半世紀の契約

篠原皐月

第35話 あちこちで迷走

 藤宮家で昌典と、半分深刻で半分馬鹿馬鹿しい話をした翌日。淳は気を取り直して国際電話をかけた。
 予め把握していた相手のスケジュールと、時差を考えて電話した結果、ホテルのフロントを介して無事相手に繋がったが、淳が昨晩判明した内容の一部始終を語り終えると、その電話の相手である秀明は、如何にも楽しげに言葉を返してきた。


「そうか……。詳細な報告をありがとう、淳。やはり持つべきものは、気の利く友人だな」
「いっ、いや! これ位、どうって事無いがな!」
 楽しげな口調ではあるが、長年の付き合い故に秀明が激怒している事を容易に察した淳は、声を若干上擦らせながら、受話器を取り落とさない様に手に力を込めた。


「しかし……、俺がたかだか三週間ちょっと日本を離れている間に、随分面白い事になっていたみたいだな。今の今まで知らなかったぞ」
 落ち着いた口調ながら、それには明らかに皮肉が含まれており、淳の顔色が瞬時に変わる。


「それは……、ちょっとした認識の行き違いと不幸な勘違いが、微妙に重なり合った結果であってだな。別に意図的に隠蔽したわけでは無いから、そこの所はくれぐれも誤解の無いように」
「何を弁解がましく言ってるんだ? お前らしくない」
「……そうだな」
 秀明の声音が、急に寒気を感じる物になってきた為、淳は余計な事は言わずに大人しく頷いておいた。すると秀明が、極めて事務的に問いを発する。


「ところで淳。彼女が加積の屋敷に招かれている日時は、具体的にはいつなんだ?」
「それが……、五日後の十四時なんだが……」
「そうか。分かった」
「おい、秀明?」
 目の前のテーブルに置いてある秀明のスケジュール表には、彼の帰国予定が一週間先である事が記されていた。その為恐る恐る美子の予定を告げたものの素っ気なく言葉を返してきた秀明に、淳は怪訝な顔になる。しかし彼が懸念した通り、秀明は結構無茶な事を言ってきた。


「淳。折り入って、お前に頼みがある」
「何だ?」
「俺のマンションの鍵、預けっぱなしだったよな?」
「ああ、そうだが」
「因みに俺の車のキーの収納場所、分かってるよな?」
「ええと、確か……。あの書類ケースの、上から二番目の引き出しだったか?」
「そうだ。俺の帰国日時に合わせて、成田まで車を持って来て欲しい。五日後までには帰る」
「………そうか」
 淡々とし過ぎている口調に、淳は「お前のスケジュールはどうするんだ」と突っ込む気力も失せて黙り込むと、秀明は何を思ったか、更に抑揚の無い口調で続けた。


「今現在、お前の事を『親友』だと思っているが、やってくれたら『心の友』にグレードアップしようと思う」
 それに淳は即答した。
「持って行くが、『親友』のままで良い」
「珍しく謙虚だな」
 微かに笑いを滲ませた声を発した秀明だったが、淳はこれ以上の無駄話はせずに、最低限の要求を口にした。


「飛行機のチケットを押さえたら、すぐに連絡を寄越せ。できるだけ早めに頼む」
「そっちの都合もあるだろうしな。了解した」
「それじゃあ、そっちは忙しくなるだろうから切るぞ」
「ああ、宜しく」
 そして胃が痛む会話を何とか終わらせた淳は、受話器を戻して床にへたり込んだ。


「朝から疲れた……。今日はこれから高裁に行かなきゃならねえのに、一日保つのか?」
 そうしてひとしきり加積と秀明に対する恨み言を口にしてから、淳はいつもより遅い時間に、自宅を出て仕事先へと向かった。


「人の物に手を出そうなんて、最近の年寄りは昔と違って、慎みって物が無いらしい。道理で最近は尊敬できる年寄りに、滅多にお目にかかれなくなったわけだ」
 ホテルに備え付けの電話の受話器を、そんな事を呟きながら元に戻した秀明は、時間を無駄にはせず、早速次の行動に移った。
 翌日からのスケジュール表を取り出して机に広げた秀明は、それを少しだけ凝視してから勢い良くボールペンで、何かを書き込み始める。それが済むと用紙を乱暴に折り畳み、スーツケースからある物を取り出して、一緒に手に持って部屋を出た。そして同行者が休んでいる隣室へと向かう。


