気が付けば奴がいる

篠原皐月

美須々、侵入者と戦う

「あの、でも今度は孝則も居ますので、問題が起きる筈ありませんし」


 電話越しに、幾分恐縮気味に語られた内容に、私は思わず眉根を寄せた。


「本当に?」
「はい。沙織ももう四年生でしっかりしていますし、それほど心配しなくて大丈夫ですから」


 勿論、それを声に出すような真似はしなかったし、扱いが面倒な姑だなんて思われたくないから、この場はあっさりと引き下がる事にする。


「そう? それなら今回は行かないわ。偶にはこっちに顔を見せにいらっしゃい」
「はい。出張から戻ったら、休みの時にお伺いします。それでは失礼します」


 向こうも明らかに、ほっとした口調だったけどね。やっぱりここは私の出番でしょう?
 押しかけてしまえば、無理に追い返す様な真似はしないでしょうからね。
 そんな事を考えながら受話器を戻すと、背後から声がかけられた。


「美須々。美和子さんは何だって?」


 電話の間余計な口を挟まずに黙ってお茶を飲んでいた夫が、さり気なく聞いてきた為、一応説明してあげる事にする。


「今回は孝則が帰国したばかりで、それほど出張や残業が入る事は無いし、来なくても大丈夫ですって」
「それなら良かったじゃないか」


 あっさりと頷いたこの人に、瞬時に怒りが沸き上がった。


「全然、良くありません! 学会発表と研究所の分室の視察が重なったとか言ってたけど、小学生の娘を一人残して、十日も留守にするのよ!?」
「だから孝則が居るんだろう?」
「あの子に沙織を任せるのが、不安でしょうがないのよ! 寧ろ沙織が一人で留守番って言われた方が、安心できるわっ!!」


 この人には、どうしてそれが分からないのかしら?
 確かに育児には殆ど関わった事がないから仕方が無いかと思うけど、根本的な所でデリカシーに欠けるのよね!


「お前……、いい年の自分の息子を、少しは信用できないのか?」
「全くできないから言ってるんじゃない!」
「……そうか。じゃあ行って来い。俺の事は気にするな」
「勿論、そうさせて貰うわ」


 呆れ気味に言われたけど、とにかくこれで言質は取ったわ。沙織ちゃん、おばあちゃんが行くから待っててね?
 そんな風にウキウキしながら数日を過ごし、美和子さんが出張に出かけたその日、私は手土産持参で息子夫婦の家に押しかけたのだった。


 ※※※


「沙織ちゃ~ん! こんにちは~! おばあちゃん、美和子さんが出張って聞いて、また来ちゃったわ~! お土産にケーキを買って来たから、一緒にたべな」
「あ、おばあちゃん、いらっしゃい」
「……ども」


 合鍵を貰っている為、勝手知ったる息子の家に上がり込んだ私の目に映り込んだのは、得体の知れない物体だった。
 ……喋って動いて、子供と一緒にテレビゲームをするクマ? じゃなくてクマのぬいぐるみ?
 ええと……、今時はテレビゲームとかじゃなくて、「うぃー」とか「ぷれすて」とかって言うんだったかしら?
 沙織は優しい子だから、何か変な事を言っても聞き流してくれるけど、他の孫は「おばあちゃん、遅れてる」とか、すぐに馬鹿にするのよね。全く、どういう躾をしてるのかしら。
 いえいえ、そうじゃなくて!!


「こら、ゴンザレス! ちゃんと挨拶しなさい! 失礼でしょうが!」


 固まっている私の目の前で、沙織が申し訳程度に頭を下げただけのクマもどきを、盛大にどついた。
 ああ、やっぱり沙織は良い子だわ……。
 思わず涙が出そうになった私の前で、二人(というより、一人と一匹と言うべきかしら?)の言い合いが続く。


「いやいやいや、まず知らない人がいきなり現れたら、動揺するだろ!?」
「私のおばあちゃんだし。知ってるわよ」
「沙織ちゃんは知ってても、俺は知らないよ!」
「例えそうだとしても、挨拶は基本中の基本でしょう? やっぱり人類の常識が理解できない宇宙人ね」
「やるよ! やってやろうじゃないか!」


