長期休暇で魔境制覇

篠原皐月

(9)黒幕登場

 すったもんだの末、どこかから幌付きの荷馬車を借り受けて来た連中は、それに藍里達と気絶したままのバーンを乗せて、隊列を組んで出発した。
 あまり馬車の外から顔を見られない様にしろと注意を受けていたものの、暫くして森を抜け、幌の出入り口にかかっている布の隙間から時折見える景色で、この地方の土地勘は十分にあるウィルには、容易にどこに向かっているかの見当が付いた。


〔てっきり、デスナール子爵領のどこかに連れ込まれると思っていたが……〕
〔ここは義姉上の実家の、ハールド子爵領内です。しかもその中心部に向かって移動しています〕
 この間に正気付いたバーンが藍里の顔を見た途端恐慌状態になって幌馬車から飛び降りた為、藍里達は誰にも遠慮する事無く会話を交わしていた。そして暫くしてからのジークの意外そうな呟きに、ウィルが困惑と焦りを滲ませながら答えると、他の面々が怪訝な顔になる。


〔そうなると、やはりオランデュー伯爵とハールド子爵が繋がっていたと言う事か?〕
〔そこまで悪辣な事をする方だったとは、思いたくありませんが〕
〔しかしそれにバールが、どう絡んでくるんだ?〕
〔とにかくもう暫く、様子を見るしかありませんね〕
 相変わらずリスベラント語での会話は、固有名詞しか聞き取れない為、藍里は会話の合間にジークに尋ねた。


「どういう事?」
「デスナール子爵領内に戻ったわけではなく、隣接するハールド子爵領内に連れて来られたと思われます」
 それを聞いた藍里は、聞き覚えのある名前に首を傾げた。


「あれ? ハールド子爵家って、確かデスナール領の隣の領地を治めている家で、レイチェルさんの実家じゃなかったっけ?」
「はい、そうです」
「そうなると、レイチェルさんやジェラールさんも、この事を知ってるのかしら?」
 その問いに、ジークは慎重に答えた。


「それはまだ何とも言えません。不確定要素が多過ぎます」
「確かにそうね」
 そんなやり取りをしているうちに馬車が止まり、出入り口の布が跳ね上げられて、人数分のマントらしきものが投げ込まれた。


〔全員降りろ! その前に、これを頭から被れ〕
 言うだけ言って手伝う気配は皆無な為、藍里達は不自由な手でそれを引き寄せ、頭から被りながら軽く文句を口にした。


〔やれやれ、やっと到着か〕
〔周囲に俺達の顔を見せないつもりか? 犯罪者扱いとは恐れ入る〕
 文句を言いながらも全員それを頭から被ってから、注意深く馬車を降り、周囲をバーン達に囲まれながら、目の前の建物に向かって歩き始めた。そしてすぐに入口らしき所に到着し、扉を開けて中へ足を踏み入れる。


(裏口みたいな所から入ったわね。縁戚のウィルさんの顔を知っている人間に、見られない為? そうなると、この屋敷の人間全員がグルって事でも無いのかしら? でもこれだけの人間を動かしていれば、憶測を呼んだりすると思うんだけど……。良く分からないわね)
 藍里が周囲を注意深く観察しながら考えを巡らせている間に、どこかの小部屋に入ったと思ったら、更に壁に付いている扉の向こうにあった階段を下りる様に言われた。
 そこが薄暗く、結構急勾配なのを見て取ったジークが抗議すると、バーンは思い出した様に皆が被っていたマントを外させ、全員一列になって石造りの階段を下りた。


〔ほら、さっさと入れ! それから、妙な真似をするなよ!?〕
〔妙な真似って何だ。魔術を封じられている俺達が、一体何をすると?〕
〔……ちっ!〕
 どうやらそこは地下牢だったらしく、狭くて細長い床面に下り立つとその通路を挟んで右側に男性陣が、左側に藍里とセレナが問答無用で入れられた。その後真顔で言い聞かせてきたバーンに、ルーカスが冷静に言い返したところで、藍里が馬鹿にした口調でバーンに向かって言い放つ。


