猪娘の躍動人生
9月 姉妹の確執
企画推進部二課に瀬上と理彩が異動したのが八月半ば過ぎだったが、入れ代わり立ち代わりに課員が夏休み取得したり、立て続けに新規契約が纏まって忙しくなったりで比較的日程に余裕が無く、二人の歓迎会を設定したのが九月に入ってからになった。その為、課長の立場から乾杯の音頭を取った真澄は、自分の向かい側に座る主役二人に幾分申し訳無さそうに声をかける。
「瀬上さん、仲原さんお疲れ様。色々バタバタして歓迎会が九月にずれ込んでしまって、申し訳無かったわ」
すると瀬上が飲んでいたジョッキから口を離し、苦笑いしながら応じた。
「いえ、異動早々存分に働かせて頂いてますから、正直そんなに日数が経った様に感じていませんでした」
「あら……、それってひょっとして嫌味?」
同様に小さく笑いながら真澄がビール瓶を瀬上に向けると、瀬上が恐縮気味にジョッキを差し出し、お酌をして貰いながら笑みを深くする。
「とんでもない。今まで以上に本領を発揮できて、光栄だと言ったつもりなのですが」
「それなら良かったわ」
それに真澄は笑顔で小さく頷いてから、理彩に視線を向けた。
「仲原さんはこれまで業務として携わっていない仕事を回しているから、戸惑う事が多いと思うけど大丈夫かしら?」
その問い掛けに理彩は不機嫌な様子などは見せず、不敵とさえ思える笑顔で応じる。
「課長の仰る通り畑違いの業務内容で戸惑う事が多いですが、まだ事務処理業務が主ですから。企画立案や営業関連の仕事も、これからどんどん回して頂いて構いません」
「頼もしいわね。じゃあ習得ペースを見ながら、少しずつ配分していきますから。分からない事が有ったら何でも周りに聞いて頂戴」
「はい。宜しくお願いします」
神妙に真澄に加え、周囲の年長者達に向かって理彩が頭を下げると、周りも揃って笑顔で鷹揚に頷いた。
「こちらこそ宜しく」
「いや~、本当に最近、二課の業務処理能力が上がったよな~」
「穀物・食品流通関係はうちは弱かったから、瀬上君が詳しくて助かってるよ」
「恐れ入ります」
引き抜かれた当初は、課長である真澄や二課のメンバーに関して色々思う所があった二人ではあったが、実際に一緒に仕事をしていく上で二課の力量を認めざるを得ず、この頃になると現状を受け入れてすっかり二課に馴染んでいた。
それは二課の人間としては喜ぶべき状況ではあるが、ここで若干腹の虫が収まらない人間が約一名存在していた。
「なぁっにが『どんどん回して下さい』よ。二課に来て開口一番『課長を腰巾着共々叩き落とす』とかほざいたくせに、白々しいったらないわね」
「しぃっ! 藤宮、もう少し声を小さくしろ、他の人間に聞こえるだろうがっ!」
瀬上と理彩が異動して以来、二人が真澄と城崎から指導を受ける頻度が多かった為、美幸は比較的冷静に他の人間に付いて業務を見て貰ったり、指導して貰っていた。しかし内心では相当鬱憤が溜まっていたらしく、乾杯直後からビールを飲むペースが早く、宴の開始からそう時間を経ずにやさぐれた雰囲気を醸し出してくる。
勿論そんな危険性を想定していた城崎は、主役二人を長机の真ん中に座らせ、その向かいに真澄と自分の席をセットした上で、美幸の席を端にして横の高須にフォローを頼んでおいた。頼まれた高砂は思わず溜め息を吐いたものの、城崎の気苦労は十分察せられていた為、黙って頷いて現状に至るのだった。
「藤宮、以前はどうあれ、今は二人とも二課の一員として頑張ってくれてるんだから、波風を立てる事は言うなよ? 同じ職場で働く者として、最低限のマナーだろう」
「事実じゃないですかぁ~。職場に居場所が無くなって追い出されたのも、片思いしてる相手追い掛けるなんて不純な動機で職場を変わったのもぉ~。な~にをしおらしい事言ってるんだか」
早くも酔いが回ってきたらしい美幸に、高須がギリギリ他に聞こえない声量で叱りつける。
「おまっ! それ以上余計な事は何も言うな、黙れ! 事実だからって何を言っても良いわけじゃ無いぞ。後は暫く烏龍茶にしておけ」
「い~や~で~す~」
「藤宮!」
押し付けられた烏龍茶のグラスを高須に押し返し密かに二人で揉めながら、美幸は視界の片隅で理彩が城崎と笑顔で何やら話し込んでいるのを認めた瞬間、理性の糸がブチ切れた。
(はっ! 移って来たばかりの頃はあんなに気まずそうにしてたくせに。別れて嫌な思いするなら職場恋愛なんかしなきゃ良いのに。それにあっさりよりを戻せるなら、そもそも別れんな!)
そこで僅かに相手を睨みつけながら、美幸は低い声で凄んだ。
「高須先輩……」
「何だ?」
「時々、同期の連中が口にしてるんですがね~」
「だから何だ?」
「なんっで職場恋愛なんて、つっまんなくてくっだらない物に憧れるのかな~って思ってたんですが、そんな事言う奴がつっまらなくてくっだらない人間だったからですよねぇ~。やぁあっと分っかりましたぁ~」
「おいっ! 藤宮っ!」
いきなり個室内に響き渡る大声で美幸が言い放った内容に、室内全員が動きを止め、無言で美幸を凝視した。その中で城崎が、多少興味深そうに美幸の様子を窺う。
(そう言えば、この前社内恋愛が認められないとか、考えられないとか言ってたな。その後何となく詳しく問い詰める機会がなかったが、ひょっとしたら今その理由が聞けるか?)
