半世紀の契約

篠原皐月

第21話 気忙しい年の瀬

「ねえ、本当に奢り?」
「後からやっぱり割り勘でなんて、情け無い事言わないでよね?」
「勿論だ」
「仮にも社長令息が二人も揃って、そんなケチくさい事を言うか」
 四人の女性に囲まれた正輝と剛史は、機嫌良く頷きながら歩道を歩いていた。


「良かった~。皆、ちゃんと聞いたからね?」
「ご馳走になりま~す」
 仕事納め前日と言う気忙しい日に、同僚である女性達を引き連れ、周囲からの冷たい視線を物ともせずに定時で勤務先を出た兄弟は、自分達の後ろで声高にお喋りをし始めた女達に聞こえない様に、並んで歩きながら囁き合った。


「調子の良い奴らだな」
「しかしあの優待券がこのタイミングで手に入るとは、俺達にも運が巡って来たんじゃないか?」
「全くだ。あの忌々しい葬式以来、散々だからな。会社の業績が一気に落ちたのは社長一家のせいだと、社内でも視線が冷たいし。今日は目一杯飲んで厄落とししようぜ?」
「同感だ。あのくそ生意気な女共に、今度お仕置きしてやるか」
「それも良いな」
 そんな事を言いながら下卑な笑みを浮かべた二人だったが、正輝の身体が横をすり抜けようとした人物と衝突し、勢い良く突き飛ばされた格好で歩道に転がった。


「ってぇ! 何ぶつかってやがんだ!? 気を付けろ!!」
 話し込んでいても、前から来る人間を避け損なう程注意力散漫だったつもりでは無かった正輝は、歩道に座り込んだままぶつかって来たと思しき人間を反射的に怒鳴りつけたが、その人物を見上げて固まった。


「ぶつかって来たのはお前の方だ」
「あぁ?」
「気を付けろだぁ?」
「てめぇ、何様のつもりだ?」
「え?」
 上下白スーツの茶髪の男は、サングラスの奥の目を不愉快そうに細めただけだったが、彼を囲む様に背後から出て来た体格の良い三人の黒スーツの男達が、忽ち正輝達を威嚇し始めた。それぞれ顔や手に尋常では生じないような傷跡を刻んでいる、そんな堅気の人間とはとても思えない雰囲気の男達が足を踏み出すと同時に、周囲の者達が関わり合いになりたくないとばかりに一斉に後ずさる。


「い、いえ……、すみませ」
「若に向かって、何ほざいてやがる!! この若造が!!」
「がはっ!!」
「橋田さん!」
 真っ青になって詫びを入れようとした正輝だったが、一際上背のある男に容赦なく腹を蹴られて、真横に転がる。それを見てどうやらその集団の中心人物らしい白スーツの男が、淡々と周囲に指示を出した。


「連れていけ。目障りだから、こいつもだな」
「ちょ、ちょっと待っ、ぐふっぅ!」
「きゃあっ!!」
「剛史君!」
 流石に兄を見捨てる事も出来ずにおろおろとしているうちに、剛史も殴り倒されて歩道に転がり、周囲から一際高い悲鳴が上がった。そこで漸く連れの彼女達に気付いた様に、男達が揃って目を向ける。


「何だ? 生意気に、こいつらの女か?」
「お嬢さん達、こいつの連れか? それなら一緒に可愛がってやるから、遠慮しないで付いて来な」
 左頬を縦に二分割する勢いで付いている切り傷を歪めながら、正輝の襟首を持ち上げて引き摺っている男がニヤリと笑いながら告げると、彼女達は真っ青になって彼等との関係性を否定した。


「いえ、無関係です! 偶々帰る方向が同じなだけで!!」
「全っ然関係ありません! 失礼します!」
「待って! 置いてかないで!」
「私も帰る!」
 女達がバタバタと我先に駆け去って行くのを見送った男達は、哀れな獲物である正輝と剛史を、酷薄な笑みを浮かべながら見下ろした。


