猪娘の躍動人生

篠原皐月

1月 驚愕の真実

 正月休みが明けて通常勤務になった日、美幸は玄関を出るなりガッツポーズをしつつ、力強く叫んだ。
「うふふふふ……。完・全・復・活!!」
「朝から玄関先で変な雄叫びを上げないで。行くわよ?」
「あ、待ってよ!」
 呆れた様に声をかけて横をすり抜けて行った美野の後を、美幸が慌てて追いかける。そして最寄駅に向かってゆっくりと歩き出しながら、美野は隣を歩く妹に目をやりつつ、しみじみと述べた。


「だけどなんとか年末前に、ギプスが取れて良かったわね。すぐに年末年始休に入って、その間家の中でじっくりリハビリできたし」
「本当。右足だけ細くなっててびっくりよ。当分は走ったり、激しい運動は禁止だしね」
「通勤にも気をつけてよ? 今日から車での送迎を断ってあるんだし」
 心配そうに釘を刺してきた姉に、美幸は反論できなかった。


「この間係長に、凄い迷惑をかけてたわ」
「クリスマスの時も……。美子姉さん達が和やかにクリスマスパーティーをしている隣の部屋で、お父さんと美幸と城崎さんで、さながらお通夜状態だったのよね?」
 後から聞いた内容を美野が思い返していると、美幸が思わず文句を口にした。
「うもぅ~っ! 美野姉さんったら、高須さんと食事してくるって言って、待てど暮らせど帰って来ないし! 絶対半分はそれのとばっちりだったわよ?」
「それに関しては、ちょっと責任を感じてるわ」
 本気で申し訳なく思っているらしい美野の台詞に、美幸は早々に怒りを引っ込めた。


「それは良いんだけどね。そもそもお父さんとお義兄さんは滅多に早く帰って来ないのに、係長が夕飯を食べに来ていた間、どちらかは必ず家に居るんだもの。どう考えてもおかしくない? 師走だって言うのに」
 その訴えを聞いた美野は、幾分困った様に曖昧に笑った。
「それは……、やっぱり美幸は末っ子だから、心配って事なんじゃないの? 愛されてるわよね」
「そんな暑苦しい愛は嫌……」
 心底うんざりとした表情になった美幸に失笑しつつ、美野は妹を宥めて駅へと向かったのだった。


 その日、城崎と仕事帰りに食事を共にする約束をしていた美幸は、予定通り連れ立って社屋ビルを出て、地下鉄で三駅移動した焼肉屋に移動した。
 当初靴を脱いで上がるタイプの店だった為、座敷で正座だと今の足では正直きついかもと懸念した美幸だったが、案内された席がテーブルの下が掘り下げてあるタイプであり、安心して座る事ができた。
「それで、係長」
 取り敢えずの注文を済ませてから声をかけると、鋭く城崎から突っ込みが入る。


「仕事は終わったんだし、どうせだから名前で呼んで貰えないか?」
「ええと……、城崎さん? 奢って下さると言う話でしたが、改めて快気祝いをして頂かなくても良いですよ?」
「勿論、ギプスが取れたのを祝う名目もあるんだが、この間色々と蓄積していた精神的疲労を解消する面でも、飲むのに付き合ってくれたらありがたいな」
 苦笑しながらそんな事を言われた為、美幸は手にしていたメニューを閉じ、神妙に頭を下げた。


「喜んで、お付き合いさせて頂きます」
「あ、ただ治りが悪くなるかもしれないから、美幸はあまり酒は飲まないで、しっかり食べる事」
 そんな事を真顔で念押ししてきた為、美幸は思わず笑ってしまった。
「治り具合に飲酒って関係あるんですか? でも美味しそうなのが目白押しなので、今日は食べるのに専念しますね」
「そうしてくれ。俺だけ飲ませて貰うのは、心苦しいが」
「いえ、せっかく来たんですから、私に気にしないで飲んで下さい。でも、今日は車じゃ無いんですか?」
「以前の電車通勤に戻ったからな。車だと道の混み具合が読めない事があるし」
「そうですよね」
 そう納得して頷いてから、思わずこの間の事を思い返した。


