半世紀の契約

篠原皐月

第49話 血統

 新婚旅行から戻って、すぐの土曜日。美子は秀明を伴って、父の実家である倉田家を訪れた。
「こんにちは、おばあちゃん。照江叔母さん」
 出迎えてくれた叔母と祖母に美子が挨拶すると、女二人は笑顔で声をかけてくる。


「いらっしゃい、美子ちゃん、秀明さん」
「うちの人が、首を長くして待ってたのよ? お話が済んだら、顔を見せてあげてね。挙式と披露宴の時に一人だけ置いてけぼりを食らったから、その後ずっとブツブツグチグチ文句を言っていて」
「でも、今日美子ちゃんが秀明さんを連れて家に来ると聞いてからは上機嫌で。新品の下着と寝間着も準備させたのよ?」
「そうだったんですか」
 既に歩行が困難になり、介護を受けている祖父の様子を聞いて苦笑してから、美子は旅行のお土産を差し出した。


「叔母さん。これは少しですが、新婚旅行のお土産です」
「ありがとう。本当に、好天続きで良かったわね。それじゃあ、和典さんと荒井さんが待っているから案内するわ」
「じゃあ後でね、美子ちゃん」
「はい」
「後程、お伺いします」
 上がり込んだ玄関で美子達は康子と別れ、照江の後に付いて歩き出した。


「あなた。二人がいらっしゃいました」
「ああ、入ってくれ」
 座敷に通されると、男二人が座卓の片側に並んで座っており、美子は秀明と並んでその向かい側に座った。


「和典叔父さん。今日はお時間を頂いて、ありがとうございます」
「良く来たね。後で父に顔を見せてやってくれ」
「はい。そのつもりです」
 笑顔で叔父に挨拶をしてから、美子は旧知の人物に向き直って頭を下げた。


「荒井さんもお久しぶりです。こちらが、私の夫の藤宮秀明です」
「初めまして。今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 穏やかな笑みを浮かべる老人に秀明を紹介すると、和典が早速話を進めた。


「さて、単刀直入に話をしようか。君は荒井さんにもう一仕事して欲しいそうだが、できれば詳細について聞かせて貰いたい」
「それではご説明します」
 一度戻った照江が持ってきた茶碗を座卓の上から取り除き、秀明は以前に説明した地図をその上に広げて、事細かく説明し始めた。美子が密かに驚いた事に、この前同級生達に披露した時よりも、更に詳細に地図に書き込まれていた上に、付随するプランも幾つか増えていた。


(旅行中は計画を練っている素振りなんか見せなかったし、戻ってからこの何日かは普通に仕事をしていたのに、一体いつの間に?)
 そんな風に美子が唖然としているうちに、秀明は滞りなく説明を済ませた。


「取り敢えずこれで、一通りの説明を終わらせて頂きます」
「この一連の計画の、初期政策の一つが町長選だと?」
「はい、そうです」
 さすがに年長者達も呆気に取られていたが、和典がまだ訝しんでいる表情で確認を入れると、秀明は真顔で持参した鞄からファイルを取り出した。


「取り急ぎ、立候補予定者の略歴に加えて、町内人口動態の最新版、町の財務状況、行政区毎の産業種別と就業割合など、必要と思われる資料を一通り持参してみましたので、ご一読下さい」
「失礼します」
 秀明が差し出したそれを荒井が受け取って開き、ざっと目を通し始める。そして数分後には静かにそれを閉じ、しみじみとした口調で正直な感想を述べた。


「白鳥は……、随分と、馬鹿な事をしたものですね」
「…………」
 暗に「この人を後継者にできれば良かったのに」と言っている荒井に、和典と美子はコメントに困って顔を見合わせたが、秀明はそんな事には構わずに話を続けた。


「それから、今現在町内の中学校卒業生のうち、二十年前から四十年前の世代について全員調査中です」
 それだけで荒井は、秀明の目的が分かった。


「それは……、町長擁立後の政策立案スタッフや、腹心となりうる町議会議員のなり手を探す為ですか?」
「はい。やはり外部から金を払って招聘するより、地元に愛着を持っている出身者の方が間違いは無いかと」
「確かにそうですが、対象者はどれ位ですか?」
「およそ二千六百人でしょうか。それだけ当たれば、各分野に通じた人間が数人は見つかると思います」
 そこまで聞いた荒井は、はっきりと難しい顔になった。


