半世紀の契約

篠原皐月

第20話 深美の置き土産

「全員集まれって、一体何なの?」
 揃って食事をしていた席で美子に言われた美恵達は、食べ終わってから大人しく居間に移動したが、何やら姿を消していた美子が戻って来るなり、美恵が不機嫌そうに文句を言った。その問いかけに対して、美子が手にしている大判の封筒を軽く持ち上げて見せながら、説明を始める。


「お母さんから、皆に手紙を預かってるのよ」
「え?」
「本当!?」
「ええ。余命宣告されてから、こつこつ書き溜めていてね。書いておきたい人、全員に書いたって言ってたわ。それで自分が死んだ後に郵送するなり手渡ししてくれって言われて、今まで預かっていたわけ」
「そうだったの」
 驚いた顔になった妹達が納得した所で、美子は若干すまなそうに話を続ける。


「それで幾つかに分けて保管していて、この封筒に入っているのが家族の分なの。落ち着いたら渡そうと思っていたんだけど、せっかくのクリスマスイブにこういう物を渡す事になってごめんなさい。クリスマス明けに渡そうかとも思ったんだけど、なるべく早い方が良いと思ったから……」
「ううん! お葬式の後も、美子姉さんが片付けとか色々な手続きとかで忙しかったのは分かってるし。寧ろ、クリスマスプレゼントみたいで嬉しいから! そうだよね?」
「別に、いつでも良いわよ」
「大体、何が書かれてあるか、想像付くしね~」
「もう、美恵姉さんも美実姉さんも、そんな事言わないで」
 美幸が力強く姉達に同意を求め、彼女達が如何にもな反応を示した事で軽く笑いを誘われながら、美子は封筒を開けて、揃いの白い封書を取り出した。


「それじゃあ、渡すわよ?」
 家族への分は簡潔に表に「美幸へ」などと名前を記してあるのみであり、それを見ながら美子は機械的に妹達に封筒を配った。
「ええと、これが美幸の分で、これが美恵の分ね。それからこっちが美野宛てで、これが美実……」
 そして自分の手の中に「昌典さんへ」と記した封筒のみが残った所で、美子が黙り込んだ。


「美子姉さん?」
「どうかしたの?」
「……後はお父さん宛てね。ちゃんと渡さないと」
 訝しんだ妹達に声をかけられて美子がぼそりと口にしたが、その様子を見た美恵が、信じられないような顔付きになりながら確認を入れる。


「姉さん? まさかとは思うけど、姉さんの分は先に貰ってあるとか、別にしてあるわけじゃないの?」
「…………」
 そう問われても無言のままの美子に、妹達は揃って愕然とした表情になり、次いで焦った様に口々に言い出した。


「え、えっと……、そうよ! さっき『幾つかに分けて保管してた』って言ってたじゃない?」
「そ、そうよね。うちの家系って名前に『美』の文字が付く人ばかりだし。叔母さん達宛ての封書の中に、混ざっちゃったとか!」
「きっとそうだよ! もう、やだお母さんったら! 最後の最後で、そんな事で外さなくても! お茶目だよねっ!」
 そして「あははは」と引き攣った顔で、些かわざとらしく笑い合う妹達に向かって、美子は淡々と告げた。


「他は全部、表に名前と住所がきちんと記載されていた物だったから、昨日郵便局の窓口で郵送手続きを済ませたわ」
「…………」
 静かに断言すると同時に、ピシッと固まった妹達から視線を逸らした美子は、残った一通を手にしたまま立ち上がった。


「じゃあ、確かに渡したわよ。これをお父さんの机に置いてくるから」
「あのっ! 美子姉さん!?」
 慌てた感じで美野が声をかけたが、それを無視して美子は居間を出て行った。
(別に……、良いけどね。もう、子供じゃないんだし。お母さんからしたら、改めて言う事も無かったんでしょうから)
 自分自身にそう言い聞かせながら、じんわりと両目に浮かんできた涙を拭った美子は昌典の書斎へと向かったが、居間に残された妹達は、揃って困惑顔を見合わせた。


「どういう事?」
「どうもこうも。お母さんが姉さんにだけ、手紙を用意してなかったって事でしょう?」
「でも、どうして? 美子姉さんには直接色々話してるから、要らないって事? でも、それにしても……」
「お、お母さんの馬鹿ぁ~。美子姉さんが貰って無いのに、これ、読めないよぅ~」
 つい先程貰った封筒を両手で握り締めながら、ぐすぐすと泣き出してしまった美幸だったが、他の者も同様の気持ちだった為誰もそれを咎めず、顔を顰めて押し黙った。