「松田さん。おくつろぎのところ、すみません。今夜のうちに、少しお話ししたい事があるのですが」
「いや、まだシャワーを浴びる前だったから、構わないよ」
 突然の訪問にも、快く招き入れてくれた年長者の松田に対して、秀明は神妙に頭を下げた。


「今日もお疲れ様でした。松田さんのおかげでスケジュールが順調に進んで、とても助かっています」
「いやいや、私はもっぱら通訳に専念しているからね。交渉は君が担っているし。でも大体の会話は分かっているんだろう?」
 松田からの笑顔での問いかけに、秀明は曖昧に笑いながら答えた。


「英語なら心配要りませんが、さすがにポルトガル語は少し独学している程度で、あまり自信が無いもので。……だから交渉事に関しては無能でも、ポルトガル語だけは堪能で、弱味があるてめえにわざわざ声をかけて今回の同行者に選んだんだろうが。いい加減、それ位気付け。この間抜け野郎」
「……え?」
 台詞の後半にいきなり笑みを消し、横柄に言い放った秀明の豹変っぷりに付いていけず、松田は唖然とした表情で固まったが、そんな彼には全く構わず、秀明は持参した封筒の中身を床にぶちまけた。


「これを見ろ」
 言われた通り床に舞い落ちたスナップ写真に視線を向けた松田は、被写体が誰かを認識した途端、顔色を変えて床に座り込み、必死の形相で写真をかき集める。
「なっ!? 何でこんな物を君が!?」
 蒼白な顔で見上げた松田を、秀明が頭上から見下ろしながらせせら笑った。


「社内満遍なく、各部署に黙って言う事を聞かせられる阿呆が居ないか、予め探っていたからに決まってるだろうが。地道に仕事をしていれば認められるなんて夢物語を真面目に信じるには、少々やさぐれていてな。勿論、真っ当に仕事をしても他の奴らに遅れを取るつもりはないが、楽ができるなら楽をしたいだけだ」
「こ、これをどうするつもりだ? 勿論、これだけじゃないよな?」
 震える声で尋ねてきた松田に、秀明は思わせぶりに顎に手を当てて考え込む。


「さあ……、どうするかな? 流石に自社の重役の娘と不倫してるなんて、社内にばれたら大騒動だろうな。しかもお前、彼女には離婚して独り身だって言ってるんだろう? 二重の意味で顰蹙ものだ。不倫に加えて結婚詐欺とは、なかなかやるじゃないか。仕事はできないのに見直したぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 重役の娘って、何の事だ?」
 皮肉を口にした秀明だったが、相手の予想外の反応に怪訝そうに言い返した。


「まさか知らないのか? 彼女は長谷川専務の次女だぞ?」
「そんな……、真希はそんな事は一言も!!」
 愕然とした顔つきになった松田に、秀明は思わず苦笑いした。


「どうやら、彼女は父親の役職を得意げに語る様な人間ではなかったらしいな。社会人としては誉められた事だが、お前にとっては不幸な事に。……さて、これが表沙汰になったら妻子に愛想を尽かされて離婚された挙句に慰謝料をむしり取られ、結婚詐欺で長谷川サイドからも慰謝料を請求された挙句に、依願退職に追い込まれて退職金は一円も残らず慰謝料に消えると。お前に残るのは多額の住宅ローンと、周囲からの冷笑と蔑視といったところか」
 笑顔のまま冷静に自分の未来予想図を説明した秀明に向かって、松田は縋りつかんばかりに懇願した。


「頼む、江原君! 知らなかったんだ! つい、出来心で! 真希とは日本に戻り次第別れるから、ここは一つ穏便に!!」
「勿論、俺も鬼じゃありません。頼みを一つ聞いて頂ければ、事を表沙汰にする気はありませんよ?」
「そうなのか? いや、本当に恩に着るよ、江原君!!」
 途端に喜色満面で秀明の手を取ろうとした松田に、秀明が訂正したスケジュール表を押し付ける。