「やれやれ、薄情なこった」
「その分男同士、熱く語れるってわけだよな?」
「そうそう。最近の若造に、礼儀を叩き込んでやろう」
「……文字通り、拳でな」
「ひぃいぃぃっ!!」
「た、助け……、ぐあっ!」
「うるせえぞ。静かにしろ」
 そして顔を蹴られて蹴り転がされた剛史を、他の男が引き摺り上げて移動を開始し、二分後には二人は人目に付かない裏路地へと引きずり込まれた。
 それから更に三十分程経過すると、ポケットに入れておいた携帯が音も無く震えて着信を知らせてきた為、秀明は少し前方で展開されている光景から目を離さないまま、携帯を耳に当てて通話を始めた。


「来たか、芳文。今どこにいる?」
「隣のビルの、踊り場の窓から見てます。暗くて良く分かりませんが、結構ボコボコにしているみたいですね。先輩の仕業ですか?」
「最初の十発だけだ。後は皆が手を下してたが、殆ど隆也がやってる」
 小さく笑って状況を説明した秀明に、芳文が溜め息を吐いて返してくる。


「あいつちょっと前に、上からの圧力で部下の捜査の中断を余儀なくされたって、荒れ狂ってましたからね。運の悪い奴。しかし現役警視のキャリアのくせに、身元がバレたらどうするつもりだ、あいつ」
「お前からは見えないだろうが、隆也の左頬にざっくりした切り傷があるぞ。本職も真っ青な面構えだ。因みにここにいる全員、愉快な事になってる。直に見せられないのが残念だ」
 そう言って秀明が忍び笑いを漏らすと、電話越しにうんざりとした声が返ってきた。


「和寿の奴、また特殊メイクの腕を上げたと見えますね。しかし今回どうやって、対象者をおびき出したんですか?」
「簡単だったぞ? この近くのパブレストランが配布してる優待券の、精巧な複写を作った。通常《通年ワンドリンクサービス》だが、《日時限定同伴者六名様まで、お会計九割引》って代物をな。それを『無作為に抽選の上、当選された方に進呈』の案内文を付けて送りつけた」
「そんな明らかに疑わしいものを、どうして信じるんでしょうか?」
 呆れ果てたといった感じの問いかけに、秀明が飄々と解説する。


「一割は自腹って事と、『ご飲食後にアンケートへの回答が条件です』との要請文も入れておいたから、信憑性が増して頭から信じたんだろうな」
「それにしたって迂闊過ぎます。普通だったらそんな美味し過ぎる条件、店に確認の電話の一本も入れますよね?」
「お前と違って、人を疑わない素直な性格なんだろう?」
「それで指定された日時にのこのこ……。俺はひねくれて爛れた大人で結構です」
 しみじみとした口調で言い切った芳文に、秀明は思わず小さく笑ってから、真顔になって問いを発した。


「ところで、あとどれ位やれると思う?」
「そうですね……、現状は良く分かりませんが、まともに立てない状態ですよね? 肋骨が折れて内臓に刺さると厄介ですし、頭や背骨の損傷は絶対に避けたいので、後は両手足のみで。先輩達の撤収後、偶然を装って俺が回収して、うまく東成大付属病院に搬送させます」
「仕上げは頼む」
「お任せ下さい。精神的に徹底的に痛めつけてやりますよ。先輩の仮のお母上を罵倒したアホの身内とあらば、手加減無用でしょう」
 力強く請け負った後輩に、秀明は満足気に応じた。


「良く分かってるじゃないか。かかった費用は全て俺が負担する。遠慮するな」
「ありがとうございます。一割増しで請求させて貰います」
 さり気なく告げて来た言葉に、秀明は(相変わらずだな)と失笑しながら通話を終わらせると、携帯を元通りしまい込んでから、数メートル先で暴れている後輩の所に歩み寄った。


