気が付けば奴がいる

篠原皐月

冴子、緑の妖精さんと遭遇する

「沙織ちゃん。急にお邪魔してごめんなさい。これはお土産だから、後で一緒に食べましょうね」
「夏休み中だし、予定も無かったから気にしないで。今、お茶を淹れるね」
「ありがとう」
 夏だからとお土産に持参したアイスを渡すと、沙織ちゃんは笑顔で受け取り、キッチンに消えた。姉夫婦が共働きで、一人で留守番なんていつ頃からしていたのか忘れたけど、もうすっかり安心できる年になったわね……。
 そんな事をしみじみ考えていると、沙織ちゃんはすぐに冷えた麦茶を持って来てくれた。


「まずは、外を歩いてきたから冷たい物。エアコンで身体が冷えてきたら、温かいお茶にするから」
「ありがとう。いただくわ」
「それで今日は、おじいちゃん達に会いに来たの?」
 何気なく沙織ちゃんが口にした内容に、微妙に自分の顔が強張るのが分かる。
 いえ、別にやましい事を相談しに来たわけじゃ無いんだから、沙織ちゃんに変に思われないように、さり気なく、冷静に答えないと。


「ええ、暫く来ていなかったし。偶々今日、休日出勤の代休を貰ったから」
「そうなんだ。SEって大変なのね」
「今回は偶々よ。確かにシステムの不具合がいつ出てくるかなんて、分からないけどね。ところで、姉さん達は元気?」
「元気。お父さんも久しぶりに帰って来てるし」
「本当にお義兄さんは、長期の海外出張が多くて大変よね」
 うん、特に変には思われていないみたい。それならさっさと、用事を済ませましょうか。


「沙織ちゃん、麦茶ご馳走様。それじゃあ、ちょっと拝んでるわね。沙織ちゃんは構わなくて良いから」
「うん、それじゃあこれを片付けて、少し宿題をしてるから」
 沙織ちゃんに断りを入れて立ち上がり、リビングに繋がっている和室に足を踏み入れた。そこに設置してある仏壇の前に座ると、思わず溜め息が出る。


「こんな事で神頼みならぬ、仏伺いなんてね……。怒ったお父さん達が、化けて出てきたらどうしよう……。でも、それならそれで、ちゃんと話を聞いて貰えるかな?」
 そんなどうしようもない事を呟きながら、蝋燭に火を点け、線香に火を点けてリン棒を取り上げ、リンを鳴らす。


 お父さん、お母さん、全然親孝行できなかった上、死んでまでこんな相談を持ち掛けてしまって、本当にごめんなさい……。でも二週間経過してるから、これ以上返事を先延ばしにできないし、職場でもお互いそれまで通りの態度をとってはいるけど、やっぱり微妙に気まずくて気になるのよ!!
 藁にもすがる思いで、心の平穏を求めて来た娘を、「不甲斐ない」って罵倒して追い返したりしないでね!?
 そんな考えを巡らせながら、神妙に拝んでいると、背後から微かに会話らしい声が伝わってきた。


「……から、……の」
「……も、……だし」
 今、この家の中にいるのは、私の他は沙織ちゃんのみの筈。片方は沙織ちゃんの声に聞こえるし、テレビの音とも思えない。


「……のよ」
「……ん、……かな」
 気になる……。お客が来たなら、沙織ちゃんがそう言う筈だし。
 そこまで考えた私は、迷わず行動に移った。


「……だるまさんがころんだっ!!」
 そう一気に叫ぶなり、勢い良く振り向いたのだ。


「…………っ!!」
「おっ、叔母さん?」
 そして振り返った私の目に飛び込んで来たのは、襖の陰からこちらを覗き込んでいながら、反射的に動きを止めてしまった沙織ちゃんと、彼女と同様の体勢になっている、どう見てもクマのぬいぐるみだった……。
 そして動揺著しい一人と一体、または一匹に向かって素早く歩み寄った私は、淡々と観察結果を口にした。


「その不自然極まりない、片足立ち。しっかり襖の縁に掴まって身体の均衡を保っている、そのひしゃげた手」
「え、ええと……、あのね、叔母さん。これは……」
「勿論、普通のぬいぐるみじゃ無いわよね?」
「あの、確かにちょっと普通じゃないかもしれないけど」
 固まっているクマのぬいぐるみに代わって、沙織ちゃんが何やら必死に弁解しようとしているけど、叔母さんは何もかも分かっているから、それ以上言わなくて良いのよ?