そこで明らかに自分に対する当て擦りだと分かっている理彩が、気色ばんで美幸に声をかけた。
「へえぇ? つまらなくてくだらない、ねぇ……。そう思う根拠を、是非とも聞かせて貰いたいわ」
「いいですよぉ? すぐ上の姉が職場恋愛して職場結婚して、一年経たないうちに浮気されて離婚して出戻って来たもので」
「…………」
いきなり深刻な内容を口にされ、流石に理彩が次の言葉を口にできずに黙り込むと、周囲の者達も二人を窘めようと開きかけた口を閉じ、互いの顔を見合わせた。そんな気まずい空気の中、美幸が独り言の様に話を続ける。
「昔から姉妹の中で、一番下の美野姉さんとは折り合いが悪くて……、いえ、悪いって言うか、一方的に目の敵にされてたんです」
「どうして?」
「姉妹の中で、私が一番可愛くて賢かったからです」
「…………」
思わず問いかけた真澄に美幸が真顔で答えた。それにどう反応して良いか咄嗟に分からなかった真澄を初め、全員が無言を貫く。しかし一瞬遅れて、美幸がへらっと笑った。
「って言うのは~、半分冗談なんですがぁ~」
「じゃあ半分は本気で言ったのかよ!?」
頭痛を覚えながら高須が(この酔っ払いが!!)と怒鳴りつけたいのを堪えていると、美幸が軽く息を吐いてからぼそぼそと話を続けた。
「私の名前だけ父が付けたので、父は私だけベタ可愛がりしてたんです。それで小さな頃から三歳上の美野姉さんがひがんでて。一緒に遊ばないし玩具は取り上げるしで、母や上の姉達に怒られて悪循環って奴です。まあ、客観的に見て、さっきも言いましたが私の方が可愛いし頭も良いので、ひがむ気持ちが分からないでもないですが」
「……俺はお前みたいな妹を持った、そのお姉さんに同情する」
思わず正直な感想を口にした高須だったが、美幸は聞こえなかったかふりをした。
「私が課長に助けて貰った後『将来は柏木産業に入って、柏木さんが社長になった時に支えてあげるの』と言ってたら、『美幸に何ができるの。所詮会社組織なんて男社会なんだから。余所の会社でつまらない事務仕事をする位なら、お父さんの会社に入って、将来お父さんを助けてくれる将来有望な人を捕まえて結婚するのが、親孝行ってものじゃないの?』と鼻で笑われたんですよ。今思い出してもムカつくぅぅ~っ!!」
「お、おいっ! だからペースが早いぞ! 無茶な飲み方するなっ!!」
(何か、どっちもどっちって気が……)
(間違い無く姉妹だな。両極端っぽいが)
(ある意味、お姉さんの意見にも一理あるんだがな~)
怒りがぶり返してしまったらしく、後半口調をヒートアップさせて勢いよくジョッキを傾けてビールを飲む美幸の飲みっぷりに、年長者達は思わず拍手を送った。そして半分ほど残っていた中身を一気に飲み干し、テーブルに乱暴にジョッキを置いてから、美幸が尚も続ける。
「美野姉さんはその宣言通り父の会社に入社して、将来を嘱望されていた人と一昨年職場結婚したんです。あの時の高笑いが、今でも忘れられません」
「高笑いって……、気のせいじゃ無いのか?」
「ですが先程お話しした様に、入籍したものの披露宴も済ませないうちに去年離婚して出戻って来たんです。相手は社長の娘と離婚して、社内で立場が無くなって退職しましたし。父の助けになるどころか、有望株を退職させた上、父の顔に泥を塗るなんて何考えてるのよ! 別れた後に互いに気まずい思いをするなら、社内恋愛なんかしなきゃ良いじゃない!! 自分勝手で傍迷惑にも程があるわっ!!」
「おい、こら! 手酌で飲むなっ!」
手近に有った徳利に手を伸ばし、勢いよく中身をグラスに空け始めた美幸を見て高須は焦って止めにかかったが、ここで不思議そうに真澄が口を挟んできた。
「……それで、その一番下のお姉さんとは、未だに仲が悪いの?」
「そうです。だって私と張り合って有望株と職場結婚したくせに、結局上手くいかなくて別れるなんて。不純だし情けないと思いませんか?」
美幸は同意を求めたが、ここで真澄は安易に頷いたりはしなかった。
「でも……、藤宮さんとお姉さんは元々あまり交流が無さそうだし、結婚と離婚の詳しい経緯を、きちんと直に聞いている訳では無いんじゃない?」
「それは……、確かに実家に戻ってからも、あまり打ち解けて話とかはしていませんし、離婚に関する話も親や他の姉達から簡単に聞いただけですが……」
先程までの強い口調が鳴りを潜め、状況を思い返しながら美幸が答えると、真澄は小さく息を吐いてから口を開いた。
「藤宮さんはお姉さんが打算的に社内恋愛して職場結婚をしたみたいに考えている様だけど、本当の所はどうなのかしら?」
「と仰いますと?」
真顔で問い掛けてきた真澄に美幸が幾分不思議そうに問い返すと、真澄は言葉を選びながら続けた。
「そういう話って、当事者にしか分からない事があると思うの。案外職場内で有望な人を見つけて結婚した訳じゃ無くて、偶々好きになった人が同じ会社の将来有望な人だったかもしれないわよ? だから幸運が重なって嬉しくて、藤宮さんにも喜んで貰いたくてつい自慢する様な口調になってしまったとか」