「おらおらおら!! こんな時間から、寝てんじゃねぇぞ! てめぇらはガキか!?」
「げほぅっ!」
「ぐあっ!」
 地面に蹲っている兄弟の胸倉を掴み上げて殴り倒し、手足を踏みつけて蹴り上げるという情け容赦ない攻撃を繰り出していた隆也の肩に手をかけ、静かに声をかける。


「おい」
「何です、若?」
 わざとらしく兄弟に聞こえる様に応じた隆也に、秀明は声を潜めて指示を出した。
「後は手足だけだ。十分以内に引き上げるぞ。芳文が来たから、後は任せる」
「もう少し、痛めつけたかったんですがね。了解しました」
 対する隆也も、二人には聞こえない様に声を潜めて言葉を返してから、改めて二人に向き直って声を張り上げる。


「おら、立てと言ってんだろうが!」
「ぐあぁぁっ!!」
 そんな騒動を他所に、秀明達は手早く撤収の手配を整えた。
「そろそろ行くぞ」
「和寿にバンを回させます」
「巡回中の警官に見咎められるなよ?」
 そして動けなくなった兄弟を放置し、十分後には無事にバンの中で移動していた秀明は、早速ウイッグを外してから、顔全体を覆っていた極薄のラテックス製マスクをゆっくりと剥がし取った。


「っはぁ……。意識してなかったが、やっぱり素肌に空気が当たるのは、気持ちが良いな」
 用意してあったおしぼりで顔を拭きながら秀明が正直な感想を述べると、周りから苦笑が漏れる。
「お疲れ様です。結局白鳥先輩のメイクが、一番大事になってましたね」
「これからもう一仕事あるから、すぐに取れる奴にしてくれと頼んだからな。お前達のは、専用のリムーバーとか、温めながらじゃないと駄目だろう」
 そう言いながら白いスーツを脱ぎ、日中着ていたビジネススーツに着替えながら秀明が告げると、後輩達は一瞬不思議そうな顔になった。


「なるほど。でもこれからもう一仕事ですか?」
「ああ。実は彼女を待たせていてな。用心の為、和臣と久礼を張り付かせている」
 それを聞いた後輩達は、もはや笑いを隠そうとはしなかった。
「それはそれは」
「頑張って下さい」
「じゃあ、その角を曲がった所で降ろしてくれ」
 そして後輩たちの冷やかし混じりの激励の声を背に受けながら、秀明が車を降りて目的地に向けて歩き出す一時間ほど前。その年最後の稽古を終えた教室で、美子は帰り支度を終えた生徒達から、挨拶を受けていた。


「お疲れ様でした」
「今年もご指導ありがとうございました。良いお年をお迎え下さい」
 中の一人がうっかり漏らした言葉に、隣の者が慌てて袖を引く。
「ちょっと! 藤宮さんは」
「あ……、失礼しました!」
 美子が喪中である事を思い出した彼女は慌てて頭を下げたが、美子は気にする事無く穏やかに言葉を返した。


「いえ、構わないわよ? 私だって良い年を迎えたいもの。来年も宜しくお願いしますね?」
「はい、こちらこそ、宜しくお願いします」
 そうして生徒が全員引き揚げてから、美子は野口を振り返って微笑んだ。


「先生、今年も無事に踊り納めができましたね」
「ええ、そうね。だけど藤宮さん、本当に出て来て良かったの? 無理しなくても……」
 気遣わしげに尋ねてきた野口に、美子は少々困った様に微笑む。


「初七日は過ぎましたし、少し体を動かしたかったんです。却って皆さんに気を遣わせてしまって、申し訳なかったですが」
「それは気にしないで。気分転換できたら良かったけど」
「ええ。十分できました。ありがとうございます」
「それじゃあ、少しお茶を飲んでいかない?」
「ご馳走になります」
 そして教室に隣接した控室で、ちゃぶ台を挟んでお茶を飲み始めた二人だったが、野口が何やら神妙な口調で言い出した。


