猪娘の躍動人生
2月 浮き世の義理
平日にもかかわらず、珍しく家族全員が揃って食卓を囲み、和やかな雰囲気で夕食を取っていた時、何気なく美野が話題に出した内容に、美幸は戸惑い気味の声を上げた。
「バレンタイン?」
「そう。来週でしょう? 再就職したばかりだし、色々お世話になっている周りの皆さんに、義理チョコ位は贈った方が良いかなと思ったの。でも義理チョコなんて学生時代に渡した事は無かったから、良く分からなくて。法務部は私以外は年輩の男性ばかりでこれまで職場内でのチョコのやり取りなんて無さそうだし、却って気を遣わせるかしら?」
「そう言われても……。私もバレンタインは貰うばかりで、あげた事は皆無だったし。どうすれば良いのかな?」
意見を求められた美幸だったが、咄嗟に返答できずに困惑すると、横から甲高い声が上がった。
「美幸ちゃん、またチョコ貰ったら頂戴ね!」
「ぼくも~!」
「はいはい」
毎年チョコをお裾分けしている甥姪に苦笑しつつ頷いてから、美幸は美野に視線を戻した。
「でも美野姉さん。旭日食品で働いていた期間は? 職場でチョコとかを準備しなかったの?」
ふと感じた疑問をそのまま口にした美幸だったが、その途端美野が、地を這う様な声で恨みがましく呟き始める。
「あの頃……、あの男に手作りチョコを作って、あの男の社内の信奉者に爪弾きにされて、義理チョコを配る集団の中に入れて貰えなかったの。ご丁寧に、私の名前だけ抜けたカードを添付したチョコが、職場内に配られたわ。他は、お父さんとお兄さん達にしか作った事は無いしね……」
(げ、まずっ!)
(あらあら、見事にトラウマスイッチが入ったわね)
(気持ちは分かるがな……)
(全く……。あのろくでなしとの結婚を、もっと強く反対するべきだった)
話題を振ってしまった美幸が焦りまくり、それを見た姉夫婦は苦笑いし、父親は苦虫を噛み潰した様な表情になる。そして一気に重くなってしまった食堂内の空気を一新しようと、美幸が慌て気味に口を開いた。
「美野姉さん! 平凡な日常にメリハリをつけるイベントには、積極的に係わって、とことん楽しまなくちゃ駄目だと思うの! バレンタインのチョコ、職場で配りましょう!」
それを聞いた美野は、すぐにいつもの表情になって確認を入れてきた。
「良いのかしら? じゃあ、お父さん達と同じ様に手作りすれば良い?」
「あまり人数も居ないんだし、それで良いんじゃない?」
「それはちょっとどうかな?」
「秀明義兄さん?」
姉妹であっさりと話が纏まりかけた時、のんびりと口を挟んできた義兄に、怪訝な顔を向けた。すると秀明が冷静にその理由を述べる。
「勿論、家族の俺達は嬉しいけど、他人からいきなり職場で手作りの物を手渡されても困るかもしれないよ? 家に持って帰るのは差し障りがあるかもしれないし。それに貰った類のチョコが苦手でも、目の前で捨てられないだろう?」
「そうか……。それを見た家族が、変に誤解する可能性もあるのか」
「それもそうですね」
美幸と美野が納得した様に頷くと、秀明が義妹達に笑いかけながら提案する。
「だから美野ちゃんの場合、『バレンタインに合わせてお茶請けにチョコを用意しましたから、良かったら食べてみて下さい』とか言って、仕事の合間に既製品のチョコの詰め合わせを出す位でも良いんじゃないかな? 甘過ぎるチョコは駄目でも、ウイスキーボンボンとか、ビターチョコなら大丈夫という人も居るし。『どんなチョコが好きですか』と聞いたら身構えるかもしれないけど、何種類か取り揃えたチョコのどれを食べるか見ておいて、傾向を各自覚えておけば、来年以降も困らないんじゃないかな?」
「なるほど、分かりました。アドバイスありがとうございます、お義兄さん」
「どういたしまして」
そして懸案が解決した美野は秀明と笑い合ったが、その一方で美幸は考え込んでしまった。
「うぅ~ん、私はどうしようかな? 同期の皆はバレンタインだって浮かれ気味なんだけど、二課ってそんな気配が微塵も無いのよね。それ以前に企画推進部全体が、そんな空気が皆無だし」
「規律正しい職場と言う事だろう。結構な事じゃないか」
