ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(6)想定外の出会い

 王都リオネスの、王宮を取り囲むように広がる貴族の邸宅街に一番近い広場で、簡素なワンピースを着込んで髪を背後で一つに束ねただけのアルティナは、打ち合わせ通りデニスと合流した。
「お待たせ、デニス」
 たすき掛けに小さな布製のバッグを下げ、軽く手を振って走り寄ったアルティナに、デニスは苦笑いしてから並んで歩き出す。


「首尾良く抜け出せましたね。まあ、あなたがしくじるとは思っていませんでしたが」
「当然よ」
「帰りはどうするつもりですか?」
「隣の教会は閉まってしまうから、例の経路で戻るつもりよ」
「外壁を登る時は、くれぐれも用心してください」
「分かっているわ」
 時刻は夕刻であり、そろそろ仕事を終えて店をたたむ者や家路を急ぐ者などが行き交う通りを、二人は迷わず歩き続ける。 


「しかしまあ、随分と派手にぶちかましたものですね」
「何の事かしら?」
 突然何かを思い出したように含み笑いで言い出したデニスに、アルティナが怪訝な顔を向けると、彼が声を潜めて報告してきた。


「昨夜のランシェード侯爵家の夜会で、ジェスター侯爵とうちの公爵が角突き合せて悪態を吐きまくったそうです」
「もうそんなに噂になってるいるわけ。因みに、どんな噂?」
「ジェスター侯爵曰く『グリーバス公爵は行き遅れの性根の悪い娘を押し付ける相手を探している』とか、『根性が悪くて他人を妬むのは親譲りだ』とか、『身の程知らずはあの親の娘としては納得だ』とか。公爵側は」
「ああ、大体分かるから、もう良いわ。それより、ジェスター侯爵が先祖伝来のご自慢の勲章を着けて来なかったのも、話題になっていたでしょう?」
「ええ。それがどうやら、うちの公爵のせいらしいと言う噂も流れてますが。……アルティナ様ですよね?」
 若干探るように尋ねてきたデニスに、アルティナは素っ気なく言い放つ。


「分かりきっている事を聞くのは無駄よ」
「そうですね。時間の無駄ですね。さっさと食って、さっさと帰りましょう」
 もはや苦笑いしかできなかったデニスは、そこで話題を切り替えて目的地へと向かった。


「うわ~、本当に久しぶりで、急にお腹が空いてきたわ。どれにしようかな」
 アルティンとして時折顔を出していた食堂に足を踏み入れた途端、アルティナは嬉々として奥のカウンターに進んだ。そして並んで座るなり上機嫌に注文を考え始めた彼女に、デニスが不思議に思っていたことを尋ねる。


「ところでユーリアが知らせてきた内容では、昨日から食事を出されていないんですよね? 昨日はどうしていたんですか?」
「例の隠し戸棚に保管しておいた、保存食を食べたのよ。有事への備えって、本当に大切よね」
 にっこり笑いながら事もなげに告げた彼女は、両手を組んで目の前の壁を見上げながらしみじみとした口調で呟く。


「アトラス隊長。不肖の弟子のアルティンは、あなたの教えを今でも忠実に守っております」
「有事って……、一気にスケールが小さくなっていますよ。たかが屋敷内で食事抜きにされた位で」
「何を言っているのよ。兵站は戦時の最重要項目じゃない」
「屋敷内で何と戦っていると言うんですか」
「細かい事は気にしない! さあ、注文するわよ? すみません! 注文お願いします」
「はい、今、行きます!」
 給仕担当の若い女性を呼び止め、あれこれと好物を頼み始めたアルティナを見て溜め息を吐いたデニスは、諦めて自分も注文した。


「アルティナ様、飲みたいのは分かりますが、今日はこっそり戻らないといけないんですから、駄目ですよ?」
 注文してすぐに運ばれてきた陶器製のゴブレットを手にしながらデニスが苦言を呈すると、アルティナは顔を顰めて反論する。
「分かってるわよ。くどいわね、デニス」
「分かっているなら、俺のグラスを物欲しそうに眺めるのは止めてください」
「あら、気のせいよ。デニスったら自意識過剰」
 そう言って水の入ったゴブレット片手にころころと笑ってみせた彼女に、デニスは本気で項垂れた。


「……もう帰りたいです」
「何を言っているのよ。夜はまだまだこれからなのに」
「この状況で、一晩中飲み明かすような台詞を言わないでください。お願いですから」
 本気で頭を抱えたくなったデニスだったが、ここで背後から予想外の声がかけられた。


「よう! デニス。お前と、こんな所で会えるとはな」
「最近付き合い悪いぞ? しかも今夜は外せない用事があるとか言ってたくせに、女連れとは」
「全く隅に置けな……、え?」
「その顔……、アルティン? いや、まさか……」
 四人の男達がデニスの肩を叩きつつ、声をかけながら顔を覗き込んできたが、向かい側に座っているアルティナの顔を見た瞬間、全員が驚愕の顔付きになって黙り込む。対するアルティナとデニスは辛うじて動揺を面に出さずに無言を保ったが、互いに目を見交わして素早く状況判断を下した。


