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猪娘の躍動人生

篠原皐月

11月 千客万来

 美幸が入院して一週間が経過すると、事故直後で落ち着かないだろうと遠慮していた者達も、入れ代わり立ち代わり見舞いに来るようになっていた。


「ヤッホー! 美幸、お見舞に来たわよ!」
「あ、晴香、いらっしゃい。桑原君も田村君も、来てくれてありがとう」
「思っていた以上に、元気だな」
「……こんにちは」
 休日である土曜日に、誘い合って来てくれたらしい同期三人組に、美幸は読んでいた本から顔を上げて笑顔で応じたが、そのうちの一人の顔色が冴えない事に気が付いた。


「あれ? 田村君、何だか元気ないんじゃない? 具合でも悪いの?」
「いや、何でも無いから」
「それをお前が言うか……」
「まあまあ。取り敢えずこれ、お見舞ね!」
「ありがとう」
 項垂れる隆を見ながら総司が呆れ気味の呟きを漏らし、晴香が誤魔化す様にお菓子やジュースの入った紙袋を押し付けてくる。美幸は(何なのかしら、今の言い方)と不思議に思ったものの、取り敢えず晴香に手伝って貰ってお茶の準備をし、この面子での久しぶりの雑談を楽しんだ。そして少ししてから、晴香が何気なく質問を繰り出す。


「ところで、美幸に聞きたい事があるんだけど」
「何?」
「いつから城崎係長と付き合ってたの?」
 そう言われた瞬間、動揺した美幸は紙コップで飲んでいた紅茶を盛大に噴き出した。
「ぶふぁっ!!」
「きゃあっ!! ちょっと美幸!」
「おい、タオルかティッシュ! 染みになるぞ!」
 女二人が狼狽する中、意外にマメな総司が素早く近くにあったタオルに手を伸ばし、布団にかかった紅茶を拭き取りにかかった。そして最後に軽く水で湿らせたタオルで軽く叩いて、何とかそれ程目立たない様にする。


「ごめん、桑原君。ありがとう」
「それは構わないが少し汚れたとは思うから、看護師さんが交換に来た時、一言謝っておけよ?」
「そうするわ」
 年上らしく言い聞かせてきた総司に、美幸が神妙に頷くと、横から晴香がじれた様に声を上げた。


「ちょっと美幸、いい加減、私の質問に答えてよ!」
 正直、(これで誤魔化せるかも)と淡い期待を持っていた美幸だったが、晴香が誤魔化されてはくれないらしいと分かって、顔を引き攣らせながら問い返した。
「え、ええと……、か、係長といつから付き合ってるか、だったっけ?」
「そう。この間社内で、凄い噂になってるのよね。あんたを怪我させた山崎さんに対して城崎さんがブチ切れてボッコボコにしたら、山崎さんが出社して来なくなったって噂と併せて」
「はぁ? 何それ? 係長が山崎さんをボコボコにしたなんて、聞いてないけど!?」
 晴香が真顔で言い出した内容に、美幸は目を丸くした。しかしここまで殆ど会話に混ざっていなかった隆が、晴香に向かって真相を告げる。


「堀川、それは誤解だ。山崎さんは確かに当日詳細を聞かれてはいたが、全くの無傷だったぞ? ただ色々精神的にきたらしくて、精神科で診断書を出して貰って、今は病休扱いになってるんだ」
「何それ? 騒ぎを起こして肩身が狭いからって、適当に病名を書いて貰ったんじゃないの?」
「その噂は俺も聞いた。如何にも責任逃れっぽいよな」
 晴香と総司が揃って顔を顰めると、隆も困った様に話を続ける。
「そう思われても仕方が無いだろうが、ちゃんと柏木産業指定の精神科を受診して出された診断だから、そういう事は無い筈だ。何でも『転地療養が必要』とかの診断が出て、ニヶ月の休養の後金沢支社に配置転換が決まったから。山崎さんは石川県出身だし」
「そうなんだ」
 そこで何となく気まずい雰囲気が漂ったが、総司がその場を纏める様に口を開いた。


