ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(2)増殖する設定

「やあ、デニス。夜にどうかしたのか?」
「いらっしゃい。ユーリアに会いに来たの?」
 伝言通り、応接室で一人で待っていたデニスに、ケインとアルティナは笑顔で声をかけた。それを受けて立ち上がったデニスは、夜間の訪問を詫びるために軽く頭を下げる。


「悪いな、ケイン。至急の用事ができた」
「それは構わない。じゃあユーリアと二人にするか?」
「いや、ケインに用があるんだ」
「俺に?」
「ああ」
 てっきりユーリアに用事があったのかと思ったケインは、不思議そうにデニスを見やった。アルティナもついて来たユーリアも怪訝な顔になったが、デニスが目線で人払いして欲しいと訴えてきたのを察したケインが、彼女達を振り返りながら指示を出す。


「悪いが、皆、下がってくれないか?」
「分かりました。どうぞごゆっくり」
「失礼します」
 そして室内で二人きりで向かい合ってから、ケインは目の前の男に座るように手振りで勧めつつ、再び不思議そうに訪問の理由を尋ねた。


「それで? 一体どうしたんだ?」
「この屋敷の襲撃計画を耳にした。こんな話をアルティナ様に聞かせたら怯えそうだから、二人だけにして貰った」
 あくまでもアルティナが深窓のご令嬢だという刷り込みをしつつ、前置き無しでいきなり本題に入ったデニスに、ケインが険しい目を向ける。


「何だと? どこのどいつだ、その馬鹿は」
「シャトナー伯爵家がグリーバス公爵家から多額の持参金をむしり取った話は、知る人ぞ知る状態になっているからな」
「なるほど。確実に金庫に金が詰まっていると分かっているのに、指を咥えて黙って見ている馬鹿もいないか」
 そこで忌々しげにケインが吐き捨てたが、デニスは冷静に言葉を継いだ。


「それ以前に、そういう馬鹿共の耳に入る様にわざと噂を流したり、ろくでもない話を持ちかける阿呆もいるがな」
「……誰だ?」
 更に険しい表情になりながら凄んできたケインにも怖じ気づく事なく、デニスは淡々と続ける。


「俺の耳にもそれが入る位、考え無しな行動を取る人間、と言うか家に心当たりは?」
「グリーバス家関係者しかいないだろうな。腹いせのつもりにしては、馬鹿馬鹿しいにも程がある」
「だが事態としては、あまり馬鹿にできない状況だ。因みに、連中の襲撃予定は五日後だ」
 それを聞いたケインは取り敢えず怒りを抑え、真顔で考え込んだ。


「俺が夜勤で王宮に詰める予定の日か。うちの使用人だけなら、大した障害にはならないと思われたな。実際そうだが、それなら夜勤の日程をずらすか」
「それだとケインが帰宅した時点で、連中が計画を中止するだけだ。恐らく監視は付けているだろうし、今回はローテーション通り、王宮で勤務してくれ」
「デニス?」
 予想外の事を言われてケインが当惑すると、デニスが懐から取り出した用紙の束を差し出しながら依頼してきた。


「それで、後からアルティン様に、これを渡して欲しい」
「今、見ても構わないか?」
「勿論」
 断りを入れて早速それに目を通し始めたケインだったが、全て読み終わる前に深々と溜め息を吐いた。


「……デニス」
 しかし当人は、平然と話を続ける。
「詳細については、シャトナー家の都合もあるかと思うから、アルティン様と検討してくれ」
「分かった。それに関して、ちょっと相談があるんだが」
「何だ?」
 あっさりと気持ちを切り替えて尋ねてきたらしい相手に、デニスは不思議そうに尋ね返した。するとあくまでも真剣に、ケインが意見を求めてくる。


「アルティナが眠っている時にアルティンと話せるのは分かるが、日中とか夜でも今の様に起きている場合に、至急アルティンの意見を聞きたい時はどうすれば良いだろうか? まさかアルティナを殴り倒して、気絶させるわけにはいかないし」
(そんな事をしたら、確実にアルティナ様に殺られるな)
 真顔で意見を求められたデニスは、一瞬遠い目をしてから、思い付いた事を口にした。


「そうだな……。ああ、強いお酒を飲ませたら良いんじゃないか? アルティン様はザルだったがアルティナ様は殆ど飲めなくて、強い酒なら小さなグラス一杯も飲みきらないうちに寝てしまうとか、ユーリアが言っていたから」
「なるほど」
「それなら変な薬で眠らせるより安全だし、日中にお酒を飲む事に抵抗があるかもしれないが、健康を保つ秘訣とかなんとか、上手いことを言って飲ませれば、何とかなるかと思う」
「分かった。そうしよう」
 安堵した様に頷いたケインを見ながら、デニスは(後からこの事を、ユーリアに伝えておかないとな)と内心で算段を立てながら、腰を浮かせた。


「それじゃあ、また連絡を取るから」
「デニス、ちょっと待ってくれ」
「まだ何か?」
 慌てて引き止められた為、デニスが座り直しながら尋ねると、ケインは幾分言いにくそうにしながらも確認を入れてくる。


「その……、この事を知らせてくれたのには感謝しているんだが、お前は本当にアルティンへの忠誠心だけで、ここまでしてくれるのか?」
 それを聞いたデニスは怒り出したりはしなかったが、本気で呆れ返った。