(ちょっと! なんでよりにもよって、こんな所でこいつらと遭遇するのよ!?)
(そういえば今夜は連中から誘われていたのを、断って来たのを忘れていたな……)
(ちょっとデニス! 連中の口振りだと全員王都に顔を揃えたから、一緒に飲むかとかの話になっていたのよね? それなら飲み歩くにしても、最初にここにくる可能性は大じゃない!!)
(失敗した……。アルティナ様。ここはすっとぼけて、やり過ごしますよ?)
(勿論よ! “アルティン”と顔は瓜二つだけど、中身は全然違う“アルティナ”を印象付けるしかないわよね!?)
 そして腹を括ったアルティナは不思議そうな顔を装いながら、周りを囲んでいる彼らに控え目に問いかけた。


「あの……、もしかして皆様は、亡くなった私の兄をご存じなのでしょうか? それにデニスとも、お知り合いですか?」
(デニス! 分かってるとは思うけど、今の私はアルティナ・グリーバスよ!? 変な事を口走らないでね!)
(そんな事は分かっていますよ! あんたこそ気合入れて、最後まで深窓の御令嬢擬態をしてくださいよ!?)
 アルティナに続いて、デニスも落ち着き払って飲み仲間を紹介してみせた。


「アルティナ様。この四人は私とアルティン様が近衛騎士団に入団した時の同期で、それ以後親しく付き合っている者達です」
「まあ、そうだったの」
 素知らぬふりで初対面を装ったアルティナに、デニスは冷静に説明を続ける。


「年齢の他、現在所属している隊や階級は異なりますが、アルティン様を含めて彼等とは良く飲み明かしていた顔ぶれなんです。右から順に、黒騎士隊第四小隊長のトーマス・フォトン、青騎士隊のレスリー・ニーズン、赤騎士隊第二小隊長のサイモン・ラッシュ、黒騎士隊副隊長のケイン・シャトナーになります。皆、こちらは以前何かの折りに話題に出した、アルティンの双子の妹君に当たる、アルティナ様だ」
「皆様、初めてお目にかかります。アルティナ・グリーバスと申します。兄が生前、親しくお付き合いいただいたとのこと。心よりお礼申し上げます」
 ここでアルティナが椅子から立ち上がり、笑顔で四人に向き直って頭を下げると、彼等は狼狽気味に言葉を返した。


「あ、いや……」
「ご丁寧にどうも……」
「デニス? れっきとした公爵令嬢が、どうしてこんな所にいるんだ?」
「そうだぞ。俺達みたいに平民上がりや、下級貴族出身ならともかく」
 口々に訴える同輩達に、デニスは困った顔になりながら提案する。


「きちんと説明はするから、適当に座ってくれ。というか、カウンターには収まり切らないから、向こうのテーブルに移動しないか?」
「そうだな。ちょうどあそこが空いたみたいだし」
 そして皆が揃って歩き出そうとしたところで、デニスは形ばかりアルティナにお伺いを立てた。


「アルティナ様、申し訳ありません。彼等と同席しても構いませんか?」
 その問いかけに、彼女は笑顔で応じる。
「ええ。デニスとお兄様の知り合いなのでしょう? それなら別に怖くはないもの」
「はい。性格は良い奴ばかりですから」
「おいおい、聞き捨てならないな、デニス」
「『性格は』って、他は悪いって言いたいのか、お前は?」
「何だ、少し顔を合わさないうちに、被害妄想が強くなったんじゃないか?」
 好き勝手な事を言い合いつつ、空いている大きな円形のテーブルに移動を始めた面々だったが、ここでアルティナは、ふと視線を感じて振り向いた。


「………………」
「あの……、何か?」
「いえ、なんでもありません。お気になさらず」
 一人だけ無言で自分を凝視していたケインに、アルティナが控え目に声をかけてみたが、彼は短く告げて仲間の後を追った。同様にアルティナも自分用のゴブレットを持ち上げて歩き出しながら、先程のケインの様子を思い返して密かに冷や汗を流す。


(え? 何? ケインが私を凝視していた気がするのだけど……。ひょっとして、二人が同一人物だと怪しまれている訳じゃないわよね?)
 そんな不安を抱えたまま移動先のテーブルにやって来たアルティナは、大人しく勧められた椅子に座った。そして全員が落ち着いたのを見て、この面子で最年長のトーマスが代表して問いかける。


「デニス、それで?」
 それを受けて、デニスは一応アルティナにお伺いを立てた。
「アルティナ様。この者達に、事情を説明しても宜しいでしょうか?」
「皆様には、私自身で説明するわ」
「分かりました」
 大人しく引き下がったデニスから顔見知りの面々に視線を向けたアルティナは、密かに気合を入れ、これまでの演技してきたアルティンとしての口調や声の高さとは違う、本来の自分の声で慎重に語り出した。





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