「付き合い悪いなぁ、おい」
(勝手に言ってろよ! スキーとかならともかく、どうせあんた達だって付き合ったりしてないだろ!?)
 内心で腹を立てた城崎だったが、ここで昌典がのんびりと口を挟んできた。


「高須君は城崎君と同じ部署で働いていた事もある位だし、私よりも君の方が良く知っているかもしれないな」
「そうですね。……顔を合わせるのは久し振りですが」
 城崎が頷いて、神妙に控えている高須に向き直ると、相手も軽く頭を下げながら挨拶をしてきた。


「その……、ご無沙汰しています、城崎課長。ご活躍の噂は、折りに触れ耳にしております」
「高須さんの活躍ぶりも、人伝に聞いております。来春には係長昇進が内定したとか。おめでとうございます」
 場所が場所だけに、変に気さくな挨拶もできず、互いに改まった挨拶を交わした二人だったが、内心ではかなり戸惑っていた。


(入社配属直後からお世話になった先輩でかつての上司が、義弟って何の冗談だ? どういう態度で接すれば良いのか、全く判断できないんだが……)
(先輩達には警戒心が先に立つが、高須だと別な意味で変な緊張が。後輩でかつての部下が義兄って、どう接するべきなんだ? 何か拙い事をやらかしたら、すぐに社内に広まりそうだし)
 相婿の立場である二人が密かに冷や汗を流していると、そんな微妙な空気を察した様に、美子が穏やかに声をかけてきた。


「お父さん。城崎さんがだいぶ緊張していらっしゃるみたいだし、リラックスして頂ける様に、お食事しながら歓談したいのだけど。もうお昼を持って来ても構わないかしら?」
「ああ、そうだな。皆も手伝いなさい」
「分かりました」
「行ってきます」
 昌典に言われて、美幸を含めた姉妹全員が座敷を出ていくと、淳が笑いを堪える様な口調で話しかけてきた。


「本当に、随分緊張してるみたいだなぁ、城崎?」
「いえ、それほどでは……」
「そう心配するな。美子さんがお前の為にスペシャルメニューを考えてくれたから、それを見たら緊張なんか吹っ飛ぶさ」
 それを聞いて精神的に身構えた城崎だったが、ここで秀明が嘆かわしいと言わんばかりの口調で会話に割り込んでくる。


「お前は昔から、頭は良いし行動力もあるのに、妙に要領が悪い時があったからな。あの時とか、あの時とか、あの時とか、あの時とか、あの時とか」
「………………」
 わざとらしく指折り数えながらの秀明の台詞に、城崎は言いたい事が山ほどあったものの、何とか無言を貫いた。すると淳と谷垣が、笑顔で言い合う。


「卒業以来の社会人生活で、どれだけ勘働きが良くなったか、今回見せて貰うからな」
「しかしお義兄さんもお義姉さんも、人が悪いですね」
「そういう谷垣さんも、随分楽しそうにされてましたが?」
 そして如何にも楽しそうに「あははは」と笑う男三人から城崎が視線を逸らすと、高須と目があった。しかし彼は城崎と目が合った瞬間、無言のまま素早く座布団の後ろにずれて勢い良く土下座し、そのせいで座卓に姿が隠れて殆ど見えなくなる。そんな挙動不審な高須を目の当たりにした城崎の耳に、更に不安を煽る会話が聞こえてきた。


「ねえ、大丈夫かな?」
「そこまで心配しなくても、最後までいかないでしょう」
「当たるといいなぁ~」
「あのね、ミッキーさんなの!」
「ああ、淳実ちゃんはディズニーランドに行きたいのね?」
「うん!」
「僕は天体望遠鏡」
「それは言えば、普通に買って貰えるんじゃないの?」
「ぼく、こんぶ!」
「……渋いわね、和哉君」
 大人しく固まって座って、城崎の様子を窺っている美幸の甥姪達の会話を聞いた城崎は、さすがに不審に思った。


(何だ? 子供達は、さっきから何をボソボソと言い合ってるんだ? 俺の悪口では無さそうだが……。妙な笑顔がもの凄く気になる)
 嫌な予感と戦いながら城崎が身構えていると、美子達が全員大きなお盆を手にして座敷に戻ってきた。





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