ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~
(18)デニスの展望
アルティナと共に、シャトナー伯爵家に移った翌日。ユーリアは伯爵邸の侍女頭から許可を貰い、貴族の屋敷街を抜けて商人街の一角に出向いた。
「全く兄さんったら、こんな所で飲み物を準備して待っていろって、一体どういうつもりよ?」
果汁入りの水を詰めた瓶を二つ持参し、指示通り広場の片隅でイライラしながらデニスを待ち受ける彼女に、背後から声がかけられる。
「よう、ユーリア。待たせたか?」
その声に振り返ったユーリアは、そこに意外な兄の姿を認め、なんとも言えない顔付きになった。
「そんなには待たなかったけれど……、何をやっているの?」
荷物を満載した荷馬車の馬の手綱を引き、着古した服装で現れたデニスは、苦笑いして答える。
「運送業の日雇い労働者」
「見れば分かるわよ。仮にも騎士団の一員が、諜報活動の一環でこんな事までやっているなんて……。話には聞いていたけど、実際目にすると引くわね」
「そんなに、幻滅した顔をするなよ。緑騎士隊は、近衛騎士団の中でも特殊なんだって」
「それは分かってます」
そこで身振りで飲み物を要求されたユーリアは籠に入れていた瓶を取り出し、デニスに渡した。短く礼を言って彼がその栓を抜いて飲み始めてから、ユーリアは責めるような口調で話を切り出す。
「兄さんの仕事内容なんか、どうでも良いのよ。それよりアルティナ様とケイン様の件だけど。兄さんはどうして、私達に何も知らせてこなかったのよ?」
そう言ってユーリアが睨むと、デニスは瓶を口から離して困ったように弁解した。
「だってなぁ、アルティナ様に『ケインは良い奴だから、この際結婚したらどうですか?』とか勧めても、『冗談じゃないわよ!』とて蹴り飛ばすのが関の山だ」
「実際にケイン様を、蹴り倒した上に投げ飛ばしたわ」
「そうか……。まあ、最初から上手くいくとは思っていなかったがな」
洒落にならない話を聞いて、デニスは思わず笑ってしまった。しかしユーリアは渋面のまま話を続ける。
「しかもシャトナー家の皆様には、アルティナ様にアルティン様の魂が宿っているって設定のままだし」
「はぁ? なんだ、その変な設定は?」
さすがに訝しんで問い返したデニスに、ユーリアは苛立たしげに叫んだ。
「だって! アルティナ様が悪霊つきって事にすれば、体面を考えて即刻教会に突き出して、あっさり婚姻無効の届け出をされるとか、教会に口止め料として持参金の大半を供出する事になるだろうとか、どうやっても噂が漏れ出てグリーバス公爵家とシャトナー伯爵家の評判が落ちるとか、その持参金を運搬する隙を突いて奪って逃走すれば良いとか、色々対策を考えていたんだもの!」
「なるほどな。だけど悪霊つきでも構わないっていう、全く動じない伯爵家の反応で、あっさり計画変更ってわけか?」
「仕方がないじゃない。……ちょっと! 何がおかしいのよ?」
口元を覆ってクスクスと笑い出した兄を見てユーリアは本気で腹を立てたが、デニスの笑いはなかなか収まらなかった。
「いや、だってな。大立ち回りをした挙げ句、そんな予想外の展開に陥った時の、アルティナ様の顔を想像したら……」
「本当に失礼よね!? 元はと言えば、兄さんが元凶じゃない! さっきも言ったけど、どうして私達に黙っていたのよ!?」
その追及に、デニスは急に真顔になって答えた。
「それはアルティナ様の考えが、気に入らなかったからだ」
「はぁ? どこが? どんな風に?」
むきになって言い返した妹に、デニスは如何にも面白くなさそうに答える。
「あの人が子供の頃から男装させられて武芸一般を仕込まれていたのも、近衛騎士団に男として入団させられたのも、『窮屈なお嬢様生活なんかしなくて良いから助かった』と本人が微塵も気にしていないから、俺としても納得していたがな。だがあの人は公爵達の都合であっさり首をすげ替えられたら、すっかり隠遁する気満々じゃないか。あの若さで近衛騎士団の隊を任されるほどの力量を持ちながら」
