ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(14)無理と無茶の大盤振る舞い

「それでは殿下。取り急ぎ、上級女官の後任を選定する必要がありますが、現時点で心当たりは?」
「いや、内々に打診してはいるが、今のところは皆無だ」
 途端に難しい顔になって、予想通りの答えを返してきたジェラルドに対して、アルティナは冷静に提案した。


「それならば、ケライス侯爵夫人は如何でしょうか? 彼女でしたら元々侯爵家のご出身ですし、知識・教養共に問題は無い筈です」
 それを聞いたジェラルドは、軽く目を見張ってから考え込んだ。


「ケライス侯爵夫人……。確かにご本人に問題は無いと思うが、確かケライス侯爵家は昨年侯爵が急死してから、相続問題で何やら揉めていたのでは無かったか?」
「はい。ご夫妻の間に子供が無く、侯爵は生前に自分の従兄弟の息子に当たる人物を、夫人の養子にして侯爵家を継がせる遺言書を残していたのですが、それに不服を唱える侯爵の異母弟達が法務省に訴えまして。現在も係争中の筈です」
「何やら、事情に詳しそうだな」
 不思議そうに彼が尋ねると、アルティナが顔を微妙に歪めながら事情を説明した。


「実は、侯爵の異母弟達と言うのが、揃いも揃って質が悪い者ばかりで。妻子ある身でありながら、家族を捨てて未亡人である夫人と再婚して、自分を後継者にさせようと画策したり、あの手この手で脅迫したり。果ては夫人を拉致監禁して、言う事を聞かせようと企んだりしていまして」
「何だそれは?」
 思わず咎める声を出したケインに向き直り、アルティナが忌々し気に吐き捨てる。


「昨年偶然、街中でその襲撃現場に遭遇して、雇われた屑共を撃退したんだ。その時に侯爵夫人に事情をお伺いして、それからは彼女の周囲に信頼のおける護衛を配置したり、異母弟達の後ろ暗い所を探って、ネタを掴んだ奴は牢にぶち込んでおいた」
「お前、そんな事もしていたのか」
 呆れた溜め息を吐いたケインから、再びジェラルドに視線を戻したアルティナは、真剣な表情で申し出た。


「それで色々調べてみましたが、どうやら異母弟の一人が法務省の誰かに金を握らせて、審判を遅らせている所までは掴めたのです。それで殿下のお力で、侯爵の遺言書の正当性を認定させて、速やかに後継者の確定をされた上で上級女官への就任要請をすれば、彼女は了承して下さる筈です。その他に、私も一押し致します」
 その提案に、彼は即座に頷いた。


「そうか、分かった。三日中には手配を整える」
「ありがとうございます。それからもう一人、推薦したい人物が居るのですが……」
 そこで幾分躊躇う素振りを見せた彼女を、ジェラルドが促す。


「誰だ? 遠慮せずに言ってみてくれ」
「私の専属侍女を務めていた女性です。今はアルティナの専属侍女として、シャトナー伯爵家で働いています」
 それを聞いたケインは、驚いて再び口を挟んだ。


「ユーリアを? しかし彼女は平民だろう?」
「ああ。だから就任を認めて貰うには、かなりの荒業と裏工作が必要になるが」
「それはともかく、君がその女性を推す理由を聞かせてくれるか?」
 冷静に促してきたジェラルドに、アルティナはその理由を説明した。


「彼女はグリーバス公爵領で、代々連絡鳥の飼育と訓練に携わってきた家の者です。鳥の扱いについては親兄弟の中でも一番らしく、緑騎士隊に所属している彼女の兄のデニスと組んで、これまでにも色々と緊急連絡を繋げて貰っています」
 そこまで聞いたジェラルドは、アルティナの意図するところを正確に悟った。