「どうしてそんなに姉の肩を持つんですか?」
些か気分を害した様に美幸が口を挟むと、真澄は軽く笑いながらその理由を告げた。
「別に肩を持っている訳では無いし、これは私の勘に過ぎないんだけどね。藤宮さんのお姉さんなら、そんなに打算的な結婚をする人間には思えないのよ。藤宮さんは素直で真っ直ぐな人だし、それに」
「嬉しいっ! 課長にそんな風に誉めて頂くなんて光栄ですっ!!」
「そ、そう? きゃあぁっ!」
真澄の話の途中で美幸が膝立ちになって歓喜の叫びを上げたと思ったら、素早く立ち上がって座卓の中央部分に走り寄り、真澄に抱き付く様にして飛び付いた。勢い余って座ったままの姿勢で美幸もろとも真澄が倒れ、周りが焦って二人を引き剥がしにかかる。
「藤宮! 課長を押し倒すな!!」
「高須! ちょっとその酔っ払いを引き剥がせ!」
「もうちょっと加減しなさいよ!」
何人かで二人を引き剥がし、美幸も幾らか冷静になって座りなおしたが、改めて目の前に座っている真澄を見ながら、疑わしい表情で反論らしき事を口にした。
「でも、姉と私を褒めて頂いたのは光栄なんですが、浩一課長と仲が良い課長には、姉がひがんだり、その上で兄弟関係を有効に保とうとする心境なんて理解できないと思うんですが」
しかし引き合いに出された真澄は、困った様に苦笑いで応じた。
「う~ん、それは何となく分かる気がするけどね。実は私、小さい頃は浩一が大嫌いだったし」
「は? どうしてですか?」
休憩時間などで顔を合わせれば、いつも和やかに会話している上司達の姿を何度も目撃していた美幸は目を丸くして問い返したが、それは周囲の者達も同様で、無言で二人の会話の流れを見守った。そんな中、真澄が小さく肩を竦めてから話し始める。
「私、親の初めての子供で、祖父母には初孫で、もうちやほやされてお姫様状態だったのよ。それなのに二歳の時に浩一が産まれて、やれ跡取りができた柏木は安泰だって父と祖父が浮かれまくって、私に全然構わなくなったのよね。母は当然浩一に付きっきりだし。周囲の環境がガラッと変わって、それがストレスに繋がったのか、暫く原因不明の熱を出した位なの」
(うわ、精神的な奴ですか?)
(課長、流石に子供の頃は繊細だったんですね)
その場に居た者は、そんな余計な感想など勿論口には出さず、黙って真澄の話の聞き役に徹した。
「それでその時世話をしてくれたのが、祖母と十一歳しか離れていない叔母で、お祖母さんっ子で叔母さんっ子になっちゃったのよ。だから今でも父と祖父には、当たりが結構キツいの」
「当然ですよ!」
「そんな訳で自分から浩一に近付いたり、一緒に遊んだり世話なんか全くしなかったんだけど、浩一が歩ける様になったら時々私の後を追いかけて来る様になってね。鬱陶しくて仕方が無かったわ」
思わず合いの手を入れた美幸に苦笑いしながら真澄がそう告げると、当初の驚きが幾分収まってきた面々が不思議そうに言い出す。
「……浩一課長を毛嫌いしている課長ですか。想像出来ないんですが」
「でも今は姉弟仲は普通に良いですよね」
「何か契機になる事があったんですか?」
その問いかけに、真澄は何かを思い返す様な表情になりながら話を再開した。
「まあね。あれは多分……、私が五歳で浩一が三歳位かしら? いつもの様に浩一が纏わりついてきて。その時は生憎、纏まった来客があって、母は勿論祖母や叔母まで対応に終われていたから、ちょっと二人で遊んでいなさいと言われたの」
「それで仲良く遊んで打ち解けて、ですか?」
「まさか。庭で遊ぼうって誘い出して、邸内に一人で戻れない様に植え込みの中に引きずり込んで、置き去りにして逃げ出したのよ。浩一は迷子になってビィビィ泣き始めてね」
(課長……、やっぱり鬼だ)
(自宅の庭で迷子って、どれだけだよ)
(浩一課長、小さい頃から苦労してたんだな……)
思わず揃って項垂れた男達に気が付かないまま、真澄は話を続けた。
「それで浩一が泣き出したのを聞いて溜飲が下がって邸内に戻ろうとした所で、浩一がもの凄い悲鳴を上げたの。その後は何も聞こえてこないから流石に心配になって探してみたら、浩一の足首に全長が五十センチ位の細い蛇が巻き付いてて、その恐怖で腰を抜かしてたのよ」
「それでどうしたんですか?」
思わず興味をそそられた城崎が口を挟むと、真澄が事もなげに告げた。
「蛇の頭を掴んで浩一から引っ剥がして、地面に叩き付けて頭を足で踏みつぶしてから植え込みの向こうに放り投げたわ」
「…………」
それを聞いた城崎は(聞くんじゃなかった……)と激しく後悔したが、他の者も同様に何とも言い難い表情で押し黙った。そんな中、真澄が話を纏めにかかる。