(本当にお義兄さんに言われて、課長代理と浩一課長と相談した結果とは言え、車を買わせてひと月送迎させるなんて、なんて無茶を……)
 そしてビールと烏龍茶で乾杯してから、早速網で肉を焼き始めた美幸だったが、舌鼓を打ちつつ何枚か食べたところで、ふと思い出した事を口にした。


「そういえば、この間ちょっと気になってた事があるんですが」
「何だ?」
「城崎さんって、課長代理とは大学時代の先輩後輩の関係って言ってましたけど、それだけじゃ無いですよね? 絶対服従っぽいですし」
「……先輩後輩ってだけの間柄だが」
 何気なく話題に出しただけなのに、不自然に目を逸らされながら返された為、美幸は疑念を深めた。


「どうして目を逸らすんですか」
「…………」
「それで、年末年始の休み中に色々考えてみたんですが、何か弱味を握られてません?」
「…………」
「例えば……、入院中に課長代理が『見舞い』と言って持って来た、写真らしき物とか……」
「…………」
 考えながら美幸が口にした内容を聞いた城崎は、血の気の引いた顔になって俯いた。さすがにそこまでの反応は予想していなかった美幸が、慌ててフォローする。


「あ、あのっ! 本当に何かは見てないですからね!? 見ても軽々しく口外するつもりはありませんし!」
 焦って美幸が弁解しても、城崎はそのまま暫く無言を保ったが、美幸がどうしようかと困惑し始めたところでぼそりと告げてきた。
「……暗黒道場の終了儀式」
「はい?」
 何か聞き間違ったかた困惑した美幸だったが、辛うじて記憶の中から同じ言葉を引っ張り出した。
「ええと、確か……。蜂谷の性格矯正の騒ぎの時に、チラッと言ってたあれですか?」
 それに無言で頷いてから、城崎は重い口を開いた。


「ルール無用のバトルロイヤル。会場内に最後まで残ってしまった人間が、罰ゲームを受ける事になってて……」
「……負けたんですね」
 不自然に言葉を途切れさせた城崎の表情と口調から、その結果を容易に推察した美幸が確認を入れると、城崎は再び無言で頷いてから説明を続けた。


「技量とか体力だけだったら何とかなったと思うが、皆、揃いも揃ってあんなえげつない心理戦を……。一番良識派だと思っていた柏木先輩に真っ先にしてやられて、暫く人間不信に陥ったな。後から、本当に申し訳なさそうに謝られたが」
(柏木先輩って……、浩一課長の事よね? 城崎さんの大学時代に、一体何があったの?)
 話の内容に唖然としながらも、美幸は話の先を促してみた。


「それで……、因みに罰ゲームと言うのは……」
 恐る恐る問いかけてみた美幸の耳に、ここで予想外の単語が飛び込んでくる。
「女装」
「へ?」
「更にその恰好のまま、ある先輩の催眠術の実験台」
「は?」
「その挙句、そのまま夜の繁華街に繰り出して、往来のど真ん中で派手に歌って踊って、絡んできた酔っ払いオヤジを三人ほど路上で押し倒して、ズボンを戦利品として問答無用で脱がせて、それを頭に被って先輩達と相撲を取ってたところで、駆けつけた警官に逮捕されかけて逃亡した」
「……まさかそれらの一部始終を撮られて、現物が課長代理の手元に残っていると?」
 表情を消して淡々と説明した城崎が、無言でこくりと頷いた。その顔を凝視してみると両眼にうっすらと涙が浮かんでおり、そんな打ちひしがれている城崎を見て、美幸の口元がひくりと緩んだ。


(うわ、何それ? 面白そう、もの凄く見てみたい! でもここでそんな事笑って口にしようものなら、絶対係長が傷付く……、と言うか、下手したら再起不能。笑っちゃ駄目よ、美幸堪えて!)
 必死で自分自身に言い聞かせ、できるだけ真面目な顔を取り繕った美幸は、声が震えない様に細心の注意を払いながら、相変わらず項垂れている城崎に声をかけた。


