ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(4)アルティナの深謀遠慮

 玄関前の馬車寄せで颯爽と降り立ったアルティナは、馬車の御者に短く礼を述べて玄関へ向かって歩き出した。すると馬車が門から入って来たのを窓から確認したらしい執事の一人が、重厚なドアを開けて一瞬固まる。
「戻りました」
「……お帰りなさいませ」
 すかさず帰宅の挨拶を口にしたアルティナに、執事は辛うじて頭を下げて応じた。そのまま自室へ向かおうとしたアルティナに、玄関ホールまでやって来ていた侍女頭が控え目に声をかける。


「あの……、アルティナ様?」
「何か?」
 振り返って問い返した彼女に、侍女頭は内心の困惑を露わにしながら述べる。
「今日はどちらかへお泊まりの予定ではなかったのですか? 奥様から、そうお伺いしていましたが」
 しかしその問いかけに、アルティナは真顔で返した。


「いいえ? 随分おかしな事を言うのね。そんな予定はなかったけど」
「ですが」
「現に、こうして私が帰って来ているのだし。単にお母様が勘違いなさっただけでしょう。このところ夜会続きで、お疲れなのではないかしら?」
「……そうでございますか」
 尚も言いかけた侍女頭の台詞を遮り、アルティナは淡々とした口調ながらきっぱりと言い切った。それで見事に反論を封じられた侍女頭は、幾分悔しそうに口を閉ざす。そんな彼女に、アルティナは微笑みながら言い聞かせた。


「あなた達も、もう少し気をつけてくれるかしら? お母様は若く見えても、もう充分お年なのですから。お母様には、いつまでも長生きしていただきたいわ。それでは部屋に戻ります」
 そう一方的に告げて歩き出したアルティナを、引き止めたり咎め立てする者は皆無だった。




「お帰りなさいませ、アルティナ様」
「ただいま。急いで片付けるわよ?」
「はい」
 自室に戻るなりアルティナは自分のドレスの袖や裾を勢い良く捲り上げ、拘束具や簡易武器、薬品入りの瓶を取り出し、加えてそれらを腕や足に装着しておくホルダーを、手早く外しにかかった。それを慣れた手つきで手伝っていたユーリアだったが、出かける前にはなかった物を認めて、怪訝な顔で尋ねる。


「アルティナ様。これはなんですか?」
 その手にしている勲章を見て、アルティナは笑いを堪える表情になりながら説明した。


「クレスタ殿に飲ませた自白剤で、寝室に設置してあった隠し金庫の事とその開け方を聞き出して、持ち出して来たの。何代か前の当主が、当時の国王陛下に功績を認められて賜った最高位勲章よ。祝典の時とかに得意満面でクレスタ殿が身に着けているのを、アルティンとして参加していた時に見た記憶があるわ。自分が賜った訳でもない物を着けて平然と公の場に姿を現すだけでも、そいつの人間性が分かるってものよ」
「周りから見たら失笑ものですよね……。気付いていないのは、本人だけですか」
 ユーリアがしらけた視線を勲章に落とすと、アルティナも頷いて同意しながら解説を続ける。


「そういうわけで、この家とクレスタ殿の関係を悪化させるなら、宝石を洗いざらい持ち出すより、これ一つの方がかさばらないし効果的なの」
「なるほど、元々お金が目的ではありませんからね。納得です」
 しかしそこでアルティナは、若干せこい事を言い出した。


「せっかくだから、それに付いている宝石だけは外して売り払いましょうか」
「本当に、容赦ないですね」
「初対面のうら若き乙女を、問答無用で寝室に引っ張り込もうとする外道よ。命は取らないんだから、これ位盗っても構わないわよ。寧ろ穏便に済ませた事に対して、感謝して欲しい位だわ」
 そんな事を堂々と言い切ったアルティナに、ユーリアは思わずため息を吐いた。そして他人に見られたらまずい諸々の物を抱え、壁に設置されている隠し戸棚に収納しようとして、ふと気になった事を尋ねる。


「でも今頃ジェスター侯爵邸で、騒ぎになっていないのですか? と言うか、そもそもどうして大人しく帰って来られたんです? 詳しくは聞いていませんでしたが、『エロ親父を盛大に叩きのめしてくる』と言っていましたのに」
 普通ならそんな事を言われた時点で主を止めるか翻意を促す筈だが、あいにくユーリアは普通の侍女ではなく、そうですかとスルーして送り出してしまっていた。そんな今更な質問をされたアルティナは、笑いながら説明する。


「ある程度ボコって意識が朦朧としたところで、さっきの自白剤に加えて騎士団特製の麻酔薬と睡眠薬を同時に飲ませたのよ。見えるところには痣も裂傷も付けてないし、あの屋敷の者達は『旦那様は何やら気持ち良くお休み中だ』と思って、寝室のベッドに運んで放置しているわ」
「呑気なことですね……」
「薬の効果が夜半に切れたら痛み出して喚いて、屋敷中が大騒ぎでしょうね。それにあの麻酔薬と睡眠薬を併用すると、薬の副作用なのか服用前後の記憶があやふやになるのが分かっているの。あの豚野郎は自分がどうしてこうなったのかも、下手したら分からない筈よ」
 くすくすと笑いながら告げるアルティナに、(相手が悪かったわね)とユーリアは頭を抱え、少しだけクレスタに同情した。