「それを浩一はびっくりした顔で固まって見てたけど、蛇を放り投げてから『もう大丈夫だから泣かないの。男でしょ!』って叱りつけたら『ねぇね、だいすき~。ずっということきく~』って抱き付いてわんわん泣き出したから『しょうがないわね。じゃあちゃんと私の言うことを聞くなら守ってあげる』って言って宥めて、それから浩一が私の後ろから離れなくなったの。今思えば、あれが色々拙かったのかもしれないけど……」
(課長達の力関係が、如実に分かるエピソードだな……)
(もう刷り込みだ、刷り込み)
(浩一課長、下手したらトラウマになってるんじゃ……)
ブツブツと何やら考え込み始めた真澄から視線を逸らしつつ、その場の殆どの者は浩一に対して憐憫の情を覚えた。しかし美幸はうんうんと頷きつつ、あっけらかんと感想を述べる。
「なるほど……、じゃあ課長達が一見仲良さげに見えるのは、浩一課長がそれで課長に対する下僕意識を植え付けられちゃった結果なんですね~」
それを聞いた真澄は、反射的に顔を引き攣らせた。
「下僕……、って、あのね。確かに小さい頃はそうだったかもしれないけど、中学の頃からは交友関係も広がって私にくっ付いている事も無くなったし、自己主張とかも普通にする様になったから」
「そっ、そうですよね?」
「やっぱり性別が違うと、交友関係も違うよな」
「変な事言うなよ、藤宮!」
「はぁ~? どこが変だって言うんですか~?」
(だからお前はもう少し考えて物を言え!)
何とかフォローしようと懸命になっている周囲をよそに続く、美幸の傍若無人な発言に流石に高須が本格的に頭痛を覚え始めると、何とか気を取り直した真澄が話の流れを変えた。
「えっと……、かなり話が逸れたけど、要は兄弟姉妹って、順当に考えれば親子よりも長い時間関わり合うわけだから、私としては身近な人間が、些細な感情の行き違いで兄弟と仲違いしている状況は気になってしまうの。世の中にはもっと深刻な事が原因で、絶縁したり生き別れになったりする親兄弟だっているんだし」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものよ。それに社内恋愛をして結婚したお姉さんの結婚生活が偶々うまくいかなかったからって、社内恋愛が全く受け入れられないっていうのも、硬直した考え方だと思うわ。幾らプライベートでも、仕事並みに考え方は柔軟にしましょうね」
「はぁ……」
すこぶる真剣な表情で言い聞かせてくる真澄から何か感じ取れる物があったのか、美幸はそれ以上反論したりごねたりせず、首を捻りながらも素直に頷いた。それを見て周りが安堵の溜め息を吐く。
(流石課長……、あの藤宮を言いくるめるなんて)
(課長だからできたって事も言えるがな)
(課長が凄腕の猛獣使いに見えてきた)
そして美幸は少し無言で考え込んでから、酔っているとは思えないしっかりとした口調で宣言した。
「分かりました。課長の仰る様に、見方を変えてみます。機会があったら差し障りが無い程度に、姉からも少し話を聞いてみようと思います」
「そう? それなら良かったわ」
真澄も自然と笑顔になったが、ここで止せば良いのに美幸が満面の笑顔で上司を褒め称える。
「でも流石課長ですよね! その懐の深さ、その見識、とても三十路の方の物とは思えません!」
「…………」
「おいっ、藤宮!」
ピシッと真澄の笑顔が固まり、それと察した高須が慌てて美幸の腕を掴んで引っ張ったが、美幸は自分なりの真澄賛辞の言葉を更に続けた。
「あ、勿論貫禄は、既に社長以上ですからっ!」
「…………ありがとう」
ニコニコと断言した美幸に、真澄が引き攣った笑みのまま礼を述べると、ここで高須が大声で美幸に迫った。
「ほら、藤宮、すっきりした所で酒飲め酒! こっちで好きなだけ飲ませてやるから!」
高須が片手で美幸の腕を引っ張りつつ、もう片方の手で日本酒の入ったグラスを差し出すと、美幸は嬉々として身を乗り出しながらそれを受け取る。
「やったー! もう烏龍茶は嫌ですからねっ!」
「もうそんなもん飲ません! さっさと酒かっくらって落ちやがれ!」
「は~い、いっただっきま~す」
元通り隅の席に移動し、黙らせる為に半ば自棄になってガンガン酒を勧める高須と、上機嫌で次々酒を飲み干していく美幸から視線を外し、城崎は微妙に空気が重くなっている隣に目を向けた。
「……課長?」
「何? 城崎さん」
静かに飲んでいた真澄がテーブルに視線を落としたまま問い返すと、城崎が言葉を選びながら先程の美幸の発言をフォローしようと試みた。
「その……、課長の見識や貫録は確かに並みの三十代以上ですが、外見は十分二十代で通」
「中途半端な気遣いは無用よ、城崎さん」
「……申し訳ありません」
如何にも不機嫌そうにぶった切られた城崎は神妙に頭を下げ、それを見た周囲は揃って溜め息を吐いた。
(ああ、珍しく城崎君まで失言を……)
(珍しいな、彼が要らん事言いだなんて)
(やっぱり最近心労が増えていそうだな……)