「あ、あの……、係長、じゃなくて、城崎さん。あまり気に病まない方が良いですよ? 確かに表に出たら拙い物だとは思いますけど、城崎さんには女装癖なんか無いし、人一倍常識的な人なのは分かってますから」
 すると城崎は、ゆっくりと顔を上向かせながら尋ねた。


「……そう思ってくれるか?」
「勿論ですよ。ほら、気分を直して食べて飲んで下さい。食事は美味しく食べなきゃ駄目です!」
「ああ、そうだな……」
「あ、おねーさん! 生中のおかわり持って来て!」
 まだ周囲に重苦しい空気を纏っている城崎の気分を盛り上げるべく、美幸は意識的に明るい口調を心がけ、にこやかにビールを勧めた。彼はそれを、言葉少なに飲み進める。


(そんな涙目になりながら、ぐいぐい飲まなくても。大丈夫かしら?)
 気晴らしにと勧めつつも、通常よりも早いペースで飲んでいく城崎を美幸は心配していたが、案の定、美幸が満腹になる頃には、彼は相当酔いが回った状態になってしまったのだった。


「無理しないで、今日はすぐ休んで下さい。でも本当に送って行かなくて大丈夫ですか?」
 足取りも怪しい状態の城崎の為に、美幸は店の前の道路にタクシーを呼び、手を貸して乗せながら確認を入れたが、城崎は苦笑いしながら言葉を返した。
「そんな事をさせたら、先輩からの嫌味だけでは済まなくなるからな。こっちこそ、送っていけなくてすまない」
「私は全然飲んでないから大丈夫です。心配しないで下さい。じゃあ運転手さん、お願いします」
 そうして城崎を乗せたタクシーを見送ってから、美幸は深い溜め息を吐いた。


(あれはよっぽど、精神的にきてたわね)
 そんな風に心底申し訳無く思いつつ、先程聞いた話の内容を思い出した美幸は、無意識に悪態を吐いた。
「だけど本当に、課長代理ってろくでもないわね。課長の美点が、あの男と結婚した事実だけで、全部帳消しになりそうよ」
 そんな事をぶつぶつと呟きながら、美幸は無事自宅に帰り着いたのだった。


 その後も美幸は城崎から聞いた内容について固く口を閉ざして漏らさず、何事も無く十日程が経過して、彼女が担当している入札当日になった。
「それでは、これから入札に参加してきます」
 午後になって持参する封筒が鞄に入っているのを確認した美幸は、席を立って課長席に向かい、清人に向かって挨拶した。すると彼は見ていた書類から視線を外し、美幸に向かって微笑する。


「はい、ご苦労様です。成果を期待しています」
「お任せ下さい! 皆さんに教えて貰いながら、練り上げたプランですので。絶対取って来ますから!」
 そう言って胸を叩く動作をして見せた美幸に、清人が笑みを深めた。
「それは頼もしいですね」
「藤宮。それは」
「城崎係長?」
「…………」
 何故か急に自分の席から口を挟んできた城崎を、清人が薄笑いで制する。それを受けて不自然に黙り込んだ城崎と清人の間に、何とも言えない緊張感が漂った。


(何? 何か微妙な空気なんだけど)
 何となく奇妙に感じたものの、周囲が何も口にしない為、美幸は気を取り直して挨拶をした。
「それでは行って来ます」
 そこで軽く一礼して出発した美幸は、すぐに先程の事は忘れ去り、出向いた先での事に意識を集中したのだった。


 入札会場には区役所内の会議室の一室が用意されており、開始時間前に余裕を持って到着した美幸だったが、さすがに一人で任された初めての仕事である事と、周囲から浮いている状況に、さすがに若干緊張した。
(やっぱり緊張するわね。他社の担当者は、皆年上のおじさんばかりだし。担当者が若いからって、偏見を持たれないでしょうね?)
 そんな事を心配しながら、一応遠慮して部屋の後方の席に座っていると、時間きっかりに担当者らしい職員が入室して来て、入札の開始を告げた。