「しかし、それだけの人間の経歴を調べるのはただでさえ大仕事ですし、地元を離れているとなったら尚更大変ですよ?」
「それは新婚旅行中に、桜査警公社の調査部門に調査を依頼しました。何とか半年以内に、調査を終わらせてくれるそうです」
「桜査警公社……。あそこは一個人がいきなり調査を依頼しても、すんなり受けてくれる所では無い筈ですが……」
 長年政治の世界に身を置いていた人物らしく、桜査警公社がどんな組織か熟知してたらしい荒井が怪訝な顔で疑問を呈すると、横から和典が口を挟んでくる。


「荒井さん。実は二人の披露宴に、加積康二郎夫妻が新郎側の招待客として列席していた。全く、義兄さん達と揃って度肝を抜かれたぞ。慌てて兄貴を締め上げたら『悪い。バタバタしていて話すのをすっかり忘れていた。美子と秀明の知り合いだ』の一言で済ませるし」
「あの三田の御大とお知り合い、ですか……」
 疲れた様に和典が溜め息を吐くと、呆然としながら荒井が呟く。しかし秀明が淡々と説明を加えた。


「私の知り合いと言えば確かにそうですが、もっと正確に言うと、今現在の桜査警公社の社長が私で、美子がオーナー兼会長です。それに、加積夫妻と先に知り合いになったのは美子の方なので、詳細は彼女から聞いて下さい」
 それを耳にした途端、向かい側の男二人は血相を変えて腰を浮かせながら絶叫した。


「美子ちゃん! 何だね、それはっ!!」
「美子さん!? 一体どういう事ですか!?」
「え、ええと……。それは、ですね……」
(どうしてこの場面で、私に話を振るのよっ!!)
 そしてすました顔でよけておいた茶碗を取り上げ、静かに茶を飲み始めた秀明を恨みがましく睨み付けてから、美子は加積夫妻とのあれこれを包み隠さず語って聞かせた。すると案の定聞き終えた二人は、本気で頭を抱えてしまう。


「美子ちゃん……。今の話、くれぐれも親父には内密に。耳に入れたら確実に血圧が上がる」
「分かりました」
 そして荒井は顔を強張らせながも、確認を入れてくる。


「それなら……、こちらで各種調査依頼をした場合、優先的に引き受けて頂けるのでしょうか?」
「内容と状況によりますが『ある程度は融通を利かせる』と、実務を取り仕切っている副社長に保証して貰いました。その代わり他のプライベートな事に関しては、極力依頼しないつもりですので」
 その秀明の説明を聞いた荒井は、ファイルを座卓に置いて力強く頷いた。


「分かりました。これだけ条件が揃っていれば十分です。ベテランの現町長の対抗馬に、ど素人の新人。面白いじゃありませんか。絶対に当選させてみせましょう」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
 どうやらやる気満々らしい荒井に秀明が頭を下げると、美子が安堵した様に和典に声をかけた。


「良かった。それに付随して、叔父さんにもちょっとお願いがあるんですが」
「何だい?」
「現町長はこれまで与党県連の後援を受けているんですが、次回の選挙ではそれを白紙に戻して欲しいんです」
「美子ちゃん? それは流石にちょっと……」
 途端に難しい顔になった叔父を、美子は笑顔で宥めた。


「勿論、後援をこちらが押す候補に変えてくれと言うつもりはありません」
「と言うと?」
「『党のスローガンとして地方創生を掲げる手前、ベテランの一層の奮起と若手の台頭を促す』とかなんとか適当な理由を付けて、どちらの陣営に対しても表立った応援をしないように、やんわりとその県選出の国会議員に話をして頂ければ、県連組織にもそれとなく伝わると思うので」
 にこにことそんな事を言ってのけた姪に、その言わんとするところが分かった和典も、苦笑いで返した。


