長期休暇で魔境制覇

篠原皐月

(7)予想外の遭遇

 弾き飛ばされた瞬間、藍里の脳裏をよぎった思いは(下手を打った)だったが、得体の知れない空間に侵入した事を悟った瞬間、即座に腹を括った。


(まさかここに入っただけで精神がおかしくなって、見境なく暴れ出すって事では無いと思うけど……。万が一そんな事になったら、ルーカスが嬉々として私を殺しにかかりそうだし、気を確かに持たないと)
 藍里はルーカスが聞いたら怒り出しそうな事を真剣に考えてから、改めて周囲を観察してみた。
 いつの間にか空中を飛んでおらず、立って静止している状態になっていたが、地面や床らしき物は見えず、前後左右上下に至るまで真っ白な空間であった。しかし眩い感じはせず、薄くもやがかかっている様な、妙に居心地悪い感じに、藍里は一人眉根を寄せる。


(なんか、あまり長居はしたくない感じね)
 本能的にそう感じた瞬間、藍里は別な事にも気が付いた。


(これは……、何だろう? うまく説明できない。理屈じゃない。だけど身体で感じる。何かの力が満ちてる。それに、まとわりついてくる感じがする)
 藍里は思わず顔を顰めながら、何かを探す様に周囲を見回したが、当然何も発見する事はできなかった。


(誰の……、と言うか、どんな存在の物? 順当に考えると、この世界に繋がる道を作った、聖リスベラの力なんだろうけど……、単独じゃなくて、複数の様な……)
 納得しかねる顔付きになって、その場で考え込み始めた藍里だったが、そこである一部に違和感を感じた。


(あれ? どこもかしこも同じに見えるけど、何となく異常と言うか、一部だけ違うような感じがする。何だろう……)
 どこに立っているのかもはっきりと認識できないまま歩き出した藍里だったが、幸い地面を歩くように、思った方向に足を踏み出す事ができた。そしてすぐに、違和感を感じた周辺に到達する。


(この空間に満ちている力って……、素直に考えたら境界の本当の境目を作っている力よね? でもイメージ的に分厚い強固な物じゃなくて、幾重にも層が積み重なっているというか、全体的に緩やかに移動しながら補完してるって感じかな……。例えるなら、海流とか気流とかかな?)
 自分なりに該当するイメージで捉えながら、藍里は視覚に頼らず全ての感覚を使って、今現在自分の周囲に存在している力について、解析してみようと試みた。


(この力自体に嫌な感じはしないし、寧ろ身体に馴染む感じなんだけど……。でもなんか流れが変。綺麗に対流してないって言うか、一部だけ淀んでいる感じが……。ここら辺なのは分かるんだけど、正確にはどこかしら?)
 注意深く辺りを見回した彼女は、すぐに意識が引っかかった場所を特定した。


(ここかしら? ひょっとしてこの魔力の停滞が回り回って、本来もっと奥のリスベラントの真の境界域と、単なる辺境の森の中に変な風に繋がる結果になっていた上、異常な魔力が漏れて、境界域に影響を与えていたとか?)
 色々な可能性を推察してみたものの、一人で判断するには限界があり、藍里は早々に考える事を放棄した。


「何をどうすればここから出られるか分からないし、何でもやれそうな事から一つずつ、地道にやってみるしかないわよね。まず、この明らかに変な魔力の澱みを、何とかしてみましょうか!」
 自分自身に言い聞かせるのと同時に、奮い立たせる様にそう宣言した藍里は、早速使えそうな魔術を行使するべく、脳内をフル回転させる。


「こんな事はやってみた事は無いけど、自分が精神集中する時に魔力の流れをコントロールする要領で、この領域全体をやってみれば良いのよね。……桁違いだし、どうなるか全然予測が付かないけど。万が一、この世界ごと崩壊したらごめんなさいねっ!! それからセレナさん、特訓ありがとう!!」
 かなり自棄っぱち、かつ豪胆な事を叫びながら、藍里は両手を目の前にかざした。そして魔女としての訓練を受け始めた当初、初期の段階で叩き込まれた呪文をベースに、自分なりのアレンジを加えて一気に唱えてみる。