「皆様、お待たせしました。それでは入札事案、E-25号の入札受付を開始致します。それでは申し込み順に各社の名前をお呼びしますので、こちらに提出をお願いします。まず株式会社新栄さん」
 そして呼ばれた社の担当者が無言で立ち上がり、前方に出て担当者に書類を手渡す。そんな風に淡々と四社分が進み、次に美幸の番になった。


「次に柏木産業さん」
「はい」
 そして緊張しつつも慌てずに立ち上がった美幸は、封筒を抱えて担当職員の所に向かった。
「宜しくお願いします」
「……はぁ、どうも」
 笑顔で分厚い封筒を差し出したものの、何故か担当者は虚を衝かれた表情になって、気の抜けた返事をしてきた。それを見た美幸は、僅かに眉根を寄せる。


(なんだろう? 何だか妙に、覇気の無い人ね)
 怪訝に思ったものの、ここで変な事を言って心証を悪くしたくは無かった美幸は、黙って席に戻った。
 そして参加予定全社からの提出が終わり、担当者が入札の終了を宣言してから、結果報告の日程について簡単に述べて、解散となった。


(さあて、無事終了。後は結果待ちか。楽しみだわ)
 美幸は手早く荷物を纏め、鼻歌でも歌い出しそうな位上機嫌で鞄片手に会議室を出て歩き出したが、すぐに背後から声をかけられた。


「ちょっと、柏木産業さん」
「はい、何でしょうか?」
(この人……、確か、各務商事の担当者よね。何の用かしら?)
 先程会議室で見かけた五十代に見えるその男は、自分から名乗りもせず、いきなり言い出した。


「あんた、書類の提出を頼まれた事務員か?」
(何なの? この失礼な人、名乗りもしないで。だけど仕事なんだから我慢我慢)
 その横柄な態度に正直ムッとしたものの、美幸は苛立ちを抑えて愛想笑いをしつつ、名刺入れから自分の名刺を取り出す。
「いえ、今回の入札事業の計画や資料の作成を担当しました、企画推進部二課所属の藤宮美幸と申します。お見知り置き下さい」
 そう言いながら相手に向かって名刺を差し出した美幸だったが、男はそれを受け取るどころか、変な物を見る様な目つきになって美幸を眺めた。


「あんたが作った?」
「はい。他の社の方には申し訳ありませんが、受注には自信があります」
「はぁ? あんた、あの仕事を本気で取る気か?」
「当たり前です。仕事ですから」
(この人、何言ってんの? 頭おかしいわけ?)
 美幸としては控え目ながらも、当然の主張をしたつもりだったのだが、何がおかしいのかその男は、いきなり腹を抱えて「ぶははははっ!!」と爆笑し始めた。
 それを見た美幸は当初呆気に取られたが、すぐに不愉快な表情を隠さずに問いかける。


「失礼ですね。何がそんなにおかしいんですか?」
 すると相手は何とか笑うのを止めて、皮肉っぽく言い出した。
「柏木産業ってのは、酷い所だな。何も知らないお嬢ちゃんに、散々無駄骨折らせるとは」
「はぁ?」
 全く意味が分からず、当惑する美幸に、彼は今度は哀れんだ視線を向ける。
「本当に聞いてないんだな。今回のこれは、最初からうちが仕切る事になってんだよ。あんたがどんな資料を作ったか知らないが、事前に各社で申し合わせた金額になってる筈だぜ? 当然うちが最安値だ」
「何ですって!? そんな筈は……」
 思わず血相を変えて噛み付こうとした美幸だったが、ふとその日の午前中の、清人とのやり取りを思い出した。


(待って。そういえば最終確認って言われて、昼前に課長代理に入札書類をチェックして貰って、その場で封をしてた……)
 顔色を変えて黙り込んだ美幸を見て、その男は何を思ったのか、嘲る様に言い出した。


「上司に騙されて、そんな出来レースに余計な手間暇かけるなんて、阿呆のする事だろ。しかも臆面もなく『受注には自信がある』とか言い放って、間抜けも良いとこだよな?」
「…………」
 押し黙り、手に持ったままだった自分の名刺を美幸が無意識に握り潰した時、横から咎める口調で声がかけられた。