 それから少しして帰宅した昌典に、美子は食堂で夕飯を出しながら、預かっていた手紙に付いて述べた。
「そう言えばお父さん。お母さんから預かっていた、お父さん宛ての手紙。机の上に置いてあるから、後から見てね」
 その手紙について、予め話だけは聞いていた昌典は、ご飯茶碗と箸を手にしながら応じた。


「そうか? 分かった。もうこちらは良いぞ?」
「それなら流しを片付けているから。食べ終わった頃に、お茶を持ってくるわ」
 そう言って美子が食堂から台所に移動し、昌典が一人で夕飯を食べていると、食堂に美恵が入って来た。


「お父さん。ちょっと良い?」
「美恵? どうかしたのか?」
「姉さんは来ないわよね?」
「ああ。流しを片付けていると言っていたが?」
 台所に繋がるドアを気にしながら確認を入れてきた美恵に、昌典が不思議そうに問い返すと、美恵は彼に歩み寄りながら言いにくそうに口を開いた。


「お母さんからの手紙の事なんだけど……」
「ああ、聞いている。俺宛の物を机に置いたと、美子が言っていた」
「姉さんの分だけ無かった事は、聞いて無いわよね?」
 慎重に美恵がそんな事を尋ねてきた為、昌典は一瞬唖然としてから、盛大に顔を顰める。


「……何の冗談だ?」
 それに美恵が、溜め息を吐いて応じる。
「冗談じゃ無いから困ってるんじゃない。だから今回お父さんには、ちょっとお目こぼしして貰おうかと思ってるんだけど」
「は? 何を言ってるんだ?」
 意味が分からずに困惑する父親に向かって、美恵はその耳元である事を囁いた。そして背後のドアを気にしながら話し終えたが、それによって昌典の顔がこれ以上は無い位、苦々しい物になる。


「……美恵」
「そんな怖い顔で睨まないでよ」
 如何にも「私だって不本意よ」と言う表情の娘に、昌典は忌々しげに告げた。


「今回だけだぞ?」
「向こうにも、くれぐれもお父さんの逆鱗に触れる事をしない様に言っておくわ。問答無用で飛ばされそうだし」
「あの男なら、飛ばされた先に嬉々として美子を引きずって行きそうだがな」
「……否定できないわね」
 益々気分を害した様に言葉を継いだ昌典に、美恵はこれ以上刺激しては拙いと、慎重に引き下がった。


「とにかく、そういう事だから宜しく」
 そして一人取り残された食堂で、昌典は亡き妻に対する愚痴を零す。
「全く深美の奴、一体何を考えていたんだ?」
 そして一気に味気なくなった夕飯を食べつつ、その合間に昌典は重い溜め息を吐いた。


 同じ頃、外で夕食を済ませて自宅マンションに帰り着いた秀明は、エントランスの集合ポストの中を確認して、手の動きを止めた。
「……深美さん?」
 手にした封筒を裏返した瞬間に目に入って来た名前に、秀明は少しの間だけ固まってから、軽く首を振って苦笑いする。


「そうか……。一瞬、幽霊からかと思って驚いた。彼女あたりが預かっていて、落ち着いてから投函したんだな」
 すぐに真相を悟った秀明が、一緒に入っていたダイレクトメールやチラシの類と纏めて封筒を掴み、自宅に向かって何事も無かったかの様に歩き始めた。


「しかし幽霊からって、何だそれは。俺らしくも無い。……本当に深美さんは、最後まで意外性の塊だったな」
 そんな自嘲気味の台詞を吐きながら自宅に帰り着いた秀明は、コートを着たままソファーに座り、早速封筒に手を伸ばす。


「さて、それでは何が書いてあるのか、読ませて貰おうか」
 そして目の前のコーヒーテーブルに設置してある引き出しから鋏を取り出し、封筒の上部を水平に切って開封した。そして中を覗き込んで、怪訝な顔になる。


「うん? 私信が入っているだけにしては、やけに封筒が大きいと思ったら、他にも何か入ってるのか?」
 そう呟きながら、取り敢えず秀明は折り畳まれた便箋を取り出し、それに目を通し始めた。そして全て読み終えた彼は、深い溜め息を吐いて項垂れる。


