ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(17)跳ね馬の面目躍如

 上級女官就任が決まってから、何かと忙しく日々を過ごしていたアルティナだったが、いよいよ王宮入りする三日前に、屋敷で複数の客人を出迎える事となった。


「皆様ようこそ、お待ちしておりました」
「アルティナ様、本日はお招き頂き、ありがとうございます」
 部屋で待機していた彼女が、執事に呼ばれて玄関ホールに出向くと、ケインの他に六人の男女が顔を揃えていたのを認めて、笑顔で歩み寄った。しかし落ち着き払って挨拶を返したのはナスリーンのみで、他の者は一斉に戸惑った表情で、ぼそぼそと呟く。


「は、はぁ……」
「どうも……」
「本日はお招きに預かりまして……」
「いえ、こちらこそ皆様の都合も確認せずに、急にご招待した形になって、申し訳ありません。ケインが『仮にも近衛騎士団勤務になるのだから、予め各隊長にご挨拶も兼ねて、アルティナを紹介する席を設けなければ』などと言い出しまして」
 恐縮気味に頭を下げたアルティナだったが、戸惑いながらも近衛騎士団団長のバイゼルが、一同を代表して発言した。


「今日は偶々、皆が本部に顔を揃えていた上に、全員夜に用事も無かったので、ご心配なく」
「それなら良かったですわ」
 そこでナスリーンが進み出て、アルティナに袋を手渡す。


「アルティナ様。丁度良いと思って、この前寸法を合わせた制服を、一着だけ持参して参りました。後は宿舎の部屋を整えましたら、そちらに収納しておきますので」
「ありがとうございます。ですがナスリーン様、今後は部下になるのですから、私の事はアルティナと呼んで頂いて結構ですよ?」
「アルティナ様は、まだ部下ではありませんから。勿論、部下になったら、遠慮なくそう呼ばせて頂きます」
「はい、宜しくお願いします。それでは皆様、こちらへどうぞ」
 受け取った荷物を執事に渡したアルティナは、ナスリーンと連れ立って移動を開始した。そして楽しげに話している女二人の後に付いて男達も移動を開始したが、黒騎士隊隊長のチャールズが、ケインに囁いてくる。


「おい、ケイン。確かに顔はアルティンと酷似しているが、どう見ても普通の女性にしか見えないんだが?」
「あの話は本当なのか?」
「俺達を担ごうとしていたら、承知せんぞ?」
 直属の上司に加えて、他の隊長達も疑惑に満ちた表情で詰め寄ってきた為、ケインは呆れ気味に溜め息を吐いてから言い返した。


「私がつまらない嘘を吐く必要はありませんよ。取り敢えず食事中は、彼女の事はアルティナとして接して下さい」
「なんだかなぁ……」
 首を捻った赤騎士隊隊長のエルマーを筆頭に、男達はまだ若干納得しかねる顔付きだったが、そのまま全員、おとなしく来客用の食堂に移動した。


 それからケインによって互いの紹介がなされ、アルティナが初対面のふりを装って挨拶してからは、何事も無く食事が開始された。
 シャトナー家の面々はいつもの食堂で別に食事をしており、近衛騎士団の隊長達の中にアルティナが混ざっている状態では、当初は色々ぎこちなかったが、アルティンが隊長だった時の話が出た途端大いに盛り上がり、あっという間に食べ終えた。


「アルティナ、今日のお茶はどうだろうか」
「ええ、この前と同じ様に、珍しいお茶なのね。随分、香りが独特。でもこの前程きつくはないし、美味しいわ」
「そうか。それは良かった」
(全く、もう少し面倒くさくない設定にできなかったのかしら。こうなると自分の浅はかさ加減が恨めしいわ)
 心底うんざりしながらお茶を飲み終え、チラチラと自分の様子を窺いながら世間話をしているケインや他の面々の視線を感じつつ、アルティナはできるだけ自然に見える様に瞼を閉じて、椅子の背もたれに寄り掛かった。そして少ししてから、ケインが耳元で囁いてくる。


「アルティナ? 眠ったか?」
 それを合図に、アルティナはゆっくりと目を開け、半ば本気で呆れながら苦言を呈した。


「……何を間抜けな事を言っている。団長達が呆れているぞ」
「しかしこういう場合、何と言ったら良いんだ?」
 そのケインの困惑には答えず、彼女はテーブルを囲んでいる面々を見回し、アルティンの口調で挨拶した。