そんな周囲の心配通り、城崎の受難と気苦労はこの日を境に加速度的に増大していくのだった。
「瀬上さん、仲原さんお疲れ様。色々バタバタして歓迎会が九月にずれ込んでしまって、申し訳無かったわ」
すると瀬上が飲んでいたジョッキから口を離し、苦笑いしながら応じた。
「いえ、異動早々存分に働かせて頂いてますから、正直そんなに日数が経った様に感じていませんでした」
「あら……、それってひょっとして嫌味?」
同様に小さく笑いながら真澄がビール瓶を瀬上に向けると、瀬上が恐縮気味にジョッキを差し出し、お酌をして貰いながら笑みを深くする。
「とんでもない。今まで以上に本領を発揮できて、光栄だと言ったつもりなのですが」
「それなら良かったわ」
それに真澄は笑顔で小さく頷いてから、理彩に視線を向けた。
「仲原さんはこれまで業務として携わっていない仕事を回しているから、戸惑う事が多いと思うけど大丈夫かしら?」
その問い掛けに理彩は不機嫌な様子などは見せず、不敵とさえ思える笑顔で応じる。
「課長の仰る通り畑違いの業務内容で戸惑う事が多いですが、まだ事務処理業務が主ですから。企画立案や営業関連の仕事も、これからどんどん回して頂いて構いません」
「頼もしいわね。じゃあ習得ペースを見ながら、少しずつ配分していきますから。分からない事が有ったら何でも周りに聞いて頂戴」
「はい。宜しくお願いします」
神妙に真澄に加え、周囲の年長者達に向かって理彩が頭を下げると、周りも揃って笑顔で鷹揚に頷いた。
「こちらこそ宜しく」
「いや~、本当に最近、二課の業務処理能力が上がったよな~」
「穀物・食品流通関係はうちは弱かったから、瀬上君が詳しくて助かってるよ」
「恐れ入ります」
引き抜かれた当初は、課長である真澄や二課のメンバーに関して色々思う所があった二人ではあったが、実際に一緒に仕事をしていく上で二課の力量を認めざるを得ず、この頃になると現状を受け入れてすっかり二課に馴染んでいた。
それは二課の人間としては喜ぶべき状況ではあるが、ここで若干腹の虫が収まらない人間が約一名存在していた。
「なぁっにが『どんどん回して下さい』よ。二課に来て開口一番『課長を腰巾着共々叩き落とす』とかほざいたくせに、白々しいったらないわね」
「しぃっ! 藤宮、もう少し声を小さくしろ、他の人間に聞こえるだろうがっ!」
瀬上と理彩が異動して以来、二人が真澄と城崎から指導を受ける頻度が多かった為、美幸は比較的冷静に他の人間に付いて業務を見て貰ったり、指導して貰っていた。しかし内心では相当鬱憤が溜まっていたらしく、乾杯直後からビールを飲むペースが早く、宴の開始からそう時間を経ずにやさぐれた雰囲気を醸し出してくる。
勿論そんな危険性を想定していた城崎は、主役二人を長机の真ん中に座らせ、その向かいに真澄と自分の席をセットした上で、美幸の席を端にして横の高須にフォローを頼んでおいた。頼まれた高砂は思わず溜め息を吐いたものの、城崎の気苦労は十分察せられていた為、黙って頷いて現状に至るのだった。
「藤宮、以前はどうあれ、今は二人とも二課の一員として頑張ってくれてるんだから、波風を立てる事は言うなよ? 同じ職場で働く者として、最低限のマナーだろう」
「事実じゃないですかぁ~。職場に居場所が無くなって追い出されたのも、片思いしてる相手追い掛けるなんて不純な動機で職場を変わったのもぉ~。な~にをしおらしい事言ってるんだか」
早くも酔いが回ってきたらしい美幸に、高須がギリギリ他に聞こえない声量で叱りつける。
「おまっ! それ以上余計な事は何も言うな、黙れ! 事実だからって何を言っても良いわけじゃ無いぞ。後は暫く烏龍茶にしておけ」
「い~や~で~す~」
「藤宮!」
押し付けられた烏龍茶のグラスを高須に押し返し密かに二人で揉めながら、美幸は視界の片隅で理彩が城崎と笑顔で何やら話し込んでいるのを認めた瞬間、理性の糸がブチ切れた。
(はっ! 移って来たばかりの頃はあんなに気まずそうにしてたくせに。別れて嫌な思いするなら職場恋愛なんかしなきゃ良いのに。それにあっさりよりを戻せるなら、そもそも別れんな!)
そこで僅かに相手を睨みつけながら、美幸は低い声で凄んだ。
「高須先輩……」
「何だ?」
「時々、同期の連中が口にしてるんですがね~」
「だから何だ?」
「なんっで職場恋愛なんて、つっまんなくてくっだらない物に憧れるのかな~って思ってたんですが、そんな事言う奴がつっまらなくてくっだらない人間だったからですよねぇ~。やぁあっと分っかりましたぁ~」
「おいっ! 藤宮っ!」
いきなり個室内に響き渡る大声で美幸が言い放った内容に、室内全員が動きを止め、無言で美幸を凝視した。その中で城崎が、多少興味深そうに美幸の様子を窺う。
(そう言えば、この前社内恋愛が認められないとか、考えられないとか言ってたな。その後何となく詳しく問い詰める機会がなかったが、ひょっとしたら今その理由が聞けるか?)