唸りつつ首を捻った美幸に、父親が感心した様に感想を述べる。しかし何度かフロアを訪れていて、企画推進部の社員構成を知っていた美野は、不思議そうに尋ねた。
「どうしてかしら? 女性が少ない職場なのは分かるけど、美幸以外にも女性は居るでしょう? そもそも二課の課長は女性だし」
それに軽く頷き、美幸は説明を付け加えた。
「そうなんだけど……。周りにさり気なく去年までの事を聞いてみたら、一課と三課に一人ずついるベテランの女性は既婚者で年齢もそれなりだから、今更チョコなんてって感じだし、そもそもうちの課長は義理チョコとかに意義を見出さない人で、就職以来、全く配った事が無いんですって。お金を出し合って渡そうと同僚に誘われても、きっぱりお断りしていたとか」
「それは凄いわね。なかなかできる事じゃないわ」
「確固たる信念の持ち主らしいな。披露宴で顔を合わせるのが楽しみだ」
そこで美幸は真澄を賞賛する言葉を漏らした姉夫婦を眺め、次いで秀明に恨みがましい口調で確認を入れた。
「そう言えばこの前、お義兄さんは課長のご主人の先輩って言っていましたね。新郎側の出席者として、披露宴の招待状が来たんですか?」
そう告げた美幸の顔が如何にも残念そうな表情だった為、秀明は必死に笑いを堪えながら、申し訳無さそうな表情を取り繕って宥めた。
「すまないね、美幸ちゃん。新婦側の社内の招待客は、重役や付き合いが長い人間に限定したそうだね」
「そうなんです。二課からは代表して係長だけで。出たかったなぁ……。課長は妊娠中だから二次会とかもしないみたいだし、凄く残念。係長に『課長の写真を撮ってきて下さい』ってお願いしたけど……」
そう言って、深い溜め息を吐いた美幸を、横から美野が宥めた。
「城崎さんなら、たくさん撮ってきてくれるわよ。話は戻るけど、結局美幸の方は、チョコをどうするの?」
その問いに、項垂れていた美幸が顔を上げ、迷いを振り切った様に告げた。
「ここで悩んでいても仕方が無いし、明日出社したら仲原さんと相談してみるわ」
「そうね。それが良いわよね」
そんな風に二人の間で話が纏まり、続けて別な話題で盛り上がりつつ、藤宮家の夕食は和やかに進んだのだった。
翌日、昼食を食べ終えて席に戻った美幸は、同様に昼休みの残りを自席でのんびりと過ごしていた理彩を捕まえてチョコについて尋ねてみたが、案の定難しい顔になった。
「チョコ、ねぇ……。ここで配るのは微妙過ぎるわ。総務に居た頃は、皆でお金を集めて人数分配るのがお約束だったけど」
「ですよね? 課長が無視しているものを、部下の私達で義理チョコですって配りにくいですし。そもそもチョコって貰ってばかりであげた事が無いので、どんな物をどれ位用意すれば良いのか皆目見当が」
「藤宮、ちょっと待って」
「何ですか?」
自分の台詞を鋭く遮ってきた理彩に、美幸が不思議そうな顔を向けると、理彩は真顔で尋ねてきた。
「どうしてチョコを貰ってばかりで、あげた事が無いわけ?」
「どうしてって……、『並みの男の子より頼りになるし、格好良いから』と、周りの皆がくれましたので。それで貰ったチョコの中から、良い物を選んでお父さんやお義兄さん達、甥姪におすそ分けしていました。美野姉さんは、家族向けに手作りしていましたけど」
平然とそんな事を言われた理彩は、額を押さえて思わず呻いた。
「……本当に、情緒もへったくれも無い女ね」
「は? どうしてたかがチョコで、そこまで言われなくちゃならないんですか!?」
さすがに腹を立てた美幸だったが、負けじと理彩が言い返した。
「少しはときめきなさいよ! これまで綺麗なラッピングとか艶やかなコーティングとか、心躍らせた事がただの一度も無かったわけ?」
「皆無でしたし、お菓子業界の陰謀で踊らされるのは甚だ不本意ですが、職場を円滑に回す為の潤滑油なら、社会人として敢えて乗ってみようかなと、今回思った次第です」
そう真顔で言われた理彩は、これ以上言うのを諦めて溜め息を吐いた。
「そういう考えなら、別に仰々しく個人的に義理チョコを配らなくても良いんじゃない? 二課だけじゃなくて企画推進部全体の女性で、季節のイベントの一環として、お徳用チョコみたいな物をお茶請けに食べて貰うつもりで準備しましょうか。それなら男性陣も、ホワイトデーにそれ程気を遣わないでしょうし」