「団長、皆様、お久しぶりです。この度はわざわざこちらの屋敷に出向いて頂き、ありがとうございます。ケインから私と王太子妃殿下周辺に関する話は、お聞きの事かとは思いますが」
 それにバイゼルが、溜め息を吐いてから応じる。


「ああ……。妃殿下に関する話はともかくとしてお前に関する内容は、正直ナスリーンの口添えがあっても、今まで半信半疑だったがな」
「非常識にも程がある存在になってしまい、誠に申し訳ありません。加えて至急、かつ内密な話をしたかったもので」
「その話は、近衛騎士団の執務棟でも不可能と言う事か? 穏やかでは無いな」
「それは後程、ご説明致します」
 そこでかつての直属の部下に向き直ったアルティナは、真剣な表情で謝罪の言葉を口にした。


「カーネル。引継ぎも無く、急に後を任せて申し訳なかった。色々大変だったと思う。仕事上、支障は無かっただろうか?」
 その問いにカーネルは背筋を正し、緊張した面持ちで応じた。


「確かに、少々隊内で混乱があった事は事実ですが、それは既に収束しておりますし、以前からの業務を滞りなく進めております。ご安心下さい」
「そうか。カーネルに任せておけば大丈夫だと思っていたが、それを聞いて安心した。これからも頑張ってくれ」
「隊長……、順当に逝くなら、私の方が遥かに先だった筈ですのに」
 アルティナが笑顔で激励すると、感極まったらしい彼がじわりと涙腺を緩ませて呟いたが、それを聞いた彼女は一回り以上年上の相手を、苦笑しながら窘めた。


「カーネル。今の緑騎士隊隊長はお前だ。私を隊長呼ばわりするな」
「ですが」
「それよりも、ケイン経由で頼んでいた内容は、全て調べ終えているか?」
「……はい、勿論です。こちらをご覧下さい」
 アルティナがかつての顔と口調で尋ねてきた内容に、カーネルも余計な感傷は瞬時に打ち消して仕事の顔に戻った。そして封筒に入れて持参してきた何枚かの書類をテーブルの上に出し、全員が見える様に広げる。


「カーネル隊長、これは?」
 怪訝な顔で尋ねてきた青騎士隊長のガウェインに、カーネルが淡々と内容を説明した。


「ケイン殿から例のお話を伺った時点で、二件の調査を依頼されました。まず一つはパーデリ公爵とグリーバス公爵の他に、ラグランジェ国と通じている貴族のあぶり出し。もう一点は、それらの家から近衛騎士団に推薦されて入団している者のリストアップです」
 それに彼は少々驚いた様に問い返した。


「パーデリ公爵とグリーバス公爵以外にも、繋がっている貴族がいると?」
「いない方がおかしいかと。両者とも社交界ではあまり評判が良くありませんし、影響力も今一つですから、欲得ずくで同類を仲間に引き込むかと思いまして、調べさせました」
 カーネルの代わりにアルティナが答え、それを聞いたガウェインは苦笑した。


「相変わらず辛辣だな。それで、その結果がこれか?」
「はい。勿論、確たる証拠などは掴んでおりませんが、縁戚関係や最近の交友関係、利害関係などを鑑みて、ドレイン侯爵、シュレス伯爵、リドニア伯爵、マース伯爵が該当するかと」
 真面目な顔でカーネルがリストを読み上げると、全員が揃って渋面になった。


「世の中、意外に馬鹿が多いな……」
「うん? ちょっと待て。そのメンツの領地って……、確かこの王都を含む直轄領から、ラグランジェ国に至る国境までの道筋上に、全部あるんじゃないのか?」
 国境警備や巡視を担当し、国内を隅々まで知り尽くしている赤騎士隊隊長のエルマーが、脳内の国内配置図と、たった今挙げられた名前を照らし合わせながら口にすると、カーネルが面白くなさそうに応じる。


「どうやらそうみたいですね。ラグランジェの狸親父は、それなりに本気みたいです」
「くそ野郎どもがっ……」
 反射的にエルマーが汚い言葉で悪態を吐いたが、その場全員同じ心境だった為、誰もそれを咎めなかった。そして微妙に空気が重くなる中、アルティナが真顔で話を進める。