「そういうわけですので、取り敢えず明日からの三日間で、残り五日分のスケジュールを詰め込みます。この様に、調整を宜しくお願いします」
「は?」
 目を丸くしてそれを受け取った松田は、取り敢えず目を通してみたが、その内容を確認した途端、彼の顔から再び血の気が失せた。


「あの……、江原君。これはちょっと、どう考えても無」
「やれ。無理を可能にするのが、今からのてめえの仕事だ。俺はあと三日で、きっちり仕事を全部終わらせて帰国する。万が一仕事を放り出して帰国した日には、あの陰険親父がどんな難癖つけてくるか分からんからな」
「陰険親父って、誰の事で」
「そんな事はどうだっていい。今から死に物狂いで電話をかけまくれ。それに『ドゲザ』と『ハラキリ』は日本のお家芸だと認識してる外国人は多いからな。お前のなけなしのプライドなんか捨てて……」
 松田の話を聞かずに厳命していた秀明は、ここで不自然に話を途切れさせて、鋭い視線で松田を見据えた。それに松田が、怯えながら問いかける。


「え、江原君? どうかしたのか?」
 その声に、秀明は良い事を思い付いたと言わんばかりに、薄く笑った。


「そうだな……、手っ取り早く、てめえが『ハラキリ』すれば話は早いな」
「は、はいぃ!?」
「さすがに本社も、死人が出てまで出張を続行しろとは言わないだろう。即刻帰国できる」
「そっ、そんな冗談」
「人生、どんな事に巻き込まれる事になるか分からないし、考えられるありとあらゆる事に対する対応策を練っておくのが、俺のモットーでな。今回も海外での遺体搬送代行業者の連絡先を控えてある。安心しろ。遺体はきちんと連れ帰ってやる。家族にも愛想を尽かされないまま、心の籠った葬儀を執り行って貰えるぞ。良かったな」
「ひっ、ひぃぃぃぃっ!!」
「さあ、選ばせてやるぞ? 刺されて出血多量の失血死と、首を絞められて窒息と、浴槽で溺死だとどれが良い?」
「どっ、どれも結構ですっ!!」
 とても冗談とは思えない顔付きで、自分に向かって両手を伸ばしつつ距離を詰めてきた秀明から、松田は腰を抜かしながら必死で後退した。その恐怖が浮かんだ顔を見下ろしながら、秀明が冷え冷えとした口調で最後通牒を述べる。


「それとも……、まだこの世に未練があるとか言うのなら、今からすべきことは……。もう一度言わなくても、分かっ」
「わっ、分かりましたっ!! 明朝までに明日の分を、明後日以降は明日中に、調整させて頂きます!!」
 壁際に追い詰められ、ぶんぶんと首が千切れそうな位縦に振った松田の肩を叩きながら、秀明は爽やかな笑顔を浮かべて告げた。


「頑張ってくれ。俺は明日に備えて、寝させてもらう。それじゃあな」
 そして言うだけ言って踵を返した自分の背後で、早速電話に飛び付く気配を秀明は察知したが、それには構わずに部屋を出た。


「さて……。もう一人、言っておくか」
 そして自分が宿泊している部屋に戻った秀明は、無表情で再び電話の受話器を取り上げた。




「ただいま~」
「あら、美幸。どうしたの?」
 朝食の片付けも洗濯も済ませて、一息入れていたところに帰宅した美幸を見て、さすがに美子は目を丸くした。それに美幸が困った様に事情を説明する。


「それが……、インフルエンザでの欠席者が多くて、また学級閉鎖になっちゃった」
「この前一度、学級閉鎖になったわよね? それにまだお昼なのに、生徒を返したの?」
「他のクラスでも、登校後に急な発熱で帰宅した人が何人もいたらしいの」
 それを聞いて、美子も苦笑しながら頷いた。


「随分流行ってるのね。美幸。授業は無くても、きちんと勉強するのよ?」
「分かってる。課題も出てるしね。お昼ご飯までみっちりやるから」
「宜しい。お昼は一時よ。今からお茶を淹れて持って行ってあげる」
「何か甘い物もね」
 ちゃっかり要求してきた美幸に苦笑しながら頷き、美子は美幸と別れて台所に行き、早速お湯を沸かし始めた。