「あのね、こんな時にと言うか、こんな時だからと言うか……」
「何か?」
 何やら言い淀んでいる師匠を不思議そうに見やると、野口は思い切った様に言い出した。


「藤宮さん。正式に自分の教室を持つか、ここの師範になってみない?」
「先生?」
「前々から考えていたんだけど、あなただったら十分その実力はあるし、今すぐじゃなくても徐々に引き継ぎをできれば良いかなって思っていたの」
「それは……」
 唐突に言われた内容ではあったが、これまでの相手の態度から薄々察していた事ではあり、美子は戸惑う事はあってもそれ程驚きはしなかった。そして口火を切ったなら後は話すだけだと開き直ったのか、野口が正直に思うところを述べる。


「でも藤宮さんは、お家の事やお母様の事で色々大変だと思ったから、今までなかなか言い出せなくて。だから落ち着いたら、改めて考えて貰いたいの。お母様が亡くなったばかりでこんな話、不謹慎かもしれないけど、何か打ち込む物があった方が却って良いかもしれないと思ったから」
 言うだけ言って、確かに不躾だと思ったのか俯いた野口を宥める様に、美子は優しく声をかけた。


「お気遣い、ありがとうございます。落ち着いたら、良く考えてみますので」
「そう? 良かったわ」
 そして安堵した表情になった野口に、お茶の礼を述べて日舞教室を辞去した美子は、カシミヤ製の和装コートをきちんと着込み、自問自答しながら最寄駅への道を歩き出した。


(師範、か……。自分の弟子を取って、責任を持って教えて……。それが嫌ってわけじゃないし、何か他にやりたい事があるってわけでもないんだけど……)
 煮え切らない思いを抱え、そんな自分に何となく嫌気が差しながら美子が悶々と歩いていると、唐突に横から声がかけられた。
「こんばんは。藤宮さん」
 思わず振り向いて声をかけて来た相手を確認し、その意外な相手に思わず目を見開く。


「ええと……。確か江原さんの後輩の、佐竹さん?」
「はい、お久しぶりです」
「二年半ぶり位かしら? こんな所で奇遇ね」
「いえ、白鳥先輩の指示で、待ち伏せさせて頂きました」
 平然とそんな事を言われた途端、こめかみに青筋を浮かべた美子を、「すみません、通行人の邪魔になりますのでこちらに」と、佐竹はさり気なく車道側の端に誘導した。そんな彼に、美子は冷たい目を向ける。


「……あのろくでなしは、今度は一体何を企んでるの?」
「詳細は不明です。ですが一応顔見知りが説明しておかないと、あなたが暴れる必要があると先輩が判断して、俺にお鉢が回ってきました。最初に謝っておきます。誠に申し訳ありません」
 そう言って最敬礼した佐竹に、美子は完全に怒り出した。


「あのね! 最敬礼して謝る位なら、年上だろうが目上だろうが、意見して止めさせなさいよ!?」
「もう手遅れです」
「はぁ!?」
 頭を上げて断言した佐竹に、美子が尚も文句を言いかけた所で、彼女の背後でワゴン車が急停車したかと思ったらスライドドアが勢い良く開き、生気溢れる男の声が響いた。


「清人、待たせたな!」
「後は宜しく」
「きゃあっ!」
 無防備な所を、いきなり両肩を佐竹に押されて美子が背後に倒れ込んだが、思わず悲鳴を上げた美子を、背後から伸びた手ががっしりと捕まえた。


「おう、任された。よっ……と!」
「何するのよっ!」
 そして背後から誰かに、そして両足は佐竹に持ち上げられ、瞬く間にワゴン車に乗せられてしまう。


「ちょっと! 離しなさいってば!」
「失礼しました。こちらにどうぞ」
 目の前で勢い良くしまったドアの向こうで、再度深々と頭を下げた佐竹の姿があっという間に見えなくなり、美子が乱れた着物の裾を直しながら車の中を見回すと、運転席から陽気な声がかけられた。