「それから近衛騎士団は、基本的に各地を治める貴族達からの推薦で集まる者を、選抜して採用しています。自領から多くの騎士が採用になれば、それだけその領地に箔が付きますから、各家がこぞって腕自慢の人間を送り込んでいるのは、皆様ご承知の通りです」
 それを聞いたバイゼルは、途端に鋭い視線をアルティナに向けた。


「疑わしい家から送り込まれた者は、主家の意向に応じ易いと?」
「全員が全員そういう者だと、断言するつもりはありません。近衛騎士団入団時、王家への忠誠を最優先に誓わされてはいますが、連中がまず手駒にして使いたいと思うなら、まずはこういう者達でしょう」
「……確かにな」
 面白く無さそうにその事実を認めたバイゼルに向かって、アルティナは若干申し訳なさそうに言葉を継いだ。


「勿論、借金を抱えて大金と引き換えに話に乗ったりする不心得者や、恋人や家族絡みで強要される者も出てくるかもしれませんが、全体で五千人を数える近衛騎士団所属の全員の身上調査を、緑騎士隊だけで行うのは、事実上不可能です。それに加えて緑騎士隊には暫く部隊を割いて、ラグランジェ国内の動向を探らせる他、名前が挙がった貴族やラグランジェ大使公邸やその他関係各所を徹底的に洗わせますので、ここに名前が挙がった者については、各隊で責任を持って監視及び調査をして頂きたいのです」
 そう言って彼女が他の隊長達を見回すと、全員真顔で頷いた。


「なるほど……、道理だな」
「分かった。しっかり目を配っておこう」
「勿論、相手に気付かれない様にお願いします。それから休暇申請や、勤務変更の申し出があった場合、通常は隊長権限で処理が可能ですが、今後は団長に情報を集約して下さい」
 その申し出に、バイゼルが片眉を僅かに上げながら問い返す。


「各隊で何人も一時期に王都勤務になったり、休暇を取得したら怪しいと?」
「何か事を起こす目安にはなるかと」
「そこまで露骨に人を動かすとも思えんが……。皆、分かったな?」
「はい」
「了解しました」
 再度バイゼルが念を押すと、ナスリーンが頷いて静かに言い出した。 


「確かに、アルティン隊長の指摘する通りですね。当面、一番気を付けなければいけないのは、白騎士隊と思われますが」
「ナスリーン隊長?」
「このリストに名前が挙がっている副隊長のリディアは、恐らくパーデリ公爵の庶子です」
「はぁ!? それは初耳ですが?」
「本人から聞いたんですか?」
 さらりと説明された内容に、全員が驚愕してリストとナスリーンの顔を交互に見やりながら尋ねたが、彼女は落ち着き払って答えた。


「いいえ。推測を裏付ける様な話は、全く聞いていません。彼女の家族構成は、郷里のパーデリ公爵領に母と弟のみが居るだけで、父親は既に死亡しています。ですが入隊時の身上調査では、彼女の母親はその夫と結婚する前に、彼女を儲けています」
「でも、それだけでは何とも言えませんよね?」
「それと、ごく偶に出席する夜会などでパーデリ侯爵にお会いした時に、ちょっとした癖をお持ちなのを拝見しまして」
 それにアルティナは、怪訝な顔で尋ねた。


「どんな癖があると?」
「困った時とか言葉に詰まった時とか、無意識に軽く両手を組んで、右手の親指で左手の中指辺りを擦っていらっしゃるのですが、同様の事を彼女も。根拠としてはこれだけなのですが」
「あなたがそれだけで、ここまで断言するとも思えません。他にも何かありますよね?」
「一応、個人のプライバシーに関わる事ですので」
「……そうですか」
 そこで無言で微笑み、アルティナの追究を終わらせた彼女に向かって、チャールズが難しい顔で確認を入れた。


「それで、先程一番白騎士隊が注意しなければいけない理由とは、副隊長にパーデリ公爵の息がかかっているかもしれない人間が、就任しているという事ですか?」
「確かにそれもありますが、上級女官に息のかかった人間を押し込む事に失敗したのなら、次にうちを狙うのではないかと推察します。白騎士隊は女性のみで構成される、女性王族、つまり王妃陛下と王太子妃殿下と王女殿下の護衛に特化した隊ですが、武芸を嗜む女性は限られていますから今現在の所属人数は六十五名のみで、慢性的に人手不足です」
「…………」
 冷静に指摘したナスリーンに、全員が険しい表情になって黙り込んだ。しかしすぐにバイゼルが尋ねる。