そこで明らかに自分に対する当て擦りだと分かっている理彩が、気色ばんで美幸に声をかけた。
「へえぇ? つまらなくてくだらない、ねぇ……。そう思う根拠を、是非とも聞かせて貰いたいわ」
「いいですよぉ? すぐ上の姉が職場恋愛して職場結婚して、一年経たないうちに浮気されて離婚して出戻って来たもので」
「…………」
いきなり深刻な内容を口にされ、流石に理彩が次の言葉を口にできずに黙り込むと、周囲の者達も二人を窘めようと開きかけた口を閉じ、互いの顔を見合わせた。そんな気まずい空気の中、美幸が独り言の様に話を続ける。
「昔から姉妹の中で、一番下の美野姉さんとは折り合いが悪くて……、いえ、悪いって言うか、一方的に目の敵にされてたんです」
「どうして?」
「姉妹の中で、私が一番可愛くて賢かったからです」
「…………」
思わず問いかけた真澄に美幸が真顔で答えた。それにどう反応して良いか咄嗟に分からなかった真澄を初め、全員が無言を貫く。しかし一瞬遅れて、美幸がへらっと笑った。
「って言うのは~、半分冗談なんですがぁ~」
「じゃあ半分は本気で言ったのかよ!?」
頭痛を覚えながら高須が(この酔っ払いが!!)と怒鳴りつけたいのを堪えていると、美幸が軽く息を吐いてからぼそぼそと話を続けた。
「私の名前だけ父が付けたので、父は私だけベタ可愛がりしてたんです。それで小さな頃から三歳上の美野姉さんがひがんでて。一緒に遊ばないし玩具は取り上げるしで、母や上の姉達に怒られて悪循環って奴です。まあ、客観的に見て、さっきも言いましたが私の方が可愛いし頭も良いので、ひがむ気持ちが分からないでもないですが」
「……俺はお前みたいな妹を持った、そのお姉さんに同情する」
思わず正直な感想を口にした高須だったが、美幸は聞こえなかったかふりをした。
「私が課長に助けて貰った後『将来は柏木産業に入って、柏木さんが社長になった時に支えてあげるの』と言ってたら、『美幸に何ができるの。所詮会社組織なんて男社会なんだから。余所の会社でつまらない事務仕事をする位なら、お父さんの会社に入って、将来お父さんを助けてくれる将来有望な人を捕まえて結婚するのが、親孝行ってものじゃないの?』と鼻で笑われたんですよ。今思い出してもムカつくぅぅ~っ!!」
「お、おいっ! だからペースが早いぞ! 無茶な飲み方するなっ!!」
(何か、どっちもどっちって気が……)
(間違い無く姉妹だな。両極端っぽいが)
(ある意味、お姉さんの意見にも一理あるんだがな~)
怒りがぶり返してしまったらしく、後半口調をヒートアップさせて勢いよくジョッキを傾けてビールを飲む美幸の飲みっぷりに、年長者達は思わず拍手を送った。そして半分ほど残っていた中身を一気に飲み干し、テーブルに乱暴にジョッキを置いてから、美幸が尚も続ける。
「美野姉さんはその宣言通り父の会社に入社して、将来を嘱望されていた人と一昨年職場結婚したんです。あの時の高笑いが、今でも忘れられません」
「高笑いって……、気のせいじゃ無いのか?」
「ですが先程お話しした様に、入籍したものの披露宴も済ませないうちに去年離婚して出戻って来たんです。相手は社長の娘と離婚して、社内で立場が無くなって退職しましたし。父の助けになるどころか、有望株を退職させた上、父の顔に泥を塗るなんて何考えてるのよ! 別れた後に互いに気まずい思いをするなら、社内恋愛なんかしなきゃ良いじゃない!! 自分勝手で傍迷惑にも程があるわっ!!」
「おい、こら! 手酌で飲むなっ!」
手近に有った徳利に手を伸ばし、勢いよく中身をグラスに空け始めた美幸を見て高須は焦って止めにかかったが、ここで不思議そうに真澄が口を挟んできた。
「……それで、その一番下のお姉さんとは、未だに仲が悪いの?」
「そうです。だって私と張り合って有望株と職場結婚したくせに、結局上手くいかなくて別れるなんて。不純だし情けないと思いませんか?」
美幸は同意を求めたが、ここで真澄は安易に頷いたりはしなかった。
「でも……、藤宮さんとお姉さんは元々あまり交流が無さそうだし、結婚と離婚の詳しい経緯を、きちんと直に聞いている訳では無いんじゃない?」
「それは……、確かに実家に戻ってからも、あまり打ち解けて話とかはしていませんし、離婚に関する話も親や他の姉達から簡単に聞いただけですが……」
先程までの強い口調が鳴りを潜め、状況を思い返しながら美幸が答えると、真澄は小さく息を吐いてから口を開いた。
「藤宮さんはお姉さんが打算的に社内恋愛して職場結婚をしたみたいに考えている様だけど、本当の所はどうなのかしら?」
「と仰いますと?」
真顔で問い掛けてきた真澄に美幸が幾分不思議そうに問い返すと、真澄は言葉を選びながら続けた。
「そういう話って、当事者にしか分からない事があると思うの。案外職場内で有望な人を見つけて結婚した訳じゃ無くて、偶々好きになった人が同じ会社の将来有望な人だったかもしれないわよ? だから幸運が重なって嬉しくて、藤宮さんにも喜んで貰いたくてつい自慢する様な口調になってしまったとか」
「どうしてそんなに姉の肩を持つんですか?」
些か気分を害した様に美幸が口を挟むと、真澄は軽く笑いながらその理由を告げた。
「別に肩を持っている訳では無いし、これは私の勘に過ぎないんだけどね。藤宮さんのお姉さんなら、そんなに打算的な結婚をする人間には思えないのよ。藤宮さんは素直で真っ直ぐな人だし、それに」
「嬉しいっ! 課長にそんな風に誉めて頂くなんて光栄ですっ!!」
「そ、そう? きゃあぁっ!」