「それもそうですね」
「だから私も、きちんと準備するのは本命チョコだけにするわ」
「それなら私も、今日、美野姉さんのチョコを買いに行くのに付き合うだけにしようっと」
「ちょっと待って、藤宮」
「何ですか?」
再び鋭く問い掛けてきた理彩に、美幸はまた不思議そうな顔を向けた。
「今、美野さんと買いに行くって言った?」
「言いましたけど」
「因みにどういう経緯で?」
「ええと……」
そこで美幸が前夜のやり取りを掻い摘んで説明すると、理沙は渋面になりながら確認を入れた。
「それで? 全くチョコを準備した事の無いあんたと、限られた手作り品しか渡した事の無い美野さんで、買いに行く事にしたと?」
「はい。何か拙いですか?」
「因みにどこで?」
「会社帰りに、駅ビルの特設会場で。色々な店舗から出店してるみたいですから」
一通り話を聞いた理彩は、そこで顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。
「超初心者だけで、あの中に? ちょっと無謀かもしれないわね……」
「どうしてですか? たかがチョコを買うだけですよ?」
「あの騙されやすい美野さんと、突っ走りやすいあんたの組合せで、変な物を掴まされたらどうするの。それ以前に、売り場の熱気に当てられて倒れそうだわ」
語気強く言い切った理彩に、今度は美幸が渋面になる。
「……何気に失礼ですね、仲原さん。それにデパートの特設売り場なんですから、そうそう変な物があるとも思えないんですが」
「四の五の言わないで、ここは引率を頼むわよ。ほら、来なさい」
「は? たかが買い物に引率? 子供じゃ無いんですから」
「いいから、さっさと付いて来なさい!」
そう言うなり美幸の手首を掴んで立ち上がった理彩に半ば引きずられ、美幸は戸惑いながら歩き出した。そして城崎の机にやって来た理彩は、城崎と傍らに立って何やら話し込んでいた高須に声をかける。
「係長、ちょっと宜しいですか? 高須さんも聞いて欲しいんですけど」
「ああ、構わないが?」
「何ですか?」
男二人が怪訝な顔を向けると、理彩は前置き無しで本題に入った。
「今日の帰り、藤宮と美野さんの買い物に付き合って貰えません?」
「買い物?」
「何ですか?」
「バレンタインのチョコです。二人とも今の今まで、買った事が無いそうなんですよ」
そう言って理彩が小さく肩を竦めて見せると、男二人が無言で微妙な視線を交わし合う。
(どうしてそういう微妙な物の買い物に、俺達が付き合う事に……)
勿論、そんな内心などはお見通しの理彩は、淡々と理由を説明した。
「ただでさえ妙なテンションになっている、一種独特な雰囲気の売り場で、二人が何かやらかしそうで心配なんです。私が付き添えれば良いんですが、生憎今日はデートなもので、お二人に面倒を見て貰いたいんですが」
(確かに、この組み合わせなら、何かやらかしそうな気がする……)
そんな心配はしなくても大丈夫だろうと言い切れなかった男二人に、ここで理彩が一歩踏み出し、ギリギリ二人に聞こえる位の小声で囁いた。
「それに……、最初は四人で行って、頃合いを見て示し合わせて、二手に別れれば良いじゃないですか。貸し一つにしておきます」
そこでニコニコと愛想良く笑った理彩に、城崎は呆れ気味に溜め息を吐き、高須は真顔で頷いた。
「……何を唆している」
「分かりました。後から倍返しでお返しします」
「宜しく」
そして理彩は機嫌良く背後を振り返り、軽く手招きしつつ美幸を促す。
「ほら、藤宮。あんたからもお願いしなさい?」
「大丈夫ですって、言ってるのに……」
未だに納得しかねる顔付きながらも、理彩が話を出してしまった事と、城崎達がそれを積極的に否定してくれなかった事でちょっと自信が無くなってきた美幸は、一応神妙に頭を下げた。
「えっと、お二人ともご迷惑で無ければ、退社後に私達の買い物に付き合って頂けないでしょうか?」
そう述べた美幸に、男二人が鷹揚に頷く。
「分かった。今日は取り急ぎの仕事もないし、定時上がりできるだろうから付き合うよ」
「特に予定は無いから、付き合うのに支障はないし気にするな」
