ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(12)突然の訪問者

 クリフがグリーバス公爵邸で、図々しいにも程がある申し入れをしてから数日後。夕食を食べ終えて家族水入らずで寛ぎ、そろそろ休もうかと言う時間帯に、シャトナー伯爵邸の門扉が激しく叩かれた。
 それだけでもかなり非常識であるにも関わらず、何やら叫んで開門を求めているらしい声が邸内にまで響いてきたことで、伯爵夫人であるフェレミアは不思議そうに傍らにいた夫と息子に尋ねた。
「こんな時間にお客様かしら……。あなた達、そんな予定があったの?」
「いや、来客の予定はないが」
「私もです」
 男二人も怪訝な顔を見合わせていると、少ししてから談話室の扉をノックして、執事が現れる。


「失礼いたします」
「どうした、ガウス?」
「只今、玄関前にグリーバス公爵家のアルティナ様が、執事を同伴されて、ご到着なされました」
 困惑顔での報告に、伯爵家一同は唖然となった。


「はぁ?」
「こんな時間にですか?」
「どういう事だ?」
「それが……。執事殿が申されるには、グリーバス公爵様が『アルティナの持参金の準備が整ったので、引き取っていただきたい』と仰られていたとの事ですが……」
 困惑顔での執事の報告を聞いたフェレミアは、まだ信じられないように問い返した。


「アルティナ嬢の話は勿論聞いていましたが、まさか先触れもなくこんな時間に?」
「しかし、現にお見えになっておられますので……。奥様、どう致しましょうか?」
「どう、と言われても……」
 執事と妻が困惑しきりの様子を見たシャトナー伯爵アルデスは、素早く頭を切り替えて指示を出した。


「ガウス。今、アルティナ嬢達を玄関前でお待たせしているのだな?」
「はい」
「それではとにかく、すぐに応接室にお通ししなさい」
「それと王宮で勤務中の兄に、至急使いを出してくれ。アルティナ殿がいらしている事と、できるだけ早く戻ってきて欲しい事を伝えるんだ」
「畏まりました」
 アルデスに続きクリフも険しい表情で指示を出すと、ガウスはすぐに一礼して談話室を出て行った。そして再び家族だけになったところで、アルデスが顔を顰めながら呟く。


「全く、非常識にも程がある。一体どういう事だ?」
「どうもこうも。要するにグリーバス公爵夫妻は、一刻も早くアルティナ殿を厄介払いしたいのでしょう」
 クリフが冷静に解説すると、基本的におっとりした性格で普段滅多に怒りを露わにしないフェレミアが、珍しく本気で怒っている口調で非難してきた。


「なんて事でしょう! それでも実の親ですか? 情が無さ過ぎると思いませんか?」
「母上。ここは私と父上で対応するので、応接室に顔を出すのは控えて貰えませんか?」
「その方が宜しいでしょうね。それにアルティナ嬢の部屋を整えなくてはならないでしょう。そちらは私が差配しておきます。取り敢えず客間を使っていただきましょう」
「お願いします」
 息子に促されてフェレミアは冷静さを取り戻し、使用人達に指示を出すべく、足早に談話室を出て行った。それからアルデスが、ゆっくりと重い腰を上げる。


「さて……、あまり気乗りはしないが行くか」
「ええ。とても友好的な会話になるとは思えませんね」
 そして親子揃って難しい表情をしながら、応接室に向かって歩き出した。
(全く、有り得ないことをしでかしてくれる。しかもよりにもよって、兄さんが会議と夜勤で王宮に出向いている時にやって来るとは、間が悪いにも程があるぞ)
 舌打ちしたい気持ちを堪えながらクリフは父親と並んで進み、途中でガウスから三人を応接室に通した旨の報告を受けながら扉の前までやって来た。それから応接室に足を踏み入れると、ソファーに並んで座っているアルティナと執事らしい男が目に入ってくる。クリフ達は、その向かい側に悠然と腰を下ろした。 


