ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(8)策謀の気配

 アルティナが本格的に警備のローテーションに組み込まれてから何日かして、後宮内の同じ場所でリディアと組んで歩哨に立つ事になった。
 そこは後宮内でも王妃が住まう右翼に通じる通路の入口であり、二人一組の勤務で邪魔が入らない事もあって、色々思う所がある相手でもこの機会に親交を深めてみようと、アルティナは果敢に話しかけてみた。


「ええと……、リディア副隊長?」
「……何?」
 その鋭い眼光に、微妙に引き攣った笑顔を見せながら、アルティナは問いかけた。


「その……、副隊長が近衛騎士団に入ってから、何年になるんですか?」
「八年ね。それが何か?」
「そうですか。ベテランなんですね」
 しかし何気なく誉めたつもりの言葉は、早速リディアのイラツボを突いた。


「嫌み? 行き遅れとか言いたいわけ?」
「いえいえ、滅相もありません!」
「それなら黙っていなさい」
「……はい」
 会話開始直後で撃沈したアルティナは、それ以上下手に食い下がる事はせず、黙ってリディアの様子を窺った。


(とりつく島もないわね。副隊長だし、それなりに友好関係を築きたいんだけど)
 どうしたものかと考え込んでいるうちに呆気なく時が過ぎ、交代要員がやって来てしまった。


「交代です。お二人とも、休憩を取って下さい」
「ありがとうございます」
「じゃあ後は宜しく」
 やって来た二人組に頭を下げて立ち去ろうとしたアルティナだったが、そこで呼び止められた。


「あ、アルティナさん。隊長が休憩中に、隊長室に顔を出して欲しいと仰ってました」
「そうですか。分かりました」
「やっぱりお嬢様だと、周囲が過保護みたいね。大方シャトナー副隊長辺りが、隊長室で待ってるんじゃないの?」
「それは無いかと思いますが……」
 茶々を入れてきたリディアに、アルティナは控え目に否定してみたが、彼女の舌鋒の鋭さは変わらなかった。


「はっ! 初日から人目をはばからずに食堂でベタベタしてたくせに、何を言ってるのよ。馬鹿馬鹿しい」
「それはちょっと誤解があるかと。それでリディアさん、良かったら一緒に昼食を」
「はぁ!? あんた今、何か言った?」
「……いえ、何でもありません」
 鋭く怒鳴りつけてから、険しい表情で足音荒く立ち去ったリディアを、やって来た二人は呆気に取られて見送ったが、アルティナも無言で肩を落とした。


(やっぱり初日のあれで、色々反感を買ってるみたい……。ケインの馬鹿。本当にろくでもないわね!)
 アルティナはそんな八つ当たりをしながら食堂に向かい、無事に昼食を済ませてから、管理棟の隊長室に出向いた。


「隊長。アルティナ・シャトナー、参りました」
「ご苦労様、入って下さい」
「失礼します」
 ノックをしながらお伺いを立て、了解を得て室内に入ると、隊長用の机の前に一客の椅子が置かれていた。それを見たアルティナは早々に呼ばれた理由を悟ったが、気が付かないふりでナスリーンに尋ねる。


「隊長、何かご用ですか?」
「ええ、ちょっとあなたに話があって。取り敢えず、そちらの椅子に座って貰えますか?」
「はい」
「それでですね、話と言うのは……」
 アルティナが椅子に腰掛けると同時に、ナスリーンがさり気なく机上に置いてあった例の爪やすりを手にした為、彼女は密かに気合いを入れた。


(う、やっぱりきた……。これはそれらしく、上手くやらないと)
 そして予想に違わず、ギュイキキキキキィーッと激しく耳障りな音が生じた為、最大限に顔を顰めて悲鳴を上げる。


