ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(9)風雲急を告げる

 その日も自室で暇を持て余していたアルティナは、図書室から持って来た歴史書に目を通していた。しかし突如として階下から微かに伝わってきた喧騒に、小さく溜め息を吐いて本を閉じる。
「今日は一段と、お母様の金切り声が酷いわね。この部屋まで聞こえてくるなんて。今度は一体どんな事で、ヒステリーを起こしていらっしゃるのかしら?」
「さぁ……。誰かに聞いて来ますか?」
「そうね。大体予想はつくけど、一応お願い」
 主の命を受けて下がったユーリアだったが、それほど時間を要さずに部屋に戻って来た。ついでにお茶の支度まで整えてきたのを見て、丁度喉が乾いた頃だったアルティナは彼女の有能さに感嘆する。


「アルティナ様、そろそろお茶を飲まれませんか?」
「ありがとう。ちょうど飲みたかったのよ」
 それを受けてユーリアは押してきたワゴンをアルティナの近くで止め、早速ポットでお茶を淹れ始める。


「アルティナ様。ギネビア様が癇癪を起こしていた理由が分かりました」
「なんだったの?」
「リンド侯爵家のカーライル様が、公金を横領していた証拠を内務省の監査役に掴まれて、宰相の指揮の下、侯爵邸と別邸及び愛人の家に、近衛軍緑騎士隊が一斉に踏み込んだそうです」
「あらあら、リンド家のカーライル様と言えば、財務省の官僚としてはなかなかの人材だと評判だったのに。随分と馬鹿な事をしたものね」
 全く手を止めずに淡々と説明する侍女に、微塵も同情する気配のない主の組み合わせは、第三者が見たら冷え冷えとする光景だっ。しかし当事者達は、そのまま白けた口調での会話を続ける。


「加えて、滅多に宝物庫を開けて中を確認しないのを良いことに、王家所有の宝飾品を盗み出して質に入れ、遊興費に当てていたとか。大体は横領したお金で払い戻したそうですが、幾つかは流れてしまったらしいです」
「なんて罰当たりな。不敬罪は確実ね」
「全くです。本人の役職剥奪と王都追放だけに止まらず、ご両親を始めリンド侯爵家の方々は、暫く公の場に姿を見せられないでしょう」
「どれ位の期間になるのかしら? 本当にお気の毒だわ」
 そこでお茶を淹れ終えたユーリアは、アルティナの目の前の丸テーブルにカップを置きながら、疲れたように苦言を呈した。


「アルティナ様。全然気の毒そうに見えませんが?」
「酷いわ、ユーリア。私が他人の不幸を喜ぶような人間だと思っているの?」
「白々しいですよ」
 思わず溜め息を吐いたユーリアの前で、アルティナが素知らぬ顔でカップを手にしてお茶を飲み始める。それを見ながら、幾分安堵した様子でユーリアが話し出した。


「ですがこれで、この一ヶ月で三件目の縁談破棄ですね。そんな不祥事が明らかになった家と、わざわざ縁続きになりたいとは思わないでしょうし」
「本当に私って、殿方とのご縁が無いのね。ジェスター侯爵家の次に縁談が持ち上がったラングドム公爵家は話があった翌週に、隣国からの違法薬物の密輸と販売で摘発されたし」
「本当にびっくりですよ。れっきとした公爵家が、違法薬物販売の黒幕だなんて。人身売買にも手を染めていたみたいですし、下手すれば公爵家はお取り潰しですね」
 物騒過ぎる内容をユーリアが断定口調で述べたが、それにアルティナが首を傾げた。


「それはどうかしら? 当主は引退蟄居させられるとは思うけど、分家の人間を引っ張り出してでも公爵家そのものは存続させると思うけど」
「その場合でも領地の一部は返上して、王家直轄領が増えるのではありませんか?」
「そうでしょうね。その次のバール侯爵家のセラム様は、亡くなられた奥様がご存命の頃から奥様の妹二人とも関係を持っていたなんて、とんでもない外道よね。奥様亡き後はてっきり後釜に座れると思っていた義妹達に、私との縁談が持ち上がるのとほぼ同時に二股をかけていたのが露見して、奥様の実家で修羅場になった挙げ句に刺されたのでしょう? 本当に酷い話だわ」
「偶々、その場に居合わせた親戚筋の方から漏れて、凄い醜聞になりましたね」
 しみじみとした口調でのユーリアが呟きに、アルティナは渋面で頷く。


「本当に馬鹿よね。浮気をするなら、せめてどちらか一人にしておけば良かったのに。それにその実家から、かなりの金品を持ち出させていたんでしょう?」
「ええ。それで実家側から賠償を求められて、未だに泥沼状態らしいです」
「そんな所とうっかり縁続きになったりしたら、こっちがその賠償金を払わないといけなくなるかもしれないものね」
「それでアルティナ様、社交界でそろそろ噂が広まっているみたいですよ?」
「あら、どんな噂が?」
 素知らぬふりで首を傾げた彼女に、ユーリアは笑いを堪えながら告げた。