「藤宮さんですか? ようこそ、歓迎します。白鳥秀明と愉快な仲間達、会員ナンバー21の富川佳代と」
「会員ナンバー8の篠田光です。初めまして」
 誘拐犯と言われても文句は言えない男に、すぐ隣でにっこりとほほ笑まれて、美子は盛大に顔を引き攣らせた。


「『白鳥秀明と愉快な仲間達』って……、ひょっとして以前佐竹さんから聞いた、武道愛好会の事ですか?」
「別名はそうですね。あ、因みにさっき待ち伏せしてた佐竹清人は、会員ナンバー23です」
「富川。武道愛好会の方が正式名称だ」
「だって堅っ苦しいですよ。愉快な仲間達の方が可愛いじゃないですか」
(薄々思っていたけど……、武道愛好会って、奇人変人の集団?)
 無意識に顔を顰めながらバックミラーを眺めていると、運転席から富川が訝しげな声をかけてきた。


「あれ? バックミラー越しにガン見されてる気がしますが、何か私に物申したい事でも?」
「いえ、女性もいらっしゃるとは思っていなかったので」
 かなり失礼な事を考えていた自覚はあった為、美子が適当に誤魔化すと、それに篠田が笑って応じる。


「白鳥先輩に言わせると、『富川は確かに生物学上の女だが、男社会で健気に頑張っている女性全般に失礼だから、社会学上の女とは認められない』だそうです」
「ですが、いきなり男だけの車に連れ込まれたら藤宮さんが落ち着かないだろうから、付き合う様に言われまして」
「……お気遣い、ありがとうございます」
(気遣いの方向性が、絶対間違っているけどね!?)
 完全に呆れ果てた美子は、ここで苛立たしげに質問を繰り出した。


「ところで、どこに向かっているんですか?」
「何だか、白鳥先輩がお話があるそうで」
「一仕事終えるまで、指定の場所で待ってて欲しいそうです」
「……そうですか」
(それならそうと、直接私に連絡をよこしなさいよ! しかもどうして他人を迎えに来させるの!!)
 美子は心の中で正当な主張をしたが、二人はそれを読んだかのように弁解してきた。


「それが先輩の用事が何時に終わるか、ちょっと予測が付かないそうで」
「それに加えて、結構凶暴でかなり頑固な女を確保するとなったら、それなりに腕の立つのを用意する必要があるとかなんとか」
「でもさすがに年の瀬ですから、急に言われても暇な人間はそうそう居なくて。それぞれ都合の良い時間帯と場所で、リレー形式で繋ぐ事になったんです」
「先輩との待ち合わせ場所で一人で延々と待たせたら、変な人間に絡まれる可能性もあるので、連れを用意してますから」
「はぁ……」
(何、この人達、人の考えてる内容が分かるの!? というか先輩同様、何気に失礼よね!?)
 そんな風に密かに腹を立てながら、美子は軽く嫌味を口にした。


「お二人とも、年の瀬に身体が空いていらっしゃっるんですね。どんなお仕事を?」
「俺はフリーライターで、こいつは菓子職人です」
「先輩! ショコラティエですってば!」
「え? あの……、お二人とも東成大の卒業生ですよね?」
 意外に思えたその進路に、二人は今度は苦笑いで答える。