「たかが町長選一つに肩入れしただけで、次回の国政選挙時に、その県に大物が応援に入る回数が少なくなるかもしれないと、含ませながらかな? これはお義兄さんから囁いて貰った方が良さそうだ」
「私も長谷川さんに動いて貰った方が、より効果的だと思います」
「毎回後援して貰っていたのに急に手を引かれたら、周囲はその人物が何か大きなへまをしたのかと邪推しそうですね。中立なら上等。寧ろこちらに有利です。町議会議員の日和見主義者も炙り出されるでしょうし、この際敵味方をはっきりさせます。早速女房に言って、現地への引っ越しの手配もさせましょう」
 一見穏やかな笑みを浮かべつつ、ちょっとした謀略話を交わす叔父と姪の会話に、満足そうに荒井が加わる。そしてあっさりと頷いて転居まで明言してきた為、秀明と美子は揃って頭を下げた。


「宜しくお願いします」
「奥様に宜しくお伝え下さい」
「それでは他に取り急ぎの話が無ければ、二人で父に顔を見せて貰えないかな? 気が短い年寄りは、始末に終えなくて」
「分かりました。叔父さん、荒井さん、失礼します」
 苦笑した美子は、再び頭を下げてから秀明を連れて座敷を出た。そして案内も無しに廊下を進み始めた美子と並んで歩きながら、秀明がからかう様な口調で話しかける。


「しかし、お前も意外にあくどいな。議員を動かすなんて」
「動かすなんて大げさな。ちょっと耳元で囁いて貰うだけじゃない。俊典君の時のデータの事もあるし、それ位やってくれるわよ。長谷川さんがこの時期に選挙対策委員長に就任していて助かったわ」
(本当に、変な所で肝が据わっていると言うか、何と言うか……)
 さらりと言い返す美子に秀明は苦笑を漏らしたが、彼女が足を止めた瞬間、真顔になった。


「失礼します。美子ですが、入っても構いませんか?」
「ああ、美子ちゃん。待ってたわ。秀明さんも入って頂戴」
「失礼します」
「お邪魔します」
 スルリと開いた襖の向こうから康子が笑顔を見せて促し、二人は室内に足を踏み入れた。そして秀明は縁側に近い方に設置されている、電動リクライニング式のベッドをリモコンで操作しながら、ゆっくり起き上がっている老人を観察する。


(この老人が倉田公典……。さすがにお義父さんの父親らしく、老いても眼光が鋭いな)
 密かに秀明が感心していると、こちらに顔を向けた公典が飄々と言ってのけた。
「美子、良く来たな。ところで結婚相手を連れてくると聞いていたが、その男はとてもサッカー選手には見えんが? 実はそいつは間男で、亭主は他にいるのか?」
 いきなり投げられた台詞に美子は動揺したが、秀明は笑いを堪えながら平然と言い返した。


「おじいちゃん! 一体いつの話を」
「サッカー選手では無くて申し訳ありませんが、間男をくわえ込む必要が無い位、美子の事は可愛がっていますのでご安心下さい」
「秀明さん!! 何言ってるの!?」
「あらあら」
「ほほぅ?」
 当然美子は真っ赤になったが、公典と康子はおかしそうに笑った。


「そうか。それなら家族でサッカーチームも作れるか?」
「美子さえ良ければ、挑戦しても良いかと」
 あくまで真顔で言葉を返す夫を、美子は叱りつけた。
「馬鹿な事言ってないで、黙りなさい!! でないと蹴り倒すわよ!?」
 しかし男達の冷静な会話が続く。


「美子。亭主を壊したら拙いぞ?」
「大丈夫です。一度蹴り倒されましたが、壊れませんでしたから」
「そうか。頑丈な作りで良かったな」
「ええ。それが私の取り柄の一つですので」
「いい加減にして!!」
 そこでたまらず絶叫した美子を見て、公典は苦笑しながら妻に言いつけた。


「康子。美子はちょっとばかり興奮しているみたいだから、向こうで茶を一杯飲ませて来てくれ。その間、俺はこれと話をしている」
「分かりました。じゃあ美子ちゃん。ちょっと女同士でお茶を飲んで来ましょうか。生菓子も揃えてあるし」
「え、でも……。……それじゃあ、ちょっと行って来ます」
 流石に美子にも、公典が秀明と二人きりで話をしたがっている事を察し、一瞬心配そうに秀明を見やった。しかし秀明が無言で軽く頷いたのを見て、大人しく康子に従って部屋を出て行く。そして二人きりになった途端、室内の空気が微妙に緊張を含んだ物に変化した。