真澄の話の途中で美幸が膝立ちになって歓喜の叫びを上げたと思ったら、素早く立ち上がって座卓の中央部分に走り寄り、真澄に抱き付く様にして飛び付いた。勢い余って座ったままの姿勢で美幸もろとも真澄が倒れ、周りが焦って二人を引き剥がしにかかる。
「藤宮! 課長を押し倒すな!!」
「高須! ちょっとその酔っ払いを引き剥がせ!」
「もうちょっと加減しなさいよ!」
何人かで二人を引き剥がし、美幸も幾らか冷静になって座りなおしたが、改めて目の前に座っている真澄を見ながら、疑わしい表情で反論らしき事を口にした。
「でも、姉と私を褒めて頂いたのは光栄なんですが、浩一課長と仲が良い課長には、姉がひがんだり、その上で兄弟関係を有効に保とうとする心境なんて理解できないと思うんですが」
しかし引き合いに出された真澄は、困った様に苦笑いで応じた。
「う~ん、それは何となく分かる気がするけどね。実は私、小さい頃は浩一が大嫌いだったし」
「は? どうしてですか?」
休憩時間などで顔を合わせれば、いつも和やかに会話している上司達の姿を何度も目撃していた美幸は目を丸くして問い返したが、それは周囲の者達も同様で、無言で二人の会話の流れを見守った。そんな中、真澄が小さく肩を竦めてから話し始める。
「私、親の初めての子供で、祖父母には初孫で、もうちやほやされてお姫様状態だったのよ。それなのに二歳の時に浩一が産まれて、やれ跡取りができた柏木は安泰だって父と祖父が浮かれまくって、私に全然構わなくなったのよね。母は当然浩一に付きっきりだし。周囲の環境がガラッと変わって、それがストレスに繋がったのか、暫く原因不明の熱を出した位なの」
(うわ、精神的な奴ですか?)
(課長、流石に子供の頃は繊細だったんですね)
その場に居た者は、そんな余計な感想など勿論口には出さず、黙って真澄の話の聞き役に徹した。
「それでその時世話をしてくれたのが、祖母と十一歳しか離れていない叔母で、お祖母さんっ子で叔母さんっ子になっちゃったのよ。だから今でも父と祖父には、当たりが結構キツいの」
「当然ですよ!」
「そんな訳で自分から浩一に近付いたり、一緒に遊んだり世話なんか全くしなかったんだけど、浩一が歩ける様になったら時々私の後を追いかけて来る様になってね。鬱陶しくて仕方が無かったわ」
思わず合いの手を入れた美幸に苦笑いしながら真澄がそう告げると、当初の驚きが幾分収まってきた面々が不思議そうに言い出す。
「……浩一課長を毛嫌いしている課長ですか。想像出来ないんですが」
「でも今は姉弟仲は普通に良いですよね」
「何か契機になる事があったんですか?」
その問いかけに、真澄は何かを思い返す様な表情になりながら話を再開した。
「まあね。あれは多分……、私が五歳で浩一が三歳位かしら? いつもの様に浩一が纏わりついてきて。その時は生憎、纏まった来客があって、母は勿論祖母や叔母まで対応に終われていたから、ちょっと二人で遊んでいなさいと言われたの」
「それで仲良く遊んで打ち解けて、ですか?」
「まさか。庭で遊ぼうって誘い出して、邸内に一人で戻れない様に植え込みの中に引きずり込んで、置き去りにして逃げ出したのよ。浩一は迷子になってビィビィ泣き始めてね」
(課長……、やっぱり鬼だ)
(自宅の庭で迷子って、どれだけだよ)
(浩一課長、小さい頃から苦労してたんだな……)
思わず揃って項垂れた男達に気が付かないまま、真澄は話を続けた。
「それで浩一が泣き出したのを聞いて溜飲が下がって邸内に戻ろうとした所で、浩一がもの凄い悲鳴を上げたの。その後は何も聞こえてこないから流石に心配になって探してみたら、浩一の足首に全長が五十センチ位の細い蛇が巻き付いてて、その恐怖で腰を抜かしてたのよ」
「それでどうしたんですか?」
思わず興味をそそられた城崎が口を挟むと、真澄が事もなげに告げた。
「蛇の頭を掴んで浩一から引っ剥がして、地面に叩き付けて頭を足で踏みつぶしてから植え込みの向こうに放り投げたわ」
「…………」
それを聞いた城崎は(聞くんじゃなかった……)と激しく後悔したが、他の者も同様に何とも言い難い表情で押し黙った。そんな中、真澄が話を纏めにかかる。
「それを浩一はびっくりした顔で固まって見てたけど、蛇を放り投げてから『もう大丈夫だから泣かないの。男でしょ!』って叱りつけたら『ねぇね、だいすき~。ずっということきく~』って抱き付いてわんわん泣き出したから『しょうがないわね。じゃあちゃんと私の言うことを聞くなら守ってあげる』って言って宥めて、それから浩一が私の後ろから離れなくなったの。今思えば、あれが色々拙かったのかもしれないけど……」
(課長達の力関係が、如実に分かるエピソードだな……)
(もう刷り込みだ、刷り込み)
(浩一課長、下手したらトラウマになってるんじゃ……)
ブツブツと何やら考え込み始めた真澄から視線を逸らしつつ、その場の殆どの者は浩一に対して憐憫の情を覚えた。しかし美幸はうんうんと頷きつつ、あっけらかんと感想を述べる。
「なるほど……、じゃあ課長達が一見仲良さげに見えるのは、浩一課長がそれで課長に対する下僕意識を植え付けられちゃった結果なんですね~」
それを聞いた真澄は、反射的に顔を引き攣らせた。
「下僕……、って、あのね。確かに小さい頃はそうだったかもしれないけど、中学の頃からは交友関係も広がって私にくっ付いている事も無くなったし、自己主張とかも普通にする様になったから」
「そっ、そうですよね?」
「やっぱり性別が違うと、交友関係も違うよな」
「変な事言うなよ、藤宮!」
「はぁ~? どこが変だって言うんですか~?」
(だからお前はもう少し考えて物を言え!)