「そのクマのぬいぐるみの中に、緑の妖精さんが入っているのね!?」
「……はい?」
「…………」
 見事に正体を言い当てられた一人と一匹……、いえ、妖精さんなら二人は、動揺を隠せずに言葉を失った。


「やっぱり、緑の妖精さんは居たんじゃない! 何よ、姉さんったら! 昔散々馬鹿にしていたくせに、こっそり妖精さんを飼ってるなんて!」
 本当に姉さんったら、昔から秘密主義の上に表情が乏しいから、隠し事とかされると全然分からなくて。でも結構メルヘンチックな所があるのは、お見通しなのよ?
 口ではああ言っていたけど、本当は緑の妖精さんは存在するって、昔から思ってたのよね。だって私に緑の妖精さんの話をしてくれたのは、他でもない姉さんだもの。


「冴子叔母さん! これは緑の妖精なんかじゃないから、ちょっと冷静になってくれる!?」
 何やら妙に慌てながら、沙織ちゃんが声をかけてきたが、もう私はそれどころでは無かった。


「緑の妖精さん! あなたのお名前は?」
「え、えと、あの……」
 嬉々としてそれに詰め寄りながら尋ねると、彼はじりっと後退したので、私は更に距離を詰めた。


「お名前は?」
「……ゴンザレスです」
 漸く聞こえる位の、小さな声だった。ちょっと控え目で、内気な妖精さんらしい。
 そして名前を知って嬉しくなってしまった私は、親しみを込めて、彼と握手しながら勢い良く上下に振った。


「あら、素敵な名前! ゴンザレスさん、私は高梨冴子、宜しくね!」
「よ、宜しく……、ううぉおぉぉっ!」
「叔母さん、ちょっと待って! 手荒に扱わないで!」
「あ、そうなの? ぬいぐるみに入ってるから、平気かと思って」
 慌ててストップがかけられた為、私はゴンザレスの手を離した。途端に畳に座り込んだ彼を見下ろしながら、沙織ちゃんが溜め息を吐く。


「確かに落としても踏んでも洗濯しても、平気なんだけどね。こいつ手荒に扱うなって、一々五月蠅くて」
「平気じゃないし、壊れなければ何でも良いって事じゃないよね!?」
 ゴンザレスさんが勢い良く立ち上がってきゃんきゃん喚いていたが、私は重要な事を沙織ちゃんに問い質した。


「それで沙織ちゃん、ゴンザレスさんはいつからここにいるの?」
「ええと……、二週間位前からかな?」
「やっぱり! 私が悩んでいるのを見かねて、お父さんとお母さんが招き寄せてくれたのね!? 二人ともありがとう!」
 沙織ちゃんの返答を聞いて確信できた私は、嬉々として再び仏壇に向き直って手を合わせた。
 凄い、感激して涙が出て来ちゃったわ。そのまま心の中で両親に向かってお礼の言葉を並べ立てていると、背後で何やら二人が小声で言い争っていた。


「……沙織ちゃん、この人大丈夫なのか?」
「あんた、叔母さんに対して失礼でしょうが!」
「だってさ常識的に考えて、いきなりぬいぐるみが動き出したら、驚いたり怖がったりしないのかな? それなのに嬉々として『緑の妖精』って……、おかしくない?」
「あんたが常識について語るのは置いておくにしても、確かに私もどうかと思う。どうして中に入っているのが宇宙人じゃなくて、妖精になるわけ? 非科学的過ぎるわよ。SEって妖精の存在を信じていても、なれる職業なのね。もっと科学的アプローチが必要な職業かと、今まで思っていたわ」
「沙織ちゃん、絶対論点が違うよね!?」
 何やら揉めているみたいだけど、このチャンスを逃せないわ!


