藤宮美子最強伝説

篠原皐月

(2)深まる謎

 訪れた年始客を、例年通り姉妹総出で広間で接待して一日を過ごした美子は、夕刻になって全員が引き上げてから、台所に入って夕飯の支度を始めた。


「……美子」
「何? あなた」
 鍋の中を見下ろしていた美子が背後からの呼びかけに振り向くと、秀明がかなり不機嫌な顔つきで問いを発した。


「今日訪ねてきた、親戚以外の連中。お前とどういう関係だ?」
 それに対し、美子は一度鍋に向き直ってガスコンロの火を止め、秀明に再度向き直ってから、ゆっくり言葉を区切りながら告げた。


「あの人達は、私の、個人的な、ちょっと年の離れた、個性的で、とっても楽しい、お友達よ。秀明さんも仲良くしてね?」
 そう言って微笑んだ美子に、秀明は舌打ちしたい気持ちを堪えながら問いを重ねる。


「美子。もう少し具体的に」
「皆さん、私の、個人的な、ちょっと年の離れた、個性的で、とっても楽しい、お友達なの。秀明さんも仲良くしてくれたら嬉しいわ」
「あのな、美子」
「私の、個人的な、ちょっと年の離れた、個性的で、とっても楽しい、お友達だから、秀明さんもそのつもりでお付き合いしてね?」
 さり気なく自分の台詞を遮りながら主張を繰り返し、静かに微笑んで見せた妻に、秀明はこれ以上の追及は無理だと悟った。


「……分かった」
「そう? ありがとう。じゃあお吸い物ができたから、皆を呼んで来て頂戴」
「ああ」
 そこで取り敢えず引き下がった秀明は、追及する相手を変更する事にした。
 まずそれぞれの自室にいる義妹達に声をかけた秀明は、最後に義父が居る書斎へと向かった。美子達に家の事を任せ、昌典自身はその日は年始回りをしていて、つい先ほど帰宅したばかりだった為、二人が顔を合わせるのは朝食の時以来だった。


「お義父さん。夕飯の支度ができました」
「ああ、ありがとう。それでは行くか」
 ドアをノックして呼び掛けると、すぐに昌典の声がして、廊下へと出て来た。そして二人並んで食堂に向かいながら、秀明がさり気なく声をかける。


「お義父さん、食事の前にお伺いしたい事があるのですが」
「改まってどうした?」
「今日、家にやって来た年始客に関してですが、このリストに名前がある八人と、美子の関係を教えて下さい」
「…………」
 スラックスのポケットから、問題の人物の名前を列挙しておいた紙を取り出し、義父に差し出した秀明だったが、それをチラリと目にした途端、昌典は足を止めた。


「お義父さん?」
「…………」
 そしてリストを受け取らずに、それを凝視したまま固まっている義父に、秀明は一応断りを入れる。


「言っておきますが、ここに書かれている人物が以前美子と恋愛関係にあったのではとか、埒も無い事を疑ったりはしていませんよ?」
「寧ろ、前の男だと言えたら良かったな……」
「はい?」
 痛恨の表情で何やら呟いた昌典は、廊下の壁に片手を付き、暗い顔で項垂れた。


「すまん、秀明。こればかりは、俺の口から説明したくは無い。頼むから本人から聞いてくれ。私は動悸と頭痛と眩暈がしてきたので、部屋に戻って休ませて貰う」
「……分かりました。ゆっくり休んで下さい」
 もの凄く納得がいかなかったものの、痛恨の表情を浮かべる昌典をそれ以上問い詰める気持ちにはなれず、秀明は大人しく引き下がった。そしてよろめきつつ寝室へと向かった昌典と別れて食堂に戻ると、既に姉妹全員が顔を揃えており、秀明を見た美子が怪訝な顔で出迎える。


「あら、あなた一人? お父さんは?」
「それが……、なにやら急に体調が悪くなって、部屋で休むと言われたんだ。様子を見に言ってくれないか?」
「あら、年始回りで疲れたのかしら? どんな具合か、確認してくるわ。必要なら消化の良い物を作るし。あなた達は先に食べていて」
「は~い」
 少し慌てながら美子が父親の寝室に向かってから、秀明は自分の椅子に座りつつ、各自取り皿にお節を取り分けて食べ始めた義妹達に向かって尋ねてみた。


「皆、今日のお客。親戚以外に、随分各界の著名人が来てたけど、お義父さんの友人とか知り合いって訳じゃなくて、美子の客だろう?」
 そう尋ねると、彼の義妹達は怪訝な顔になりながら答えた。


「それって、鹿屋さんとか、浦来さんとか、似鈴さんとかの事?」
「確かに上野さんとか、響野さんも姉さん関係よね」
「確かに皆さん、美子姉さんのお友達です」
「それがどうかしたの?」
「皆はあの人達が、美子とどういう風に知り合ったか知ってる?」
 そこで秀明が核心に触れる問いを発したが、それに対する彼女達の反応は芳しく無かった。