「しかし、その山崎さんとやらには、高く付いたよな? ちょっとした出来心で周囲の信頼を無くした上に、居場所も無くしたか。俺も気をつけないと」
 神妙な顔で述べた総司に、晴香が苦笑いする。
「その人は確かに自業自得だけど、桑原君は大丈夫でしょう? 常日頃から気配りの人だもの」
「そう言って貰えると嬉しいがな」
(本当に、思った以上に大事になってるし、ちょっと後味悪いわよね。それに『精神的にきた』って……、確かその場には係長の他に、課長代理と秀明義兄さんがいた筈。三人で何かやらかしたんじゃ……)
 楽しげな二人の会話を聞きながら、美幸はどことなく寒気を覚えたが、ここで晴香が再び美幸の体温を上げる様な事を言い出した。


「ところで美幸、話が逸れちゃって、まだ質問に答えて貰っていないんだけど?」
(やっぱり忘れてなかったのね……。でも困ったな。具体的にいつから付き合ってるかなんて、係長と打ち合わせて無いし。どう答えれば良いかな?)
 にこやかに問い詰めてくる晴香に美幸は完全に誤魔化すのを諦め、考えを巡らせつつ口を開いた。


「ええと……、いつから、って改めて聞かれると、困っちゃうのよね。なんか気が付いたら付き合ってたかも~、みたいな?」
「う~ん、美幸の場合、職場が同じだしね。何か『仕事ができる人だな』とか『有能な人って尊敬するわ』とか思っているうちに、自然に好意に変わっていったって感じ?」
 かなり曖昧に言ってみると、それを聞いた晴香がそれなりの解釈を口にしてきた為、美幸はそれに便乗する事にした。
「そう! まさにそんな感じ! 最初は純粋に尊敬してたんだけどね!」
「城崎係長の方も、如何にも仕事に妥協しないタイプだし、これまで色々なタイプの女性とお付き合いしてきたみたいだけど、やっぱり最後はそれなりに力量を認められる女性に、自然に目がいったって事なのかな?」
「凄い、晴香。係長もまさにそう言ってた。他人の恋愛指南できるわよ。教祖様になって新興宗教起こせるから」
「こら、調子に乗るな。こいつが本気になったらどうする」
 美幸が(もう面倒だから、このまま話を作っちゃって!)と勢い込んでいると、総司が苦笑しながら窘めてきた。しかしここで、晴香が真顔になって首を傾げてみせる。


「それにしては今の今までそんな話どころか、気配も感じさせなかった事が納得いかないんだけど?」
「それは……」
 さすがに言葉に詰まった美幸だったが、今度は総司が訳知り顔で会話に割り込んだ。
「そりゃあ同じ部署内、しかも直属の上司と部下の関係なんだから、城崎係長も周囲に気を遣うだろ。交際までならOKだが、結婚どころか婚約した段階で、どっちかが異動するケースだしな」
「それもそうか」
(桑原君、ナイスフォロー!)
 そんな風に安堵したのも束の間、総司は何気なく問いかけてきた。


「因みに、一応俺達は同じ柏木産業の社員だし、俺達の前ではけじめをつけて城崎さんの事を『係長』って言ってるけど、プライベートでは名前で呼んでるんだろう?」
「それも気になってたのよね。どんな風に呼んでるわけ?」
「ど、どんな風にって……」
 更に返答に困る事態になり、美幸は冷や汗を流しつつ言葉を絞り出した。


「そ、その……、『城崎さん』、とか?」
 それを聞いた晴香は、一瞬呆けてから、素っ頓狂な声を上げた。
「……はぁあ? 固い、固いわよ、美幸! 何で名字呼び! プライベートでも、名前で呼び合ってないわけ!?」
「そう言われても……」
 全く弁解できずに顔を引き攣らせた美幸だったが、ここで総司がのんびりとした口調で取り成した。


