猪娘の躍動人生

篠原皐月

8月 『お嬢ちゃん』と『美人さん』

 課長席の前に呼びつけられてその話を聞かされた時、美幸は本気で首を傾げた。


「エコエネルギー推進合同プロジェクト?」
「はい。化石燃料に頼らないエネルギーの使用比率の増加、エコエネルギー獲得の効率化を目的として、官民合同で研究会議が設立されました。それに柏木産業も参加します」
「はぁ、そうですか」
「他の総合商社が太陽光、水力、地熱等を担当し、柏木産業は風力発電の分野を担当します。そして社内では、営業一課とうちが携わる事になりました」
 相槌を打ちながら目の前の課長代理から資料一式を受け取った美幸だったが、ここで素朴な疑問を呈した。


「資源、エネルギー関連が専門の営業一課が関わるのは分かりますが、どうしてうちが絡んでくるんですか?」
 その疑問に、清人が事もなげに答える。


「柏木課長がプロジェクトの議長に、ちょっとした伝手がありまして。産休に入る前の話ですが、他の総合商社の幾つかを押しのけてうちが参加するのに、少々便宜を図って頂いたそうです。国内の風力発電用の機器を開発している企業とも、幾つかの別な商品に関して取引が有りましたし」
「なるほど。さすがは課長、顔が広くていらっしゃいます!」
「そういう事ですね」
(一体、どういう伝手なんだか……)
 美幸は素直に感激し、清人もにこやかに応じていたが、真澄の背後で彼が何やら動いていたのではと穿った見方をした他の面々は、そ知らぬふりで無言を貫いた。


「それで、この二つの部署でプロジェクトチームを編成します。これに若手の世代からも担当者を出す事になりました。数ヶ月で完結する話では無いですし、数年単位で進行する仕事をきちんと継続させ、同時に若手も育てようという事です」
 そう聞かされた美幸は、やる気に満ち溢れた返答をした。


「分かりました! きっちり仕事はしてみせます。お任せ下さい」
 それに清人は、如何にも胡散臭い笑みで応じた。
「期待しています。因みに、うちからは他に私、城崎係長、高須さんが参加します」
「……宜しくお願いします」
(何か今一つ……、どころか、二つ三つ納得できないし、不安を感じるんだけど……)
 反射的に顔を引き攣らせた美幸が、辛うじて笑顔を保ちつつ席に戻って来ると、隣の席から少し身を乗り出す様にして、高須が囁いてきた。


「その……、藤宮。ちょっといいか?」
「構いませんけど」
「今プロジェクトの話をされてたから、一応話しておくが……」
「はい、何でしょう?」
 改まって何事かと思いながら応じた美幸に、高須がどこか言い難そうに話し始めた。


「営業一課側の参加メンバーの話は有ったか?」
「いえ、無かったです」
「浩一課長と鶴田係長と、今年五年目の山崎さんと、二年目の田村だそうだ」
「あ、田村君も入ってるんだ。それなら気が楽だな~」
 思わずのほほんと感想を述べた美幸だったが、高須は何故か微妙に顔付きを強張らせた。


「同期なのは知っていたが、割と仲が良い方なのか?」
「はい。同期の中でも、良く男女四人で集まって食べたり飲んだりしてます」
「そうか。益々面倒だな……。まあ、係長が仕事に私情を挟む筈は無いが……」
「何をボソボソ言ってるんです?」
 俯いて何やら自分に言い聞かせる様に呟いている高須を、美幸は不思議そうに見やった。その声で我に返ったらしく、高須が真顔になって話を再開する。


「それで、そのプロジェクトの構成メンバーだと、浩一課長と課長代理は昔からの友人で、今は義兄弟の関係だし、係長二人は営業三課所属時に先輩後輩の間柄だったから、関係が良好なのが知られているんだ」
「そうなんですか。良かったですね」
「だが……、山崎さんと俺は、ちょっとした因縁がある」
「因縁?」
 心底嫌そうに顔を歪めた高須に、美幸も思わず眉を寄せた。そして一瞬口を閉ざしてから、高須が溜め息を吐いて話し出す。


