藤宮美子最強伝説

篠原皐月

(3)非日常過ぎる出会い

 美子が四歳の初夏。幼稚園の送迎バスが近所の公園の前を乗降場にしていた為、天気の良い日は子供達を引き取った後公園で遊ばせながら、ママ友達はベンチで雑談するのが常であった。
 その日も晴れていた為、バスが走り去った後、六組の母子はぞろぞろと公園内に移動し、母親の一人が持参した砂遊び用の道具を手に子供達は砂場へ、母親質は少し離れたベンチが並んだ所に向かってそれぞれ楽しく過ごし始めた。しかしその平穏な時間は、三十分程で潰えた。


「あ、はいっちゃだめ!」
「じゃまするなよ」
「おじさん、だれ?」
 犬や猫が入り込むのを防ぐ為に、砂場の周りを囲っている高さ1m弱の柵をひらりと飛び越え、二十代半ばの男が突然砂場に乱入して来た。大人であれば初夏の陽気にグレーのロングコート着用の事実だけで怪しむ所だが、遊びを邪魔された子供達は、男に対して恐れ気もなく次々と文句を口にする。それに男は、苛立った様に言い返した。


「おじさんじゃねえ! お兄さんだ!」
「ほんとうのおにいさんは、わらってながすよね」
「…………」
 プラスチック製のスコップ片手にボソッと美子が呟くと、男は顔を引き攣らせて黙り込んだ。すると横から不思議そうな声がかかる。


「ながす? なにを?」
「う~んと、ものをながすんじゃなくて」
「五月蠅いぞガキども! これを見ろ!!」
 美子が何と説明したものかと真剣に悩み始めると、半ば無視された男が子供達に怒鳴りながらコートの前を勢い良く開いて見せた。


「どうだ、驚いただろう! 泣け! 叫べ!」
「…………」
 突然コートの下から男の全裸が現れたが、子供達は一様にキョトンとしてそれを見やった。しかしその中でただ一人、美子が冷静に男に近付く。と思ったら、淡々とした掛け声らしきものを口にしながら、男の股間めがけて勢い良くスコップを突き出した。


「とうっ」
「ぐわあぁぁっ!!」
 見事にヒットしたそれの衝撃で、男が叫び声を上げながら膝を曲げて股間を押さえ、前傾姿勢になった所を、美子は更に単調な口調で呟きながらその肩に体当たりをかけた。


「どーん」
「え! うわっ!! ……がぁっ!」
 子供の軽い体重と言えど、バランスの悪い体勢の所に体当たりされ、男は呆気なく背後に倒れ込んだ。そして運の悪い事に受け身も取れず、そのまま仰向けに倒れ込んで砂場の縁石で後頭部を強打し、余程打ち所が悪かったのか、呆気なく意識を手放してしまった。


「よしこちゃん……、このひと、ねちゃった?」
「うん」
 簡潔に答えた美子は、変わらず手にしているスコップで、間抜けな格好で意識を失った男の股間に黙々と砂をかけ始めた。それを見た周りの子達が、不思議そうに尋ねる。


「なにしてるの?」
「みぐるしいものを、せけんにさらしちゃだめ。ぶしのなさけね」
「しってるー! いっすんのむしにも、ごぶのたましいだよね? みわもてつだう!」
 その言葉に美子は(なにかちがう……)と思ったが、声に出しては「おねがい」と頼んだ。


「よしこちゃんもみわちゃんも、むずかしいことばしってるね」
「ここにすなをかけるのか?」
「うん、かずくん、バケツでおねがい」
「まかせろ!」
 そんな風に和気あいあいと、子供達が全裸男の腰から太腿にかけてこんもりとした砂山を作っていると、そろそろ帰ろうかと子供達を呼びに来た母親達が、漸く異常に気が付いた。


「きゃあ! 皆、何をやってるの!?」
「何? この裸の人!?」
「コートを着てるし変質者よ! 警察に電話!」
「でもこの人、どうして気絶してるの?」
 平然としている子供達の前で狼狽した叫びを上げた親達だったが、すぐに何とも言えない顔を見合わせた。


「……一応、救急車も呼ぶ?」
 そしてほぼ同時に公園にパトカーと救急車が到着し、大人達に一通り状況を説明した美子達は、周囲の者達から盛大に嘆息される事になったのだった。


 そんな事があってから約半月後。
 更に暑さが増してきたにも係わらず、以前と同様にグレーのコートを纏った男が、工事用のヘルメットをかぶって砂場に現れた。
「お前ら……、この前はふざけた事をしてくれたな」
 砂場の縁で遊んでいた子供達は、その恫喝に振り返って目の前に立ち塞がっている男を確認すると、あの後それぞれの家庭で言われたであろう内容を口にした。