「別に呼び方なんて、当人同士が納得してるならどうだって良いだろ。それより気になってたんだが、随分色々な物が有るが、家から私物を持って来たのか?」
 総司が棚や机の上を指し示しつつ尋ねてきた為、何とか話題が変わった事に美幸は胸を撫で下ろしながら説明した。
「それもあるけど、殆どは係長からのお見舞。何か私以上に私の好みを熟知していて、びっくりしちゃったわ」
「え? 何それ。ひょっとして惚気?」
「そんなんじゃ無いから!」
「またまた~」
 結局ムキになって言い返す美幸と、からかう気満々の晴香のやり取りに戻ってしまい、総司はうんざりとした表情になったが、ここで隆が勢い良く椅子から立ち上がった。


「……俺、もう無理」
 そう呟いてバタバタと病室から走り出て行った彼を、残された三人は唖然として見送ったが、一番状況が分かっていなかった美幸は、本気で首を捻った。
「田村君、何だか涙目で出て行ったみたいだけど、やっぱり具合が悪かったの?」
「……まあ、暫くすれば復活するだろ」
「何事も、諦めが肝腎よね。これを教訓に、今後はまともなアプローチを心がければ良いのよ」
 晴香と総司が、生温かい目で隆が出て行ったドアを眺めながらそんな事を口にした為、美幸は益々訳が分からなかったが、他の二人はさり気なく話題を変えて、帰るまで二度とそれに関する事には触れなかった。


 そして何とか平常心を取り戻した隆が戻って来てから、三人揃って立ち去ると、入れ替わる様に川北が病室に顔をみせた。
「藤宮さん、調子はどう?」
「川北さん。わざわざ来て下さったんですか? ありがとうございます」
 笑顔で出迎えた美幸に、川北は安堵した表情になって持参した紙袋を差し出す。


「はい、お見舞い。中身の半分は、課長代理からだけど。あの人が『藤宮さんだったら、仕事を回せば狂喜乱舞しますから』とかサラッと言ったものだから。データ整理をお願いしたいんだが」
「お任せ下さい! 課長代理に非の打ち所が無い様にして、叩き返してやります!」
「持ってきた俺が言う筋合いじゃないが、引き受けるんだ……」
 やる気満々の美幸を見て、思わず棒読み口調になった川北だったが、気を取り直して紙袋を手渡してから、鞄を開けて中を探り始めた。


「ああ、それと、年明け早々にある入札の資料、作っている最中だろう? お見舞い代わりに、良いものを持って来たんだ」
「何ですか?」
「三次元空間認知ソフト」
「何ですか? それは」
 聞き慣れない単語を耳にして首を傾げた美幸に、川北が苦笑しながらディスクの入ったケースを取り出す。


「それは見てのお楽しみ。ちょっとこのノートパソコンを借りるよ?」
「はい、構いませんけど……」 
 怪訝な顔の美幸をよそに、川北は傍らにあったPCを膝の上に置き、手慣れた手付きでそれの電源を立ち上げつつ、ソフトのダウンロードを開始した。
「藤宮さん。納品する倉庫の内寸とか棚の寸法とかは分かるよね?」
「はい、そこの緑色のファイルに纏めてあります」
「備品の納品状態の寸法も?」
「それの後半部分に一覧があります」
 時間を無駄にせず、待機時間の間にファイルを取り上げ、内容を確認した彼は、システムの立ち上げを確認すると、早速幾つかの数値を打ち込んだ。それから美幸の前にそれを置いて、横から腕を伸ばして操作する。


「よし、じゃあこれを……、こうして、っと」
 するとディスプレイの中に立体的な棚の画像が描き出されたかと思ったら、次々映像化した箱状の物が、順に空間を滑る様に移動して、棚の中に収まっていく。