「あぁら! 結局、ここに押し込めて終わりなの? 獲物にとどめを刺すこともできない、とんだ臆病者がいたものね。気の毒だけど、それはお医者様にも治しようが無いわねぇ~。ぎっくり腰だったら整体師に治して貰えるけど、さすがにへっぴり腰は治せないし~」
〔何を言ってるんだ。五月蠅いぞ! 耳障りだからそいつを静かにさせておけ!〕
 言われた内容は分からないまでも、馬鹿にされているのははっきりと理解できたバーンは、捨て台詞を口にしてから、足音荒く階段を上がって行った。そして通路の四隅で、ランプが周囲を薄明るく照らす中、ジークが向かい側の牢に入っている藍里に向かって、窘める様な視線を向けてくる。


「アイリ様……」
「どうせ何を言ってるかは分からないんでしょ?」
「それはそうですが、ニュアンスは確実に伝わっていました」
「そう? 底抜けの馬鹿じゃ無くて良かったわ。そうでなかったら、嫌味を言うのも時間と労力の無駄だもの」
 しれっとして言い切る藍里に、ジークは説得するのを諦めた。するとウィルが不思議そうに、会話に割り込んでくる。


〔ジーク、さっき彼女はなんて言ったんだ?〕
〔一々通訳するのは……。取り敢えず、非友好的な台詞だと思ってくれ〕
〔それはそうだろうな。ところで、今思ったんだが……。アイリ嬢は封魔師の術で言語変換魔術は使えていない状態なのに、どうして聖紋を出したり紅蓮を解除できなくする事はできたんだ?〕
〔そう言えばそうだな……。特に聖紋の方は、魔力をコントロールする事で出したり消したりできる様になったと、例の披露宴の時に聞いた覚えがあるが〕
 立て続けに色々有りすぎて、矛盾点をうっかり見逃していた事に気付いたジークは、改めて藍里に声をかけた。


「アイリ様、封魔師の術下で、どうして自由に聖紋を浮かび上がらせる事や、紅蓮の解除を阻止する事ができたんですか?」
 しかしその疑問に、藍里はあっさりと答えた。


「ああ、その事? 聖紋は殆ど何も考えずに出したの。察するに封魔師の術って、要は外部に働きかける魔力を阻害するんじゃない? だから自分自身に行使する魔力に関しては、影響が無いんじゃ無いかと思ったんだけど」
 その藍里の仮定話を聞いて、ジークはすぐに納得した。


「なるほど……。逆に言語変換魔術は外部、つまり他者と自分に相互に働きかける事になりますから、効かなくなるというわけですね?」
「そういう事。あ、ちょうど良いわ。ウィルさんに試して貰えるかな? ジークさん、ウィルさんが二の腕を少し切られてるでしょう? 自分自身に回復魔術をかけてみる様に言ってみて?」
「分かりました」
 藍里の意図をすぐに悟ったジークは、すぐにウィルに向き直った。


〔ウィル。その左腕の切られた所に、回復魔術をかけてみてくれ〕
〔え? 魔術が封じられているんだから、無理じゃないのか?〕
〔彼女の予想通りなら、それは効く筈だ〕
〔そうなのか? 分かった。やってみる。ニェール、パル、ザン、エスタ〕
 半信半疑ながら自分の怪我の部位に回復魔術をかけてみたウィルは、いつもと同様の効果が出た事に驚いた。


〔本当に効いた……〕
〔どう言う事だ?〕
 すぐ側で目撃したルーカスも目を丸くした為、ジークは藍里から聞いた推察を述べる。


〔つまり封魔師の能力は、対象者の魔力の外部への働きかけを阻害する物であって、自分自身に効果を及ぼす魔術に関しては、阻害されないのではないかと〕
〔なるほどな〕
 ルーカス達が納得して頷き合う中、ジークは次の疑問について問い質した。
「それで紅蓮の方については、どういう理由で外れなかったんですか?」
 そう尋ねられた途端、藍里が渋い顔になった。


「それが……。実は出発直前に、紅蓮を私の腕と脚に装着したのは悠理なの。その時何か変な魔術をかけたみたいで、ずっと外れなかったのよ」
「そうだったんですか? てっきり休む時とかは、外していると思っていましたが」
「そうじゃなかったのよ。だからあの時は、外せるなら外してみろってはったりをかましたつもりだったんだけど。やっぱり私の魔術は封じられても、この場に居ない他者が施した魔術は、封じる事ができないみたいね」
「少なくとも丸腰にはならなかったので、不幸中の幸いとも言えますが……。まさか悠理は、この様な事態まで、予測していたんじゃ無いだろうな?」
 呆れるばかりのこの顛末にジークは本気で頭痛を覚えたが、ゆっくりと悩む暇も無く、新たな災厄がその場に近付いて来た。