「あ、このまえのへんたいだ~」
「ほんと、ろしゅつきょうさんね」
「あたま、おかしいんだよね」
「そういうひとたちをまとめて、しゃかいふてきおうしゃっていうのよ?」
「よしこちゃん、やっぱりむずかしいことばしってるよね~」
「おじさんがおしえてくれたの」
「そうなんだ~」
 やはり一番容赦の無いのが美子で、淡々とした口調で友達と話していると、早速男が切れた。


「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ! いいからこれを見やがれ!」
 そこで勢い良くコートの前をはだけた男は、自信満々で言い放った。
「どうだ!? これなら攻撃できないだろうが!」
 そう言って高笑いした男の股間には、格闘技などで攻撃の衝撃を和らげる為に使用するファウルカップが、脛には同様にシンガードが装着されており、前回の様な攻撃を回避する為であるのは明白だったが、それを見た子供達は、年頃には不似合いな冷め切った表情で、それについて容赦のない感想を述べ合った。


「……おばかさん?」
「ほんまつてんとーってやつだよ」
「おとなげないよねぇ……」
「からだはおとな、あたまはこども」
「それ、こどもにしつれいよ?」
「何だと!? ガキだと思って大人しくしてれば」
「とうっ」
「あ?」
 当然憤った男は声を荒げたが、その隙に美子は男の足の間をスライディングして通り抜けた。そして男が背後を振り返る前に素早く体を起こし、男の膝裏に体重をかけてパンチする。


「えいっ」
「おうっ!?」
 たまらず男は膝を曲げてバランスを崩したが、その腰めがけて美子が体当たりした。


「とりゃ」
「うわわっ! がぁっ!」
 気の抜けた美子の掛け声付きの攻撃で、男はそのまま前方に倒れた。当然反射的に男は両手を地面に付こうとしたが、その前に砂場の周りに設置してある高さが1m弱の柵で額を強打し、呻き声を上げて砂場に転がる。後頭部への衝撃であれば、ヘルメットで防御できた筈のその残念っぷりに、子供達全員、思わず憐れむ視線を男に向けた。


「やくにたたなかったねぇ……」
「ちょっとかわいそう」
「おとなのくせに、まぬけすぎる」
「だから、こどもなんだって」
「こ、このやろう……」
 そして額を押さえつつ男が起き上がろうとした時、美子が冷静に周りに声をかける。


「みんな。とどめをさすから、てとあしをおさえて」
「わかったー」
「みわこっちねー」
「おれはここ!」
「おい、こら! しがみ付くな! 上に乗るな!」
 普段から通園バス仲間で遊び仲間である面々は、咄嗟に役割分担を済ませて両手足に一人ずつ取り付いた。子供の体重ではそうそう重しにならないと思いきや、腕や足を全身で抱え込んでしまわれては、流石にそうそう身動きはできず、男が焦った声を出す。
 更に美子は男の腹に跨がり、もう一人もその後ろに座ってから、不思議そうに美子に尋ねた。


「『とどめ』って、なにをするの?」
「ひみつへいき、とうじょう」
「ひみつへいき?」
「うん、おじさんが『おまもり』だって」
 もったいぶった動作で、美子が幼稚園の制服であるスモックの前面に付けてあるポケットに手を入れ、そこからちょうど美子が手を広げた位の大きさの、小型の水鉄砲を取り出した。そして念の為に噴射口を塞いであるキャップを外してから手を伸ばし、男の眼前で引き金を引く。


「こら、お前達離れ、うぐぁぁっ!!」
 そして目に水鉄砲に封入されていた液体がかかった瞬間、男は異常な悶え方を見せた。それを見た子供達がさすがに驚く。
「あれ? なか、おみずじゃないの?」
「まほうのみず。ちかちゃんもやる?」
「うん! やりたい!」
 そう言われた美子は前後を入れ替えて座り直してから、肩越しに指示を出した。


「じゃあね、めやはなやくちにかけて?」
「わかった! えいっ!」
「ぐわぁぁっ、し、しみるぅぅっ!!」
「めをとじたら、はなのあな」
「えっと、こう?」
「むがっ! ふがぁぁっ!!」
「つぎは、くちのなか」
「わかった」
「げはぁっ!! ぎぇぇっ!! や、やめて……」
 予想外の攻撃に男が弱々しく懇願してきたが、普段見れない光景を目の当たりにした子供達は、全員目を輝かせた。