「総務部に俺の同期の佐川美郷って奴がいるんだが、以前山崎さんが佐川に告った時『他に好きな人がいるのでお付き合いできません』と断ったんだ。その時佐川の奴、よりにもよって俺の名前を出しやがって……」
「え? 高須さん、その人と付き合ってたんですか?」
「そんなわけあるかよ!? 佐川の奴『だって正直に春日君の名前を出したら、あの粘着質タイプの男ならあらゆる手を使って彼に嫌がらせしそうで。高須君の企画推進部ニ課なら、元々営業一課と仲が悪いし、大して影響無いよね? 今度奢るから許して?』と、にっこり笑いながらほざきやがったんだ!」
 如何にも忌々しげに吐き捨てた高須を見て、美幸は思わず同情した。


「……高須さん、女運悪そうですね」
「ったく! それから山崎さんから何かと目の敵にされて、顔を合わせると嫌味を言われるわ、根も葉もない噂を流されるわ。その後佐川が同じく同期の春日と付き合い出してから、佐川の行為を春日に話して、二人には色々便宜を図って貰ってるんだ」
「せめてそれ位して貰わないと、本当に割に合いませんよ。しっかし、そんな器が小さい男、振られて当然です!」
 どう聞いてもとばっちりに加えて逆恨みとしか思えない状況に、美幸は本気で憤慨した。しかし当の高須は、既にそんな事は割り切っているのか、淡々と話を続ける。


「俺もそう思うが……。実はお前が配属直後に社員食堂で絡まれた直前に、そういう事があったから気になっていて」
「うっわ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってノリで新入社員に嫌がらせ? 益々幻滅ですね」
「いや、まさかさっきの事の腹いせに絡んだとは……。だが、これから顔を合わせる機会も増えるから、もし嫌味を言われても適当に聞き流し」
「お任せ下さい。ばっちりぐうの音も出ない位、完璧に言い負かしてやります!」
「だから、そういう事をするなと、今、釘を刺してるんだ俺はっ!!」
 満面の笑みで胸を叩いてみせた美幸に、高須は泣きそうな表情で訴えたが、ここで唐突に能天気な声が割り込んだ。


「高須先輩、藤宮先輩、ボウリング大会に参加しませんか?」
「……何だいきなり。しかも業務中だぞ?」
「何、それ?」
 思わず当惑した顔を向けた二人に、蜂谷がファイルからチラシを取り出して渡しながら笑顔を振りまいた。


「組合の青年部主催で、再来週に企画したんです。その後に会費千円で、ビアガーデンでの飲み放題納涼会も企画してますが。片方だけの参加でも結構ですよ? 因みに、ボウリング大会のゲーム代は無料です」
「ああ、そういえば、うちの部署の組合の執行委員に、立候補してたっけ」
「へえ? 随分太っ腹な企画を立てたもんだな」
 半ば感心しながら高須がチラシに目を落とした所で、少し離れた所からどこか楽しげな声が響いて来た。


「蜂谷さん、今、ボウリング大会がどうのこうの言ってましたか? 今は業務中ですが」
「はっ、はいぃぃっ!! 業務時間中の私語、誠に申し訳ありませんっ!!」
(だったら最初から、休憩時間に話をしろよ……)
 清人のやんわりと窘める台詞に、瞬時に米つきバッタと化した蜂谷を見て、室内の全員が蜂谷に生温かい視線を送ったが、清人はそれ以上煩い事は言わずに問いを発した。


「確かに私語は慎むべきですが、今回は大目に見ましょう。管理職でも参加は可能ですよね?」
「はい、組合主催ですが、非組合員でも組合員の家族も参加できます」
「それなら私も参加しますので、手続きをお願いします」
「課長代理が参加されるんですか!?」
 蜂谷の驚愕した叫び声が響き渡り、完全に室内の視線を一身に浴びてしまった清人だったが、全く悪びれなく言ってのけた。