 何やら沙織に鼻で笑われて、ムキになったクマもどきが、勢い良く立ち上がった。
 口が開かないのにどうやって声を出しているのかと、思わず興味津々で観察していると、聞き捨てならない台詞が耳に届く。


「いらっしゃい、沙織ちゃんのババさん。俺はゴンザレス、よろしくな!!」


 …………誰が『ババさん』ですって?
 思わず耳を疑って黙り込んだ私の前で、沙織が再び盛大にクマをどついて叱り付けた。


「あんた何か生意気! 何なのよ、その『よろしくな』って! しかも頭を下げないし!」
「何だよ、だって十分フレンドリーだろ?」
「どこが『フレンドリー』なのよっ! 単なる上から目線じゃない!」
「はあ? そんなの、ぐふゅっ」
「おばあちゃん!?」


 あら、見た目と同じく、踏んだ感触もまるでぬいぐるみね。
 ……沙織ちゃん。誤解しないでね?
 踏み慣れている様に見えるけど、亭主も息子達もぬいぐるみも、踏んだ事は無いわよ?
 そんな疑惑に満ちた目で見られたら、おばあちゃんちょっと悲しいわ……。


「ぬぶぅっ! むへぇっ! うばぬは!」


 私の足の下で必死に手足をばたつかせているクマが、何やら必死に訴えているのに気が付いた。
 往生際が悪いわね……。
 まあ今回は、この家の序列を教え込むだけで良しとしましょうか。


「これから私の事は『グランマ』と呼びなさい。クマ公」
「あへぇ?」
「返事は?」
「……い、いえひゅ、ぐっ、ぐりゃんま~」
「宜しい」


 必死に頭を上げて、何とか聞き取れる言葉を発した奴に免じて、踏みつけていた足を退けた。
 すると両手で顔を挟む様にして形を整えているクマに向かって、沙織ちゃんが容赦なく指摘する。


「バッカね~。少しは空気読みなさいよ。女性は幾つになっても、自分の年齢には敏感なのよ? それなのに『ババさん』なんて、面と向かって言うなんてあり得ないわ」
「だって『ママさん』と『パパさん』ときたら、『ババさん』だろ?」
「臨機応変って言葉、宇宙人は知らないんだ……」
「知ってるよ! 機械の最新機種は、すぐに入れ替わるって事だろ? だけどそれが今、なんの関係があるんだよ!」
「……やっぱりあんた、あたしより馬鹿だわ」
「何だよ、その蔑むのを通り越して、憐れむような目はっ!!」


 ええ、私も沙織ちゃんの言うとおり、ちょっと頭の足らないクマだと思うわ。 
 でもさっき、とても聞き捨てならない単語が、聞こえてきたと思うんだけど……。


「宇宙人ですって?」
「そうじゃなくて、俺は」
「沙織ちゃん! 今すぐ離れて! 未知の物質が付着しているかも知れないわっ!」


 何て事かしら!
 そんな物騒な物の前で、むざむざと十分近くも時間を浪費していたなんて!


「え?」
「あの、おばあちゃん?」
「ああ、全く! 和則も美知子さんも、何をしてるのよ! こんな得体の知れない病原菌を放置しているなんて!」


 本当にあの子達は! 
 さっさとあれを排除しないと! ここに何度も出入りしていて良かったわ! 大体の物の置き場所は分かっているもの!
 台所に飛び込んで、ある物を探し始めた私の背後から、沙織ちゃんと病原菌の会話が聞こえてきた。


「……病原菌。何か酷い言われよう」
「おばあちゃん、落ち着いて。確かにゴンザレスは変で頭も悪いけど、病原菌とかは持ってないし、病原菌そのものでもないから大丈夫よ?」
「なんかビミョーなフォロー! それ、本気でフォローする気ある!?」


 こんな異常事態でも、淡々と説明してくる沙織ちゃん。
 ひょっとしたら手遅れかもしれない……、でも、まだ間に合うかも知れないわ! おばあちゃんは全力で、あなたを守ってみせるから!!