「う~ん、良く言われるんですよね~。武道愛好会のメンバーって、様々な格闘技での有段者でありながら東成大に入学した人ばかりですから、色々な意味で突きぬけてる人間ばかりで。真っ当な職に就いたのは、今の所半分くらいかな?」
「俺らなんか可愛い方ですよ。ホストになった奴もいるし、放浪の旅に出て行方不明になった奴もいるし、住居不定無職でオンライン取引で金だけガバガバ稼いでいる奴もいるし。後はメイクアップアーティストに、ラーメン店の店長? 他にも色々、変わり種がいますけど」
「でも今のところ、犯罪者とか前科持ちはいませんよ? 警察に捕まる様なヘマしませんから」
「しかしあの白鳥先輩が、官僚になって今はサラリーマンって、何の冗談だ」
「本当ですよね~。真っ先に道を踏み外すと思ってたのに。同じくツートップの小早川先輩なんて、弁護士ですよ弁護士」
「あの人、何かやらかしたら、自分で自分を弁護する為に弁護士になったんだろ」
「ですよね~」
 そう言ってケラケラと笑い合う二人に、早くも美子の忍耐力は限界に近付いた。


(やっぱり奇人変人の集団……。絶対にこれ以上、お近づきになりたくないわ)
 そう心に決めて、それからは余計な事は言わずに黙っていた美子だったが、繁華街のコインパーキングに車を入れて三人で歩き始めてから、訝しげに前を歩く二人に尋ねた。


「あの……、待ち合わせ場所って、一体どこですか?」
「ええと、この辺の筈……」
 するとキョロキョロと周囲を見回していた富川が、声を張り上げて大きく手を振った。


「あ、いた! ヤッホー! 和臣、久礼! 久し振り!」
 その声に、前方で所在なげに佇んでいた男二人が、揃ってびくりと反応してから項垂れる。
「げ! 富川先輩に篠田先輩!?」
「年も押し詰まってから、このメンツかよ……」
 富川と篠田とは違い、明らかに現役学生と分かる風体のその二人に、富川は上機嫌に美子を紹介した。


「お待たせ! この人が藤宮さんよ。恐れ多くも白鳥先輩の女さん。くれぐれも粗相の無いように。藤宮さん、こっちが後輩の君島和臣に本郷久礼です。からかってやって下さい」
 その台詞に、当事者の二人が何か言いかける前に、美子が盛大に反応した。


「ちょっと待って! 『白鳥先輩の女さん』って何!?」
 その抗議の声に、富川がきょとんとして問い返す。
「え? じゃあ一見れっきとした女性に見えるけど、男さんとか元男さんなんですか?」
「女に決まってます!!」
「じゃあ問題無いって事で。じゃあ後宜しく! これからデートだから。じゃあね~」
「それでは俺も失礼します。どうぞごゆっくり」
「何をどうごゆっくりなのよっ!!」
 そんな美子の怒声もなんのその。二人は笑って彼女を後輩に押し付けて、明るく笑いながら去って行った。


(もう嫌……、何なの、この人達)
 それから必死に怒りを堪えながら、待つ事十五分。美子は押し殺した声で、側にいる二人に問いかけた。


「ねえ……。もう帰って良いかしら?」
「いや、困ります!」
「ここであなたに帰られたら、俺達もれなく制裁コースですから!」
「じゃあ、せめて場所を移動しない?」
「それが、先輩からの指示が」
「こに入るから、入口前で待っていろと言われまして」
 打てば響く様に返された言葉に、美子の携帯を握り締める手に、より一層の力が籠る。


(全く……、さっきから電話は繋がらないし、メールも返信無しって。人をそっちの都合で寒空の下で待たせるなんて、何を考えてるのよ!)
 それから更に十分が経過し、幾らコートを着て寒さは凌げているとしても、精神的な問題から、美子は目の前の建物の中に向かって歩き出しつつ二人に断りを入れた。


「もう我慢できない。帰れないなら、先に中に入って待ってるわ」
「ちょっと待って下さい!」
「藤宮さんと中で待ったりしてたら、俺達確実に処刑コースですから!」
 必死の形相で追い縋った二人だが、一応足を止めた美子は、周囲をぐるりと見回しながら怒りを露わにして怒鳴りつけた。