「さて、藤宮秀明」
「はい」
「ちょっとそこの棚の、一番上の右の引き戸を開けて貰えるか?」
「分かりました」
(何をさせる気だ? この爺さん)
 重々しく言いつけられた内容に、秀明は不審に思いながらも素直に従った。そして指示された飾り棚の最上段を引き開けると、背中から次の指示が飛ぶ。


「そこの中に、大判の封筒が積み重なっていると思うが、灰色の封筒を取ってくれ」
「これでしょうか?」
 該当する厚みのある大判の封筒を取り出して背後に向き直ると、公典は素っ気なくベッドサイドの椅子を指差しながら淡々と次の指示を出した。


「ああ、それだ。ここに座って、中身に目を通してくれ」
「はぁ……」
(何なんだ? 一体)
 怪訝に思いながらも、秀明は言われた通りに椅子に座り、封筒の中身を取り出した。そして何冊かに分けて綴じられている書類の表紙を見て、軽く眉根を寄せたが、何も言わずにページを捲り始める。


「これまで随分と、やんちゃな事をしてきた様だな」
「男の子ですから」
 とぼけた物言いでサラリと公典に言い返し、一番上と二冊目まで平然と目を通した秀明だったが、三冊目を手に取って中身を確認し始めた途端、その顔から綺麗に表情が抜け落ちた。その変化を面白そうに眺めていた公典は、少ししてから声をかけてみる。
「どうだ?」
 その声に秀明はゆっくりと顔を上げ、いつも通りの皮肉げな笑みで答えた。


「流石に倉田家御用達の興信所ですね。自分でも知らない事が書かれていて、正直驚きです」
「その割には、全く驚いた様には見えないが?」
「申し訳ありません。他人の期待を裏切るのが好きなもので」
 薄笑いを浮かべて応じた秀明に、公典は負けず劣らずの物騒な笑顔を見せた。


「母親だけでは無く、お前の母方の祖母も所謂未婚の母だな。母親の戸籍に祖父の名前が無かった筈だ」
「……それが何か?」
「単なる独り言だ」
 スッと両眼を細めた秀明に、公典が淡々と続ける。


「何やらくたばりそうな馬鹿が、死に際になって漸く良心が疼いたか、地獄に落ちるのが怖くなったらしいな」
「周りに迷惑ですね。何をしたって地獄行きは確定でしょうに」
「ほう? 迷惑か? 本来、お前の母親が受け取る筈だった物を、お前が貰えるかもしれないぞ?」
「そんな事、俺が知った事か。万が一、こちらに下手なちょっかいを出して来るような、迷惑で恥知らずの上に、底抜けの馬鹿だったら……」
 そこで勢い良く読んでいた報告書を閉じた秀明は、公典を真正面から見据えながら、獰猛な肉食獣を思わせる笑みを見せた。


「どんな家だろうが組織だろうが、白鳥の様に叩き潰すだけの話だ」
「良い面構えをしているな、若造」
 しかし公典は全く動揺を見せず、寧ろ満足そうに頷いた。そして唐突に話題を変える。


「気に入った。それは封筒ごとくれてやる。その代わりにサッカーチームとまでは言わんが、美子との間に三人以上子供を作れ。息子でも娘でも構わん」
「は?」
「そして、そのうち一人は倉田うちによこせ。俺の孫の中では美子が一番だし、お前との掛け合わせなら間違いは無い」
 いきなり脈絡が無い事を言われて唖然とした秀明だったが、すぐに気を取り直して真っ当な事を口にした。


「私の事を随分高く評価して頂いている様ですが、それは本人の資質と性格と能力によるかと。しかもまだ生まれてもいない子供について、私の一存でお約束できません」
「和典と照江には言っておく」
「……微妙に話が通じない爺さんだな」
 本気で呆れて思わず本音を漏らした秀明だったが、次の公典の行動で再び面食らった。


「よし、話は終わりだ。これをやるから美子を呼んでこい」
 そう横柄に言い付けながら、公典がごそごそと寝間着の袂を漁って取り出した物を両手に押し付けられた秀明は、完全に目が点になった。


「あの……、これは?」
「見ての通りポチ袋だ。ちゃんと名前を書いてあるから、間違えるなよ?」
「いえ、そうでは無くてですね」
 なぜここで『美子へ』と『秀明へ』と左上の隅に小さく書かれたポチ袋を受け取らなければならないのかと、秀明には珍しく本気で戸惑っていると、襖が開いて康子が顔を見せた。