「え? うわ! 画像の箱が、自動で収まった!?」
「このシステムを使うと、入力したデータを元に、どのスペースに何を入れれば良いか、自動で判断してくれるんだ。ほら、サイドバーに取り敢えず入力してある数値が、毛布と断熱シートの梱包サイズだから。だが重い物は下に入れた方が良いし、消費期限や使用期限が短い物は頻繁に入れ替えし易い様に手前に入れた方が良いとか、最後はちゃんと人がチェックしないといけないが」
「それでも随分作業が捗ります、助かりました! やっぱり実際に、きちんと収納した状態の配置まで提案できないと駄目ですよね。視覚に訴えるのが一番だと思いますし」
「ああ。納入品もメーカーや品番によって、結構寸法が変わるからね」
「ふふっ……、これで今度の入札は楽勝! 確実に一つ一つ、取っていくわよ!?」
 満面の笑みで、力強く宣言した美幸だったが、何故かここで川北が、恐る恐る尋ねてきた。


「あの、藤宮さん?」
「何ですか? 川北さん」
「その……、係長からこの仕事に関して、聞いてはいないんだよね?」
「何についてでしょう?」
 全く要領を得なかった美幸が問い返すと、川北は逡巡してから、自分自身を納得させる様に呟く。


「……うん、分かった。ごめん、何でも無いから」
「はぁ……」
(そう言えば、この仕事を任されてから、皆の態度が何か変だったっけ。確かに通常のニ課の仕事じゃないけど、今のところ別に問題無さそうなんだけど。接待じゃないし、単独でやってるし)
 その時ノックの音がした為、美幸はそれについて考えるのを中断した。


「はい、どうぞ」
「こんにちは、藤宮さん、体調はどうかしら?」
 静かに開けられたドアから真澄が顔を覗かせた途端、美幸は歓喜の叫びを上げた。
「きゃあぁぁっ! 課長!! わざわざこんな所にまで、来ていただけるなんて感激……、ああ、課長のご主人もいらしてたんですか」
 台詞の前半と後半の落差の激しさに、真澄の後ろから現れた清人が、嫌らしく笑いながら憎まれ口を叩く。


「『休みの時ぐらい、顔を見たくなかった』とでも言いそうだな」
「清人」
 職場では無いせいか、ぞんざいな口調で鼻で笑った清人を窘めつつ、真澄はベッドサイドに歩み寄った。


「清人から話を聞いて驚いたけど、元気そうで何よりだわ。これは少ないけど、お見舞いです」
「ありがとうございます」
 女二人が微笑みながら小さめの封筒を受け渡している横で、清人が横柄に言い放つ。
「俺からは真澄が土産だ。貴重な二人のプライベートな時間をくれてやる。ありがたく思え」
 その物言いに、さすがに美幸の顔が引き攣った。


「……見舞いに来たつもりなら、せめて仕事中と同レベルの気配りと、周囲に配慮した言動をして欲しいんですが」
「あいにく今は、真澄とのデートの真っ最中なんだ。真澄以外に気を遣うつもりはない」
 そしてバチバチと火花が散りそうな二人の気迫に腰が引けた川北が、手早く荷物を纏めてそそくさと逃げ出す。


「え、ええと……、藤宮さん? 俺はそろそろ失礼するから」
「あ、はい、どうもありがとうございました」
 そんな風に慌ただしく立ち去った川北に会釈してから、真澄は目の前に広げられたファイルを覗き込み、感心した様に言い出した。


「随分熱心ね。入院中なのに仕事をしていたの?」
「課長代理の指示で、色々回して頂きまして」
 それを聞いた真澄は、傍らの夫を軽く睨む。
「……清人?」
「頭と腕は無事なんだ。錆び付かせない為の措置だ」
 全く悪びれない様子の彼に、真澄は小さな溜め息を吐いてから話題を変えた。


