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猪娘の躍動人生

篠原皐月

4月 社内の暗闘、名門の伝統

 美幸が企画推進部第二課に配属になった日。業務終了後、部長と打ち合わせが有った真澄を残し、美幸の歓迎会の為、他の二課の面々は揃って柏木産業近くのビルの地下に入っている居酒屋に移動した。
 美幸の次に若い、幹事役の高須が店員に名前を告げると、奥まった広めの個室に通され、各自適当な場所に落ち着く。そして各人にビールが配られると、高須から促されたその場では最年長の村上が、乾杯の音頭を取った。


「それでは、企画推進第二課の新しいメンバーである、藤宮美幸君の今後の活躍を期待して、乾杯」
 そして歓迎の言葉と共に、ジョッキを打ち合せる音が響く。


「乾杯」
「頑張ってね」
「宜しく」
「はいっ! 頑張りますので、こちらこそ宜しくお願いします!」
 にこにこと愛想良く笑いつつ頭を下げる美幸に、座卓の斜め向かい側から、清瀬がしみじみと言い出した。


「いや~、本当に二課って社内で評判悪いから、なかなか配属希望者がいなくて慢性的に人手不足でね。藤宮さんが入ってくれて嬉しいよ」
「あ、何かそうみたいですね~。初期研修中に希望を取られた時も、ここを希望してたのは私だけだったみたいです。競争率が少ないと言うか、ライバルが皆無でラッキーでした!」
「は、はは……、ラッキー、ね」
 満面の笑みでそう告げられ、清瀬は次にどういう言葉を続けて良いのか迷い、曖昧に頷いた。すると美幸の横から、高須が幾分心配そうに尋ねてくる。


「因みにさぁ、藤宮。ここが社内でそんなに人気が無い訳、知ってるのか?」
「今日、お昼を食べながら同期の人達に聞きました。皆さん全然そうは見えないですけど、不倫とか横領とか恐喝とか傷害とか、色々問題を起こされてるんですよねっ?」
 あっけらかんと答えられ、高須が思わず顔を引き攣らせる。


「……ああ、もう知ってるんだ」
「『されてるんですよねっ?』って……」
「その同期の人達から、ここについて、他に何か言われなかったのかな?」
 川北に尚も尋ねられ、美幸は慎重にその時の会話を思い返してみる。


「何か、色々言われましたね。えっと、『今からでも遅くないから、転属希望を出せ』とか。それにここが『産業廃棄物処理場みたいな職場』だとか、『柏木産業の掃き溜め』とか。その他には……、ああ、『面汚しリストラ課』とかも言っ、あぁぁぁっ!?」
「何だ?」
「どうかしたのか? 藤宮さん!」
「そんな大声を出して!?」
 いきなり大声を張り上げて、手にしていたジョッキを座卓に叩きつける様に置いた美幸に、一同は揃って驚いて尋ねたが、美幸は自分の胸の位置で両手を組み合わせ、感極まった様に満面の笑みで叫んだ。


「たった今、気が付きました! 『掃き溜めに鶴』って、まさに課長の事を言い表している言葉ですねっ!? 凄い、ぴったりっ!」
 それから中空を見据えたまま、真澄を賛美する言葉を呟く美幸に、他の者は無言になった。


(うわ、何かさり気なく酷い事言われたな、俺達)
(自分もその掃き溜めの一員って、分かってるのか? この子)
(初めてできた後輩が《これ》かよ)
(城崎君、何とか言ってくれ)
 年長者からの懇願の視線を受けて、高須とは反対側の美幸の隣に位置していた城崎が、溜息を一つ吐いてから美幸に声をかけた。


「藤宮さん」
「はい、何でしょうか、係長」
 素直に即座に振り向いた美幸に若干たじろぎながら、城崎は慎重に言い出した。


「その、同期の方達からの言葉の様に、悪し様に言われても一々反論出来ないしする気も有りませんが、藤宮さんはどうですか?」
「すみません、どういった意味でしょう?」
「つまりこの課に在籍していると、社内からあなたもそういう目で見られかねないと言う事です」
「そんな事ですか。全然OKです」
 半ばその返答を予想していたものの、城崎は一応理由を尋ねてみた。


「課長の下で働けるからですか?」
「それが一番の理由ですけど、私、割と生存本能高いですから。今日一日でだいぶ分かりました」
「藤宮さん……、できればもう少し、他人に分かる様な話し方をして貰えるかな?」
 理由になっていない事を平然と言われた城崎は頭を抱えたくなったが、真澄は真顔で続けた。