「各務商事さん、その位で。年長者として、そういう態度はどうかと思いますが。各務商事さんの評判にも係わってきますよ?」
 その声に美幸が顔を上げると、今回入札に参加した人間が何人か周囲に立っており、揃って目の前の男に非難がましい視線を送っていた。それに気付いた男が、舌打ちして悪態を吐く。


「はっ! こっちは気の毒なお嬢さんに、物の道理って奴を教えてあげたつもりなんだがね。失礼するよ」
 そんな捨て台詞を残してその男が去ると、周りの者達も散っていき、その場には美幸と、先程声をかけてきた男だけが残された。その白髪混じりの男は、名刺を差し出しながら穏やかに声をかけてくる。


「今回は災難だったね。だが、あまり気を落とさないで。私はこういう者だが、君は柏木産業に入って何年目だい?」
「二年目です」
 反射的に名刺を受取りながら答えると、その男は軽く顔を顰めた。
「二年目か……。彼女の時もどうかと思ったが、入って間もない社員に説明も無しにやらせるとは、何を考えているんだ」
 何やら彼がぶつぶつと呟いていたが、それは耳に入っていなかった美幸が、低い声で確認を入れた。


「これって……、要するに談合、ですよね?」
 その問いに、男は誤魔化す事無く答える。
「はっきり言えばそうだね」
「こんな事して、良いと思ってるんですか!?」
「だが現に、そういう仕事を処理する為の部署や人員が、どこの会社にも居るものだよ」
 その冷め切った口調から、美幸はある事を推察した。


「……あなたも、そうなんですか?」
 それに余計な事は言わず、苦笑いだけが返ってくる。
「君は今回、偶々任せられただけだろう? これから他の事で頑張りなさい」
「…………」
 そんな事を言われて何とも言えずに黙り込んでいると、彼がふと思い出した様に問いを発した。


「そうだ。柏木産業なら、柏木真澄という女性の事を知っているかな? 営業部勤務の筈なんだが」
 その予想外の問い掛けに、美幸は完全に怒りを忘れて答えた。
「それはうちの、企画推進部二課課長の事ですよね?」
 美幸が困惑しながらそう告げると、相手は美幸以上に驚いた表情を見せる。


「彼女、課長になったのかい?」
「はい、営業部から企画推進部に六年前に異動して、四年前に課長に就任されました。今は産休に引き続いて、育休の取得中ですが」
 美幸がそう告げると、彼は感慨深そうに何度も頷いた。
「そうか……、彼女、課長に昇進して、結婚もしてるのか。いや、本当に良かった。大したものだ」
 どうやら本心から真澄の事を喜んでくれているらしいと感じた美幸は、完全に毒気を抜かれて、尋ねてみた。


「あの……、あなたは課長のお知り合いなんですか?」
 しかし彼は少々照れくさそうに笑って、詳細については語らなかった。
「大した知り合いじゃないんだが、以前仕事で何度か顔を合わせた時、立ち話をした事があってね。何かの折りに課長さんに私の名前と、課長就任のお祝いを伝えて貰えるかな? これからの活躍を期待しているとも」
「はい、分かりました。お伝えします」
 受け取った名刺をしっかり上着のポケットに入れると、相手は穏やかな笑みを浮かべて別れの言葉を口にした。


「それじゃあ、あまり気を落とさないで。頑張って」
「はい。ありがとうございました」
 善意から言ってくれたのは分かっていた美幸は、素直に彼に頭を下げて立ち去って行くのを見送った。そして自身も帰社する為歩き出したが、一歩歩く毎に清人に対する怒りがこみ上げて来る。


(漸く分かった……。この仕事に関して、皆が何か言いたそうにしていたわけ。絶対あの腹黒野郎が、裏で口止めしてたって事よね?)
 そして区役所を出たところで、我慢できずに盛大に吐き捨てた。


「あの最低最悪のど腐れ野郎! 今度という今度は、我慢できないわ!」
 そう怒鳴った美幸は、憤怒の形相で会社に戻って行ったのだった。



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