「深美さん、なんて無茶ぶりをしてくれるんですか……。俺にこんな事を言いつけられる人間は、あなた位ですよ。『それ位はしてね』って事だとは思いますし、気持ちも分かりますが……」
 思わず愚痴をこぼしてから、秀明は再び送りつけられた封筒を覗き込み、それよりは一回り小さい封筒を取り出した。その白一色で表に「美子へ」としか書いていない封筒を目の高さまで持ち上げて、自問自答を始めた。


「さて……、あっさり渡すのは簡単だが、できる限り深美さんの希望通りにしたいしな。どう話を持っていくか……。人目も考えないといけないし」
 そこで携帯の着信音が鳴り響いた為、秀明はそれを手にしたが、発信者名を見て怪訝な顔になった。しかし(こんな時間に珍しいな)と思いつつ応答する。


「やあ、美幸ちゃん、こんばんは」
「えっと……、遅くにすみません、江原さん」
 かなり恐縮気味に挨拶してきた美幸に、秀明は笑いを堪える様に言い聞かせた。


「確かにちょっと中学生には遅い時間だが、大切な用事があったから電話してきたんだろう? 構わないから、遠慮しないで言ってごらん?」
「はい……、その、ですね……」
「うん、何かな?」
 何故かそのまま美幸は黙り込んでしまったが、秀明は催促する事無く、そのまま美幸の話を待った。すると少ししてから、美幸が思い切った様に話し出す。


「あの……、お母さんのお葬式の前後もそうなんですけど、あれからずっと美子姉さん、人前で泣いてないんです。勿論、私達の前でも」
「……そうか」
 彼女の性格ならそうだろうなと納得しながら、秀明はそのまま美幸の話に耳を傾けた。


「こっそり一人で泣いてるのかとも思ったんですけど、注意して見ていても、そんな様子は無いし……」
「妹としては心配かな?」
「それもそうだけど……」
 そこで段々小声になって黙り込んだと思ったら、美幸が涙声で訴えてきた。


「あのね? 美子姉さんはこの間全然泣いて無いけど、それは美子姉さんが薄情だからとか、感情の起伏に乏しいとか、可愛気が無いからとかじゃ無いから。そこの所は、江原さんに誤解して欲しくは無いんだけど」
「ああ、それは分かっているから、大丈夫だよ? そんなつまらない事を、美幸ちゃんの耳に入れた馬鹿がいたのかい?」
 口調は穏やかながらも(もしそうなら放置できんな)と物騒な考えを頭の中で巡らせていた秀明に、美幸が否定の言葉を返してきた。


「ううん。さすがにはっきり言ってくる様な人はいなかったけど……。だけど私達の中で、美子姉さんが一番先に生まれて、一番長くお母さんと一緒に過ごしてるんだから、美子姉さんが一番悲しい筈だもの!」
「ああ、そうだね」
 きっぱりと断言した美幸に、秀明は無意識に目元を緩めたが、それから美幸は急に勢いを無くした暗い声で、話を続けた。


「それなのに、私……、そういう事すっかり忘れて、お母さんが死んだ時とか、その後とか、美子姉さんに八つ当たりしちゃって、色々きつい事言っちゃったしっ……。それにっ……、わ、私がずっと大泣きしちゃってたから、よ、美子姉さん、泣けなくなっちゃったのっ……」
 そこで「ふえぇぇっ……」とむせび泣きし始めてしまった美幸を、秀明は慌てて宥めた。


「美幸ちゃん、ちょっと落ち着こうか。それは美幸ちゃんのせいじゃ無いと思うよ?」
「そ、それにっ……、お母さんも酷いようぅ~。皆に書いた手紙、美子姉さんの分だけっ、なくってっ! お、お母さんの馬鹿ぁぁぁ――――っ!」
 そんな事を絶叫してから「うわあぁぁ――ん!」と本格的に泣き出してしまった美幸に、秀明は本気で困惑した。


「あの、美幸ちゃん。頼むから、ちょっと落ち着いて俺の話を聞いて欲しいんだが。その手紙の事なんだが、実は」
「そんな大変困った状況なので」
「え?」
「ちょっと美野姉さん!」
 そこでいきなり通話に違う人物の声が割り込んできた為、秀明は当惑したが、電話の向こうで何が起こったのか、落ち着き払った美野の声が聞こえてきた。