「なるほど。後宮への出入りは厳しく制限されている。アルティンにアルティナ殿としてその中に入って頂くなら、外部に咄嗟に連絡を取りたい時に、妨げになる可能性があるか」
「はい。特にデニスには王宮外、各公爵の私邸やラグランジェ大使館の動向を探る部隊の、取りまとめをして貰おうかと考えておりますので、緊急の連絡手段は是非とも確保しておきたいのです。それに彼女は長年私に仕えてきた為に突発事項に強く、それなりに頑強な精神をしておりますので、案外後宮でもなんとかなるのではと推察致します」
 そんな事を断言したアルティナに、ケインは呆れた目を向けた。


「お前、これまでどれだけユーリアを振り回して、こき使ってきたんだ。それにどうやって平民の彼女を、後宮に押し込む気だ? さっき言った『荒業と裏工作』について、聞かせて欲しいものだが」
「その方法に関しては、ちょっとお前の意見を聞きたい」
「俺の?」
 何故ここで指名されるのかと訝しんだケインだったが、続けてアルティナの口から語られた内容を聞いて唖然とし、次いで頭を抱えながらも了承の返事をした。


「……分かった。それで問題は無いだろう。俺が責任を持って説得するから、我が家の事は心配するな」
「悪いな、ケイン。後は依頼先を、どの家にするかだが」
「それに関しては、団長にお願いしてはどうですか? 事情を話せば、快く引き受けて頂けると思いますが」
「そう言えば、団長はれっきとした子爵家当主でしたね。その方向で進めましょう」
 ナスリーンが助言をし、取り敢えず懸念が一つ解消したアルティナだったが、そこで難しい顔つきになって考え込んだ。


「これで取り敢えず二人は埋まったが、あと一人をどうするか……」
「アルティン。マリエルはどうだろうか?」
 ここで予想外の提案を受けたアルティナは、本気で驚きながらケインに顔を向けた。


「マリエル嬢を? いや、しかしケイン。確か彼女は婚約者がいて、今年中に挙式とか言っていなかったか? 相手の家の了承が取れるのか?」
「それが……。つい先日先方から断りを入れてきて、破談になった。だから両親が納得すれば、特に支障は無い」
「は? そんな話は聞いていないが?」
「それはそうだ。アルティナの耳には入れるなと、家中に緘口令を敷いたからな」
 それを聞いたアルティナは、眉間にしわを寄せながら低い声でケインを問い詰めた。


「……それはあれか? アルティナとお前の結婚話でシャトナー伯爵家の評判が悪くなって、縁戚になるのを回避したいと思われたと?」
「根も葉もない噂話を真に受けて、さも被害者面で破談を申し入れてくる奴など、こちらから願い下げだ。マリエルも『正直に言うと、軽薄な感じがして気が進まなかった』と言っていたから、気にするな」
「気にするなと言われても……」
 自分のせいで破談になっただけではなく、屋敷中の人間に気を遣われて秘密にされていた事を知ったアルティナは、悔しさと申し訳なさで歯噛みした。そんな彼女からジェラルドに目を向けたケインが、真顔で申し出る。


「殿下。下の妹はまだ十九歳で、恐らく至らぬ事も多く、立派に上級女官の役目を果たせるとは思えません。しかしあれは元気は人一倍ありますし、何より曲がった事が大嫌いな気性です。この先妃殿下が鬱屈した日々を過ごされない様に、誠心誠意努めさせます」
 その真摯な物言いを聞いた、ジェラルドの判断は早かった。


「承知した。それでは三人目はケインの妹に頼もう。即刻、手続きに入る。ご両親に宜しくお伝えしてくれ」
「畏まりました。それと承認関連についてですが、先程内務大臣が、後任の上級女官候補を推薦してきたと仰いましたから、普通に申請をしても却下されるか黙殺される恐れがあります」
「それはそうだな。何か手はあるか?」
 わざわざ指摘してくる位だから、何か策があるのではと彼が尋ね返すと、ケインが含み笑いで答えた。


「都合の良い事に、今現在内務省勤務の私の弟が、内務大臣の次席秘書官を務めております。普段『無能』だの『腰巾着』などの暴言を吐いている上司達の目をかいくぐる方策を、何としてでも立案させましょう」
 それを聞いてクリフの事を思い出したらしいジェラルドは、笑いを堪える表情になった。