「ええ。真澄が『休みに入って早々会社に押し掛けるのは気が引けるけど、偶には皆の顔を見たい』と言いまして。加えて私の勇姿も見たいと言うものですから」
「……勇姿、だぁ?」
 ひくっと頬を引くつかせた美幸だったが、その横で嬉しそうに理彩が声を上げる。


「え? 課長も顔を出されるんですか?」
「そうしたいと言っていました」
「そうですか。それなら私も出ようかな? 産休に入られてから二ヶ月経ってないのに、もう随分お会いしてない気分だし」
「参加者が多ければ、真澄も喜ぶと思いますよ?」
 にこやかに会話する二人を見て、蜂谷がファイルの用紙に何かを書き込みながら、笑顔で声をかけた。


「分かりました。課長代理の申し込みをしておきますので。仲原さんも気が向いたらいつでも言って下さい」
「蜂谷!」
「はっ、はい!」
 そこでいきなり立ち上がった美幸が、蜂谷の胸倉を掴みながら、押し殺した声で言い聞かせた。


「私も申し込むわ。まかり間違っても『申し込み忘れてました』なんて、ほざくんじゃ無いわよっ!?」
「わ、分かりましたっ!!」
 真っ青になって慌てて美幸の名前を書き込み、慌てて自分の席へと蜂谷が戻って行くと、再び自分の椅子に座った美幸が、不気味な笑みを浮かべた。


「ふ、ふふ……。よりにもよってボウリング……」
「藤宮? ひょっとしてボウリングが苦手とか?」
 ボソボソと呟いた内容に、理彩が不思議そうに尋ねたが、美幸は声を潜めたまま不敵に笑った。


「逆です。大得意です。マイボールとマイシューズだって持ってますから」
「マイボールって……」
「どれだけだよ……」
 半ば呆れて呟いた両隣の理彩と高須だったが、美幸の変なテンションは留まるところを知らなかった。


「ふふふ、仕事ではまだまだ敵わないけど、ボウリングだったら自信があるわ。課長の目の前で課長代理をギッタンギッタンに叩きのめして、無様な姿を曝させてやる」
「……ちゃんと仕事で見返しなさいよ」
「仕事で敵わないと認識してる所は、ある意味謙虚だけどな」
 もう何を言っても無駄だと先輩二人に呆れられた美幸だったが、そんな密やかなやり取りの気配を察知したのか、これまで美幸の机の辺りを黙って見ていた城崎が、蜂谷を手招きして告げた。


「蜂谷、俺も例のボウリング大会、参加したいんだが……」
「はい、係長もですね。受付を済ませておきます」
「出るんですか?」
 思わず口を挟んだ瀬上に、城崎は重い溜め息を吐きながら愚痴っぽく零す。


「あの二人を野放しにできない。どうにも、無事に終わる気がしなくてな」
「……同感ですね。蜂谷、俺も参加にしておいてくれ」
 清人と美幸を交互に眺めた瀬上は、相手の懸念を完全に理解した様に頷き、自らも参加する事を告げた。


 そして営業一課との合同プロジェクト初日。会議室の一つに出向いた美幸達は、営業一課の担当者達に出迎えられた。


「やあ、浩一課長、宜しく」
「いえ、こちらこそお力をお借りします、柏木課長代理」
「今回は、鶴田係長の本領発揮ですね」
「いや、既存のメーカー商品の導入を検討するだけじゃ無いからな。幅広い情報収集能力は、そちらの十八番だろ?」
(うん、管理職同士は比較的友好的よね。だけど営業一課って課長が上品って言うか貴公子然としてるのに、係長は強面でごつくて、浩一課長が女性だったら美女と野獣の凸凹コンビ? あ、でもうちの課長と係長だったら、美女と野獣じゃないけど……。もう止めておこう)
 自分の上司に加え、相手方の上司に対してもかなり失礼な事を考えながら席に着いた美幸だったが、向かい側から軽く手を振ってきた隆に応える間もなく、山崎が嫌味を繰り出してきた。