何とかフォローしようと懸命になっている周囲をよそに続く、美幸の傍若無人な発言に流石に高須が本格的に頭痛を覚え始めると、何とか気を取り直した真澄が話の流れを変えた。
「えっと……、かなり話が逸れたけど、要は兄弟姉妹って、順当に考えれば親子よりも長い時間関わり合うわけだから、私としては身近な人間が、些細な感情の行き違いで兄弟と仲違いしている状況は気になってしまうの。世の中にはもっと深刻な事が原因で、絶縁したり生き別れになったりする親兄弟だっているんだし」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものよ。それに社内恋愛をして結婚したお姉さんの結婚生活が偶々うまくいかなかったからって、社内恋愛が全く受け入れられないっていうのも、硬直した考え方だと思うわ。幾らプライベートでも、仕事並みに考え方は柔軟にしましょうね」
「はぁ……」
すこぶる真剣な表情で言い聞かせてくる真澄から何か感じ取れる物があったのか、美幸はそれ以上反論したりごねたりせず、首を捻りながらも素直に頷いた。それを見て周りが安堵の溜め息を吐く。
(流石課長……、あの藤宮を言いくるめるなんて)
(課長だからできたって事も言えるがな)
(課長が凄腕の猛獣使いに見えてきた)
そして美幸は少し無言で考え込んでから、酔っているとは思えないしっかりとした口調で宣言した。
「分かりました。課長の仰る様に、見方を変えてみます。機会があったら差し障りが無い程度に、姉からも少し話を聞いてみようと思います」
「そう? それなら良かったわ」
真澄も自然と笑顔になったが、ここで止せば良いのに美幸が満面の笑顔で上司を褒め称える。
「でも流石課長ですよね! その懐の深さ、その見識、とても三十路の方の物とは思えません!」
「…………」
「おいっ、藤宮!」
ピシッと真澄の笑顔が固まり、それと察した高須が慌てて美幸の腕を掴んで引っ張ったが、美幸は自分なりの真澄賛辞の言葉を更に続けた。
「あ、勿論貫禄は、既に社長以上ですからっ!」
「…………ありがとう」
ニコニコと断言した美幸に、真澄が引き攣った笑みのまま礼を述べると、ここで高須が大声で美幸に迫った。
「ほら、藤宮、すっきりした所で酒飲め酒! こっちで好きなだけ飲ませてやるから!」
高須が片手で美幸の腕を引っ張りつつ、もう片方の手で日本酒の入ったグラスを差し出すと、美幸は嬉々として身を乗り出しながらそれを受け取る。
「やったー! もう烏龍茶は嫌ですからねっ!」
「もうそんなもん飲ません! さっさと酒かっくらって落ちやがれ!」
「は~い、いっただっきま~す」
元通り隅の席に移動し、黙らせる為に半ば自棄になってガンガン酒を勧める高須と、上機嫌で次々酒を飲み干していく美幸から視線を外し、城崎は微妙に空気が重くなっている隣に目を向けた。
「……課長?」
「何? 城崎さん」
静かに飲んでいた真澄がテーブルに視線を落としたまま問い返すと、城崎が言葉を選びながら先程の美幸の発言をフォローしようと試みた。
「その……、課長の見識や貫録は確かに並みの三十代以上ですが、外見は十分二十代で通」
「中途半端な気遣いは無用よ、城崎さん」
「……申し訳ありません」
如何にも不機嫌そうにぶった切られた城崎は神妙に頭を下げ、それを見た周囲は揃って溜め息を吐いた。
(ああ、珍しく城崎君まで失言を……)
(珍しいな、彼が要らん事言いだなんて)
(やっぱり最近心労が増えていそうだな……)
そんな周囲の心配通り、城崎の受難と気苦労はこの日を境に加速度的に増大していくのだった。
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