「そう言えばそうだったな。二十代半ばでその役職が務まるとは、なかなか目端が利く人物だろうとは思っていた。それではその工作も、併せて頼む」
「お任せ下さい。何と言ってもあのグリーバス公爵から、持参金を三百七十万リランも分捕った奴ですから」
「それは頼もしいな」
 そこで我慢できずにジェラルドは笑い出し、周囲も釣られて盛大に笑い出した。そして何とか笑いを収めてからジェラルドは自分の執務室に戻る為に部屋を出て行き、それを見送ってからケインはアルティナに向き直った。


「それじゃあアルティン。俺は早速これから団長の所に行って、例の件をお願いしてくる。お前はナスリーン隊長の仮眠室を借りて、少し休んでいろ」
「どうしてだ? 別に疲れてはいないが。動いてもいないし」
「アルティナは酒に酔って、眠り込んだ事になるんだ。ベッドを借りて休ませて貰っていないと、アルティナが気が付いた時に不自然だろうが」
「……それもそうか」
 自身の酔っている設定を思い出したアルティナは、納得して頷いた。そこでナスリーンが穏やかに提案してくる。


「それでは、そちらの仮眠室を使って下さい。ケインは団長の所に顔を出したら、通常勤務に戻って、定刻になったら彼女を迎えに来て下さい。それまでここで、彼女をお預かりしています」
「そうですね。宜しくお願いします」
「すみません、お借りします」
「構いません、何かあったら言って下さい。私はここで書類に目を通していますので」
 そうしてケインは部屋を出て行き、アルティナは隣室へと移動して、綺麗に整えられているベッドにドレスのままゴロリと横になった。


(本当に、とんでもない事になったわ……。だけどそれ以上にあっさり他国の口車に乗って、内政干渉の片棒を担ぐなんて許せない。絶句に阻止してやる!)
 そんな決意も新たに、天井を見ながら今後の方針を立てていたアルティナは、結局一睡もしないまま、かなりの時間を過ごした。そして窓の外の日がかなり傾いたのを見て、ゆっくりと身体を起こした彼女は、今起きたばかりの風情を装って、隣室に続くドアを開けながら控え目にお伺いを立てた。


「あの……、ナスリーン様。私、お部屋を使わせて頂いたみたいで、誠に申し訳ありません」
 その声を耳にして、ナスリーンは書類から目を離し、笑って頷く。


「気にしないで下さい。それよりも急に王太子殿下が現れて、驚きましたよね? ケインが心配してお酒を飲ませたのは、寧ろ良い処置でした。その後色々込み入った話をしていたのですけど、アルティナ殿は終始冷静に、話を聞かれていましたし」
「それが……、殆ど覚えていないというか、記憶にないのですが……。ケインったら緊張を解す為とはいえ、お酒を飲んだら寝ると言っているのに!」
「あまり怒らないであげて下さいね?」
 わざと怒ってみせたアルティナを、ナスリーンが苦笑しながら宥めた。そして一応、確認を入れてくる。


「ところで、上級女官をお引き受けした事は覚えていらっしゃる?」
「はあ、なんとなくは……」
「それなら宜しいでしょう。後はそれに付随する、細かい話ですから、気になさらないで結構ですよ? 詳細については、後でケインから話がありますし」
「そうですか。ありがとうございます」
 そんな茶番にも程がある会話を終わらせたアルティナは、ナスリーンに勧められて椅子に座ってから、なんとなく気になっていた事を思い出した。


「そう言えば、ナスリーン様と王太子殿下は、以前から親しいんですか?」
 口にしてから、かなり無遠慮な質問だったかと恐縮したアルティナだったが、ナスリーンは特に気を悪くした風情も見せず、笑いながら答えた。