「そんな事、知った事じゃないわよ! 大体ね、ラブホの入口前で男女三人で佇んでるから、さっきから目の前を通る人から例外なく変な目で見られてるのよ? あなた達、全然気にならなかったわけ!?」
「勿論、それは気になってましたが!!」
「万が一、質の悪い奴に絡まれた場合、二人一組じゃないと拙いとの判断で!」
「もうあんた達自体が、質が悪いわ!」
「……うわ、否定できない」
「否定しろよ!」
 思わず本郷が手で顔を覆って呻き、君島がそんな相方を叱咤している隙に、美子はさっさと建物の中へと入って行った。そして壁の片方にズラリと並んでいるパネルを見上げて、真顔で考え込む。


「取り敢えず、部屋ってここで選ぶの? フロントらしき場所が無いから、このパネルのボタンかしら? もうこの際人目が無くて、寒くなければどこでも良いわよ。 あ……、鍵が出てきた。じゃあ、この番号の部屋に行けば良いわけね?」
 そんな自問自答をしながら、美子が適当に明るく表示されているパネルの下のボタンを押すと、そのパネルの点灯が消えると同時に横からカードキーが出て来た為、彼女はあっさりとそれを手に取った。その一連の動作を目にした君島達は、盛大に顔を引き攣らせる。


「何でそんなに思い切りが良いんですか!? 男らし過ぎる!」
「しかもビギナーっぽいのに、何あっさりチェックインしてるんですか!?」
「勘。さあ、行くわよ」
 そしてずんずんと奥のエレベーターに向かって歩き出した彼女の手を、二人は両側から掴んで必死に押し止めた。


「ちょっと、離しなさいよ」
「本当に勘弁して下さい!」
「俺はまだまだこの世に未練が」
「和臣、久礼。お前達、何を騒いでいるんだ? それに俺は、外で待っていろと言った筈だが?」
 そして三人が揉めていた背後から、突如として不機嫌そうな声がかかった瞬間、二人は勢い良く美子の手首から手を離し、勢い良く振り返って上半身を九十度近くまで折り曲げた。


「押忍、お疲れ様です!」
「ご到着を、お待ち申し上げておりました!」
「……やっぱり帰って良いかしら?」
 如何にも体育会系的な挨拶をする二人から、美子は諸悪の根源であろう男に視線を向けて問いかけると、秀明はそれを無視して、苦笑しながら後輩達に声をかけた。


「今日はすまなかったな。彼女の相手をするのは大変だったろう。もう帰って良いぞ」
「はい、失礼します!」
「どうぞごゆっくり!」
 途端に顔付きを明るくして、再度一礼してから脱兎の勢いで走り去る彼等を見送ってから、秀明は美子に向き直った。


「その部屋が気に入ったのか? じゃあそこに入るぞ」
 さり気なく美子の手の中に有るキーに目を向けた秀明は、そこに記載されている番号を確認して、突き当たりの奥にあるエレベーターに向かって歩き出した。そして仏頂面の美子が、その後に付いて歩き出す。


「こんな所で、一体、何の用があるわけ?」
「人目を気にせずに、ちょっと踏み込んだ話がしたかっただけだ。とは言え、俺の部屋に連れ込んだら、社長に良い顔をされないからな」
 それを聞いた美子は、軽く眉を上げる。


「自宅でもラブホテルでも、大して変わらないと思うけど?」
「それはちょっとした見解の相違だ。それに近くで用があったから、移動の手間を省きたかった事もある」
 淡々と説明しながらエレベーターに乗り込み、美子も乗るのを待って行き先ボタンを押した。


(何なのよ。全くもう! あれだけの人間をわざわざ動かして、何か大事な用があるんじゃないかとは思うけど)
 色々怒りが突き抜けていた美子は、今自分がどういう状況にあるのかを正確に認識できないまま、秀明を睨み付けつつ、自身が選んだ形になった部屋に向かった。





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