「確かにそうだな……。それで?」
 それに彼女は、微笑みながら答えた。
「それはこちらで何とかしますので、お気になさらず。仮にも陛下から、隊長職をお預かりしている身です。部下に対して余計な手出しはさせませんし、不心得者は私が責任を持って対処致します」
「それはともかく、身辺には十分注意する様に。何かあったらニールの奴に、今度こそ絞め殺される」
 長年の友人でもある、気難しい宰相閣下の顔を思い浮かべたのか、バイゼルは無意識に顔を顰めた。それを見たナスリーンが、笑いを堪える表情になる。


「確かに兄の眉間の皺の、三本のうち一本は私のせいでできたと認識しておりますが、四本目が常在する事態にならない様に心がけます」
「そうして貰いたいな。最近、あいつの部下が気の毒で仕方が無い」
 思わずバイゼルは失笑してしまったが、アルティナは淡々と隊長達を見回しながら警告を発した。


「ナスリーン隊長の事だけ言っていられません。今、皆さんの身に何かあったら、嬉々としてグリーバス公爵が後釜を押し込んでくるでしょうから」
 それを聞いたエルマーが、思わず顔を引き攣らせる。


「おいおい、アルティン。冗談にしても」
「私は本気です。特にカーネル、暫くは身辺に注意しろ。それから緑騎士隊内部でも通常業務を任せる者達には、公爵達の調査に回した者達は他の調査に従事していると思わせておけ。敵を欺くにはまず味方からという言葉もある」
「了解しました。肝に銘じておきます」
 彼女の真剣な表情を目の当たりにしたカーネルは、かつての上司以上に気迫溢れる顔付きで頷いた。アルティナはそれに軽く頷いてから、チャールズに向き直る。


「それから、白騎士隊の次に狙われやすいのは、どう考えても黒騎士隊でしょう」
 その指摘に、黒騎士隊を預かる立場の男は、精悍な顔を盛大に歪めながら同意した。


「確かに、そうだろうな……。黒騎士隊は王都内の警備と治安維持を受け持っているから、王都内に常駐している。国境沿いの守備と巡回を任務とする赤騎士隊と、王家直轄領の守備と巡視を担う青騎士隊もローテーションを組んで王都に戻って、ここでの勤務に組み込まれているが、王都内でごそごそ活動するなら、うちの中から切り崩すのが手っ取り早い」
 しかしさすがに隊長を務めているだけあって、気持ちの切り替えは早く、自分の片腕である男に視線を向けた。


「ケイン、お前も気を付けろよ? 妻と妹を差し出して、周囲にはばっちり王太子側と認識されているだろうし」
 そう警告を発したチャールズだったが、ケインは如何にも面白くなさそうな口調で言い返した。


「今の、非常に誤解を招く様な言われ方は甚だ不本意ですが、自分の立場は十分承知しております。それに三千名を抱える一番の大所帯の赤騎士隊や、千名を数える青騎士隊と比べて、うちはたかだか五百人強。これを御せないとなったら、私と隊長の力量が問われる事態になりますから」
 淡々と指摘してきた副官に、チャールズの顔が僅かに引き攣る。


「おい、サラッと俺を巻き込むな!」
「何を言っているんですか。我が隊の最高指揮官はあなたですよ?」
「分かってはいるがな!! お前繋がりで、真っ先に狙われるのは俺じゃないのか?」
「そうですね。念の為にアルティン同様、何かあった時には私を後任にする上申書を書いておいて頂けませんか?」
「おい!!」
「と言うのは冗談ですが」
「真顔で言うな!!」
 そんな漫才めいたやり取りに、他の面々は揃って噴き出し、室内に存在していた緊迫感は見事に砕け散った。そして咳払いをしてその場を落ち着かせたバイゼルが、短く宣言する。