「ゴンザレスさん、お願いがあります!」
「はいっ!」
「私の話を聞いてください! そして的確なアドバイスを、是非ともお願いします!」
「はぁ?」
 勢い良く振り向いて、ゴンザレスさんに向かって深々と頭を下げると、沙織ちゃんが困惑した声をかけてくる。


「叔母さん……。緑の妖精云々は抜きにしても、こんなぬいぐるみに頭を下げて相談する事は無いと思う。人としての尊厳に係わるよ?」
「沙織ちゃん! 僕と叔母さんの両方に対して、失礼だよね!?」
「沙織ちゃん……。やっぱり端から見るとおかしいし、頭がおかしくなったと思われるわよね? でも色々あって、私は真剣なの。笑わないで見て見ぬ振りをしてくれると、叔母さんとっても嬉しいわ」
 ごめんなさいね、沙織ちゃん。叔母さんはこの二週間で、本当に切羽詰まっているの。
 すると私の表情を見て色々悟ってくれたらしい沙織ちゃんが、おとなしく頷いてゴンザレスさんに言い聞かせてくれた。


「……うん、分かった。じゃあゴンザレス、叔母さんの話を聞いてあげて」
「ちょっと沙織ちゃん!」
「大丈夫よ。真剣に、何か悩み事を相談したいだけみたいだから。憂さ晴らしに、あんたをバラバラにしたいとか、言ってるわけじゃないんだし。巧と二人きりにするより、危なくないわ」
「当たり前だよ!」
「だから話を聞くだけ聞いて、適当なアドバイスをして、満足して貰えば良いだけじゃない。宜しくね」
「ただのぬいぐるみにアドバイスさせるって、何て無茶ぶり!!」
「ただのぬいぐるみじゃないでしょ? 動くし喋るし雑巾がけもできるんだから、人生相談くらい甘んじて受けなさい」
「もう本当に、この家での俺の扱いって!」
 崩れ落ちるように突っ伏して、前足(?)で畳みをポスポス叩きながら、ゴンザレスさんが悲痛な叫びを上げる。この家で彼がどんな生活を送っているのか少し気になったけど、私は自分の問題解決を優先する事にした。


「沙織ちゃん。もう一つお願いがあるんだけど」
「何? 叔母さん」
「暫く、ゴンザレスさんと二人きりにして貰えるかしら」
「うん、良いよ。ちょっと巧に電話して、都合が良ければ巧の家で、夏休みの宿題をしてるから」
 そう言って、さっさと歩き始めた沙織ちゃんを見て慌てた。


「え? あの、わざわざ外に出かけなくても良いのよ。この部屋で二人きりにして貰えれば」
「大丈夫、気にしないで。その方が落ち着いて話ができるだろうし。……あ、巧? 沙織だけど……」
「沙織ちゃあぁぁーん!?」
 そしてどうやら名前だけは聞いた事がある、同じマンションのお友達に、沙織ちゃんは電話をかけ始めた。本当に相変わらず姉さんに似て、即断即決の子よね。本当に、いつまでも決断できない私とは大違い……。
 我が身を振り返って、ちょっと落ち込んでいる間に、沙織ちゃんは話を付けて荷物を纏めて移動を開始した。


「じゃあ私、ちょっと出かけてくるから。同じマンションにいるし、何かあった時や帰る時には、私の携帯に電話してね?」
「ごめんなさいね、沙織ちゃん」
 申し訳なくて玄関で謝ると、ゴンザレスさんが沙織ちゃんの足首にしがみついて、必死に訴えていた。……とは言っても、全然緊張感がない顔だから、とてもそうは見えないんだけど。


「沙織ちゃん、ちょっと待って! この叔母さんと二人っきりは、うきゃあぁぁぁっ!!」
「じゃあ、行って来ます。ごゆっくり」
 沙織ちゃんはそんなゴンザレスさんを問答無用で引き剥がし、勢い良く廊下の突き当りまで投げた。そして軽く手を上げてから外に出て、鍵をかけて行く。
 私はそれを見送ってから、投げられた後、そのまま廊下で蹲っているゴンザレスさんに歩み寄った。


「うぅ……、酷いよ、沙織ちゃん……」
「それではゴンザレスさん。先程の部屋に戻りましょう」
「……はい」
 声をかけると、のろのろと身体を起こした彼は、ゆっくりと和室に戻って行き、私もそれに続いた。
 そして向かい合って正座する事、一分。呼吸を整えた私は、気合を入れて口を開いた。



コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品