「姉さんの交友関係に、あまり興味はないから」
「そんな事知らなくても色々くれたりするし、便宜を図って貰ってるんだから、別に良いんじゃない?」
「どういう知り合い方をしたのかは分からないけど、昔からの美子姉さんのお友達だから、皆優しい人ばかりです」
「うん、小さい頃から私達も可愛がって貰ってるしね。だから結婚した姉さんを心配したり、秀明義兄さんに嫉妬したりして、今日はちょっと嫌味言われちゃったみたいね」
 全員からサラッと事も無げに返されて、秀明は本気で頭を抱えたくなった。


(皆、拘らなさ過ぎだろう……。何なんだ、この危機感の無さは。美子を信頼していると言えば、そうなんだが)
 そうして平気で食べ進めている義妹達を見ながら、秀明は密かに決意した。


(今日のあれは何か問題があったら、よってたかって俺を喰い殺してやる的な扱いだったぞ? あんな年寄り連中に遅れを取るつもりは無いが、一応今後の懸念材料を減らす為にも、一度きちんと調べておいた方が良いな)
 思い立ったら即実行をモットーにしている秀明は、夕飯を食べ終えるなり自室に籠り、早速今後の算段を立てた。
 そして翌日の午前中、秀明は自身が社長の肩書を持っている、綜合警備調査会社の社長室を訪れた。


「三が日なのに、仕事をさせる事になって悪いな」
「いえ、年末年始は書き入れ時ですから。こんな仕事をしていると世間様と同じ様に休もうなどと言う考えは持ち合わせてはおりませんし、宴会や酒で口が緩んだり、連日事務所等を空ける事になりますので、色々と裏の調査も進めやすいのです。ところで、特別調査部に早急に調べさせたい事がおありとか。どう言った事でしょうか?」
「それなんだが……」
 この会社の実質的な社長である副社長の金田は笑って応じたが、秀明としてはちょっとした成り行きで少し前からここの社長の肩書を持たされているものの、通常は実務に関して殆どノータッチである為、幾ら必要な金額を支払ったとしても、個人的な事を優先的に調査しろとはさすがに言い難かった。しかし金田は老成した笑顔を見せつつ、穏やかに促してくる。


「確かに実務は私共が請け負っておりますが、この会社はオーナーである会長の美子様と、社長の秀明様の物である事は間違いありません。お二人の意に沿わない事はしない様にと、前オーナーの桜様からきつく言いつけられておりますし、そもそも私利私欲の為に私共を使う様なお方に、桜様がこの会社を任せる筈がございませんので、遠慮なくお申し付け下さい」
 そこまで言われた秀明は、ソファーに向かい合って座る金田に、少々申し訳なさそうに申し出た。


「確かに私利私欲という訳では無いが、極めて個人的な事だからな」
「と、仰いますと?」
「このリストにある人物と、美子との関係を調べて欲しい」
「オーナーとの関係、ですか? 拝見します」
 ジャケットの内ポケットから取り出したリストを、秀明が開いて金田に向かって差し出す。金田は美子の名前が出て来た事で怪訝な顔になりながらもそれを受け取り、書かれてある名前を確認したが、その名前が記憶にある物と一致した為、考え込んだのは一瞬だった。


「……社長」
「なるべく早く知りたいが、可能な限りで構わない」
「いえ、ここに名前が挙がっている方々とオーナーとの関係なら、すぐにお知らせできます」
「何?」
 淡々と無表情で告げられた内容に、秀明は思わず眉根を寄せて相手を凝視したが、金田はその視線を避ける様に立ちあがり、隣室へと繋がっているドアに向かって歩き始めた。


「少々お待ち下さい」
 そう言われてソファーに座ったまま、(どうしてすぐに分かるんだ?)と訝しく思いながら秀明は待っていたが、彼が言った通り、ものの数分でファイルの束を抱えて戻って来た。


「お待たせしました」
「これは?」
「二年程前に加積前社長から指示を受けて、ある方々と美子様の関係を調査した時の報告書の全てです。先程のリストに載っている八人の他に、十人についての報告も入っています」
「は?」
 全く予想外の展開に、滅多な事では動じない秀明の目が丸くなる。その向かい側の席に座り直した金田は、溜め息交じりにファイルの山を軽く叩いた。


「加積様も桜様も、デジタル化されたデータはお嫌いで。自分達に上げる報告書は全て紙媒体にしろと厳命していたもので、この様な量に」
「ちょっと待て! どうしてあの妖怪夫婦が、美子の事を調べてたんだ? しかも二年前に指示を出したのが本当なら、あいつらが美子と出会う前だよな!?」
 自分の台詞を遮り、慌てて確認を入れてきた秀明に、金田は少々困った様な顔つきになった。


「その理由に関しては……、この内容を確認して頂ければ、自ずとお分かりになるかと。おあつらえ向きに、鹿屋佳久氏の報告書が一番上になっています。どうぞ、ご覧下さい」
「分かった。確認させて貰う」
 一番上のファイルを取り上げ、真顔で促してきた金田に秀明は嫌な予感しか覚えなかったが、ここでこれを見ずに帰るなどという選択肢は存在せず、《鹿屋佳久氏と藤宮美子氏に関する調査報告書》と銘打ってあるファイルの表紙を捲って、中の報告書に目を通し始めた。



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