「だって皆さん、悪い人じゃ無いですよ? 今日一日二課に居ても、ピリピリ来なかったですから」
「何だ、そのピリピリってのは……」
 思わず高須が口を挟むと、美幸は背後に向き直って淡々と告げる。


「えっとですね、私、危ない人とか自分に悪意を持った人が近くに来ると、本能的に分かるんです。その感覚が丸一日皆無でしたから。だから以前がどうあれ、皆さん揃って柏木課長の有能な部下ですよ? それ以上でも以下でもありません」
「……便利だな」
「はい。人生、色々得しています」
「…………」
 半分呆れながら高須が感想を述べたが、それに美幸が笑って頷く。それで高須は再度沈黙した。


(おい、今度は超常現象系か?)
(認めて貰ったのは嬉しいが、何か引っ掛かるものが……)
(何にしろ、ただ者じゃ無いな)
 そんな周囲の空気に疲労感を深めつつ、城崎は気力を振り絞って話を続行させる。


「それでは藤宮さん。社内での二課の位置付けに言及した所で、今後の注意事項を一つ、言っておきたいんだが」
「拝聴します」
 すかさず城崎の方に向き直って姿勢を正した美幸に、城崎はどこか探る様に言い出した。


「さっきの話をした同期の人の中に、営業一課の人はいなかったかな?」
「居ましたが、どうして分かるんです?」
「うちの事をそこまでクソミソに言うのは、あそこ位だから。あそことは犬猿の仲、と言うか、向こうが一方的にこちらを敵視しているから」
 そう言って思わず溜息を吐いた城崎に、美幸が怪訝な視線を向ける。


「どうしてですか?」
「あそこの柏木浩一課長は、うちの課長の実弟なんだ」
「じゃあ、姉弟仲が悪いんでしょうか?」
 尤も可能性のありそうな事を美幸は口にしてみたが、城崎は苦笑しながら首を振った。


「いや、姉弟仲は至って良好。だけど、課長が二課の課長に就任した直後はさすがに無理だったけど、半年後の決算からうちは新規契約数、売上高共にトップの座を他に譲っていないんだ。それが一課の連中と、浩一課長を推すお偉方は面白く無いらしい」
「うちの会社は上半期下半期、それぞれ営業利益トップの部署には、ボーナス支給額二割増しの特典を設けているからな。他の部署からはやっかまれるし、浩一課長を次期社長にって考えてるオヤジ達には、現場でバリバリ実績を出している課長が、目障りで仕方ないんだよ」
 背後から忌々しげに高須が説明を加えると、それを聞いた途端美幸は激昂した。


「何ですかそれはっ!? 浩一課長ってのがどんな人かは知りませんが、課長以上に社長に相応しい人なんか存在しませんよっ!!」
「まあ、それはそれとして。ただでさえそんな風に常に非友好的な関係なんだから、営業一課との揉め事は極力避ける事」
 そう言って美幸を宥めつつ、言い聞かせようとした城崎だったが、美幸が不穏な事を呟く。


「寧ろ『課長を馬鹿にするな』と、ぶちかましてやりたいです。初期研修中に色々情報収集しているうちに知りましたが、係長は有段者で、それもかなりの腕前なんですよね?」
「確かに有段者だが……、どこからどうやってそんな情報を……」
「柏木課長の直属の部下の方の基本情報位、押さえておくのは当然です。時間が無くて、他の皆さんの脛傷情報までは押さえられませんでしたが」
「…………」
 真顔で告げる美幸に、室内全員が押し黙った。そこで尚も彼女が主張する。


「本当に悔しいです。私が係長位上背があって有段者だったら、課長を卑下する奴らなんか、闇討ちして有無を言わさずボッコボコに」
「藤宮さん?」
 それまでの知的で穏やかな空気を霧散させた城崎に、細目で眼光鋭く睨み付けられた美幸は、一瞬生命の危機を感じてしまい、盛大に顔を引き攣らせつつ頷いた。