「あなた。お話は終わりました? 美子ちゃんを連れて来ましたよ?」
「おう、さすが康子。タイミングばっちりだぞ! 美子、さあこっちに来い!」
「はい」
 嬉々として美子に向かって手招きする公典を見て、秀明は反射的に封筒を抱えて立ち上がった。同時に無意識にジャケットのポケットにポチ袋を突っ込んだところで、空いた椅子に座ろうとした美子が、横に立つ秀明が何やらいつもと違うのを察したのか、不思議そうに尋ねてくる。


「秀明さん、どうかしたの?」
「……いや、何でもない」
「そう?」
 それから美子は公典に、挙式と披露宴、新婚旅行に関しての話を語って聞かせた。それらを公典は笑顔で頷きながら、時折質問を繰り出していたが、その姿はどう見ても孫娘にベタ甘の好々爺にしか見えず、先程押し付けられた封筒を持参した鞄に詰め込みながら、秀明は(やはりお義父さん以上の人物だったな)と、密かに溜め息を吐いた。
 それから頃合いを見て公典に別れを告げた美子は、玄関で靴を履いてから見送りに来た康子と照江に頭を下げた。


「それではお邪魔しました」
「また来て頂戴ね」
 ここで秀明は、先程から悶々と考え込んでいた事について、康子に尋ねてみる事にした。
「あの、先程倉田氏からこれを頂いたのですが、どういう意味か分かりますか?」
 そう言いながら秀明がポケットから取り出した二つのポチ袋を見て、美子が目を丸くする。


「え? おじいちゃんから?」
「ああ。こっちはお前の分らしい」
「……何? ボケちゃったの?」
 自分の物を受け取ってから思わず口走った美子に、それを見た康子がコロコロと笑う。


「あら、違うわよ。久しぶりに孫娘が来たから、お小遣いを渡したのに決まっているじゃない」
 しかしその説明を聞いた美子は、益々困惑した顔付きになった。


「お小遣いを貰う年じゃないし、秀明さんの分もあるんだけど?」
「だって秀明さんも昌典の子供だから、私達の孫でしょう? それなら同じ様にあげないと駄目じゃない。私達、美子ちゃんと美恵ちゃん達との間に、差を付けて渡した事なんて無いわよ?」
「ええと……」
「ありがとうございます」
 笑顔で康子に告げられた二人は、取り敢えず礼を述べて倉田家を後にした。そして門の近くの駐車場に向かって歩きながら、受け取ったポチ袋を握り締めたまま、美子がぼそりと呟く。


「でも……、どう考えても、これって硬貨の感触なのよね……」
 それに秀明も足を止め、提案してみた。
「ちょっと開けてみるか?」
「そうね」
 そして車の側でポチ袋を開けて逆さにしてみると、手のひらにあっさりと中身が落ちてきた。


「……どう見ても五百円だな」
「五百円硬貨よね。ピカピカしてるし新品みたい」
 秀明を自分と同様に孫と認めて貰ったのは分かるが、どうしてこんな方法なのかと美子は密かに頭を抱えた。その気持ちは秀明も同様だったらしく、二人で車に乗り込んで発進させてからしみじみと言い出す。


「しかし、予想の斜め上の言動は、やっぱり美子の血縁者だな。納得した」
「どういう意味よ?」
「言葉通りの意味だが? 驚かされてばかりで、退屈しない」
「悪かったわね。ところで二人でどんな話をしたの?」
 美子が助手席から軽く睨むと、秀明は何でもない事の様に答える。


「うん? 世間話の延長だったが」
「そうなの?」
 美子は不思議そうな顔付きになったが、それ以上聞いてはこなかった。それを幸い、秀明は運転しながら公典との会話を思い返す。
(しかし、三人以上か……。作っても、あの爺さんが望むような子供が生まれるとは限らないだろうに)
 そこで何となくおかしくなってしまった秀明は、赤信号で止まったのを幸い、美子に向き直って笑いながら提案した。


