ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(9)ユーリアの帰還

 アルティナが公爵領の屋敷に軟禁されてから、早くも七日が経過した。しかし周囲が緊張を強いられているのとは裏腹に、彼女自身は与えられた部屋で悠然と過ごしていた。
(さて……。連中が筋書き通りに事を進めようとして、なおかつデニスが順調に騎士団にあれを届ける事ができたのなら、そろそろ今日辺りこちらに怒り心頭で出向いてくる筈だけど、どうかしら? 全然外の様子が分からないし、聞いても教えてくれる筈もないしね)
 壁際に佇んでいる監視役の侍女からの視線を無視しつつ、ソファーに座って大して興味が無い本を読むふりをしながらアルティナ考えを巡らせていると、何やら階下から喧騒が伝わってきた。すぐにその理由を察したアルティナは、侍女に気づかれないように密かに笑う。


(あら、ちょうど来たみたい。それなら首尾良く任命は済んだのね。良かったわ。アルティンの存在が消えるのは仕方がないにしても、必要以上に面倒事を騎士団の皆さんに押し付けるのは気が引けるもの)
 侍女は次第に近付いてくる怒声と足音に動揺する素振りを見せていたが、アルティナは平然と読書を続けた。その様子は、扉が勢い良く押し開けられても変わらなかった。


「アルティナ! 貴様、やってくれたな!?」
 いきなり非難の声を投げつけられてもアルティナは微塵も動揺せず、今初めて騒ぎに気付いたかのように本から視線を上げ、父親に向かって微笑んでみせた。


「お久しぶりです、お父様。あら、タイラス殿まで。ごきげんよう。暫くお会いしていないけど、お姉様はお元気かしら?」
「ふざけるな! なんだあれは! 貴様のせいで、俺は隊長になり損なったんだぞ!?」
 その糾弾の声に、アルティナはわざとらしく首を傾げる。
「いきなりわけが分からない事を喚かれても……。第一『隊長』とは、なんのお話ですか?」
 それを見たローバンは、眼を細めて威圧するようにアルティナを睨み付ける。
「そうだな。“アルティナ”としては、わけが分からない話だろうな」
 しかし今更それ位で恐れ入るアルティナではなく、にこやかに笑って言葉を返した。


「ええ、全く。世間知らずな私と違い、近衛騎士団の隊長職に就かれていた“お兄様”ならお分かりになるかと思いますが、つい先程お亡くなりになりましたし……。タイラス殿。幾ら顔が似ているからと言って、私と兄を取り違えないでいただけますか? 周囲から錯乱したと思われますよ?」
「この女!?」
「止せ」
「ですが、お祖父様!」
 あまりにも白々しい物言いにタイラスが怒りを露わにして掴みかかろうとしたが、ローバンが険しい表情をしながらそれを押し止めた。そして不満を隠しきれないタイラスをそのままに、ローバンはアルティナに声をかける。


「ところで“アルティナ”」
「はい、なんでしょうか」
「“アルティン”が亡くなる前、自分が“死んだ”場合、密かに保管してある物を王宮の近衛騎士団に届け出ろと命じた使用人が王都の屋敷に居たそうなのだが。その人物の名前を知らないか?」
 ローバンが探るような視線を向けながら慎重に尋ねてきたが、それを聞いたアルティナは、怪訝な顔で答えた。


「申し訳ありませんが、私はこちらの屋敷に移ってから全く王都に出向いておりません。王都の屋敷の使用人など、知りようもありませんわ」
「少し記憶を探って教えてくれたら、今後のお前の扱いにも手心を加えてやっても良いのだが?」
「そう言われましても……、知らないものは知りませんので」
 しおらしい態度を崩さないままアルティナがしらを切ると、ローバンは皮肉っぽく口元を歪め、タイラスは忌々しげに悪態を吐く。
「残念だな……。お前はもう少し、利口だと思っていたのだが」
「後でたっぷり後悔させてやるぞ!!」
「あらあら……、『後悔』ね。するのはどちらかしら?」
 捨て台詞を吐き、足音荒く二人が出て行くのを見送ったアルティナの顔には、その時、不敵な笑みが浮かんでいた。




「ラウール。確かにあれはこの屋敷から一歩たりとも外には出ていないし、誰かと連絡も取ってはいないんだな?」
 一階に下りて広い応接室に入ってから、ローバンは険しい顔付きでラウールを睨んだが、彼は僅かに狼狽しながらも力強く頷いて断言した。
「はい。拍子抜けするくらい、大人しくされておられました。間違いございません」
「そうか……。それはそうと、あいつの専属侍女はどうした? あの部屋では見なかったが」
「領内に実家があるとかで、休暇を取らせました」
 秘密保持の面でアルティナに関わる人数を最小限とし、彼女の身の回りの世話を殆どユーリアだけにさせていたことで、屋敷に数多くの使用人がいてもローバンは彼女の顔と名前を覚えていた。その為、何気なく尋ねたのだったが、ラウールの返答を聞いて顔色を変える。