「実行しませんし、口外もしません。気をつけます。係長、顔が怖いです。女性にモテませんよ?」
「…………」
「藤宮……、お前はもう少し言葉遣いに気をつけろ」
 城崎は全体的には整った顔立ちながら生まれつき目つきが悪く、一部の熱狂的な女性ファン達からは『ストイックで魅力的』とか言われているものの、大抵の男性社員からは『愛想が無い』とか『極道顔』とかの陰口を叩かれていた。それを本人が密かに気にしている事を知っている高須が、思わず口を挟んで美幸を窘める。それで気を取り直した城崎は、美幸への注意事項を続けた。


「それから、新人とは言え、藤宮さんはもうれっきとした課長の部下です。藤宮さんの失態は課長の失態になりますので、くれぐれも社内外で問題は起こさない様にして下さい」
 それを神妙な顔で聞いた美幸は、小さく首を傾げてから確認を入れた。


「それは逆に言えば、私が結果を出せば、それは課長の業績に繋がるわけですよね?」
「それは、勿論そう」
「よぉぉっし、やるわよぉぉっ!! 営業一課なんて木っ端微塵に粉砕して、絶対に課長を社長に据えて見せるんだから!」
 城崎の台詞を遮り、美幸が拳を振り上げながら力強く宣言すると、高須がすかさず叱りつけた。


「だから、言葉を選べって言ってるだろ! 間違っても社内でそんな事を喚くな!!」
「大丈夫ですよ。心の中だけで思う事にしますから」
「信用できねぇぇっ!」
「高須先輩、『鰯の頭も信心から』って言いますよ?」
「それ、絶対使い方間違ってるぞ」
「そうでしたっけ?」
 ああだこうだと言い合い始めた若手二人に、年長者達は懸念と疲労感を滲ませた視線を向けた。


「大丈夫かね、彼女」
「何とか教育します」
 額を押さえつつ呻くように城崎が告げると、周りから苦笑混じりの声がかけられる。


「頑張れ、係長」
「その年で、中間管理職の悲哀が漂うとは気の毒に」
「皆さんが引き受けてくれるなら、俺はいつでも降りますよ?」
 半ば本気で城崎が口にしたが、周囲は笑って取り合わなかった。


「冗談だろう? 今更私達が、管理職になれるわけは無いさ」
「そうそう、今では気楽なヒラ社員生活を満喫しているんだから」
「俺達が足で稼ぐから、係長はどっしり構えていてくれ」
「城崎君以外に、課長の下でここを纏められる人材は居ないさ」
「…………」
 口々に宥める様に言われ、確かに自分以外にこのポジションに就ける人間が居ない事を再認識した城崎は、黙って溜め息を吐いた。
 上の者達がそんな話をしている間に、それなりに社内の事などで話が盛り上がっていた若手二人組だったが、高須が改めて感心した様に言い出した。


「しっかし本当に凄い執念だよな。課長と一緒に働きたいからって、柏木産業にまで追い掛けてくるとは。うちはそれなりに、競争率あるんだぜ?」
「だってあの盗撮犯を捕まえた時の凛々しさもそうでしたけど、課長の事をあの時一緒にいた先輩に『五代目冠名の君の《紅薔薇の真澄様》よ』って教えて貰って、過去のDVDを見て、惚れ直しちゃいましたから。大学時代に、色々資格も取って頑張りました!」
 そう言って上機嫌でビールを煽った美幸に、高須が眉を寄せつつ問いを発した。


「ちょっと待て、何だ? その《紅薔薇の真澄様》って」
 聞き慣れない単語を耳にして、高須以外の者も反射的に美幸に目を向けたが、室内全員の視線を集めた美幸は、冷静に話し出した。


「私と課長の母校の桜花女学院では、毎年文化祭が開催されるんですけど、その非公開の前日祭で《桜花の君選抜大会》が開催されるんです」
「何だそれ。……要するにミスコンとか?」
「意味合いはちょっと違いますね。各組から一名選出された代表が、特技を披露したりして自分をアピールして、全生徒が一番良いと思った人間に投票して、得票一位の人がその文化祭での《桜花の君》になるんです」
「はぁ……、確かに女の子同士で投票するなら、ミスコンとは違うかもな」
 半ば納得しながらも、まだ疑問を覚えながら高須が曖昧に促すと、美幸が説明を続けた。