「ありがとうございます」
そんな様々な思惑含みで、美幸達はチョコ売り場へと乗り込む事になった。
「バレンタイン?」
「そう。来週でしょう? 再就職したばかりだし、色々お世話になっている周りの皆さんに、義理チョコ位は贈った方が良いかなと思ったの。でも義理チョコなんて学生時代に渡した事は無かったから、良く分からなくて。法務部は私以外は年輩の男性ばかりでこれまで職場内でのチョコのやり取りなんて無さそうだし、却って気を遣わせるかしら?」
「そう言われても……。私もバレンタインは貰うばかりで、あげた事は皆無だったし。どうすれば良いのかな?」
意見を求められた美幸だったが、咄嗟に返答できずに困惑すると、横から甲高い声が上がった。
「美幸ちゃん、またチョコ貰ったら頂戴ね!」
「ぼくも~!」
「はいはい」
毎年チョコをお裾分けしている甥姪に苦笑しつつ頷いてから、美幸は美野に視線を戻した。
「でも美野姉さん。旭日食品で働いていた期間は? 職場でチョコとかを準備しなかったの?」
ふと感じた疑問をそのまま口にした美幸だったが、その途端美野が、地を這う様な声で恨みがましく呟き始める。
「あの頃……、あの男に手作りチョコを作って、あの男の社内の信奉者に爪弾きにされて、義理チョコを配る集団の中に入れて貰えなかったの。ご丁寧に、私の名前だけ抜けたカードを添付したチョコが、職場内に配られたわ。他は、お父さんとお兄さん達にしか作った事は無いしね……」
(げ、まずっ!)
(あらあら、見事にトラウマスイッチが入ったわね)
(気持ちは分かるがな……)
(全く……。あのろくでなしとの結婚を、もっと強く反対するべきだった)
話題を振ってしまった美幸が焦りまくり、それを見た姉夫婦は苦笑いし、父親は苦虫を噛み潰した様な表情になる。そして一気に重くなってしまった食堂内の空気を一新しようと、美幸が慌て気味に口を開いた。
「美野姉さん! 平凡な日常にメリハリをつけるイベントには、積極的に係わって、とことん楽しまなくちゃ駄目だと思うの! バレンタインのチョコ、職場で配りましょう!」
それを聞いた美野は、すぐにいつもの表情になって確認を入れてきた。
「良いのかしら? じゃあ、お父さん達と同じ様に手作りすれば良い?」
「あまり人数も居ないんだし、それで良いんじゃない?」
「それはちょっとどうかな?」
「秀明義兄さん?」
姉妹であっさりと話が纏まりかけた時、のんびりと口を挟んできた義兄に、怪訝な顔を向けた。すると秀明が冷静にその理由を述べる。
「勿論、家族の俺達は嬉しいけど、他人からいきなり職場で手作りの物を手渡されても困るかもしれないよ? 家に持って帰るのは差し障りがあるかもしれないし。それに貰った類のチョコが苦手でも、目の前で捨てられないだろう?」
「そうか……。それを見た家族が、変に誤解する可能性もあるのか」
「それもそうですね」
美幸と美野が納得した様に頷くと、秀明が義妹達に笑いかけながら提案する。
「だから美野ちゃんの場合、『バレンタインに合わせてお茶請けにチョコを用意しましたから、良かったら食べてみて下さい』とか言って、仕事の合間に既製品のチョコの詰め合わせを出す位でも良いんじゃないかな? 甘過ぎるチョコは駄目でも、ウイスキーボンボンとか、ビターチョコなら大丈夫という人も居るし。『どんなチョコが好きですか』と聞いたら身構えるかもしれないけど、何種類か取り揃えたチョコのどれを食べるか見ておいて、傾向を各自覚えておけば、来年以降も困らないんじゃないかな?」
「なるほど、分かりました。アドバイスありがとうございます、お義兄さん」
「どういたしまして」
そして懸案が解決した美野は秀明と笑い合ったが、その一方で美幸は考え込んでしまった。
「うぅ~ん、私はどうしようかな? 同期の皆はバレンタインだって浮かれ気味なんだけど、二課ってそんな気配が微塵も無いのよね。それ以前に企画推進部全体が、そんな空気が皆無だし」
「規律正しい職場と言う事だろう。結構な事じゃないか」
唸りつつ首を捻った美幸に、父親が感心した様に感想を述べる。しかし何度かフロアを訪れていて、企画推進部の社員構成を知っていた美野は、不思議そうに尋ねた。