「ガウ、ディラ、チャール、アム、ミュア、イン!」
(この空間を丸ごと一つの生命体と見なして、魔力の方は血流とかリンパ液とか精神エネルギーに見立てて、その流れを滑らかに、かつ循環できる様にイメージする。……うん、凄いゆっくりとだけど、何かが流れ出したよね?)
 変わらず魔術を行使しながら様子を窺っていると、少ししてからはっきりと周囲に変化が、それも好ましい方向の物を感じ取って、藍里は内心で安堵した。しかし新たな疑問と言うか、不可解な事象を感じる。


(ここは何とかなるみたいだけど、なんとなくこの場全体が、微妙に歪んでいる様な感じがする。どうしてだろう? それにさっきから、視線を感じているような……。誰? それにどこから?)
 疑問符で頭を一杯にした藍里だったが、不意にある不鮮明なビジョンが脳裏に浮かんだ。その為、咄嗟にその条件に該当する人間の名前を思い浮かべた藍里が、無意識に口にする。


「……聖リスベラ? あなたなの?」
 額に紅連三日月形の痣がある女性など直接の知り合いはいなかったが、話に聞いていた人物の名前を半信半疑で呟いた直後、いきなり藍里の身体はここに来た時と同様に、何処かへと勢い良く飛ばされた。


「……うわっ! きゃあっ!! ちょっと、いきなり何!?」
 たまらず悲鳴を上げた藍里だったが、再度急に衝撃感と浮遊感が収まり、彼女は数歩後ろにたたらを踏んだものの、何とか転倒する事は避けられた。


「うおっと、とと。危なかった。一体何事よ?」
「アイリ!?」
「アイリ様、ご無事でしたか!?」
 思わず文句を口にした藍里の背後から、驚愕した声が上がり、彼女は何気なく振り向いた。するとルーカスやセレナはともかく、悪あがきをして切り結んでいた連中まで自分の方見て固まっている為、不思議に思いながら言葉を返す。


「あら、元の場所に戻って来たのね。大丈夫、どこも怪我はしていないから。あそこって、意外に行き来が簡単みたいね」
「何を見当外れな事を言ってる! お前一体、あの中で何をしてきた!? あの得体の知れない空間が消えてるぞ!!」
 途端にルーカスから怒声を浴びせられ、藍里は肩を竦めながら応じた。


「え? あ、本当。でもそれほど変な事はしてないけど。あそこに一時間位入ってた?」
「はぁ!? 立て続けに、何を寝ぼけた事を言ってる! お前が吹き飛ばされて、五秒もせずに戻って来たぞ!」
「へえ? さすが何でも有りな魔女の国。変な空間かと思ったら、時間の流れも変だったんだ」
「そんな悠長な事を言ってる場合か!?」
「場合じゃ無いみたいね! ハリュー、ティル、ダ、シュエラ!」
「ぐわあぁっ!!」
「ぎゃあっ!!」
 藍里はすかさず、先程結果的に自分を弾き飛ばした男に狙いを定め、至近距離に居た仲間諸共、魔術で派手に吹き飛ばした。
「さっきはよくも、吹っ飛ばしてくれたわね! 倍返ししてやるわ! あの空間が無くなったんだから、幾ら派手な攻撃魔術を使っても平気よね!?」
「全く……。リム、ラ、ツェル、タム!」
 藍里だけに任せていたら収拾が付かなくなると判断したのか、ルーカスも盛大に魔術を使い始め、元々の力量が違い過ぎる相手を、遠慮無く叩きのめし始めた。
 当然一連の騒動を少し離れた所で把握していたジークとウィルは、藍里が姿を消した時は心底肝を冷やしたものの、無事に戦線復帰した事で安堵の溜め息を吐き出す。


「形勢逆転だな。彼女に何事も無くて良かった」
「全くだ。一時はどうなる事かと思っ……、え?」
「ウィル、どうし……。何だと!?」
 自分達に生じた異変を察知して彼らが驚きの声を上げたのとほぼ同時に、藍里達の居る場所でもルーカスの狼狽気味の叫び声が上がった。


「おい、アイリ! その髪!?」
「え? 何?」
「魔術が効かなくなってる……。まさか、封魔師!?」
 何やらルーカスとセレナが狼狽えているのは分かったものの、その理由が分からない藍里は困惑した。しかし更に彼女が困惑する事が生じる。