「その中でも特に三年連続で《桜花の君》に輝いた人は、特別に殿堂入りして花に因んだ冠名が与えられた上、生徒会室に永久に写真が飾られます。課長は《紫蘭の碧子》様、《白椿の暁子》様、《睡蓮の香苗》様、《芙蓉の真沙美》様に続く五人目の方なんです。桜花女学院創立以来百二十年の歴史の中で、まだ冠名を持つ方は六人しか居ないんですよ?」
「へぇ……、何か、色々な意味で凄いな」
 鼻高々で真澄の自慢をした美幸に、高須は僅かに顔を引き攣らせながら何とか言葉を返したが、年長者達は経験の差で美幸の説明に突っ込みを入れた。


「あれ? 今、六人って言わなかった?」
「課長で五人目って事は、もう一人花の名前が付いた人が居るんだよね?」
 するとそれを聞いた美幸は幾分恥ずかしそうに頬を染め、俯き加減で付け加えた。


「その……、自分で言うのは恥ずかしいのですが……。私が六代目の《鈴蘭の美幸》の冠名を拝領しました。それで課長との運命を、再認識した次第です」
 その場全員が(聞くんじゃ無かった)と後悔したが、好奇心に負けた高須が、恐る恐るその意図する所を尋ねた。


「藤宮、何でその名前で、課長との運命を感じるんだ?」
 すると美幸が顔を上げ、高須に嬉々として説明する。
「だって鈴蘭って毒がありますから。課長がその棘で邪魔者をザクザクと刺して弱った所で、私の毒でトドメを刺す。完璧じゃないですか?」
「…………」
 ニコニコと同意を求められたが、高須は固く口を閉ざした。そして目で(誰かこいつをどうにかして下さい……、お願いします)と懇願すると、それを察した林がひとまず話題を逸らそうと、美幸に声をかけた。


「因みに藤宮さんは、その《桜花の君選抜大会》とやらで、どんな特技を披露したのかな?」
 すると美幸が真顔で答えた。


「一年の時は水芸をして、二年の時は二十畳程の大きさの紙を使った紙切りで、校舎とクラスメートが並んでいる姿を切り抜いて、三年の時は薙刀で藁人形をバッサバッサと切り捨てました」
 あまりの規格外の返答に再び室内が静まり返り、思わずと言った感じで高須が呟く。


「…………マジ?」
「はい。毎年クラス総出で準備して貰いました。三年の時はただ切り捨てるだけじゃつまらないので、藁人形の中に紙吹雪を仕込んだり、衣装のレオタードの腰の左右に、ヒラヒラ広がる様にギャザーを寄せた布を縫い付けて貰ったり」
 それを聞いた面々は、揃って引き攣った笑みを浮かべた。


「はは、クラス代表だからか」
「団結力が凄いねぇ」
「高三って……、受験とかはあまり関係無いんだね」
 そんな反応をものともせず、美幸の説明が続く。


「当日はロックのリズムに合わせて、左右から藁人形を放り投げて貰って、散らかしたゴミを回収して貰って。その合間にバトントワリングの要領で、複数の薙刀を空中に飛び交わせて貰って。『忘れられない一生の思い出ができて良かったわ』って、皆喜んでいました」
「それは……、忘れられないだろうね」
「名門女子校って……、中で何をやってんだよ」
 半ば呆れながら溜め息を吐いた者が殆どの中、ここで枝野が素朴な疑問を口にした。


「そうすると、参加者は全員そんな風に大掛かりな事をするのかい?」
「いえ、私は力量不足を皆の団結力でカバーして貰っただけで……。勿論多かれ少なかれクラスメートのサポートを受ける方が殆どですが、単身で挑む方もいらっしゃいます。《芙蓉の真沙美様》の独唱はお見事でした。その道に進んでも見事に名声を博しておりますし、流石です。ご存知ありませんか? 如月真沙美の名前で、オペラ歌手と活躍されているんですが」
 それを聞いて、今度は殆どの者が掛け値無しに驚きの表情を浮かべた。


「あ、あの如月真沙美!?」
「確か留学先でデビューして、本場の第一線で活躍してる彼女の事か!?」
「彼女も、桜花女学院出身だったのか」
 そんな茫然自失状態の面々を尻目に、美幸が陶酔気味に続ける。


「課長の《あれ》もお見事でした。間違っても私に《あれ》はできません。だからより一層、課長に付いて行こうと固く心に誓ったんです」
「藤宮さん、《あれ》って何だい?」
 何気なく加山が尋ねると、美幸はまるで「待ってました!」と言わんばかりに身を乗り出しつつ、嬉々として説明を始めた。