「今日持参した物を含めた、隠し戸棚に常備してある薬は全部、近衛騎士団から入手した物ですよね? 近衛騎士団って、一体何をやっているんですか?」
「それはまあ……、時々王宮には招かれざるお客様がいらっしゃるし。お客様に応じたおもてなしの方法を、日々色々と開発研究検討しているもの。詳しく聞きたい? ユーリアがどうしても聞きたいって言うのなら」
「全力でお断り致します」
「うん、ユーリアは知らない方が良いわよ」
 全く悪びれずに提案してきた主に対し、ユーリアは力一杯辞退した。それを見たアルティナが、思わず笑みを深める。


「だけどあいつの意識が戻って、褒章が無くなったのが分かったら、どんな騒ぎになるかしら」
「取り敢えず宝石だけ取って、残りの後始末も兼ねて明るいうちに街に行ってきます」
「お願いね」
 そしてユーリアが侍女のお仕着せから簡素な私服に着替え、勲章を隠し持ってアルティナの寝室のクローゼットの奥に消えた。それからアルティナは一人でドレスからいつもの部屋着に着替えてのんびりと本を読み始めたが、夕方もかなり遅い時間になって戻って来たらしいギネビアが、ノックもなしに部屋のドアを押し開けて乱入して来た。


「アルティナ! あなたどうして帰って来ているの!?」
 入室して来るなり金切り声を上げた母親に向かって、ゆっくりと本から顔を上げたアルティナが微笑みかけた。
「あら、お帰りなさいませ、お母様」
「白々しい挨拶をしないで! どうしてお前がここに居るのかと、聞いているのよ!?」
 その詰問口調に、アルティナは困ったように首を傾げながら答える。


「どうしてと仰られても……。私の話が退屈過ぎたらしく、クレスタ様がソファーに座ったままお休みになられてしまったので。使用人の方を呼んで、寝室へ運んでいただきましたの。ジェスター侯爵邸に問い合わせて貰えれば、分かると思いますが」
 それを聞いたギネビアは、軽く目を見張って驚いた表情になった。


「お休みって……、あなたの目の前で眠り込んだわけ?」
「はい、そうですが。それが何か?」
 不思議そうに尚も問いかけたアルティナに、ギネビアは忌々しげに吐き捨てた。


「もう良いわ! 全く、なんて事なの!? お前ときたら、女としての魅力が皆無と見えるわね!」
「生憎と、そうみたいです。誠に申し訳ありません」
 殊勝な物言いでアルティナが頭を下げると、ギネビアは彼女を一睨みしてから足音荒く部屋を出て行った。それを安堵した顔つきでアルティナが見送った直後、寝室に続くドアからユーリアが姿を現す。


「戻りました、アルティナ様」
「ご苦労様。どうだった?」
「宝石はいつもの所で引き取って貰って、勲章はバラバラに裁断して、裏通りで燃やしてきました」
「足が付く可能性はなさそうね。良かったわ」
 報告を聞いたアルティナは満足そうに頷いたが、ユーリアは急に真剣な表情になって主を問い質した。


「ところでアルティナ様。この間色々有り過ぎて、お尋ねするのをすっかり忘れていたんですが、縁談を片っ端から潰してどうする気ですか? 独身のままグリーバス公爵家に居られる筈はないですし、これまでのあれこれで確保していた資金は十分にありますから、それを持ってこの家を出るつもりはないんですか?」
 そう問われたアルティナは、苦笑しながら答えた。


「それもそうなんだけど、勝手に出たら向こうは厄介払いができたと喜ぶだけでしょう? それに嫌がらせの為に、ありもしない罪状をでっち上げて逃亡する羽目になるかもしれないし。そんなのは御免だわ」
「それはそうですけど……」
「だから向こうが音を上げるまで縁談を潰しまくって、『頼むから出て行ってくれ』と拝み倒されて、合法的にこの家の資産を割譲して貰って、大手を振って出て行く形にするのよ」
「公爵達の怒りを買って、暗殺される可能性とかは考えていないんですか?」
「この私が、あの連中に遅れを取ると思うの?」
「全く思いません」
 真顔で問われて、ユーリアは溜め息しか出なかった。そんな彼女に、アルティナは再度微笑みかける。


「どんな縁談を持って来られても構わないわ。これからもとことん“グリーバス公爵令嬢”の肩書で、あの連中の顔を潰しまくるつもりよ」
「アルティナ様にかかったら、嫌がらせも命がけですね。今日はお疲れ様でした」
「そうね。ここの所使っていなかった筋肉を使ったから、さすがにちょっと疲れたわ。今日は早く寝るわね」
「そうして下さい。明日は騒々しくなりそうですし」
 淡々と感想を述べるアルティナに頭痛を覚えながら、ユーリアは翌日以降に勃発するであろう騒動を思って、小さな溜め息を吐いた。





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