ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(11)守銭奴交渉

 ケインが王宮での勤務を終えて屋敷に戻り、遅めの夕食を取るため食堂に出向くと、どうやら同様に残業をこなしてきた弟が食事中だった。するとクリフが食事の手を止めて、ある事を尋ねてくる。
「兄さん、デニス殿から連絡は? 一昨日に明らかになったターレン侯爵の幼児嗜好の性癖の件が、王宮内で凄い噂になっていたけど」
 その問いかけに、ケインは自分の席に座りながら渋い顔になって応じた。


「ああ、話は聞いているし、デニスからは計画の内容は定期的に教えて貰っている。全く……、デニスの情報収集能力は凄まじいな。元々グリーバス領からアルティンの推薦で騎士団緑騎士隊に入った連中を束ねて、陰で動かしているとは言っても……」
 感嘆と呆れが入り交じった感想を述べた兄に向かって、クリフが不敵に笑ってみせた。


「俺達がグリーバス公爵邸に出向いてから、マグヌス公爵令息の例の醜聞に続いて二件目の不祥事発覚だね。もう社交界では、最近明るみになった四件の不祥事に関しての共通点が大っぴらに語られているし、公爵達はそろそろ本気で厄介払いしたくて相当焦っているみたいだ」
「どうして断定口調なんだ?」
「今日の日中、グリーバス公爵家から連絡がきたんだ。先日の申し込み内容について詳細を話したいから、こちらへ来いとさ。押し付ける気満々なのに堂々と呼びつけるとは、どこまで面子にこだわるつもりなのか……。日時を指定されたから、明日俺が出向いて話をつけてくるよ」
 半ば呆れた口調でそう報告したクリフは、皮肉気に笑ってワイングラスに手を伸ばした。そしてその中身を一口飲んだ彼に向かって、椅子に座ったままケインが頭を下げる。


「悪いな。俺の事なのに、お前に仕事を休ませる羽目になって」
 如何にも申し訳なさそうに言ってきた兄に向かって、クリフはグラスを元通りテーブルに置きながら笑ってみせた。


「兄さん自ら出向いたら望んで嫁に迎えると思われて、結婚後に何かと押し付けがましい事を言われたり、便宜を図るように迫られたりする可能性がある。これはそれを防ぐ為の必要な措置だから、気にしなくて良いさ」
「確かに、その可能性はあるんだよな」
「だから公爵家側に、うちと金輪際係わり合いになりたくないと思わせるのが何より重要だと主張したデニス殿の意見に、俺は全面的に賛成だ。最後まで傍若無人に振る舞って来るよ。任せてくれ」
「すまん、クリフ。宜しく頼む」
 再び生真面目に頭を下げた兄を見て、クリフは今度こそおかしそうに笑った。


「滅多に頼み事をしない兄さんに頭を下げられたら、多少悪者になる位なんともないさ。それにフラフラしていた兄さんが、落ち着く気になっただけで安心したし。そういう訳だから、吉報を待っていてくれ」
「ああ」
 その弟の笑顔につられてケインも安堵したように微笑み、それからは久しぶりに兄弟だけで、他愛の無い話をしながら食事を楽しんだ。
(女の事で真顔になってる兄さんの顔なんて滅多に拝めないし、少し骨を折る位、大したことではないさ)
 食事の間、本心からそんな事を思っていたクリフは、翌朝になってもその気持ちは変わらなかった。
 しかし家を出てグリーバス公爵家に乗り込んでから、微妙にその意識を変えざるをえなかった。


(家を出る前は、確かにあんな風に思っていたが……、ここまで守銭奴を演じる羽目になるとは、正直思っていなかったな)
 以前と同様に広い応接室に通され、交渉が始まってすぐに内心で嘆息したクリフだったが、目の前に座るグリーバス公爵ローバンに対しては、真顔で厚かまし過ぎる主張を繰り出し続けた。


「先程から、双方の話が全く噛み合っておりませんね、グリーバス公爵」
「そもそも、そちらの持参金の要求額が多過ぎるのだ! しかもどうして、当初の三百万リランより増えているんだ!?」
「こちらは領地の割譲も使用人の俸給を負担しないという、公爵の主張を受け入れたのですよ? その分、持参金を上積みしていただくのは当然です」
「しかし四百万リランは、幾ら何でも多過ぎるぞ! 他の娘にも、それだけの持参金を持たせなかったのに!」
 既に顔を真っ赤にしているローバンに向かって、クリフはさも当然と言わんばかりに落ち着き払って言い返す。


「それは他のお嬢様方は、アルティナ殿のように難は無かったでしょうし、婚家は公爵家と縁付くだけで納得するような、金銭的に余裕のある上流貴族家ばかりでしょうから」
「それと比較して見劣りする貴様の所に、どうしてそれ以上の持参金をくれてやらなければならないんだ!」
「ですから、我が家は他の嫁ぎ先とは異なって手元不如意であり、アルティナ殿が元公爵令嬢としての品位を保つ為にそれだけの財産が必要だと、再三申し上げております。いい加減、ご理解していただきたいものですね」
 淡々と主張を続ける目の前の男を見て、ローバンは怒りを隠そうともせずに歯軋りした。