「うふふふふっ……、あの時の感動を誰とも共有したくなくて、今まで秘密にしていましたが、同じ課長の部下になった訳ですから、特別皆さんに教えちゃいますね? それはですね」
 そして満面の笑みで美幸が語り始めてから約十分後、やっと業務を終わらせた真澄がその場に合流した。


「ごめんなさい、遅くなったわね。皆、今日は私の奢りだから遠慮なく飲んでね?」
 個室の襖を開けるなり、申し訳無さそうに声をかけてきた真澄に、美幸がすかさず反応した。


「あ、課長! お疲れ様ですっ! こちらにどうぞ!」
「ありがとう」
「すみませ~ん! 中ジョッキ一つお願いします!」
「………………」
 空いている席を勧めつつ、如才なく真澄を案内してきた店員に追加注文を入れた美幸に苦笑しながら真澄が席に着いたが、何故か他の者達は黙って真澄の顔を生温かい視線で見やった。主役である美幸と二・三の言葉を交わしてから流石に真澄も異常に気付き、不思議に思って問い掛ける。


「皆、どうかしたの? 黙りこくって」
 その問いに、全員不自然に真澄から視線を逸らしながら、ボソボソと呟いた。


「いえ、何でも……」
「人は見掛けによらないと言うか、ある意味納得と言うか」
「名門女子校ライフって、結構ハードなんですね」
「お気楽そのものと思ってて、申し訳ないです」
「はい? 皆、具合でも悪いの? 何となく顔色が悪いし変よ?」
 益々怪訝な顔になった真澄だったが、ここで美幸が解説を入れた。


「あ、大丈夫です。皆、課長の高校時代の勇姿を聞いて、感動のあまり言葉を失ってるだけですから」
「高校時代って、藤宮さん? まさか……」
 激しく嫌な予感に襲われた真澄が、強張った顔で腰を浮かしながら尋ねると、美幸は自慢気に告げた。


「はい! 課長が《桜花の君選抜大会》で三年に渡って披露した《あれら》を、皆さんに委細漏らさず説明して差し上げました! 現物の画像を見て頂けないのが、本当に残念です!」
 すると勢い良く立ち上がった真澄が血相を変えて美幸の元に走り寄り、その両肩を鷲掴みにしつつ狼狽しながら問い質した。


「何で、どうして年の離れた藤宮さんが、《あれ》を知っているの!? 毎年の記録媒体は、生徒会室の金庫で保管されていて、一般生徒は閲覧禁止の筈でしょう!?」
「どうしても課長の勇姿を直に見たいと思って、生徒会長に立候補して就任したんです。就任後、真っ先に歴代の皆様の華麗、かつ荘厳さ溢れる記録を見させて貰いました!」
「…………」
 力強く宣言した美幸の肩を掴んだまま、真澄は無言で項垂れた。それを見て、美幸が不思議そうに尋ねる。


「課長? どうかしたんですか?」
「……それで? 皆に一部始終を語って聞かせたと?」
「はい」
 俯いたままの真澄の静かな声に、他の者達はこれまでの付き合いで危険な物を察知したが、美幸はまだそこまで判断出来なかった。そんな美幸に向かって、真澄は低い声で言い聞かせる。


「良いこと? 私の高校時代の事は、以後口にする事は厳禁よ? これは業務命令です。分かったわね?」
「えぇ? あの、でも、私、課長の勇姿を是非とも他の人に自慢」
「他の部署に飛ばされたい?」
 いきなりドスの利いた声で最後通牒を告げられた美幸は、弾かれた様に何度も頭を上下に振り、涙目で誓った。


「わっ、分かりましたっ! 口が裂けても言いませんっ!」
「宜しい。皆さんも、先程聞いた事は、綺麗さっぱり記憶から消去して下さい」
 美幸の反応を取り敢えず良しとし、周囲の者達を真澄は振り返ったが、薄笑いを浮かべた彼女のその目が全く笑っていないのが丸分かりの面々は、揃って殊勝に頷いた。


「……分かりました」
「何も聞いてないです」
「お待たせしました! 中ジョッキご注文の方?」
「あ、私よ、ありがとう」
 その時、タイミング良く店員が真澄の分と次の料理を運んできた為、真澄は愛想笑いでそれを受け取り、その後は何事も無かったかの様に歓迎会は続行された。
 しかし現実から目を逸らしながらも、美幸以外の面々の心の中では(これから、本当に大丈夫なのか?)という漠然とした不安が、その後もくすぶっていた。



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