「それでは今後、より一層の警戒と備えを怠る事無く、日々務める様に。不埒な者達の陰謀など、事前に粉砕するぞ」
「はい!」
「勿論です!」
 そして近衛騎士団の上層部は揃って力強く頷き、隊長達はカーネルから例のリストの、自分の隊に所属する分を受け取って、一斉にシャトナー伯爵邸を辞去して行った。


 そんな彼らを玄関で見送り、ケインと一緒に屋敷内に戻ってから、アルティナが並んで歩く彼を軽く見上げながら、何気ない口調で問いかける。


「なあ、最後のあれ。わざとだろう?」
「うん? ああ……、まあ、あまり深刻な顔で考え込んでいても、仕方が無いからな」
 苦笑いで返したケインだったが、すぐに真顔に戻って廊下を歩きながら、独り言を呟き始めた。


「しかし、黒騎士隊では該当者は三十八人か……。名前が挙がった各家の規模に比べたら、五百人のうちそれだけなら少ないとは思うが……。その気になったら、十分徒党が組める数だしな……」
 上司の手元を覗き込んでしっかり該当者の名前を把握し、早速対応策を考え込んでいるらしい彼を見て、アルティナは小さく溜め息を吐いた。


(ケインが一番、深刻な顔で考え込んでいると思うんだけど?)
 そこで自らも色々考えてしまったアルティナは、廊下を歩きながら口を開いた。


「あのな、ケイン」
「何だ?」
「何だか色々、巻き込んですまない」
 唐突な謝罪の言葉に、ケインは困惑した様に足を止めた。
「お前が謝る筋合いでは無いだろう? ろくでもない事を企む馬鹿共が悪いし、それを近衛騎士団が阻むのは当然の事だ」
「まあ、それはそうなんだが……」
 自然に足を止めて向き合ったアルティナを、ケインは指さしながら、強い口調で厳命してきた。


「それはともかく、間違ってもアルティナに危ない事はさせるなよ? その体に傷を一つでも付けたら許さん」
「ああ~、……うん、そうだな。善処する」
 反射的にケインから目を逸らしながら、(いや、どう考えても荒事に巻き込まれない可能性って、ゼロに等しいと思うし)と内心で諦めていると、そんなアルティナの肩を両手で鷲掴みにしながら、ケインが低い声で凄んできた。


「……おい、アルティン。きちんと誓えないなら上級女官就任はお断りして、即刻監禁するぞ?」
「ケイン、そんな冗談は」
「ほう? 俺が冗談を言っている様に見えるのか? それはそれは、真剣さが足りないらしいな」
 真正面から自分を見下ろしつつ、据わった目で囁いてきたケインを見上げ、それなりの期間友人として付き合ってきたアルティナは、本気で戦慄した。


(うわ……。こういう時のケインって、完全に本気よね。絶対に就任話を反故にして、監禁コース一直線……)
 それを悟った彼女の口から、反射的に誓いの言葉が滑り出た。


「神と自分の名前に誓って、アルティナに怪我はさせません」
「分かった。取り敢えず信用する。じゃあ行くぞ」
「ああ。……それでケイン」
「何だ?」
 素直に手を離し、何事も無かったかの様に再び歩き出したケインを追いながら、アルティナは彼に声をかけた。そして振り返った彼に、苦笑しながら伝える。


「私も、お前を信用しているからな。宜しく頼む」
「そうか。分かった」
 その言葉に満足した様に笑い返したケインは、アルティナを部屋まで送って行ってから、自室へと向かった。
 その翌日。
 早朝からシャトナー伯爵邸では、アルティナの怒声が響き渡った。


「ケイン、一体どういう事!?」
 勢い良くドアを押し開け、寝衣姿のまま自分の私室に飛び込んで絶叫したアルティナを見て、着替えの途中だったケインは、目を丸くしながら問いかけた。


「アルティナ? こんな朝早くから、一体どうしたんだ?」
「それはこちらの台詞よっ!! どうして私、ベッドで寝ているの!? 近衛騎士団の皆さんと、お食事をしてお茶を飲んでいた筈なのに! まさか皆さんの前で、眠りこけてしまったわけじゃないでしょうね!?」
 勢い良く駆け寄ったアルティナが、自分のシャツの前を掴みながら涙目で訴えてきた内容を聞いて、彼は納得した様に笑って彼女を宥めた。