〔どうした、ジーク〕
〔それが……、彼女の紅蓮に関してなんだが〕
〔おい、上から誰か来るぞ!〕
 鋭くルーカスが警告の言葉を発した通り、通路脇にある階段の上部から、何やら物音と複数の人間の話し声が反響しながら聞こえてきた為、皆黙り込んで慎重に様子を窺った。


〔全く、ハールド子爵。この事態はどういう事ですか?〕
〔申し訳ありません、アメーリア様。私どももてっきり森の中で始末してくるとばかり。まさかこちらに連れて来るとは思いもよらず〕
〔言い訳は結構。本当に使えない者ばかりね〕
 聞こえてきた声と出てきた名前で、相手が誰かあっさりと判明した途端、ルーカスは顔を強張らせたが、口に出しては何も言わなかった。ジークはそんな彼の様子を慎重に窺っていたが、階段を下りてきた三人が通路に姿を見せた事で、ウィルにも警戒する視線を向ける。


〔アメーリア様、レイチェル殿まで……〕
〔義姉上……。どうしてここに?〕
 向かい側のセレナから漏れた呆然とした呟きに、ウィルの声が重なる。しかしレイチェルは落ち着き払っており、当然の如く言い返した。


〔この屋敷は私の実家の所有物です。私が居ても、別におかしくは無いでしょう?〕
〔そういう意味ではありません!〕
〔ウィル! 落ち着け!〕
 思わず牢の柵を手で掴んで非難の叫びを上げたウィルを、慌ててジークが宥める。そんな騒ぎをアメーリアは綺麗に無視し、石造りの床に座り込んだまま、憎々しげに自分を見上げているルーカスに対し、優越感に溢れた笑みを向けた。


〔ルーカス、いつぞやアルデインで別れた以来ね。どう? こちらの居心地は。案外公宮の私室よりも、こういう所の方が落ち着くかもしれないけど〕
〔生憎、快適には程遠い環境ですね。あなたやハールド子爵の権限で、私達の処遇を改善して頂ければありがたいのですが〕
 しかしそれを聞いたアメーリアは、如何にも残念そうに微笑む。


〔ごめんなさい。それはできない相談ね。あなた方はリスベラントの安定の為に、すぐに死んで貰う予定になっているし〕
〔リスベラントの安定の為? オランデュー伯爵と、あなたの立場の安定の為では?〕
〔これだから視野が狭い短慮者は……。姉として様子を見に出向いてあげた時に、偶々あなたがそんな無様な姿になっているのに遭遇して、せめて恩情をかけてあげるつもりだったけど……。やはり理解して貰えなかったみたいね〕
 それを聞いたルーカスは貴公子の仮面をかなぐり捨て、常には使わない乱暴な口調で、他人には聞こえない声で悪態を吐いた。


〔『視野が狭い短慮者』だと? まんま自分の事じゃねぇか。第一、てめぇにかけてもらう恩情なんて、ろくでもない内容に決まってんだろ。誰が要るか〕
 その横でウィルが顔色を変えながら、レイチェル達を問い質した。
〔義姉上、ハールド子爵。これは兄も承知の事なのですか?〕
 しかしレイチェルの父であるハールド子爵トマスが、顔を顰めて吐き捨てる。


〔いや。ジェラールは杓子定規で、くそ真面目な奴だからな。伯爵家の意向に沿うのが自家の利益に繋がると、どうしても理解しないのだ〕
〔本当に、頭が固くては物分かりが悪くて、いい加減うんざりなのよ。幸い子供ができなかったしこの際あの人とは離婚して、当主を異母弟のどなたかにすげ替えた上で、その方と再婚しますから〕
 父に続いてレイチェルも、如何にもうんざりした口調で告げてきた為、その内容にウィルは勿論、他の者も目を見張った。


〔何ですって!? そんな事が認められる筈無いでしょう!〕
〔できますとも。アメーリア様達にとって目障りな、ルーカス殿下とアイリ嬢を殺して死体を持っていけば、オランデュー伯爵がその様に取り計らって下さると確約して下さいました。その旨の誓約書も取り交わしておりますし。そうでございますよね? アメーリア様〕
 そう言ってレイチェルがにこやかにアメーリアを振り返ると、彼女も一見優雅に笑ってみせた。