怒りをくすぶらせながらのその訴えに、ユーリアは同意しつつも兄を宥めた。
「それは私も残念だけど……。アルティナ様が地位に固執しないで悔しがったりしないのは、良い事ではないの?」
「ふざけるな! 俺はあのろくでなし公爵じゃなくて、アルティナ様に仕えているんだ! いや、俺だけじゃない。グリーバス領からアルティナ様が直々に勧誘した、騎士団員全員がそうだぞ!」
「ちょっと兄さん! 気持ちは分かるけど、人目があるから落ち着いて!」
いきなり往来で激昂した兄を、ユーリアは慌てて宥めた。それでデニスもすぐに平常心を取り戻し、真剣な口調で続ける。
「地位や身分に固執しないのは美徳かもしれないが、アルティナ様は決してこのまま埋もれて良い人ではない。どういう形でもこの王都で、貴族階級の肩書きを保持していて貰う必要がある。この先、きっとそれが必要になる気がする」
「兄さん? どういう意味?」
僅かに眉根を寄せて尋ねたユーリアだったが、次の瞬間デニスはいつもの飄々とした表情に戻り、苦笑いしながら話を続けた。
「……と密かに考えていた時に、ケインから一目惚れした云々を聞いたからな。あいつは女癖はともかく性格が良くて部下や周囲に好かれているし、二十代のうちに副隊長まで上り詰めた実力は伊達じゃない。アルティナ様が十四で副隊長に、二十二で隊長に就任したのは、あくまでも例外中の例外だ。それを抜かせば、ケインは歴代最速での就任記録保持者だ」
「それ位は分かっているわよ」
面白くなさそうに妹が頷いたのを見てから、デニスは更にケインとの話を画策した理由を説明した。
「それにシャトナー伯爵はこれまで目立たないと言うか、派手な事はしない、社交界では実直な人柄だと知られている。そういう人物なら裏でやましい事など企む筈がないし、そうなると裏から手を回して縁談を壊すのも不可能だ。そうなると本人が直接、なんらかの手を打つ必要が出てくる」
そこまで聞いたユーリアは、呆れかえった表情になった。
「それに加えて守銭奴一家だと思い込ませておけば、必ずシャトナー伯爵家で何か騒ぎを起こすと? その場合どうしてもあの一家と直に接する事になるから、その善良さでアルティナ様の頭も冷えるとかまで、周到に考えていたわけ?」
「まさか。そこまで都合良く事が運ぶとは、さすがに思っていなかったさ。結構、分の悪い賭けだったな」
デニスが正直に告げると、ユーリアはその穴だらけの計画に思わず溜め息を吐いた。
「呆れた。普通、どんな風に転ぶか分からない賭なんかしないわよ」
「それで、結局どうなったんだ?」
そこでユーリアは小さく舌打ちしてから、兄に詳細を教えた。
「悪霊つきの事実は教会には伏せて、アルティン様にケイン様の品行方正さを認めて貰えるまでは形式上の夫婦で実質上は婚約者という事にすると、ケイン様以外の方の意見が纏まったわ。それでケイン様も、それに従うしかなったのよ。妹のマリエル様が、ケイン様がアルティナ様にちょっかいを出さないように見張る気満々よ」
「そっ、そいつは……、ケインも気の毒に……」
ケインに同情する台詞を口にしながらも、口を押さえながら肩を震わせていては笑いを堪えているのは明白で、ユーリアは思わず兄に白い目を向けた。それから平常心を取り戻した彼は、まだ若干笑いながら妹に言い聞かせる。
「それじゃあ、本当に結婚するかどうかは先送りにして、当面はアルティナ様の立場を確固たる物にしないとな。そこら辺は、お前がちゃんと屋敷内でフォローしろよ?」
「言われなくても、分かっているわよ。ところで、他に隠している事はないでしょうね?」
「本当に信用が無いな。じゃあ、俺はそろそろ行くから。アルティナ様によろしく」
「ええ」
そして中身を飲み切った瓶をユーリアに渡すと、デニスは何事も無かったように再び手綱を引いて馬車と共に歩き出した。そして背後から妹の気配が消えたのを察してから、彼は自分にだけ聞こえる声量で呟く。
「最近なんとなく、王都内に鼠が増えている感じがするしな。今ここでアルティナ様に、辺鄙な田舎に引っ込んで貰う訳にはいかないんだ。……アルティナ様のためには、外れて欲しい勘だけどな」