「お待たせして申し訳ない、アルティナ殿。当主のアルデス・シャトナーです。以後お見知り置き下さい」
「ようこそ、アルティナ殿。歓迎します」
 当然使用人である執事を無視して穏やかな口調でアルデスとクリフが挨拶すると、アルティナは座ったまま頭を下げて謝罪してきた。


「アルデス様、クリフ様。急な事に加えて夜分に訪問する事になり、誠に申し訳ありません」
「いえいえ、そこのところはお気遣いなく」
 しかし申し訳無さそうに詫びるアルティナの横で、付いてきた執事が平然と座ったままなのを見て、彼に対するアルデスとクリフの印象は最悪の物となった。
(仮にも主家の姫が非常識な訪問を詫びているのに、横で執事がふんぞり返っているなどどういう了見だ?)
(この訪問は、明らかに貴様等の都合だろうが。アルティナ殿が頭を下げる必要はない筈だがな!?)
 しかし内心はどうあれ、表面上は含みの無い笑顔で尋ねる。


「ところでアルティナ殿。突然の我が家へのご訪問の理由を説明していただきたいが」
「それは」
「そちらの希望する額のアルティナ様の持参金が整いましたので、教会に提出するこちらの婚姻申請書へのご当主のサインと、アルティナ様の引き渡しに伺いました」
 何か言いかけたアルティナの台詞を遮り、執事が淡々と告げてきた内容に、アルデスは思わず皮肉げに顔を歪めた。


「ほう? 本当にこの短期間で、三百七十万リランを揃えられたと?」
「はい、こちらです。ご確認ください」
「これはこれは」
 自分の横に置いておいた箱を持ち上げ、自分の前のテーブルの上にそれを置いた執事は、蓋を開けて一万リラン金貨が詰まった中を見せると、横柄にアルデスに向かって用紙を押し出した。


「お分かりいただけたのなら、サインをお願いします」
 しかしここで、クリフが遠慮の無い事を言い出す。
「見ただけでは分かりませんね。確かに一万リラン金貨が三百七十枚揃っているかどうか確認するので、少々お待ちください」
 当然の如く言われたその内容に執事は一瞬呆気に取られ、次に顔を真っ赤にして怒り出した。


「なっ、なんですと!? グリーバス公爵家を愚弄する気ですか!」
「生憎と、我が家はこれまでグリーバス公爵家とは交流がなく、信用という物が皆無なんですよ。これは、これから良いお付き合いをしていく為の、信用構築の第一歩です。さて、数えますか。1、2……」
 相手の非難もなんのその。平然と金貨の枚数を数え始めたクリフに執事は苛立たしげに叫んだ。


「ぶっ、無礼なっ! この事は公爵様にお伝えしますぞ!?」
「お伝えすれば良かろう。これだけの大金の受け渡しだ。きちんと確認するのは世の習い。こちらの言い分を鵜呑みにしろと、非常識な事を言っているのはそちらだ」
「ですが!」
「第一、先触れもなく、いきなりこんな時間に押し掛ける事自体、非常識だとは思われないのか? グリーバス公爵家の方々はそこの所を含めて、もう少し世間の常識という物を持ち合わせられた方が良いようだな」
「…………っ!」
 平然と言い返したアルデスに執事が反論できずに黙り込むと、箱の中の金貨を取り出しながら数えていたクリフが訝しげな声を出した。


「おや? 執事殿、金貨が一枚足りませんが?」
「ほう? それでは申請書にサインはできませんな」
「なんですって!? そんな筈はありません!!」
 血相を変えて執事が反論したが、クリフは肩を竦めながら積み上げた金貨を指し示す。


「そう言われましても、無い物は無いので。ご自身でご確認ください」
「分かりました。1、2……」
 そして険しい顔付きで金貨の枚数を数え始めた執事は、最後の一枚を数え終わると同時に、茫然自失状態になった。