「うわ、おもしれー! おれにもかして!」
「じゃあ、ゆうくんがつぎね」
「ひぎゃぁっ!!」
「わたしにもさせて?」
「じゃあ、ゆうくんのつぎはみわちゃんね」
「ぼくもやるー!」
 そして皆が押さえ込むのを交代しながら、男への攻撃で盛り上がっていると、こちらも四方山話で盛り上がっていた母親達が、漸く砂場の異常に気が付いた。


「ちょっと! 砂場に、また変な人がいるわ!!」
「警察に通報しないと!」
「あなた達、何をやってるの!?」
 どう見ても、子供達がよってたかって変質者を苛めている様にしか見えない光景を目の当たりにした母親達は、驚愕した後に狼狽しながら子供達を男から引き剥がし、顔を押さえつつ悶え苦しんで砂場を転がっている男を気味悪そうに眺めながら、パトカーと救急車の到着を待つ事になった。


 その日の夜。現場に駆け付けて一応の事情を聞いた後、事後処理をした警官二人が、美子から水鉄砲の中身について詳しい事を聞く為に、藤宮家を訪れた。
 美子の両親は恐縮して二人に上がる様に勧めたが、玄関先でと固辞された為、美子は両親に挟まれた位置できちんと正座しつつ、問われるまま正直に答えた。


「おじさんからもらったあれ、おみずじゃないの。『へんたいげきたいのおまもり』だって」
「へぇ……、そうなんだ……」
 明らかに顔を引き攣らせながらも、何とか笑顔で応じた警官に、美子は真顔で話を続ける。


「でもね? 『どくぶつやげきぶつじゃないから、きせいのたいしょうじゃないし、しょうがいざいにもとわれない』っておじさんがいってたの」
「……それはすごいね」
「そういえば、『きせいのたいしょう』ってなに?」
「…………」
 真顔で尋ねられた警官達は、どう説明しようかと思わず顔を見合わせ、父親の昌典は険しい顔付きで立ち上がり、黙って廊下の奥へと向かった。すると美子が、思い出した様に付け加える。


「あ、それからおじいちゃんも『これをつかってもぜんぜんもんだいない。もんくをいうけいかんがいたら、おれにいえ。りとうにとばしてやるからな。かっかっかっかっ!』って笑ってたの。おかあさん、『りとう』って、おさとうのなかま?」
「…………」
 不思議そうに首を傾げつつ、美子が母親に尋ねた内容を聞いて、警官達は盛大に顔を強張らせた。そしてその場の空気にいたたまれなくなった母親の深美みよしが、勢い良く頭を下げる。


「申し訳ありません! 娘が騒ぎを大きくしてしまいましまして! あの、それで……、搬送された方の容体は……」
 顔を上げて恐る恐る確認してきた深美に、警官達はまだ若干困惑しながら詳細を告げた。


「ええと……、その、あちこちの粘膜が酷くただれて、全治二週間といったところだそうですが……。後遺症などは出ないそうですので、ご安心下さい」
「そうですか。それなら良かったです。ですが、治療費位はこちらで」
「いえ、どう考えても奴は自業自得ですし、先程お嬢さんが言った通り、明らかな危険物を使って攻撃したわけでもありませんので、こちらに治療費の支払い義務は無いでしょう」
「そう言われましても……」
 そこで困惑気味の深美の声を、奥の部屋から伝わってくる、昌典の怒声が遮った。


「親父! 和典に言って、美子にあんな物騒な物を渡したな!? 何て事しやがる!!」
 どうやら水鉄砲の出所である実家に電話をかけたらしい昌典は、電話の相手の言い分に余計に腹を立てたらしく、怒りの口調を更にヒートアップさせた。


「あぁ!? それは結果論だろうが! しかも権力を使って、睨みを効かせる様な発言なんかするな! もういい加減、和典に後を譲って引退しやがれ! この老害親父!!」
 そんな風に、珍しく喚き散らしている夫の声を背中に受けながら、深美はがっくりと肩を落とした。


「重ね重ねお騒がせして、申し訳ありません」
 そう言って再度頭を下げた深美を真似して、美子も頭を下げた。警官達もそれ以上、文句や苦言を口にするつもりは無く、控え目に要望を口にする。


「……いえ、今回はお嬢さん達が無事で何よりでしたが、何かあった時はまず身の安全を図った上で、逃げるなり周囲の方に助けを求める様に、ご家庭で教えて頂ければと思います」
「はい、こちらで美子にはきちんと言い聞かせますので」
「それでは失礼します」
「ご苦労様でした」
 そうして警官達が引き上げた後、美子は両親に加えて同居している母方の祖父母全員から、懇々と説教される羽目になった。



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