〔ええ、勿論ですわ。伯父上は誠実な方ですから、誓約を違える事はありません。ご安心なさって?〕
〔勿論、信頼しておりますとも〕
〔オランデュー伯爵……、あの腹黒野郎……〕
 アメーリアに向かって愛想笑いを振り撒くトマスを視界の片隅に入れながら、ルーカスは口の中で、オランデュー伯爵に対する呪いの言葉を呟く。その横でウィルが、慎重にレイチェルに向かって確認を入れた。


〔それなら一連の事件に直接関わっているのは、義姉上と異母兄達とハールド子爵家ですね?〕
〔ええ、そうよ。あなた達を捕らえた事を密かに連絡したら、レナード殿とジョイス殿が嬉々としてこちらに出向いて来たわ。丁度良いから再婚相手をどなたにするか、お父様とも相談の上、今日決めようかと思っているのだけど〕
〔あなたは……、そんな連中の口車に乗ってそんな事をしでかして、恥ずかしくは無いんですか!?〕
 思わず激昂して叫んだウィルだったが、彼女が負けず劣らずの剣幕で怒鳴り返す。


〔五月蠅いわね! 子供ができないのは私のせいじゃ無いのに、どうして私ばかり矢面に立たされなくてはならないの!? もう、本当にうんざりなのよ!!〕
〔義姉上……〕
 彼女の迫力に圧されて思わずウィルが黙り込むと、これまで傍観を決め込んでいた藍里が、向かい側の牢から声をかけてきた。


「もしも~し! お取り込み中の所、申し訳ないんだけど。ちょっと良いですか?」
〔え?〕
〔何だ?〕
 反射的に三人が達が振り返ると、藍里は日本語のまま冷静に相手に言い聞かせた。


「悪い事は言わないから、ここら辺で止めておいたら? こういうのって言葉が通じなくても、雰囲気で伝わると思うんだけど」
 しかし藍里の説得は通じない上に微塵も感銘を与える事はできなかったらしく、トマスがせせら笑う。


〔はっ! この娘、改心しろとでも言っているのか? 自分の置かれている状況が、まだ分かっていないらしいな〕
〔本当に。アイリ嬢は遥か東方の文化レベルの低い土地柄のお育ちで、魔力はともかくディルとしての自覚や、年相応の分別をお持ちでは無いと見えますね。同情する余地はありますが、こんなのが大手を振ってリスベラントを闊歩しているなんて、何て嘆かわしい。聖リスベラがお嘆きだわ〕
〔アメーリア様! 今の発言は、失礼にも程がありますよ!?〕
 トマスに引き続き藍里を侮辱する発言をしたアメーリアに向かって、セレナが声高に非難したが、そんな彼女を藍里は苦笑いで宥めた。


「あぁ~、はいはい、セレナさん。何を言われたかは大体分かったけど、怒らなくて良いから」
〔ですが、アイリ様!〕
 言葉が通じないながらも、雰囲気で意志疎通できた藍里は、再びアメーリアに顔を向けて忠告を口にした。


「ちょっと、そこのアメーリアさん。そうそうそこの陰険姉貴、あんたの事よ」
〔何を言ってるの? この女〕
「俗に『色の白いは七難隠す』って言うけど、幾ら塗りたくっても性格の悪さは隠せないみたいだから、ナチュラルメイクの方が肌へのダメージが少なくて良いと思うわよ? そんな風に顔の皮膚を酷使してると今はまだ良いけど、ある程度の年齢になったら一気に肌年齢が跳ね上がるから」
〔何をしたり顔で言ってるわけ? この馬鹿女は〕
〔ジーク?〕
〔…………〕
 真顔で告げた藍里をアメーリアは訝しげに見返し、ルーカスも説明を求めてジークに声をかけた。しかしまともに通訳する空気でも気分でも無い為、彼は盛大に溜め息を吐いて項垂れる。するとレイチェルが、どことなく苛ついた様に父親に囁く。


〔お父様。とにかくこの方達の扱いをどうするか、早急に決めませんと〕
〔そうだな。あの馬鹿ども。厄介事を増やしおって〕
 それを契機に、アメーリアは改めてルーカスに向き直り、満足げな顔で別れの言葉を口にする。


〔それではルーカス、ご機嫌よう。最後に顔が見られて良かったわ〕
 そう言い放った後は、彼女はハールド子爵親子を引き連れて階段を上がって行き、藍里達はそれを無言で見送った。





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