「今日持ってきたのはテレホンカードと、備え付けテレビ用のプリペイドカードなの。テレビカードの方は下の売店で買った物だし、味気なくてごめんなさいね?」
 それを聞いた美幸は、慌てて封筒の中身を確認してから、忽ち笑顔を見せた。
「いいえ! 何よりの物です、ありがとうございます。姉に買って貰ったりしてたんですけど、気が付いたら無くなっている時もあって。テレホンカードも、普段は使いませんし」
「病棟は携帯で通話できないものね。私も出産の時に、不便さが身に染みたわ」
「そうですよね。翌日持って来てほしい物とか、姉に電話する時に公衆電話を使わないといけないので、小銭を準備して貰ってました」
「足を怪我してるから、売店まで両替とか買いに行くのも一苦労かと思ってこれにしたんだけど、喜んで貰って良かったわ」
 そう言って安堵した様に微笑んだ真澄を見て、美幸は上司に対する尊敬の念を深めた。


(さすが課長! 変に高額で相手に気を遣わせる事も無く、直ちに有効に使える物を選択される辺りは流石だわ! これからも付いて行きますね!!)
 そんな感動しきりの美幸の耳に、含み笑いでの清人の声が届く。


「それで、俺からの見舞いはこれだ」
「…………何でしょうか?」
 途端に警戒レベルを最大限に引き上げた美幸に、清人は平たい包みに封筒を乗せた物を差し出す。


「思うように動き回れなくて、退屈してるだろう。真澄から聞いたが、以前『晩秋の雲』で随分感動してくれたらしいな」
「はぁ……」
 目の前の人物が書いた物と知っていたら、絶対読まなかったのにと、過去の自分を殴りたい衝動に駆られている美幸に、清人は差し出した物を押し付けつつ説明した。


「だから再来週発売の俺の新作と、プラスαを持って来た。どちらも、抱腹絶倒間違いなしの代物だ。退屈な時に目を通してくれ」
「……ありがとうございます」
(本と……、封筒の中身は何かしら? ろくでもない物の気がするけど、さすがに課長の前で突っ返すわけにはいかないし)
 美幸は取り敢えず受け取りつつも密かに悩んでいると、ここで新たな客人がやってきた。


「藤宮、調子はどうだ……」
「あら、城崎さん、今日は」
「やあ、奇遇だな、城崎」
 ドアから顔を覗かせた城崎は、病室内に上司夫妻の姿を認めて固まった。しかしにこやかに声をかけられて、瞬時に腹を括って挨拶する。


「お久しぶりです、課長。課長代理もご一緒でしたか」
「ええ。清人が一緒に行って、藤宮さんにお見舞いに渡したい物があるからと言って付いて来たのよ」
「見舞い?」
 真澄の言葉に城崎は何気なく視線を動かし、美幸の手の中にある包みと封筒を見て、僅かに顔色を変えた。


「悪い、ちょっと借りるぞ!?」
「え? 係長?」
 何故か勢い良く封筒を取り上げて封を開け、中身を取り出した城崎を、美幸は唖然として見上げた。対する城崎は、取り出した物を目にするやいなや顔が真っ青になったが、すぐに怒りの為か紅潮した。


「……やっぱり。あんたって人はぁぁぁっ!!」
「うん? どうした城崎。早く藤宮に返さないか」
「……っ!?」
(え? 何かスナップ写真っぽく見えたけど)
 鋭く睨み付けつつ清人に怒声を放った城崎だったが、清人に促されて反射的に美幸を見下ろし、彼女と目が合った瞬間激しく動揺した。そして次の瞬間、何を思ったか封筒を放り出して写真を細かく引きちぎり、纏めて飲み込む。


「か、係長!?」
「城崎さん、どうしたの!?」
 どう見ても乱心したとしか思えない城崎の行動に、女二人は度肝を抜かれたが、何とか写真の残骸を飲み下した城崎は、清人の胸倉を掴み上げてベッドとは反対側の壁まで彼を引きずって押しやり、低い声で恫喝した。


「あんた……、ふざけるのも大概にしろよ?」
 身長差の関係で、般若の形相の城崎に見下ろされつつも、清人は余裕の笑みで返した。
「成長したな、城崎。俺に向かってそんな口がきける様になったとは」
「まだ他にも持って来てないだろうな?」
「今日は一枚だけだ。まあ、お前の必死さに免じて、暫く封印しておいてやるさ。お前を本気で怒らせたら、真澄の仕事に差し支えるからな」
「地獄に落ちろ、このドS野郎」
「生憎と、男には好かれないんだ。閻魔大王に入口で追い返されるのが関の山だな」
 離れた壁際で、ボソボソと言い合っている二人の会話は当然美幸達の耳には届かず、二人は怪訝な顔を見合わせた。