「若造が……、調子に乗りおって! あれの品位など保つ必要は無い!」
「我が家の方針にご不満なら、この縁談は無かった事にしていただいて構いません。また他家に縁談を持ちかけて、不幸を撒き散らして下さい。それとも人知れず幽閉して、アルティナ殿の容姿について、暫くの間社交界で面白おかしく噂されるのを良しとされても、宜しいでしょうし。そうなるとせっかく養子に迎えられたタイラス殿の評判にも傷がつきかねないと思いますが、それはこちらは全く与り知らぬ事ですので」
 クリフがさらっと、こちらは無理に話を纏めなくても一向に構わない、かつタイラスの評判に係わると述べてみると、ローバンはしぶしぶながら折れた。


「……三百二十万リラン」
「はい?」
「当初申し出ていた三百万に、二十万上積みしてやる。それであれを引き取って貰おう」
 しかし当然その程度の妥協で、譲歩するクリフではなかった。
「最低でも三百九十万リランですね。領地を諦めて、使用人の俸給もこちら持ちになるのですから」
「どこまでむしり取る気だ! この恥知らずの守銭奴が! 三百三十万だ! これ以上は出さんぞ!」
 激昂して喚き散らしたローバンだったが、それを見てもクリフは肩を竦めて呆れ気味に首を振り、僅かに譲歩しただけだった。


「仕方がありませんね。そこまで仰るなら、三百八十万で手を打って差し上げましょう」
「ふざけるな! 私が三百三十万と言ったら三百三十万だ!!」
「それはグリーバス公爵家内でのお話でしょう? これから末永く家族ぐるみでお付き合いするのですから、互いに妥協は必要だと思いませんか?」
「誰が貴様の様な守銭奴と、末永く付き合うか!!」
 不敵に微笑んだクリフの笑みを見て、ローバンの顔は徐々に赤を通り越してどす黒くなってくる。そして壁際に控えている執事が蒼白な顔で事態を見守る中、更なる持参金交渉が続いた。




「アルティナ様、戻りました。手の空いている使用人全員、応接室のドアにへばり付いて、お二人の会話を手に汗握って盗み聞きしていましたよ」
「それで? 結局、どうなったの?」
 シャトナー伯爵家次男がまた乗り込んで来たと報告を受けたアルティナは、話し合いの内容を確認してきて欲しいとユーリアに頼んだ。そして彼女が戻るなり詳細を尋ねると、ユーリアはやや興奮気味に報告する。


「アルティナ様の持参金は、最終的に三百七十万リランになりました。しかも『減額した分、現金一括払いで、アルティナ様と同時の引き渡しで』と、どこまでも厚かましく主張して、お帰りになりました」
 その報告を聞いたアルティナは、一瞬怒りを忘れて思わず口笛を吹いた。
「あのお父様相手にそこまで粘るなんて、随分と交渉上手だったみたいね。内務省のクリフ・シャトナーか。なかなか使えそうな人材が隠れていたものだわ」
「本当に呆れました。一万リラン金貨一枚あれば、六人家族で1ヶ月は暮らせますよ? おかげでさっきから、屋敷中が大騒ぎですから!」
 まだ若干興奮気味に告げてきたユーリアを見て、すぐにその言わんとする所を悟ったアルティナが、小さく笑った。


「ああ……、幾ら領地や資産があっても、さすがにそこまでの現金を一気に動かせないものね。ゆっくり嫁入り支度を整えるならまだしも、少しでも早く合法的に私を厄介払いしたいなら、急いでお金をかき集めないといけないわけか」
「普段、金庫にそんなに余剰金がないでしょうしね。お姉様方の嫁ぎ先に声をかけて一時的にお借りする事になりそうだと、執事の方々が話していました」
「それだけでも、腸が煮えくり返っているでしょうね。ご愁傷様」
 全く同情していない口ぶりでそんな事を言った主に、ユーリアは尋ねてみた。


「それでアルティナ様は、どうなさるおつもりですか?」
「勿論、私も腸が煮えくり返っているわよ? 目の前に奴らが居たら、問答無用で絞め殺す程度には」
「……愚問でしたね。失礼しました」
 淡々と答えた彼女の顔に、紛れもない殺気が浮かんでいるのを見て取ったユーリアは、とばっちりを避ける為に俯いて小声で謝罪した。その台詞を聞いているのかいないのか、アルティナの独り言めいた呟きが、ユーリアの耳に聞こえてくる。


「ふ……、ふふふ……、あのろくでなし兄弟。この期に及んでも本人が全然顔を見せない上、私をダシにして持参金をがっぽりふんだくるなんて、いい度胸をしているじゃない。どこまで人をコケにしてくれたら気が済むのかしら? このまま大人しく、結婚したりしないわよ? シャトナー伯爵家に赤っ恥をかかせてやるから、覚悟しなさい……」
 そして勢い良く、ユーリアの肩を掴んで訴える。


「ユーリア、全面的に計画変更よ! 最後まで手伝って頂戴! とことんやってやるわ!!」
「……はいはい、分かっています。こうなったら最後まで、とことんお付き合いしますから」
 当然そうなると思っていたユーリアに、主の申し出に否と答える選択肢は無く、傍から見ると荒唐無稽な計画に最初から最後まで付き合わされる羽目になった。





コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品