「沙織ちゃん……、もう既に脳細胞が侵されて、洗脳されてるのね? 大丈夫よ、安心して!! 今おばあちゃんが助けてあげるわ! 大元を焼却処分すれば、回復するわよね!?」


 こぼれ落ちそうになる涙を堪えながら、病原菌に向かって食用油のボトルとチャッカマンを突き出すと、奴は表情を変えないまま狼狽した声を出すという、なかなかの高等技術を披露してきた。
 侮れない……、さすが未知の病原体。


「グッ、グランマ様っ! お気を確かにっ!」
「おばあちゃん、落ち着いて! 油は駄目えぇっ! 部屋ごと燃えちゃうから! やるんだったら外でしてぇっ!」
「沙織ちゃんって、パニクってても冷たいよね!?」
「それに、元々家にあった私のぬいぐるみの中に、何か変な物が入っただけだから!」


 わたわたと両手を振って訴えてきた沙織ちゃんが口にした内容を聞いて、思わず考え込んだ。


「……本体は、元々あったぬいぐるみ?」
「そう。見覚え無い? ……と言うか、たった今思い出したけど、これ、おばあちゃんからの四歳の時の誕生日プレゼント……」
「…………」


 もの凄く言いにくそうに、教えてくれる沙織ちゃん。
 ええ、そんな物が変な物の筈、無いわよね?
 だけどこの居たたまれなさは、どうすれば良いのかしら……。


 その静まり返った室内に、突如として聞き覚えのある声が響いた。


「沙織~。お父さん直帰して来ちゃったぞ~。今日から美和子が出張だし、お父さんが気合い入れて、ご馳走作って」
「もっと早く帰って来なさい! この馬鹿息子っ!!」
「うお!? 何でお袋がここに居るんだよ! 親父は?」
「置いてきたのに決まってるでしょう!」
「もうちょっと構ってやれよ……。今は二人暮らしなんだからさ」
「何でも良いから、これは一体何なの!?」
「何って……、居候」


 今までも色々挫折感を味わった事があったけど、今回が一番だと思う。
 不思議そうにサラッと答えた息子を見て、私は子育てに失敗した事を悟ったわ……。


 孝則が帰ったところで、そのままなし崩しに論争が終了し、それからは持って来た食材で一心不乱に調理をした。
 そして微妙に気まずい空気のまま、三人分の料理をテーブルに並べると、何故か椅子脚カバーと濡れ布巾を手に、テーブルの片隅に座り込むクマ。
 ……一体、何だって言うのよ。


「ぶわははははっ! それでゴン太は危うくお袋に、焼却処分にされかけたのか!」


 食べ始めて早々に、孝則に尋ねられた沙織が状況を説明すると、案の定、孝則は爆笑した。
 本当にデリカシーの無い子よねっ!!


「パパ、笑い事じゃ無いから」
「そうだよ! それにゴン太じゃなくて、ゴンザレスだし!」


 無視よ、無視。
 クマが喋っていようが、亀が飛んでいようが、私には関係ないわ。


「ちょっと方向性は違うけど、パパさんと血が繋がってるのは分かった」
「そうか?」
「ひょっとして……、パパさんのパパも、ああいう人なのか?」


 何やらクマが急に、怖々と尋ねてきた台詞に、無性に腹が立った。


「『ああいう人』って、どういう意味よっ!!」
「すみません! グランマ様!」
「何だ? 『グランマ様』って」
「おばあちゃんが、自分の事をそう呼べって」
「お袋……、『グランマ』って顔じゃないだろ……」


 何なのよ! その如何にも呆れたって顔はっ!!


「顔は関係ないでしょう!? それに私は『グランマと呼びなさい』とは言ったけど、『グランマ様』だなんて変な呼び方を強制して無いわっ!!」
「分かった。分かったから。ゴン太、悪いが年寄りの言う事に、付き合ってやってくれ」
「誰が年寄りよっ!!」
「だから俺はゴン太じゃなくて、ゴンザレスだってば!」


 全く! ちょっと顔を出さない間に、どうしてこんな変な物が居座ってるのよ!