そして僅かに難しい顔をしながら、デニスは再び無言で目的地を目指した。
「全く兄さんったら、こんな所で飲み物を準備して待っていろって、一体どういうつもりよ?」
果汁入りの水を詰めた瓶を二つ持参し、指示通り広場の片隅でイライラしながらデニスを待ち受ける彼女に、背後から声がかけられる。
「よう、ユーリア。待たせたか?」
その声に振り返ったユーリアは、そこに意外な兄の姿を認め、なんとも言えない顔付きになった。
「そんなには待たなかったけれど……、何をやっているの?」
荷物を満載した荷馬車の馬の手綱を引き、着古した服装で現れたデニスは、苦笑いして答える。
「運送業の日雇い労働者」
「見れば分かるわよ。仮にも騎士団の一員が、諜報活動の一環でこんな事までやっているなんて……。話には聞いていたけど、実際目にすると引くわね」
「そんなに、幻滅した顔をするなよ。緑騎士隊は、近衛騎士団の中でも特殊なんだって」
「それは分かってます」
そこで身振りで飲み物を要求されたユーリアは籠に入れていた瓶を取り出し、デニスに渡した。短く礼を言って彼がその栓を抜いて飲み始めてから、ユーリアは責めるような口調で話を切り出す。
「兄さんの仕事内容なんか、どうでも良いのよ。それよりアルティナ様とケイン様の件だけど。兄さんはどうして、私達に何も知らせてこなかったのよ?」
そう言ってユーリアが睨むと、デニスは瓶を口から離して困ったように弁解した。
「だってなぁ、アルティナ様に『ケインは良い奴だから、この際結婚したらどうですか?』とか勧めても、『冗談じゃないわよ!』とて蹴り飛ばすのが関の山だ」
「実際にケイン様を、蹴り倒した上に投げ飛ばしたわ」
「そうか……。まあ、最初から上手くいくとは思っていなかったがな」
洒落にならない話を聞いて、デニスは思わず笑ってしまった。しかしユーリアは渋面のまま話を続ける。
「しかもシャトナー家の皆様には、アルティナ様にアルティン様の魂が宿っているって設定のままだし」
「はぁ? なんだ、その変な設定は?」
さすがに訝しんで問い返したデニスに、ユーリアは苛立たしげに叫んだ。
「だって! アルティナ様が悪霊つきって事にすれば、体面を考えて即刻教会に突き出して、あっさり婚姻無効の届け出をされるとか、教会に口止め料として持参金の大半を供出する事になるだろうとか、どうやっても噂が漏れ出てグリーバス公爵家とシャトナー伯爵家の評判が落ちるとか、その持参金を運搬する隙を突いて奪って逃走すれば良いとか、色々対策を考えていたんだもの!」
「なるほどな。だけど悪霊つきでも構わないっていう、全く動じない伯爵家の反応で、あっさり計画変更ってわけか?」
「仕方がないじゃない。……ちょっと! 何がおかしいのよ?」
口元を覆ってクスクスと笑い出した兄を見てユーリアは本気で腹を立てたが、デニスの笑いはなかなか収まらなかった。
「いや、だってな。大立ち回りをした挙げ句、そんな予想外の展開に陥った時の、アルティナ様の顔を想像したら……」
「本当に失礼よね!? 元はと言えば、兄さんが元凶じゃない! さっきも言ったけど、どうして私達に黙っていたのよ!?」
その追及に、デニスは急に真顔になって答えた。
「それはアルティナ様の考えが、気に入らなかったからだ」
「はぁ? どこが? どんな風に?」
むきになって言い返した妹に、デニスは如何にも面白くなさそうに答える。
「あの人が子供の頃から男装させられて武芸一般を仕込まれていたのも、近衛騎士団に男として入団させられたのも、『窮屈なお嬢様生活なんかしなくて良いから助かった』と本人が微塵も気にしていないから、俺としても納得していたがな。だがあの人は公爵達の都合であっさり首をすげ替えられたら、すっかり隠遁する気満々じゃないか。あの若さで近衛騎士団の隊を任されるほどの力量を持ちながら」
怒りをくすぶらせながらのその訴えに、ユーリアは同意しつつも兄を宥めた。
「それは私も残念だけど……。アルティナ様が地位に固執しないで悔しがったりしないのは、良い事ではないの?」