「何を話してるんでしょうか?」
「さあ……、でも、ろくでもない内容じゃないかしら?」
「同感です」
 そしてデート中だと言う事で、真澄達が早々に引き上げた後は、室内に美幸と城崎だけが残された。


「……係長、何だか凄くお疲れの様ですが、大丈夫ですか?」
「ああ、何とか」
「さっきの写真ですけど……、はぁぁっ!?」
 ぐったりとベッドサイドの椅子に腰掛け、俯き加減の城崎に美幸は尋ねてみたが、その瞬間勢い良く顔を上げた城崎に両肩を掴まれ、起こしてあったベッドに押し付けられた。


「……見たのか?」
 怖い位真剣な顔付きで確認を入れられた美幸は、慌てて勢い良く首を横に振る。
「いいいいえっ!! 写真みたいだなって思いましたが、何が写っているかまでは!」
「本当か?」
 眼光鋭く睨み付けられながら念を押された美幸は、必死になって言い募る。


「はい! 天地神明にかけて、これっぽっちも見えませんでした!!」
「そうか、それなら良いんだが……。本当に、どこまで祟るんだか……」
 そして気が抜けた様に肩を掴んでいた手の力を抜いたと思ったら、両手を背中に回した城崎に抱き付かれてしまった美幸は、いつの間にやら目の前にいた義兄を見て、思わず遠い目をしてしまった。


(いえ、あんまり良くないと思うんですけど? ちょっと離れて頂けませんか?)
 その思いを声に出そうとした瞬間、その人物から冷え切った声がかけられた。
「城崎、お前ここで何をしてる?」
 途端に城崎がビクッと硬直してから、恐る恐る振り返りつつ声を絞り出す。


「お邪魔……、しています」
「答えになっていないが?」
「…………」
 そして無言で見つめ合う事数秒。その均衡を破ったのは秀明だった。


「ちょっと顔を貸せ」
「……はい」
 踵を返して廊下に出て行く秀明の後を追い、城崎は出て行った。それを見送って秀明と一緒に来たらしい美子が、おかしそうに笑う。


「あらあら、お邪魔しちゃったわね。ごめんなさい、美幸」
「私は別に良いんだけど」
 そこで早速美子は着替えの入れ替えや、備品やお見舞いの確認などを始めたが、手持ち無沙汰になった美幸は、先程貰った包みを何気なく開けてみた。


(色々腹が立つし、得体が知れない人だけど、あの人が書く本って読み応えあるのよね)
 何となく自分に言い訳しつつ、ページを捲って斜め読みを始めた美幸は、その内容の意外性に、軽く目を見張った。


(へえ? これはオフィス物で、主人公はOLか。東野薫は、こういうのは初めてだよね。ひょっとした、柏木産業での勤務経験から、書いてみたのかしら?)
 そして何となく楽しくなりながら確認を続けた美幸だったが、すぐにその顔から表情が抜け落ちる。


(この主人公……、この上司とか同僚とか先輩とか後輩とか……)
 そして本を持ったままプルプル震えていた美幸だったが、数分もしないうちに本を片手で持ち上げ、力一杯向かい側の壁に投げつけつつ絶叫した。


「ふっざけんなぁぁーっ!! 私はこんな考えなしで傍若無人で猪突猛進な傍迷惑女じゃ無いわよっ!!」
「美幸。壁に本を投げつけるなんて、非常識な乱暴者のする事よ? それにどんな事が書いてあるのかは分からないけど、中身を否定できないんじゃ無いかしら?」
 しかし美子にやんわりと窘められた美幸は、歯軋りしつつそれ以上文句を口にする事を堪えたのだった。





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