「企画推進部二課さんは、相変わらず人材不足ですか? 対外的にも重要なプロジェクトに、こんな機械の事なんて何も分からなそうな女を出してくるなんて」
(へぇえ? 管理職はかなり友好的だってのに、随分場を弁えない馬鹿がいたものよね)
「おい、藤宮」
 反射的に目を細めた美幸に危険な物を察した高須が、横から腕を軽く引いて注意しようとしたが、既に手遅れだった。


「お言葉ですが、それなら山崎さんは、日頃普通に利用していらっしゃる家電製品、通信機器、乗用車を初めとする電車や飛行機その他諸々、全ての原理を理解していらっしゃると仰る? もし本当にそうなら、『まあ凄い、流石山崎様』って褒め称えて差し上げましてよ?」
 そう言ってわざとらしく「おほほほほっ!」と高笑いした美幸に、高須は頭を抱え、隆は小声で机越しに注意してきた。


「……最初から飛ばすな」
「おい、藤宮!」
 そして山崎が、怒気を孕んだ声で、尚も言い募ろうとする。


「何だと? 人を馬鹿にするのもいい加減に」
「女は機械の事が分からないだなんて、最初に馬鹿にしたのはそっちでしょうが! 大体、機械の詳細を完全に理解する必要があるのは、エンジニアでしょう? 私達は、その機械の性能と可能性をしっかり把握して、必要な所に売り込んだり販路開拓をすれば良いだけの話ではないんですか?」
「このっ……、生意気な」
「確かに機械一般に関して、私は理解が足りないと思うわ。だけど私は自分が無知だって事を理解してるから、これから理解できる様に努力するわよ。他人を落とす事でしか自分を上げた様に見せかけるしかない無能な人間に、どうこう言われる筋合いは無いわね!!」
「黙って言わせておけば、この女!」
 堂々と主張を繰り出した美幸に、山崎は怒声を浴びせながら立ち上がった。そして美幸がやる気満々で身構える中、ゆっくりとした拍手の音と、野太い声が会議室に響き渡る。


「いやぁ、立派立派。それこそ《無知の知》って奴だな。悪いね~、部下が口が悪い奴で。俺に免じて許してやってくれないか? お嬢ちゃん」
「係長!」
 自分に非があると言われた山崎は憤然として上司に噛み付いたが、鶴田は鬼の形相で一喝した。


「黙れ、山崎! 今のは誰がどう見てもお前の失言だ。さっさと謝罪しろ」
 そこまで言われて刃向う気は起きなかったらしい山崎が、如何にも不承不承といった感じで軽く頭を下げる。
「……悪かった」
「と言う事で、手打ちにしてくれないかな? お嬢ちゃん」
 そこで必要以上にごねる美幸ではなく、あっさり話題を変えた。


「分かりました。ですが『お嬢ちゃん』は社内セクハラ規定に引っかかると思います」
「藤宮! せっかく鶴田係長が纏めてくれたのに、話をこじらせるな!」
 冷静に突っ込みを入れた美幸を、高須が慌てて叱り付けた。しかし鶴田は気を悪くする事無く、自分の言動の非を認めて言い直す。


「ああ、それもそうか。悪かった。つい、軽口を言って。じゃあ藤宮さん、だったかな?」
「いえ、できれば私の事は『お嬢ちゃん』ではなく『美人さん』と呼んで下さい」
 真顔で美幸がそう要求した瞬間、室内が静まり返った。そして言われた当人の鶴田が、疑わしげに真意を問いただす。