「ふざけるな! 俺はあのろくでなし公爵じゃなくて、アルティナ様に仕えているんだ! いや、俺だけじゃない。グリーバス領からアルティナ様が直々に勧誘した、騎士団員全員がそうだぞ!」
「ちょっと兄さん! 気持ちは分かるけど、人目があるから落ち着いて!」
いきなり往来で激昂した兄を、ユーリアは慌てて宥めた。それでデニスもすぐに平常心を取り戻し、真剣な口調で続ける。
「地位や身分に固執しないのは美徳かもしれないが、アルティナ様は決してこのまま埋もれて良い人ではない。どういう形でもこの王都で、貴族階級の肩書きを保持していて貰う必要がある。この先、きっとそれが必要になる気がする」
「兄さん? どういう意味?」
僅かに眉根を寄せて尋ねたユーリアだったが、次の瞬間デニスはいつもの飄々とした表情に戻り、苦笑いしながら話を続けた。
「……と密かに考えていた時に、ケインから一目惚れした云々を聞いたからな。あいつは女癖はともかく性格が良くて部下や周囲に好かれているし、二十代のうちに副隊長まで上り詰めた実力は伊達じゃない。アルティナ様が十四で副隊長に、二十二で隊長に就任したのは、あくまでも例外中の例外だ。それを抜かせば、ケインは歴代最速での就任記録保持者だ」
「それ位は分かっているわよ」
面白くなさそうに妹が頷いたのを見てから、デニスは更にケインとの話を画策した理由を説明した。
「それにシャトナー伯爵はこれまで目立たないと言うか、派手な事はしない、社交界では実直な人柄だと知られている。そういう人物なら裏でやましい事など企む筈がないし、そうなると裏から手を回して縁談を壊すのも不可能だ。そうなると本人が直接、なんらかの手を打つ必要が出てくる」
そこまで聞いたユーリアは、呆れかえった表情になった。
「それに加えて守銭奴一家だと思い込ませておけば、必ずシャトナー伯爵家で何か騒ぎを起こすと? その場合どうしてもあの一家と直に接する事になるから、その善良さでアルティナ様の頭も冷えるとかまで、周到に考えていたわけ?」
「まさか。そこまで都合良く事が運ぶとは、さすがに思っていなかったさ。結構、分の悪い賭けだったな」
デニスが正直に告げると、ユーリアはその穴だらけの計画に思わず溜め息を吐いた。
「呆れた。普通、どんな風に転ぶか分からない賭なんかしないわよ」
「それで、結局どうなったんだ?」
そこでユーリアは小さく舌打ちしてから、兄に詳細を教えた。
「悪霊つきの事実は教会には伏せて、アルティン様にケイン様の品行方正さを認めて貰えるまでは形式上の夫婦で実質上は婚約者という事にすると、ケイン様以外の方の意見が纏まったわ。それでケイン様も、それに従うしかなったのよ。妹のマリエル様が、ケイン様がアルティナ様にちょっかいを出さないように見張る気満々よ」
「そっ、そいつは……、ケインも気の毒に……」
ケインに同情する台詞を口にしながらも、口を押さえながら肩を震わせていては笑いを堪えているのは明白で、ユーリアは思わず兄に白い目を向けた。それから平常心を取り戻した彼は、まだ若干笑いながら妹に言い聞かせる。
「それじゃあ、本当に結婚するかどうかは先送りにして、当面はアルティナ様の立場を確固たる物にしないとな。そこら辺は、お前がちゃんと屋敷内でフォローしろよ?」
「言われなくても、分かっているわよ。ところで、他に隠している事はないでしょうね?」
「本当に信用が無いな。じゃあ、俺はそろそろ行くから。アルティナ様によろしく」
「ええ」
そして中身を飲み切った瓶をユーリアに渡すと、デニスは何事も無かったように再び手綱を引いて馬車と共に歩き出した。そして背後から妹の気配が消えたのを察してから、彼は自分にだけ聞こえる声量で呟く。
「最近なんとなく、王都内に鼠が増えている感じがするしな。今ここでアルティナ様に、辺鄙な田舎に引っ込んで貰う訳にはいかないんだ。……アルティナ様のためには、外れて欲しい勘だけどな」
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