「どうしてかしら? 女性が少ない職場なのは分かるけど、美幸以外にも女性は居るでしょう? そもそも二課の課長は女性だし」
それに軽く頷き、美幸は説明を付け加えた。
「そうなんだけど……。周りにさり気なく去年までの事を聞いてみたら、一課と三課に一人ずついるベテランの女性は既婚者で年齢もそれなりだから、今更チョコなんてって感じだし、そもそもうちの課長は義理チョコとかに意義を見出さない人で、就職以来、全く配った事が無いんですって。お金を出し合って渡そうと同僚に誘われても、きっぱりお断りしていたとか」
「それは凄いわね。なかなかできる事じゃないわ」
「確固たる信念の持ち主らしいな。披露宴で顔を合わせるのが楽しみだ」
そこで美幸は真澄を賞賛する言葉を漏らした姉夫婦を眺め、次いで秀明に恨みがましい口調で確認を入れた。
「そう言えばこの前、お義兄さんは課長のご主人の先輩って言っていましたね。新郎側の出席者として、披露宴の招待状が来たんですか?」
そう告げた美幸の顔が如何にも残念そうな表情だった為、秀明は必死に笑いを堪えながら、申し訳無さそうな表情を取り繕って宥めた。
「すまないね、美幸ちゃん。新婦側の社内の招待客は、重役や付き合いが長い人間に限定したそうだね」
「そうなんです。二課からは代表して係長だけで。出たかったなぁ……。課長は妊娠中だから二次会とかもしないみたいだし、凄く残念。係長に『課長の写真を撮ってきて下さい』ってお願いしたけど……」
そう言って、深い溜め息を吐いた美幸を、横から美野が宥めた。
「城崎さんなら、たくさん撮ってきてくれるわよ。話は戻るけど、結局美幸の方は、チョコをどうするの?」
その問いに、項垂れていた美幸が顔を上げ、迷いを振り切った様に告げた。
「ここで悩んでいても仕方が無いし、明日出社したら仲原さんと相談してみるわ」
「そうね。それが良いわよね」
そんな風に二人の間で話が纏まり、続けて別な話題で盛り上がりつつ、藤宮家の夕食は和やかに進んだのだった。
翌日、昼食を食べ終えて席に戻った美幸は、同様に昼休みの残りを自席でのんびりと過ごしていた理彩を捕まえてチョコについて尋ねてみたが、案の定難しい顔になった。
「チョコ、ねぇ……。ここで配るのは微妙過ぎるわ。総務に居た頃は、皆でお金を集めて人数分配るのがお約束だったけど」
「ですよね? 課長が無視しているものを、部下の私達で義理チョコですって配りにくいですし。そもそもチョコって貰ってばかりであげた事が無いので、どんな物をどれ位用意すれば良いのか皆目見当が」
「藤宮、ちょっと待って」
「何ですか?」
自分の台詞を鋭く遮ってきた理彩に、美幸が不思議そうな顔を向けると、理彩は真顔で尋ねてきた。
「どうしてチョコを貰ってばかりで、あげた事が無いわけ?」
「どうしてって……、『並みの男の子より頼りになるし、格好良いから』と、周りの皆がくれましたので。それで貰ったチョコの中から、良い物を選んでお父さんやお義兄さん達、甥姪におすそ分けしていました。美野姉さんは、家族向けに手作りしていましたけど」
平然とそんな事を言われた理彩は、額を押さえて思わず呻いた。
「……本当に、情緒もへったくれも無い女ね」
「は? どうしてたかがチョコで、そこまで言われなくちゃならないんですか!?」
さすがに腹を立てた美幸だったが、負けじと理彩が言い返した。
「少しはときめきなさいよ! これまで綺麗なラッピングとか艶やかなコーティングとか、心躍らせた事がただの一度も無かったわけ?」
「皆無でしたし、お菓子業界の陰謀で踊らされるのは甚だ不本意ですが、職場を円滑に回す為の潤滑油なら、社会人として敢えて乗ってみようかなと、今回思った次第です」
そう真顔で言われた理彩は、これ以上言うのを諦めて溜め息を吐いた。
「そういう考えなら、別に仰々しく個人的に義理チョコを配らなくても良いんじゃない? 二課だけじゃなくて企画推進部全体の女性で、季節のイベントの一環として、お徳用チョコみたいな物をお茶請けに食べて貰うつもりで準備しましょうか。それなら男性陣も、ホワイトデーにそれ程気を遣わないでしょうし」
「それもそうですね」