(そういえば……、昨日の加積さんに関する話。あの後改まって話してないから、お父さんや小早川さんからは特に何も言われて無いけど、皆には言わなくて良いのよね?)
 頭の中で自問自答しながら、美子は黙々とお茶菓子を探しながら、お茶の準備を進めた。そして小さく溜め息を吐く。


(愛人云々に関しては、やっぱり二人の考え過ぎだと思うんだけど……。あのご夫婦、何となく捉えどころが無かったし)
 そこで若干不安になってきた美子だったが、自分が怖じ気づいているという事実に気が付いた美子は、自らを奮い立たせる様にさくさくと準備を進める。


(冗談じゃないから。ちょっとお金持ちで変人夫婦の自宅に呼ばれたからって、変な事が起きるわけないじゃない。狼の巣穴に飛び込むのと比べたら、危険度は雲泥の差……)
 そこで何気なく思い浮かべた言葉に気付いた美子は、一人動揺して沸騰しているやかんを黙って見つめた。すると固定電話に着信があり、それで我に返った美子はふきこぼれているやかんに気が付き、慌ててコンロの火を消して、台所に設置してある電話の子機を取り上げる。


「お待たせしました。藤宮です」
「久しぶりだな。元気そうで良かった」
「え? あの……」
 いきなり耳に飛び込んできた穏やかな声が、たった今考えていた人物のそれだった事で、美子の動揺は一気に増幅した。


(この声って、あいつよね? まだ出張中の筈だけど、そこからわざわざ電話してきてくれたわけ?)
 少し嬉しくなりながら、しかし彼女らしくなく動揺している為に、美子がとっさに次の言葉が出ずにいると、秀明が先程の口調とは百八十度異なる、冷え切った口調で話を続けた。


「そんな、甘ったるい事を言うわけ無いだろうが。この間抜け女」
「……え?」
 いきなりの豹変っぷりに、頭が付いていかなかった美子が固まっていると、秀明はわざとらしく深い溜め息を吐いてから、如何にも困りものだと言わんばかりの口調で続ける。


「全く……。これだから、一度もまともに外で働いた事の無い女は。危機感が皆無だし、あらゆる意味でなってないな。考え無しにも程がある」
 そこまで言われた美子は、さすがに腹に据えかねて猛然と反論した。


「いきなり、何を失礼な事を言ってるわけ? それに、日舞教室で教えているけど?」
 その訴えを、秀明は鼻で笑う。
「昔からの馴染みの所で、妹弟子相手にチャラチャラ好きに踊ってるだけだろうが。そんな世間知らずだから、変なじじいにちょっかい出される羽目になると言ってるんだ!」
 ここで美子は完全にキレた。


「変なじじいって、まさか加積さんの事じゃないでしょうね!?」
「はぁ? 当たり前だろうが。この期に及んで何を言ってる!」
「この際はっきり言わせて貰うけど、加積さんはあんたと比べたら確かに見た目は悪いけど、中身は百倍ましな紳士よ!! 失礼な事をほざくのは止めなさい!」
「あっさり騙されてるから、迂闊で間抜けだって言ってるんだろうが! 少しは頭を働かせて自覚しろ!」
「冗談じゃないわ! 第一、桜さんと知り合ったのは偶然だし、引っ掛けられたりしてないわよ! 勿論、釣り上げても落としてもいないしね!! 不愉快だわ! 切るわよ!」
「おい、ちょっと待て! まだ話は終わって」
 電話越しに秀明の怒声が響いていたが、美子は完全に無視して通話を終わらせると同時に居間へと走り、そこに設置してある親機を操作して、たった今着信した番号を着信拒否にした。そして一人壁に向かって、悪態を吐く。


「何よ何よ何よ。あのろくでなし!! 珍しく電話をかけてきたと思ったら、何でこっちの話を聞かずに、いきなり罵倒してくるのよっ!!」
 そして言うだけ言って幾らか気持ちが落ち着くと同時に、じんわりと両目に涙が浮かんできた。