「どうして一枚足りないんだ……。そんな筈は……」
「それをこちらに言われましても。わざわざ足をお運びいただいたのに誠に申し訳ありませんが、この金貨を元通り箱に詰めて、アルティナ殿共々お引き取りください」
 あっさりと出直して来いと宣言したクリフに、執事は血相を変えて訴えた。


「そんな! 話が違う!! それに公爵になんと説明すれば良いのですか!?」
「話が違うのはそちらでしょう。きちんと三百七十万リラン、耳を揃えて払って頂かない事にはアルティナ殿を連れてお引き取りいただくしかありませんね。公爵には、そのようにお伝えすれば良いでしょう」
「そんな事をお伝えできません!」
「それなら一万リランを、この場であなたが立て替えて下されば宜しいですよ? 公爵邸に戻ってからその旨を告げて、公爵に支払っていただけば宜しいでしょう」
「なるほど、それもそうだな。アルティナ殿や執事殿に、再度出我が屋敷まで向いていただくのは申し訳ない。是非、そうしてください」
 アルデスにまで穏やかな笑顔で勧められた執事だったが、額を流れ落ちる汗をハンカチで拭きながら抵抗した。


「そう言われましても……。そんな大金、私如きが常に持ち歩く事はありませんので……」
「それなら乗ってこられた馬車と、繋いである馬を頂きましょうか」
「ああ、なるほど。あれなら十分、一万リラン程度の価値はあるな」
 そんなとんでもない要求をされた執事は、瞬時に顔色を変えた。


「なんですって!? それでは私は、どうやって屋敷に戻れば良いんですか?」
「どうって……、歩いて戻れば宜しいでしょう?」
「同じ王都内にあるのですから、真夜中になる前には辿り着けるでしょう。良かったですね」
「なっ……」
 あまりと言えばあまりの内容に執事が絶句していると、クリフが容赦なく彼に選択を迫った。


「さあ、どうされますか? 金貨と馬車と馬と共にアルティナ殿をこちらに引き渡して、婚姻申請書を持って公爵邸に戻るか、金貨とアルティナ殿を伴って、役目を果たせずに公爵邸に戻るか。どちらかお好きな方をお選びください」
「私どもは、どちらでも構いませんが」
 選択を迫られた執事は少々歯ぎしりをしていたが、どちらがより叱責を受けにくいかと考えた末、判断を下した。


「分かりました。金貨に加えて、馬車と馬もお渡しします。その代わり、婚姻申請書への署名をお願いします」
「分かりました。それではすぐに準備致しましょう。少々お待ち下さい」
 そしてアルデスは側に控えていたガウスに、早速グリーバス公爵家の馬車と馬を小屋に移動するように指示を出し、彼がドアの向こうに消えてからクリフにペンとインクを持ってこさせ、婚姻申請書にサインを済ませた。


「それではこちらをお持ち下さい。公爵家の方々にくれぐれも宜しく」
「この度アルティナ殿をお迎えして、我が家とは縁続きになったのですから。末永くお付き合い下さい」
「それはどうでしょうな! 主のお考えは、使用人風情には分かりませんので! それでは確かに持参金はお支払いしましたよ!!」
 慇懃無礼を絵に描いた様な親子の物言いと笑顔に、夜に徒歩でグリーバス公爵邸まで戻る羽目になった執事は、苛立たし気に叫びながら婚姻申請書を奪い取って応接室を出て行った。それを見てクリフは必死に笑いを堪えたが、この間黙って自分達のやり取りを観察していたアルティナに視線を向ける。


(アルティナ殿の顔色が悪いな……。我が家がよほど守銭奴だと思われたらしい。これからきちんと説明しないと)
 さりげなく侍女の顔色も窺えば、怒るのを通り越して無言のまま呆れた表情をしており、クリフは取り合えず緊急の課題を再認識した。





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