「……っ!? きゃあ! いやぁぁっ!」
 両耳を押さえて嫌がってみせたアルティナは、すぐに目を閉じてがくりと両手を下ろし、上半身を椅子の背もたれに預けた。それから少しの間、室内に静寂が漂ってから、ナスリーンが慎重に彼女に声をかける。


「……アルティン?」
 その呼び掛けに、アルティナはきちんと答えてみせた。
「大丈夫です、ちゃんと入れ替わっています」
「そうですか……。アルティナは本当にあの音が、心底嫌いで苦手なのね。さっきの嫌がりよう……、本当に申し訳ないわ」
「そんな事より、私を呼び出した理由は何でしょうか?」
 アルティナが時間を無駄にせず、話の先を促すと、ナスリーンも気持ちを切り替えて目下の懸念事項を口にした。


「そうですね。さっさと話を終わらせましょう。あなたの意見を聞かせて下さい。三日前にパーデリ公爵から、白騎士隊への入隊希望者の推薦状が届けられました」
「拝見します」
 机越しに差し出されたそれを立ち上がって受け取り、ざっと目を通したアルティナは、苦々しい口調で感想を述べた。


「推薦人の名前が完全に予想通りで、ある意味興醒めですね」
「私も同感ですが、正式に提出された以上、検討しなければいけません」
「そうですね。ですがこの書類には経歴が無記載で、名前と生年月日と出身地しか書いていないのですが……。他の書類はどちらに? 一体、どんな方ですか?」
「それ以外の情報はありません」
「は? そんな筈はありませんよね? 仮にも推薦状なんですから」
 自身もアルティンとして隊長職に在った時、各方面からの推薦状を精査して捌いていたアルティナは、その異常さに思わず問い返した。するとナスリーンが、渋面になりながら付け加える。


「至急、緑騎士隊に調査をお願いしましたら、出身地が同じで、普段は国境付近の街道で仕事をしている、同じ名前の女傭兵が存在している事が分かりました」
 淡々と報告された内容を聞いて、アルティナはさすがに驚き、ナスリーンに詰め寄った。


「ちょっと待って下さい。確かに近衛騎士団は貴族だろうが平民だろうが、入団試験を受ける事ができますが、それは王宮に出仕しても不都合のない出自と最低限度の教養を、貴族からの推薦状で保証されているからでは無いのですか? 傭兵暮らしの人間に、それが可能ですか?」
 その非難混じりの指摘に、ナスリーンが苦々しい顔のまま頷く。


「普通でしたら自家の家名を落とす様な、力量の無い者や怪しげな者を推挙する筈がありませんが。少なくてもパーデリ公爵は、この方の教養と出自はともかく、力量は相当買っているのでしょう。自家の評判を落としても構わないと思われる程度には」
 冷静にそんな事をナスリーンが告げた為、アルティナは彼女が言わんとする事を悟った。


「入隊試験を……、されるのですか?」
「しなくてはいけませんね。正式な推薦状ですから」
「予定は?」
「明後日に設定しました」
 そこまで聞いたアルティナは、無礼と分かっていながら盛大に舌打ちし、ナスリーンに語気強く訴えた。


「当日は副隊長には何か他の任務を与えて、私を入隊試験の試験官にして下さい」
「いえ、アルティン」
「そのつもりで、呼ばれましたよね? 今更、撤回なさらないで下さい」
「ですが、やはり……」
「アルティナには怪しまれないように、試合直前に先程と同様に入れ替わります。そして無事終わったら最後に転んで頭を打って、試合中の恐怖も相まって、その前後だけ記憶が抜けたと説明すれば大丈夫でしょう」
「アルティン……」
 しかしまだ逡巡しているナスリーンに、アルティナは真顔で言い聞かせた。


「もし、試合中にあなたに何かあれば、すぐにリディア副隊長に白騎士隊の指揮権が移ります。彼女の背後が現時点ではっきりしない以上、あなたに不測の事態が起きる事だけは、絶対に避けるべきです。ご自分の立場を考えて下さい」
 そう説得されたナスリーンは、頷く事しかできなかった。