「ちょっとだけ安心したのに。……馬鹿」
 涙声で愚痴りながら美子が目を拭っていると、唐突に居間のドアが開いた。


「美子姉さん? 何だか騒いでいたみたいだけど、どうかしたの?」
 なかなかお茶を持って来て貰えなかった為、一階に様子を見に来て美子の叫びを耳にした美幸がドアの陰から顔を見せると、美子は美幸に底光りのする、若干据わった目を向けた。


「……ちょうど良かったわ、美幸。暇ならちょっと付き合って貰えないかしら?」
「ええと……、そんなに暇でもないんだけど、何?」
「庭で気分転換するのよ。付いて来なさい」
「……え?」
 美子の言葉は、もはや依頼ではなく命令であった為、美幸は若干怯えながら姉の後に続いた。すると美子は玄関を出て庭へと回り込み、その途中で物置からサッカーボールを有るだけ取り出して、サッカーゴールを狙える位置までやって来る。


「さてと。始めましょうか」
 この段階で、美子がシュート練習で気分転換を図るつもりだと理解していた美幸は、大人しく傍観する事にした。そんな彼女の目の前で、美子が豪快にボールを蹴り出す。


「このっ……、くたばれ! ど阿呆がぁぁぁぁっ!!」
「ひっ!」
 般若の形相で蹴ると同時に吐き捨てた罵声に、美幸は反射的に身を竦ませた。そしてボールは一直線に飛んで行くかと思いきや、微妙に左に逸れてゴール斜め前の松の枝に衝突し、細い枝が折れてしまう。


「ちっ! どこまで根性が曲がってやがるんだか!」
「あ、あの……、美子姉さん?」
 盛大な舌打ちと共に苦々しげに吐き捨てられた内容に、美幸は顔を青くした。しかし美子は妹のそんな変化を気にもとめないまま、シュートを続ける。」


「地獄に落ちろ! この女ったらしがぁぁっ!!」
「いっぺん、痛い目みやがれ。天狗野郎っ!!」
「一体、何様のつもりよっ!! こんの俺様野郎がぁぁっ!!」
「黒兎の分際で、他人様に高説たれてんじゃ無いわよっ!!」
 そんな風に絶叫しながらボールを蹴り続けて足元に一つも無くなると、美子は勢い良く背後を振り返り、先程から固まっていた美幸を叱責した。


「何そこでぼさっと突っ立ってるの! さっさとボールを拾って来なさい!!」
「はっ、はいぃぃーっ!!」
 美子に叱りつけられると同時に、美幸は慌てて庭の奥へと駆け出した。それから一時間近く、美幸はボールを探して庭木の合間を縫いながら、美子とゴール周辺の間を行き来する羽目になった。


「そっ、それでっ……、美子姉さ……、さながら鬼みたいな、顔っ……」
 淳の話は聞かせて貰えなかったが、何となく前夜の事が気がかりで、大学の講義を自主的休講として午後の早い時間に帰宅した美実は、姿を見せた途端美幸に抱きつかれて泣き出された為、さすがに面食らった。しかしおおよその経過を聞いて、遠い目をしながら美幸の頭を撫でる。


「うんうん、分かったから。シュートしまくってたのよね。因みにどれ位?」
「百、まではっ、数え……、あと、諦め……」
「そうかそうか。うん、頑張ったわね、美幸」
(一体、美子姉さんに何を言うかするかしたのよ、あの男はっ!?)
 完全に秀明以外の可能性を排除して美実が内心で腹を立てていると、美幸の涙声が続く。


「こっ、怖かったよぅ~。何でこんな時に、限ってっ……、が、学級閉鎖っ……」
 ぐしぐしと泣きながら訴える、とんだとばっちりを受けてしまった妹を、美実は心底不憫に思いながら慰めの言葉をかけた。


「本当に、運が悪かったわね。明日は念の為勉強道具を持って、図書館にでも行ってなさい。それに美子姉さんだって、それだけすれば幾らか頭は冷えたから、大丈夫でしょう」
「……うん」
「それで姉さんは、今どうしてるの?」
「疲れたから、寝るって」
 そう言って頭を上げて二階の方を指差した美幸に、美実は再度溜め息を吐く。


「そっか……。じゃあ今日は、静かにしていようね」
 その意見に反論する気など皆無の美幸は、黙って力強く頷いた。



「半世紀の契約」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く