「『美人さん』もセクハラ規定に引っかかると思うんだが……、『美人さん』は良くて『お嬢ちゃん』が駄目な理由を聞かせて貰っても良いかな?」
「もう『お嬢ちゃん』な年ではありませんが、『美人』なのは事実ですから」
 さくっとそんな事を言ってのけた美幸に、高須は本気で頭を抱えた。


「頼むからお前、《謙虚》って言葉の意味を覚えろ。実生活で活かせ」
「えぇ? 謙虚に『できたら呼んで下さい』とお願いしましたよ?」
「……もう俺は知らん」
 高須は完全に匙を投げて呻いたが、鶴田は爆笑して満足そうに美幸に告げた。


「そうかそうか、流石あの柏木の秘蔵っ子。神経の太さが並じゃないな」
 それを聞いた途端、美幸の目が輝く。
「え? 課長の秘蔵っ子って、私の事ですか?」
「おう、去年そう言ってたぞ?」
「そうですか、感激です!」
(神経の太さ云々の所はスルーか)
 他の者達が思わず遠い目をする中、鶴田が顔付きを改めて美幸に言い聞かせてきた。


「だがな、美人さん。嫌味に真っ向から嫌味で返すのは、中の中だ。できる人間は相手に嫌味と悟らせず、周りには嫌味と気付かせる様に、発想と話術を駆使するものだぞ? その良い例が美人さんの上司だ」
「課長の事ですか?」
「ああ、分かるだろ? 城崎」
 そこで城崎は唐突に話を振られたのにも係わらず、当時の事を思い出したのか苦笑いで相槌を打った。


「ええ。さり気なさ過ぎて、当時青田課長と峰岸係長は全く気が付いていませんでしたが、毎回皆で笑いを堪えるのが大変でしたね……」
「ま、二年目の美人さんがあれの域に達するにはまだまだだと思うが、頑張れ」
「はい! 精進します!」
「鶴田先輩……、変な事を唆さないで下さい」
 城崎が軽く釘を刺した所で、浩一が声をかけて皆の注意を引いた。


「さて、互いに自己紹介も必要無いみたいなので、早速会議を始めますか」
「そうですね。時間は有効に使いましょう」
(全く……、最初からあんないちゃもん付けてくるなんて、レベル低過ぎよね!)
 そうして密かに山崎に腹を立てながら資料に目を通し始めた美幸だったが、そんな余計な事を考えている余裕はすぐに消し飛んだ。


「既存の発電機は主に海外製品をそのまま輸入、設置した為に不具合が生じ易い問題があって」
「欧州と比べて日本は風向きが変わりやすいのは、最初から想定内だ。国内メーカーもその対処は研究済みの筈だが」
「しかし可動部分を増やすと、それだけ耐久性が落ちるのは自明の理です」
「確かに、大規模な構造設計の変更の前に、設置基準と場所の検討項目を再考する必要があるだろうな」
「洋上発電の場合、腐食に耐える合金、塗料の開発も必要になるぞ」
「そこら辺は宮坂重工、アーストラントの専売特許だが」
(ちょっと待って……。凄い速さと話題飛びまくりで話が進んでて、今、レジメと資料のどこについて話してるの!?)
 顔色を変えて話の流れを追っていた美幸だったが、同期の隆は勿論、山崎と高須まで真っ青になって書類を捲って何やら書き込んでいるのを見て、美幸はほんの少しだけ安心した。しかし管理職達の議論は、留まる所を知らずにどんどん進む。