「ああ、うん。確かに緊張しすぎたのか終盤うとうとして、最後には眠ってしまったが、団長を初め皆様全員が笑って『早く寝かせてあげなさい』と言ってくれたから、別に気に病む必要はないから」
「気に病むわよっ!! 笑っていないで、そういう時は殴ってでも起こして頂戴!!」
「君に手を上げるだなんて、まさかそんな事はできないさ」
「もう! ケインの馬鹿ぁっ!!」
 相変わらずおかしそうにくすくす笑いながら宥めてくるケインの胸を、軽く叩きながら文句を口にしていたアルティナは、内心で少々うんざりしていた。


(これで、お茶を飲んだ以降の記憶が無いアルティナの演技は終了。もう本当に、どうしてこんな面倒くさい設定にしちゃったのかしら)
 そんな事を器用にも頭の片隅で考えつつ、アルティナが涙目で延々愚痴を零していると、ケインが笑いを堪える表情になって、ある事を口にした。


「アルティナ。俺も一つ、頼みたい事があるんだが」
「何?」
「そういう格好で突撃してくるなら、できれば夜のうちに頼む。あいにくと出勤の時間を考えると、あまりゆっくりもしていられないんだ」
「え? そういう格好って……」
 咄嗟に言われた台詞の意味が分からず、瞬きしてケインの顔を見上げてから、何気無く自分の身体を見下ろしたアルティナは、瞬時に我に返って悲鳴を上げた。


「……っ、きゃあぁぁぁっ!!」
 目を覚ました後、そのままケインの元に押しかけた為、アルティナが身に着けている物は身体のラインがはっきり分かる、薄手の寝衣のみだった。それが分かって羞恥で顔を真っ赤にし、両腕で身体を隠しながら蹲った彼女を見て、ケインが(さて、どうしたものか)と苦笑いしていると、開け放ったままのドアの向こうから妙に間延びした声で、ユーリアがお伺いを立てながら入室してくる。


「お取込み中、失礼しま~す」
 その腕に抱えているガウンらしき物を見ながら、ケインが笑顔のまま彼女に声をかけた。


「ああ、ユーリア。丁度良い所に。アルティナを任せても良いかな?」
「はい、お任せ下さい。……全くもう、何をやってるんですか、アルティナ様。早くお部屋に戻って、着替えますよ? ケイン様、お邪魔致しました」
「ああ」
 そして肩にガウンを羽織らせたユーリアは、茫然としているアルティナを伴って、ケインの部屋を出た。すると廊下を歩き出してから、アルティナが呻く様に言い出す。


「……ユーリア」
「はい、何ですか? アルティナ様」
「絶対、わざとよね?」
「はい? 何の事を仰るやら。私は単に、『アルティナ様は昨日の会食の途中で寝てしまって以降の記憶が無いのに、翌日平然としているのは変ですよね?』と事実を指摘しただけです」
「あ、あのねえっ!」
 しれっとして答えたユーリアに、アルティナは声を荒げかけたが、彼女は淡々と話を続けた。


「そして『熟睡を放置したケイン様に、朝一で抗議に行く位しないと不自然ではないですか?』と、これまた当然の提案をしただけで。まさか寝衣のままケイン様に突撃するとは、夢にも思わず。慌てて羽織る物を持って追いかけましたが、到底間に合いませんでしたね。アルティナ様は俊足でいらっしゃいますので。それに寝起きだと、些か頭の回転もよろしくないみたいですね」
「……ユーリアが虐める」
 思わず愚痴を零したアルティナだったが、そんな主に向かってユーリアはそれは朗らかに笑って見せた。


「まあぁ、どうして私がアルティナ様を虐めるんですか? 確かに勝手に貴族の養女にさせられたりとか、勝手にクリフ様の婚約者にさせられたりとか、勝手に上級女官を引き受ける羽目になったりしましたが、今更そんな事位で怒ったりしませんよ?」
「…………うん、本当に悪いと思ってるわ」
「さあ、そんな事より、こんな姿で廊下をうろうろしているのを他の方に見つかったら、はしたないと言われる事確実ですから、さっさと部屋に戻りますよ」
 がっくり項垂れて謝ったアルティナだったが、一向に気にした風情も見せず、ユーリアは彼女を引きずる様にして歩いて行った。
 そんなアルティナ達の出仕の日は、二日後に迫っていた。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品