「曰わく『グリーバス公爵家のアルティナ殿は、稀にみる凶相の持ち主らしい。双子の兄のアルティン殿が早世したのに加えて、持ち上がった縁談の相手に悉く不幸が降りかかっている』だそうです」
 それを聞いたアルティナは、わざとらしく怒ってみせた。
「全く失礼な話よね? 単に欲の皮が突っ張った親に人を見る目がないせいで、問題のある人間とばかり縁談が進んでいただけじゃない」
「本当に、清廉潔白な方との縁談を、纏める気はないのでしょうか?」
「そういう方はあの人達から見て縁続きになっても益はないし、もれなく良い相手がいるでしょう」
「世の中、上手くできているのか、できていないのか……」
 思わず愚痴っぽい呟きを漏らしたユーリアを宥めるように、アルティナが苦笑いしながら応じる。


「そろそろ私を政略結婚の駒にするのを諦めて、適当に領地や財産を割譲して、どこぞに押し込める気になって欲しいものだわね」
「そうしたらさっさと有り金を纏めて、人知れず出奔するつもりですね」
「当たり前でしょう。貰えるだけの物は貰うし、最後の最後までとことん嫌がらせしてやるわ。デニスにもお礼をしないとね。これまで散々、見えないところで骨を折って貰ったし」
「はぁ、そうですね……」
 そこで出て来た兄の名前を聞いて、ユーリアは微妙な顔付きになった。
(兄さんと言えば……。この前、街で打ち合わせを兼ねた二人で食事をした時、なんか終始妙な顔で笑っていたのよね。ちょっと不気味だったけど、問い詰めても吐かなかったし。あれは一体、なんだったのかしら?)
 思わず難しい顔になって考え込んだ彼女を見て、アルティナがカップ片手に不思議そうに声をかける。


「ユーリア、どうかしたの?」
「いえ、なんでもありません」
 主の前で集中力を切らすなど論外だとユーリアが密かに気合を入れ直していると、廊下に続くドアがノックされ、お伺いを立てる声が聞こえてきた。


「アルティナ様、入っても宜しいでしょうか?」
「構いません、どうぞ」
「失礼します。アルティナ様、奥様がお呼びです」
 室内に足を踏み入れたギネビア付きの侍女が、礼儀正しく頭を下げて申し出た内容を聞いて、アルティナは穏やかに尋ねた。


「なんのご用でしょうか?」
「アルティナ様に、お客様がおいでです」
「私にお客? どなた?」
「シャトナー伯爵家の嫡男のケイン様と、次男のクリフ様と伺っております。至急、応接室にいらしてください。奥様がお二方のお相手をされております」
 それを聞いたアルティナは僅かに眉根を寄せたものの、落ち着き払って答えた。


「分かりました。ユーリア、片付けをお願い」
「畏まりました」
「それではご案内致します」
 カップを静かにソーサーに戻すなり、アルティナは静かに立ち上がった。そんな彼女をユーリアは一礼して見送り、迎えに来た侍女は先導して廊下を歩き出す。
(ケインは良く知っているけど、シャトナー伯爵家のクリフ殿と言うと確か……、内務省の官僚だった筈。そんな人間が、どうして兄弟揃って私に会いに来るわけ? 理由が、全く想像できないのだけど)
 内心で困惑しながらアルティナは歩き続けたが、応接間に辿り着くまでには多少の事では動じない程度の自信と落ち着きを取り戻していた。


「奥様。アルティナ様がお見えになりました」
「入りなさい」
「失礼します」
 侍女の呼びかけに応じた声を聞いてから、アルティナはゆっくりとドアを開けて、応接室に足を踏み入れた。そのままギネビアが座っているソファーの近くまで行って足を止めると、彼女が向かい合うソファーに座っている男性二人を手で示しながら、簡単に紹介してくる。


「アルティナ。こちらはシャトナー伯爵の嫡男のケイン・シャトナー殿と、次男のクリフ・シャトナー殿です。ご挨拶なさい」
「はい」
 それを受けてアルティナは僅かに膝を膝を折り、淑女の礼をして見せた。
「お二方とも、初めてお目にかかります。グリーバス公爵家当主、ローバン・グリーバスの六女である、アルティナ・グリーバスです。以後、お見知りおきくださいませ」
 ケインとは少し前にアルティナとして顔を合わせた関係上、余計な事を口にしないか冷や汗ものだったが、ソファーから立ち上がった二人はどちらも初対面の挨拶をしてきた。


「初めまして。ケイン・シャトナーです」
「クリフ・シャトナーです。本日は前触れもなくご訪問したのにも係わらず、公爵夫人自ら快く対応していただき、誠に恐縮しております」
(良かった。まさかこの場で『以前、街でお会いした事があります』だなんて、空気を読めないにも程があることを、口走ったりはしないと思ったけど)
 密かに胸をなで下ろしたアルティナだったが、ソファーを回り込んで座った途端、横に座るギネビアが自分の耳を疑うことを言い出した。
「そんな事、お気になさらずとも結構ですのよ? なんと言っても色々難があるアルティナの結婚話を、持って来てくださったのですから」
(今、なんて言ったの? この人?)
 完全に予想外の内容を聞かされて絶句しているアルティナに向かって、ギネビアは機嫌良く話を続けた。



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