〔どうしてこんな辺境に、封魔師が居るんだ!? それにどうして俺達の邪魔をする!〕
〔央都の封魔師を動かすなど、公爵が指示を出す筈がありません。どう考えても非公認の封魔師ですね〕
〔どこの家の飼い犬だ? デスナール家か? オランデュー家か?〕
〔そんな者を抱えているだけでも、公爵閣下に対する反逆罪と見なされても、文句は言えないと思いますが?〕
 苦々しげに言い合うルーカスとセレナに向かって、バーンが腫れ上がった顔に勝利の笑みを浮かべながら恫喝してくる。


〔はっ! 負け惜しみはそれ位にして、さっさと武器を捨てて貰おうか!〕
 藍里は突然周囲がわけが分からない言葉を喋り出した事で戸惑ったものの、ルーカス達が剣を地面に投げ捨てた事で、武装放棄を求められた事は分かった。しかし釈然としないまま呟く。


「急に何? それに皆、何を言ってるの? ひょっとして、言語変換魔術の効果が切れてる?」
 急に周囲が聞き慣れない言葉を喋り出した事に動揺した藍里だったが、予想外にそれに答える声があった。


「そうです。あなたが自分自身にかけておいたあらゆる魔術が無効化されているので、リスベラント語と日本語の自動相互変換ができなくなり、あなたの髪と瞳の色も元の色に戻っています」
「そんな強力な魔術があるの?」
 過去の日本での生活の間にしっかり日本語を習得していたジークが、藍里に分かる様に説明したが、彼女は納得しかねる顔付きになった。その為、ジークは更に説明を加える。




「強力というか……。リスベラントの住民の中には、ごく希にですが、あらゆる魔術を無効化できる人間が生まれる事があります。彼等は封魔師と呼ばれ、幼い頃から央都に集められて、特殊な教育を受ける事になっていますが」
「特殊な教育? どうして?」
「魔術を日常生活で多かれ少なかれ使用しているリスベラントでは、その行使を妨げられる事は、生殺与奪に関わります。故に封魔師としての能力が顕現した者には幼い頃から厳しい倫理観を植え付け、代々の公爵直轄部隊の一員となるべく、最高レベルの教育を受けさせるのです」
「うわ、それって酷くない?」
 人権無視だと言外に匂わせた藍里だったが、ジークは首を振った。


「その代わりに成人後は、公爵側近に就任し、破格の待遇や報酬を約束されて、公爵の護衛や罪人の確保、護送などを一手に引き受ける事になります。不用意に他者の権利を侵害しない様にするのと引き換えですね」
「それは分かったけど……、そんな封魔師がどうして私達の邪魔をするわけ?」
 封魔師の職能については納得したものの、根本的な疑問が解決していない為、藍里が重ねて問うと、ジークはいつの間にかバーンの背後に居た、頭部をすっぽりと覆う覆面をした人物を忌々しげに眺めながら、悪態を吐いた。


「どこかの家で内密に育てられた非正規の封魔師が、奴らに加勢しに来たと言う事ですね」
「なるほど。裏で後ろ嫌い事をやってるなら、そういう家来がいたらもの凄く便利でしょうね」
 目の部分だけをくり抜いた様な、場違いにも程がある覆面をかぶった人物の他にも、屈強な男達が新たに十人程増えているのを認めた藍里は、多勢に無勢なのを悟った。


〔おい! さっきから何をわけが分からない事を喋ってる! さっさとその槍の様な物を離せ!〕
 苛ついた様にバーンが喚いたのを聞いて、既に自分の剣を放棄して藍里の所ま来ていたジークは、取り敢えずの身の安全の為、彼女に藍華を手放す様に告げる。


「アイリ様、連中は武装解除を要求しています。この場は一旦、藍華を放棄して貰えませんか?」
 その申し出に対し、藍里は一瞬不快げに顔を歪めた。


「魔術無しでも、なぎ払うのはできると思うんだけど?」
「私達は魔術を行使できませんが、残念ながら連中はそうではありません」
「ハンデあり過ぎか。……仕方ないわね」
 諦めて藍里が地面に藍華を置くと、バーンの勝ち誇った高笑いがその場に響き渡った。



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