「分かりました。あなたにお願いします。ただし、くれぐれも注意して下さい」
「肝に銘じておきます。それに伴って、ナスリーン殿には面倒な仕事を一つお願いしたいのですが」
「何でしょう、『面倒な仕事』とは?」
「事後報告だとケインが絶対に怒るので、私が傭兵相手にアルティナを装いながら、真剣勝負をする旨を説明して、その了承を取って頂きたいのです」
 その途端、先程までとは種類の異なる緊張が、ナスリーンの顔に走った。


「……事前に報告しても、確実に激怒すると思います。下手したら傭兵相手に戦う事より、そちらの方がよほど難しいかもしれません」
「すみません」
「分かりました。団長の威光に縋って、何とか宥めてみましょう」
「お願いします」
 思わず弱音を吐いたナスリーンだったが、すぐに苦笑してアルティナの要求を受け入れた。


(当日に横槍を入れられたりしたら、色々面倒だしたまらないもの)
 切実にそんな事態は回避したいと思いながら、アルティナはお伺いを立ててみた。


「それではナスリーン隊長。話がそれだけなら、私はそろそろ引っ込みますが」
「そうですね。ご苦労様です」
 それを受けてアルティナは再び椅子に座って目を閉じ、眠る真似をした。それを確認してから少し時間を置いて、ナスリーンが静かにアルティナの肩を揺すりながら、声をかけてみる。


「アルティナ、大丈夫ですか?」
「……っ、え? 私は、何を」
 ゆっくり目を開けて、ぼんやりとした視線を周囲に向けるアルティナに、ナスリーンは申し訳無さそうに事情を説明した。


「すみません、アルティナ。あなたは先程この音に驚いて、気を失ってしまったみたいなの。そんなに嫌いだとは、知らなかったものだから」
 例のガラス製の爪やすりを手にしながらナスリーンが告げた為、アルティナも慌てて謝罪した。


「いえ、私の方こそ、たかがやすりの音位で動揺してしまって、申し訳ありません。仮にも近衛騎士団の一員ですのに、恥ずかしいです」
「いえ、誰にでも苦手な物はあるでしょうから。実は考え事をしながら、これで爪を削るのが私の癖で。大抵は大丈夫ですが、時々手元が狂ってしまってあんな耳障りな音が出てしまうものだから。今後は気を付けます」
「はぁ、分かりました……」
 そしてアルティナが頷いたところで椅子に戻ったナスリーンは、落ち着き払って話を始めた。


「それより、あなたにお願いしたい事があります」
「はい、何でしょうか?」
「今度、白騎士団隊への入隊希望者に対する試験を実施しますが、その時にあなたが希望者と手合わせをして下さい」
 それは『アルティナ』としては寝耳に水の話であり、彼女は大袈裟に驚いてみせた。


「わ、私がですか!? でもそういうのは、普通隊長とか副隊長がするものではないんですか?」
「確かにそうですが今回私は審判を兼ねて、じっくり観察したいのです。副隊長はその日、王妃陛下の外出の随行員の予定ですし。それに私が対戦相手では難易度が高いと、最近某所から団長にクレームが入ったそうです。ですから入隊したばかりの貴女から一本取れる様なら、近衛騎士団に入隊する力量としては問題ないと判断しようかと思いまして」
 そんなもっともらしい説明を受けて、アルティナは少々考え込むふりをしてから頷いた。


「なるほど……、分かりました。そういう事でしたら、お引き受けします」
「それでは詳しい事は、改めて後ほど伝えます。もう下がって良いですよ?」
「失礼します」
 そうして平然と別れた二人だったが、それぞれ一人になってから「取り敢えず、アルティナに不審がられてはいないみたいね」「特に隊長が、疑念を覚えた様子は無かったわね」と、密かに互いに胸を撫で下ろしていた。







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