「馬鹿者! その女が連絡役を務めたかもしれんだろうが!」
 即座に盛大な雷が落ちたが、ラウールは必死に弁解した。
「しかし彼女には何も知らせずに、ここから出しましたので! 一応実家の方も見張らせてはいましたが、特に怪しい所はありませんでした!」
「そんな事が信用できるか!」
「あの……、失礼します」
「何だ!?」
 そこで一人の侍女が応接室にやって来て、ラウールに歩み寄った。彼女はローバンに凄まれて怖じ気づきながらも、恐る恐るラウールに声をかける。


「その……、ラウール様。アルティナ様の侍女が戻りまして、アルティナ様の部屋に出向く前に、まずラウール様にご挨拶をと申しておりますが……」
「ちょうど良い。こちらに連れて来い」
「はい」
 ラウールが指示を出す前にローバンが忌々しげな声で侍女に言い付け、彼女は何事かと思いながら引き下がった。そしてすぐにユーリアを引き連れて、応接室に戻ってくる。


「やあ、ユーリア。ご家族は元気だったか?」
 姿を目にしたラウールが声をかけると、ユーリアは鞄を持ったまま頭を下げ、笑顔で挨拶をしてきた。
「はい。この度はまとまった休暇を頂き、ありがとうございました。久しぶりに家族と会えて、のんびり過ごすことができました。公爵様、お久しぶりでございます。タイラス様もいらっしゃいませ」
「……ああ」
 仏頂面のローバンとタイラスにも礼儀正しく頭を下げてから、ユーリアはラウールに問いかけた。


「ところで、アルティン様は私がいない間、我が儘を言って周りの皆さんを困らせてはいませんでしたか? アルティン様は近衛騎士団で色々ストレスを溜めている分、プライベートではぐだぐだですから。もうすぐ休暇も終わりですが、王都に帰りたくないとか愚痴を零して、ごねているのではないかと心配していたもので」
「それは……」
「ユーリアだったな。アルティンは王都に帰らない」
 ラウールが説明しかけたが、その声を遮ってローバンが素っ気なく告げた。しかしそれを聞いたユーリアが、戸惑った表情になる。


「え? 公爵様、それではアルティン様に騎士団からの指令が来て、このままどこかの視察に出るとか、演習に向かわれるのでしょうか? それなら私だけ、荷物と一緒に先に王都の屋敷に戻りますが」
 真顔で申し出た彼女に向かって、ローバンは淡々と説明を加えた。


「違う。既に王宮にはアルティン・グリーバスは病死と届け出た。アルティナには本来の名前で生活して貰う。お前もそのつもりでいろ」
「何ですって!? 公爵様、それは一体どういうことですか!」
 血相を変えてローバンに詰め寄ったユーリアに、タイラスが煩わしそうに言い捨てる。


「どうもこうも、融通の利かないあの女の代わりに、私が近衛騎士団に入る事になったんだ。使用人の分際で喚くな。うるさいぞ」
「はぁ!? どうしてアルティン様の代わりに、こんな子供が騎士団に入るんですか! 使い物になる筈がありませんよ!」
「何だと!? 無礼だぞ、貴様!」
「もう決定事項だ。諸手続も済んでいる」
 勢い良くタイラスを指さしながら抗議したユーリアだったが、ローバンがにべもなく言い切ったことで、進路を塞いでいるタイラスを突き飛ばすようにして走り出す。


「邪魔です! ちょっとどいてください!」
「うわっ!」
「アルティン様! 一体どういう事ですか!?」
 そのままの勢いでドアから飛び出し、叫びながら廊下を走って行ったユーリアを呆気に取られて見送ってから、タイラスは怒気を露わにローバンに訴えた。
「何だあの侍女は! お祖父様、即刻クビにしてください!」
 しかしローバンは、それに渋面になって応じる。


「そうもいくまい。下手に外に出して色々言い触らされたら面倒だし、屋敷内でアルティナがアルティンと同一人物だと知っていても、今まで秘密を守っていた数少ない者の一人だ。下手に恨みを買うよりは、飼い殺しにした方が得策だろう」
「それにあの驚きようですと、本当に今まで知らなかったとみえますね。ここに来た当初訪ねた折に、アルティナ様は平然と記章と短剣は念の為屋敷に保管してきたと言っていましたし」
 ラウールがそう述べると、ローバンが忌々しげに吐き捨てる。


「お前からのその連絡を受けて、すぐに屋敷のあいつの部屋の棚や金庫を探したが、該当する物は皆無だった。……やはり王都の屋敷の使用人の誰かが、知らせを受けた私達が探し始める前に、隙を見てどこかからそれらを取り出し、騎士団に駆け込んだに違いない。とんだ不心得者が居たものだ」
 それを聞いたタイラスが、怒気強く迫る。


「全くです! この際、全員纏めてクビにしてください! 当主の意向に逆らう使用人など、害にしかなりません!」
「さすがに全員は無理だが、確かに大幅に入れ替える必要はありそうだな……」
 ローバンが重々しく頷いたその瞬間、グリーバス公爵邸での使用人の大量解雇が確定したのだった。



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