「だから私も、きちんと準備するのは本命チョコだけにするわ」
「それなら私も、今日、美野姉さんのチョコを買いに行くのに付き合うだけにしようっと」
「ちょっと待って、藤宮」
「何ですか?」
再び鋭く問い掛けてきた理彩に、美幸はまた不思議そうな顔を向けた。
「今、美野さんと買いに行くって言った?」
「言いましたけど」
「因みにどういう経緯で?」
「ええと……」
そこで美幸が前夜のやり取りを掻い摘んで説明すると、理沙は渋面になりながら確認を入れた。
「それで? 全くチョコを準備した事の無いあんたと、限られた手作り品しか渡した事の無い美野さんで、買いに行く事にしたと?」
「はい。何か拙いですか?」
「因みにどこで?」
「会社帰りに、駅ビルの特設会場で。色々な店舗から出店してるみたいですから」
一通り話を聞いた理彩は、そこで顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。
「超初心者だけで、あの中に? ちょっと無謀かもしれないわね……」
「どうしてですか? たかがチョコを買うだけですよ?」
「あの騙されやすい美野さんと、突っ走りやすいあんたの組合せで、変な物を掴まされたらどうするの。それ以前に、売り場の熱気に当てられて倒れそうだわ」
語気強く言い切った理彩に、今度は美幸が渋面になる。
「……何気に失礼ですね、仲原さん。それにデパートの特設売り場なんですから、そうそう変な物があるとも思えないんですが」
「四の五の言わないで、ここは引率を頼むわよ。ほら、来なさい」
「は? たかが買い物に引率? 子供じゃ無いんですから」
「いいから、さっさと付いて来なさい!」
そう言うなり美幸の手首を掴んで立ち上がった理彩に半ば引きずられ、美幸は戸惑いながら歩き出した。そして城崎の机にやって来た理彩は、城崎と傍らに立って何やら話し込んでいた高須に声をかける。
「係長、ちょっと宜しいですか? 高須さんも聞いて欲しいんですけど」
「ああ、構わないが?」
「何ですか?」
男二人が怪訝な顔を向けると、理彩は前置き無しで本題に入った。
「今日の帰り、藤宮と美野さんの買い物に付き合って貰えません?」
「買い物?」
「何ですか?」
「バレンタインのチョコです。二人とも今の今まで、買った事が無いそうなんですよ」
そう言って理彩が小さく肩を竦めて見せると、男二人が無言で微妙な視線を交わし合う。
(どうしてそういう微妙な物の買い物に、俺達が付き合う事に……)
勿論、そんな内心などはお見通しの理彩は、淡々と理由を説明した。
「ただでさえ妙なテンションになっている、一種独特な雰囲気の売り場で、二人が何かやらかしそうで心配なんです。私が付き添えれば良いんですが、生憎今日はデートなもので、お二人に面倒を見て貰いたいんですが」
(確かに、この組み合わせなら、何かやらかしそうな気がする……)
そんな心配はしなくても大丈夫だろうと言い切れなかった男二人に、ここで理彩が一歩踏み出し、ギリギリ二人に聞こえる位の小声で囁いた。
「それに……、最初は四人で行って、頃合いを見て示し合わせて、二手に別れれば良いじゃないですか。貸し一つにしておきます」
そこでニコニコと愛想良く笑った理彩に、城崎は呆れ気味に溜め息を吐き、高須は真顔で頷いた。
「……何を唆している」
「分かりました。後から倍返しでお返しします」
「宜しく」
そして理彩は機嫌良く背後を振り返り、軽く手招きしつつ美幸を促す。
「ほら、藤宮。あんたからもお願いしなさい?」
「大丈夫ですって、言ってるのに……」
未だに納得しかねる顔付きながらも、理彩が話を出してしまった事と、城崎達がそれを積極的に否定してくれなかった事でちょっと自信が無くなってきた美幸は、一応神妙に頭を下げた。
「えっと、お二人ともご迷惑で無ければ、退社後に私達の買い物に付き合って頂けないでしょうか?」
そう述べた美幸に、男二人が鷹揚に頷く。
「分かった。今日は取り急ぎの仕事もないし、定時上がりできるだろうから付き合うよ」
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