「うちと取引がある中で、サスペンションで新規参入を目指している企業がありまして、そこの商品だとジャスパーのランケイド係数が10から30の物が納入できるそうです」
「本当か? それなら川岸販鋼の要求に応える事ができるぞ!」
「ああ、KY-95合金ですね」
「それから、気流解析のラーニングソフトとの契約は?」
「そちらはもう本契約を待つばかりです。流体力学の最新三次元解析ソフトを回して貰える事になりました」
「この際、そこら辺が得意な清水設計も引き込むか。構造変更に伴う、売り込み先の拡大も狙えそうだしな」
「折しも政府からの補助金助成が切れる今後、自治体が導入には二の足を踏む筈だし、撤退する企業も出るな。しっかり隙間を狙って行こう。ところでディア・バライスの調達先だが……」
(専門用語が……、話されてる内容の半分が分からない……)
 白熱した議論に全く付いていけず黙り込んだ美幸は、結局一言も発言する事無く、席を温めるだけに終わった。


「まあ、今日はこんな所かな?」
「そうですね。次回までに先程纏めた検討事項に、目処を付けておくと言う事で」
「お疲れ様でした。また宜しく」
「こちらこそ。次回までに資料は揃えておきます」
(話の筋を追うだけで精一杯……。普通会合の一回目って、顔合わせと今後のスケジュール確認とかで終わる物じゃないの!? 本当に良く分からなかった。次までに、もう少し勉強しておかないと)
 課長と係長で握手をして撤収作業を始めた為、美幸も資料等を纏めて浮かない顔で立ち上がったが、廊下に出ようとした所で、面白がっている様な顔で鶴田が声をかけてきた。


「どうした、美人さん、会議が始まったら大人しかったな。ビビったか?」
 しかしそのからかう口調にも、事実だった為美幸は真顔で頷きながら返した。


「はい、勉強不足でした。次回までにもう少しマシにしておきます」
「お、意外に謙虚じゃないか。上出来上出来! そこら辺も柏木と一緒だな」
「課長はいつも謙虚だと思いますが、どうして意外に、なんて仰るんです?」
 上機嫌でわしわしと頭を撫でてきた鶴田に、美幸は怪訝な顔をした。すると鶴田が予想外の事を言い出す。


「あいつ、傍目にはそう見えなくても、結構負けず嫌いな所が有るからな。でも俺には結構素直だったぞ? なんでも俺に感じの似た強面の叔父さんに色々相談に乗って貰っていて、俺にも話し易かったんだそうだ」
「へぇえ、そうなんですか~」
 真澄の意外な一面を知って美幸は素直に感心したが、二人の後方を歩いていた清人がそれを聞いた瞬間、ピクリと片眉を上げた。


「でも美人さんも、俺の顔にビビらないよな? 大抵は遠巻きにするもんだが」
「目つきの鋭さだったら、うちの城崎係長で慣れてます。それに人間の価値って、見た目より仕事ができるかどうかで決まるんじゃありません? そういう意味では鶴田係長は、城崎係長と同じ位素敵だと思いますよ?」
 不思議そうに尋ねてきた鶴田に、美幸が真顔で言い返した。それを耳にした瞬間、城崎のこめかみにうっすらと青筋が浮かぶ。


「ははっ! そんなとこまで柏木と同じ事を言うとはな。益々気に入った。頑張れよ? 美人さん」
「はい! ありがとうございます」
(嫌な奴も居るけど、鶴田係長みたいに公私混同しないで、楽しい人が居て良かった)
 そんなやり取りをしながら、上機嫌な二人は意気投合してエレベーターホールに歩いて行ったが、そんな一連のやり取りをしっかり把握できた浩一は、声を潜めて親友と後輩に釘を刺した。


「……おい、清人。怒るなよ? 素敵云々って言うのは、仕事ができる云々の誉め言葉の一環で」
「意味が分からないな。誰が何に対して怒るって言うんだ?」
「城崎も。あれは鶴田さんなりの、社交辞令だからな? そこの所、分かっているよな?」
「……別に気にしてはいません」
 さらにその後方、背後から山崎の怨念の籠った視線を受けつつ、上司達のやり取りをバッチリ耳にしてしまった高須は、無意識に腹部を押さえて呻いた。


「……胃が痛い」
 とにもかくにも波乱含みのプロジェクトは、めでたく開始された。



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