「じゃあこれからの予定は特に無いし、早速ホテルで休憩していくか」
「え? ちょっと大丈夫なの? そんなに眠いのに運転してるの?」
「は? 何の事だ?」
「だって、今、ホテルで休憩していきたいって言ったじゃない。ホテルのデイユースって、ビジネスマンが休憩したり昼寝をする為に、何時間か借りるんでしょう? そんなに疲れてるなら、タクシーを使えば良かったわ」
 当惑した秀明に、美子は本気で後悔している様な口ぶりで告げた。美子としては以前呼び出された先で熟睡された事を思い出して、本気で心配したのだったが、それを聞いた秀明はハンドルに突っ伏して盛大に笑い出す。


「っぶ、あははははっ!!」
「え? どうしてここで笑うの?」
 訳が分からないまま、美子が呆気に取られて見ていると、秀明が何とか笑いを堪えながら言ってきた。


「そう言えば、肝の据わった言動や突拍子もない行動に隠れてすっかり忘れていたが、お前は立派なお嬢様だったんだよな?」
「いきなり何を言い出すわけ? それに何か、もの凄く引っかかる物言いなんだけど?」
「現に、そこら辺の男に摘まみ食いされずに、手付かずだっただろうが」
「人を食べ物みたいに言わないで!」
「ある意味、食べ物だからな」
「そんな事より、信号が青になってるんだけど!?」
 秀明が何を言っているのが分かった美子は、顔を怒りと羞恥で真っ赤にしながら前方の信号を指し示したが、秀明は後方から響いて来るクラクションの音など全く気にしない素振りで、如何にも楽しそうに笑った。


「よし、この後特に予定は無いし、お嬢様の体験学習に繰り出すか。俺が今から、ホテルのデイユースのなんたるかを実践講義してやる」
「何だか、もの凄くろくでもない予感しかしないわ!!」
「何を言う。これ以上は無い位、実用的な学習だぞ?」
「どうでも良いけど、さっさと出して! 後ろの車に迷惑よ!!」
「仰せのままに、奥様」
 そして上機嫌の秀明は強くアクセルを踏み込み、二人を乗せた車は勢い良くその場から走り去った。


「ただいま戻りました」
「あ、二人ともお帰りなさい。夕飯は私達で準備しておいたから」
「ありがとう」
 結局、秀明と美子が帰宅したのは夕方の遅い時間帯であり、二人が居間に顔を出すと、妹達が勢揃いして寛いでいた。そして美実が告げた内容に美子が礼を述べていると、美野が何気ない口調で尋ねてくる。


「お昼前に叔父さんのお家に出かけたのに、遅かったですね」
「ああ、ちょっと帰り道で休憩してきてね」
「休憩? ネットカフェとか?」
「…………」
 かなりずれまくった台詞を美幸が口にした途端、室内が静まり返り、お約束の様に美野が突っ込みを入れた。


「ちょっと美幸! ネットカフェで二人で休憩できるわけ無いでしょ? あまり馬鹿な事を言わないで」
「だってこの前、ペア席でまったり漫画読んでたカップルが居たし」
「どんなネットカフェに行ってるの! ホテルのラウンジとかで休憩して来たのに決まってるでしょう!?」
「これは明らかに、美野の方が近いかな~?」
「……っく」
 美野の台詞に反応して美子が僅かに口元を引き攣らせ、美実が美子達に思わせぶりな視線を向ける。そして笑いを堪えようとして口元を押さえた秀明だったが、それに失敗して小さな笑い声を漏らすと、美野と美幸が不思議そうな視線を向けた。


「お義兄さん?」
「美子姉さん、熱でもあるの? 何だか顔が赤いけど……」
「……そうね。ちょっと体調が悪いから、休ませて貰うわ」
 そう断りを入れて逃げ出す様に出て行った美子を見送り、二人は少し心配そうな顔付きになる。


「大丈夫かな?」
「部屋に体温計を持って行く?」
「大丈夫だよ。少し休めば体調も機嫌も直るし、心配要らないから」
 しれっとして義妹達を宥め、ちゃっかりソファーに収まって出して貰ったお茶を飲み始めた秀明と入れ替わりに、ソファーで一連のやり取りを聞いていた美恵が、開いていた雑誌を手にして立ち上がった。


「全く、一見常識人のバカップルは……。やっぱり住む所を探して、さっさと出よう」
 廊下に出てすぐにそんな事を呟いた彼女は、溜め息を吐いて自室へと向かった。





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