「……ただいま」
 ぐったりして帰宅し、玄関から上がり込むと、夫が驚いた顔で声をかけてきた。


「どうした? 何日か泊まってくるんじゃ無かったのか?」
「そのつもりだったけど、のっぴきならない事態に遭遇したのよ」
「なんだそれは? 沙織ちゃんに何かあったのか?」


 心配そうな顔になった夫に、語気強く宣言する。
 ええ、これは自分自身に対する誓いも兼ねているのよ!


「何か起きる前に、私が何とかするわ。取り敢えず明日は、お寺と神社を回れるだけ回るから。あなた、お昼は適当に食べてね」
「……ああ」


 今日は気勢を削がれてしまったけど、今度は準備万端整えて行くわ!
 首を洗って待ってなさい、クマの悪霊!!
 そんな決意も新たに、その日私は眠りに就いたのだった。


「うふふ……。もう逃がさないわよ? 在るべき場所に帰りなさい、悪霊」


 目の前の浴室の床に、紐でぐるぐる巻きにした上に、全身に悪霊退散のお札を貼ったクマ。
 どう? 身動きできないでしょう?


「あの、待って下さい、グランマ様! 俺は悪霊なんかじゃありませんから!」
「お黙り! 悪霊が自分を『悪霊です』なんて、白状するわけ無いじゃない! 往生際が悪いわよ!」
「だから! 本当に俺には周りに危害を加えるつもりは無いんだけど!? 本当に人の話、聞かないよね!」
「さてと、あとはこれね」
「ちょっ、グランマ様? 一体何を」
「さようなら。きれいさっぱり、そこから出て行ってね?」
「グッ、グランマさまあぁぁっ!!」


 殺虫剤と防かび剤、蚊取り線香。やるなら徹底的にやらないとね。
 設置して火を付け、薬品を反応させた途端、湧き上がる煙。もくもくと白い煙が立ち上るのを見てから、私は踵を返した。
 閉めた扉の向こうで、クマが何やら叫んでいたけど、中から出ていけば静かになるでしょう。
 そして合い鍵で玄関の戸締まりをしてから、私は意気揚々と帰宅した。


「お袋……。幾ら何でもやりすぎだぞ」
 夜になってからかかってきた電話を取ったら、孝則が呆れ気味の口調で言ってきた為、ちょっとカチンときた。


「いきなり何よ。失礼ね」
「ゴンザレスの奴、何か相当パニクって、帰宅した沙織に救出されてから、涙止まんなくてボロボロ泣いてたんだが」
「まだ出て行ってないの? しつこいわね。取り憑かれる前に、早く何とかしないと」
「……俺は寧ろ、お袋の方が怖い」
 思わず舌打ちしたら、ぼそりと言い返してきた孝則に、余計に苛ついた。


「五月蠅いわね。ところでそのクマは、今どうしているの? ちゃんと見張って無いと駄目じゃない」
「いや、今洗濯機だから」
「何? 洗濯機って」
「泣いてぐっしょり濡れてるから、洗濯と乾燥コースの最中」


 その光景を想像して、何とも言い難い心境になった。
 悪霊も、結構苦労してるのね。


「……私に言わせれば、あんたの方が何をやらかすか分からないんだけど?」
「俺が帰る前から、美和子と沙織は何度もあいつを洗濯機に放り込んでるぞ?」
「そう……。美和子さんも沙織ちゃんも、しっかりしてるから。じゃあおやすみなさい」
「おい、お袋! 本当にこれ以上、余計な事はするなよっ!!」


 受話器から微かに孝則の声が聞こえてきたけど、無視しながらそれを戻した。


「一体、何を言ってたんだ? 沙織ちゃんがどうかしたのか?」
「何でも無いわよ。次の手を考えるわ」
「次の手って……。何をやってるんだ……」


 夫が呆れ気味に言ってきたけど、構うものですか。
 とにかく差し当たっての危険性は低いみたいだけど、やっぱり得体の知れないモノが沙織ちゃんの側に居るのは見過ごせないわ!
 負けないわよ!  悪霊!





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