「ええ。母親同士が縁戚関係の上に、懇意にしていますから。私の家が侯爵家でもある関係で、幼い頃は殿下の妃候補にも、名前が上がった事もありますし」
「それなのに、王太子殿下の妃候補には名前が挙がりませんでしたね。と言うかナスリーン様は十代半ば過ぎの頃には既に、騎士団に所属されていました?」
「……詳しいのですね」
「いっ、いえ! あの、兄から聞いた話を思い出しまして! あまり詳しくはないかと!」
 微妙に相手の笑顔と声音が冷えた様に感じたアルティナが慌てて弁解すると、彼女はうっすらと笑いながら話を続けた。


「色々あって父の意向で、かなり以前から妃候補は辞退していたんです。そのせいで逆に王太子殿下とは、隔意の無いお付き合いができたと言うか……。私の方が二歳年上ですし、姉の様に慕って貰って、色々と相談を持ち掛けられました」
「はぁ……、そうだったんですか」
「色々と面倒で、私からすればくだらない事で、随分相談の手紙を頂きましたね。一番馬鹿馬鹿しくて、匙を投げたくなったのは、妃殿下に関係する事でしたが」
 何やら急にしみじみとした口調になった事と、万事そつが無さそうに見える王太子のイメージにそぐわない内容だったため、アルティナは思わず尋ね返した。


「エルメリア様に関して、ですか?」
「ええ。その時に私、男は恋をすると馬鹿になって、女は恋をすると賢くなると実感致しました」
「……なんだか急に、もの凄く重い言葉を聞かされた気がします」
 真顔で断言されてしまったアルティナは、(一体王太子様達の間に何があって、ナスリーン隊長はどんな相談を受けたのかしら?)と、僅かに顔を引き攣らせた。そこでナスリーンが、さり気なく話題を変えてくる。


「そんな事よりアルティナ様の入隊が決定したので、ケインが迎えに来るまでに、予備の制服を合わせてみたいのですが」
「そうですね。あるのならお願いします」
「それからアルティナ様がお休みの間に、緑騎士隊隊長のカーネル殿から、頂いてきた物があるんです」
「何ですか?」
 そこでナスリーンは立ち上がり、壁際に設置してある棚の扉を開けた。そしてかがみ込んで何やら取り出し、それを手にしたままアルティナの所にやって来る。


「これです。良かったらお使いになりますか?」
「これは……」
 差し出された物を見て驚き、無言で凝視している彼女を見て、それが何か分からないのだろうと勘違いしたナスリーンは、説明を加えた。


「アルティン殿が生前愛用していた剣の、予備の物です。アルティン殿は万が一、剣が使い物にならなくなった時の為に、隊長室に愛用している剣と全く同じ形状、同じ重さの物を置いていました。急遽隊長が交代してからも、カーネル殿はそのまま大事に保管していまして。今度白騎士隊にアルティナ様が入隊するのでお渡ししたいと申し出たら、快く譲ってくれました」
「そうでしたか……」
「早速、確かめてみますか? アルティン殿と同様の剣で稽古をなさっていたのなら、これが使いやすいのではと思ったものですから」
「はい、使ってみます。失礼します」
 礼を述べて彼女から剣を受け取ったアルティナは、早速鞘から剣を引き抜き、右手だけで一振りしてみた。そして久しぶりの手に馴染んだ感覚を実感し、安堵の笑みを浮かべる。


(うん、これだわ。手に馴染む。公爵家の屋敷にあったアルティンとしての私物は、当然全部処分された筈だし。これが有って良かったわ)
 そうして剣を見下ろしながら幸運を噛み締めていると、ナスリーンが微笑みながら声をかけてきた。


「やはり、そのタイプの物を、使い慣れているみたいですね」
「あ、いいえ、使い慣れているとは言っても、さすがに兄程度には使えませんが……」
 動揺しながらアルティナが剣を鞘にしまいつつ弁解すると、彼女は笑みを深めながら言葉を継いだ。


「それでもアルティン殿と酷似したその姿と、その同じ剣捌きを見て、私は安堵できました。アルティナ様、これから宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします、ナスリーン隊長」
 そこで女二人は決意溢れる表情で握手を交わし、密かに進行している陰謀を必ず粉砕してみせると、無言のまま誓い合った。



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