(おいおい、また例のアルティナ様への恋愛感情云々を持ち出すのか? 意外に心が狭い奴だな)
 心底うんざりしたデニスだったが、相変わらず真剣な表情で自分の答えを待っているケインの様子を見て、考えを改める。


(でも裏を返せば、それだけこいつがアルティナ様に本気で不安だって事なんだろうし、疑われる位仕方がないな。それならここで懸念を払拭する為の嘘話の一つや二つ、でっち上げておくか。こんな下らん事で、信頼関係にヒビを入れたく無いしな)
 素早く考えを巡らせたデニスは、僅かに身を乗り出す様にして、低い声で相手に断りを入れた。


「ケイン。くれぐれもアルティナ様とユーリアには、内緒にしておいて欲しいんだが……」
「分かった。絶対にあの二人には言わない」
「実は、以前から決まった女を作らなかったのは、好きな女がちゃんと居るからなんだ」
「そうなのか? 誰だ?」
「ユーリアだ」
 真顔で言われた名前を聞いて、ケインは一瞬「そうか」と頷きかけ、すぐに怪訝な顔で確認を入れた。


「……おい、お前達は兄妹だよな?」
「実は、血は繋がっていないんだ。ユーリアの母親は出産時に亡くなって、その直後に俺の両親が、彼女を引き取ったからな。それが俺が三歳の時なんだが、ぼんやりと記憶がある」
「そうだったのか……」
 真に迫った嘘八百のデニスの話をまともに信じてしまったケインは、驚きながらも納得して頷いた。そんな彼にデニスが、作り話の彼らの事情を話して聞かせる。


「勿論、最初は本当の兄妹以上に仲良くしてたさ。正直、いつからユーリアの事を一人の女性として意識し始めたのかはっきりとはしないが、気が付いたらそうなってたいた。だがユーリアは俺の事を兄としてしか見ていないし、それ以前にアルティン様に心酔してたし……」
 そこで口ごもったデニスに、ケインは軽く眉根を寄せながら尋ねる。


「迂闊に、口に出せなかったと?」
「ああ。アルティン様に惚れぬいているユーリアに告白したところで、すげなく拒否されるのは分かっている上に、兄妹の関係も崩れてよそよそしくされたら、さすがに立ち直れそうに無かったものでな」
「それは理解できるな」
 皮肉気に語るデニスの話を、ケインは本気で信じ込んでしまった。そして相手の反応を伺いながら、デニスが重苦しい溜め息を吐き出す。


「そうこうしているうちにアルティン様が急死して、ユーリアの気持ちも昇華できないまま宙ぶらりん状態だ。こうなっては俺としても、正直どうしようもないという気持ちだな」
 そう言って軽く首を振ったデニスに、ケインは疑問をぶつけてみた。


「アルティンはこの事を知ってたのか?」
「ユーリアの気持ちを?」
「ああ」
「知らなかったんじゃ無いのか? ユーリアは侍女の分際で、自分の気持ちを押し付ける様な真似はしないだろうし」
 デニスの、首を傾げながらの台詞に合点がいったように、ケインが頷く。


「だからアルティナとユーリアには秘密と言ったのか」
「アルティナ様が聞けば、アルティン様にも伝わってしまうからな。亡くなった後で、変な罪悪感を感じて欲しくないんだ」
「確かにな」
「そういうわけで、取り敢えず納得して貰えたか?」
 そこで話を締めくくったデニスに、ケインは神妙な顔つきで詫びを入れた。


「分かった。変な邪推をした上に、無理に聞き出す事になって悪かった」
「それは気にしていない。それじゃあ時間も時間だし、俺はこれで」
「ああ、夜道だし気を付けて帰ってくれ」
 最後は笑って握手してケインと別れたデニスだったが、見送りを固辞して一人で玄関に向かって歩き出しながら、心底うんざりして溜め息を吐いた。


(必要以上にごり押ししないところは、美点だと思うんだがな。そもそも俺とアルティナ様の仲を疑うとか、冗談でも止めて欲しい)
 そんな事を考えていると、アルティナが読む為の物なのか、本を数冊抱えて廊下を歩いていたユーリアと出くわした。


「あら、兄さん。もう帰るの?」
「話は済んだからな。ああ、そうだ」
 そして話しておくべき事を思い出したデニスは、ユーリアの前で立ち止まり、軽く上半身を屈めて彼女の耳元で囁いた。


「アルティナ様はアルティン様と違って殆ど酒が飲めなくて、強い酒だと小さなグラス一杯も飲めずに寝ると言う設定になったから」
 突然そんな事を言われたユーリアは、不審げに軽く兄を見上げる。
「はぁ? 何でそんな面倒な設定を増やしてるのよ?」
「アルティナ様を強制的に眠らせて、アルティン様を呼び出す手段だ」
 どう考えても荒事に通じそうな話を聞いて、ユーリアは深々と溜め息を吐いた。


「……何か厄介事を持って来たわね?」
「酷いな。警告を発しに来たってのに。詳しい話はアルティン様と一緒にケインに聞け。それじゃあな」
 そして言うだけ言って、笑って自分の肩を軽く叩きながらその場を後にした兄の背中に向かって、ユーリアは「全くもう。どこまで秘密主義なんだか」と小さく悪態を吐いた。しかしその兄との一部始終を、少し離れた廊下の陰からクリフが密かに眺めていた事など、当然知る由も無かった。
 そのクリフは、ユーリアに声をかける事はせずに無言で踵を返し、応接室へと向かった。



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