「ここは一つ、美子姉さんに求婚している江原さんに骨を折って貰えればなと、大変身勝手で、こちらに都合の良い事を考えているんです」
「江原さんと、何勝手に話してるのよ! それに私の携帯、返して!」
「美野ちゃん?」
 美幸の怒声で、どうやら美野が妹から携帯を奪い取って話しているのが秀明には分かったが、電話の向こうで美野はすこぶる冷静に妹に言い返した。


「何言ってるのよ、美幸。私は江原さんと話なんかしていないわ。偶々廊下を歩きながら独り言を言っていたら、それが偶々江原さんと話していた美幸の携帯越しに、相手に伝わっただけじゃない」
「ここ私の部屋だし! 勝手に部屋に入って来た挙げ句に、人の携帯を取り上げて何世迷い言を言ってるわけ!?」
「だから美幸と江原さんの会話によって何らかの問題が生じたとしても、私には全く責任は無いわ。不可抗力よ」
「ちょっと! 美子姉さんに怒られたら、そう言って無関係を決め込む気!? それでも姉なの!?」
 姉妹のやり取りを聞いて事情が分かった秀明は、片手で口元を押さえて必死に笑いを堪えたが、ここで新たな声が会話に割り込んだ。


「美野~。こっちにパス!」
「はい」
「あ、ちょっと! 美実姉さんまで、何やってるのよ!」
 どうやら携帯争奪戦に美実まで乱入したらしいと思っていると、予想通り今度は皮肉げな彼女の声が聞こえてくる。


「と言うわけで、美子姉さんを何とかして。出来ないって言うなら、甲斐性無しのレッテルを貼るわよ? あ、言っておくけど、これもあくまで独り言だから。はい、美野、パス!」
「ちょっと! いい加減に返してったら!」
「私は、江原さんの事は甲斐性無しだとは思ってません。これも独り言ですが」
「もう! 本当にいい加減に返してよ!」
 そうして漸く自分の手に携帯を取り戻したらしい美幸が、先程までの泣き声は封印し、申し訳無さそうに詫びを入れてきた。


「うぅ……、江原さん。本当に傍若無人な姉ばかりですみません」
「それをあんたが言うわけ?」
「美幸だけには言われたくないわ!」
「いやはや……、本当に藤宮家は賑やかだね」
 美幸の台詞にすかさず入った突っ込みに、とうとう我慢できずに吹き出してから、秀明は正直な感想を述べた。そして相手を安心させる様に言い聞かせる。


「分かったよ。彼女については何とかするから。安心して」
「本当ですか? ありがとう、江原さん!」
 嬉しさと安堵感を滲ませたその声音に、秀明の顔も自然と緩む。


「ああ。だからもうお姉さん達と喧嘩しないで、遅いから今日はもう寝るんだよ?」
「はい、おやすみなさ」
「あなた達、さっきからこんな時間に何を騒いでるの! 自分の部屋でさっさと寝なさい!!」
「はい!」
「すみません!」
 そして挨拶の途中でプツッと通話が切られた事に気を悪くしたりはせず、秀明は「彼女から大目玉を食らったか」と小さく笑いながら通話を終わらせた。すると絶妙のタイミングで携帯が鳴り響き、秀明は軽く目を見開く。


「今度は美恵ちゃんか」
 そう言えば、さっきは混ざって無かったなと思いながら応答すると、「こんばんは。少し時間を貰って良いかしら?」と言う、平坦な声が伝わってきた。


「やあ、こんばんは。勿論、構わないよ。ついさっき君の可愛い妹達から、ラブコールを貰った所だし」
「姉さんからじゃなくて、申し訳ないわね」
「それは気にしてない。それで? 用件は?」
 早速電話してきた用向きを尋ねてみた秀明だったが、美恵の話を聞いて意外そうな顔になり、次いで面白そうに感想を述べた。


「……それはそれは。社長の仏頂面が、目に見える様だ」
「一応、信用はしてるわ」
「一応、ね。君も正直だな。用件は分かった。こちらに任せてくれ」
「宜しく」
 その会話を終わらせるなり、秀明はスケジュール帳を取り出して、日程を確認し始めた。


「さて、年末だからな。どこか空いているか? まあ、詰まってたら空ければ良いだけの話だが」
 そして該当ページの一部に目を留めて、不気味な笑みを零す。
「……そう言えば、あれの始末もあったな。この際、纏めて済ませるか」
 良くも悪くも思い立ったら即実行の秀明は、素早く頭の中で組み上げた物騒な計画に悪友達を引きずり込むべく、すぐに文章を打ち込んでメールを一括送信した。





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